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2006年11月

2006年11月30日 (木)

屁のようなもの

二宮尊徳について少し書きましたが、「分度推譲」という言葉が、どうも現代では固い感じがして、親しみ難いように感じていました。

違う言葉がないかと探って、20年以上経ってしまいましたが、どうも見つからない。

私が尊徳になれるわけがないのだから、当たり前なのですが、結局は、教育の問題で、これを固く感じない教養を身につけるべきなのでしょう。

分度推譲については

ー、「分度」を簡単に説明すると、自分の収入を見極め、自分の身にあった支出を計れということ。

ー、「推譲」とは、分度によって余った収入を蓄え、それを、会社や社会のために役立てろと言うこと。

と書かせていただいたが、堅苦しい感じが、これまた致しますね。
 
「節約しろ。ケチになれ」みたいにも読める。
 
しかし、その前に「至誠」「勤労」というのが来るんですね。

 

「至誠」とは、まことを尽くして実行すること。

仕事に対する姿勢と行動の事ですね。

 
 
「勤労」とは、ただ働くことを意味するわけではない。

尊徳は、「天道」と「人道」と言います。
 

天道とは、人の力の及ばない世界。例えば鳥獣は、そこにある木の実や草木を食べて生きています。
 

人間はそういうわけにはいきません。

田畑を耕し、作物を育て、そのために開拓をし、潅漑などの環境を整え、生産をあげようとします。

これを「人道」と言うのですね。

人道は、その行動を止めれば廃れてしまいますから、そうならないための行動を、勤労というのです。

「分度推譲」とは、「至誠・勤労」によって、収入を増やした上での事なのですね。

 

二宮尊徳は思想家ではありません。

実践家です。

小田原藩を立て直し、栃木県内の各地を救った。

信用金庫も、今はありませんが相互銀行も、その実践からあること。

尊徳の「道徳経済一元論」など、今の金儲けしか価値観を見いだせない日本に必要なことだと言うのが、長澤さんの行動の原点。
 

道徳のない経済も、経済のない道徳も、そんな物は屁のようなものだと、彼は言うのです。

2006年11月29日 (水)

社是

浜松を、朝一番の「ひかり」で出て、朝の10時に戻り、その足で桐生に行き、二宮尊徳の展覧会を見て参りました。

久しぶりにあった長澤さんは、元気そうとは言えませんが、ご健在ではありましたね。

 

尊徳の教えは、今も日本経済の底流に流れておりますが、しかし、現実には知らない人の方が多いでしょう。

戦後、GHQが、勤勉の象徴たる二宮金次郎を嫌ったからとも言われておりますし、日教組も嫌いましたからね。

しかし、内村鑑三が、代表的な日本人の一人としてあげるくらい、偉大な人ではある。

 

我々の世代は、小学校の校庭に、薪を背負い、本を読んでいる二宮金次郎の銅像が、親しい存在でした。

それが取り壊され、無くなって久しいことです。

ところが、展覧会をなさった方が、自分の母校に、その復活を計画。

予想された抵抗もなく、すんなり決まり、今、校庭にあるそうです。

少々の時代の変化を、感じる話です。

 

二宮尊徳の、日本の経済に及ぼした影響は、はかりしれません。

明治維新後、日本の経済を支えた渋沢栄一も、多大なる影響を受けておりますし、トヨタも松下もその他の企業もしかり。

その教えの一つが、「分度推譲」です。これは、「ぶんどすいじょう」と読む。

 

「分度」を簡単に説明すると、自分の収入を見極め、自分の身にあった支出を計れということ。

「推譲」とは、分度によって余った収入を蓄え、それを、会社や社会のために役立てろと言うこと。

その前に「至誠」「勤労」というのもある訳ですがね。

「自助努力」「自立更生」「自他両善」などという教えもある。

 

我が紺邑の社是は、「自他両善」。

「自」は紺邑の事。

「他」はお客様。

「両善」とは、その双方が喜び合うこと。

つまり、長澤さん風に言えば「売って喜び、買って喜ぶ」です。

 

先に書いた渋沢栄一は、日本銀行を作った人でもある。

明治以降の日本の経済の牽引者ですね。

彼は藍染めの原料を商う、藍商でした。
 
 

生まれは武州岡部。

今の熊谷市のちょっと高崎寄りの、本庄・深谷辺り。

子供の頃から商才に長け、藍の善し悪しを見極める力もあったとか。

お金を儲け、時代を見、徳川慶喜の家来になり、時代の大きな潮流の中に身を投じ、今の日本を築く礎を作った。

その大元が、藍を商っていたと言うところが、紺屋としてはおもしろいのです。

 

ちなみに、渋沢栄一が扱っていた藍を「武州藍」といいます。

生産量では、阿波藍と双璧をなしていた。

因みに、我が地元の佐野も、藍の産地。

阿波の人たちから言わせると、「中藍」という記録が残っています。

つまり、質が中くらいということ。

まぁ、阿波が生意気だとも言えるし、阿波が優れていたとも言えますね。

気のゆるみ

日が変わっておりますが、本日最終日。

何故日が変わってしまっているかというと、飲み過ぎちまって、ホテルに帰ってバタンキュー!
普段でしたら、少しの酒なら起きているのですが、仕事が終わった気のゆるみか、気がついたらベッドの中でした。
ただ今夜中の3時です。

最終日の今日は、駆け込みのようなご常連に来店いただき、忙しい一日を過ごさせていただきましたが、それにしても暖かい。
お昼に外に出ると、まるで春のようなポカポカ陽気。
サラリーマンの背広姿が、暑そうに感じるくらいです。
これでは冬物が売れません。
今日も、薄地のブラウスが良く出ました。

終わって打ち上げ。

メンバーは、私が浜松で仕事を始めた時の担当の部長と元担当と現担当。
現担当も、今月いっぱいで移動しますから、担当が誰もいなくなるわけで、来年は、こちらに来て仕事に直接関係ない人達と遊ぶことになり、これまた乙なものです。

明日は一番のひかりで帰り、二宮尊徳だ。
道徳経済一元論を語って参りましょう。

2006年11月27日 (月)

ラーメン

今日は気持ち悪い暖かさでした。
11月の終わりで、こんな気温で良いのだろうか。
これを書いている今も、ホテルでほぼ裸の状態で、汗まで出てきた。

さて、江戸漆器の中島さん御用達のラーメン屋が浜松にあるらしい。
なんでも、小うるさい親父が、中島さんが来ると、サービスが良くなるとのこと。
そのラーメンに入っている海苔が、これまた良いらしい。
汁に入ると溶ける。そういうもんだと、佃生まれの佃育ちが主張するんです。

これはどうも、否定も出来ない。
なんせ、隣で海苔を干しているところですからね。

私は一度も行っていない。
それ程なら行ってみようと思った。

ある日、タクシーに聞いたら、「運転手なら誰でも知っている」とのこと。
今日は、売り上げもないのに、奮発してタクシーを拾った。
そして、「ハマリュウに行って」というと、「どこです?」との答え。
その運転手は、知らなかった(涙
仕方ないから、「ホテルの近くで、行けば分るかも知れないから、その辺りで下ろして」ということになった。

さて、この辺りかなと覚しき辺りで降りたが、見あたらない。
歩けども探せども、看板すら出てこない。
腹は減る。
小さな交差点に出て、ふと見ると、飯屋があるではないか。
結局そこで、上手くもない卵焼きで、定食を食べて帰って参りました。

これこそ、ただのつぶやきであります。

2006年11月26日 (日)

ミルフィーユと二宮尊徳とフルーティスト

今の仕事場の目の前に、ウエッジウッドのクックウエアーの売場があります。

そこで、その調理器具を使った、料理のデモンストレーションのビデオが流れている。

コルドンブルーの料理学校の先生が作るそれが好きで、毎日見ているのですが、その中で、デザートのミルフィーユを作っている。

頭にこびりついて、ついに本日、デパ地下に行って、マキシムのミルフィーユを買ってきてしまいました。

太るかな?

 

さて、この二日、珍しいというか、懐かしい人から電話とメールが来ました。

一人は長澤さんという方。

一円塾の塾長。

二宮尊徳の報徳思想を広めようと、一生をかけていらっしゃる。

一時は毎週東京の事務所に伺って、会議をしておりました。

「僕は先が長くないのだから、後をつげ」などといわれておりましたが、そうもいかず、今に至る訳です。

 

水曜日に桐生にいらっしゃるとか。

私も朝早くに浜松を出て、お会いするつもりです。

現参議院議員の前栃木県知事も、彼の教えを受けた。

彼の公約は「分度推譲立県」というもの。

分度・推譲とは何かを、飲み会で担当者達に語りましたが、これも後ほど。
 

もう一人は、日本を代表するフルーティスト。

ちょっとライブの相談メールでしたが、協力することにしました。

ダンサーの我が娘も、一緒に遊んだ仲ですが、それにしても久しぶりで、メールでの話も随分弾みました。

奇遇な事も沢山あり、深い縁を感じております。

でも、彼女は変わらないな。

もう、変わる必要がないのだろうな。

 

そんな話も、折々出来たら良いなと思います。

ウールの藍染

紺邑を始めた頃、池袋三越の元売りに行った事があります。

そこは、藍染をなさる方が、沢山出展なさっていたらしい。

担当の女性が、「ウールの藍染を見たことないの。染めてと頼んでも、薄い色の毛糸は染まっても、セーターに編めないの。あなた出来る?」っておっしゃる。

そんなことは、昔から普通にやっていたことなので、「次回、お持ちいたしましょう」と約束。
 

2005_1203 写真は、出来上がったウールのセーターです。

そこでの、「そうか!暖かい藍染をやろう」という気付きが、様々なウールの藍染のある、今の紺邑のきっかけとなりました。

その担当の女性には、感謝をしております。

 

セーターは毛糸を手に入れれば出来る。

しかし、他はどうしたら生地が手にはいるだろうと考えたら、高校の同級生に、ウールの機屋(ハタヤ)がいるではないか。
 
彼に頼んだら、アンゴラ、アルパカ、リャマなど、様々な布を織ってくれた。

それらを初めて染めたときの発色の良さは、今でも忘れられません。

直ぐにその男のところに持って行って見せ、ともに感動した次第。
 

Photo_25写真の商品は、アルパカ・リャマ・モヘアのケープです。

様々にウールの製品が出来、名古屋の丸善でそれを販売したとき、「なんでウールに藍染が染まるのか?」と聞くお客様がいた。

名詞を見ると、ウールマークを付ける検査技師。
 
この方は、今の藍染をよくご存じだからこその、質問だった。
 

 

藍の液は、強アルカリ性です。

pHを計れば、11~12はあるでしょう。
 
ウールは、合成染料でも、PH8までの液でしか染めることが出来ない。
 
つまり、アルカリ性の液に弱い。
 
中性洗剤で洗濯をしなければならないのは、そんな理由があります。
 

同じ動物性タンパク質の繊維でも、長繊維の絹は非常に強い。
 
だから、絹の藍染は出来るわけです。

 
私は「何で?と言われても、理由は分りません。ただ言えることは、紺邑は、藍を木灰の灰汁で建て、石灰も使っていない。そういう藍染は、結果としてウールに染まるとしか、言えません。ただの職人ですからね」と申し上げた。

その技師は、「なるほど、その通りですね。理由はともかく、結果として染まっている。科学は結果の後追いだとも言えるでしょうね」と納得された様子。
 

何故、今の藍染がウールを染められないかと言うと、苛性ソーダや還元剤を使うからです。
 
そういう化学建ても、「藍染」には違いありませんが、紺邑の藍染は、それらと区別するために「正藍染」と言っているのです。

 

染織の雑誌で、「藍染のウールの染め方」と言うを読んだことがある。

どこかの大学の染織科の先生が書いていたと記憶していますが、温度がどうの、PHがどうのと大変そう。

正藍染によるウールの染めは、綿を染めるのと、何ら変わりがありません。
 
そのために何かをするなどと言うことはない。
 

しかし、染め方はある。
 
それが、職人の技というものだと、勝手に思っております。

2006年11月25日 (土)

土曜の浜松

ようやく寒くなってきました。
今年は暖かすぎて、コートが売れない。
その代り、春物が売れたりしている、変な年です。

寒くなった今日。ようやく一人前の売り上げが出来ました。
紺邑の特徴は、ウールの冬物があると言うところ。
でも、お客様には申し訳ないが、一着あたりの単価が高くなります。
いつも、一日三人から四人というお客様に支えられております。

ウールの藍染については、後ほど・・・

2006年11月24日 (金)

宴会

今日も宴会をしてきました。
これでも、浜松では、少なくなった方かな。

事情があって親父殿から離れたとき、ここの担当が電話をかけてきて、「何があったんですか。これから行きます。」といってくれたのは、うれしかったな。
もちろん、そんな必要はないと、断わったけれど、直ぐに紺邑に仕事をくれたのも、その元担当。
なんでそこまでしてくれるかというと、それはそれなりの歴史がある。
彼から何代担当が変わっただろうか。
五代だな。
今度で六代目だけれど、だんだん歴史が薄くなる。

今日は、担当の上の課長の肝いりで、懇親会と送別会を兼ねたような宴会を開いて貰って、私は歴史を述べさせて貰った。
良い宴会だったと思う。

でも、少し酔ったかな。
これで、休みましょう。

2006年11月23日 (木)

平穏無事

なにが平穏無事かというと、仕事の後に何も約束が無かったこと。
商売もそこそこでしたしね。

元担当が食品のバイヤーですので、なだ万のお弁当やもろもろを差し入れてくれた。
本日は、それを頂き、肝臓を休める所存。

轟きは、明日か月曜日になりそう。

2006年11月22日 (水)

人事異動と宴会

「すまじきものは宮仕え」と言いますが、思うようにならぬのが、サラリーマンの立場でしょうね。

今いる百貨店の担当も、突然の人事異動で、私たちの係からはずれることになりました。
実に残念ですが、彼にとっては出世コース。
悪い話ではありません。
ですから今日も、送別会代わりに、宴会をして参りました。
考えると、毎日宴会をしています。

宴会を組んだのは、これまた元担当のバスケ。
この男は、本当のノンベ。
以前はいつも、朝まで宴会をやっていた。
それが高じて、酒売場に移動させられた。
適材適所とはこのことか。
それがこの頃、更正したしたという噂。

まあ、11時過ぎに終わったところをみると、そう言えるかも知れない。
しかしこの男、何でも私に対抗してくる。
特にカラオケと戦争の話。
今日も売場に来て、日清日露の戦争と、日韓併合の話をして帰って行きました。
もちろん、私に質問しまくって、聞いて帰るだけ。
帰り際に、「今日はいい話を聞けた」と言うところが、かわいい奴なのであります。

先週は、そのバスケと漆器の中島さんも、一緒に飲んだ。
そこでもまた、戦争の話をしたらしい。
そこで中島さん、「私の知り合いに、○○○さんという人がいるから、今度逢わせてやろうか」と言った。
この方、日本人なら誰でも知っている元少尉。
本物とじゃぁ荷が重いと感じて慌てたバスケは、「紺屋さんと一緒にお願いします」だと。

オンセの高江さんから、ブログ開設おめでとうメールが届きました。
この方のブログに、私は写真入りで紹介されてしまったのであります。
それが、ブログをやろうかなと思った契機でありました。
忙しそうで、この方もミラノから帰っていらしたばかり。
来秋、あちらで個展をなさるそうな。
鍛冶屋もニューヨーク帰り。
皆さん、国際的になってきた。
私はまだまだ足下しか見ることが出来ないけれど、そのうち追いつければ良いなぁと思っております。
高江さんには、ありがとうございます。

鍛冶屋で思い出した。
いつだったか、パリのナイフショーから帰って来た直後に、上野松坂屋で会った事がある。
あの男、右手を挙げながら、「ボンジュール!」って私に挨拶しやがった。

明日は何も予定がありませんが、ようやく「轟」で一杯出来そうです。
轟のママは、埼玉県の出身。
同じ関東出として、懐かしい感じがするので、浜松で一番好きな店です。
出てくるものは、素朴な手料理ばかり。
今はおでんだろうな。
一時は引退を決意されたそうですが、皆さんの要望で復帰された。
明日は行けると良いなぁー!

2006年11月21日 (火)

ヒップとシップ

本日は、昨夜の宴の疲れもものともせず、球転がし(芝刈り)に興じて参りました。

現担当が最高のスコアーを出し、グロスで負け、ネットで勝ちというところ。

ちょいと休憩してから、売場に行き、中島さんとコルクの片付けを待って、明日からの仕事の支度を、して参りました。

 

中島さんのお嬢さんは、ダンスが趣味らしい。

それを聞いた元担当が、「紺屋さんの娘さんも、ダンサーらしいですよ」と言っちゃった。

昨夜、宴会場に行く道すがら、「あんたの娘も踊りやってるんだってね」と聞くから、娘の氏素性を言ったら、自分の娘に電話して、「知ってるか?」と聞いている。

聞かれたお嬢さんは、もちろん知っていて、「何で?」と聞いている様子。

「その親父とこれから飲むんだ」なんて言うから、お嬢さんは二度びっくり。

そんな事があって、本日。

 

片付けている間に、中島さんと、お互いの娘の話になった。

まぁ、昨夜の続きというところ。

中島さんのお嬢さんは、沖縄出身の歌手のバックダンサーで、元亭主の「親指君」に、ダンスを習っているらしい。

「じゃぁ、ジャズダンスというやつですね」と私が言うと、「あんたの娘は何やってんの?」と聞く。

「ヒップ・ホップって奴ですよ」と答えると、「なに?シップ・ホップ?」って言う。

「違う!ヒップです。これは英語なんだから、江戸弁じゃぁだめ!」って言うと「ああ、このシップか」といって、手前の尻をたたく。

「違う!ヒップ!」と言うと、「なに、英語なんか知らねーよ」といって、涼しい顔。

どうにもこうにも、箸にも棒にもかかりません。
 

2006_122712060093_1 と言えばこの中島さん、漆器も良いが、箸も良い。

八角箸といって、唐木を削って作る。

今年の暮れから来年の正月は、私と一所に、日本橋三越本店に出展しておりますから、人間と物に興味ある方は、是非お越し下さい。

なにせ、「シップ・ホップ」ですから。
(写真は、昨年の暮れの日本橋三越にて)

 

偉いところもある。

私の歌を聴いて、「びっくりしたねぇー、やっぱり訓練してるからあんな歌が歌えるんだな」と、修行を分ってくれた。

さすが、一流の職人だね。

 

Photo_23その後、我が娘と会って記念撮影。

文字通り、「ヒップとシップ」となりました。

2006年11月20日 (月)

宇都宮から浜松へ

宇都宮を明日までに残し、私は浜松に移動してきました。
中島さんとコルクと、元担当と、現担当で、夕飯から晩酌までご一緒。

浜松は、越前漆器の鈴木さんと、遠鉄中村の話し合いから始った。
鈴木さんから組紐の平井に話が行き、平井から私に来て仕事が始ったのだから、私が古参のはず。
しかし、今夜行った店は、初めてのところばかりでした。

一軒目の魚を食わせる店は、ご主人が釣りをして食わせるところだけに、さすがに魚が良かったですねぇ。
二軒目は、いつものカラオケ。
中島さんには、私の歌を聞かせてやりました。

三軒目はショットバー。
皆さんカクテル。
私はウイスキーをストレートで。
良い雰囲気のお店だし、ご主人もざっくばらんで結構でした。

明日は、昼間は遊び。
よる準備だけですから、ゆっくりします。

中島さんとコルクも、明日紹介しましょう。

ローカル線と江戸弁

ちょっと体調が変。

風邪かな?という感じです。

それで夕飯後、昼寝して、この夜中に書き込むことになってしまいました。

 

本日も宇都宮の呉服売り場におりました。
 

地元ですが、JRの両毛線(ローカルの単線)に乗り、栃木で東武線のローカル線鈍行に乗り換えてという通勤で、約1時間半かかる。

時間によっては、乗り換え時間が30分以上になる。

JRが、1時間に一本ほどになるからです。 

冬場は、この乗り換えがわびしいのですよ。

寒空に、誰もいないホームで震えながら電車を待つのは、いやでしたねぇー。

何故過去形かと言いますと、冷暖房完備の待合いが、ホームに出来たのです。

大変、助かっております。

 

さて成績ですが、芳しくありません。

DMをお持ちになるお客様に支えられております。

  

明日は浜松に行きます。
 

搬入は明後日なのですが、担当と元担当と、昔々の担当と4人で「玉転がし」に興じようという魂胆なのであります。

これを別名「芝刈り」とも申します。

その計画を知った浜松の出展者が、コルクでして、「それなら飲み会を」ということになり、明日早めの出立となった次第。
 

ところが、もう一人職人が待っているということがわかりました。
 
江戸漆器の中島さん。

 
この方、しょっちゅうテレビに出てくる。

作る品物も良いけれど、言葉が本当に江戸弁。
 
姿形も粋。

だから、パパスやサントリーのモデルなんかにもなっている。
 

現場で着ている半天が、これまたご先祖様からの、150年も経っていようとする藍染め。
 
表濃紺、裏は浅葱。
 
一緒に出展したときは、お客様に見てもらうほどであります。
 

この中島さんも、「手ぐすね引いて待っているよ」という。
 
こちらも楽しみ。
 
久々に、佃の江戸弁を、楽しみたいと思います。

2006年11月18日 (土)

灰汁

Kouichi_013 灰の灰汁です。

紺邑のはじめの頃は、越前漆器の、丸祐の鈴木さんに分けてもらっていました。

「なんでjこんなに使うの?」と、よく質問されるくらい、お世話になりました。

改めて、一九さん、ありがとうございました。


ナンジャさんには、今でもお世話になっているな。

またまた、改めていつもありがとうございます。

 

最近は、使う量が半端ではないため、日本各地の方々にご協力をいただきながら、集めています。

新しい工房の出来そうなところには、沢山銘木屋があり、住む人々も薪が多いので、かなり助かるかもしれません。

それにしても、日本の昔は、木を燃やすことで成り立っていた。

ダイオキシンなど、話題にもならなかったのに、環境問題が環境を壊すこともある。
そんな話も追々することになるかもしれません。

2006年11月17日 (金)

産みの苦しみ 1

様々な事情があって、工房を移転しなければなりません。

これも分けあって、親父殿から離れ、紺邑をはじめたのが、2000年の晩夏でありました。

今の工房で思い出すのは、熊本のゴザ屋の大将がいらした時。
2001年2月の初め。親父殿の通夜の日でした。
車で駅まで迎えに行き、荒れた庭に車を入れ、降りられて建物を見て、しばし呆然。
そしておもむろに、「これが宮崎に建っていれば、たった1回の台風でなくなるな!」とおっしゃった。
それ程の廃屋でありました。

この家の六畳ほどの風呂場と、やはり六畳ほどの台所をお借りして、紺邑は始りました。
風呂場には木の風呂桶があり、幸いなことに、井戸のポンプが生きていて、その風呂桶に、井戸水を使って藍を建てました。
これを、「正藍冷染」というのだそうです。
季節は晩夏。まだ暖かかった。
しかし、「冷染(ひやしぞめ)」というくらいで、この染め方では、冬は越せません。
加温の方法に苦労させられました。

2006_12270044 染め場と台所は北側にある。足利ほどでないにしろ、北風が吹く。
壁と天井の間全てが、5~10センチほど隙間があって、夏は良いが、冬はすきま風が入って寒いこと寒いこと。
それを全部タオルで塞ぎ、その内に、窓が壊れてはずれ、そこを材木で塞ぎ、材木に空いている穴をガムテープで塞いで、冬を迎えました。この姿は、今でもかわりません。

家内と二人だけで始めましたので、縫製などの外注も自分で回らなければならない。
そのために、染め始めるのが午後の3時頃になるのは、当たり前でした。
昼間は良いですが、日が暮れるとだんだん寒くなる。
ストーブ三台を全開にし、大きな精練用の鍋にお湯を沸かしても、冷えるばかり。
夜の12時頃まで、寒さに震えながら、染めておりました。

それでも夢中で仕事をした。
良いこともある。
今まで思うようにならなかったことが、何でも出来るようになり、自分の染めが出来るようになった。
親父殿にも先輩にも、遠慮が要りませんからね。
何を変えたかというと、藍の建て方、染め方、洗い方、全てです。
最初に気付き、驚いてくれたのが、女房殿でありました。

染めた布は、自宅に持ち帰ります。
そこで、乾かし、仕上げる。
家の中で干した布の色合いが、今までと全く違う、初めて見る色だったし、仕上がりも違う。
「何これ!すごいね!」と言ってくれたのです。
染めて帰る度に、「きれい」といってくれた。
何十年も藍染に付き合い、色の全てを一番知っているのが、我が女房殿ですから、それが、励みになって、今があるのですね。
感謝です。

Photo_21
解り難いでしょうが、左奥にあるのが、木桶の染め樽です。
ここだけで染め始めました。

2006年11月16日 (木)

出会い

今日は、出会いという事の重さ、大切さをしみじみと感じる日でありました。
相田みつをさんは、私が小さな時から存じ上げている方ですが、「良き出会いを」と書いていますね。

一昨日の村井さんとの出会い。
工房建築予定地の持ち主の、青木さんご一家との出会い。
また、彼らと出会うきっかけを下さった方々との出会い。
この最近の「良き出会い」は、紺邑の第二次の革命とも言えると感じております。

感謝感謝であります。

2006年11月15日 (水)

宇都宮

宇都宮の7階元売りは、それはそれは静でしてた。
5階では「京都展」で賑わっています。
まるで別世界!

しかし、京都の工芸を見ると、なんで売り上げが作れるのか、私には理解できない。
京都の京都たる由縁なんでしょうね。

今日の暖かさは、とてもとても11月半ばとは思えない。
ジャケットが邪魔でした。
温暖化なのか、地球が変化しているのか。

温度差に弱い私は、くしゃみと鼻水に悩まされ、薬屋に飛び込んで薬を買い、そいつを飲んだら眠くなり、閑だし腹も減ったしで、早々に帰って参りました。
明日はゆっくり出勤するつもり。

暇に任せて、メールでブログ開設のお知らせをしました。
鼈甲屋の若旦那のシンチャンは、「歌う藍染師」にクレーム。
コルクは飲み会の誘い。
裂き織りのネーチャンは、「歳を考えろ」とからかうから、「お互い様」とお返し。同級生!
下関にいる水晶は、魚三昧と自慢話。

それなりに、時間はつぶせましたが、それじゃぁーいけません!

お商売ですから。
皆様、いらして下さいませm(_ _)mね

藍草

白髪交じりの長髪の御仁は、村井さんとおっしゃる。
都会人のくせに、田舎がよく似合う。
いや、それだからこそ、田舎が好きなんでしょうね。
私なんか、元々が田舎ものだから、田舎が当たり前で、好きも嫌いもあったもんじゃない。

Photo_19 村井さんの小さな庭に、たった三本だけ咲いた、藍草の内の一本。
それを、ローソクに押し花したもの。

中はくりぬかれておりますので、この中に芯を入れ、火をつけたときの美しさを、ご想像下さい。

2006年11月14日 (火)

すくも

 我が住まいの隣の町内に、蝋燭に押し花をなさる方が住んでいらっしゃいます。白髪交じりの長髪を後ろで結び、髭をはやしているという、ある世界によくおいでの風貌をなさっている。実は、私の嫌いなタイプでありました。

 府中の伊勢丹で初めてお会いしたとき、お作りになっている蝋燭の細工物をみて、こりゃー良いなぁーと感じましたので話しかけましたら、人間も作品同様でありました。お住まいを聞いたら、なんとご近所。それ以来、お付き合いさせていただいております。

 アシスタントの女性の方も良い方で、この方、ケンブリッジの英検一級で、草花やガーデニングをお勉強に、英国に留学なさっていたそうな。

 彼らが、我が工房をお訪ねになった。草花に縁の深い方々ですので、「すくも」にえらく興味を示された。「すくも」とは、藍染めの原料のこと。藍草の葉に水を打ち、100日程かけて醗酵させた物。

 匂いが殆どないことに驚かれた様子でしたが、醗酵の完熟と未熟の話をしましたら、すぐにご理解いただきました。この辺りは農業にも通じることですが、これまた、追々書いて参りましょう。

Photo_3我が工房ではこのすくもを、今年15俵使い、残るは1俵となりました。
もちろん、徳島のもの。
すくもを作る人を「藍師」といいます。
今や四軒だけとなっているようです。
いつか、ご紹介いたします。

2006年11月13日 (月)

感謝

帰って参りました。
ナンジャさんや道楽者さんの書き込み、まことにありがとうございます。
私、BBSは知っておりますが、ブログは知らない世界。
なにかご無礼あれば、お許し願いつつ、お勉強して行きたいと思います。

そして、ホームページの管理人殿にも感謝。
貼り付けていただきました。

風邪ですが、体調も良くなり、お酒も進んでおります。
気を緩めず、仕事に励まねばなりませんね。

2006年11月12日 (日)

体調

 昨日より優れませんでね、夕べも風邪薬とアスコルビン酸と栄養剤を飲んで寝ましたんですが、やはり、優れない。急に寒くなり、私は、気温の変化に弱いのです。

 そこに、急に仕事の手配で忙しくなり、茶会も顔を出しただけになってしまいました。
 紺屋とは言へ、営業やプロモーションの活動は必要です。
 何せ、浮き世に生きておりますのでね。

 さて、これから出張です。
 明日、帰る予定。

2006年11月11日 (土)

DM作りとお茶会

 来週15日(水)から、東武宇都宮百貨店7階の呉服売り場で、「紺邑正藍染め展」が開かれます。

 宇都宮とその近郊にもお客様が増えて、約200人ほどいらっしゃる。お知らせのためのDM作りと印刷で、午後のほとんどがつぶれてしまいました。(途中の昼寝があるけれど)15日から21日までおりますので、お時間がありましたら、お立ち寄り下さい。

 明日は、我が師匠のお寺でお茶会。
 禅坊主たちのおもてなしの「禅家四つ頭」が、変わっております。
 日本では三カ所だけだそうな。

Photo_2お寺だけに、茶筅供養もあります。
私はしがない受付係。
本当は招待されているのですが、茶席が苦手でしてね。
気楽なところでご勘弁いただく予定です。
写真は昨年のもの。

工房

Photo_1 我が工房の正面図です。
実に古いでしょう。
ここで、藍染めをしております。

右に見える木は栗。
左は柿。
ともに、秋には沢山の実をつけます。
秋の庭は毬(イガ)だらけ。
工房を名付けて「捨栗庵(しゃっくりあん)」

でも、近々引越しの予定です。
場所はちょっと山の中。
実にゆったりと、時間の流れる場所。

ところがどっこい!浮き世には様々に問題がある。
一つ一つ片づけて、実現に向けて歩んでいるところです。

2006年11月10日 (金)

ごあいさつ

Photo_17 パソコン音痴の紺屋が、苦労の末に作ったブログです。

「紺屋」とは、藍染め屋のこと。
明治以降は、染め屋の総称となったのですが、何故かというようなことは、追々書き込む予定です。

「紺屋の白袴」とは、「こうやのしらばかま」と読みます。

「白い袴を穿いて仕事をしても、汚さないようにしろ」という、先人の戒めと解釈しつつ、丁寧に優しく。

「忙しくて自分の物は染められない」という、繁盛を期しつつ、書き込んで参ります。

さて、如何になりますやら。
よろしく、お付き合い下さいませ。

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