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2007年3月13日 (火)

聴衆としての米兵

 横須賀最後の日ですので、「アメリカ人の前で歌うというのは、毎度怖かった」のは、何故かというお話。

 

 米軍キャンプ内で仕事をするのは、日本と違ってちゃんと契約をした上でのことです。その一番は、ギャラですが、ステージは45分やらなければならない。一分でも短くなると契約違反となってギャラは支払われません。

 しかし米兵は、ステージがつまらなければ容赦がありません。先ずはブーイングが始まる。それでも出演者は止めるわけには行きませんから、パフォーマンスを続ける。すると今度は、足で床をバタバタと踏み鳴らし始め、「つまらないぞ!」という意思表示。それでも止めるわけにはいきませんから続けると、最後には小銭を投げて、あからさまに「金はやるから帰れ!」となる。それでも生活がかかっていますから、45分のステージを耐えて勤めなければならない屈辱が如何程のものか、容易に想像がつくというものです。

 

 先輩が私にそう教えたものだから、必死に練習し、体調を整えたものですし、今回のように風邪を引くなんてとんでもないことでしたし、引いたこともなかった。メンバーの間も、毎度毎度ピリピリとした緊張が張り詰め、喧嘩も良くしました。

 

 当時、米兵にとっては、戦争の真っ只中。病院の慰問に行くと、腕や脚がなくなった兵隊達が、車椅子で見に来るし、中にはベッドに寝ながらの人もいる。それも、FEN(Far East Netwarkー極東放送)を聞いて、私達が行くことを承知の上で来るのですから、彼らに報いなければならない。契約はともあれ、良いステージになるように、必死でもありました。

 

 沖縄なんかに行きますと、突然公演が中止になることもしばしば。クラブの中で何か揉め事があったわけですが、平時なら新聞種になって大問題となるようなことが、日常でもありましたね。

 

 幸いにも私は、上記のように「帰れ」と言われるような目にあったことがなく、先輩のおかげで、日本(極東)で一・二を争う人気グループだったと思います。ベトナムの戦地にもNATO軍の慰問にもお誘いを受けた。それにはメンバーの一人の都合でいけませんでしたが、様々な感動を味わった。最初は一年だけのアルバイトのつもりだったのが、そのおかげで、これを生業とするようになってしまったというわけです。

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