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2006年11月30日 (木)

屁のようなもの

 二宮尊徳について少し書きましたが、「分度推譲」という言葉が、どうも現代では固い感じがして、親しみ難いように感じていました。違う言葉がないかと探って、20年以上経ってしまいましたが、どうも見つからない。

 私が尊徳になれるわけがないのだから、当たり前なのですが、結局は、教育の問題で、これを固く感じない教養を身につけるべきなのでしょう。

 

 分度推譲については

ー、「分度」を簡単に説明すると、自分の収入を見極め、自分の身にあった支出を計れということ。

ー、「推譲」とは、分度によって余った収入を蓄え、それを、会社や社会のために役立てろと言うこと。

 と書かせていただいたが、堅苦しい感じが、これまた致します。「節約しろ。ケチになれ」みたいにも読める。しかし、その前に「至誠」「勤労」というのが来るんです。

 「至誠」とは、まことを尽くして実行すること。仕事に対する姿勢と行動の事です。 
 
 「勤労」とは、ただ働くことを意味するわけではない。

 尊徳は、「天道」と「人道」と言います。

 「天道」とは、人の力の及ばない世界。例えば鳥獣は、そこにある木の実や草木を食べて生きています。

 しかし、人間はそういうわけにはいきません。田畑を耕し、作物を育て、そのために開拓をし、潅漑などの環境を整え、生産をあげようとします。これを「人道」と言うのです。

 人道は、その行動を止めれば廃れてしまいますから、そうならないための行動を、勤労というのです。

 「分度推譲」とは、「至誠・勤労」によって、収入を増やした上での事なのですね。

 

 二宮尊徳は思想家ではありません。実践家です。小田原藩を立て直し、栃木県内の各地を救った。

 信用組合も、今はありませんが相互銀行も、尊徳の実践からあること。

 尊徳の「道徳経済一元論」など、今の金儲けしか価値観を見いだせない日本に必要なことだと言うのが、長澤さんの行動の原点。道徳のない経済も、経済のない道徳も、そんな物は屁のようなものだと、彼は言うのです。

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