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2007年7月

2007年7月31日 (火)

工房オープン前日

 明日工房オープンという日を迎えました。
 時は平成19年7月31日。
 我がカミサンの誕生日。
 私が親父殿の工房を辞めた日でもあります。

2007_0731731_2  工房のオープンとは、染め場の仕事と会社機能を閑馬に移行する日でありまして、ショップは19日オープンとなります。

 これが染め場ですが、まだまだ整理がついておりません。
 左に丸甕、真ん中がステンレスの主力の甕、右の水の張っているのがコンクリートの甕です。

 藍染めは、染められる液が出来るまでに一週間以上掛かります。
2007_0731731  先ずは一週間前に、ステンレスの甕を仕込みました。
 灰の灰汁だけしか入っておりませんが、すばらしい建ち方です。七軒町ではこういう建ち方は一度もありませんでしたね。私も風間君も驚くくらいですから、ありがたいことです。

 これからかさ上げいたしまして、多分早めに染められることでしょう。

 それにしても、何故こんなに良い状態なのだろうかと思いますね。考えられるのは、水の違いでしょうかね。閑馬の水は実に旨い。

 準備をお手伝いしてくださる方は皆さん、ペットボトルに水を入れてお帰りになります。ご飯もお茶もコーヒーも、全く違うお味になるとか。お遊びにいらっしゃる方も、是非ペットボトルご持参下さい。

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 まだとっちらかっておりますが、ここがショップになります。

 テーブルもやっとそろえたところで、まだまだ時間が掛かりますね。

 それでも帰る頃には、だいぶ出来上がっておりました。

 

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 紺邑二態といったところです。

2007年7月30日 (月)

スパゲッティ

 工房移転の為の雑務をこなし、一路府中に向かいました。

 新宿で京王線に乗り換えるのですが、京王百貨店で「若手工芸職人展」なるものをやっているので、ちょいとご挨拶に。なんで若手なのか分からない職人もいましたが、皆さん気持ちが若いのでしょうね。

 実は私も一度、このイベントに参加したことがありまして、搬入で会場に入って行くと、本当の若手から「何で大川さんが若手に来たんですか!?」と大ブーイング。それにもめげず販売しておりますと、何度もお客様に説教をされる。曰く「ねぇあなた、私は色んな藍染の作家や先生を知っているけれど、難しい仕事なのよ!」なんてね。相手はお客様ですから大人しくお話を聞くしかない。

 なんでこんな目に合わなきゃならないのかつくづく考えましたら、こちらを「若手」として扱っていらっしゃるのですね。だから親切に教えて下さったのだとふと気がづきまして、それ以来出展しておりません。もっとも、呼ばれなくなったのでしょうけれど、それも仕方ない。

 京王百貨店には9月の終わりに出展いたします。場所は6階の「スペース匠」という場所ですので、是非お越し下さい。

 さて、府中に18:00ちょうどについて、お手伝いの花地(かじ)さんと交代。それまで暇で、お客様一人だけだったらしいのですが、おしゃれな初老のご夫妻が偶々お見えになり、比較的大きな買い物をして下さった。

 伊勢丹にはIカードというのがあって、割引が出来る。それも催事場で使える珍しいもので、伊勢丹が勝組だというのも、これまた分かるのですが、このお客様は現金でお支払いなさった。「Iカードはお持ちじゃないのですか?」と聞けば、京王百貨店のお得意様でした。京王にも出店していて良かったという一コマ。

 仕事が終わり、鍛冶屋と真珠屋と老舗べっ甲屋と連れだってスパゲッティを食べに行きました。外に出ると大雨!鍛冶屋が場所を知らないらしく、電話で聞いている。それがいい加減で、大雨の中を傘も差さず、あっちに行ったりこっちに来たりしても分からない。結局は真珠屋の泊まっているホテルのすぐ側だと解り、びしょぬれになって飛び込んだ。

 スパークリング・ワインだキャンティのクラシコだと、生意気なものを飲みながら食しましたが、酒が入りましたので声が大きくなる。幸い他にお客様がいらっしゃらなかったので、お店に迷惑は掛けませんでしたが、他の三人には迷惑を掛けたかもしれない。

 なぜ「かもしれない」と言うかといえば、覚えていないのですよ(^^;)
 最後は、政治の話か日本の戦後について語ったような気がします。

 因みに、スパゲッティをパスタと最初に呼んだのは伊丹十三氏でありました。この人はカレーも作っていましたが、我が家と同じ苦労をしていたらしい。それは当時(三十数年ほど前)、スパイスが手に入りにくかったのでありますよ。カレーの話とウナギの話をいつかしなくちゃなりません。

2007年7月29日 (日)

選挙とサッカー

 工房移転の雑務が沢山あった為に、一度家に帰って参りました。
 ついでといってはなんですが、参議院議員選挙の投票もしてきました。

 仕事が終わってから帰ろうと思ったのですが、最近年のせいか早寝早起きなので、府中に泊まり朝早く家に帰ることにしまして、鍛冶屋と寿司をつまんでから、サッカーを見ることにしました。

 日本が韓国に負けた。
 いや、正確に言えば、引き分けてPK戦に負けた。

 残念ですが、どうも今の日本代表の試合はつまらないな。夢が感じられませんし、サッカーの面白みが伝わってこない。まるでアマチュアのチームの様だと感じます。
 監督が元共産圏の人ですから、多分プロという存在の意味が分からないのではないかと思いますね。

 それでも日本代表ですから、応援はします。

 因みに私のサッカー歴は中学生の頃からです。ペレ、エウゼビオなんかが現役の頃。
 日本リーグが出来てからは、三菱重工のファンで、それも左ウイングの杉山が贔屓でありました。その延長線上で、浦和レッズのファンで、贔屓は小野伸二。

 三菱とヤンマーの試合は、国立競技場に欠かさず見に行き、カミサンとのデートにも使いましたね。やはり釜本はすごかったな。私の四十数年に渡るサッカー歴の中で、日本には釜本以上のFWはいませんね。

 ただのつぶやきでした。 

2007年7月28日 (土)

府中通信

 伊勢丹シリーズは、松戸→浦和→府中→吉祥寺→立川と続くのですが、紺邑は浦和から始まっています。

 ですから四週間の催事となるわけですが、移動はチャーター便だし、六日催事で必ず搬入は昼ですからゆっくり出来て身体に無理もなく、経費もかからず、実に合理的ですね。
 
 売り場には男性の姿はほとんど見えず、女性達がこまめに働いて気持ちがよい。

 噂やデータによると、伊勢丹の利益率は非常によいらしく、小売業界ではいわゆる勝ち組に入るそうですが、さもありなんと感じます。これでお客様が沢山入ってくだされば言うこと無しですが、そうはいきませんね。
 

 昨日は水晶の大森君と大島紬の城(きづき)と三人で夕飯。二人は飲みませんから、お食事中心と言うことで中華にしました。店を探すのも大変ですから、デパートの食堂街。

 私が生ビールの中ジョッキ一杯、城がグラスビール一杯、大森君は熱いウーロン茶で頂きましたが、驚いたことに旨かった。ちゃんとした四川風のお味。マーボー豆腐なんてのも、山椒の香りと辛さが程よくて気持ちがよかったですねぇ。

 彼らとの付き合いも長くなりましたが、最近は私が高島屋の伝統展に出展しませんから、会う機会が随分減りました。

 城は奄美大島の「あまみ屋」という織り元の主人。機を織るのはお姉さん。叩き上げの苦労人です。今では大島紬の人たちが盛んに催事に出るようになりましたが、昔はこの「あまみ屋」一軒だけしかいなかったのです。プロ野球界で言えば野茂のような存在だな。

 大森君は老舗の水晶屋の社長で、大学卒業後アメリカに留学したというお坊ちゃま君。お祖父様は山梨の水晶業界の重鎮。ご健在のお父様もそうですが、某有名大手企業の監査役でもあり、その跡取りとして奮闘中だな。大森水晶も、催事に出展した業界最初のお店で、その点も「あまみ屋」と同じだ。

 この二人の事は、付き合いが長い分、思い出が沢山あって書ききれる物ではありませんが、大島紬と水晶の世界では、私がその品質に一番の信頼を置いている存在でもあるのです。ですから、結局は売り上げも良い。お祝いも頂きましたが有り難うね。

知足安分

Konyurogo  紺邑のホームページにあるロゴです。
 人形の小島のおじさんがこれを見て、「すごい字だねぇ、驚いた」と言って下さった。

 和尚に書いてもらったのですが、道楽者さんにも看板にしていただきました。

 和尚は名人だと思いますが、その和尚が「親父にはトテモ適わない」と言うほど、先代の字はすごい。和尚の部屋には、その先代の「知足安分」の文字が掲げられております。

 「本分」などと生意気なことを書きましたが、ついでといっては何ですけれど「足を知る」と言うことも戦後忘れてきたことだし、それによって「分に安んずる」事もですね。格差問題など、その典型だな。

2007年7月27日 (金)

本分

阪神と阪急、松坂屋と大丸が一緒になり、今度は三越と伊勢丹ですね。

大銀行が合併する時代ですから、小売業がそうなるのも何の不思議もないことなのでしょう。

 

そんな時代に、「我々職人は、本分を全うすることしか出来ません」と申し上げましたが、「職人は全うできる本分を持っている」とも言えますね。

これがありがたいことなのだな。

終戦後、経済成長を目指し、日本は金儲けばかりしてきたような気がします。

そんな話を、大森君と城(きづき)とお昼休みに致しました。

その経済成長は、戦前・戦中の人たちの力に寄って為されたことだけれど、そんなことはすっかり忘れ去られておりますね。戦前の歴史だって同じことだ。

先の大戦ですら知らない子供達がいるし、「ハルノート」の存在も知らず戦争を語り、「盧溝橋事件」は語っても「通州事件」を知る人は少ないな。

ご存じなければ試しにネットで検索なさってご覧なさい。

 

さて、職人の「本分」とは何か!?

紺屋は藍染をすることだし、鍛冶屋は刃物を打つことだ。

そして、より良い物、より本質的な物を作ることに努力をする。つまり修行ですね。

小売業の本分とは何か!?

物を売ることだ。

そして、よりよい物をお客様に提供する、つまり、物を見る目、仕入れる力、売る力を付けなければならない。

これも修行が要るな。

それを、戦後は忘れ去って来てしまった。

そして、目的のない金儲けに走り、本質を失い、気づけば自分の存在の本分すら見えない、または無くした。
 

日本人は、歴史を「鏡」としてきました。
 

人は前を向いてしか生きられません。

しかし、歴史を振り返ることは出来る。

振り返ると、前を向いてしか生きられない自分に、日本人に出会い、語り合うことが出来た。

そこに様々な気づきがあり、だからこそ日本人は、己を失わずに生きてこられたのだと、私は考えるのです。

それこそ、極東のちっぽけな島国が、世界に冠たる経済大国に成れた由縁でありましょう。
 

しかしこれからは、己を失った連中の時代になってくる。

これまたつまり、「本分」を失った連中の時代と言うことだ。

これが怖いことなのだと、私は考えるのでありますよ。
 

今の政治的世論なども、まさしくそれを表わしているようですが、ブログでは書きにくいことだな。

戦前のそれも然りなのだが、これも知る人は少なく、知ってもらうと困る人は多い。

 
日本人が日本人であることを取り戻せる時代が来る事を、願って止みません。

そのためにも、職人としての「本文」を尽くす所存です。

飲み会

 昨夜は久しぶりに飲み会。

 鍛冶屋に真珠屋、ガラス工芸作家、越前竹人形作家、熊野の筆屋の若旦那に、出口で出会したブラシ屋の新人と鼈甲細工職人を加え、総勢8人の大宴会。

 真珠とガラスがこまめに面倒を見てくれて、気楽な楽しい一時でありましたが、皆、ブラシ屋の新人に売り上げが負けているという、情けない成績でもあったらしい。

 私が一番の年上だったな!
 そういう時代なのでしょうが、若い者が良く付き合ってくれました。

 私の独演会となると思いましたが、そうでもなかったような気がします。
 あまり覚えてないのですよ(^^;)

2007年7月26日 (木)

陳列

 さて昨日は、朝早く起きまして、仕上げた振りした飾り付けの続きをやりました。ところがです、やはり想像力が働かない。でもやらなければならないからやっていると、お手伝いの花地(かじ)さんが、朝早くから来て下さった。
2007_0725

これ幸いと、棚の陳列を任せたら、きれいな売り場となりましたね。

でも、前面につるされているのは、私がした仕事。

全部駄目なわけじゃぁーありません。

 伊勢丹と三越が提携するというニュースがあったらしい。

 昨年の八月、京都大丸に出展していた時、やはり松坂屋との提携の話がニュースになった。社員も寝耳に水だったらしいのですが、上司からは「そういう話は一切無いから、動揺せず仕事に励むように」と言われたらしい。しかし、提携、いや経営統合が現実となっていますから、この話も、火のないところに煙は立たぬと言ったところでしょうか。

 我々職人は、本分を全うすることしか出来ません。

2007年7月25日 (水)

府中搬入の日

 搬入の日、午前中は地元でバタバタと忙しくお仕事をこなし、お昼過ぎに電車に乗って三時頃に府中に着きました。

 驚いたことに、大島紬の城(きづき)大先生がいる。挨拶回りしていると、なんと水晶の大森君もいるではないか!その上、鍛冶屋までいやがるという賑やかさ。よくよく見ると、すごいメンバーがそろいましたね。

 しかし私は最近、染め屋のくせ即物的な社長業の方が多くて、クリエイティブな創造的な事に想像力が生まれない。つまり、店作り(飾り付け)が全く駄目。

 鍛冶屋が「夕飯はウナギです」というから、早めに仕上げたことにして、二人でウナギやへ。
 ウナギ尽くししに、ビールと焼酎をたらふくやっつけました。

 最後の鰻重に難ありといえども美味しく頂き、鍛冶屋に白焼のしっぽを先に食われたけれど、満足して店を出たらまだ明るい!こんな事は久しぶりで、その贅沢な時間をくれた鍛冶屋に感謝だな。

2007年7月24日 (火)

工房のオープン

 毎日バタバタと忙しく過ぎてゆきます。

 工房のオープンを八月一日にしましたが、それでも、排水の工事だなんだとハッキリしないことが多く、ようやく昨日、灰汁取りを始める事が出来た。

 染め場は仕事が出来そうですが、ショップといいますかアトリエの方は、完成とは行かない様子です。

 急いで急いで無理矢理オープンして良いのだろうかと、疑問がわいてきた。

 じっと考えましてね、染め場のオープンを八月一日に、ショップのオープンを八月一九日にすることにしました。

 そう決めましたら急に心が落ち着き、身も心もさわやかであります。

 詳しくは、ホームページ上で発表したいと思います。

2007年7月23日 (月)

出会い 2

売り場の向こうから、どうも知った顔が歩いてくる。

東京の頒布屋の老舗HOSONOのお人。

ネット上のハンドルネームは「四代目」!

 

型染めの藤本君に紹介されたネットの世界を歩いておりましたら、私のページにいわゆる「足あと」なるものが残されておりまして、そこに「四代目」とあった。

彼を追いかけて行くとどうもHOSONOに行き当たる。

きっと彼なんだろうな?と思っていたところに、その「彼」が現れたのです。

 

私に挨拶に来て下さったらしいが、「君の住まいは何処?」と聞くと、その答えはネット上のプロフィールに合致する。

「君、ひょっとしてこの間僕の所に来なかった?」と聞けば、やはり「四代目」でありました。

これは実は一昨日の出来事。


昨日は、別のネットの世界で知り合った方がお見えになった。

女性ですが、藍染や職人とは全く関係のない世界。

様々にお話ししましたが、さて、この出会いの意味は何でしょうか?

そう考えるということは、どういう事か!?というお話が主でありました。

読んでいる人は、訳がわからないでしょうね。

 

出会いといえるかどうか分かりませんが、企画会社の藤田君が、「いつか大川さんがお話ししていたフルーティストは赤木りえさんですよね?」と言ってきた。

「そうだがなんだい?」と聞くと、浦和に来ますね、という。

20070721181852 浦和伊勢丹の同じ7階にあるホールで、ライブコンサートがあるらしい。

「ポスターが出てますよ」と藤田君が言うから、写真を撮ってきました。

お近くの方は是非彼女のフルートをお聞きになって下さい。

フルートという楽器のイメージが変わりますぜ。

 

メールも入ってきました。

サルサの女王、ディーバノリコからです。

日本橋の時に会おうと言うことだったのが、彼女も忙しく忘れたらしい。

それで、この伊勢丹シリーズのどこかで会いましょうと言うことになった。

赤木りえともう一人の変な女を連れてくるとか。
 
私も覚悟して待つことに致します。

2007年7月22日 (日)

出会い

 三日ぶりに売り場に立ちましたが、やはり休むと違います。元気はつらつでしたし、その分成績も良かった。私の座右の銘は「努力」ではあるけれど、休む勇気も必要ですね。

 さて、沢山の出会いのあった日でした。

 朝一番のお客様が私の前に立ち、しばらくお話ししている内に、「お父様とは銀座で一緒だったのよ」とおっしゃる。親父殿が銀座に居たのは、昭和20年の頃、60年も前の話だ。
 戦後直ぐ、エンプレスベッドという会社に入り、ベッドを進駐軍なんかに売ったりしていたのですが、その会社が銀座松坂屋の裏にあったのですね。
 そのお方は、どう見てもそんなお年に見えません。

 「あのー、それはエンプレスベッドの事でしょうか?」とお聞きすると、「そうよ」とおっしゃる。
 「主人もエンプレスに務めていたの」とお年を聞けば、ご主人は80歳を超え、ご自身もそれなりのお年。しかし、お若く見える。
 商売相手がアメリカ人ですから英語が必要だったわけで、終戦直後に新橋に出来た「リバティ」という英語の学校で一年間勉強して就職したらしいのです。そんな話をお互い問わず語りに致しましたが、実に驚きましたね。

 売り場の一番前に置いてある人体に着せたベストを、じっと見入っている男性がいた。ピンクのポロシャツを着ていらして、それに紺邑の「青」が良くお似合いになりそうな方。
 ご試着していただいたらよく似合う。
 「とにかく来たばかりだから他の物も見せてください」とおっしゃるから、出来たばかりのシャツをお着せすると、「こんな着心地は生まれて初めてだ」と言って下さった。
 そして、「私は竹のバッグを持っているのだけれど、そこも、見ているだけで気持ちがよいのですが、そう言う体験と似ている」とおっしゃるから、「何処の竹籠です?」と聞けば案の定、「大分の」となった。オンセのお客様だ。
 もちろん、最初にご覧になったベストをお買い上げ。きっと長いお付き合いとなるでしょう。

 ちょっと体格の良いご夫妻。
 大きな新作のケープをお気に入り頂き、ご主人のシャツとアロハも一緒にお買い上げ頂いた。その後、「お宅は何処の藍染?」と聞くから「佐野です」と答えると、「厚生病院のお近く?」とまたご質問。
 厚生病院の何代か前の院長は、私の畏敬する柿沼先生だったので、その話をすると、「是非一度工房をお訪ねするわ」となって、またまた長いお付き合いが出来そうなお客様。

 そんなことがあって一段落していると、何か変な気配が売り場に漂う。
 ふと見ると、東急の津田さんが目の前にいるではありませんか。
 この人は神出鬼没だな。
 火曜日に名古屋であったばかり。
 一昨年は、鹿児島でお会いした。
 11月にお世話になりますが、又その時にこの方のお話をしたいと思います。
 直ぐ知りたい方は、高江さんのブログをご覧下さい。
 一言だけ言えば「変な人」で、サラリーマンとして、百貨店催事担当者として不思議な存在だな。

 「犬も歩けば棒に当たる」と言いますが、歩かなきゃ棒にも当たらないと言うのが私の常なる言い草。まさしくその通りの一日でした。

2007年7月20日 (金)

草刈りと織機の「邑」

 そろそろ工房オープンに向けて準備が始まりますが、何せ手元不如意につき、出来るところは自分でやらねばなりません。

 ところが、何を思ってか、お手伝いくださる方がいらっしゃる。
 蝋燭に押し花をなさる村井さんがその人。
20070709145018  携帯のカメラだから見えないでしょうが、遠くの草むらで草を刈っているのが村井さん。

 久しぶりにお会いするのですが、私が草むらに入っていったら「いらっしゃい!」ですって。

 ここが我が庭のように愛情込めて手入れをして下さっています。
 理由はと言えば、ご自分の仕事の材料となる草花を植える場所が、この土地だからです。

20070709145054 草花を知らない人には、手を入れて欲しくないらしい。
 つまり、私のことですね。
 刈っちゃいけないものもあるらしいが、なるほど私には分からないな。

 カミサンは一生懸命お勉強して、かなり草花に詳しくなった。
 だから手伝う資格があるらしく、村井さんも文句を言わずにいてくれるらしい。

 誰の土地やら分からないところが「邑」であります。

 北欧の国フィンランドは、ウールの織物と草木染めが盛んらしいことは以前書きましたが、行き場のない織機が日本に残されておりました。
20070719112921 お国にお帰りになったパイビさんの織機です。

 置いてあったところがもう要らないといい、処分に困っているという話がひろ子さんからあったらしい。

 それじゃぁー紺邑に頂こうという事になり、運ぶ手段を考えましたが、運送会社を頼むと経費が高く付く。

 そこで、名古屋帰りのついでに、風間君が運んできたのが、写真の織機です。

 今日、ひろ子さんと彼女の友達が、組み立てに来たそうな。
 私はデスクワークと昼寝をしていて見ておりませんが、出来上がりは美しい織機らしい。

 写真が撮れましたら、アップしてみます。

2007年7月19日 (木)

Body&Soul

 日本語に直せば「身も心も」という古い歌があります。
 私が若い頃、メル・トーメの歌で良く聞いておりまして、この歌を聴くと、当時の新宿歌舞伎町界隈が思い出される。

 何故こんな話をするかと言いますと、私も人間。
 身も心も疲れちまったのですよ。

 My heart is sad and lonely
 For you I cry
 For you, dear, only
 I tell you I mean it
 Im all for you
 Body and soul

 まぁ、こういう恋歌ですから、私の今の心情とは全く無関係ではありますけれどね。

 先ずは先週辺りから、身体が悲鳴を上げだし、仕事中に昼寝が必要になってしまったのですな。足はだるくむくみ、目はショボショボし、歯は治療したばかりだからともかく、栄養剤で何とか凌いできた。

 何故こんなに疲れてしまったのだろうと、よくよくスケジュールを見ると、5月30日の浜松遠鉄から今日まで、全く休みなしに働きづめ。それも、緊張する仕事が多く、又、移動で体力も使ったのでしょう。

 一番の原因は、年齢と体力不足でありましょうね。

 しかし、急にそんな物は取り戻すことも出来ませんし、「命あっての物種」ですから、本日と明日と二日間、休憩と致しました。浦和には風間君に行ってもらいます。

 ところがです、家にいれば居たで仕事がある。工房オープンのお知らせや書類の作成やなんやかやだ。結局、仕事の質が変わっただけで、休むことなど出来はしません。

 でもね、昼寝は自分の布団の中!
 これが一番だな。
 

浦和通信vol.1

20070718192228  伊勢丹浦和店の「技ひとすじ展」が始まりました。

 久しぶりに藍甕を持ち込みまして、実演を致します。

 いや、実は、日本橋三越にも名古屋松坂屋本店にも藍甕はあったのですが、実演する時間が無かった。多分、今回はゆっくりお見せすることが出来ると存じますね。

 さて、伊勢丹のチラシを見ますと、「第2会場7階=アートホール(コルソ側)でも開催いたします」と書いてある。つまり、催事場の第1会場と2カ所に分かれていると言うわけですね。

 朝一番で、この第2会場(こだわるねぇー)に駆け込んで来られたお客様が、「水晶はどこ?」と社員にお聞きになった。大きな声でその社員、「メイン会場の方になります」だって!

 お客様が見えなくなってからまた大きな声で、「しっつれいしやしたぁ~」と謝り、出展者一同大笑い。

 こういうところが、伊勢丹の良さなんです!(ん!?どんなとこ?)

20070718192046  これが、第2会場「アートホール」の入り口で、その奥に見えるのが紺邑です。

 催事場と違い、高級感はありますが、入り口も狭く、場所も分かり難いかもしれません。それでも昨年は、それなりの成績を上げたらしく、本年も同じ場所で開催となった。

20070718192132   先週が台風と雨で、皆様お買い物が出来なかったのか、今週はなかなかの出足らしい。

 この片隅にあるような「アートホール」にも、沢山お客様に入らしていただいているようで、百貨店側としてはたいした売り上げになっているように思います。

 紺邑はと言いますと、ちょいと「腑抜け」状態!

 今日からは魂を込めて、お商売に励むことと致します。

2007年7月18日 (水)

名古屋から浦和へ

 名古屋が無事終了し、今は浦和のホテルでこのブログを書いています。我ながらめまぐるしい事です。

 名古屋の最終日は、またまた雨のせいか、実にのんびりした出だしでした。

 お昼も、省ちゃんと浄法寺塗りの勝又さんと三人で、のんびりと名古屋名物「ひつまぶし」を頂いてきたほど。これが本当の「ひまつぶし」なんて言うしゃれは、江戸の絵手紙ブラシ屋程度でしょうか。

 満腹になって帰ってきたら、お手伝いの加藤さんが奮闘して売り上げが出来ていました。こいつはありがたいと思っていたら、ご常連に次々と来ていただいて、終わってみれば一人前の成績で、昨年の実績を上回ることが出来ました。

 台風と雨に祟られた週としては、実にありがたいことでしたね。

 車に荷物を積み込み、風間君の運転で一路浦和に向かい、無事到着したという次第です。

 明日は朝から搬入だ。

2007年7月17日 (火)

名古屋通信vol.3

 2週間開催される名古屋松坂屋本店の「日本の職人展」も、私は本日が最終日。津軽塗り下駄の藤田君や省ちゃんや小峰さん達は、2週間連続で出展です。

 私のホームページの催事情報をご覧頂くと、明日から浦和伊勢丹7Fアートホールで「技ひとすじ展」が行われる。つまり、今日(17日)がその搬入日なのです。

 どうしようかな?と思いましたが、品物の数は限られていますから、松坂屋に展示している物を間引きして送るしか無い。しかし、天下の松坂屋本店でのお商売を疎かにしては、罰が当たります。

 そこで、足利でレンタカーを借りまして、風間君に来てもらい、松坂屋の荷物を持って浦和に行き、明日の初日の朝、飾り付けをすることにしました。

 まるで綱渡りですが、当初の計画では、この時期には沢山商品が出来ていて、浦和には浦和向けに送れているはずだったのですが、しかたありませんね。来年は新工房が出来上がっておりますので、間違いなく紺邑は変わることが出来ます。
 
 伊勢丹の担当のSさんには、朝早くからのご出勤を強い、企画会社の藤田君にも無理を言いました。来年は恩返しが出来ると思います。

今日も岡村さんがおいでになった。
20070716181357 お約束通り、私の染めたゆかたをお召しになってです。

 携帯の画像でよく分からないと思いますが、白と藍のコントラストが実に美しくなりました。

 つまり、洗うことによって灰汁が抜け、「あか抜け」したのですね。

 このお話も後日しようと思いますが、町を歩きますと皆様に褒められるらしい。「柄も良いからね」と、絞りの本場を意識して私が言いますと、「色が違う!」と言って下さるそうな。

 彼女の「歩く伝統工芸」と言うのが、会場ではすっかりお馴染みになりましたが、私の藍染のゆかたに省ちゃんの帯、オンセのバッグに足下は藤田君の下駄と、平井の組紐ですからたいした物です。

でもね、もう一つあるのです。
20070716181553_2 お顔をアップにしては失礼ですので、御髪のアップ。
 簪(かんざし)をご覧頂きたい。

 西出さんの柘植細工、それも螺鈿です。

2007年7月16日 (月)

でかい奴ら

 私がブログを始める前、オンセの高江さんがブログで紹介してくださった「歩く伝統工芸」の岡村さんがご来店。

 私がちょっと忙しかったので、「他所を見てきます」と紺邑を離れられた。

 お戻りになって、いつものようにファッションショーの如く、紺邑の新作を色々試着していたら、「私浮気しちゃったから買えないよ」とおっしゃる。浮気という言葉にドキッとさせられましたが、良く聞くと、省ちゃんのところで何かお買い求めになったとか。

20070715170704  「それじゃー、そいつを見てみましょう」と、省ちゃんのお店に行って見ると、でかい省ちゃんのヨコに、でかい肇が居るではありませんか。

 奴らが如何にでかいかを計るには、こいつはちょうどいいやと思い、岡村さんを真ん中にワンショット。

 どうでしょうか!?

  でかいのがお分かりでしょうか?

 お買い求めになったのは手織りの反物。お着物になさるそうですが、とてもお似合いで、浮気などと私に遠慮は要りません。

 良いものを身につけていただければ、これ以上のことはないと思いましたら、今度は竹籠屋さんに行くとおっしゃる。

 オンセでも良いものを見つけられて、めでたしめでたしでした。

 終了後、このでかい二人に、昨日高江さんがブログで紹介していた「人形の小島」と、元若手日本№1宝飾デザイナーで、今や中高年の域に達したミカミと、誰がなんと言おうと初老の柘植櫛の西出さんと私の六人でしゃぶしゃぶ。

 出口に若い奴らがいて、「何処に行くんです?」と聞くから、「このメンバーでしゃぶしゃぶだ」というと、「おそろしい!」とぬかしやがりましたが、全くそのその通りでしようがないな。

 結局、お店の看板まで居残り、六人で肉をたらふく食して参りました。

天災と人災

 台風は絶対にそれると思っておりましたが、朝起きると雨も風もない。
 「やった!」と心で叫びましたね。
 工房も建てている最中で、ここで被害にでも遭ったら目も当てられません。

 そもそも私の住む両毛地区は、天災の実に少ないところで、台風の被害も、昭和22年のキャサリン台風以来ありません。地震があったという記録もなく、その分のんびりとした所でもあるのです。
 キャサリン台風では、我が実家も水につかり、藍染めの洗い場の柱には、その後がくっきりと残っておりました。もっとも、私の生まれる数年前の出来事ですから、記憶にあるわけではありません。

 しかし、人災はあった。
 それが、日本の公害問題の原点である「足尾鉱毒事件」ですし、田中正造は佐野の人だ。

 当時、渡良瀬川は別名「あばれっ川」と呼ばれ、大雨が降るといつも氾濫していた(もっとも、堤防の無かった時代は、これも当たり前のことでもありました)。

 上流には足尾銅山があり、その鉱毒が、河川の氾濫で田畑に影響を及ぼし、取水などによっても、作物が出来にくくなってしまったのですね。

 いまでもその影響が無いとも言えません。

 さて、雨も上がり風もなく、お仕事も順調になるかと思いましたが、果たしてそうなりました。
 しかし全体は、まだまだ不調のようです。

2007年7月15日 (日)

台風の名古屋と傘屋

 台風が近づいているなか、なんとか一日をしのぎました。

 一昨日に入らした和尚さんが、随分前にお買い求め頂いた「保多織りを染めて仕立てたシャツ」を着て奥様をお連れになり、「こいつに何か見繕ってくれ」とおっしゃり、絹と綿のブラウスを。
 同じく沢山買って下さったご夫婦が、ボタンダウンシャツが忘れられずにご注文と、一瞬の勝負となり、何とか昨年よりも良い成績となりました。

 朝一番に、福井洋傘の肇が、新人を連れて挨拶に来た。
20070711182553この男も省ちゃんと同じく「でかい!」。

それも「見かけ倒し」と私は表現します。

何故かと言えば、いつもどこか具合が悪く、直ぐに風邪を引くし、腰が痛いだなんのかのと、嘆いてばかりいるからです。

 現在は、飛ぶ鳥を落とす勢いで商売が伸びていますね。

 テレビで紹介もされ、週刊誌にも記事になり、トヨタのレクサスがどうのこうのと話題に事欠かない。

 最初の出会いは、「藍染の傘を作りたい人がいるから相談に乗ってやって」という、同じ福井の一久さんからの電話が切っ掛けだった。

 偶々私が杉並にいるときで、「何処にいるの?」と聞けば「新宿京王」だというから、そのまま直ぐに会いに行きましたね。「福井県物産展」の会場でした。 その時はまだ、平台に傘を並べているだけの業者さんで、地味だったし、お会いしたのはお父様でもありました。

 「藍染で傘を作りたい」と言うくらい、商品開発の意欲とアイデアはすばらしい物があったのでしょう。みるみる内に売り上げを伸ばし、日本の傘屋としては驚異的な存在となりました。

 何故か肇は、私を兄貴分として扱ってくれるし、お父様も気を使って下さってはおります。

 挨拶に来たので、ついでに新しい工房の話をした。

 数時間後、また私の所に「お茶でも行きませんか」と誘いに来た。
 「今休んだばかりで無理だよ」というと、「工房の新築を知りませんでした。それが少し寂しいですが、気持ちです」と、懐から新築祝いを出して私に渡す。

 知らせなかった私も悪いので恐縮しきりですが、肇も身体をこわすほど忙しいのですから、仕方ない面もある。

 悪かったが、この場を借りてお礼を言わせてもらうよ。
 ありがとね! 

2007年7月14日 (土)

台風

 台風が近づいているらしい。

 名古屋で台風と言えば、思い出すのが「伊勢湾台風」ですね。エレベーターの中でそう言うと、伊勢湾台風を知らない連中が沢山いました。昭和34年のお話ですから、無理ないか!?

 調べてみると、最低気圧が895hps、最大風速75m/s、死者4,697名、行方不明者401名、負傷者38,921名で、その被害は全国に及ぶのだそうな。

 それに比べれば、今回の台風はたいしたことはありませんから、皆様、松坂屋本店の「職人展」にいらして頂きたいものです。

 昨日も大変少ないお客様でしたが、それでもさすが松坂屋本店。それなりに成績が出来上がる。

 朝一番に岡崎市から、いつもの三人組が私のお弁当を作っていらして下さった。ついでといってはなんですが、お買い物もして下さり、それを機にぼつぼつとお客様との出会いがあり、土曜日に予定していたお取り置きを、一日早く取りに来て下さったりして、結果は今週一番良い成績。これには驚きましたが、ありがたい誤算でした。

 今日からどうなりますやら。

 しかし、昨年の成績を見ますと、土・日が非常に悪い。

 少し気が楽になりますが、それでも名古屋の売り上げは経営上大切で、期待もしておりましたから、台風などに負けてもいられないのです。

 こういう時は、一人一人のお客様との出会いと対話を大切にするしかありませんね。

 昨夜は懇親会。
 隣の席にまたもや省ちゃん。

 サッカーのテレビ中継がありましたから急いでホテルに帰り、眠気と戦いながら応援。
 お陰様で日本の勝利!
 良かった良かった。

2007年7月13日 (金)

 雨が降っております。 

 梅雨に加えて、大きな台風が来ているとか。

 それも、日曜日まで注意が必要と言うことは、これからも雨が続くと言うこと。

 二日目の名古屋松坂屋本店も、さすがに影響がなかったわけではないらしい。

 紺邑はと言いますと、初日よりも前年よりも成績が良かった。

 毎年見て下さっていたご家族が、今年こそはとお父様用にシャツとベストジャケットを買って下さり、さる和尚も作務衣を、初期の頃のお客様が新作のジャケットを、お取り置きのお客様がグレードアップされシルクのジャケットをと、お客様の数は少なかったけれど、結果は十分でありました。

 お手伝いいただいている加藤さんは、「先生(私のこと)の昔からしている藍染のお話が、今になって生きて来ているんですよ」と言って下さった。不断の努力の成果なのでしょうかね。

 今日も雨は避けられません。
 「人事を尽くして天命を待つ」としましょう。

 昨夜も、藤田君と省ちゃんと一緒に夕飯。
 書きませんでしたが、実は一昨日も一緒に、「家庭料理」なるものを食べに行ったのです。 
 それに組紐の平井と柘植櫛の西出さんが加わり、初老三人中年二人で名古屋名物「手羽先」をいただいて参りました。

 本日は懇親会。
 結局はまた、省ちゃんと一緒だよ、えっちゃん(省ちゃんの奥様)!

 

2007年7月12日 (木)

名古屋通信vol.1

 松坂屋名古屋本店の初日が終わりました。

20070711182612  横に長い売り場ですが、とても広く頂いております。

 それでも最初は、この半分の広さでしたし、会場全体も半分だった。

 第一回目が思わぬほどの成功であったために、会場も倍の広さになり、私もその分、大きく頂いたと言うことなのでしょう。

 売り上げも大きくなっておりますが、ありがたいことです。

 名古屋は、我が親父殿達の思い出深い場所で、最初に地方出張したところではなかったかな?所は松坂屋駅店でした。上の階の催事場もありましたが、1階のコンコースで栃木県の物産展があったらしいのです。

 これが大変で、商品を平台に飾っておいて、それを毎朝コンコースに自分で運んで並べ、終了後それを片付けるというもの。特に母上が担当していたらしいのですが、まだ若かったから出来たことなのでしょうね。

 もう一カ所は、丸栄で開催されていた「京都と小京都展」という催事です。

 丸栄や名古屋松坂屋駅店に出展しておりますと、お客様が「何故本店に出ないの?」とお聞きになる。丸栄にいると、良いお客様は皆、松坂屋の買い物袋を持っておいでになる。

 そこで、本店に出展することが、親父殿達の夢となっていったのですが、ついに叶わなかったな。

 今そこに私が出展していると言うことは、感慨深いものがありますが、これにも物語があるのです。

 今年はお天気が悪いようで、毎日雨模様。
 しかも週末には台風が来るとか。
 一人でも多くのお客様のご来店をお待ちしております。

2007年7月11日 (水)

名古屋

 名古屋に来ております。

 長崎、鹿児島、東京ドーム、日本橋、名古屋と、めまぐるしいですが、この時期は販売の最盛期ですから致し方ありません。

 特に、日本橋三越本店から松坂屋名古屋本店と続くこの週は、経営上非常に大切なものとなります。

 そもそもこの業界で、この二つの百貨店に出展出来ることは大変なことで、出られない人にとっては一つの夢でもある。我が身の幸運を思いますね。

 昨日は搬入日。終了後、この催事の代表幹事の藤田君と、肩書きを書くのも嫌になるほど長い久留米絣の省ちゃんと三人で、またしゃぶしゃぶ。今度は牛です。 

 そこでそんな話になって、三人で感謝しましたね。誰にって?色々な方にです。

 三人が出ている百貨店を北から南へ挙げてゆくと、ほぼ一流所を網羅している。本当にありがたいことですが、それでも販路が足りないと考えるのですから、贅沢とも言える。しかし、望みは高い方がよろしいし、その分、商品の「質」も気が抜けません。

 本日から名古屋松坂屋本店7階大催事場で、先週の日本橋三越本店と並ぶ規模の催事が始まります。

2007年7月10日 (火)

夢老人(ゆめおいびと)

組紐の平井と越前漆器の一久さんから、工房新築のお祝いを頂いた。
平井には直接礼を言えたが、一久(いっきゅう)さんはご自宅だろうと、メールで御礼。

返事に「60歳弱の夢老人(ゆめおいびと) 出発進行!」と書かれてありました。
誠にありがたい。

Photo_85  一久さんとは先月、長崎から鹿児島と2週間、お昼も夕飯も毎日一緒に過ごさせていただいた。以前は、朝もホテルのロビーで待ち合わせて出かけていたものですから、文字通り、朝昼晩といつも一緒という仲。父親同士も親しくさせていただいておりました。

私がどうしてこうして来たかを良く理解して頂いている方のお一人ですから、上記のような言葉を書いてくださったのでしょう。

私の一学年上ですが、同じ寅年生まれ。

写真を撮られるのが嫌いで、ちょいと照れた感じで写っておりますが、実物はもう少し男前。

木地をよもぎで染め、漆を塗った「よもぎ草木染め」の器と越前塗りの漆器を作っております。

本人は木地師で、お父様が現役の頃は工場にいて、今のように現場で販売はしてこなかった。

紺邑草創期の木灰は、一久さんから頂いておりました。「何でこんなに使うの?」と言われるほどの量を送って下さった。リーフレットに「越前漆器の木地師から頂いた灰で取った灰汁」と書いてあるのは、この一久さんのことであります。 

絵に描いたような変人なのですが、見た目は常識人で、本人もそう思っているからやはり変人。

弓道6段のおとこです。

2007年7月 9日 (月)

日本橋終了

 日本橋が終了しました。って、あれ!?後二日あるはずじゃぁー?っと思ってくださる方はこのブログの愛読者。

 実は昨日は、酔っぱらってホテルに帰り、ランケーブルを借りるのを忘れましてね、ブログに穴を開けたという始末でございました。

 一昨日は、久しぶりにnarjaさんご来店。忙しくてゆっくりお話しできず残念ではありましたが、その分、新しい工房にお訪ねいただくか、7月後半の、彼女の家のガーデンパーティでと言うことでお別れ。この方もブログをおやりだが、ここで紹介してしまうとご迷惑掛けないとも限りませんので、私個人で楽しんでおります。

 さて、「忙しくて」と書きましたが、彼女(narjaさん)は人を呼ぶのか、紺邑としては大忙しでありました。

 しかし、一時病気に倒れた販売手伝いのAさんが復帰し、今週は土日だけお手伝いいただけたので、対処できた。彼女の復帰は実にめでたい!少しふくよかになり、返って健康そうに見える。

 最終日はもっと忙しかった。午前中だけで一日分の成績ですからね。

 おかげさまで、恥ずかしくない成績の、最低のレベルにようやく達することが出来ました。それが、全体の平均値ですから、この日本橋の「匠の技展」は、ばけもののような存在となりましたね。

 高江さんはすばらしい出来だったようですが、紺邑も、この秋からは何とか勝負できるようになると思います。

 実は、工房の移転騒ぎと工期の遅れが響きまして、商品の生産が、物理的に間に合わなかった。現実は言い訳が利きませんから、全ての目標を日本橋において来たのです。それで必死になった結果ですから、心底ほっとしております。

 八月一日に工房がオープンしますと、生産能力は多分4~5倍になるでしょうね。それからが新しい紺邑の始まりです。

 私たち紺邑には、沢山の夢がある。

 その実現への第一歩です。 

2007年7月 7日 (土)

日本橋

 今年の日本橋三越は、六日間催事ですから、残すはあと二日です。今ではちょっと珍しいのですが、その分、一日のミスも許されません。それに、予算が七日間だった昨年と同じでは、出展者だけではなく、催事担当者や企画会社のプレッシャーも相当であろうということは、想像するに難くありません。

 どうも順調に推移してるようです。百貨店催事の予算の大台を、たった四日で達成した様子。やはり、百貨店の力、お客様の力、企画力、出展者の努力など、様々な要因があるでしょうが、日本橋三越の催事の良さは、プレッシャーの掛り方が他店と全く違うことにあります。

 他の有力百貨店では、単に出展者にプレッシャーを掛けて売り上げを伸ばそうとし、自分たちの努力や責任は、棚の上に上げる傾向がある。それも、特に関西に多いですね。

 三越本店は違います。担当者達は我々に、商売しやすい環境を与えてくださいます。具体的な内容は書きませんが、実に気持ちが良いな。さすがに百貨店の老舗だと感じることは多いですね。

 さて紺邑は、昨日は苦労させられました。

 大きな注文をして下さったお客さまから、事情があってキャンセルしたいとお電話を頂いた。日本橋では珍しい事ですけれどね。そのマイナス分を抱えての一日の始まりです。

 売っても売ってもマイナスから脱却できない。プラスに転じても、売り上げが伸びない。

 今日は駄目かなと思いましたが、私の座右の銘は「努力」ですから、何か出来る事は無いかと考え、夕方思い切って売り場のレイアウトを変えてみた。

 そうしたらどうでしょう! バタバタとほんの1時間で一人前の成績となった。

 お陰様で、終了後の宴会が、とても楽しいものとなりました。

2007年7月 6日 (金)

食堂

日本橋三越7階催事場は、連日、お中元と「匠の技展」で賑わっております。

紺邑のいる場所は、特別食堂「日本橋」の目の前ですが、いつもですとお昼時にはお客様が並ぶのに、その姿が今年は見られません。

 

何故だろうかと思っておりましたら、企画会社のKさんがいらして、「食堂の運営がオークラに変わって、一段と高級になってますねぇ」と言う。

さてお値段は?とショーケースを覗いてみましたら、一番安いのが鰻重の¥3,150-!。

こりゃすごいなと思ったら、お寿司一人前の値段も、私のお昼の予算の10倍はする。

これまたよく見ると、「銀座久兵衛」だそうです。
 

これじゃぁいくら何でも!?と思いましたら、別なショーケースに、サンドイッチやハンバーグステーキが鰻重の半額でありましたし、コーヒーもいただけますので、どうぞ皆様入らしてくださいませ。

ゆっくりご歓談いただける空間だと思いますよ。

そうしないと、私たちが奮いませんのです。

 

日本橋三越の食堂は、新館5階に「ランドマーク」というファミリーレストランがあります。

こちらのお昼時は、入るだけで大変だろうと思いますが、ここも美味しくいただけます。っと思います(^^;)。入ったことないのですよ。

並んでまで食べる時間なんてありませんからね。

 

新館の上の階には、夜までやっているレストランが入っていますね。

皆それぞれに名店らしいですから、お時間ある方はそちらにいらっしゃると良いと思います。

 

私の夕飯は、ホテル近くの「桂」という洋食屋さん。

ホームページを管理してくれている通称「ヨコさん」(我が夫婦はアキと呼んでいます)が、リニューアルの打ち合わせに来てくれたので、打ち合わせを兼ねての夕食です。

店に入ったとたん、「お!渋いね」と一言。

中はサラリーマンで一杯で、洋食居酒屋みたいな雰囲気。

メニューもおつまみが一杯あった。

それなりに、実に美味しく頂きましたね。

私たちのような職人が夕飯を美味しく頂くには、

ここで十二分です。

お値段はというと、もう一人連れがいましたので、三人で特別食堂の鰻重二人前。

それも生ビール2杯、ビール大瓶二本、おつまみの料理三皿、定食三人前でです。

2007年7月 5日 (木)

籐工芸 -夫唱婦随-

20070704113516_1籐工芸の小峰さんご夫妻。

随分古いお付き合いですが、本当に親しくお話しできるようになったのは、実はパソコンの縁。

私がインターネットのお話をしてからじゃなかったかな。

ブログを始めた時、「あれは良いよ。毎日書いているかい」と私に言って下さり、それが切っ掛けで、こんなに書くようになっちまったのです。    

 
最初にお会いしたのは、高島屋の伝統展だったと記憶していますが、その当時、今のように「おしゃべりも職人芸の見せどころ」なんて言うほどしゃべっていたかな?私には、比較的無口な方という印象がありますね。
 

とにかくパワフル!
 
そしてアイデアマン!
 

写真で抱えているのは「抱き枕」ですが、そのほか、「つかまり立ち」や「ベッド」や「椅子」やらなにやら、小峰さんならではの物が沢山あります。

ですからファンも多く、いつも売り場のにぎわいに圧倒されております。

私がこう感じる人は少ないな。 

陰の功労者は奥様でしょうね。

このお二人はいつも一緒だ。

 
 
小峰さんは時々難しい顔をなさる。

これは根っからの職人だからで、いわゆる頑固一徹というところが表情にも態度にも表れている。

その脇でいつもニコニコなさっている奥様がいるからこそ、場が和むのでしょうね。

「おしゃべりも職人芸の見せどころ」とはいっても、おべんちゃらは決しておっしゃらないし、お客の機嫌取りなんかしませんからね。

夫唱婦随と言いますが、その典型のように感じます。

 

後輩の私をかわいがって下さり、心から感謝しておりますが、時々、「疲れたかい?」なんて優しい言葉を掛けて下さる。

だけどね、随分先輩の小峰さんにそんなこと言われても、「疲れました」とは答えられやしませんや。

こういうのを、本当の励ましというのでしょうかね。

 

私は最近、ご子息と遊ぶようになった。

この男もお父様の血を引いてか、頑固だな。

2007年7月 4日 (水)

高江さんの昨夜のブログ

 昨日のお仕事終了後、目の前にいる津軽塗り下駄の藤田君と、「久留米絣国指定重要無形文化財技術保持者」という長い肩書きをもつ山村の省ちゃんと待ち合わせて夕飯に行こうとしたら、オンセの高江さんと出会い、「飯は?」という事になって、ちょうど四人の席を予約してあったので、「一緒にどう?メンバーはこれこれだけど」「良いね」となって、一路豚のしゃぶしゃぶ屋さんへ。

 九州同士だから、省ちゃんと高江さんは知り合いかと思っていたら、なんと一緒に食事するのが初めてという。

 この三人は体重がヘビー級だから、私が小さく見える。そう言ったら省ちゃん、「その分、声と態度がでかい!」とまた言う。ま、その通りで、そんな様子が、高江さんのブログに書いてあるな。

 高江さんも言っていたが、こういう仲になるとは思っていませんでしたね。これもブログのお陰だな。

2007年7月 3日 (火)

日本橋三越初日

 日本橋三越本店7階で行われています、「日本の職人 匠の技展」という催物が始まりました。今回は、会場が本館と新館に分かれた変則的なものになっております。紺邑、オンセ、小峰ラタンは本館におりまして、小峰さんとは隣同士です。

 日本橋三越本店の催事は、この世界では多分、今や日本一の売り上げを記録しているのではないかと思う。だからという訳ではないが、何度出展していても、毎回緊張いたします。今回はどうも、ものすごい記録を出したような感じですね。

 紺邑としては、一番思い入れのある催事です。

 2000年、親父殿と分かれた時、最初に報告し相談したのがブラシ屋の旦那で、この人が、この催事を企画していらっしゃる。そして、日本橋三越を始め、様々な仕事を下さった。まだ工房も作品もない私にです。

 その歳の暮れ、紺邑もいよいよ行き詰まり、やはり無理だったかとあきらめかけた時、この日本橋や仙台三越などの企画書が仕事上の信用となり、紺邑が存続でき、有限会社にもすることが出来たのです。

 以前にも書きましたが、ブラシ屋の旦那と、工房をお貸し下さった和尚は、紺邑の最大の恩人であります。

 そんなこともあって、売り上げだけではない思い入れというものが、この日本橋三越にはあるわけです。

 この催事の初めは、7階催事場の片隅のようなところで、リビング部門担当の小さな催事として始まりました。一回目は船橋東武の催事と期日が重なり、私は出展出来なかった。

 船橋の催事は、独立前の私が頼まれて始めたのですが、成功したような形になり、当時の日本橋担当のTさんとブラシ屋の旦那が見に入らして、「おめでとう」と言われたのを思い出します。日本橋の一回目は、売り上げ的には、決して成功したとは言えなかったのですね。

 そこから、ブラシ屋の旦那の地道な努力が始まった。そして、会場が片隅からメイン会場に移り、メンバーも充実させ、売り上げも伸び出し、そしてある回のとき、企画者として勝負に出たことが吉と出て、化け物のような売り上げを記録し、そして年末年始には、旦那の夢だった三越の最大の会場で催事が出来るようになったのです。

 この催物が大きくなってから出展した人には分からないでしょうが、人に歴史あり、催事に歴史ありなのですな。

 一方船橋は、一回目の売り上げを未だに抜けない。低迷しているというわけではありませんが、リーダーシップの問題もあるだろうと、私は考えています。

2007年7月 2日 (月)

佐野商工会議所ニュース

 「さの商工ニュース」という、商工会議所発行のニュースレターに、我が紺邑が紹介されております。

 ありがたいことは、地図が書いてあることですね。会議所のご担当には、誠に有り難うございました。今後ともよろしくお願いします。

 そこには「七月に移転した」とありますが、正式には八月一日正式移転とさせていただきますので、お客様・関係者各位には、よろしくお願いいたします。

 正式住所は、「栃木県佐野市閑馬町木戸1010」となります。

 新しい工房は、砦の様な感じがしますが、住所の字の「木戸」の「木」は「城」の事で、「木戸」は「城戸」なのですね。

 紺邑の「邑」とは、本来は都市国家のことで、城戸に囲まれていたところを言うわけですから、どうも新しい工房の姿形は、何かの必然の様に感じますな。

2007年7月 1日 (日)

東京ドーム終了

 朝起きますと、左肩に激痛が走った!
 せっかく動くようになったのにと思いましたが、昨日、日本橋三越に荷物を出したのが原因らしい。

 紺邑にとっては、日本橋三越の催事が最優先ですから、品物を間引いて送ったのですが、それがバックスクリーンの裏にあり、受付は一塁側ベンチですから、その距離100mを越しますね。その上、台車が使えず、手で運ばなければならなかった。

 よせばいいのに、それを一人でこなし、最後の一個だけは、見るに見かねた大森君が一緒に運んでくれましたが、クタクタになっちまった。

 そんな訳で肩の痛みが激しくなったのでしょうが、これでは最終日の片付けが出来ない。
 そこで急遽風間君を頼み、ドームに来てもらうことにしました。

 昨日と同じ作業を、風間君と二人で致しましたが、それを一人でしたことを、風間君はびっくりしていたな。ドームの大きさは侮れませんし、年齢も然りだ!

 成績は惨憺たるものでしたが、良い経験をさせていただいた。

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