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2007年7月 3日 (火)

日本橋三越初日

 日本橋三越本店7階で行われています、「日本の職人 匠の技展」という催物が始まりました。今回は、会場が本館と新館に分かれた変則的なものになっております。紺邑、オンセ、小峰ラタンは本館におりまして、小峰さんとは隣同士です。

 

 日本橋三越本店の催事は、この世界では多分、今や日本一の売り上げを記録しているのではないかと思う。だからという訳ではないが、何度出展していても、毎回緊張いたします。今回はどうも、ものすごい記録を出したような感じですね。

 

 紺邑としては、一番思い入れのある催事です。

 

 2000年、親父殿と分かれた時、最初に報告し相談したのがブラシ屋の旦那で、この人が、この催事を企画していらっしゃる。そして、日本橋三越を始め、様々な仕事を下さった。まだ工房も作品もない私にです。

 その歳の暮れ、紺邑もいよいよ行き詰まり、やはり無理だったかとあきらめかけた時、この日本橋や仙台三越などの企画書が仕事上の信用となり、紺邑が存続でき、有限会社にもすることが出来たのです。

 以前にも書きましたが、ブラシ屋の旦那と、工房をお貸し下さった和尚は、紺邑の最大の恩人であります。

 そんなこともあって、売り上げだけではない思い入れというものが、この日本橋三越にはあるわけです。

 

 この催事の初めは、7階催事場の片隅のようなところで、リビング部門担当の小さな催事として始まりました。一回目は船橋東武の催事と期日が重なり、私は出展出来なかった。

 

 船橋の催事は、独立前の私が頼まれて始めたのですが、成功したような形になり、当時の日本橋担当のTさんとブラシ屋の旦那が見に入らして、「おめでとう」と言われたのを思い出します。日本橋の一回目は、売り上げ的には、決して成功したとは言えなかったのですね。

 

 そこから、ブラシ屋の旦那の地道な努力が始まった。そして、会場が片隅からメイン会場に移り、メンバーも充実させ、売り上げも伸び出し、そしてある回のとき、企画者として勝負に出たことが吉と出て、化け物のような売り上げを記録し、そして年末年始には、旦那の夢だった三越の最大の会場で催事が出来るようになったのです。

 

 この催物が大きくなってから出展した人には分からないでしょうが、人に歴史あり、催事に歴史ありなのですな。

 

 一方船橋は、一回目の売り上げを未だに抜けない。低迷しているというわけではありませんが、リーダーシップの問題もあるだろうと、私は考えています。

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