雄山焼(ゆうざんやき)
藤掛雄山(ふじかけゆうざん)さん。陶芸家であることは間違いない。
その作品は好事家にとっては垂涎の的。
だけど作家面をすることは決して無く、展示会をやるでもなく、ギャラリーや問屋と付き合うでもなく、こういう催事だって今や宇都宮だけしか出てこないから、雄山先生の作るものは手に入らない。
だから、雄山さんの作るものは「幻」と呼ばれる。
東武宇都宮百貨店の「職人の技展」初日の名物は、開店と同時に雄山先生の売り場に人が押し寄せる光景です。
そして一日で、いや午前中で作品のほとんどが売り切れる。
回を重ね、さすがの雄山先生も知恵を付けまして、作品を売り場の彼方此方にちらばして置くようになった。
そうすることで、一人が沢山買えなくしたのです。
それで売り場が少し落ち着きました。そして作品を全部は出さない。
この辺りを詳しく書いてしまうと色々と支障を来たす。
作品についても然りで、表現が難しいのです。
どういう事かと言いますと、買いに来るお客様は、大事に仕舞っておくか、または有料で人に譲る方々、つまり仕入れなのです。
催事場の近くには、本の売り場があるのですが、いつぞや好事家対象の専門誌をそこで見ましたらその中に、「幻の雄山鉢手に入る」と大きな広告がありまして、随分高い値が付いておりました。
先生曰く「ああ、これはいつ何処で幾らで売ったものだ」となる。
雄山先生の作品は、こういう事があるから詳しく書けないのですよ。
下手をすると、彼等の商売の邪魔をすることにもなりかねませんから。
いやいや、これでもある方です。
初日隠していましたから。
本日はもっとカラカラですが、写真を撮るのは止めました。
想像してみてください。
カミサンも鍛冶屋の武田も雄山さんが大好きですが、私が「買うな!」と言ってあります。
お客様優先ですから。
実は私も欲しいのですが、我慢しているのです。
この雄山先生が十何年も前、現在の私よりも若い頃、二度だけ日本橋高島屋の「伝統展」に出展したことがある。
我が親父殿の推薦でした。
最初の時、京都の紙屋の社長が私の所に来て、「おい、あんなの売れんのか?」と宣いましたがその初日、例の如くどこで噂を聞きつけたか大勢の人が押し寄せ、あっという間に作品が無くなった。
そして紙屋の社長は「すっげぇなぁー、なんだありゃー」とあきれておりました。
次の日の朝礼で、当時の担当で現在某企画会社社長のIさんが、「一日で商品が無くなるようなことが無いように、皆様しっかりと物づくりをして下さい」だって。
しっかり物づくりをしているから、一日で無くなるようなことになるんです。
催事に出ない雄山先生が、何故「伝統展」に出たかというと、東京に嫁いだ娘さんに会えて、しかも彼女が仕事を手伝ってくれるからという理由ただ一つでした。
それを知らない高島屋が二度目の時、理不尽な条件を終了後に押しつけてきたので、先生はあっさりお断りしてそれ以来、二度と日本橋高島屋に出店することはありません。
この東武百貨店の催事に最初に出た頃、お客様が先生に「これは何焼ですか?」とお聞きになった。
先生ちょっと考えてから答えて曰く、「雄山焼です」。
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コメント
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実に楽しい記事ですね。
[当時の担当で現在某企画会社社長のIさんが、「一日で商品が無くなるようなことが無いように、皆様しっかりと物づくりをして下さい」だって。
しっかり物づくりをしているから、一日で無くなるようなことになるんですけれどね。]
この行には思わず笑ってしまいました。
私も将来は、自分の好きなギャラリーで自分の作った作品だけで、年に1・2回の個展を開いていければ一番良いなと思ってます。
会社として考えるとそうはいきませんが、後進に会社は譲って、自分の個展だけで自分のペースでやって行きたいですね。
投稿: ティディベアー | 2007年8月25日 (土) 08時24分
職人としては、私もあなたもまだ若いから、働かされているのでしょうかね。一つの工芸が生き残るためには仕方ないことかもしれません。
雄山さんともあなたとも立場が違うが、私にも夢がある。
それは老後の暮らし方ですが、ここで書いてはブログのネタがなくなってしまいますからそのうちにね・・。
投稿: 紺屋 | 2007年8月27日 (月) 08時26分