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2006年12月30日 (土)

足利と寿司

 今日は娘達が日本橋まで来たので、一緒に寿司をつまんで、自宅に帰って参りました。宇津先生が今日もいらして、寿司の話なんぞをなさるものだから、腹が寿司になっちゃったのです。

 先生は戦前、寿司屋に居候していたことがある。その家は、皇居に上がる職人で、その時に着る物も、皇室から頂いて、桐の箱に入れて云々・・なんて話をなさる。寿司のつまみ方から、ガリの扱い方まで意気投合。今度ごちそうになることになりました。
 私は山国育ちですが、「桐生着倒れ、足利食い倒れ」といって、食い物にうるさい土地柄に生まれ、寿司も子供の頃から食っているという、こまっしゃくれた子供だったのです。

 足利は、奈良時代からの織物の町で、江戸も昭和も、それはそれは盛んでありました。どのくらいかというと、日本一です。
 昭和40年代までは芸者も沢山おりましてね、小さな町に250名を超えていた。何故かといへば、京都や大阪の問屋の接待に必要だったからです。ですから、料亭が今でも残る、両毛では唯一の町なのです。
 雪輪町なんて言うところは、京都の祇園のような街で、置屋が沢山あり、その一軒に親父殿が出入りして、小唄端唄を習っていましてね、子供の私は、女将に預けられて遊ばされていたのです。その隣が「日吉」という寿司屋で、そこで寿司を覚えました。女将の弟が、後に「オバQ」の主題歌を歌った人で、時折そこに顔を出していたのを思い出します。

Watarase3  足利は内陸のくせに、昔から市場があって、近隣の台所とでもいうようなところでもありましたし、寿司屋や料理屋は、筑地まで買い出しに行くのは当たり前だし、今でも朝一番の電車には、そういう方々を見かけます。
(写真は森高千里の歌でちょいと有名になった渡良瀬橋の夕日)

 私は東京に長く住みましたが、長女が生まれたところは寿司屋の上でして、彼女の遊び場は、寿司屋の前という環境。だから生まれながらに寿司が好きなのです。寿司を食おうというと、たいてい出てくる。
 こんな贅沢が出来たのも、時代でしょうね。
 私が二十代の頃のお話です。

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