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2018年4月13日 (金)

合成藍(インディゴ・ピュアー)とは

 現在、日本を含め、世界の藍染めの主流は、合成藍(インディゴ・ピュアー)による藍染めです。

 では、合成藍とはいかなるものか?
 これが割合知られていません。 
 合成藍、または人造藍は、インディゴ・ピュアーのことですが、この「ピュアー」という言葉に惑わされている事もある。「純粋」という美しい日本語に訳されていますから。
 
 先ずは、下の図をご覧いただきたい(このチャートは私が作ったものですから、無断使用はご遠慮願います。責任が取れませんから。)
Photo_5

 イギリスの製鉄業は、16世紀ごろ盛んになり、鉄を溶かすエネルギー源として木炭が使われていました。

 製鉄技術が改良されてゆくと、エネルギ源の木材が不足するようになります。

 当時石炭は、家庭用などで使われていましたが、石炭に含まれる硫黄分が鉄に悪影響を与えるために、製鉄には使うことが出来ませんでした。

 これを利用しようとして、18世紀の初め、ダービーという人が石炭からコークスを抽出。息子のダービー二世が、18世紀の中頃にそれを広め、生産性の著しい向上が図られ、蒸気機関などの機械化が進み、産業革命へと繋がることになります。
 
 石炭からコークスを抽出した後に、コールタールという副生成物というかゴミのようなものが出現しました。

 これは何か?と分析して調べてみたら、インディゴが入っていいた。そして作られたのが「インディゴ・ピュアー」です。
 藍(インディゴ)の含有量が、ほぼ100%なので、「ピュアー」と名付けられたようです。

 藍草の葉に含まれる藍の含有量(藍分)は、3%~5%と言われています。大量生産に向きません。
 
 人類はこれまで、水に溶けない藍を醗酵によって可溶性に変えてきた。これは、面倒な手間と熟練した技術を必要とした。これもまた、大量生産に向きません。

 そこに100%の藍が出現し、それを可溶性にする技術(化学建て)も開発され、藍染めが簡単に大量に生産されるようになりました。

 インディゴ・ピュアーは世界中を席捲し、植物由来の藍染めを亡ぼして今があります。

 日本には明治30年頃輸入され、世界と同じように藍草の藍染めは直ぐに滅ぼされ、今に続いています。
   
 
 追記
 なお、インディゴ・ピュアーの写真はネット上から頂きました。こういうカンで販売しているようです。
 「ピュアー・インディゴ」なる造語も、様々なところで見受けられますが、「インディゴ・ピュアー」をご存じないのかもしれません(藍染に関する記述は、こういういい加減さが目につきます)。


 

2018年4月12日 (木)

合成藍の藍染め

 染め場を見渡してみたら、妙な藍染めが掛かっている。

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 「なんでこんな藍染めがうちにあるんだ?」と聞くと、Wさんのものだという。
 「Wさんもこんなもの送ってきて、しょうがねぇな!」というと、「この色も絞も気に入らないから、染め直しをしてくれって頼まれたのよ」と家内。
 「それならわかる。さすがWさんだ」と、私も現金なものだ。

 Wさんは、藍染めではないけれど染めの専門家。我が家にしばらく暮らしながら藍染めをしていた人だから、藍染めを知っているはず。それで上記のような会話になったというわけです。

 この絞の藍染めは、一目で石炭の合成藍(インディゴ・ピュアー)を使ったものだと私たちには分かる。気持ちが悪いですから。だけど、これしか藍染めを知らない人は、きっと、「きれいね」とか「凄いね」とかいうんだろうなと想像すると、絶望的になったりする。

 ちょうど息子がいたし、あいつは我が家以外の藍染めをほとんど知らないから、「おい!これが合成藍の藍染めだ」っと説明する良い機会になりました。

 今の日本の藍染めは、原料不足に悩んでいる。灰も無い。それで、どうやって「日本の藍染め」をするというのでしょうか。だから、こういう藍染ばかりなりけりなんです。

 
 

追記
 ただし、この色が好きだという事には何の異論もありません。それこそ好き嫌いは色々あるからです。だけどね・・・っというお話しです。

2018年4月 5日 (木)

ジャパンブルーのその後

 日本を「美しい青の国」と表現した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)に、「大阪にて(In Ōsaka)」という随筆があります。1896(明治29)年の大阪の様々を書いたものですが、そこに次のような記述がある。
 
 《私が初めて日本に来た頃、男性の服装は濃い色、中でも紺色が主流であったので、男性が集まるとそこには大抵この色の集団が出来上がったものだった。しかし今日では、色合いが明るくなり、灰色が優勢のようである。またその他にも、例えば黄褐色、金茶、抹茶色など、変化に富んだ色合いもいろいろあって目を楽しませてくれる。それに比べて女性の服装がもっと多様であるのは言うまでもないが、大人の服装は男女とも、良い趣味の原則を固く守っていて、決してそれを外れることがない。》(講談社学術文庫 小泉八雲「日本の心」)
 
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 1890(明治23)年、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が日本に初めて来たときに書いた最初の随筆に、《着物の多数を占める農紺色は、のれんにも同じように幅を利かせている。もちろん、明るい青、白、赤といった他の色もちらほら見かけるが、緑や黄色のものはない。》と書いた日本の面影は、この頃既に薄れ始め、日本人の服装の色に様々な色が使われだしていたことが分かります。
 
 日本の藍染めの世界では、「ジャパンブルー」という言葉がもてはやされ、それが世界に広まっていったかのごとき記述がみられますが、事実はこの後、日本人は藍染めを忘れ使わなくなり、日本は「青の国」ではなくなって今に至ることを知らねばなりません(もちろん、「美しい青の国」だったには違いありませんが、それは百数十年も前までです)。
 

2018年4月 3日 (火)

ジャパンブルーとは

 今や猫も杓子も、藍染めをジャパンブルーと呼ぶようですが、この言葉は、サッカー日本代表のユニフォームをそう呼ぶようになったからで、最近のことです。

 実にジャーナリスティックな言葉だったわけですが、藍染めの関係者が調べてみたら、その昔、藍染めをそう呼んだ外国人がいたと云うことで、藍染めの世界で急に広まり出した言葉です(私は知らなかったくらいなものです)。

 「ジャパンブルー」という言葉は、イギリスの化学者ロバート・ウィリアム・アトキンソンという人が、日本の藍染めの青を「藍の説」でそう表現したのだと、色々なところに書いてありますが、その文献を示す物は何もないようですし、私は全く知りません。しかし、皆さんがそういうんですから、そうなのでしょう(アトキンソンは「ジャパニーズブルー」と言ったのだが、某テレビ局が「ジャパンブルー」と間違って伝えてしまったという説もあります)。

 1890(明治23)年、折しも日本の藍染めの最盛期で最後の頃に来日したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「東洋の第一日目」という随筆に、日本の青のことが書かれています。
 
 それは、人力車で横浜の外人居留地から町へ一歩踏み込んだときのお話しです。

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 《まるでなにもかも、小さな妖精の国のようだ。人も物もみんな小さく、風変わりで神秘的である。青い屋根の小さな家屋、青いのれんのかかった小さな店舗、その前で青い着物姿の小柄な売り子が微笑んでいる。》

 《見渡す限り幟が翻り、濃紺ののれんがゆれてる。》

 《着物の多数を占める農紺色は、のれんにも同じように幅を利かせている。もちろん、明るい青、白、赤といった他の色もちらほら見かけるが、緑や黄色のものはない。》

 《従業員の背中に(その法被を着た人が、どこの店や組に属しているかを示すために)紺地に白く、かなり遠くからでも簡単に読み取れるほど大きく文字が書かれていると、安物のぱっとしない衣装も、いっきに人の手が加わった輝きが添えられるのだ。》

 それらを《名画のような町並みの美しさ》とラフカディオ・ハーンは書くわけです。(新編「日本の面影」 ラフカディオ・ハーン 池田雅之訳 角川ソフィア文庫)

 つまり、町並みもそこに含まれる人も物も、それを飾る青の色もみんな美しいのです。

 

 それからわずか何年か後、日本に人造藍が輸入され、日本の藍染めは、染も物も滅びに向かいます。日本人が藍染めを着なくなり、青の国ではなくなりました。当時の日本人が、人造藍や化学的な藍染めを、色が黒くて臭くて落ちるといって、今までの藍染めと全く違う物だと感じて使わなくなったからです。

 柳宗悦はそう書いて「明治の日本人は、本物を知っていた」とも述べています。(手仕事の日本)

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 さて、今の藍染めの青色(ブルー)はどうでしょうか。ラフカディオ・ハーンが云うところの「美しい青」でしょうか。人造藍もなく、全て本物しかなかった頃に来日したアトキンソンの見た、ジャパンブルーの青色でしょうか。

 それとも、柳宗悦の云う本物を知っていた日本人が拒否した《色が黒くて臭くて落ちる》青色でしょうか。

 

 私は初めに、「猫も杓子も、藍染めをジャパンブルーと呼ぶようですが」と書きましたが、是非とも、ジャパンブルーと言うときには、その辺を良くお考えいただきたいと思います。

 現状でさえ、日本の本来の藍染めは、滅びに向かっているのですから。

2018年3月25日 (日)

藍草の栽培と土づくり

 わが家の藍草は、無農薬で栽培しています。いわゆる堆肥も使わず、漢方の資材を使っています(これが前提で、以下です)。

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 江戸時代から、藍は阿波(現徳島県)のものが優れていて良いものだとされてきました。阿波は、吉野川の氾濫による肥沃な土地の存在の上に鰊粕などの、いわゆる金肥と言われるものを使って土づくりをしていたからです(阿波国藍作法)。それは江戸時代の昔から。
 20180327 (この中で作者の吉川祐輝氏は、阿波で使用している肥料を、 ㈠、鰊粕 ㈡、大豆粕 ㈢、人糞尿 ㈣、鰮粕 ㈤、糠 ㈥、菜種粕 と紹介し、「最も普通に施用するは鰊粕なり」として、「(鰊粕は)施用上便利なるのみならず実業家は一般に実験上鰊粕にあらざれば品質の最優秀を期し難しとすればなり」と書いています。)

 

 関東の利根川沿いで生産されていた武州藍(埼玉県)も、江戸時代から良い藍を育てる肥料として、必要な〆粕や干鰯を、利根川の中瀬河岸を利用することで手に入れていました(たぶん、日本中で土づくりが行われていたのだろうと思います)。

 このように、質の良い藍を育てるには、土づくりが欠かせないものでした。

 質とは、藍の含有量や色合いや持続力など。吉野川や利根川の氾濫による肥沃な土地に、金肥などを使って質の良い藍草を育てた。 
 なぜそうしなければならないかと言えば、藍草は肥料食いで土を痩せさせ、連作が出来ないと云われるくらいなものだからです。そして、他産地との競争もあった。
 
 
 藍草の栽培の目的は、藍染の原料作りです(最近は別の目的もありはしますが)。

 近頃は無農薬ばやりで、「無農薬で育てました」という言葉があちらこちらに見えます。私の所に来て藍草を育てているという人たちも、皆さん、無農薬栽培をしている。中には無堆肥という人もいる。

 しかし、無農薬・無堆肥で藍草をつくっても、それが質の悪い草では、つくったところで良い藍染の仕事は出来ません。つまり、元も子もないということです。昔から、日本で土づくりをして良いすくもを作る努力をしてきたには、それなりの理由があるのです。

 紺屋(藍染屋)は、良い藍染という結果を求めます。その為に、良い“すくも”が欲しいだけですから、それが無農薬だろうと何だろうと拘りません。だから、私たちは「無農薬で育てています」という主張はしませんし、無意味ですらある。

 事実を云えば、専業農家のつくる藍草と、私たち素人がつくる藍草では、結果が全く違います。藍草の取れる量も色合いも持続力も違う。だから、私たちは作ってはいるけれど、まだまだ人に誇れるほどのものではありません。

 さて、無農薬で藍草を栽培していると主張して(農薬不使用栽培と彼らは言っている)藍染を始めた地方があります。私が伊勢丹新宿店6階で展示会をしているときに、7階で大きなイベントをしていたので「面白いな」と思い、「何か協力し合えれば良いな」と思って行ってみました。

 展示している藍染を見ると、色合いがどうにも黒い。私には藍染には見えません。
 妙だなと思ったら、会場の壁一杯に化学式が書いてあって、還元剤を使った化学建てをしていました。無農薬で育てた藍草をすくもにせずに、粉末化して藍染めの原料にしているから、醗酵させられないのでしょう。

 これでは、無農薬で栽培した植物を、添加物をたっぷり使い、化学調味料で調理をした料理みたいなもので(本当はもっと酷い)、なにも意味がありません。
 その地方には、私の藍建てをして本染めをしている人が一人います。彼にその藍の話をすると、ちゃんとわかっていました。残念ながら、参考にもなりませんし、協力し合う事もできません。

 

 言葉は便利です。知識のない人は、「無農薬栽培」という言葉に踊らされる。「天然藍」とか「天然藍染」という言葉も然り。その意味と実態と結果はどうかと言うことを知らなければなりません。

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