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2007年1月25日 (木)

江戸組紐

今回は、江戸組紐の中川さんのご紹介。中島・中川と、「中」が続いて、「なかなかシリーズ」!

Photo_44 おじいさまが独立されてからの三代目だそうです。

私より二つ年下。

今は、埼玉県岩槻にお住まいですが、根っからの江戸職人が、疎開でお婆さまの故郷でもある岩槻に来て、そのまま居着いたというご事情らしい。
        
一家揃って職人の家で、元気なお姉様方に囲まれて育ったらしい。                                                             

 

 

 

Photo_45 中川組紐工芸の特徴は、黄八丈の帯締めにあります。

一応写真に撮りましたが、その美しさはお分かりになるはずもない。

なにせ私が撮った写真ですからね。

値段は2万円から50万円を越えるくらいまで様々。

 

黄八丈は八丈島独特のものです。

何故かと言えば、島で取れ、島にあるものだけで色を出しているからですね。

手間暇掛けて染め上げますが、中川さんによると、染め元は一軒だけになってしまったらしい。

色々教わり、勉強になりましたが、その成果はいつか。

 

江戸の組紐は歴史が長く、「京の織り」「江戸の組」と言われていたそうな。

解説書によると、「武士の生業」と書いてありますが、これは何かの勘違いか、表現が足りないと思うな。

武士は俸禄で食っているのですからね。ま、細かい話ですけれど、しかし、歴史を見る目というのは、こんなところが大切なのだろうというのは、私の意見です。

Photo_46 今回、中川さんがなさっているのは、丸台の24玉ですね。

小学校を卒業する頃には、既に紐を組んでいたという中川さんは、「紐を組むことしかしない人は、組むということがどういう事か、結局分らない。一度ほぐしてみると良いのですけれどね。」とおっしゃる。

修行中、一生懸命組んでいる紐を、寝ている間に、全部玉をはずされ、バラバラにされたこともあるらしい。

それも、お父様にです。

それを元に戻して組める状態に直すのに、まるまる一週間かかったそうな。

直している間、隣で職人達がゲラゲラ笑っていた。

修行の内と、誰もが分っていたのでしょうね。

そんなことをしながら一人前になるのですが、現在、江戸組紐を本当に手組する職人は、数えるほどらしい。

私は少なくとも三人は存じ上げている。

中川さんも、その貴重な一人。

 

現在、組紐の一大産地は伊賀上野。

日本のほとんどがここで組まれています。

元を質せば江戸ですが、その江戸で修行をなさった伊賀の方は、偉い人です。

一大地場産業を興されたのですからね。

その方は、中川さんのお爺さまより、十歳ほど年上の先輩であったとか。

因みに、大正8年生まれのお父様は、「俺は生粋の江戸っ子だ!」と、今でも元気に叫んでいらっしゃる、もちろん現役の職人。

そんな話を聞けるほど、本日は暇でありました。

 

お知らせ

中川組紐工芸は、来る2月20日から2月25日まで、日本橋三越本店7階ギャラリーで開催されます、「東京都伝統工芸品展」に出展なさるとのこと。

美しい黄八丈の帯締めを御覧いただけますので、いらしてみて下さい。

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コメント

武士は確かに俸禄で食っていたものですが それだけでは食えない武士もいた様です 一部の武士は下げ緒や柄巻きに使用する紐等は作っていた様です 紐が緩んだら命を落とすから 使う者が作るとも聞いたこともあります、 私の父方の先祖は御殿医で、母方の先祖は武士で今でも士族会と言う集りがあります、当時殿様から弐反(600坪)の土地をいただき 畑を耕したり 刀の紐の巻き直し等もしていたと 聞いた事もあります.事実母の実家は今も江戸時代からの茅葺屋根の家があります その押入れには組紐作りに使ったで有ろう道具の一部が有りました,
それらをふまえ 私の考えでは生計を助ける為の内職的な物ではないかと思います、細かく言えば糸は染は如何したの?になります(生計を助ける為=生業の表現に為ったのでは) 表現不足では有るかと思いますが、決して間違えとも 言えないと思います、

どうも、ご意見ありがとうございます。私が偉そうなだけでして、私見に過ぎませんし、「歴史の見方」を言いたかっただけですので、これについては、いつか書こうと思っていることなのです。でも、恐縮です。

>私の父方の先祖は御殿医で、母方の先祖は武士で今でも士族会と言う集りがあります

私の母方も御殿医でしてね、姓を「藪」と言ったので、藪が医者じゃぁー都合が悪いってんで、そのご先祖だけ名を変えたという話があります。父方は苗字帯刀が許されていたとは言え百姓だ。父はだいぶコンプレックスがあったかも知れないな。

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