桐下駄
栃木市の下駄屋、沼尾商店の沼尾さん。 栃木市は日本三大桐下駄の産地と言われ、20年くらい前までは組合もあり、生産の盛んなところでした。
沼尾さんはその中で、実に泥臭く生きてきた。
作っているだけでは飽きたらず、昭和30年頃、販売を覚えるために東京の問屋に4年間つとめ、神社のお祭りの境内で香具師の如く店を出し、生産と販売をしてきたのです。
他の業者は問屋とのお付き合いだけだったのでしょう。
日本人のライフスタイルが変わり、下駄を履かなくなった現在、そういう業者達は廃業を余儀なくされ、沼尾さんが、栃木市に残るたった一人の下駄屋さんになってしまいました。
気取りも衒いもない人ですが、創意工夫の人でもある。
ヒット商品は、竹の皮を畳のように編んだもの(竹皮畳下駄)。
今では下駄屋さんは皆作っていますが、以前は沼尾さんただ一人でした。
それが「サライ」に取り上げられ、全国区になっていった。
藍染の下駄なんて言うのもあり、昔は親父殿の工房に、常に沼尾さんの下駄の木地が置いてあったものです。
親父殿の工房のあった足利市も沼尾さんの栃木市も、「小京都」と呼ばれる町で、我が両親と「全国小京都展」で日本中を一緒に回った仲でもある。
親父殿の生き方は、所謂「旦那」の面影があり、遊びも銀座や祗園でしたから、沼尾さんから見ると対照的で新鮮であったのでしょう。
いつも一緒に連んでいて、食べたり飲んだり泊まったりしていたらしい。
今でもそれを懐かしんで頂いていますが、それはそれで実にありがたいことです。
私が独立した後は、色々気に掛けてくださり、商品を沢山お買い求め頂いております。
栃木県の伝統工芸品に指定され、子供達も皆独立し、ご自宅も改装して店舗も構え、ご夫婦で焦らず怠らず、こつこつとご商売なさってお出でだ。
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