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2007年9月25日 (火)

褐色から婆娑羅へ

 今日は訳あって、大阪は高槻に行って参りました。とんぼ返りの日帰りです。

 

 通販のお話があったので、ご担当と打ち合わせの後、高槻西武の売り場にその方をお連れし、具体的に商品のお話をさせていただいた。

 

 出展者を見ると、当然知り合いばかりだが、懐かしい顔も見られましたね。珊瑚細工の仙洞さんと久しぶりにお会いした。女性。この人とも古い付き合いだ。ちょっと一匹狼みたいなところもあるし、手作り展の方に出展なさっているからでしょうか、最近滅多にお会いしません。写真を取り損なったが、とにかくよくしゃべる人。私はただただ聞くだけ。こういう方は少ないな。

 

 この人の友達に、「婆沙羅」の綾子姉さんがいる。広島県は福山で、古布を洋服になさっている方ですが、この人も古い付き合い。彼女に言わせれば20年にもなろうという。ま、それほどでもないがそれほど古い付き合いなのですね。
 この人とは、松山で知り合ったのですが、「婆沙羅」というブランド名が珍しいので、「良い名前を付けましたね」と私が声を掛けて付き合いが始まった。

 

 「婆沙羅(バサラ)」は本来「婆娑羅」と書く。辞書を引けばその意味は出てくるでしょうが、なんと言っても日本文化を大きく変えた歴史的なものでもある。そんな話をしたら、未だかつて婆娑羅について語った人と出会ったことがなかったらしく、それで親しくお話しするようになったのです。

 元寇以来、鎌倉幕府の求心力が弱まり、各地の守護大名が力を持ち、勝手な行動を始める。そこから婆娑羅文化が生まれた。

 

 鎌倉時代を「色」で表現すると、「褐色(かちいろ)」の時代。「褐」は「勝」に通じ、強さと質実剛健をあらわします。褐色とは限りなく黒に近い藍染めの色だが、鎧に使われたものです。
 ところが幕府の求心力が弱まると、異様な服装をきらびやかに飾り立ててた、佐々木道誉などの婆娑羅大名というのが出てくる。これが日本の茶道・華道、侘び・寂びという文化を生むのですね。太平記の世界だ。

 

 太平記と言えば、我がふるさと足利市は、その主人公とも言える足利尊氏の出身地と言うことになっている。事実は、尊氏が居たことも居なかったことも分からない。しかし、足利氏の拠点であったことは事実だ。

 

 そこで我々若手有志が集まり、町の活性化の為に、「婆娑羅パーティ」なるものを企画したのです。名付けて「この夏の終わりに バサラ」。場所は、現在時折テレビに紹介されます、大きな藤棚で有名な「足利フラワーパーク」の前身、「早川農園」でした。場所は違いますけれどね。

 

 このパーティの1・2回の実行委員長が私でありました。

 

 長くなりましたので続くと致します。

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コメント

「紺邑看板」の書の彫りには、細かい切り込みの模様が刻んでありますよね。それは何を隠そう「婆娑羅」の刺し子を藤沢小田急で拝見し、それをイメージして彫りに追加してみたものです!

道楽者さん、毎度。
しかし、「縁は異なもの味なもの」ですね。

ところで例の搬入ですけれど、お目当ては何でしょう!?

確か去年も、テレビで聞いたあの声が、お隣から聞こえてきましたからね。
日時は10月31日の午後10時過ぎですぜ。
どうしますかね?

「お目当て」とっ? それは愚問!

終電に間に合いそうなら行きまっせ。

10月31日は「紺邑」と「武田刃物」のパシリになるべし。

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