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2007年1月19日 (金)

悪貨は良貨を駆逐する

「正藍染」という表現は、インド藍や化学藍をやっている方々の生活を脅かすものだというご意見がありました。

「心配は要らない」とお返事を差し上げましたが、事実は歴史上、逆でね。

インド藍と人造藍が、日本の藍を滅ぼした。

だから、「正藍染」という言葉が出来た、という事なのです。

 

日本の藍の生産は、明治10年頃急激に増え、最盛期は明治20年から30年代に掛けてでして、藍畑は全国で5万町歩程あった。

そのうち、阿波が最盛期で1万5千町歩。

ついで、三重県、岡山県、広島県、埼玉県、栃木県の順で、徳島県の10~20%の生産量というのが当時です。

徳島県の1万5千町歩という藍畑の広さは、徳島県の全耕作面積の50%、全県の23%、吉野川流域の平野部分の80%という広大なものです。

 

これが、急激に減って、大正末期、増えたと言って2,000町歩。

昭和40年の資料を見ると4町歩!
 
15,000町歩が4町歩に減ったのです!

 

なんでか?といえば、インド藍と人造藍の輸入が最大の原因です。

インド藍は幕末から入ってきましたが、明治20年頃から急激に輸入が増え、明治30年頃には、人造藍が入ってきて、日本中の紺屋が、安くて便利なこれらに飛びついた。

その結果です。

 

なんで飛びついたかといえば、日本の藍は、藍分(ランブン)が3~4%と少ない上、醗酵に手間が掛かり、手入れも大変だからです。
 
一方輸入品は、ちょいちょいと簡単にできるから楽だし、大量生産が出来る。
 
楽を覚えますと、苦労を選ばなくなるのが人間なのでしょうね。

 

ところが、消費者はこれを支持しなかった。

化学的な藍染めは、色が悪いし、臭いし、落ちるし、洗濯物に移るし、「こんなものは藍染めじゃない」と、使うのを辞めてしまった。

当時の日本人は、本物を知っていたのです。
 

「紺屋」とは藍染屋の事でしたが、売れないから、紺屋も「藍染」を辞めてしまい、他の染めに移行した。

つまり、今の染め屋の元は、「紺屋」でしたから、名前がそのまま残り、「紺屋」は染め屋の代名詞になったと、こういう訳です。

 

さて、現状はどうか。
 
「最近、藍染めがブームだから、良いですね」と人は言う。
 
では、日本の藍は増えたのかといえば、昭和60年に20町歩になって以来、ほぼ横ばい状態で、ちっとも増えてやしません。
 
つまり、日本の藍染めのほとんどが、日本の藍など使っていません。
 
その上、日本の藍(すくも)、特に阿波藍を使い、木灰の灰汁で藍建てをしている紺屋となると、そこからまた減り、極々少なくなる。

 

私が親父殿の手伝いで、百貨店で藍染めの展示販売を始めた頃、お客様で藍染めをご存じの方は、ほとんどいらっしゃらなかった。

そりゃそうだ。日本に藍染めなんて、無いに等しかったのですから。

 

「悪貨は良貨を駆逐する」の典型の様なお話です。

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