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2007年6月

2007年6月30日 (土)

紺邑の色

 昨日お手伝いいただいたひろ子さんから、「紺邑の藍染の色は、なんであんなにモダンなの?」と質問を頂いた。「モダン」という表現が、我が色の特徴を表わしているようで、面白いと思いましたね。

 私が藍染を始めた頃は、夢中で訳も分からず染めていたと思いますが、ちょいと落ち着いた頃、様々に気づくことがあったのです。

 染め方も建て方も、色の出し方も、ああすればこうなるだろう、こうすればああなるだろうと想像するのですが、親方の親父殿もいれば、兄弟子もいる。そして、その頃の藍の色は、彼らが出そうとしていた色だし、その色がお好きなお客様も多かったのですから、それはそれで否定するものでもありません。でも、私の出したい色とは違っていたのも事実なのであります。

 偶々8年前、親父殿から離れることになった。そして、私の出したい色が、誰に遠慮する事無く出せるようになり、ああだこうだと思っていたことを、全部試しながら出しているのが、今の紺邑の色なのです。

 私の藍の建て方の特徴は、灰汁はもちろんのこと、石灰を貝灰に、日本酒を黒砂糖に代えて使っていること。つまり、人間の身体に良いものしか使っていないことです。
 そして、洗いに十分の手間を掛けるということ(これについては前に書いております)。

 その上で出ている色なのです。

 東京ドームでも、「あら!きれいね!」と言って立ち止まってくださるお客様は多いですね。

 最初に驚いてくれたのがカミサンでしたが、仲間内も段々分かってくれるようになりました。

 しかし、これも好みですから、昔の親父殿の時の色の方が好きだという方もいらっしゃる。これはこれで当たり前のことだな。

 ひろ子さんは「モダン」といってくださるが、その分、素朴さに欠けるところもなきにしもあらずなのですね。ですから、いわゆる藍染好きには、紺邑の藍の色は受けが良くないかもしれませんし、そう言うお客様がターゲットでは無いところも、紺邑の特徴でもあります。

2007年6月29日 (金)

50肩と東京ドーム

 今日はいつもお手伝いいただいている花地さんがおやすみなので、急遽、ひろ子さんにお手伝いいただいた。先ずは有り難うございました。

 東京ドームの内側に入ることなど、そうあることではないから、仕事とは別に、みんな楽しんでいるようです。水晶の大森君などは、三塁側ベンチに座って、自分の写真を撮ったそうな。それにしても内側は、まるで迷路のようですが、慣れればきっと簡単なのでしょうね。

 あと二日ですが、もう少しお客様が欲しいところです。

 さて、夜中の事。肩の痛みで目が覚めました。身に覚えのある50肩です。十数年前に右肩をやられ、それが五年ほど前に再発したとき、水晶の土屋君が、直し方を教えてくれましてね、一睡も出来ないほどの痛みが、そのお陰で数時間で直ってしまった。

 今度は左肩ですが、これまた土屋君に教わった方法で、何とか動いておりますし、痛みもかなり良くなりました。

 どうも、歯といい肩といい、老化の進み具合が早くなっているようですが、それを食い止めるべく、今後努力してゆく所存です。

 なにせ、私の座右の銘は「努力」ですから! 

 そうそう、例の演歌ですが、今日は回数が少なく、比較的静かな感じでした。そして良く聞きますと、さすがにプロは上手いものでしたね。彼の名誉のために、って、読んでないか(苦笑)

2007年6月28日 (木)

立ち食い寿司と東京ドーム

 本日、東京ドームの「東京お宝市」の初日。さすがに広い会場ですから、何万人入ろうとたいしたにぎわいではないなと思っていたら、本当に来客数が少なかったらしい。ちょいと拍子抜けですが、また明日があります。

 ここは百貨店と違って、袋や包装紙などの用度品の準備はありませんから、自分で用意しなくてはならない。そのために、浅草橋に昨日行って参りました。

20070627 ありましたねぇー!

 なにがって、立ち食い寿司屋 です。

 カミサンと一緒ですから、入るわけにはいきません。彼女をそんなところに連れて行く趣味は、私にはありませんのでね。

 それにしても、なにも変わりない外観であります。

20070628153519  東京ドームのレフトスタンドの一番奥に、私どもの店はあります。

20070628161227  一塁側のスタンドは、お客様や我々が寛げるようになっておりますので、休憩ついでのワンショット。左側の一番奥が紺邑ですが、見えるわけもない。それにしてもなんたる規模か!

 辛いこともある。

 氷川なにがしという演歌歌手のコーナーがありまして、そこでライブパフォーマンスがあるのです。それが、氷川なにがしの所属事務所の、普段出番のない歌手のうなる演歌の声が、会場中に響くのです。きっと、タイアップなのでしょうが、上手いとか下手とかいう問題ではなく、音が大きすぎて、お客様と会話が出来ないのですね。

 我慢の一日でありました。

 お馴染みの方は、ご連絡いただければ招待券を用意しますので、ご連絡下さい。
 一興ですよ。

2007年6月27日 (水)

東京ドーム

 明日から東京ドームで開かれます「東京お宝市場」というイベントに出展いたします。
 http://www.tokyo-dome.co.jp/index.htm

 東京ドームのイベントには、「東京国際キルトフェスティバル」と「テーブルウェアーフェスティバル」と「東京お宝市場」と三つあるようです。

 そのうち、お宝市場が一番新しいらしい。

 初回から誘われていましたが、ずーと断り続け、今回は電車に乗っている時にお誘いの電話を頂き、手帳を見たら空いていたので、ついつい引き受けてしまって、実にタイトなスケジュールとなってしまったという次第。

 身体がぼろぼろですので、見かねたひろ子さんが、展示のお手伝いに来て下さった。ドームのアリーナの中、レフトスタンドのポールの前が、紺邑の場所です。

 みんなに聞きますと、大分条件の良い場所らしい。

20070627172239  この辺りは「匠の技」というコーナーらしく、実は他の出展者に比べ、大分条件が良く、それに広く会場を頂いてもいる。それはそれは真にありがたいことなのであります。

 ですから、余りわがままは言えませんが、それにしても、事務局は一塁側ベンチの真裏にありましてね、レフト外野のポール際の紺邑の場所からそこまで、何度往復した事やら。

 荷物が届いているから取りに来い。
 ミーティングを行う。
 電源の申し込みに来い。
 ハンガーラックが一つ壊れているから代えて欲しい。
 カード決済の機材を取りに来い。
 ハンコが必要だ。
 荷物受け取りの後のサインをしに来い。
 在庫と空箱をストックヤードにしまうための台車を取りに来い。
 開催後の売り上げ振り込みの書類を提出せよ。

 これで9往復だが、荷物を運ぶだけで、実は4往復しているので、それを加算すると14往復と言うことになる。その上、在庫を台車に乗せて、スコアボードの真裏にあるストックヤードまで運んだ。

 結局私は、飾り付けは一切出来ず、カミサンとひろこさんと二人に任せっきりでしたが、それでも身体は悲鳴を上げております。

 終わってからデニースで、三人でビールをたっぷり頂いている間、私はホテル探しで携帯をいじりっぱなし。明日朝、9:30から朝礼を行うというので、帰れなくなってしまったのです。凡そ2時間探して見つかったのが、東京ドーム目の前のホテル。今そこでこのブログを書いています。

 とにかく、ひろ子さんには有り難うございました。
 あなたがいなければ、私は今頃倒れていたかもしれません。

 それでも、東京ドームの裏側を見られる機会などそうはありませんでしょうから、それはそれで楽しいものでした。ひろ子さんもそうおっしゃって下さいましたね。

2007年6月26日 (火)

井戸

 鹿児島が終わりまして、朝一番の飛行機で帰って参りました。

 普通こんな早い時間(8:10発)のフライトなど取らないのですが、多分、この時期工房建築で何かあるだろうから、一刻も早く帰れるように予約したのでしょう。って、私がしたのですが、旅割りで随分前のことで、忘れてしまったのです。

 ちょうどお昼に帰って参りまして、くたくただったのですが、気になる閑馬へ行って参りました。何が気になるって、井戸水です。

20070626140042 思ったよりも大きなポンプが設置されていていました。

 水質検査の結果を見ましたが、実にすばらしいようです。大満足也!

 雑菌も臭気も無く、予想通り、生活排水の影響も皆無でありました。

20070626140103   カミサンが飲んでいますが、美味しい水で、水量も豊かです。

 もちろん、私も飲んでみましたが、これまた大満足。

 現在の藍甕も、この水を使っております。

 夕方、待ちに待った歯医者へ。
 こんな気持ちは生まれて初めてですが、診ていただきましたら実によろしい。

 良い先生に出会えたようです。

2007年6月25日 (月)

鹿児島通信vol.2

 鹿児島が本日終了で、2週間の九州の旅が終わります。

 17時に終了なのですが、荷物の返送が、私だけ日にち指定のため、みんなと別便なので、18:00までに出荷しなくてはならない。そのために、担当の女性二人が着きっきりで片付けの面倒を見てくださり、なんと17:15に終わって、その荷物を今度は男性の担当者が、別棟の物流センターまで、台車に乗せて運んで下さった。

 山形屋のかつてのホスピタリティーを思い出しました。

 10年ほど前、親父殿と母上が初めて山形屋に出展し、帰って来て感動しきりで私に、「今まで業者に一番親切なデパートは八木橋だと思っていたが、山形屋はすごかったぞ!」と言う。

 当時二人は、日本全国車で歩いておりまして、鹿児島もフェリーを利用しながら行った。私も同じ事をしていたのですが、初めての所は、搬入・出、駐車に大変労力も気も使う。それを、担当社員が何からなにまで面倒を見てくださったらしい。

 懇親会の席上、親父殿が「一言言わせて欲しい」と手を挙げまして、その感動を社員と職人達に伝え、お礼を改めて申し述べたそうですが、それが未だに語りぐさになっているとのこと。そのこともあって、二人が亡くなったとき、懇親会で黙祷をして下さったそうです。

 当時は夜7時閉場で、夜の時間がたっぷりととれたので、夕飯もお酒も楽しめたものですが、今では8時まで営業。くたくたになって何も出来ない旅となっております。

 

2007年6月24日 (日)

写メール

Photo2今日は閑馬に長女が来て、内装の壁塗りをしているらしく、写メールが入りました。

しかし、画像が悪くて、どちらが誰やら、どこで何をしているのか、よく分かりません。

 

 

Photo1_2工房も足場がはずれました。
私はその姿を、初めて見る。

手前がアトリエと言いましょうか、ショップ件事務所。
その奥のシャッターのところが染め場。

2階の波打っている屋根が階段室と風呂場で、その前はテラスになっていて、パーティも出来そうな良い感じです。

 
 

その奥が部屋になるわけですが、多分、そこの壁塗りをしているのでしょう。

 

そろそろ手作業が始まります。
 
まぁ、ログハウスを自分で作るわけではありませんから、何とかなるでしょう。

井戸水の検査結果も、大変良い水だったという、大変うれしい報告も受けました。

多分、遠く日光辺りの雪解け水が、何百年も掛けて、閑馬まで届いているのではないでしょうかね。

そんなことを想像するのも勝手なことですが、そう思えば、井戸水もよけいに美味しくなると言うものでしょう。

これで、工房も我が家も、水は全て、この井戸水でまかなえることが出来ます。

建物の完成は、多分七月半ば過ぎになるでしょうが、染め場だけは、早めに開業する予定です。染屋が染められないことは、死活問題ですからね。

水もあり、場所もあり、甕もあり、藍もあって売り場があれば万全です。  

七軒町の時のことを思えば、どんなことも夢のようですが、これは来た人にしか分からないことだな。

トイレがあることだけでも、すばらしい事ですのでね。

今日はもう一つ、名古屋の岡村さんからも、歯を心配してメールを頂いた。

高江さんのブログでも紹介された、「歩く伝統工芸」のお嬢さんです。

ブログを読んでいただいているようです。

有り難うございました。

今日もお腹いっぱい、夕飯を頂けました。


せっかく痩せたのに、戻りつつあるみたいな気もしますが、久しぶりにあった職人達からは、「あれ!痩せました?」と言われていますから、まだ大丈夫でしょう。

2007年6月23日 (土)

灰汁巻き(アクまき)

 鹿児島に「灰汁巻き」という食べ物があります。台湾のチマキに似ていますが、木灰の灰汁(アク)を使って作るから「灰汁巻き」で、それが、藍建てに共通するのです。

 灰汁に漬けておいた餅米を(一晩とも10時間以上とも言う)、これまた灰汁に漬けておいた竹の皮で包み、それを麻糸や竹の皮から作った糸で縛り、灰汁で3~4時間炊くと、餅米が、煮られることによって吸水し膨張し、それが、頑丈な竹の皮で包まれていることによって、餅米自らの膨張圧力で餅化するのだそうです。

 味は、それだけでは無味に近いので、白砂糖や黒砂糖、きな粉・砂糖と若干の塩、黒蜜、蜂蜜をふりかけたりするのが一般的な食べ方らしい。
 灰汁ですから、多少のえぐみが感じられますが、私は、砂糖いっぱいのきな粉をたっぷり付けて食べるのが好きですね。

 灰汁で炊くのですから、今で言えば、ミネラル類が多く含まれるアルカリ性食品ということでしょうな。これが人間の健康維持に役に立つわけですが、藍の微生物にも同じ事が言えるから、藍建てに灰汁を使う。

 灰汁の原料には樫の木の灰が上等とされるのも、それに含まれるミネラル分の問題なのですが、これも、人間の知恵というものだと思いますね。
 因みに紺邑の藍も、現在は樫の木の灰を使っております。

 いつ頃から食べられていたかを調べてみますと、どうも、関ヶ原の戦いか、秀吉の朝鮮出兵の時に、日持ちする兵糧として作ったといわれているらしい。
 また西南戦争の際には西郷隆盛が保存食として持参しており、これを機に、薩摩藩外の宮崎県北部や熊本県にも広く普及することとなったと、物の本には書いてありますね。

 紺邑の、東京近郊における販売のお手伝いをしていただいている花地さんの出身は宮崎県でしてね、時折灰汁巻きを作って下さるのです。

 また、灰汁をよく知る所ですから、鹿児島で藍建てを説明するのは、実に易しいのです。そう言う意味では、説明していても疲れませんね。

Photo_83 これが紺邑が使っている「灰汁」です。

茶色い事に注目していただきたい。

どうしてかという話は、いつか致します。

2007年6月22日 (金)

鹿児島通信vol.1

 昨夜は懇親会がありまして、疲れている上に寝不足で、そこに酒が入ったものですから、文字通りバタンキュウで10時前に寝て7時まで寝てしまいました。感動的だったことは、ローストビーフが食べられた事。久々の肉でした。

 外は雨。昨年は梅雨明けに来たのでものすごい暑さでしたが、今年はまだ梅雨の中で、比較的過ごし易い感じです。

20070621163028  昨日、晴れた日の山形屋の屋上から撮った桜島です。

 どうも右側から噴火している様子です。

 北陸の傘屋は、鹿児島は傘は売れないと言う。
 何故なら、灰のお陰で傘が傷むために、高い傘を使う人が少ないらしい。
 
 私の紹介で、中島さんがいらしていますが、やはり苦戦中。
 ちょっと責任を感じております。

 そんな私も苦戦中ですが、長崎よりはましですね。今日もお客様は二人だけでしたが、それでも、長崎における一週間の売り上げの半分が出来ちゃった。良い方に出会えたという事でしょう。

2007年6月20日 (水)

長崎から鹿児島へ

さて長崎は終わりました。
珍しいことは、藍染が2社出展していたことです。

2007_0619 大分の多田君がその人。

 ご両親は随分前から存じ上げていますが、彼とは最近の付き合い。

 看板には「藍染」と「宝珠染」とありますが、後者に関しては未だに何か分かりません。

 同業故、詳しく聞くわけにも参りませんし、普段は忘れていることでもありますけれどね。

 東京には共通するお客様もいらっしゃって、噂だけはいつも聞いておりました。この長崎だけで、同じ売り場に立っております。

 彼は親孝行を絵に描いたような青年です。
 ご両親も、私が挨拶に行くと、ニコニコとすばらしい笑顔で迎えてくれる。
 これは同業として実にありがたいな。
 お父様のパワーには、昔から感心をしておりましたが、お元気でいて欲しいものです。

 終了後、鹿児島へバスを仕立てて移動いたしました。
 総勢18名。
 大型バスという話でしたので、ゆったりと移動できると思いきや、現実は厳しく、マイクロバスの小さなやつを駐車場で見てがっかり、乗ってギュウギュウ。

 19:30に出発し、0:30鹿児島着。
 降りたら首が痛い。

 何とかお風呂に入り、寝たのは2:30で6:00に起床し、搬入飾り付けをして20:00まで山形屋でお仕事という、年齢にしてはタイトなスケジュールをこなしました。

20070620181738  昨年と同じ場所で同じ広さ。
 ここで実演をやっていたのですから、ちょいと窮屈です。

 今年は実演用の甕が建たず、持ってきておりませんので、販売にはまあまあと言うところでしょうか。 

25日まで鹿児島山形屋1号館6階におります。

2007年6月18日 (月)

看板と新作

2007_0616  遅くなりましたが、高橋道楽者さんから贈られた「看板」をご紹介させていただく。

 志賀ちゃんが存在に気づいて、じっと見ながら、「字も彫りも良いね」と言ってくれました。

 大事に使わせていただいております。

  

 

 

 

 

2007_0616_1  遅ればせながら、新作も出来上がりました。

 平山さんの織った「和泉木綿」を、足利の吉田さんに手絞りしもらい、半年ほど掛けて染めた反物をつぶして、ジャケットとワンピースにしてみました。

 

 

 

 

  

   

2007_0616_2  ジャケットはご常連に買っていただいたのですが、売れてしまうと、うれしい反面、寂しさもあるのが新作です。

 

  

  

 

 

 

 

 今日も今日とて、寂しい一日でありましたが、良いニュースもある。
 終了後、思い切ってチャンポンを食べに行った。所はホテルの近く、中華街の出口にある「蘇州林」。ここしばらくは野菜が食べられなかったので我慢をしていたのですが、なんと完食!うれしかったですねぇ。日に日に歯の具合が良くなって参りました。
 

2007年6月17日 (日)

長崎通信vol.2

 今年の浜屋は、どうも変な感じでしてね、お客様に買う意欲が見られません。これは私だけの感覚ではなく、出展者が皆言っております。職人展の世界では、販売の雄である、あの竹家具の江藤さんも言っているくらいですから、その雰囲気は本格的だ。

2007061716
 そんな中、相変わらずの人だかりは志賀ちゃん。
 
 なにせ目の前ですから、写真を撮るのが簡単なのです。

 

 カミサンに電話したら、「そういうことなのよ!」と宣う。つまり、こんな良い時期に、九州に行くこと自体が違うということなのでしょう。

 私も考えねばなりません。

 終了後、新築なったべっ甲細工の田川さんのご自宅に、出展者達20名ほどがご招待いただき、奥様の手料理で大宴会をして参りました。

 田川さんは、京王の時に救急車で病院に運ばれたそうで、その検査の結果を明日に控えているにもかかわらず、大酒を飲んでご機嫌でしたね。

 実は、歯の事情で、ここのところ酒はほとんどやらず、食事もようやく頂いている状況なので、初めは出席をお断りした。みんなから「珍しいね」と言われるほど、こういう事を断ることはない私なのですがね。ましてや尊敬し、仲の良い田川さんですから、尚更のことでね。

 田川さんにも、一度は欠席を了承していただいたのですが、それから二度ほど電話を頂き、「入院するほど悪いんね?」と聞かれまして、「それほどじゃありません」とお答えしたら、「なら出てこんね」と言われ、田川さんにそう言われたんじゃぁ断れませんから出席させていただいた。

 出席すれば、やはり酒も飲む。
 奥様の手料理もすばらしく、美味しく頂けて、やはり、私はこういう事が嫌いではないな。気の置けない仲間達のことですから大騒ぎとなりまして、久々に酔いましたね。

 田川さんには、感謝ですが、この方と私には、様々な思い出がある。
 紺邑の大転機にも、田川さんが間接的に関わっているのです。

 

2007年6月16日 (土)

萬古焼

萬古焼(ばんこやき)の市川寿山先生。

2007_06156 この場合の「先生」は、愛称とも言うべきもので、我々の仲間も皆、先生と呼び、慕われている方です。

お祖父様から始められ、現在お父様とお兄様とご自身の、三人の伝統工芸師が、伝統を守っていらっしゃる。
 
萬古焼は三重県四日市で焼かれる陶磁器で、その名には「変わらずに永遠に残っていくように」という願いがこもっている。

 

  

2007_06131_2作品は、陶壁などの大作もありますが、基本的には急須で、その蓋は吸い付くようで、あつかっているだけで気持ちがよいものです。

その色も、茶渋がつくことによって変化し、えもいわれぬ味わいを醸し出す。

遠赤外線の効果で、水もお酒も美味しくなる。

吸水性が全くなくなるまで焼締める炻器(せっき)ですが、そのためには、粘土から石や砂を全て取り除くのですが、その土作りがたいへんらしい。

その努力があってこその、萬古焼なのでしょう。

 

市川先生の作品の特長は、しゃれっ気かな。

ぐい呑みの中の魚達など。

2007_06133

  

 

 

 

 

 

     

鬼やら狸やら犬やらじいさんばあさんやら何やら。

2007_06132_1

 

 

  

 

   

  
 

 

 

その作風は実に温かく、人柄がにじみ出ています。

月に一度か二度、毎年恒例の所にしか出展しませんから、ご存じない方の方が多いでしょうね。

 

東京近郊では、京王と上野松坂屋の職人展だけ。

京王は5月で既に終わり、松坂屋はこの10月に出展の予定です。

2007年6月15日 (金)

長崎通信vol.1

 長崎におりますが、久々の催事です。
2007_06131  
浜屋という地元の老舗百貨店で、今年開店70周年だそうです。 

第12回だそうで、歴史もありますね。

  

2007_06132

 紺邑の売り場です。

 最初は、博多帯の小森さんの肝いりで始まりまして、トンボ玉のFさんもいらしたことを思い出します。

 

 

  

  
 日本中を旅してきた私が、住んでも良いなと思った町が二つありまして、一つが札幌で、もう一つが長崎と言うくらい、居るだけでリラックスする、私に合った町です。

 数年前まで、開店時間が十時半で、実におおらかでありましたが、今やどこにでもある百貨店と同じ十時開店となってしまいました。結局は十時半までお客様はほとんどお見えになりません。これも、地方百貨店の特徴がなくなった顕著な例ですな。

 お客様もさっぱり少なくなりました。
 隔世の感ありです。

 今年は梅雨の入りが遅くなり、13日だったそうで、毎日毎日雨模様です。そういえば「長崎は今日も雨だった」という歌がありますね。

 この歌は、私がプロになって初めて歌った日本の歌で、ジャズコーラスにアレンジして歌っておりました。それを台湾で歌ったのが先輩達で、それが大流行。台湾の方は今でも親しい歌ではないでしょうかね。私も、19・20の歳の年越しは、台湾で致しました。

 花花公子と言われておりましたが、どんな意味か?と聞きますと、英語で言えばPlay boy何だそうです。

 そんな話もいつか落ち着いてお話ししましょう。ただいまネットにアクセスするのが実に困難な中、書き込んでおります。

2007年6月14日 (木)

樺こぶ細工

通称シガちゃん。本名も志賀ちゃん。
 
2007_0613私の売り場の目の前に居ますが、私はこの男を、「実演の王者」と呼んでいます。

ロクロと木工旋盤の職人。

名人ですね。

 
 

元スピードスケートの選手で、日本代表クラス。

だたし、中学生の頃のお話し。

野球も陸上もやると、今隣に来て、テニスもやって、クラブは八つ掛け持ちしたと言っています。
 
それだけ、田舎に育ったと言うことでしょう。
 

2007_06143 志賀ちゃんの実演は、独楽を作ったりミニチュアの食器を作ったりしていて、見ているだけも楽しく、出来上がった品物も面白いので、いつも人で一杯です。

歳は私より大分若いが、この業界(百貨店催事)ではもう古株で、私の大先輩。
 
百貨店の工芸展には、お父様が難波高島屋に2回目から出ているんじゃなかったかな?だから、三十数年前だ。

 
彼がその跡を継ぎましたが、その頃そんな若手は珍しかったでしょうから、公私両面でこき使われたことでしょうね。
 
昔はしっかりと長幼の序みたいなものがありましたからね。

今じゃ、私が宴会の予約をするくらいだ。
 

2007_0613_2彼は実演で、様々な独楽を作りますが、やはりこれも、単なる実演ではなく、ちゃんと仕事をしているのです。
 
彼の独楽は日本中で売られていますし、引っ張りだこなんですね。

だから、いくつ作っても間に合わない。

それで、出張先でも実演を兼ねて作っているわけで、一挙両得というわけで、これは岩淵さんなんかと一緒ですね。

 

作品は様々。
 
2007_06134 最近は、テーブルなんかも作りますが、やはりこういう器がよろしいな。
 
どれもこれも美しい。

この奥に、柳のまな板があります。
 
最高の品で、ものすごく安いのだが、買う人がそれを知らない。

 

昔、団子三兄弟というのがはやったとき、団子を串に刺した形の独楽を作っていた。
 
それを、五個の団子にしたとき、私はそれを回すのに一年の修行を要し、随分バカにされたことを突然思い出した!

地方百貨店

 夕べは初日で懇親会という忙しいスケジュール。 思うようにならない歯を噛みしめて、我慢の一時間半でありました。

 さて、地方百貨店の特徴が、段々なくなっていると言うことに思いを馳せていると、懇親会の席に百貨店の偉いさんが偶々いらして、そんな話になってしまいました。

 三越、高島屋、伊勢丹、そごう、西武などの大手に属さなかった百貨店には、地元密着ということが合ったのですね。顧客サービスもその上にあった。

 九州大分のトキハなど、社員一人一人がお客様とお馴染みで、皆さん外商員のような感じでありましたし、八木橋など、東京からわざわざいらしているお客様もいらっしゃる。山形屋は日本最難の意識があるのか、我々への待遇もすばらしかった。

 それが、大手百貨店の影響と、コンサルティングでも入れているのか、どこに行っても同じような形式張ったことばかりになり、凡そ特徴というものがなくなっておりますね。そして、リストラと称し、本当に力のある社員が辞めて行き、システムを変革し、きめ細やかな顧客サービスが単一化され、個性がなくなる。

 新幹線や高速道路網が発達した現在、伊勢丹と同じことをやっているなら、近くの大手百貨店に行った方が、それなりのサービスを受けられますから、地元からお客様は離れるでしょうね。       

 様々な百貨店に出展している私は、日々、そんなことを実感いたしますな。残念で仕方ないが、地方百貨店の成績不振は、こんなところにも原因があるのではないだろうかと思うのです。

2007年6月12日 (火)

長崎

九時頃から始まる歯医者さんに無理を言いまして、八時半に診ていただき、抜糸をし、矯正していただいて、またまた楽になりました。

無理を言った理由は、長崎に行かなければならなかったからで、そのためには9時13分発の特急に乗らなければならなかったからです。

お陰様で、無事長崎に到着しております。

浜屋という老舗の百貨店で行われる、「職人の技展」という催し物に出展するためです。

会場は8階の大催物場。

出展者はなじみばかりですが、私が普段付き合っている諸君達と違うグループなので、一年ぶりなんて言う人もいる。

  
長崎は暑いです。そして日も長い。

そのためか、以前は開店時間が10時半だったのに、いつの間にか10時開店と、どこでもある店と同じになってしまいました。

八木橋も同じですが、地方百貨店の特徴が、だんだんなくなってきているようです。

そんな話を、明日してみたいと思います。

 

2007年6月11日 (月)

工房の正式オープン予定

新しい工房の出来上がりが、ようやく見えて参りました。

正式オープンは、7月の後半にしようと思います。

具体的な日にちは、おってお知らせいたします。

熊谷通信vol.4

 毎日カミサンに、車で八木橋までの約35㎞を、一時間ほど掛けて送ってもらっております。行きは私が運転しますが、ローカル線の私鉄電車を乗り継いで、トボトボと通う元気がありませんから仕方ない。

 毎日、食事をどうしようか考えます。

 今日は、隣のいづみちゃんが、お昼は社員食堂で「肉じゃが」を食べたというので、私もそれにしましたが、おじゃがを二つ半、ご飯は一口でギブアップ。それでも、みそ汁は気持ちよくいただけた。
 みそ汁を「気持ちよく」いただけるという感覚は、生まれて初めてです。それも社員食堂のやつですから、余程のことでありますね。皆様、歯は大切になさってくださいませ。

 飲み物は何とかなるので、野菜ジュースと飲むヨーグルトとチョコラBBで栄養補給して、一日をしのぎました。

 夕飯はポタージュスープにマッシュポテトを少々いただき、酒も一滴も飲まずささっと睡眠。ここのところ、毎日10時頃には寝て、7時頃に起きる生活。とにかくよく寝ます。冗談抜きに痩せました。

 カミサンは、「食べることにあまりにうるさかったから、その分の仕返しが来たのよ」と宣う。栄養のバランスにうるさい私でも、そうだったかもしれないと、自分の体型を見て反省しましたね。歯の方はそのうち慣れるでしょうから、神様が下さった強制ダイエットと思い、今の状況に耐えたいと思います。

2007年6月 9日 (土)

熊谷通信vol.3

 朝一番に歯医者へ。
 少々調整していただき少しは楽になりました。

 お昼はようやくカレーうどんを一杯。

 今日の食事はそれだけです。

 夕飯も無理で、結局はバナナジュースを今日も2杯だけ。

 こりゃー、痩せちまいますぜ。

 ブログを書く元気も出ません。
 トホホです(涙

 と言いつつもフロに入りまして、己をじっと観察いたしますと、まだまだ一週間くらいはこのままで大丈夫そうな感じ。

 これはこれで、トホホであります。

 熊谷は昼頃、今まで見たこともないような大雨となりました。
 八木橋のお客様は、自転車が多いので、雨が降りますとお客様はいらっしゃれません。
 ですからガラガラで、これまた、トホホでありました。

 もう寝ます!

2007年6月 8日 (金)

熊谷通信vol.2

 今日は早起きして閑馬の工房に行き、写真を撮ってきました。
2007_06080001  大分出来てきましたね。

 一刻も早くオープンしたいものです。

 色の基調は出来ていて、上品な印象で気に入りました。
 後は細かいところですが、私には想像力とセンスがないので、カミサンにお任せです。

 オープンするには、先ず水ですね。
 井戸水を三日ほど出しっぱなしにして、きれいにするそうですから、待つしかありません。

 高江さんも井戸を掘ったそうですが、掘り当てたときの喜びは、掘った人でなければ分からないでしょうね。

 普通の井戸との違いは、水脈に当たらなければならないということ。家庭用の井戸なら、十メートルから数十メートルくらいでもよいかもしれませんが、それは地下のたまり水で、仕事にはとても量が足りません。

 帰ってきて歯医者に行かねばならないことを思いだした。
 嫌ですが仕方ありません。
 カミサンに熊谷に行ってもらい、私は抜歯。
 
20070608120525  痛い痛い思いをして、熊谷に電車で参りました。東武線で羽生まで行き、秩父線に乗り換えて、「上熊谷」で降りると、歩いて5分くらいで八木橋に着きます。

20070608120647  秩父線は典型的なローカルの単線ですが、SLが走っているので関東では有名。
 上熊谷駅は熊谷の次の駅。
 単線なのに線路が沢山ありますが、手前の複線は高崎線で、上に見えるのが上越新幹線。
 まるでミニチュアのような景色です。

20070608121148  社員出入り口前の「熊谷寺」。
 その謂れは、以前書きましたが、ご存じ源平の物語でお馴染みの、熊谷次郎直実が開祖。

 

歯の痛みに耐え、ようやく一日が過ぎましたが、明日はもう一度歯医者に行って洗浄してもらいます。
 今は一刻も早く、歯医者に行きたい気分です。

2007年6月 7日 (木)

熊谷通信vol.1

 今日から「紺邑・花こすめ二人展」が、熊谷の八木橋で始まりました。

2007_0607burogu 紺邑側から見た会場です。

相変わらず実演が出来ません。

担当の新井の鉄ちゃnはちょいと文句を言いますが、仕方ない。

2007_0607花こすめ側から見た会場。

広いです。

担当はいづみちゃん。

昨日遅く帰ってきて、朝早く車で一時間かけて熊谷に行きますと、さすがに疲れる。
今日は、ゆっくりカミサンの手料理でと思ったら、カミサンも疲れているので、八木橋のデパ地下で、総菜を買って帰って、ただいま夕飯中。

それなりに美味しいところが、八木橋ですね。

2007年6月 5日 (火)

浜松通信vol.7

 浜松の最終日が無事終了しました。

 同じフロアーに「アート・ギャラリー」というのがあって、実はそこで、熊本の「アトリエ伊万里」が、個展を同時にやっていたのです。社長の深川芳子も二日間だけ来ていて、久しぶりにご飯も一緒にしました。

 彼女とは同い年で、昔から気が合い、私の事を「外部営業マン」などという位で、気楽に仕事を頼んでくる。横高や浜松もそうだし、色々紹介した覚えがあるな。そこで初日はごちそうになった。

 「美味しいものを食べよう」と彼女は言い、それが「値段は高くても良いよ」という意味だとは分かるが、私は高いところは知らないので、ちょっとした料理屋に連れて行った。「今度から此処にしよう」という位大喜び。連れて行った私もホッとしました。

 社長が帰った後を守ったのが石井。

 元々はパタンナーで、紺邑創業の時は世話になった。その代わり、マネキンの世話など、細かいことでも私に探せなどと言ってくる。この業界で一番私を使う奴です。でも、世話になっているから仕方ない。

 まぁ、お互い様という事で、私も伊万里には世話になっている。また、こういう助け合いが出来るのも、この業界の良いところでもあります。

 伊万里は4時閉場で、さっさと帰って行った。

 紺邑も6時までの営業でしたが、次の日が熊谷八木橋の搬入ですので、さっさと片付けてヤマトに荷物を預け、後はまたまた飲み会。

 今日からは休肝の週といたしましょう。

2007年6月 4日 (月)

浜松通信vol.6

 昨日までの特商会が終わって、店内は閑散とした様子で一日が過ぎてゆきました。

 来年は日程を変えてもらおうか、なんて思いつつ、終了後、担当の男性三人と一献傾けて参りました。

 年齢を聞くとみんな若いな。

 私の年齢だと、サラリーマンは定年が近い。
 我々の世界では、私はまだ中堅という立場かな。
 一緒に飲んではいても、随分違う世界ではあります。

 商いは低調ですが、こんなものでしょうね。


2_1  染められない辛さを具体的に解決するには、やはり行動しかありません。

 掘った井戸の水が、水曜日に引けそうです。これはありがたいニュースだな。

 とりあえず、ステンレスの藍甕を使い、コンクリートの方は、アクを抜くのに相当な時間が掛ると思っています。

 水は染めの命ですからね。

 それに、129mも掘った井戸水ですから、飲む楽しみもあります。
 大分元気が出て参りました。

 井戸の話をカミサンと電話でいたしまして、切ろうとしたら「ハネケンが死んだね」と言う。驚きました。ハネケンとはピアニストの羽田健太郎さんのこと。

 私の青春時代、東京中野の友達の家が、友人達のたまり場だった事がある。集まった連中は、役者や大学生や音大生など雑多で、その中にハネケン氏が居たのです。

 その家主は高校の同級生で、私がちょっとだけ所属した音楽部で知り合った。彼は一年の途中で、桐朋学園に転校していき、そこの先輩が羽田さんだったわけですね。数年前に亡くなりましたが、天国で再会し、青春を取り戻しているかもしれません。

 ご冥福をお祈りします。
 

2007年6月 3日 (日)

浜松通信vol.5

 一日一日が何気なく過ぎてゆくようで、どうも困ったものです。お客様も沢山入り、それなりではあるのですが、一番の原因は、染めが思うように行かないことにあるのだと、自分では考えております。

 旅先から風間君に指示はしていますが、藍の様子は簡単には分かりません。出来れば帰って手入れをしたい。そんな気持ちもある。

Buroguyou_1  現状は約1000㎏の藍甕が一つだけ。代わりがありませんから、建て替えるにはいかない。
 良い方法は思いつくが、何せ遠くにおりますので、電話だけでは隔靴掻痒の感があるのですよ。

 染め屋が染められないことほど、辛いことはありません。

 染め場を作っていて、そこに越せば良いことなので、先に希望があるから何とかなるが、実生活上も商売上も、ちょいと困らなくもないな。

 先々の販売スケジュールを見ると、ため息が出て参ります。何せ、藍建てには時間が掛りますので、越せば直ぐに染められるわけではありませんからね。

 藍染の一番売れる季節ですから、一刻も早く、染め場が出来上がって欲しいものです。

2007年6月 2日 (土)

浜松通信vol.4

はてさて、平穏無事なる一日でありました。

天気は晴れ。

朝早く起きて、ローソンで朝食。
オレンジジュースを一杯やって、目玉焼き二つ、ベーコンとサラダでご飯。
最後にコーヒーをいただいて750円。

いつもより早めに出勤し、珍しく朝礼にでて、課長の話を聞く。

淡々と一日は過ぎ、夕飯を駅の札幌ラーメンと餃子とビール。
これだけが無事ではなく、腹が減っているのに残し、ホテルに帰って歯を磨くほど。

ゆっくりフロにつかり、後はただ寝るだけ。

日記でしたm(_ _)m

2007年6月 1日 (金)

浜松通信vol.3

 お約束通り、元担当のバスケこと北野と、前担当と前担当の上司と四人で一献傾けて参りました。

 北野は大酒飲みだが、移動になってからは、その部署で毎朝お酒の検査があって、最近は自粛気味であるとか。周り人たちも飲ませないようになっているようで、真に健康的でよろしい。

 しかし、土日と連休らしく、今回は沢山飲んでいましたね。

 食事が終わってカラオケでもやろうと、知り合いのお店に行けば、親父殿と母上がお世話になったMさんがいらして、また大騒ぎ。

 例の如く、北野が私に絡んできたので、最初の出会いを思い出して、彼の歌にハーモニーを付けてデュエットしてやりました。
 私はプロですから、あいつの歌い方と声の出し方に合わせることが出来る。ただ、あいつは素人だからフラットするのが玉に瑕なんですな。

 私と前担当は、そこで終了。バスケはどこかに繰り出したらしい。

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