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2007年5月

2007年5月31日 (木)

浜松通信vol.2

 浜松二日目ですが、今日は雨が降ったりやんだりで、その雨も雷を伴った土砂降りのせいか、遠鉄とも思えぬお客様の数で、寂しい限り。まぁ、紺邑にも商品が絶対的に足りませんから、寂しい成績でありました。

2007_0530_1 クリエイティブ工房のスケジュールですが、今週は紺邑。

来週はからはこの会場を、2社が使うらしい。

 私は秋にも来るのですが、その時は、京都の紙屋「ぴょんぴょん堂」が割り込んで来まして、紺邑も2社仕様となります。

ぴょんの社長に知恵を付けたのは私ですから仕方ない。

 終了間際、地下にお弁当を買いに行きました。物色していたら、バイヤーの元担当と会いまして、案内してもらって無事買い物終了。知り合いが多い百貨店は便利です。

 今日はDM作りの支持を、電話でカミサンにしなければならない。そのための弁当なのですが、全くパソコンの操作を知らないカミサンに、メールで名簿を送り、それを開いて保存させ、呼び出してプリンターに送る作業を電話で指示する苦労は、並大抵じゃありません。

 そのために、まだ酒も飲まずフロも入らず、カミサンからの電話を待っているところなのです。

 帰りしなに、元担当の「バスケ」こと北野が売り場に現れ、「大川さんは、仏教がヒンズー教と別れた理由を知っています?」と質問してきた。意味が分からず「何のことだ?」と聞くと、上の催事場にインド人が来ていて、その人から聞いた話だという。

 会うたびに何か議論をふっかけてくる彼は、私が訳の分からない顔をしたことを、「知らない」と勘違いしたらしく、「大川さんにも知らないことがあった!」と大喜び。そこで、お釈迦様の出家物語をしてやりましたら、がっかりしていましたね。

 私は若い頃、サンスクリットの和訳の教典を読むのが趣味の時代がありまして、その中の「ブッダ・チャリタ」というのが出家物語で、私の愛読書だった。仏教以前の教典「ウパニシャッド」なんて言うのも読んでいたので、仏教を少し語れるのです。

 漢訳の仏典の話と、日本人の仏教の取り入れ方の話を少ししたら、「大和心ですね」と、少し分かったような口をきいて帰って行きました。
 多分、明日一緒に飲むでしょう。

2007年5月30日 (水)

浜松通信vol.1

 昨日から浜松に来ております。
 大田原からちょっと工房に帰り、藍建ての話を風間君にして、そのまま電車に乗って搬入の為に遠鉄百貨店に入りました。

 私の前が福井洋傘で、片付けが日本有数に遅い業者。
 案の定、私の持ち時間は少なくなり、商品をパッケージから出しただけで終わり、今朝早くから準備したので、ちょいと疲れております。

2007_0530 この売り場の名を「クリエイティブ工房」と言います。

 初めは名もない売り場でした。遠鉄が高島屋系であるために、高島屋の売り場と同じ名が着いてしまいましたが、初めは担当中村君の独創で始まったのです。 

 今や、このフロアを代表する売り場となっているようです。

 今日は静かでしたが、いつも初日はこんなもの。
 まして私は疲れ気味ですから、これから鋭気を養い、明日に控えたいと思います。

2007年5月29日 (火)

母方のふるさと

 大田原市に黒羽町というところがあり、そこが我が母方のふるさとです。
 朝早く起きたので、ちょいと足を伸ばしてみました。

2007_05290004最近合併したとのことですが、そもそも、芭蕉が立ち寄った、奥の細道で名が通っている町。

母の実家は江戸時代、黒羽藩の江戸詰の御殿医だったことがある。
姓を「藪」と言いました。

 医者が藪じゃぁ具合が悪いって言うので、なんとかという名に変えたらしいが、忘れました。

 現在の藪さんは鹿沼にいらっしゃる。今度お会いしたら聞いてみよう。

 町の中を「那珂川」という川が流れています。
Photo_81 北関東で唯一利根川水系ではない川で、茨城に抜けております。

 那珂川といえばなんと言っても天然遡上鮎ですね。
簗を張って食わせるのですが、私は烏山は知っていますが、まだ黒羽ではいただいておりません。

 もっとも、川魚は余り好きでもないな。

 東京の荒川区に大関横町というところがあるらしいと、星野先生にお聞きしました。そこが、黒羽藩の下屋敷のあったところで、黒羽藩主の大関氏から取った名前だそうです。

Photo_82 黒羽で藍染といえば、紺屋新兵衛さん。
通称「紺屋」で通る。

せっかくですからご挨拶して行こうと思いましたら、朝が早かったためか、閉まっておりました。

表に見える「紺屋」ののれんにも、歴史があるようですね。
建物もすばらしい。

 帰りしなに、星野先生のところにお寄りして四方山話になったのですが、これが実に有意義でした。結局は農業と藍建ての話になり、藍の醗酵の持続をどうするか教えていただいた。良く良く分かりましたね。
 微生物を如何に活性化するかという事なのですが、後日、ゆっくりお話ししたい。

 

世相雑感

 松岡農相が自殺されましたが、様々に意見がおありだろうけれど、私なりにちょっとだけ感想を述べてみたい。

 松岡氏を首相は、「彼は生まれ変わったのだ」と言って農相に任命したらしいですね。生まれ変わる前のことで、やられてしまったのでしょうか、松岡農相は、顔と言動で損をしていたように感じます。

 農政には、圧力団体が厳然として存在し、それが既得権を主張し、グローバル化しているその問題を難しくしてきた。それは、慣行農法としても生きていて、事実難しい問題が沢山あり、農業に携われば分かることです。
 それを改革するためには、清濁併せ持った松岡さんのような政治家が必要だったのでしょうし、事実、彼はそれなりの実行力を示していたようです。

 政治家になるということは、何らかの志があるはずだ。そして、選挙という関門を通らなければ政治家には成れまんし、その後の政界の活動も然りで、そのための手段は様々に利用しなければ目的は達成できません。
 チャーチルだって、「風見鶏」と揶揄されながらも、首相になって戦争を収める大役を果たした。

 政治と金の問題も取り上げられているようですが、政治活動にはお金がかかります。しかし政治家は金を生み出せない。それなのに、歳費が高いだの、宿舎が豪華すぎるだの言われ、自己資産まで公開させられる。
 自分が政治家になったときのことを考えれば、バカみたいな事だと思うが、それでも政治家になろうとする人たちが居て、日本が成り立っている事実を、そろそろ日本国民は分かるべきだと思う。

 政治家になろうとする人たちは、勇気ある人達だ。マスコミは批判ばかりするけれど、我が事として考えれば、私はそう思う。
 松岡農相は、文字通り、命をかけた政治家だったということでしょう。

 一昔前の、いや、数十年前の政治家には、金まみれの人もいたことを、私は知っていますが、こんな事が言える様になったのも、小泉さんの改革があってのことだと考えております。もちろん異論はあるでしょうが、日本は民主主義国家ですから、ご勘弁下さい。

 松岡農相のご冥福をお祈りいたします。

2007年5月28日 (月)

大田原

Photo_80  栃木県の北部の中心地、大田原市に来ております。以前ご紹介した漢方の星野先生とお会いするためです。

 「皇漢堂」という名の知れた薬局ですが、此処に全国から人が集まる。

私は看て貰いに来たわけではなく、福岡から、マスオさん状態で来てしまった料理人がいるので、そこで飯でもという事が、目的といえば目的。
 
 「サスケ」という焼鳥屋ですが、結局は焼き鳥は一本も食べなかった。
 星野先生が、何とかという一流の料理屋で修行をしてきたというご主人に、たまには料理を造らせようと、既に予約してあったらしい。

 その若いご主人が「秋に福岡から送らせますから、アラを皆さんで如何でしょうか」とおっしゃる。栃木の山の中でアラとは変ですが、物流の変化はすさまじいですね。

 真に美味しくいただきましたが、食後、お隣でカラオケだ。
 何曲歌いましたでしょうか!?
  ビリー・ジョエルのご存じ「オーネスティー」から始まり、スティービーの「レイトリー」なんかやっちゃいましたが、聞いてる方はちんぷんかんぷんだったでしょうね。
 でも、先生のリクエストだから仕方ない。

 三人で写真も撮りましたが、とてもお見せできるようなものじゃないな。

 これから、美味しい野菜を仕入れて帰ります。
 一番は井坪さんのトマト!

 

2007年5月27日 (日)

相模原外伝2

先週、紺邑とオンセが出展しておりました、伊勢丹相模原店の「全国職人の技展」は、実は28日午後5時まで、2階のギャラリースクエアーで開催中です。是非、行ってみてください。

ただし、私も高江さんもおりません。
 
Photo_78 先週撮った高江さんとの珍しいツーショット!

私がちょっとのぞけっているのは、別に嫌なわけではないのですぞ。

高江さんも、女性とのツーショットと違って、にやけてませんな。

それにしても、私がやせて見えること!

いやいや、この時私は、歯が痛くてやつれていたのですよ。

以上、誤解の無いように。

 

高江さんのカメラでも撮ったのですが、何となくブログに載せる機会を逸しまして、外伝を書いたついでといっては何ですが、ご紹介しました。

 

高江さんのブログに、ホテルのことが書いてありましたが、その13階から見た伊勢丹です。

 
Photo_79 遠くにISETANの文字が見えますね。

テレビ番組の「デパート物語」の舞台になったところで、小さいが、しゃれた百貨店です。

駅からの路がデパートまで続いていますが、そのまま2階が抜けられるようになっていて、其処のギャラリースクエアーで催事が行われているのです。

明日までですから、お急ぎ下さい。

2007年5月26日 (土)

美味

また今日も歯が痛い。
それも、今度は左上の奥歯。
だから、食事は一口もしていない。
情けない。

高江さんのブログを見ると、旨そうなカレーが出てきた。
夕方カミサンが帰ってきて、「うどん食べる?」と聞くが、「止めておくよ」と、今我慢をしております。

そんなことになって、今、美味と言うことに思いを馳せています。

「味覚は記憶なり」と言ったのは誰だったか忘れましたが、美味しい物を探すのは、またそう感じるのは、子供の頃食べた物の記憶をたどっているのだとか。
食育などと言われますが、それが豊かな感受性を育むからなのかもしれません。

大切なのは、出汁と素材かなと思う。

我が家は忙しいけれど、せめて鰹節は自分で削っているし(カミサンが)、朝からそれでおみそ汁を作るし、そういう努力はしている(らしい)。

私の子供の頃は、畑で取った新鮮な野菜を、当たり前のように食べていたし、鶏なんぞは家の庭にいたし、卵だって鶏小屋の新鮮な物だった。
突然鶏肉が食べられなくなったのは、ブロイラーが出回ってからですね。

最近は朝昼コンビニ弁当で夜はスーパーのお総菜では、やはり荒れた子も育つのではないでしょうかね。

「三代の富貴は美味を知る」という言葉があるそうですが、これもやはり、記憶かもしれません。初代は田舎ものの成り上がりで、2代目はその事業を継いだ教養人で、その子くらいになって本当の美味が分かるということらしい。

だから、美味探求はお金がかかる。
邱永漢は、「美味にありつく最も確実な方法は、そのために万金を惜しまないことである」と書いていますね。

私は若い頃から色々な物を食べてきたけれど、実は、これで欲が無くなった。
お金がかかることは、それも万金を惜しまないことなど、出来ようがありませんからね。

お金が出来たらどうするかって?
そりゃー、美味探求をいたします。

2007年5月25日 (金)

相模原外伝

相模原と東京から電話がかかって来て、急遽出張となりました。

先ずは日本橋三越本店で、今度の「職人の技展」のチラシ等の色合わせを済ませ、たまたまやっていた、「伝統工芸諸工芸部会展」とやらも見てきました。

何とも言えない感想を持ちながら、新宿京王の「日本伝統職人展」へ。

 

こちらの出展者は知り合いばかりですが、工芸会正会員もいたので、その感想をちょっと述べましたら、実情も分かった気がする。

簡単に言うと、展示されている物が、素人くさいのです。

Photo_76この方が、大変人の石工、倉員さん。
 
先日は、九州から藍瓶を届けてくださった、実にありがたい方でもある。

柔らかい作品をお作りになりますが、勉強熱心で、日本中をトラックで走りながら、其処此処の仏像や灯籠などを見て回っています。

 

  
Photo_77 最近作風が随分変わったとご自分でもおっしゃるが、それと同時に、奥様に優しくなったらしい。

九州男児の典型のような男が、今や料理までなさる。

 

知り合いばかりで、挨拶だけで約2時間掛った。

ついでといっては何ですが、6階の「スペース匠」のスケジュールのお話もさせていただいたので、実益もありました。

多分、この秋の出展になろうかと思います。

 

さて、それからが本日のハイライトで、一路小田急線で相模大野へ。

伊勢丹担当者のH氏が移動になったので、その送別会。

この方は若いけれど、熱のある人で、とにかくよく働くし、考えもする。
 

百貨店は、システムがどうの挨拶がどうのと、やたらお題目の多いところですが、こと催事に関しては、担当者の熱意という物が、実に大切なのだと私は考えております。

上六が成功したのだって、やはり担当者の熱意がキーポイントでした。
 

では、相模原の催事はどうかと言えば、坪単価の売り上げは、日本第2位でしょうね。

今回は2週間の開催で、紺邑も高江さんも前の週だったのです。

それにしても飲んで食って、搬入の時の宴会と違って、今度は駄洒落ブラシ屋が加わったので、騒ぎ方の質が違っちゃって頭が痛くなって解散。

でも、楽しい一夜でありました。

2007年5月24日 (木)

卓球

 卓球の中継をやっていますね。テレビは滅多に見ませんが、スポーツ中継だけは見る。

 私の子供の頃には荻原がいましたから、卓球は日本のお家芸のような物でしたね。隣の桐生には、長谷川という左利きの世界チャンピオンが、最近まで教室をもっていらした。

 私のやるスポーツは、テニスやスキーという、格好の良い奴はだめで、卓球とスケートという、地味な物が得意なんですね。これは、性格と同じ!?

 卓球もスケートも、小学校に上がるか上がらないか頃からですから、そこそこやります。高校生の時は、私より強い奴は卓球部の主将だけで、そいつは大学でも主将をしておりました。
 
 この業界で卓球と言えば、保多織りの岩部さんですが、この方はマイラケットを持ち歩いていらっしゃる程。博多でお会いしたとき、卓球場を探しまして、タクシーで行って二人で楽しみました。
 試合をやろうと言うことになったのですが、私は目の乱視が酷く、めがねを掛けなければもう駄目なのです。でも、試合前の練習の様なラリーは出来る。

 私たちのラリーを見ていた卓球場の方が、声を掛けてくださって、私の変わりに岩部さんと試合をしていただいた。良い勝負でしたね。

 そのほか強いのは、姫路の革屋の小野ちゃんかな。この人は県大会クラスだけれど、今はテニスに夢中だ。

 スケートはフィギュアーから始めた。
 この話は、冬になりましたらいたしましょう。

2007年5月23日 (水)

ご近所

 朝一番で歯医者に行きまして、嫌なことを済ませ、工房に寄って藍の調子を見てから、閑馬の新しい工房の様子を見に行きました。
2007_0523 アトリエ部分に色が付いておりますね。中にはいると、2階への階段もあり、「土足厳禁」などという張り紙も見える。

中に入って驚いたことに、コンクリートの大甕が出来上がっておりました

2007_05230071 手前が今まで使っていたステンレスのもの。

その奥が、コンクリートで作ったもの。

内側の大きさは双方同じです。

 これで紺邑の生産の能力は数段上がります。

 その後、桐生に所用で行き、お昼は名物のうどん。
 桐生のうどんの消費量は、高松に匹敵するほどで、最近は、巣鴨のカレーうどんの方がそうですし、至る所にうどん屋があります。久々に食しましたが、私の子供の頃の味そのものでありました。まぁ、一途に関東風と言うところでしょうか。
 この辺りのうどんは、もりうどんが普通でして、余れば煮込みにしておりました。東京で生まれ育ったカミサンにはどうであったでしょうかね。

 午後は和尚と会って、高橋道楽者さんからいただいた般若心経を贈呈させていただいた。様々な話題で、それも法話の如くでありましたが、それを理解するには、私もだいぶ時間が掛りそうです。
 そうそう、和尚は「神がどこにいて何をするか解りはしないが、一つ言えることは、時間の経過の中にはっきり存在する」とおっしゃったな。

 夕方、もう一度閑馬に行きますと、お隣が農作業をなさっていた。車を降りてご挨拶をすると、耕耘機を止めてお話下さった事は、工房へ入る道を広げたいと言うこと。願ってもないことで、協力することをお約束して参りました。またそれは、新参の私たちが、ご近所として認められたと言うことで、大変うれしいことでありましたね。

2007年5月22日 (火)

船橋終了

 ついに、船橋東武の催事が終了しました。最終日もすばらしい常連の皆様にご来店いただきまして、楽しい一日を過ごさせていただいた。結果は、この商品の数としては奇跡的とも言えるものです。

 仕事中に色々なところから電話が入ります。二つの百貨店の出展メンバーの選定に関わり、一つの百貨店の催事の企画の話もしましたが、聞いていた売り子さんは、「お忙しいですね」とあきれておりました。

 次は浜松の遠鉄百貨店ですが、これまたお馴染みのお客様が沢山いらっしゃる。社員も役員も知り合いの多い百貨店なのです。付き合いも開業以来ですが、それだけに気持ちも入る。付き合っている社員は、ほとんど担当をはずれていますが、彼らと今でも親しくさせていただいている、幸せな場所なのです。しかし、お酒がつきものなので、体調には気をつけねばなりません。

 今度は催事ではありません。7階のクリエイティブ工房と言うところで、一人で「紺邑正藍染展」の開催です。

 明日からは別な仕事が待っている。歯医者にも行かねばなりませんし、高橋道楽者さんから頂いた般若心経を、和尚にお持ちする予定です。歯医者以外はたのしみな事が多いですね。

2007年5月21日 (月)

船橋通信vol.5

 昨夜の酒のためか、朝四時に起きたせいか、仕事中眠いこと眠いこと!鍛冶屋がユンケルの錠剤をくれたので飲むと、眠る体力が出たせいか、昼寝をちょっとしたら、元気が出ました。

 いつものように、午前中にバタバタと売り上げが出来、そのまま一日を終えてしまいました。もう一つ波に乗れませんが、それは商品の数の問題もある。その変わり、八月の予約が一杯ですから、楽しみですね。

 終了後、鍛冶屋と大下漆器と三人で中華をやっつけてきました。広東と香港と四川を一緒にしたような味。広東料理贔屓の私には、もっと広東風であって欲しかったけれど、贅沢は敵ですから、文句は言いますまい。
 鍛冶屋とも大下君とも、たまの合う瀬ですから、そんなこととは関係なく、会話を楽しみました。

 そうそう、今日のトピックスは人形の小島。
 朝会うなり、「ブログを見ました」ですって。そして、「職人の技」を検索していたら、朝の四時になってしまったらしい。寝不足と言いますが、いつもそんな顔だから、分からないのが幸せな奴ですね。
 

2007年5月20日 (日)

船橋通信vol.4

 割合今日は酔っていまして、ホテルに帰ってから一寝入り。夜中にこそこそ起き出し、書いております。

 それにしてもお客様の少ない日曜日で、夕方四時過ぎまで、担当が心配するほど。ところがやはり自力があるのでしょうか、夜になって大きな物がバタバタと売れ、終わってみれば多分、予算をクリアーしましたでしょうね。

 鍛冶屋のお客様のSさんが来店。紺邑の二重織りのシャツを着てきてくださいました。色を見れば分かりますが、洗濯も丁寧で色の変化が実に良く、真にありがたい。勤め先が変わったようで、そこであつかうビールを、おみやげに頂きました。ありがとうございます。

 鍛冶屋が言うには、Sさんが来るとどういうわけか、道楽者さんがいらっしゃるらしい。お住まいが神奈川だから「まさか」と噂すれば、気がつくと鍛冶屋の店に、影の様に立っていらっしゃるではありませんか。久々の出会いでありましたが、これまたゆっくりお話しさせていただきました。

 右手首に包帯を巻いていらっしゃる。
 「紺邑」の看板をほっていただいていますが、それだけではないにしろ、その分けもあっての事だろうと、頭が下がりますね。
 帰ってから、このブログでそれをご紹介します。

 末広町の佐々木君達が来て、夜は焼き肉で大騒ぎ。
 そこで食って飲んで酔っているという次第なのです。

 柔らかい肉を食わせてもらいましたが、今の私の歯の状態では、ありがたい物でしたね。肉など久々です。何をしゃべったか覚えていませんが、多分昔話でしょう。年寄りですからね。

 何故かカレーの話は覚えているな!?
  私が鍛冶屋に話した銀座の店を、あいつは不味いというが、私には分からない。何故かと言えば、何十年も食っていませんのでね。どうだろうかと、確かめるためにわざわざ行くほどの元気もない。しかし、そこまで行って食う鍛冶屋の意欲はたいしたものです。
 その店のカレーを旨いと感じようが不味いと感じようが、私に責任があるわけではありませんが、優に半世紀を超えて今まで続いていると言う事は、好きな人もいるという事なのでしょうね。

 それにしてもまたまた大騒ぎで、楽しい一時でありました。

2007年5月19日 (土)

船橋通信vol.3

 朝から雨模様だったせいか、土曜日というのに、ちょいとのんびりした日でしたね。

 紺邑はさすがに商品が不足しすぎております。そこで昨日、日本橋三越の写真取りの商品を返していただく交渉をしましたら、なんと、企画会社の担当が、それを持ってきてくれました。なんとありがたいことか。

 お馴染みさんがいらしても、やはりお買いいただく商品がない。それでも皆さん、次回八月の注文をしていってくださった。それがなんと、十分に一日分ありまして、私としては数字に表れませんが、大変ありがたいことでしたね。

 7月の日本橋三越の催事には、宣伝広告媒体全てに紺邑が取り上げられるらしい。そのコピーの事で、担当のKさんからたびたびご連絡いただいた。それが全て、好意に満ちあふれている。これまたありがたい事だ。

 明日は、また宴会の予定が入っている。
 担当のTさんが、「大川さん、こう言っては何ですが、歳なんですから無理はいけませんよ」と真顔で心配してくれている。ありがたいな。

 今日は、ありがたいの一日でしたね。

2007年5月18日 (金)

船橋通信vol.2

 船橋東武は「催事の雄」だと書きましたが、実際、物産展はたいしたものです。工芸だけの催事は、ちょっと弱いのかな?と思いましたが、お客様の数は少なくても、何とかなるのは、やはり良いお客様が沢山いらっしゃるということでしょうね。本日は全体予算をオーバーしたようです。

 紺邑にも沢山お客様がいらっしゃり、午前中にまたまた売り上げが出来てしまいました。うれしいことですが、商品が非常に薄くなっております。どうしましょう。

Photo_75  今回も、私が直接お電話して出展を口説いた業者もいまして、その内の一社が、オーストリッチのヘライファームです。青森の十和田にあるダチョウの牧場で、肉と皮を商っている会社といいますか農業法人。その担当が韓(ハン)さんと言いまして、かわいらしい韓国のお嬢さん。私としては成績が気になるのですが、それなりに良いようで一安心。

 そこで、ご飯をごちそうすることにしましたが、さすがに二人だけでは気が引けますので、鍛冶屋と帽子屋を誘って、四人で蛤のしゃぶしゃぶを頂きました。
 ハンさんはかわいいがおもしろい人で、鍛冶屋も帽子屋も笑い転げておりました。

 また少し酒を飲んだ。
 相模原の宴会で、消えた火が再びついたようです。

2007年5月17日 (木)

船橋通信vol.1

2007_0517 さて船橋の初日の売り場。

営業時間中に撮影しましたが、船橋とは思えないほど閑散とした雰囲気。

東武百貨店船橋店は、実は関東の催事の雄だと私は思う。だけど、雨に弱いのです。
晴天の日を100とすれば、雨の日は30くらいかな。

 では、紺邑の成績はと言うと、品物無いのにたいした忙しさでした。でも三時まで。それ以降は、宴会の準備で忙しく働きましたね。

2007_0517_1 目の前にいる人形の小島。あんまりみっともない顔をしやがったので、写真を小さくしました。でも、腕は良いですよ。当たり前か!
この男は、いわゆる「頭師(カシラシ)」ですが、人形の顔が作者にそっくり。右手に持っているノミは、武田の手打ちだそうで、一本出来上がるのを三年待ったそうな。

2007_0517_2 その武田は私の右隣。
小島を、「私の打った物をもっている珍しい人」と表しておりますね。
こいつを紹介するとなると、一日じゃ無理で、シリーズ化を覚悟しなきゃならないので、今回はこんな感じでお茶を濁しておきます。

 終了後、武田にべっ甲の田川御大、よもぎ染めの一久さんに組紐の平井、珊瑚細工の与那覇に漆の大下、パールの長谷川にストローハットの勝と私の九人で宴会。

 勘定をしたら、割り勘の5,000円が一人分足りない。そこは田川御大がさっと出してめでたく解決。そんなことは仲間内のことで、問題にもならないのがこれまたよろしいな。

 皆、一国一城の主だし、出るとこ出りゃうるさい連中だけれども、飲めばバカばかり。それも催事の良さですね。

2007年5月16日 (水)

船橋

 相模原から船橋に移動してきて、今日は準備日です。

 「狭くてすみません」とは、催事担当のT氏の言葉ですが、今回の紺邑には十分すぎるくらいです。事情があって20日間ほど染めることが出来ませんでしたから、商品が少ないし、その上、相模原と被っているのですから尚更です。

 隣が鍛冶屋の武田、目の前が人形の小島で、様々な職人が集まりました。小島曰く「いやぁ、メンバーが濃いですねぇー」だって。そうかもしれません。

 本当は、高江さんも紹介したかったし、名前も挙がっていたのですが、まさか相模原の催事から引き抜くわけにもいきませんので、あきらめました。なんて書きますと、私が主催者のようですが、そんなこともなく、私は一介の出店者に過ぎないのです。しかし、この「職人展」の最初からしばらくは、私が職人もノウハウも全て紹介して始まったものなので、その名残で、時折相談に乗っていると、こういうわけです。

 元は宇都宮東武百貨店の職人展です。

 最初は、私と組紐の平井と水晶の大森の三人で営業に行ったわけですが、その時の担当が鈴木さんという方。
 三月にプレゼンしたら六月に返事が来て、八月の終わりに実施したという早業。このいきさつについては、八月の「職人展」の時に詳しくお話ししたい。
 一回目終了後、その鈴木さんから今度は電話が来て、「船橋で何か催事をやりたがっているから、紹介してやってくれ」という事になって、鈴木さんと私と二人で、当時の担当の桑原さんに紹介して始まったものなのです。
 それは、宇都宮の職人展が成功したという証でもありましたから、私としては実にありがたいお話でした

 宇都宮を基本にして始まったのですが、ま、これも11回目となると色々ありましたね。
 明日からしっかりと、お仕事をさせていただきます。

懇親

 昨夜は少し酔いましたね。なにせ、一週間ぶりのアルコールと空腹状態でしたから。

  私の催事のいつもは、皆様にご挨拶する事からはじまる。これが習慣になってしまいましたが、オンセの高江さんとは変な感じです。毎日ブログで会ってますのでね。久しぶりという感じがしないのは、お互い様でしょう。

 私は一日だけのお付き合いなので、一杯やろうという話になって、真珠の長谷川君に段取りを任せてホテルで休ませていただいた。

 夜になって会場に行ってみると、4・5人の飲み会と思いきや、なんと10人の大所帯で、ミニ懇親会の様でしたね。

 駆けつけ三杯のビールでもう酔った雰囲気。席の目の前が高江さんだから、最初はやはりブログの話にはなりましたね。「あなたが『ヘビー級ブログ』などと紹介したからヘビーになっちゃった」と文句の様なことをいったら、「大川さんの影響で、私もヘビーになってきた」なんてね。
 メンバーの高江さんに真珠の長谷川君、カバンの中澤さんなんて言うのは、身体もヘビー級だな。彼らに比べれば私なんて、モスキート級です。
 
 我々の会話もブログ同様、あっちへ行ったりこっちへ来たりで、楽しい会話で大盛り上がりでしたとさ。

 いい大人達がたわいもないことですが、これも催事の良いところ。

 

2007年5月15日 (火)

相模原

 宇都宮の最終日の今日、私は、相模原伊勢丹の準備で神奈川に参りましたが、宇都宮にはカミサンが行った。販売はあきらめていたのですが、前にも申し上げましたように、私じゃ駄目なお客様がいらしたのか、ものすごく良い成績を上げたらしい。うれしいやらなにやら・・・!?

 相模原の準備は、いつもお手伝いいただいている花治さんに頼んでおりましたので、私はほとんどやることがない。ホテルでゆっくり疲れを取りました。

 夜は、プティ懇親会。

 オンセの高江さんと、久しぶりに一献。

 その様子は明日にします。

 眠いのです。

 

 

2007年5月14日 (月)

宇都宮通信vol.5

 今日の仕事は、荷造りと発送に終始した感じです。販売に関しては、仕事をしたという手応えが全く感じられませんでしたね。明日は相模原に行かねばならず、私の宇都宮は今日で終わりました。

 毛塚さんが約束通り、来て下さった。

 昔から、美味しい漬け物やお料理を頂くのですが、今日は四種類、八時間も掛けたもの。その一つ一つが深い味で、家に帰ってから家族で美味しく頂きました。

 毛塚さんは、「今が幸せだ」とおっしゃるし、それがお顔にも現れています。ガンを患う前より余程健康そうで明るく、充実した日々を送られていることが分かります。

 出光石油の創始者の佐三(さぞう)氏は、65歳以上の老人達を前に、「皆さんの人生にはいろいろなことがあったろうと思う。それを思い起こせば、走馬燈の様に、一瞬に浮かんでは消えてゆく。しかし、これからの老後の一日・一時間は長く、貴重であり、その過ごし方こそ、その人の人生を決めるほど大切な物だ」というようなことをおっしゃったそうな。毛塚さんの様な方に出会いますと、その言葉がしみじみと感じられます。

 催事はただの商売ではありませんね。こういう良い出会いが沢山ある。ありがたいことです。

2007年5月13日 (日)

宇都宮通信vol.4

 日曜日の物産展は、家族連れが多く、平日に比べますとだいぶ趣が違います。成績もお客様の数ほどの事はありません。いつもなら長蛇の列が出来るお店も、今日は買い易そうな感じでしたね。
 
 紺邑は、お昼頃までに売り上げが上がり、何とかなりましたが、他の方々はどうでしたでしょうかね。
 
 宇都宮はさすがに地元ですから、古いお馴染みも、親父殿の工房、つまり、私の生まれた家を訪れていただいているお客様も多いのです。しかし、皆様ご高齢だ。

 毛塚さんは、また明日いらしていただけるでしょうが、米寿を超え、一昨年ガンを宣告されましたが、久しぶりにお会いしたら、以前よりもお元気そう。「ガンはどうしました」とお聞きすると、「ん!?直した!」とあっさりおっしゃる。笑顔を絶やさず、人に尽くし、そのためか今でもお友達に恵まれ、月に何度か車で旅行もなさっているとか。明日は、福島と新潟と茨城の良いところを、私に教えるためにいらしていただけます。

 岡崎さんはご主人を亡くして一年半。昨年お会いしたときは打ち拉がれ元気が無く、私が活を入れて差し上げたのですが、今回は少し回復なさっている様子が見えました。二度いらして二度とも長くおしゃべりしましたが、ちょっと派手目の綿コートを買われ、「これを着て東京の息子の所にグリーン車に乗って行くことにしよう!」とおっしゃる。「少しおしゃれしても、主人は許してくれるでしょう」と、まだまだですが、次回はもっと元気な姿が拝見できそうな気配です。

 石倉さんは那須にお住まいで、東京に別荘があるという、普通とは逆の生活をなさっている方。別荘の近くに、昔の私の行きつけだったジンギスカンのお店がある。旨かったけど今はどうかな? 日本橋三越と宇都宮と、私の出展するイベントには全ていらっして下さり、毎度大きな買い物をしてくださいます。今回は残念ながら、買っていただく物がない。「7月の日本橋でね」とお別れしましたが、一時間も並ばなければ買えないパンを、我がカミサンにと一斤置いて行かれた。ありがたいな。

 益田さんは、紺邑のパッチワークベストスーツをお召しになってご来店。昨年の夏は、シルクのスーツをオーダーなさった。決して1回では決めません。二度三度とおいでになる。でも、私では用が足りないらしく、カミサンじゃなきゃ駄目なんです。ですから今回は、カミサンの来る最終日にもう一度いらっしゃるらしい。きっと何かオーダーしたいのでしょう。

 皆さん、齢70を優に超えた方々。私は昔から年寄りが大好き。これからも、長い付き合いが出来ますように。

2007年5月12日 (土)

宇都宮通信vol.3

 さて、昨日のお話を一つ。

 朝起きましたら、まるで真冬のような北風。窓の外がピューピューと泣いています。カミサンに駅まで車で送ってもらい、切符を買ったら、「架線に風に飛ばされたビニールシートが引っかかり、電車が約30分遅れております」というアナウンス。

 ようやく栃木駅に着いたら、今度は東武線が20分の遅れ。電車が出る頃は、もう百貨店は開店している時間。それでも、お手伝いが居ますから、何とかなるだろうと思っていたら、担当のS君から電話。何だろうと出てみると、「今どこですか?」と聞くから、「まだ栃木だよ。電車が止まってね」と言いましたら、「分かりました。例のラジオの取材なんですが、別の人に変わってもらいます」だって。ありゃ!参りましたね。ラジオの生放送があったのだ!

 風のせいとはいえ、早めに出ていればこんな事もなかった。私の変わりに取材に応じてくれた方など、皆さんに迷惑を掛けました。ここでお詫びしますが、読んでいないだろうな。

 今日も寒い一日でしたが、物産展の土曜日は、良く人が入ります。それに、母の日の前日と言うこともあるかもしれませんが、紺邑はとても良い成績で、初日の負けを、大分取り戻しました。

 商品の数が頼りない中、奇跡的な数字です。皆様に感謝。

 相変わらず歯が痛く、今日も今日とて、お昼は日本蕎麦だけ。それで夜七時半まで仕事して、一時間半掛けて帰宅する頃は腹ぺこ。それでも、ガツガツと食べられない悲哀をお分かりいただけるだろうか。

 これではやせ細ってしまいます。
 せっかく貫禄がついてきたのに。

2007年5月11日 (金)

宇都宮通信vol.2

二日目の宇都宮です。
2007_0511 左奥に、お手伝いしていただいているOさんがチラッと見えます。

このスペースは、工芸ばかりで、左側の大きなスペースを、食品が占めていて、一日中美味しそうな臭いがしてくる。

歯が痛く、柔らかい蕎麦以外食べられない私には、毒のような臭いですね。

 今日も寒い一日でした。

 そのためか、写真のマネキンに着せている綿コート(右側)の色違いが出ました。買い物をする気もなく、お話にいらしたお馴染みさんにちょっとお着せしたら、ものすごくお気に召したものです。

 このコートは、夕べ出来上がって、今朝私が持って行ったもの。初日にはありませんでしたから、まさしく一期一会だと思いましたね。

 皆低調だと嘆きつつ、終わってみると、全員が同じような成績。こういう事もあるのですね。福島と栃木と、東北と関東という違いがありますが、仲良く仕事をしております。

 それにしても寒い!

2007年5月10日 (木)

宇都宮通信vol.1

 宇都宮は、私の住む足利からは、ひょっとすると東京に行くよりも便が悪い。だから、足利の人間は、宇都宮に行くことはほとんどありませんし、県都とはいへ、縁が薄いところです。

 足利駅から栃木まで、単線の両毛線で行きまして、栃木で東武宇都宮線に乗り換える。今までは、この乗り換えに2~30分掛った。それがJRが民営化され、乗り継ぎが良くなりまして、一時間半くらいで行けます。今日は、朝7時55分足利発に乗って、東武宇都宮駅に9時20分に着いた。

 それにしても寒い一日でした。昨日まではTシャツ一枚。今日はその上にシャツだけでしたから、ふるえましたね。聞くところに拠ると、雨も降り、雷となってヒョウも降ったらしい。それにしては、お客様は良く入っていただいたようです。成績は売り上げのあったお店の、おしりから二番目らしい。ちょっと情けない。

 因みに、一時間半という時間があれば、日本橋まで行けるのが、足利と言うところ。この便利さを享受するのもあと僅かかな?

 

2007年5月 9日 (水)

歯痛と物産展

 昨日から堪らない歯痛。朝起きましたら何となくそれが消えている。ホッとして口をゆすいだら、芯からズキンと痛みが来た。

 ついに大嫌いな歯医者へ。「7・8年ぶりですかね」と先生に言われながら、気まずく診察椅子に。診察して「こりゃ駄目だ」と一言。「抜きますけどどうします?」って言われても、それが前歯でね、抜かれちゃ困る。
 「人前に出ますんでぇ・・」と言うと、私の氏素性をご存じの先生は、「そうですよね。それじゃぁ、型を取って後で歯を抜いて直ぐに入れるということでどうです」となってほっとしたのだが、「その代わり、痛みには耐えてください」だって。だから今も痛い。

 それでも、宇都宮まで車で行って、「とちぎ・ふくしま物産展」の準備をしてきました。ただし、久々にカミサンと一緒。皆さんに珍しいと言われ、担当のS君は、「あれ!大川さんがいる!?」だって。そういえば、物産展に私は出たこと無い。

 カミサンが飾ると、店が実にきれいに出来上がる。私に立つ瀬はない。

 明日から私が売り場に立ちます。是非お越し下さい。
 東武宇都宮百貨店5階イベント・プラザ「とちぎ・ふくしま物産と観光展」です。

2007年5月 8日 (火)

フランシーヌの場合は

 先日、三月三十一日の出来事を書いて、「フランシーヌの場合は」という歌を思い出した話を致しました。これは、正確に言うと「三月三十日の・・」という歌詞だったと思う。

 なんでこんな歌を思い出したのだろうと、自分が不思議でしたが、カミサンが聞いているラジオから、今度は「真夜中のギター」という歌が流れてきた。カミサンが「演歌みたい」と言ったのでこれまた思い出した。
 歌っていた歌手に何度か会ったことがある。

 最初は売れていた時で、何故か、一流のキャバレーでフォークソングを歌っておりましたね。楽屋が一緒で、ご機嫌麗しく、スターのようでありました。
 次にあったのが、北海道の片田舎。私はR&Bなんか歌っておりまして、片田舎でも好事家が大切にしてくれる立場。一方、あまり騒がれなくなった彼女は、所謂ドサ回り。「やぁー、久しぶりだね!」と挨拶しても知らんぷり。気持ちは分かります。

 そんな話をカミサンにしていたら、また思い出した。「フランシーヌ」のお嬢さんにも会ったことがある。これまた、ドサのキャバレー回り。地方の呼び屋のようなプロダクション手配の車に乗ったら、その人がいた。
 同じような業界ですから、「おはようございます」と言ったら、「こんにちは」と返してきましたね。それならキャバレーなんかで歌わなきゃ良いのになと、そのころはおとなしかった私は思いましたとさ。

 歯が痛いのであります(涙)

 カミサンが草刈りが好きだと言うところで、彼女から聞いた話を思い出しました。

 草を刈っていると分かることですが、手がひんやりしてくるそうな。それは、草が水で出来ているからだそうです。だから、地球温暖化と言うが、草を地表に生えさせなければいけないと言うのが、カミサンの意見。「それじゃぁ刈るな」という意見が聞こえてくるようですが、刈った後に雑草以外のものを植えるのですよ。
 だから、アスファルトかコンクリートを張っている庭など見ますと、「あーーーあ」とため息をついております。

 彼女は東京生まれの東京育ちで、それも都心。仕事場も都心でありましたが、私がその仕事が嫌いでね。「嫌いだ」と言ったら辞めてしまった。それを今時になって、「私が○○を辞めたのは、あんたのせいだ!」と言うようになった。「その通り」というのが私の台詞。

 それでも、もう都会には住めないと言います。

 我が三女も同じで、ただいま渋谷で仕事をしているのですが、嫌で嫌で仕方ないらしい。「都会には住めない」と言いつつ、仕事の修行は都会が一番良い。今は我慢のしどころで、近々仕事場を移るらしい。

 そうそう、昨日は熊本の洋服屋、「伊万里」の石井から電話がありまして、「東京ドームの説明会に行ったでしょ?」と言いつつ、私にその内容を聞いてきた。ふと気がついて、「何で知っているんだ?」と聞いたら、「だってブログ見てるモン」ですって。
 こいつ(女ですけどね)くらいです、私にマネキンを捜させるのは。昨日もついでに、「ねぇねぇ、あの人だめだったの。他にいい人いない?」と宣う。仕方なく、教えてあげましたね。

 朝のひととき、とりとめもなく。

2007年5月 7日 (月)

藍甕の設置

 夕方近くになって、カミサンが突然、閑馬に行こうと言い出した。行ってみますと勘の良いことに、藍甕を設置している真っ最中でありました。
20070507
 一番右側に、コンクリートブロックで新しく作る甕の穴が空いております。これは基本的に、真ん中のステンレスの大甕と同じサイズになる予定です。

 左側の丸い甕が、九州からのもの。二人だけの染場では、これで十分ですし、加温については、長い間のノウハウと知恵が、私たちにはありますので、心配いりません。

20070507_1  手前がそのコンクリートで作ろうとするものですが、これを考えたのは、東京の国指定重要無形文化財だろうと言われております。

 本当のところは分かりませんし、我が親父殿の所もその知恵を頂いたし、今はありませんが、茨城の関東藍の方もお使いになっておりました。
 これからアク抜きが大変だろうなと想像しております。

20070507_2
 ショールームとの境にある角に、お客様にお見せするための藍甕を設置しました。

 いわゆる実演をするところとなります。

20070507_3  写真を撮りおわって外に出ましたら、カミサンが草刈りをしていました。

 この人は本当に草刈りが好きで、これがストレス解消になっているらしい。

 手に持つ鎌は武田刃物提供です。
 

2007年5月 6日 (日)

工房のオープン

 さて、昨年の暮れには、三月頃だと、皆様に申し上げておりました新しい工房のオープンですが、それが5月になった。希望は5月4日でしたが、過ぎてしまいましたね。様子を見ると、五月中も難しいように思えるな。
 どうして遅れているかというと、最大の理由は、設計している人の拘りと、物理的理由は、スウェーデンからサッシの届くのが遅れたこと、そして、三月三十一日の出来事もある。もうこうなったら開き直りまして、よりよいものが出来ますよう、祈っておりますよ。

 「三月三十一日の出来事」と書きましたら、頭の中に「フランシーヌの場合は・・・」という歌が聞こえてきましたね。フォークソングが商業主義に毒され始めた頃のことだな・・・おっと、これは余談。

 今度の工房が建つ「閑馬」という所はおもしろいところで、街を抜けず、山を越えて、桐生、足利、佐野という大きな街に通じているのです。それもそれぞれ20~30分というところ。

 ただいま、北関東自動車道(決して南東北ではありません)という高速道路が建築中でありまして、工房から10分ほどの所の吉水と樺崎と言うところに、各々、佐野と足利のインターチェンジが近々出来る予定で、そうしますと、東京から車まで1時間半、宇都宮や埼玉から30分ちょっと、仙台からも群馬からも、遠くは茨城からも新潟からも、もう少し言えば軽井沢からも実に近くなります。

 私みたいな者でも家が建つくらいですから、誰でも出来るところです。どうです、お住まいになって見ませんか?別荘代わりでも、とても良いところですよ。じつは、別荘の多いところでもありましてね、今日、工房の近辺の別荘に行きましたら、皆さん帰り支度をしていらした。明日から都会でお仕事のご様子です。

2007年5月 5日 (土)

春の閑馬のつづき

2007_0504_5
春の閑馬辺りは、色とりどりに花が咲いております。
少し前までは、可憐なカタクリでありました。 

村井さん達も感動していらしたのが、この野生の白藤。
なんと、お隣の屋根の向こう側に姿を現しています。
これは、是非ご覧頂きたいな。

我が工房の土地は、四段で構成されております。
2007_05043 その一番上から見た工房ですが、遙か彼方だな。
勝手な希望では、この一番上に、本当の住まいを建てたいと思っているのです。
立っているのが、我が次女。

2007_0504_3

カミサンと娘が居る辺りは竹藪ですが、ここをきれいにしたいのが、カミサンの夢で、こつこつと手作業でやってゆく覚悟らしい。


何か見つけた様子で、私を呼んだ。

2007_0504_4 竹藪の中にも、野生の藤が咲いていたと、こういうわけです。

それにしても、私のカメラの腕は何とかならんものだろうか(涙

春の閑馬

 昨日の早朝、家のドアが開いて、次女が帰ってきました。朝一番の電車に乗ってきたとのこと。新しい工房を見に来たのですね。
 どうも一睡もしていない様子なので、ちょっと横にならせて、私とカミサンは、臨時の工房へ行き、洗い物をしてから一緒に出かけました。

2007_0504現場に着きましたら、村井さんと大山さんが作業中でした。
芝を植えているところです。

2007_0504_1

これは野いちごだそうで、食べるためではなく、花を咲かせるのだそうな。

 

お隣の家から見る風景ですが
2007_05041 緑の所はハーブの畑にしようと思っております。
左端に、村井さん達が見えますが、何を植えるかという相談中。

チューリップが分からなかった私は、蚊帳の外。

2007_05042 工房の下の景色です。

この畑で、様々な作物を作りたいと思う。

でも、人の土地だ。
でも、思うのは勝手。
思えば実現するかもしれません。

だから今月、大田原に行く約束を、星野先生といたしました。

2007年5月 4日 (金)

栄養と農業と藍染め

 私がうるさいから、「大川さんの話はもう良いよ」と言われたお話しを昨日しましたが、どのくらいうるさいかと言いますと、いや、うるさかったかと言いますと、昔長崎で、水晶の大森、組紐の平井、私の販売手伝いのYさんと四人で、卓袱料理を食べに行きまして、「健康と栄養」についての話になった。そこで、消化から栄養素の話から食事のバランスの取り方などで数時間、私の独演会となった。終わってふと気がつきまして、「いや、長い間聞いてくれてありがとう」と言ってしまった。
 実はカミサンに、栄養のバランスについてうるさく言いまして、最近は聞いてくれなくなってしまい、話の相手がいなくなっていたからなのですね。しかしその後、彼らが食事に気を使い出したのは、よいことであったと、身勝手に解釈しております。

 栄養のことなどに何故詳しいかというと、猛勉強したからです。妹が栄養士ですが、私の方がうるさい。いやがられる由縁でもあるけれど、それが、農業の理解や藍建てに役立っているのです。

 一昨日、久々に大田原の漢方医の星野先生からお電話を頂いた。この方とも付き合いが古くなりましたが、地元の農家を指導され、全くの無農薬での、米や野菜作りを指導されています。
 その米は、今や日本一の評価だし、井坪さんのトマトは、畑に買いに来てしまうので、なかなか市場に出回らないし、夕張メロンの病気も治し、九州佐賀ではアスパラ栽培になんて、その逸話には事欠かないが、なにせ、それを無理に広めようとする気がないし、慣行農法という壁を、無理矢理壊そうとするような事もないから、世に余り知られておりませんね。

 私も毎月の勉強会に出かけ、そのほかにも暇があれば大田原に伺って農家を回り、勉強させていただいた。何を?といいますと、結局は醗酵と微生物についてです。

 基本的な考えは、「人間の身体も土も同じだ」という事でね、私が栄養について勉強してきたことが、ここで役に立ったのです。「藍も人間の身体も一緒」と考えると、藍の様子が分かる。紺邑が藍建てに黒砂糖を使うのは、ここからの気づきにあるのです。

 無駄は無いな。

2007年5月 3日 (木)

帰宅

 上六の最終日、元担当が来て、久々に現担当と三人でお茶を飲みました。私の三月三十一日の出来事の話になり、「私をさんざんいじめた報いだ」などとほざいておりましたが、ま、言われても仕方ない面も無きにしもあらず。

 最近私の話になると、「大川さんの話はもういいよ」と言われるそうな。そう言っておる奴も思いつかないわけではないが、それも仕方ないとも思う。私はうるさいですからね。だから、そういう奴には、何事もうるさくしないことにします。

 久々に帰って参りまして、慣れた布団に横になりましたら、寝に寝まして、その後三女が帰ってきたので、ちょいとドライブし、夕方帰ってきてから昼寝になり、これまたぐっすり!久々の寝不足解消です。

 その三女は昨日、東京で高校の同窓会をやって酒を飲んだそうな。その量を聞いて、飲んべえだと私は思う、まだ十代の一番下を除いて姉妹皆そうだ。これは母親の血だな。

 朝起きてメールチェックをいたしましたら、珍しく道楽者さんから入っている。開けてみれば看板の写真。今度は現物を拝見できそうで楽しみです。久々にメール交換となりました。
 「世に偶然はない」とは、我が師匠の弁。道楽者さんは「偶然という必然」という。これも何かがあるはずで、ありがたいことです。

 今メールが入りまして、次女がこれから帰ってくるらしい。他人に言わせると、我が子達は皆変わっていると言うが、親から見るとこの次女が一番の変人。
 高校の頃から古文を現代文のように読みながらケタケタ笑い、パソコンのキーボードのキーを紙に空で書けるし、天皇を神武から昭和まで全部覚えていて、神社に行くと、その解説を読んで我々に謂れを説明し出す。見た目は一番女らしいのですが、心はバンカラだ。

 もう一日休もうかと思う。それを身体が欲しております。なにせ年だ!

 また次女からメールが入りまして、最終電車に乗り遅れて帰れないとのこと。やはり変わっておる。

 

2007年5月 2日 (水)

上六通信vol.7

 終わりました!

 帰宅いたしました。

 明日は身体を休めます。

 

 

職人の技展 2

上六の「職人の技展」は今回で27回目だから、13年半やっていることになりますね。

最初は大阪の若手職人に刺激を与え、伝統工芸の活性化につなげようとする、トンボ玉の藤村さんの意志が我々に示されておりました。

それが「遠くまですまないね」という彼の言葉になっていたのでしょうし、事ある毎に、「大阪の若手に教えたってくれ」とおっしゃった。

何を教えるかと言えば、「販売の仕方」ですね。

物作りはともかく、それが売れなければ、その仕事の存続が難しくなりますからね。

 

我々大阪以外の職人だって、実は「売る」と言うことには苦労をしていた。

それでも、高島屋の「伝統展」で鍛えられてはいますから、大阪の人たちよりは経験だけはあったということなんでしょう。

 

「伝統展」は、いわゆる物産展の「工芸」だけを集めた催事ではありません。

ここが現在、百貨店の人たちに理解されていない所だな。

そこには、「伝統工芸の存続」という、開催する意味がある、またはあった。

だから、出展者にリスクを与えることも無かったし、また初めの頃はその余裕も、百貨店にあったのでしょう。

 

先に紹介した横畠さんだって、広島の片田舎から東京に出てくるのに、経費の自己負担は無かった。

だから武田さんは、彼を東京に呼ぶことが出来、それで、横畠さんの仕事が存続し、僅かながらにも仕事が増えてきている。

これは武田さんの大きな功績だし、そういう事例が、他にも沢山あるのです。

実は、うちの親父殿の所にも、武田さんと高島屋の当時の担当がお見えになり、横畠さん同様、仕事を確認され、伝統展への出展を要請され、私の今があるといえます。

 

武田さんは職人に、販路を提供しただけではなく、商品構成、デザイン、陳列方法、価格設定まで指導され、事実として、日本の民工芸の存続に、功績のある方です。

その武田さんが、健康を害されるようになる。

上六の「職人の技展」が始まるのも、その頃であり、この世界が混沌に向かいます。

2007年5月 1日 (火)

上六通信vol.6

 「Rany days and monday's always get me down」 という歌が、私の月曜日のオープニングでしたが、本日は雨の日の月曜日となりました。連休明けでもあり、来店客数は少ないく、成績はそれなりだったのでしょうが、紺邑は実によろしくない成績でありました。

 実は、商品が無い。

 三月三十一日にちょっとした事故がありまして、それ以来、染めが出来ませんでね、引っ越しもあり、今までの在庫と、少々の染めた布で作ったわずかな商品だけで商売をさせていただいたのです。

 それが残り少なくなってしまったと、こういうわけなので、今年は仕方がない。お馴染みは沢山来ていただいていたのですが、今春は買い物をあきらめてもらい、今年の秋を待っていただくことにしました。

 それでも今日できあがった商品もありますので、それが最終日の明日届きます。最後のご奉公をいたすことにします。

上六通信vol.5

 昨日は、お昼頃にその日の目標売り上げを達成してしまったらしいのですが、我が紺邑は蚊帳の外。不思議なことに、目の前の水晶の大森君も同じ。
 昨年の今日も、やはり暇で、こういう事もあるのですね。

 終了後、久々に、京都の紙屋とそのバイト嬢、中島洋傘と担当を交えて一献傾けました。話に話して飲みに飲んで、さすがの若い紙屋も、少々酔っぱらったみたいだな。

 この男とも付き合いが古く、京都の夜を馬鹿やりながら騒いだとき、彼はまだ24歳だったとのこと。実はこれまでに、大きなもめ事もあって、一緒に話をしたり仕事をするなどと言うことは、考えられない関係でもあったのですが、鍛冶屋の武田のお陰で、今こうして和気藹々と酒を傾けることが出来るようになった。

 担当のU君は、先代の存在が大きいらしく、まだ自立していません。また、その気もないらしい。それではいけないと思うが、よけいなお世話だから何も言わなかった。
 でも、全体の予算は達成できる、いや、貯金も出来、ホットしている感じでしたね。

 中島さんもようやく慣れてきて、昨日はとても良い成績。本当の職人(当たり前ですが)ですから、まだ売ることになれていないのですね。催事に出だして二年半になりますが、先が楽しみです。
 私は日本一だと思っていますのでね。

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