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2007年8月

2007年8月31日 (金)

うめだ通信vol.3

 どうも妙な一日で、お客様に話しても説明しても何してもお買いいただけない。試着もし、お気に召してもお買い求め頂けない。これは私だけではないようで、皆様そうおっしゃる。それにしても梅田に居るとはとうてい思えない一日でありました。

 お昼は高江さん推薦のインディアンカレーにしました。場所が分からず聞いてみると、組紐の平井がそこの大ファンで、しょっちゅう行っているらしい。食べてみれば、まさしく高江さんのおっしゃるとおりでしたね。

 夕飯はその隣の「司」という和食屋さん。これも夕飯の定食としては結構なもので、暖かなご飯をお代わりしてしまいました。

 さすがに疲れも出ているようで、ホテルのエレベーターでご一緒した大島紬の叶さんから、「疲れが顔に出てますよ。気をつけてください。」なんて言われてしまった。気をつけることにしましょう。
 でもお酒も飲んでいないしなぁー!?と思い、コンビニに行ってウイスキーを買ってきて寝酒にすることにしました。「百薬の長」と言いますからね。

 ここのところ写真を載せておりませんが、このホテルにランの設備がないのです。ダイアルアップで遅くて仕方ないのですよ。

2007年8月30日 (木)

うめだ通信vol.2

 昨晩はさすがに寝ましたね。お陰様で今日は昼寝なしに済みました。

 夜九時までの営業は土曜日まで。日・月は八時、最終火曜日は六時までですから暫しの辛抱です。困るのは夕飯でね、九時に終わってから食べると、ホテルに帰るのが十時を過ぎる。それから風呂杯ってなんやかやすると直ぐに十二時ですから、所謂アフターファイブが何もないつまらない夜となるのですね。

 皆様、営業時間中に交代で夕飯をとっていらっしゃるようですが、私は夕方六時から一人ですから、売り場を離れるわけにはいきませんので、じっと我慢の子でおります。
 夕飯を何にしようかなと、夕方からはそればかりを考えていますが、今日は鍋を食べたかったな。売り場が寒いのですよ。どうして私は寒い場所ばかり宛がわれるのでしょうか。お手伝いして下さっている梅津さんが、「明日はホカロンを持ってこようかしら」なんて言うほどです。

 さて、お商売の方は、阪急としては余り芳しくないように思う。なにせここは、催事では日本一だったそうですからね。良かった噂は聞いておりますが、それを実感したことは一度もありません。まぁ、大規模な改築改修をしておりますから、それが大きな原因なのでしょう。
 それでも全体の売り上げを聞きますと、他の百貨店では考えられない数字になっています。これに肩を並べるのは、日本橋三越だけでしょうね。

 お客様もそれほど多いわけではありませんから、ゆっくりとお話しする時間が出来るということはあります。

 午後に「私も染めているの」という方がいらした。「藍染ですか?」と聞けば「そう」というお答え。こちらも時間があるから、よくよくお話を聞くと、先生の藍甕を借りて染めているという。またまたよくよく聞いてゆくと、結局はハイドロ建てだ。いつもこういう事ばかりで、例外にあったことがない。ハイドロを使った藍で染めを教えている先生は、罪深いな。

 それにしても、化学建ての藍染めをしている、それも教わっている生徒が、うめだ阪急で展示販売している、それも紛う方無き正藍染の紺屋の私に、「私も染めているの」などと何故言えるのでしょうかね。これを関東弁では「どの面下げて」と言うのですけれどね。

 これは社会の、教育の、大きな問題だと私は考えております。つまり、人を認める、尊敬すると言うことが出来ないのですね。前にも書きましたが、いつかまたしつこく書いてみたい。

肝心の夕飯は、ラーメンと餃子の定食だ。もちろん鈴木一久さんと二人。生ビール付き!

2007年8月29日 (水)

うめだ通信vol.1

 昨晩、船橋の催事を終えて、宇都宮から来た風間君の運転する車に、夜七時半に荷物を載せ、一路大阪は阪急百貨店に向かいました。

 いつもなら、私は先に新幹線で大阪に行くのですが、今回は様々な事情が重なり、風間君が朝早くから働かざるを得ず、宇都宮の催事の最終日も一日販売に勤しみ、その上に車の運転ですから、一人で大阪にやるわけにも行かず、私も同乗し、運転も代わろうかという思惑でありました。

 しかし、うめだ阪急本店は、翌朝5時に搬入しなければならないのです。早くて夜中の二時到着でしょうから、逆算すると睡眠時間は2時間程度しかとれない計算になる。
 そして肝心なことは、営業が夜九時までと言う現実です。果たして私の体力が持つだろうか?

 東名高速を走りながら幾度となく、「運転変わろうか?」と尋ねても、「大丈夫です」と風間君は言う。その内浜松が近くなってきた。近しい土地の名に気がゆるんだのか、急に眠気が差してきて、気がつけば大阪の街中。結局風間君一人で大阪まで運転してきてしまいました。時刻は夜中の二時半。

 早速ホテルに入り、1時間半ほど寝てから二人で搬入。5時に荷物を会場に上げ、風間君を直ぐにホテルに帰しました。幸いなことにチェックアウトが12時なので、少しでも睡眠を取らせるためです。それから私一人で飾り付けをし、八時半からちょっと講習なるものと試験を受け、夜九時まで販売。車で寝ているとは言え、やはり眠い一日となりました。営業時間中二度仮眠を取りましたね。

 私の売り場の隣が、なんと鈴木一久さんご夫妻。組紐の平井もいるので、夜はビールにお好み焼き。
  
 後は一刻も早く寝るしかないという一日でありました。

2007年8月28日 (火)

桐下駄

栃木市の下駄屋、沼尾商店の沼尾さん。

2007_0828 栃木市は日本三大桐下駄の産地と言われ、20年くらい前までは組合もあり、生産の盛んなところでした。

沼尾さんはその中で、実に泥臭く生きてきた。

作っているだけでは飽きたらず、昭和30年頃、販売を覚えるために東京の問屋に4年間つとめ、神社のお祭りの境内で香具師の如く店を出し、生産と販売をしてきたのです。

他の業者は問屋とのお付き合いだけだったのでしょう。

 

日本人のライフスタイルが変わり、下駄を履かなくなった現在、そういう業者達は廃業を余儀なくされ、沼尾さんが、栃木市に残るたった一人の下駄屋さんになってしまいました。

気取りも衒いもない人ですが、創意工夫の人でもある。
 
2007_08282 ヒット商品は、竹の皮を畳のように編んだもの(竹皮畳下駄)。

今では下駄屋さんは皆作っていますが、以前は沼尾さんただ一人でした。

それが「サライ」に取り上げられ、全国区になっていった。

藍染の下駄なんて言うのもあり、昔は親父殿の工房に、常に沼尾さんの下駄の木地が置いてあったものです。

  
親父殿の工房のあった足利市も沼尾さんの栃木市も、「小京都」と呼ばれる町で、我が両親と「全国小京都展」で日本中を一緒に回った仲でもある。
 

親父殿の生き方は、所謂「旦那」の面影があり、遊びも銀座や祗園でしたから、沼尾さんから見ると対照的で新鮮であったのでしょう。

いつも一緒に連んでいて、食べたり飲んだり泊まったりしていたらしい。

今でもそれを懐かしんで頂いていますが、それはそれで実にありがたいことです。

 

私が独立した後は、色々気に掛けてくださり、商品を沢山お買い求め頂いております。

栃木県の伝統工芸品に指定され、子供達も皆独立し、ご自宅も改装して店舗も構え、ご夫婦で焦らず怠らず、こつこつとご商売なさってお出でだ。

竹細工異聞

斎木さんと一緒にいると飽きません。

あえて写真は掲載しませんので、「竹細工」に戻って、一度じっくりお姿を見て置いてください。

 

この人は一見すると達磨大師のようですが、よく見ると、目鼻立ちがハッキリしていて、信じられない程もてる。

昔、池袋で、「あんたごと全部買う!」というお客様がいた。

一生面倒を見るし何不自由させないと言うことだったらしい。

相手はもちろんお婆さま。

 

今回も変な人がいて、「カツラを買ってやる」という。「ついでに髭を剃ったら、あんたいい男だよ」だって。

何ともハッキリおっしゃるお客様がいるものだ。

もちろん、お婆さま。

 

そうそう、何処でも自宅から通ってきた斎木さんも、寄る年波には勝てず、昨年からホテルに泊まっています。

しかし、奥様は相変わらず電車通勤だ。

それも青春18切符とかいう奴で、これを使うと一日往復2300円で済む勘定。

だから鈍行利用で新幹線は決して使わない。 

宇都宮の高級住宅地に、大邸宅を持っているんですけどねぇ。

「分度」かなぁ。

2007年8月27日 (月)

三者の喜び

宇都宮の懇親会に出席してきました。

もちろん船橋から行ったわけですが、便利になりましたねぇ。

船橋駅からJR総武線快速で東京駅まで25分足らず。

そこから新幹線を利用すれば、宇都宮まで50分で、乗り換えを入れても1時間半で行ってしまう。

5時半の電車に乗って7時ちょっと過ぎには、宇都宮の売り場に立っていましたね。

 

宇都宮の職人展は、最初から百貨店主催の懇親会をしてもらっています。

これがまた、条件の一つでもありました。

 

当時の鈴木次長にプレゼンテーションしたとき、私は「三者の喜び」という事を語らせていただいた。

つまり、お客様、百貨店、出展者の三者が喜ぶことをしましょうと言うことです。

その為に、私たち出展者が、旅費交通費滞在費などの諸経費を自己負担する。

そこで余った経費を、百貨店側には集客と販売環境作りに力を入れてもらう。

その結果集まったお客様には、少しでも安く良い品を提供し、結果売り上げが伸びればみんなが喜ぶ。

そういう催事をしましょうと言う提案でありました。

三月にプレゼンし、六月に実施する旨の返事を頂いた。

その時一つだけ条件を出したのが、懇親会を百貨店側でやってもらいたいと言うこと。

それを律儀に守っていただいていると言うことなのです。

 

さて、「三者の喜び」について、百貨店がどう行動しているか、つまり、集客と販売環境作りをどうしているかは、少々疑問がある。

東武宇都宮百貨店のホームページには、「職人の技展」がなく、「大江戸うまいもの展」のみ出ている。

ポスターチラシの扱いも同様だ。

ではどちらが条件が良いかと言えば、そんなことは分かり切っていることで、またどちらが利益率がよいかと言えば、これまた分かり切っていることなのですね。

何故そんなばかばかしいことを百貨店がするかと言えば、我々工芸の職人側が大人しく、使いやすいからです。

「一事が万事」と言うが、職人展が、また大きく言えば百貨店経営が曲がり角にあるとすれば、こういう事の改善が求められているのでしょう。

 

では、職人が何をすればよいかというと、結局は何も出来やしません。

我々の本分は物づくりですからね。

私は多分、やろうと思えば出来ると思う。

でも、そのエネルギーはありません。

そこに、企画会社の存在意義があるし仕事があるし、ブラシ屋の旦那はそれを体現しつつあると、私は大きな評価をしております。

では他の企画会社はどうかと言えば、これには疑問符を付けざるを得ません。

いや、逆に我々の足を引っ張る存在すらある。

足を引っ張っている企画会社には存在意義も理由もない、ただのお金儲けだけが目的のように、私には見えるのですね。

 

二宮尊徳は「分度」「推譲」と言いました。

「至誠」「勤労」とも「自助努力」「自立更正」「自他両善」ともいう。

人も企業も、働く理由、存在の理由、そして心と社会貢献なくしてなにがあるのかと問いたいところです。

それどころか、我々の足を引っ張ると言うことは何事かともね。

 

しかし、それだから何をしようと言うことも私にはありません。

これまた多分、しようと思えば出来るかもしれないが、そのエネルギーがない。


しかし尊徳は、「積小為大(せきしょういだい)」ともいう。

つまり、小さな事の積み重ねが大を為すのだと。

それなら出来るし、今もし続けているつもりなのです。

2007年8月26日 (日)

竹細工

斎木竹細工店店主の斎木さん。

2007_0826宇都宮の栃木県庁前に百年以上前から店を構えている。

作るのは素朴な籠や笊(ざる)が主ですが、有名なのは「鬼降ろし」ですね。
 
醗酵の権威の農大小泉教授もここを訪れています。

  

2007_0826_2 写真をよくご覧になっていただきたい。

お客様に背を向けて、謂わば壁に向かって実演をしている。

「そりゃー変でしょう」と言うと、「そんなこと言ったって狭ん(せめん)だからしょうがなかっぺよ」とおっしゃる生粋の宇都宮人で、バリバリの栃木弁の使い手。

私でも時折、何をしゃべっているのか分からない時がある。

ご主人は体格が良いのですが健康そのもので、奥様はほっそりとしているのに、なんと糖尿の気があるという、変な夫婦です。

お召しになっているシャツは、我が親父殿の工房の藍染で、二人ともそれが大好きだな。

奥様のジャケットは、親父の形見です。

 

昔は催事に出ていましたが、今は出ません。

出るのは宇都宮東武百貨店の「福島・栃木物産展」と、ここ船橋の「栃木・福島の観光と物産展」の二つだけ。

後は誰がなんと言おうと出店しない。

何故出ないかというと、そう決めたからという頑固者です。

去年は、池袋東武の催事担当者が、わざわざ挨拶に来て、催事に出てくれと頼んだ。

斎木さんは、「出ないと決めたから出ないよ」と言って簡単に断ってしまいましたからね。

 

昔は催事に出ていたと言っても、宇都宮から通えるところだけ。

日本橋高島屋や銀座三越なんかも宇都宮から通っていましたからね。

それも新幹線を使わずに在来線の鈍行というから変でしょう。


昔から偏屈で頑固者でしてね、日本橋高島屋には年に二回出ていたのですが、それを三回にしてくれと頼まれた斎木さん、「嫌だよ」と断っちまった。

担当者は、天下の日本橋高島屋の仕事を、それも出展回数を増やしてくれと頼んでいるのに簡単に断る人に出会って、「え!断るんですか!?」と信じられない風。

「そりゃーあんたんとこだって選ぶ権利があるっぺけっどもよぉ、俺らにだってあるんだぜ」と斎木さん。

それ以来、日本橋高島屋にも出ていません、って、雄山さんみたいですが、私は別に日本橋高島屋に含みがあるわけではありませんよ。

たまたま同じ話題になっただけですからね。

 

2007_08263 鬼降ろしと言えば斎木さんですが、市販されているものは、「斎木」の銘を焼いていない奴か、真似をしているものですね。

何が違うかと言えば、おろした大根の味でしょうね。

この人の作る竹細工はとにかく丈夫。

斎木さんの籠を持って釣りに行く人は、籠を椅子代わりに遣う。

下手すれば踏み台になると言う丈夫さです。

何で丈夫に作るかというと、性分のなせる技でね。

これはどうしようもないことだな。

当然、竹細工と言っても、高江さんのそれとは比較できようもない。

私は、どちらも好きですけれどね。

2007年8月25日 (土)

船橋と人事異動

船橋に来ております。「栃木と福島の物産と観光展」という催物。

この時期、毎年宇都宮と重なる。

 

一昨年までは、船橋はカミサンに任せていたのですが、家にいる義母の面倒を義姉か娘達の誰かに頼んでいたのが、昨年からそれが出来なくなった。

宇都宮ならカミサンが家から通えますので、私が船橋に来ているという訳です。

今年はそれに加え、工房のショップがオープンしている。

そこは風間君と菅沼さんと小林さんとひろ子さんにお任せです。

 

実は一度お断りした。

大切な宇都宮の「職人の技展」がありますからね。

担当者レベルでは「仕方ないですね」とOKが出たのですが、会議で責任者から「何故大川さんがリストに無いのだ」と指摘され、担当者が説明すると、私に直接電話が掛かってきて、「船橋に来ないなんて冗談ですよね。年に二回しか会えないんですから来ますよね」と言われ、ついつい「行きますよ」と言ってしまって今に続いているわけです。

船橋東武は、皆さん出たがる催事の有名店で、栃木県が絡む物産展では最良最大の催し物です。

それを断るというのは生意気なことなのですが、上記したような物理的な理由で仕方なかった。

それを無理矢理出ているわけですから、商品の数と人員に無理が生じます。

 

今年も案の定、商品の数が足りない。

しかも前に書いたように、ショップのオープンがありましたから尚更だ。

このブログの「慌ただしいということ」で紹介した、私に電話を掛けてきて「宇都宮を間引いても品物を持ってきてください」と言った高津さんが、その責任者なのです。

こういう事を言ったりやったり出来るのも、宇都宮と船橋が兄弟会社で、担当者同士も仲が良いからです。

 

宇都宮のリビングの催事担当酒見君が移動になることになった。

何処に行くか分からないまま、私は船橋に来たのですが、その時に「高津さんによろしく言って下さい」と言われてきた。

高津さんにその旨伝えると、「え!何処に行くんでしょうね。じゃぁ、誰は?彼はどするんでしょう?」と私に聞くほどお互いを気遣い合う仲。

 

その酒見君からメールが入り、「(移動は)催事課だそうです」とあった。

つまり、次回の「職人の技展」の責任者になったと言うことですね。

現担当の早川君も、相変わらず関わり合いが持てるらしい。

まぁ、めでたしめでたしだしというところでしょう。

 

何とか商品も出来上がりはじめ、お店の体裁も出来、売り上げもそこそこ一人前になりつつあります。

2007年8月24日 (金)

雄山焼(ゆうざんやき)

藤掛雄山(ふじかけゆうざん)さん。

2007_0824陶芸家であることは間違いない。

その作品は好事家にとっては垂涎の的でもある。

だけど作家面をすることは決して無く、展示会をやるでもなく、ギャラリーや問屋と付き合うでもなく、こういう催事だって今や宇都宮だけしか出てこないから、雄山先生の作るものは手に入らない。

だから「幻」と呼ばれるのですね。

 

東武宇都宮百貨店の「職人の技展」初日の名物は、開店と同時に雄山先生の売り場に人が押し寄せる光景です。

そして一日で、いや午前中で作品のほとんどが売り切れる。

 

回を重ね、さすがの雄山先生も知恵を付けまして、作品を売り場の彼方此方にちらばして置くようになった。

そうすることで、一人が沢山買えなくしたのですね。

それで売り場が少し落ち着きました。

そして作品を全部は出さないのだな。

この辺りを詳しく書いてしまうと色々と支障を来たす。

作品についても然りで、表現が難しいのです。

どういう事かと言いますと、買いに来るお客様は、大事に仕舞っておくか、または有料で人に譲る方々なのですな。

 
催事場の近くには、本の売り場があるのですが、いつぞや好事家対象の専門誌をそこで見ましたらその中に、「幻の雄山鉢手に入る」と大きな広告がありまして、随分高い値が付いておりました。

先生曰く「ああ、これはいつ何処で幾らで売ったものだ」となる。

雄山先生の作品は、こういう事があるから詳しく書けないのですよ。

下手をすると、彼等の商売の邪魔をすることにもなりかねませんからね。

 

2007_0824_2この写真は二日目の売り場の風景。

作品はほとんど無い。

いやいや、これでもある方です。

初日隠していましたからね。

本日はもっとカラカラですが、写真を撮るのは止めました。

想像してみてください。

 

カミサンも鍛冶屋の武田も雄山さんが大好きですが、私が「買うな!」と言ってあります。

お客様優先ですからね。

実は私も欲しいのですが、我慢しているのです。

 

この雄山先生が十何年も前、現在の私よりも若い頃、二度だけ日本橋高島屋の「伝統展」に出展したことがある。

我が親父殿の推薦でありました。

最初の時、京都の紙屋の社長が私の所に来て、「おい、あんなの売れんのか?」と宣いましたがその初日、例の如くどこで噂を聞きつけたか大勢の人が押し寄せ、あっという間に作品が無くなった。

そして紙屋の社長は「すっげぇなぁー、なんだありゃー」とあきれておりました。

次の日の朝礼で、当時の担当で現在某企画会社社長のIさんが、「一日で商品が無くなるようなことが無いように、皆様しっかりと物づくりをして下さい」だって。

しっかり物づくりをしているから、一日で無くなるようなことになるんですけれどね。

 

催事に出ない雄山先生が、何故「伝統展」に出たかというと、東京に嫁いだ娘さんに会えて、しかも彼女が仕事を手伝ってくれるからという理由ただ一つでした。

それを知らない高島屋が二度目の時、理不尽な条件を終了後に押しつけてきたので、先生はあっさりお断りしてそれ以来、二度と日本橋高島屋に出店することはありません。

 

この東武百貨店の催事に最初に出た頃、お客様が先生に「これは何焼ですか?」とお聞きになった。
 
先生ちょっと考えてから答えて曰く、「雄山焼です」。

2007年8月23日 (木)

宇都宮通信vol.1

 宇都宮東武百貨店の「にっぽん全国 職人の技展」が始まりました。昨年から、「大江戸うまいもの展」との併催。

 食品と一緒ですから、お客様は沢山入るようですが、一昨年までの「栃木美術展」との違いは、お客様の目的の違いです。この辺りは、百貨店の上層部には理解していただけないところでしょうが、仕方ない。

 この催事も12回目を数えます。メンバーも少し変わりました。当初は他に「職人展」などありませんでしたからね。
 今やこの時期、熊本「鶴屋」、広島「三越」、「京急」、「さっぽろ東急」で職人展をしていて、その他、物産展やらなにやら、催事が目白押しで、宇都宮に来られなくなった職人が出てきたというわけです。

 それでも良いメンバーが集まっていると、会場を見渡してつくづく思いましたね。売り上げもそこそこ行ったようです。

 私は家に忘れ物があったので、帰らなくてはならなかったのですが、終了後ついつい宴会をしてしまいました。最終電車で帰ってきたのですが、東武宇都宮駅で40分待ち、乗り換えの栃木駅で30分待ち、店を出たのが夜9時半過ぎだったのに、家にたどり着いたのは12時という悲惨な結果となりました。

 それでも宴会が楽しかったから、良しとします。

2007年8月22日 (水)

慌ただしいということ

 宇都宮と船橋の搬入が重なり、その上お店に予約が入っている。またその上商品が少なく、配分に苦労を致しました。もっとも私じゃなくてカミサンが、ですがね。

 予約の方が何時おいでになるかと思いましたら、ありがたいことに午前中でした。さらに幸運なことに、「風の庵」の谷さんも、お客様をお連れになって下さった。なんと知り合い同士。さすがに狭い町ですね。

 予約の方のお連れ下さった方は、地元閑馬の人。それも旧家の所謂「おだいじん様」と言われる家の奥様。もちろん今時のことですから、偉そうなこともありませんが、林業盛んなりし頃は、それはそれはすごかったそうな。

 二組ともお買い求めも頂き、開店祝儀のお気持ちがあるとは言え、実にありがたいことでした。

 ショップにいらっしゃると、ハンカチを染める実演のようなことをしますが、その隣では、風間君が実際に染めています。「オープン染め場」ですからね。

 実演の最中、「風の庵」の谷さんが、じっと風間君の染めを見ている。「あんなに優しく丁寧に染めるんですか!?」と驚いていらっしゃいましたが、ちょうど私が、「紺屋の白袴というように、染めていて藍が跳ね、白い袴を汚さないように丁寧に染めなければ、藍は傷みます」と説明したところでした。

 午後、お昼も食べずに宇都宮に車で向かいました。搬入をしてもさすがに商品が少ない。船橋も同じらしく、高津さんから電話があり、「宇都宮を間引いても商品を送って下さい」だって!宇都宮は宇都宮で、「高津さんからですか?商品を送るように言ってくださいよ!」という。それだからというわけではありませんが、急いで工房に戻り、商品の荷造りをして双方に送りました。それでも焼け石に水状態だな。

 久々に家に帰り、お客様にお渡しする工房のチラシを200枚ほど作り、またまた夜中まで働きづめです。

 小峰さんの「無理しちゃいけないよ」という言葉が身にしみますね。
 後二週間の辛抱だな。

2007年8月21日 (火)

物づくりの姿勢

 今日はまた歯を抜く日。今度は左上の奥歯が駄目なのです。それをごまかしごまかししてきたが、遂に限界。予約は10時半。染めも一段落させ、さて出かけようと思ったら、スカGが入ってきた。

 誰だろうと思いましたら、昔所沢西武でお会いしたお客様が、ショップオープンの案内葉書を見て、ご夫妻でわざわざ紺邑だけのために、東村山から2時間かけてご来店。こりゃー歯医者どころではないわいなと、藍を説明したりハンカチを染めたりして約1時間楽しんで頂きました。

 閑馬に於ける紺邑が始まって、最初の本格的なお客様ですので、実にうれしい出来事でしたね。帰りがけには大きな買い物もして下さり、これまた仕合わせなことでした。

 予約を延ばしてもらった歯医者に、午後行って帰ってくると、庭に見知らぬ女性がお二人いらっしゃる。お一人はお隣の若奥様で、近所のお友達を連れていらしたとのこと。ハンカチを染めながら藍の説明をしましたが、これまたうれしい出来事です。
 ご近所が気楽に立ち寄って下さると言うことは、紺邑の敷居が低いと言うことだし、お客様にとってもそうであろうと思うからです。高江さんのおっしゃるが如く、「千客万来」となりたいですね。

 明日は宇都宮と船橋の搬入日。しかもご来店のお客様の予約も入っている。うれしい悲鳴ですが、商品の割り振りに困っています。
 結局、明後日私が手持ちで宇都宮に、カミサンが船橋に商品を持って行くことにしました。

 染めは順調です。しかし商品化には時間が掛かる。さりとてここで手を抜いて、既製品を染めるような安直な道を選べば、お客様と自分の心を裏切ることになる。物づくりに対する姿勢は変えてはなりません。そう自分に言い聞かせております。
 
 紺邑の特徴は、色もありますが、それを生かしたデザインにもあるのですから。

2007年8月20日 (月)

友人

 朝から染めに励んでおります。お陰で手が真っ青だ。

 「それ、とれるんですか?」と良く聞かれますが、実はとれてしまうのです。一番良い方法は、灰汁で洗うこと。次は台所用洗剤をスポンジに付けて洗うことかな。でも、余りきれいに落としても、なにやらもったいない気がして、適当に藍を残しております。

 午後は旧知の野村さんがご来店。この方は両毛地区のミニコミ誌「渡良瀬通信」の編集長です。この人程「欲」と言うものに無縁な人を私は知らない。典型的なフォークソング世代の人で、もちろん、森山良子や神田川なんて言うのを歌っていたコマーシャルなものとは違いますよ。高石ともやの世界と言ったらよいでしょうかね。
 彼の音楽の影響を受けた弟さんは、現在著名なオカリナ奏者となっています。彼もその昔、我が親父殿の工房に来て藍を染めていたことがあるな。

 私とは、所謂「町おこし」の活動で苦労を共にした仲でもある。私はそれに挫折したが、野村さんはこつこつと続けていらっしゃる。本当に尊敬しますね。「これしか出来ないからですよ」という返事が返ってくることは分かっていますけれどね。

 元を質せば、館林の百姓の倅だから、田舎や農業がよく分かっていらっしゃる。そんな彼が、ここ閑馬を「良いところですねぇ。こんなに懐が深いところだとは知りませんでした。」と言って、のんびりと長居をして下さった。
 それに加えて我が井戸水の味を気に入り、何杯もお代わりしてくれたことに、私は大満足です。

 19日は、弟さんの岐阜のコンサートに行って来たので、閑馬に来られなかったとの事。この兄弟は仲が良いな。

 工房の敷地全体を案内すると、「実は弟もこの辺に土地を探していたのですが、ここに来たらきっと気に入って決めていたでしょうね」とおっしゃる。私もその噂は聞いておりまして、そう思っていたのです。

 彼との会話にはきりがない。しかし、私とのそれには俗世のしがらみも絡んでくる。それこそ様々な共通体験がありますからね。別れ際に「今度飲みましょう」と言うことになった。彼の編集室と私の住まいは歩いて3分も掛からないご近所。近くに共通の行きつけの店があるのです。

 そう言えば、彼の酔った姿を見たこと無いなぁ!?

2007年8月19日 (日)

ショップオープン初日

 ようやくショップがオープンいたしました。朝から買い物に出て帰ってきますと、庭に枯葉マークの車が二台止まっている。一台はたった一人の伯父の車で、開店前からお祝いに駆けつけてくれた。もう一台は何と船橋から宇野澤さんご夫妻が、わざわざ入らしてくださった。これには驚きました。

 しばらくしますと、三々五々、様々なお客様にご来店いただきました。仕立ての金井さんに宇野澤さんを紹介すると、「まぁ、あの宇野澤さん!」と劇的なる出会い。腹位140㎝ですから全て特注で、それを作る役割が金井さんですからね。作り手が着手に出会う喜びは、物づくりの励みになります。

 ご近所の方々にも大勢お出で頂いた。これは私たち新参者の紺邑が、ある程度この閑馬に迎え入れられた証だと思い、実にありがたいことでした。

 建ったばかりの真新しい藍甕を開き、私たちの仕事をご理解いただくために、皆様にハンカチをお渡しして、染めながら正藍染について説明させていただきました。信金の太田理事長ご一家や、少年の日美術館の安藤さんご夫妻にも参加していただいた。 

 その内、東京からもお客様がお見えになり、富永さんはバイクで登場。彼女のブログでライダーとは知ってはいましたが、男勝りの格好を見て驚きましたね。彼女の家で開かれるガーデンパーティを参考に、今日はバーベキューでお持てなしをしております。

 昨日紹介した古いなじみの小山さんがいらしたので、お約束通り、一曲歌を歌わせていただいた。真っ昼間はどうも選曲に困りますね。

 本家の繁子さんと眞(まこと)氏もご来店。二人は「小俣幼児生活団」という保育園を経営している。その建物は国の有形文化財なのですが、又そこに新しい園舎を建て、それが数々の建築文化賞をとっている。もちろん大切なのは中身ですが、足利市のはずれにあるこの保育園に、二十分も三十分も掛けて子供を預ける人もいるくらいの園なのです。
 園長の眞氏は私と同い年。だから生まれてから一緒に育った仲で、「まこちゃん」と今でも呼んでいる。独身!繁子さんはお母様。

 彼等が到着後直ぐに、隣町の「岩舟中央病院」の石川さんとお嬢様とお孫さんがお出でになった。石川さんは繁子さんと旧知の仲で、戦後、本家のナミさんが開いた「生活学校」で、我が母の同級生でもある。
 ここのところ、ご主人と妹さんを相次いで亡くされ、ご傷心の上、お孫さんにもその悲しみが伝わっているらしい。そこで、気分転換に我が工房にいらっしゃる旨、館内さんから伺っていたので、ハンカチを渡し、藍染の不思議を体験してもらった。
 藍染の色の変化は子供の心を動かします。それが必ず、心を開かせると私は思っておりますが、彼女もやはり、心を動かせた様子で、私も一安心いたしました。

 驚くことは続きまして、京都の紙屋が家族そろって来店!道に迷ったらしく、ぶーぶー文句を言いながら車から降りてきました。

 神田の鳥料理屋の佐々木夫妻も来る予定になっているので電話してみると、これまた道に迷っているらしい。この二人もようやく到着し、やはりぶーぶー文句を言いつつ車から降りてきましたね。

 館内さんも到着し、夕方は身内だけの宴会になりました。

 鍛冶屋がスパークリングワインを送ってくれて、それがひろ子さんが作ってくれたクッキーにブルーチーズを乗せたものに良く合い、ちょいと飲み過ぎました。気がつくと2階の布団の中。隣では、いつの間にかカミサンのお母さんもいて、みんなでうるさく談笑している。私はそれを聞いていても眠い眠い。

 気がつけばまだ夜中。
 仕方なく起きて、このブログを書いているという次第。

 とにもかくにも、本日ご来店いただいた方々に、また、様々に応援してくださっている方々に御礼を申し上げます。これが終わりではなく始まりだということも、肝に銘じなくてはなりません。

2007年8月18日 (土)

オープン染め場

 朝早く、外で車の音がする。まさかと思ったが、下へ降りてみると風間君が来ておりました。私もそのまま仕事に入る。それからただいま午後11時59分!今の今まで仕事をしております。実にどうも、我ながらたいしたものだ。

 とにかく染めなければならない。あまりに品物が少ない。

 染め屋の仕事の第一義は染めることに決まっています。ところが、明日お見えのお客様へのおみやげにと思っていたトートバッグが、担当の怠慢で出来ないらしい。そこで急遽ハンカチにすることになり、カミサンから染めなさいとのご命令を受けまして、午後、予定変更をして何十枚も染めた。これは簡単なようで簡単ではありません。偶々藍の調子が良いから出来たことなのです。

 ハンカチの洗いと仕上げをひろ子さんにお願いしましたが、「こんなに洗うとは思わなかった」と彼女が言うほど、紺邑の藍染は、ハンカチ一枚でも洗いが大切なのです。そうでなければ、紺邑の色は出ません。

 スタッフが増えました。私とカミサンと風間君に加え、織りのひろ子さん、縫いの菅沼さん、小物の小林さんと、女性軍が充実しましたね。

 ショップで女性軍が働いていて、その隣の染め場で私と風間君が染めているわけで、間を仕切るものはなにもありません。ですから、染めの一挙手一投足が丸見え。今後はお客様がいらしても、その隣で同じ様に私たちが染めていることになる。まるでオープンキッチンのレストランのようです。秘密も何もあったものじゃない。全てさらけ出しですが、それで困るものは何一つとしてありません。かえって賑やかでよろしいというものです。

 今日は、今建てている藍甕のかさ上げもしました。これも丸見えだ。灰汁を足し、黒砂糖を入れ、貝灰を入れた後、藍の花を見せながら、その姿から見る勢いや、建つと言うことについて説明しますと、三人とも物づくりをなさる方々ですから、実に勘が良いように思えます。

 まぁ、焦らずじっくりと、長く時間を掛けて修行していただきましょう。

2007年8月17日 (金)

夏の蠅

 昨日も今日も猛暑だったらしく、お馴染みの熊谷では記録的な気温となったらしい。そんな中、工房オープンの案内状を持って、桐生、足利、佐野をかけずり回りました。

 本日は大安だったせいか、伺った所の全てで、良い出会いがありました。

 清水さんの大邸宅(本当です)では、奥様が玄関の掃除をなさっていたので、呼び鈴を鳴らす必要がなかった。

 中学の同級生の津久井も在宅していて、今度同級生のゴルフがあるからそこで案内状を配ってくれることになった。

 桐生の我が夫婦の相談役で、我が母上の同級生、「藍の詩人」館内さんもご在宅。こちらだけは長居をし、お話しさせていただいた。19日には工房にお見え頂けるとのことなので、万難を排してお迎えに上がるとお約束いたしました。

 私の生まれた実家の周りも順調でしたが、本家の惣領の「新(あらた)ちゃん家」では、またまた奥様が庭の掃除をなさっていらして、これまた大順調。因みに、この場合の「家」は、当地方では「ち」と発音します。ですから「新ちゃん家」とは「あらたちゃんち」と読むのです。

 足利に行きまして、お世話になった石津さんの会社に伺ったが、駐車場の係りが「社長夫妻は留守ですよ。車がありませんから。」と言う。せめて案内状だけでも置いて行こうと思ったら、会社は4階にあり、エレベーターもない。疲れた身体を持て余していると、ご子息がちょうど下りていらした。そこで案内状を手渡せたというラッキー。

 お昼の間に、オープンのお持てなしに使う道具を買いそろえ、工房でそれを降ろし、佐野に向かう。

 銀行を2軒と商工会議所に挨拶してから、今回の融資を担当し、現在はある私立高校の事務長をなさっている方の勤め先の学校にご挨拶に伺った。夏休みだし、いらっしゃるだろうか?という懸念もありましたが行くしかありません。なんと昨日までお休みなさっていて、偶々今日出ていらしたとのこと。オープンを我が事のように喜んでいただきました。

 個展をし、また赤木りえのライブもしていただいた「風の庵」に伺うと、昔なじみの小山さんまでいらしていてご挨拶できました。「おめでとうございます」と言われ、感動しましてついつい、「19日は私が歌を歌いましょう。ただし、小山さんに来ていただいたならと言うことでね!」と言ってしまった。ギターの用意もしなくてはなりません。

 地元の新聞社に行くと、支局長がいらしてこれまた長くお話をさせていただきました。取材をして下さるそうで、ありがたい事です。この新聞社の影響力は、栃木県では絶大ですからね。

今日は工房に泊まります。
このブログもそこで書いております。
周りは真っ暗で、DMを印刷しているプリンターの音しかありません。
テーブルにハエが這っていて飛び立てないでいる。
息を吹きかけても震えるだけ。
梶井基次郎の「冬の蠅」の様だが、今は真夏だ。
どういう事なのでしょうね。

2007年8月16日 (木)

くつろぎ

 暑いですねぇ!隣町の館林が昨日40℃を超えたとかで、大きなニュースになっていますが、佐野も暑い。昨日は庭に水まきをしましたが、広すぎて文字通り「焼け石に水」であります。しかし、エアコンは入れておりません。その上でのお話なのですから、仕合わせな事ですね。
 今日はちょっと曇り空で、軽く風が吹いていて、余程凌ぎやすくなりました。

 風間君は北軽井沢に避暑に行っていたのですが、閑馬と同じように感じたと言うことでした。閑馬は少々山の中で、緑に囲まれております。行き交う車も少なく、蝉の声が良く通る。温度計よりも体感温度が涼しいのでしょうね。

 私が今住まっている足利から閑馬に来ると、沢一つ隔てた名草と言うところを通って山に入るのですが、そこから突然気温が下がるような気がいたします。そして閑馬は、名草よりも日も長く涼しい良いところです。

 それでも仕事はしなくてはなりませんが、昨日面倒見た藍が、すばらしい調子に戻りました。手入れの結果が出ると言うことはうれしいことですが、そうなる前に対処しておかなければならないことでした。

 風間君によれば、休む前は調子が良かったらしい。しかし、休みの三日間で状態も変わる、いや、「変わるかもしれない」と言った方が正しいでしょうが、悪く変わらない様にして置く必要はあったでしょうね。私も14日に様子を見ていたのですから、気づかなければなりませんでした。これは反省すべき事です。

 19日に向けての準備が忙しいのですが、出来ることしか出来ません。無理をすれば長続きしませんし、多少無理をしなければ、心のこもったお持てなしは出来ないでしょうから、やはり、出来ることをするしかありません。

 お客様をお迎えするテーマは「くつろぎ」です。閑馬は字の如く長閑(のどか)なところですから、その長閑さを味わっていただこうという魂胆。
 それにはどうしたらよいかを考えるのが、まぁ企画なんでしょうが、これも出来ることしかできません。

 とにかく「心」を込めてお迎えしようと思います。

2007年8月15日 (水)

八月十五日

 風間君がお休みなので、一人で染め始めましたら藍がちょいと機嫌が悪い。そこで手入れに一日かかってしまいました。はてさて、明日はどうなる事やら。

 昼過ぎに、母方のお墓参り。

 その後、少年の日美術館にショップオープンのご挨拶に伺い、工房に帰ってまた甕の手入れ。汗びっしょりになり、夕方2階でシャワーを浴びて帰って参りました。七軒町にはトイレもなかったのに、シャワーが浴びられることなど夢のようです。

 帰りの車の中で、NHKのラジオニュースを聞いていると、政治家の靖国神社参拝の事ばかりでした。カミサンの母上のお話をしましたが、その報道の中に「心」が見あたらず、当然聞いていられなくなり、直ぐにスイッチを切りました。NHKというのは妙な放送局ですね。

2007年8月14日 (火)

墓参り

 13日、京都が終わり、のぞみで東京駅まで出て、そこから夜行バスに乗り、佐野アウトレットまでカミサンに迎えに来てもらって、ようやく家に帰って参りました。何故そんなに急いだかと言えば、墓参りのためです。世間はお盆ですからね。

 子供達も誘ってみましたが、皆仕事が入っているらしい。次女が「何で行くの?来るんじゃないの?」という。なるほどそうですね。向こうが帰ってくるのがお盆だ。しかし、我々はお迎えに行けませんし、長男ではありますが家の跡継ぎでもありませんし、実家ももうありませんので、こちらから行くしかないのであります。

 先ずは父母の墓に行き、次に祖父母。双方キリスト教徒でありますから、実はお盆は関係がない。それでも、こちらの気持ちの問題ですから、お花とお線香を供えて参りました。

 次はカミサンの家の墓参りですが、東京は高尾にある。現在一緒住んでいる大正8年生まれの母を連れて、車で向かいました。真南に車を走らせれば八王子なのですが、昔はそれはそれは時間が掛かった。今は圏央道が中央道まで繋がり、約二時間であっという間に高尾に着いてしまいました。

 カミサンの母上は、歳を取るにつれて天使のようになってきた。高尾に眠るカミサンの父は、実は二度目の人。最初の方は、東京に住む姉の父になりますが、南洋で戦死なさっています。ですからお墓がありませんので、お参りするとしても靖国神社しかありません。しかし、そう何度も東京へ行くわけにも行かず、折を見てと考えています。

 帰りの車の中でも、お母さんは泣いていましたが、靖国神社の話をしても泣く。こういうものは理屈じゃない。戦争が良いの悪いのという話でもない。お母さんの最初の人は、靖国に居るという、彼女にとっての事実があるだけの事。心の問題なのですね。

 明日は染めも致しますが、我が母方の墓参りであります。

2007年8月12日 (日)

京都通信vol.3 焼き肉

 寒い!とにかく寒い!!

 紺邑の居る一角の壁側に、空調の出口がありまして、そこからの風が午後、まるで台風が来たかの如き音を立て始め、冷たい風が吹き出して来たのであります。

 寒い、とにかく寒い!!

 しかし、他の場所がきっと暑く、そこが冷えるまでの辛抱と思い我慢をしておりました。その内売り場に立っていられない程になり、ブルゾンを羽織りましたがそれでも寒い。

 周りの人たちも、あまりの寒さに遂に売り場に居られなくなり、我慢も限界に達し、係の方に「寒い!」と訴え、営業終了前20分にようやく空調が元に戻りました。

 ただでさえ体調が悪いというのに、これでは大切な我が身が持ちません。そこで!と言うわけではありませんが、オンセの高江さんの友人のやっている焼き肉屋さんへ、一久さんを加えて三人で、栄養を着けに行って参りました。

 所は京都一乗寺、名前は「いちなん」。ご主人は、昨日大丸にお見えになりご挨拶いただいた孫恵文さん。

 「ちょっとエッチはハゲチャビン」とは高江さんの言ですが、「私の大親友、たこ焼き頭」と言う紹介は、高江さんのブログにあります。どうも「頭」にこだわってお出でだが、事実その通りのお方でありました。

 孫さんの自己紹介(プロフィール)には、「しがない焼き肉屋」とあったので、さほどの期待もなく、地下鉄に揺られ、着いた駅からまたタクシーに乗るという面倒を掛けてやっと到着。店に入り孫さんのお出迎えを受け、メニューを見てびっくり!普通の焼き肉屋さんじゃない!!

 壁のメニューの「ソーセージとベーコン」が旨そうだったので、生ビールとそいつを取り敢えず注文。一杯飲んでソーセージをやっつけたらこれがいける。キムチも良い肉も良い、最後のコムタンも良いの良い良い尽くしで、しかも「酔い」も加わり大満足!

 孫さんの「しがない」という表現は、経営姿勢を表わしているのでしょうね。気取らず気が楽に過ごせ、しかも美味しく安く、ありがたい一時を高江さんと孫さんにいただきました。

 あれ!?お酒は?という向きもありましょうが、明日からまた断酒いたします。

2007年8月11日 (土)

京都通信vol.2

 身は京都に在れども心は家という毎日です。それではいけないとは思いつつも、現場で家の仕事をさせていただいております。梅津さんには感謝だな。一刻も早く帰りたいがために、ホテルを一日短縮し、最終日の夜に新幹線とバスを乗り継いで家に帰ることにしました。

 それにしても暑いらしい。「らしい」というのは、百貨店とホテルにしか居ませんから、体感していないのです。百貨店の中の私の座っているところは、空調が効きすぎて寒い!他は暑いらしい。

 こういう場合は体調を壊します。鏡を見たら、目の下にクマができている。その上じんま疹のようなかゆみも出てきた。企画会社社長の「ござ屋の亭主」が、「肝臓と腎臓が犯されているぞ」と脅す。私がしていることは、食べることと寝ることと、ビタミン剤による栄養の補給と酒を飲まないこと程度です。家を建てるというストレスによって、様々なことが起こるという噂は聞いておりましたが、さもありなんと思いますね。

 まぁ仕方がない。なるようになるでしょう。

 オンセの高江さんがようやく見えました。ポスター、チラシは、彼が主人公でスターの如く大々的に紹介され、電車の中吊りにもなっているらしいのに、三日間居なかった。スターがようやく登場したのですから、全体の成績も良くなることでしょう。

追伸
 高江さんによると、「最初の三日間は行けないという条件で出店をしたので、ポスターに出るなんて知らんかったんよ」という事でありました。本人の名誉のために追伸!

2007年8月10日 (金)

京都通信

 今日で三日が過ぎました。お手伝いいただいている梅津さんのお陰で、何とか成績が上がっています。私はと言えば、テーブルを一つ頂きまして、パソコンを前に、19日のショップオープンに向けての準備を、着々と致しております。

2007_08080059 今回も一久さんが一緒です。

 よって、昼食もお昼休みも夕飯も全部一緒。

 今日も今日とて洋食屋へ。

 ビール無しで美味しく頂きまして帰ってきました。

 一久さんが私のブログを読みまして、「私は変人かな?」と宣う。
 変人だと言うことが分からないところが、変人の変人たる由縁でありますね。

 さて、明日は何を食べましょうかね!?

2007年8月 9日 (木)

ショップオープンのお知らせ

 私の特徴に、「忘れっぽい」というのがあります。小さな時からそうなのです。

 これから関東近辺の皆様へ、ご案内を差し上げるところですが、ひょっとすると、案内を出し忘れる方がいらっしゃるかもしれません。お気を悪くなさらず、是非新しい工房に入らしてくださいませ。

 また、お見知り置き無い方、初めての方、このブログだけでお会いする方も、ご遠慮なくお越し下さいませ。

 その為に、ここに改めまして、皆様にご案内させていただきます。

紺邑 ショップオープンのご案内

 本建て正藍染めの工房「紺邑」は、工房を佐野市閑馬町に新築し、新しくショップもオープンする事となりました。これからは、本建ての藍染めを見学しながら、商品もお買い求めいただけます。
 オープン初日には、心ばかりのおもてなしのご用意をいたしましてお待ちしております。お忙しいこととは存じますが、是非ご来店下さいますよう、ご案内申し上げます。

平成19年8月
紺邑 代表 大川公一 

オープン!
期日:8月19日(日)
時間:午前10:00より

ショップ営業日:火曜日~日曜日(月曜日定休、日曜祭日は営業)
営業時間:午前10時~午後5時まで
(定休日、時間外にお越しのお客様は、前もってお知らせ下さい)

本建て正藍染め 紺邑
〒327-0321 栃木県佐野市閑町1010
℡0283-65-8884 FAX0283-65-8885

アクセス
Konyu_map 桐生・田沼線のJA愛村支店の信号を「閑馬小学校」方面に折れ、小学校を過ぎて直ぐに左折し、最初に右に入る道を入ると紺邑があります。

※電車をご利用の場合
 JR両毛線佐野駅下車。東武佐野線田沼駅下車。ご連絡いただければお迎えに参上します。

※東京からバスを利用する場合
 佐野アウトレットまで高速バスがあります。時間をお知らせいただければお迎えに伺います。

京都

 大丸京都店の催事が始まりました。

2007_0808  ここは朝搬入です。

 前夜の夜中にホテルに着いて、ネットに繋げるのに四苦八苦した寝不足気味の目をこすりながら展示。

 お手伝いの梅津さんが早めに来てくれたので少しお任せして、十分に余裕を持って出来上がりました。

 ちょっと寂しい気がしますが、商品が少ない上に、半分は伊勢丹立川店に行っているのですから無理無い話。

 どうなることかと思いましたが、よいお客様に恵まれ、何とかお商売になりました。梅津さんという良い方にお手伝いいただいている仕合わせを感じますね。

 さて夕飯ですが、京都に来たら例の洋食屋さんに行かねばなりません。一久さんと熊野筆の鉄と三人で食してきました。相変わらず気分良く、美味しくいただいて参りました。ビールを飲めないのが残念ですが、もう少しの辛抱です。

 夏の、それもお盆時の京都の百貨店には、お客様がお見えにならないようです。ご家庭でお盆の支度が大変なのだと聞いております。こういう時の催物に「職人展」は便利なのです。何せ百貨店にとって、他の物産展に比べて面倒なこともない。使用する什器にもその他にも経費がかからない。百貨店がそれに気がついたから、二・八月という閑散期に、我々は仕事が多くなった。

 さて、出展者の覚悟の方はどうでしょうか!?

 この辺りは、今後の課題でしょうね。

2007年8月 8日 (水)

デスクワーク

 吉祥寺が終わり、急いで帰宅。そのままパソコンにかじりついてDMとショップのオープン案内の制作と印刷。

 次の日も朝からパソコンに向かいっぱなし。夕方急いで旅立ち、新幹線のぞみの最終一本前に飛び乗って一路京都へという慌ただしさでありました。

 京都に着いて、地下鉄で四条に行こうとしたら、20分以上待たなくては来ない。仕方なくタクシーでホテルに着いたら、ほぼ夜中の12時でありました。

 このホテルの名は「東横○○」といいます。私は滅多に泊まりませんが、夏はいつものホテルが高い料金の部屋しかないため、仕方なくこのホテルに泊まることになります。

 私はこのホテルが好きではないのですが、その理由は判然としません。多分、心が感じられないからだと勝手に考えております。言っておきますが「勝手に」です。

 目の前に「和英対照 仏教聖典」というのがある。どうもこういう精神が駄目なのですね。「じゃぁ泊まるな」とおっしゃる向きもあろうかと思いますが、このホテルは実際にフロントや予約係がそう言いますからね。

 では何故泊まるかと言えば、隣が仕事場で歩いて一分、料金がこの時期とても安く、しかも予約できたと言うことが一番の理由です。

 寝るだけなら何とか我慢できますが、こちらが嫌えばあちらも嫌うのは世の常。

 到着してパソコンにランケーブルを差し込んでも、思うようにネットに繋がらない。ようやく繋がったのが1時半過ぎでありました。

 そして、ブログに穴を開けたという顛末のご報告でもあります。

2007年8月 6日 (月)

伝統工芸の品

 吉祥寺最終日、そろそろお片付けの準備をしようかな!?と思っていると、支店催事部の担当がご挨拶にいらして、「この間は済みませんでした。どうでしたか?」とお聞きになる。何の事やらさっぱり分かりません。お話を聞くと、初日に販売担当の偉い方が、色落ちの問題や品質表示や堅牢度の問題で、紺邑の藍染に何か意見があったということでした。

 この方は婦人服を扱っていたらしく、既存のアパレル製品から伝統工芸の品を見てのお話だったらしい。曰く「インディゴも随分扱ってきたが・・・」などとおっしゃる。支店催事部の担当は、私の実演も見、話も聞いていますから、「これは正藍染ですから、おっしゃるような品とは違います」と言って下さったらしい。

 その偉い方が、会期中私の所に来て何か言わなかったかという心配をなさっていたから、上記のような言葉が出てきたのでしょう。

 紺邑としては、色落ちの問題も、品質・洗濯表示の問題もきっちりやっておりますし、堅牢度を調べろと言われりゃ調べもしますが、こいつに関しては染めた直後と年を重ねたもの、染めたときの気候や藍の状態、素材の種類と品質などで、随分違う結果が出るでしょうし、それがまた伝統工芸の特徴でもあるのですね。

 これは、百貨店が伝統工芸をどう見、どう扱うかという問題に過ぎません。そう申し上げましたらこの担当は、「その通りだと思います」とおっしゃる。この人との因縁もありましてね、だからこそ、こう言って下さるのでしょうが、それを企画会社の藤田君は「大川さんの武勇伝」と表現する。

 伝統工芸には、変われることと変われないことがあるのです。
 変われないことは「本質」です。
 変われることは表現方法。

2007年8月 5日 (日)

サルサの女王

 暑い日曜日となりました。どうも商売は調子が悪いが、別な仕事が捗(はかど)っております。それはそれでありがたいことです。

 夕方、日本橋に来る予定で忘れて来られず、浦和か府中に来る予定で来なかった、人呼んで「サルサの女王」ことDIVA NORIKOこと典(のり)ちゃんが遊びに来ました。久しぶりに会いましたが、昨日まで会っていたような感じだな。同窓会で友達に会うと、その時代に戻るのと同じですね。

 まぁよくしゃべる!この私が大人しくなりますからねぇ。もう商売そっちのけで喫茶店に行きまして、随分長く過ごしました。お代わり自由なので、私は紅茶を三杯頂いた程。

 青春の真っ只中の付き合いで、苦労を共にしたと言うところもある。そして彼女は今、別な苦労をしているけれど、歌があるから何とかなるのでしょうね。それはそれで仕合わせなことだな。

 年齢のことはちょいと伏せておきますが、この人はキューバーが長かったものですから、レコードデビューは南米だった。それも、若いアイドルとしてです。ちょいと前に、スマップの中井君がやっている番組に彼女が紹介されて、その時の映像が流れましたが、そりゃー見た目は若かったですね。

 私はラテン音楽をよく知りませんが、この人のお陰で、キューバ大使館主催のパーティでサルサを歌わされたことがある。スペイン語も分かりませんので、スティービーの曲か何かをアレンジしたのだと思いますが、ありゃー冷や汗ものでしたね。

 その後、アメリカで大きな賞を取るようなサルサバンドが日本からも出ましたが、彼等は日本では、典ちゃんのコンサートの前座でありました。つまり、日本のサルサの草分けがDIVA NORIKOと言う訳なのです。

2007年8月 4日 (土)

吉祥寺

 吉祥寺におります。
 ホテルは三鷹に取りましたが、来てみると、昔々、国分寺の丸井の一階の催事に出たときに泊まったホテルでした。ちょいと思い出しましたね。

 8月1・2・3日は、花地(かじ)さんに吉祥寺を頼みまして、私は工房で染めながら、整理やら何やら忙しく働かせていただいた。4・5・6日は花地さんにご用があって出来ないので、工房に心を残しながら吉祥寺に来ております。

 実に商品が少ない。
 実にお客様が少ない。

 品揃えを見ますと、正直愕然と致します。しかし、「ある商品で如何に商売するかも覚えなくてはいけないよ」とは、隣にいる小島人形のおじさんの言葉。その通りでしょうね。冬物のウール・ケープのご注文を頂きまして、かろうじて格好がつきました。

 少々疲れ気味で、これは致し方ない。疲れを取るには休むしかありませんから、さっさとホテルに帰り、お弁当をいただいて寝ましたね。

 そうそうもう一つ、ここ数日、お酒を飲んでおりません。工房のショップオープンまで、お酒を断つことに決めたのあります。「命あっての物種」でありますからね。 

2007年8月 3日 (金)

工房

 新工房が出来て三日経ちました。少しは落ち着いたかなとは思いますが、まだドアに取っ手も着いていないし、前の庭の整備やらなにやらと、やらなければならないことは沢山あります。

 八月一日の初日で一番うれしかったことは、家族全員が集まったことですね。私は四人の子持ちで、その上、二人の娘に連れが各々ありましてね、随分賑やかでありました。夜は風間君を入れて宴会をしましたが、これ以上の喜びはありません。何のために働くかという意味を、私は時折偉そうに語りますが、芯の所では、家族の為というのは外せません。

 さて、ちょっとご報告。

20070802090658  これが新工房で最初に藍が建った、ステンレスの藍甕の様子です。

 「すくも」と灰汁だけで建ちました。その他はかさ上げ後に、醗酵を落ちつかせるための貝灰を入れただけ。黒砂糖もフスマも入れておりません。

 まあ、専門家ではない方にはお分かりならないでしょうが、しっかり建っておりますし、藍花の勢いが非常によろしい!

 

2007_07240041  このくらいの深さがあります。

 私の身長は172センチ弱と言ったところでしょうから、割合深いでしょう!?

 ここに現在、一俵半の「藍」が入っているのです。

 灰汁だけで建つことは分かっておりますが、こんな勢いの良いのは初めてです。
 何が原因か分かるものではありませんが、水と環境が今までと違うことはハッキリしていますね。

2007_0724 お分かりいただけますかどうか、深さ130mの水脈から取っている地下水です。その量も半端ではなく、ステンレスの甕が8分で一杯になる。

 染めた後の洗いも、贅沢に、この地下水をたっぷりと使って行います。

 この水がすばらしいのだと、私は考えております。

20070801095715 その地下水で「灰汁」を作っているところです。
 
 文明も捨てたものではなく、ゴムホースからは熱いお湯が出ています。この地下水には鉄分は含まれておりませんから、赤水は決して出ることがありません。

 以前は、小さな湯沸かし器で、ちょろちょろとしかお湯が出ませんでしたから、これも夢のようだな。

 効率が抜群に良くなって、二人で染めていますと、布を洗う水槽が足りません。今後の課題ですが、これはうれしいことでもあります。

 この数日は、藍染をしながら社長業もこなし、毎日クタクタになるまで働いておりますので、ブログを書くのもママならぬ数日でしたが、明日は吉祥寺伊勢丹に行かねばなりません。

 予定ではこの時期、工房は既にオープンから数ヶ月が経ち、品物が沢山あるはずでしたが、その思惑は大きくはずれました。その分、販売の現場では苦労が続いておりますが、「雨降って地固まる」ですし、「災い転じて福と成す」とも言います。

 本文を尽くすことといたしましょう。

2007年8月 2日 (木)

工房オープン二日目

 藍が建ちまして、染めはじめております。

 全く灰汁だけで建ちました。「これが本当の地獄建てだな」と風間君に言うと、「いや、天国建てですね」と言う。彼はクリスチャンなのでありますよ。

 記念すべき最初の染めは、いつもと変わらぬ綿のジャガード織りの生地6mでした。「こういうときは特別なものを染めたいな」とは言ったものの、そういうこともなく、またそれが紺邑らしいところでもあると思っております。

 本日も、ものすごくあわただしい日となりまして、やはり落ち着いたらご報告し直す所存にて、またまたこれにて失礼つかまつります。

2007年8月 1日 (水)

御礼

 8月1日を持ちまして、紺邑は栃木県佐野市閑馬町木戸1010に移転いたしました。

  19日からはショップもオープンします。

 あわただしく一日を過ごし、御礼もままなりませんが、明日は落ち着くでしょうから、改めてご報告と御礼を申し上げます。

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