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2007年1月16日 (火)

 鈴木さんからのご質問がありましたので、少し、洗いについてお話ししましたが、これは紺邑の藍染めの特徴でもあり、私の藍染めに対する姿勢でもある。

 「灰汁」は「アク」と読みますが、それで藍を建てるというのは、「正藍染」の前提条件みたいなもので、当たり前のことです。それを、「灰汁醗酵建て」などと仰々しく表現するのは、私は好きではありません。

 私の知るある藍染めの工房は、以前は「当工房の藍染めは、割り建てです」とチラシにしっかりと書いておりました。訪ねてみると、確かに割り建て。何故分るかと言えば、私は専門家ですからね。しかし、ハッキリと氏素性を述べることは、それはそれなりに立派なことだと、私は思った。
 最近、この工房が、ローカルテレビで紹介されたのですが、今では「灰汁醗酵建て」と称していらっしゃるらしい。その画面で、木灰を直接藍甕に入れている姿が映った。お分かりだろうか。「灰汁」は灰から取りますが、灰そのものではありません。
 こんな例は、実はいくらでもあり、その多くは、勘違いや、知識不足や、経験不足や、思い込みなどですね。要するに、悪意は無い。

 灰を使うことは、日本文化の大きな特徴であります。室町時代から日本には、「灰」と「油」を扱う「灰屋」という商いがあって、これが、日本の政治的歴史を変えたという事もある。そして、日本の山林の環境を形作り、海などの自然界を豊かにしてきた。 
 そういう文化が失われて久しいことだし、それを先導するのが、伝統工芸を標榜する人達であってはならないと、これまた私は考えております。

 小難しい話ですから、ブログが落ち着いた頃、またお話しする機会もあろうかと思います。

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藍染め」カテゴリの記事

コメント

正藍染という表現もあんまりよくないのでは・・
<正>・・本当であること。位階を上下に分けたもののうち、上の階級の称。
と言う意味がある以上、灰汁醗酵建てのことを正藍染というと他のインド藍や科学藍、割立てなどがあたかも偽物のように聞こえてしまう。確かにすくもで灰汁醗酵建てをするのは大変かもしれない、でもそれを<正>とするのはどうかと思います。
インド藍だって醗酵させて染めてる人もいるし、インドの方々が一生懸命作ってるものです。それが<正>でないわけがない。
科学藍だってドイツの科学者の方が苦労の末に開発されたと思います。
染める苦労は皆同じだと思いますよ。灰汁醗酵建てだけ大変だとは限りませんよ。
それを正藍染と言ってしまうから灰汁醗酵建て以外の藍染を偽物と思ってしまう人が出てきてしまうのでは?
藍染は藍染でいいんではないかと思います。
その中で、色を気に入り、柄を気に入り、形を気に入り、値段に納得すれば良いのでは。
正藍染という表現は灰汁醗酵建てをしていない人達の生活を脅かすものだと思います。

紺屋の紺袴さん こんばんは。書き込みをありがとうございます。

>正藍染という表現もあんまりよくないのでは・・

 正藍染という言葉は、私が言い出したことではありませんし、私は「自分は正しい」などと主張する程、図々しくはありません(笑)。
 ホームページにも書いておきましたが「明治30年に合成藍が輸入され、日本の紺屋が阿波藍を使わなくなってしまったとき、昔ながらの阿波藍を用いる紺屋が矜持を持って称した」ものです。

>灰汁醗酵建てのことを正藍染というと

 私は、「『灰汁醗酵建て』などと仰々しく表現するのは、私は好きではありません」、なのですよ。そして、そう表現している人達の藍染めの一例を、示したつもりです。

>他のインド藍や科学藍、割立てなどがあたかも偽物のように聞こえてしまう。

 「生葉染め」というところで私は、「しかし、ハイドロ建ても割り建ても、けっして偽物とは言えないのですね。これが、産業革命以来の、人類の大問題だと思うのですが、何故かという話を書くと、また長くなりますから、これも追々書いてゆくことと致します。」と書きましたが、お読みではないのでしょうか。

>染める苦労は皆同じだと思いますよ。灰汁醗酵建てだけ大変だとは限りませんよ。

 こういう書き込みは、実に面白い。あなたは専門家なのでしょうか。あなたが意見をしている相手、つまり私は、専門家ですからね。

>藍染は藍染でいいんではないかと思います。

 その通りです。「藍染」と区別するために、「正藍染」という言葉があるのです。「藍染」に、本物も偽物もありません。

>その中で、色を気に入り、柄を気に入り、形を気に入り、値段に納得すれば良いのでは。

 これは、文化と教育の問題で、実に重要な課題だと考えております。これも、簡単に書くことができないので、同じく追々です。

>正藍染という表現は灰汁醗酵建てをしていない人達の生活を脅かすものだと思います。

 正藍染をしている人にとってそれは、生活の手段でもあるが、生き方そのものでもある(「灰汁醗酵建て」と称している人は知りませんよ)。しかし、藍染をしている人がそうだとは、私は思わないな。
 生活が脅かされれば、きっと他の商売を探すでしょうし、私にそれ程影響力があるとも思えません。心配は要らないでしょう。

 因みに、「藍染」に本物も偽物もないが、「正藍染」にはあります。

 自分の仕事に矜持と自信が有れば、自分の使っている原料、製造方法を明示すればよいだけの事。
 「正藍染」と称するななどと言う必要もありませんな。
 世間に氾濫する「藍染」を称する製品の中で、わずかな生産しかない阿波藍を使って、化学的分析はしながらも、科学的生産方式をとってない事を「正藍染」と呼ぶのに何の支障がありましょうか。
 自分の仕事を、自分の技術とセンスを正直に誇ればよいのですよ。
人の事なんか気にしないでね。

 鍛冶屋には書き込みに感謝。

 藍染めの場合は、「藍染」と「正藍染」の区別は必要だ。何故なら、似て非なる物だからだな。

 阿波藍が、わずかな生産しかないというには理由があって、日本の藍染めをする人達が、阿波藍を使うなどと言う事を、阿波の藍師たちが、信じていないという事に過ぎない。作る気なら、いくらでも作れるはずだ。

 化学的分析と言うが、私にはとても出来ないな。しかし、藍染めは出来る。こういうことが大切なのだと、私は考えるのだよ。

 分析などは、結果の後追いに過ぎない。

 それにしても
>自分の仕事に矜持と自信が有れば、自分の使っている原料、製造方法を明示すればよいだけの事。

全くその通りだね。
嘘をつかなきゃ良いことだ。

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