棟方志功
今日はちょいと疲れて、パソコンに触る元気がなく、テレビを見ながら(珍しく)一人で日本酒をやっていたら、棟方志功がどうのこうのと言っている。
そこで思い出したのが、桐生の芭蕉。
ここに出てくる小池さんは、民芸に通じた方で、絵馬の収集家でもありまして、戦争中か終戦直後、我が家の寄宿に住まわれていた遠い親戚なのです。
さて、我が本家のナミさんは変わった人で、戦前は六大学野球に夢中になり、あの田舎に、水原、三原などの大スターをわざわざ呼んで遊ばせている。彼らのサイン帳が残っていますが、実に素晴らしい字を書いています。
そのナミさんは終戦後、カトリックに帰依し、あの広大な家を自由学園系の「生活学校」というものにしちゃったのです。
それが、私がこの世に生を受けた原因にもなっている。何故かというと、東京からの疎開組であった母がそこの生徒になり、我が父が英語の代用教員となったのが、彼らの出会いだったからです。その学校で料理を教えていたのが、芭蕉の小池さんでありました。
桐生には群馬大学の工学部がありまして、そこの「繊維」は、日本で有数のものでありました。学生も世界中から集まり、特にインドの学生が多かった。彼らのたまり場が「芭蕉」で、そのカレーは彼らが伝えた物です。そのカレーを「生活学校」で教えたのですから、我が家のカレーは、芭蕉のカレーでした。
(参考までに http://www.ftnet.or.jp/waga/machi02/siryou.htm )
芭蕉に行きますと、ご主人の部屋が中央にあるが、そこは絵馬の山だな。
行かなければ分りませんが、それはそれは変わった店構え。しかし、けっして奇をてらったものではなく、小池さんが当たり前のようにつくったお店。
友人に棟方志功がいて、彼が戦後遊びに来た。
そして壁に絵を彫っていたそうですが、小池さんはこれが気に入らず、塗り込んで分らない様にしてしまったのだそうです。このホームページを見ますと、この話はもはや、伝説のようです。
赤木りえをこの店に連れて行きましたら、「一日中ここにいて曲を作っていたい」という。
ここの料理は、わが子供の頃の味がして、実に懐かしいな。
お酒が入った思い出話です。
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