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2020年11月15日 (日)

令和2年「第2次年末の藍建講習会」募集のお知らせ

 恒例になりました年末の藍建講習会を、以下のように開催し、参加者を募集します。

【令和2年「第2次年末の藍建講習会」募集要項】

日程:令和2年12月19日(土)前10時開始 12月26日(土)午後5時解散予定

開催場所:紺邑 kon-yu.jp

参加費:176,000円(税込み)

内容:藍建てに関する全てと、染め液の維持管理方法。

本建ての染め液による藍染の基礎(化学的な藍染と根本的に違います)

募集人数:3名から5名(最大10名 宿泊の都合による)

参加資格:8日間全てに参加できる方。

経験、性別、年齢は問いません。

講習生の中には、藍建てを全く知らない人から数十年の経験を持つ染め師もいます。どなたにも平等にお伝えしますが、心から本建てを学びたい人に限ります。

申し込み方法:以下のメールアドレスに、氏名、住所(郵便番号)、電話番号、性別(宿泊の関係)をお知らせください。申し込み方法をお伝えします。
  Kon_yu@nifty.com

宿泊:基本は各自手配ですが、民泊のご紹介は致します。

一泊3,000円位です(食事は自炊か外食)

 




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2020年8月17日 (月)

教える事 教わること

 シンクロナイズドスイミングの井村コーチは選手に「全力を出し切っていない」と怒るそうだ。選手たちはそこで考える。「全力を出し切っているのに何故言われるのだろう」と。だから向上して、世界的な選手になれる。

 ところが昨今、「私は全力を出し切っています!」と自己評価する人たちに出合ようになってきた。

 藍建てについて私に質問してきた人に、「あなたのやっていることは自分勝手だ」というと、「私が自分勝手などということはありません」という。理由はともあれ教わっている私に「自分勝手だ」と言われたなら、「なぜだろう」と考えれば良いものを、自己評価して終わってしまう。自己評価とは恥ずべきものだったはずだけれど、そうではない人がいるんだな(講習生には一人もいませんよ。ネット上で教わっている人です)。

 こういう人には教えません。無駄だからです。向上することも、藍建てや藍染の本当のことに気づくこともないでしょうから。

2016年8月17日にフェースブックに書いたもの)

 

2020年8月 2日 (日)

基礎(低⦅ひき⦆きところ)

【正藍の染め液の維持管理】

 訳け合って調べ物をしていて、某正藍染師の晩年に関する記事を読んだ。

 ある着物を仕立てる人が、藍染めの反物を頼まれた。その藍染は、手が青くならない。そんな藍染に初めて出逢ったのだそうな。それが、某正藍染師の染めたもの。
 その人は、そういう藍染めの存在に驚いて調べ、私にたどり着き、私の所に来て正藍染を習って帰って行った。

 藍の染め液の手入れは、微生物との対話。染め液には個性があるから、同じような手入れは無意味。それぞれに合ったやり方をしなければならない。しかし、することはシンプル。そもそも正藍は、藍建ても蒅と灰汁だけという、これ以上はないというシンプルなものなのだから。

 しかし、正藍を建てた事のない人には、維持管理方法は分からない。何故なら、微生物を相手にしていないからだ。
 この正藍染師は最晩年、染め液の調子が悪くなって悩み、あろうことかそういう人に相談してしまった。

 結局、相談相手が染め液に入れたのはハイドロサルファイト。色は出た。そしてその相談相手は「あとのお世話はいつもどおりでいいから」と語ったという。

 そんなわけがない。微生物を生き生きとさせて染まるようになったのならともかく、ハイドロ入れて無理やり還元させて色を出したのは、単に色を出しただけであって、微生物に全く関係が無いからだ。

 案の定、その染め液はまた染まらなくなった。正藍染師御年八十三歳の出来事らしい。

 引退は潔いに限る。年老いてから、改めて勉強したり勘を養ったりするのは諦めるべきだ。そう思わされたが、結局この正藍染師は、基本というべきものを持たなかったのだろう。

 それも人生だが、その正藍染師の育った時代と環境もあったに違いない。それは、彼のやっていたことが歴史に根差したものだったかどうかと言う問題と云っても良いかもしれない。賀茂真淵が古事記を読み解こうとした本居宣長に、「基礎(低きところ)を固めることこそが、高みに登る術だ」と語ったというが、その通りだと思い知らされた。基礎は歴史の中にある。

2020年7月 4日 (土)

古代布の事

《独創性とは起源に 戻ることである。》アントニオ・ガウディ

 古代布を今に生かそうとしたある人の藍染は、化学建てだった。古代布を生かすと言うなら、その技法も古代に倣わなければならない。それを間違えれば、嘘を伝えることになるのが何故解らないのかと私は思った。その人は亡くなった。
 
 大麻、藤布、しな布、葛布など、古代布と呼ばれるものは縄文時代からあった。その基本的な技法は、日本に連綿と続いていた。それを探ることが、古代布を今に生かそうとする事だと私は考えるが、今は、現代の技法をそれに当てはめようとするから違ったものになってしまう。一例として顕著なのは「灰汁」の使い方。
 
 古代布は、植物を繊維にする時に、古来から灰汁で炊いて硬い繊維を柔らかくして使えるようにしてきた。灰汁は強アルカリ性だ。だから今は、苛性ソーダなどを使う。これが「現代の技法を古代布に当てはめる」という事。結果、繊維の質が変わり、使い勝手が違ってしまう。人類が追い求めて来たものと違うものになる。古代布本来の感触を失うのだ。だから灰汁を使わなければならないが、そうしている人達は少ない。
 
 起源に戻ろうとすると、長い間人類が追い求めて来た感触に出会う。人類の知恵と対話できる。それを基にすることによって創造性が育まれる。
 
 アントニオ・ガウディはこう続けている。

世の中に新しい創造などない、あるのはただ発見である。
創造的たろうとして脇道にそれてはならない。
通常なされていることを観察し、それをよりよくしようと努力すればそれでよい。
 
 「基本的な技法は、日本に連綿と続いていた」と私は書き、その例として灰汁の使い方を書いたけれど、日本でも灰汁を使う古代布を扱う人たちもいる。いや、いたからこそ、技法が今に続いて来た。

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新潟県村上市山北地区で行われている「しな布」の繊維を灰汁で煮る「しな煮」。

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丹後の藤布づくりの「灰汁炊き」。

 このように、古代からの技法で古代布を作っている人たちが日本にいる。しかし、冒頭に書いたように、古代を謳い、現代の技法で古代布を扱っている人たちも多い。前者の藍染は正藍染を使うか藍染を扱わない。後者の人々は藍を扱い、その藍染は化学建て。なぜそうなるのかと言へば、現代の技法を古代布に当てはめようとするからだ。もう一つ言えば、現代の技法から古代布を見ているからだ。

 藍染めの世界も、灰汁を使うのは絶対だ。灰を扱っていると、縄文の人たちと会話をしているように思われる。それこそ、起源に戻ろうとすること。私はそう考え、生徒たちにも伝えている。

 

《(神の)「創造」は継続し、創造主は被造物(人間)を利用する。自然の法則に従い作品を作ろうとしてその法則を探求するものは創造主と協働する。模倣者は協働しない。それゆえ、独創性とは起源に戻ることである。》アントニオ・ガウディ

 ガウディのこの言葉に出会ったのは、半世紀も昔。その意味に気づいたのは、それから40年後。「私は晩生だ」と、いつぞや書いたことを思い出した。



2020年6月28日 (日)

紅花染めの事

 長く長く気になっていたこと、それが紅花染め。技術的な事ではない。今の紅花染めがどうして在るかということについて。

 私は若い頃、所用があって毎月の様に山形県に行っていた。滞在先で山形新聞を手に取り、そこで、米沢の元教師の鈴木さんという方が、紅花染めを復活なさったことを知った。「うちの親父の藍染のような人が居るんだなあ」と思った。だから、紅花染めは、米沢の鈴木さんなくして語れないはずなのに、今、鈴木さんのお名前と功績、歴史を語る人が居ないのはどういうわけなんだろうか?これが、気になっていたこと。

 私の周りに紅花染めをなさる方が増え、日本には昔から紅花染が伝わっていたかのようなので、彼らに鈴木さんのお話しをしようと思うけれど、上記したようなことくらいしかわからず、語る材料を持たなかった。

 意を決して、いや、暇を持て余して、いや、たまたま一人になったので、調べてみることにした。

 こんな文章があった。

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日本家政学会研究発表要旨集
第36回(1984) B被服 B109「江戸時代の紅花染について」
鈴木紅花研米沢紅花資料館 鈴木孝男

 これをお書きになった「鈴木紅花研究所」の鈴木孝男さんが、私の探していた鈴木さんに違いない。そう思った。そこで、ネットで「紅花 鈴木孝男」で検索すると、別の鈴木孝男さんが出て来て、紅花染めを復活なさった鈴木孝男さんがなかなか見つからない。ちょっと苦労をして探したのが家政学会のものだが、「これでは肝心の鈴木孝男さんの功績が分からなくなるな」と、余計なことも考えた。

 もう少し探してみたら、紅花染をなさっている方のブログに、鈴木孝男さんについての記述を見つけた。

 【「紅花染め教室」(1) 紅花うんちく】

 《私にとって、紅花といえば鈴木孝男の名が思いうかぶ。紅花を今日あらしめた人である。(今「鈴木孝男 紅花」で検索すると最初に全く別人が出てきて驚いた。河北町で紅花染めをやっている人で、私にとっての「鈴木孝男」とは同姓同名の別人。)今でこそ山形と言えば紅花だが、戦後ずっと紅花は忘れられた花だった。》

 どういう方が書いているのかわかりづらいブログですが、とても参考になったし面白かった。
 この中で、鈴木孝男さんの昭和50年代の自歴が紹介されています。ご興味ある方はご覧いただきたい。

 この方のブルグの次のページ「紅花染め教室」(2)には、《山形における紅花生産の役割は紅花餅出荷までで、実際の染めを行うのは京に届いてからのことだったが、その染めの技術もすっかり忘れられていた。それを苦心惨憺の末復活させたのが米沢の中学教師鈴木孝男(昭和2年生)だった。》という記述がある。おっしゃる通りだろう。

 長い間気になっていたことがようやく書けた。紅花染は、山形県米沢市の元中学校教員鈴木孝男さんが復活させたものだと。紅花染にしろ藍染にしろ、こういった人知れずの努力で、継承、または復活がなされたのだと。このブログの作者に、感謝。

 

 このブログはとても勉強になった。特に・・・

◎紅花の染め方
 紅花には、水に溶ける多量の黄色の色素(サフロールイエロー)と、水には溶けないがアルカリに溶ける少量の紅色の色素(カルタミン)の二つが含まれています。黄色の色素は絹には染まりますが、綿や麻などの植物繊維には染まりません。一方紅色の色素は両方に染めつきます。そのため絹を染めると、黄と紅の色素の案配でいろんな色が出ますが、綿や麻を染めるといわゆる紅色一色で、濃さの違いだけです。

 ようやく紅花染の一部が理解できた。

 因みに、鹿児島県にある「山形屋」という会社は、鹿児島に山形の人が紅花を売りに行って始めたのだとか。

 

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