紺屋の白袴
「紺屋の白袴」について
辞書によれば、「〔紺屋が自分の袴は染めないで、白袴をはいている意で〕専門としていることについて、それが自分の身に及ぶ場合には、かえって顧みないものであるというたとえ。髪結い髪結わず。医者の不養生。」(大辞林)とあります。
このブログの開始のご挨拶では、「紺屋の白袴とは、『こうやのしらばかま』と読みます。『白い袴を穿いて仕事をしても、汚さないようにしろ』という、先人の戒めと解釈しつつ、丁寧に優しく。『忙しくて自分の物は染められない』という、繁盛を期しつつ、書き込んで参ります」と書かせていただいた。
ちょいと補足させていただくと
「『白い袴を穿いて仕事をしても、汚さないようにしろ』という、先人の戒めと解釈しつつ」というのは、「丁寧に優しく仕事をしろ」ということ。
藍染めは酸化発色ですから、液の中に酸素が入ると発色してしまいます。
発色した藍は、移色しませんから、液の見た目は濃い紺色でも、布や糸を入れても染まらなくなってしまう。
ですから、染めるものを液の中に入れるときには、酸素を入れないように、丁寧に優しくしなければなりません。
それに気付き、どうしたら良いかを考え、染めるのが、職人の素質と気質と腕というもの。
「『忙しくて自分の物は染められない』という、繁盛を期しつつ」というのは、文字通りです。
辞書には、「紺屋が自分の袴は染めないで、白袴をはいている意で」とありますが、「染めない」のと「染められない」では、意味が大きく違います。
本染め、または、本建ての正藍染の生産能力は、そんなものなのです。
それを、合理的にという大義名分で沢山染めようとすると、そこに「ごまかし」が生じる。
気をつけなきゃなりません。
因みに親父殿は、「白袴を穿いて染めても、そこにシミ一つ着けない名人芸の事だ」と解釈しておりましたね。
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