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2007年10月

2007年10月31日 (水)

渋谷

 上六が終わり、省ちゃん夫妻と、曲げわっぱの性ちゃんと、馬革のバッグの白井さんとで渋谷に入りました。

 夜の搬入ですが、道遊さんがお手伝いしてくださり、早めに終わらせました。

 私、泊まるところが無く、急遽カプセルホテルに泊まっております。人生で二度目。

 これは、フロントといいますか、玄関といいますか、そこのパソコンで書いております。これからサウナ。ちょいとした冒険でありますね。

 勝手が分からず、オロオロしている自分も楽しいな。

 明日朝早いので、寝られることを祈りつつ、ではでは。。。。

2007年10月30日 (火)

日報

 とんぼ返りで大阪に帰って参りました。

 工房では思わぬほど仕事が溜まっていて、朝十時には電車に乗ろうと思っていたのがとんでもないことに15時頃になっちゃった。

 それで仕事場に戻れず、ホテルに入り、パソコンにデータを入れております。

 さすがに疲れたかな!?

 ただの日報だな、こりゃ!

2007年10月29日 (月)

急な帰宅

 昨夜は恒例の懇親会。私がやり方を教えた宴会ですから、どうしても司会役を仰せつかる。

 一騒ぎしてからの二次会も恒例。場所は百貨店のとなりの都ホテルのラウンジですが、百貨店の社員と販売アルバイトの出席者の多いのが不思議です。私の泊まっているホテルは、学生会館みたいなところで、12時には玄関が閉鎖され、インターホンで係を呼び出さなければならないので一足先に帰りましたが、それでも11時半を過ぎていたのではないかな。

 楽しい懇親会ですが、これは出席した人でないと分かりませんね。当たり前か!だけど、飲み過ぎて、ブログを書けませんでしたね。

 今朝開店前に佐野からありがたい電話がありまして、急に家に帰ることにしました。パソコンのデータも、工房のパソコンにコピーしなければならないので、ちょうど良かった。メールで送れば良いとお思いでしょうが、ISDNでは大量のデータは送れませんからね。山の中は環境はよろしいが、こういうアクセスはどうしようもありません。

 それでも帰れると言うことは、販売をお手伝いいただいている梅津さんのお陰だな。この方のすばらしさに、私はようやく気がついた。修行が足りませんでしたね。

 明日、大阪にとんぼ返りです。

2007年10月27日 (土)

久留米絣 2 粗苧

無形文化財の久留米絣は、粗苧(あらそう)という、麻の表皮を裂いたもので括る。

出したい柄の大きさに合わせて、自分で太さが調節でき、ぬれると締まるので、藍が中に入ることがない。
 
事実、括った所はまるで石のように堅くなる。

そして、括っていないところの糸がふくらみ、空気が良く入り、斑なく染めることが出来、青味と白味の境がくっきりとした柄で出るわけだ。

たいした知恵だと、私は思いますね。
 

これを化繊の糸なんかでしますと、最初は堅く括れても、段々ゆるんでくるわけで、括ったところに藍が入ったり斑が出来たりしてしまうのですな。

ましてや括った糸は、何度も何度もたたいて糸の中に空気を入れて酸化させますから、柔な括りではいけませんからね。

繊細な柄の出せる由縁でもある。
 

粗苧は麻だから、容易に手に入らない。

文化庁が管理し、久留米絣の文化財のために支給される。

その意味は、栃木の人間には良く分かるのです。

日本の麻の80%は栃木で作られておりますのでね。

麻は大麻でもあるわけでね、管理が厳重で、畑に出入りなど出来もしませんし、むやみに栽培することも許されません。

 

さて、国指定の文化財になりますと、その条件を全て満たしていなくてはなりません。

文化庁に管理されることでもあるから、ごまかしは出来ません。

これが割合重い事のようで、お母さんは時折私に愚痴を言うな。

しかし、他の文化財との交流などもあって、日本の文化の継承の努力は見られますね。

 
 
私とは生き方が違うことでもあり、藍染めに関しては、糸染めと後染め(布染め)の違いがあります。

これまた、全く違う世界。

 

糸を括り、染め、機を織るのは、素朴な世界で、どちらかと言うと、主役は織りですね。

だから、本染めではない絣でも、デザインや織りでカバー出来ないこともない。

布を染めて、着物や洋服を作るのは、町場の文化で、染めが主役になれる世界だな。

だから、私も染め屋でいられるので、糸染めだったらやっていないかも知れません。

 
こういうことは、お客様の好みにも反映されましてね、糸染めと布染めは、全く競合しないのです。

だから同じ藍染めをしているのに、省ちゃんとは仲が良い。

 

彼の家に泊まることもありますが、「大川さんといると、しゃべらなくても良いから楽だ」と省ちゃんは言います。

確かに彼は寡黙だ。

でも、こと絣の話になるとよくしゃべってくれます。

読書家でもあって、それも岩波文庫を良く読んでいる。

「ガリア戦記」なんて言う変なものを読んでいて、当時のイギリスでは、ウォード(大青)で顔を青く塗った戦士がいたなんて事を、私に教えてくれたりする面も持っている。

彼のような人がいれば、久留米絣も大丈夫でしょうね。

 
 
彼の工房の名を「山藍」と言います。

工房は新しいが、藍甕の沢山並ぶ染め場は、古くて歴史を感じさせます。
 
住まいは大邸宅ですが、この間リフォームした。
 
ところが風呂場が狭い。
 
あの巨体が足を伸ばせないそうで、私にはちょうど良かった。
 
やはり、身体は企画はずれですな。
 

2007年10月26日 (金)

久留米絣

2007_1026この人が、省ちゃんこと山村省二。

肩書きを正確に書きますと「国指定重要無形文化財久留米絣技術保持者会会員・日本工芸会正会員」とバカ長いものになります。

 

 

久留米絣にはいわゆる人間国宝はいません。

結城紬と同じように団体指定だからですが、この辺りを取り違えている人が多い。

そもそも「人間国宝」という言葉自体が,、妙なものではありますがね。

文化財は文科省、伝統工芸は経産省と、関わり合う担当の役所が違う。

どちらが厳しいかと言えば、文化財でしょうね。

まぁ、そんなことはともかく、省ちゃんはお国にも工芸会にも認められた人だと言うことはお分かりでしょう。

2007_1026_2それにしてはご覧のように身体がでかい!

お客様の頭二つ出ていますね。

そう言うと「大川さんは態度がでかい」と返してくるのがお決まり。

 
 

絣の技法は、日本独特のものではありません。

これもシルクロードを通ってきたのでしょうか。

久留米絣の歴史も、2~300年位とまだ若い。

これは、弓浜や伊予だとて同じ事。

こういう事は、藍染の発展の歴史にも関わって参りますが、やはり、享保の改革の影響があるだろうと推測します。

  

久留米絣と一口に言いますが、無形文化財による手織りの物と、機械織りの物と二つありますね。

その辺は、省ちゃんにも迷惑が掛かるかも知れないので詳しくは書きません。

 
無形文化財の物は、麻を裂いたひも状のもので括り、本建ての藍で染め、手織りした物でなくてはなりませんから、手間暇が掛かる。

30以上の行程を経て出来上がるのですが、そんな伝統的な本当のことをやっていると、作品の数など出来ようもない。

ですから、流通している物のほとんどが文化財では無いものだ。

これも仕方ないことかもしれませんが、消費者は知っておく必要があるとは思いますね。

  

さて、省ちゃんの技術的特徴は、「括り」「藍染め」「手織り」の全てを自身の手ですることが出来るという事です。

その全てが出来る人は、文化財の中でも数人でしょう。

その中で一番若いのが、省ちゃんだな。
 

作品の特徴は、藍染めだけではなく、草木染めを交え、織りでぼかしなどの繊細な技法を取り入れているところかな。体つきに似合わずね。
 

付き合いは、実は、母上との方が古いのです。
 
こちらも、国指定重要無形文化財技術保持者で、もちろん国宝展にも出展できる織りの名手です。

省ちゃんも、「早いし正確です」と表現する。

そしていつも私に、「あんた、省二を頼むわよ」と脅す。
 

ご主人のご存命の頃は、三歩下がって決して影を踏まず、先生が杯を持つと黙ってお酒をつぎ、食事中に声を発する事など決してしなかった人が、先生亡き今、カラオケまで付き合うようになり、それどころかよく食べよく笑い、すっかり大きくなられた。
 

忘れてはならないのが、省ちゃんの奥様のえっちゃんだな。

影ながら、織り、デザイン、仕立て、経理をし、と八面六臂の活躍で山藍を支えているところは、我がカミサンとにていますね。

こちらは、我が親父殿と母上との付き合いが古いく、パパ・ママなぞと呼んでくださるくらいだ。

 

落ち着いたら加筆することにして、今回はこれまで!

2007年10月25日 (木)

モバイルプリンター

 上六の「職人の技展」は28回を数えるそうです。来年の秋の催事は、年二回開催ですから、何と第30回目となる。私は2回目からの出ており、一度休んでいるので、26回出展していることになりますね。

 今回の初日は、始まって以来の暇さ。お陰で名簿の整理が出来てしまっております。

20071025215247_2  遂にというか、いよいよというか、携帯用のプリンターを持たされてしまいました。

 用途は、受注したお客様と商品の写真を、伝票に添付し、分かりやすく、間違いの無いようにすること。これが一番です。

 今日は、それもなかったので、まだ顧客数のわずかな、次週の東急東横のDM製作を致しました。

 ソフトのインストールからしたものですから、ものすごく時間が掛かり、22枚を印刷するのに、九時頃から始めてこの時間に終了(十一時半)。やはり、スピードは遅いですね。

 こちらに来る前に、銀行の取引も、全てインターネットで出来る契約をして参りましたので、これからは、私が動くオフィスとなるようだ。どうも、便利な世の中だけれど、不便でもあるな。休めませんものね。

 写真の右側にあるビールも、これから頂くことに致します。その前に、風呂だ!

2007年10月24日 (水)

良い日

 今日は近鉄百貨店上本町店で開催される「職人の技展」の準備日。

 いつもですと、藤沢から横浜に移動し、ホテルでゆっくりして、充分時間をとってから大阪に入るのですが、今回は工房で一仕事して来ました。

 今日はすばらしい日でした。今までの努力が少し報われた気がします。夢と努力だけで生きて来たというのに、それを認めてくださる方々が沢山いらっしゃることに、感謝するしかありません。きっと良い日だろうと暦を見ましたら仏滅。当てになりませんね。

 こんなにゆったりとした気分で大阪に来ることも初めてです。大阪弁も気になりません。準備もゆったりとして、明日朝完成させることにしまして、ホテルにチェックイン。

 明日から販売に励みましょう。

 

2007年10月23日 (火)

藤沢通信vol.6 本物

 今日は藤沢の最終日。何と午前中に予定以上の売り上げが出来てしまって、ゆったりと過ごしました。佐川も2時頃来てくれて、配送の手配も早めに済みました。工房から電話があって、やっておいた社長業も上手くいった。明日の午前中に手続きして、その足で大阪に行く予定です。

 東京のど真ん中の、某超有名百貨店で仕事をしている鍛冶屋から、神奈川県の片隅の、小さな町の百貨店で仕事をしている私に、メールが入りました。
 お客様が、近所の研ぎ屋に包丁を二つ持っていったらしい。一つは鍛冶屋の手打ち。それを見た研ぎ屋に、「すごい包丁だね」と褒められたとのこと。もう一つは、「駄目だよこりゃ!高い買い物をしたね」って、散々だったらしい。
 
 昔、四国のある百貨店で、目の前が与板の刃物屋さんだったことがある。この人は問屋さんで、研ぎをしてお客を集めていた。
 ある時、鍛冶屋の包丁をお客が持ってきて、研ぎを頼んでいる。預かった刃物屋さんはそれを手に取り、しみじみと眺めてから、奥様を呼んで見せていましたね。結局は同じ感想を持ったのでしょう。

 本物というのは、そういう説得力があるので、専門家が見れば一目瞭然たる物でもあるのですね。消費者も、本物を見る目を持てば、もう一本の「駄目だこりゃ!」なんて研ぎ屋に言われるような包丁を、買うこともなかったのです。

 では、本物を見る目はどう養えばよいのか?
 骨董屋の例が私は好きだ。

 骨董屋に丁稚にはいると、主人は毎日毎日、本物を見せ続けるのだそうです。頃合いを見て、偽物を入れておく。そして丁稚がそれを見て、「ちょっと変ですね」と言えば、目が利いてきた印。

 子供の教育にも、同じ事が言えるのではないでしょうかね。
 本物の家に住み、本物を着、本物を使い、本物を食する。これほどの情操教育は無いように思う。またそれが、私たちの暮らしを、本当に豊かにしてくれるのではないでしょうか。

 ご来店いただき、お買い物をして下さったお客様に、心から御礼申し上げます。紺邑の藍染めを使っていただくことで、皆様の生活が、真に豊かな物になりますよう、願っております。

2007年10月22日 (月)

「インド藍」と醗酵と

所謂「インド藍」を開発したであろう学者のお話を致しましたが、この「インド藍」というのは多分、商標かなんかなんでしょうね。

 

インド藍を「マメ科の亜潅木。草ではないので木藍とも呼ばれます。日本では沖縄県小浜島で採れ、泥藍で染めます。明治時代に大量に輸入され、蓼藍の衰退する原因となったともいわれています。」と、私のホームページでは説明させていただいております。
 
その中の藍の成分だけを抽出したものだと、私は想像しているのですが、どうでしょうか。

そう言うと、その開発した方は、否定しなかったな。

 

「醗酵のお話をさせていただいた」と書きましたが、醗酵というのは、農大の小泉教授に寄れば、「有機物が微生物によって分解され、人間に取って有益なものに変化すること」となり、それが「有害なものに変化すること」を「腐敗」と言うのですね。

有機物を醗酵させるためには、純粋なものではいけません。

そこには微生物の餌となる雑物が必要です。

だから、すくもや生葉は醗酵するのです。

しかし、藍の成分だけを抽出した、所謂「インド藍」には、多分、雑物が無いから醗酵しません。

だから還元剤を使わざるを得ない。

私がそう言うと、やはり彼は否定しなかったな。

無機質のコールタールから取った「インディゴ・ピュアー」は、説明するまでもありませんね。

 

昔ある雑誌に、「天然の藍染めが簡単に出来る」というコピーで、所謂「インド藍」が紹介されておりました。

これも草木染めの悪しき弊害とも言うべきもので(誰が言っているかと言うと、私)、原料が天然のものなら、染めも天然となってしまう。

つまり、工程が化学的であることなど、問題にしないのだな。

しかし、醗酵と言う工程と、還元剤を使った工程は、似て非なるものです。

これが化学に侵された現代人には理解し難いようです。

 

簡単に言えば、醗酵は食品になりますが、還元剤を使ったものは食べられますか、っていうことですよ。

たとえ食べられたとしてです、身体にどう影響しますかね。

醗酵は当然、有益なものとなる。

藍染めも同じでね、醗酵の藍染めは、人間にとって有益であるが、化学的な藍染めは、その原料が天然であろうとも、そうは言えない(遠慮がちに・・・)ということなのですな。

 
 
つまり、人類が染め続けて来た、何千年という歴史を持つ、藍染めの意味を失うのです。

2007年10月21日 (日)

藤沢通信vol.5 学者

今日は予感がいたしまして、早めに昼食を取った。

ラーメン!

 

さっさと食べて早めに帰って参りますと、予感通り、お馴染みさんが次々とご来店。

特に、道楽者改め道遊さんがいらっしゃると、いつも混み合うのですが、彼は2番目にいらした。
 
ほんの一時間ほどで、成人式を超える成績を上げさせていただきました。
 
楽しかったな。

 

しばらくしますと、昨日お取り置きしたアルパカのコートを、今日取りにいらして頂いてそれが加算され、紺邑の藤沢としては、立派な成績となったのですが、その忙しさが夕方まで続きました。

良い予感が当たると、良い気持ちですね。それにです、特筆すべきは、今回は私一人で販売していること。偉いなぁーと、自画自賛だ!

 

それでも色々あった。

80歳を超えているであろうお一人の紳士がいらして、「色止めはどうしている?」とお聞きになる。

「一切致しておりません」とお答えすると、「色が移ったらどうする?私は家内にいつも怒られているのだ」とまたお聞きになるから「移りませんし、綿ならば色落ちもそうはいたしません」とお答えした。

どうしてそうなるのかをご説明しようとすると、片手を上げて私の言葉を制し、「私は一消費者だから、コンサルティングは要らんよ」と、余計なことは言うなという風情。

そして徳島の話になって、「あそこにある大手の製薬会社の部長が、私のところに『徳島の藍玉』を持ってきてね、しばらくすると良い香りがした物だ」と語り出した。

私は専門家だから、藍玉とは何なのかを語れるのだけれど、その方は得々と変なことを語る。

私は黙ってお聞きしましたね。何かお買い求めかと思いきや、しゃべるだけしゃべって、「じゃ!」とお帰りになった。

私には知らないことも分からないこともない!という様子でしたが、何処の偉い人か知りませんが、あの年で勘違い人生をお送りになっている。

哀れですな、っていうわたしは、生意気ですな。

 

そう言えばその昔、二子玉の高島屋で、これもご老人に肩をたたかれて質問されたことがあったな。

曰く「何故ウールが染まるのだ」。

「そりゃーお客様は、ハイドロ建てから藍染めを見るからでしょう」と、醗酵のお話をさせていただいたが、この方は素直でしたね。

どうもお話を聞くと、所謂「インド藍」の開発に関わり合った学者みたいでしたね。
 
随分長い間お話しして行きましたが、私は事実を語っただけ。

でもその方は、「フムフム」とお聞きになっていたな。

その後もう一度だけ、どこかでお会いした記憶があります。

 

年寄りも学者も、人それぞれですな。

2007年10月20日 (土)

藤沢通信vol.4

 晴れた日の土曜日、藤沢は観光客で一杯になる。江ノ電の始発駅ですからね。ですからから、お客様がはいてこない。入ってきても家族連れで、わが藍染めなどには興味もお示しになりません。これは仕方ないので、いつものように、のんびりと構えておりました。

 それにしても、夕方4時になっても何の動きもない。こりゃー「お茶を引く」かな?と思っているところに、初日にいらした和田さんが、帽子の修理とお取り置きを取りにお見えになり、目出度く目が開く。

 少し経って、やはり初日のお客様が、アルパカのコートをお買い求め。終了直前に、やはりお馴染みのお客様が、メンズのシャツをお求めになり、目出度く一人前の成績となりました。

 毎日勉強しておりますが、無理はいけませんね。誠意は通じると言いますか、良い品を作るしかありません。秋に入りますと、こういう日々が続きます。それでも紺邑は、暖かな藍染めがあるからまだ良い。綿しか染められない工房は、冬を乗り切るのがやい変だろうと思うが、そうでもないか!?

2007年10月19日 (金)

'07/10藤沢通信vol.3

  赤福の事件は大変残念なことです。暖簾の復元をさせていただいたご縁もありますし、一刻も早い復活を祈ります。我々も、小さいなりに色々ありますが、規模が大きくなると、問題の大きさは、比較にもなりません。油断は禁物ですね。

 今日も今日とて、ゆったりと時が過ぎてゆきました。私の気持ちもゆったりだ。

 この売り場では、良いお客様に出会えるかどうかだけが勝負のようなもので、その方にふさわしい品揃えが出来ているかが大切なのですね。

 今日の午前中は、なんの動きも無し。

 お昼をいただいた後に、お馴染みの和田さんがお見えになった。どうもいつもと違うと思ったら、懐に犬がいない。もう19歳だそうで、最近寝込んでいるのだそうです。面倒を見るのが忙しく、犬がちょっと寝たところで出てきてくださった。
 帽子の修理のご依頼でしたが、Tシャツがお取り置きとなりました。

 それからまた何も無い時間がが過ぎ、またご常連の奥村さんご一家がいらした。お二人で紺邑のベストジャケットをお召しで、「何処に行っても褒められるよ」と、私が褒められた。
 「そのベストの下に如何ですか?」とご主人にシャツをお勧めすると、ご子息が「それ、良いなぁー!似合うよ」と感嘆の声を上げる。良い人だぁ!「じゃ、もらおう」と、即決。
 奥様には、今日届いたアンゴラの濃紺のケープをご紹介した。今度は、声も出ないくらいに似合う。本当にきれいだ。どっちが?って、両方。でも決められない。そりゃーちょっと値段が張りますからね。「じゃぁ、私たちは○○に行っているわね」といってご主人を置いて行かれた。
 包装とお勘定を済ませてご主人に品物をお渡しすると、帰りしなに、「これだったな」とケープを確認してお帰りになった。
 これはひょっとするとお戻りになるなとお待ちしていると、しばらくして、「戻ってきたわよ」と本当にお戻り。
 これだけで一人前の成績となりました。

 これが藤沢ですから、焦っちゃぁいけませんのですよ。

2007年10月18日 (木)

'07/10藤沢通信vol.2

20071018183722  藤沢小田急は昔の名前。現在は、小田急百貨店藤沢店。あの江ノ電のターミナルビルでもある。

 小さな百貨店ですが、湘南のお客様にはお馴染みで、数は少ないが、良いお客様に恵まれています。


20071018183817  三角州のような変わった売り場ですが、何代か前の部長がスペースマネジメントの一環として作った売り場。

 毎週、私たち職人が入れ替わり立ち替わり出展しております。

 名前が変わったのは、小田急百貨店と合併したからです。そのお陰で、人事の変動が著しいですね。今回もマネージャーがお代わりになった。担当の高坂君も目出度く昇進。お祝いをしなくちゃなりませんが、その時間がとれるだろうか。

 お商売はのんびりしたものだが、お馴染みや興味のあるお客様が時折お見えになるから、その時にお相手すれば良い感じ。その間は、名簿の整理などをしております。焦っても無駄なのです。

 今日は予約をたくさんいただきました。有り難うございます。

 さて、私はテレビも新聞も、余り見ないし読まない方で、家に帰りますと、カミサンに世情を色々教わっております。先日熊野筆の鉄から電話がありまして、藤沢のサイカ屋にいるとのこと。そのとき「全く駅向こうの百貨店では泥棒騒ぎがあるし・・」といって、来店客の少なさを嘆く。

 なんだろうと聞くと、私が今居るフロアーの宝飾時計売り場に、泥棒が入ったのですね。私はちっとも知らなかった。損害額は2億円ほどらしい。その売り場を最後に出たのが、高坂君だったらしく、「大分疑われましたよ」と嘆いております。

2007年10月17日 (水)

'07/10藤沢通信

 藤沢初日。朝早くと思っていましたが9時を過ぎてしまいました。そこからゆっくり準備し、営業が始まってからも続ける状態。これを「動的待機」と自称しておりますが、一挙両得と言うものですね。

 そうしましたら運の良いことに、お客様がいっぺんにいらっしゃいまして、お昼を頂く前に、取り敢えずの売り上げが出来てしまった。これも動的待機のお陰か。

 落ち着いて昼食に出かけました。藤沢定番のペッパーステーキ。安物だがこれで充分の懐具合。ぺろりと大森ライスをやっつけちゃいましたね。

 ところが午後は、売り場も出来上がり、動的待機が必要なくなったからか、ちっともお客様が付きません。夕方、道楽者さんがいらして何とかなりましたが、今日は二人の話が弾みましたね。内容はとても書けません。濃すぎますし、多岐にわたりましたからね。

 話しすぎて、大盛りを食べたのにお腹がペコペコ。夜はまた定番のトンカツ。肉尽くしだが、どうも身体が要求しているようだ。ただし、ビールは中瓶一本だけです。

 さて、明日も動的待機に心がけてみましょう。

2007年10月16日 (火)

運転免許

 私の誕生日は二ヶ月以上前に過ぎ、運転免許証の更新が出来ず、本日ようやくして参りました。過去五年間無事故無違反で過ごし、ゴールド免許獲得のためにしてきた努力が、水の泡だ。

 工房の引っ越しやなんやかやで、これほどの忙しさは、我が人生でもそうはなかった。致し方なしとあきらめ、遠い県央の免許センターまで行ってきたと言う次第。それでも、新しい道交法が認識されて、それはそれで良かったと思うことにします。

 一昨日と昨日と、久々にブログに穴を開けました。やはり、久しぶりの歌で、ちょいと神経が疲れたのかも知れません。それでも、評判もよろしかったらしく、一安心だな。こういう事は、これからも続けて行こうと思います。その内私も慣れるでしょうからね。

 これから藤沢小田急に行って参ります。久々の百貨店のお仕事だけれど、ここは大好きな場所です。鍛冶屋が私に紹介してくれたところ。そして私が、色々な職人を紹介してもいる。5階下りエスカレーター前で「紺邑正藍染め展」と称して、一人でおりますので、お時間あれば遊びに入らしてくださいませ。

 最近つくづく思うのは、私どもと百貨店の相性と云うものもあるみたいですね。企画会社もそうだな。来年はじっくりと考えながらやらせていただこうと思います。でも、ここからの4週間は、全部大好きなところです。藤沢小田急→近鉄上本町店→東急東横→遠鉄と続きます。

2007年10月13日 (土)

お百姓さんと歌と

 今日は盛りだくさんの一日。

 朝10時10分、県北から、お百姓さん達総勢20名ご来店。

 福島の方もいらっしゃいましたが、皆様本当の無農薬農家。基本は「土と人間の体は同じ」という考え方。そうすると、化成肥料も農薬も除草剤も使えませんでしょう。ですから「低農薬」なんて言うこともない。

 紺邑の藍建ての基本と、全く同じです。そりゃそうだ。私は、十数年前から、彼らの勉強会に毎月出席させていただいていたし、閑を見つけては、農家回りをしていましたからね。だから、懐かしい顔が一杯だし、昔はこのメンバーの中に、私も混じって旅行したものです。

2007_10130018  皆さん明るい。何故かというと、作物に対する悩みが少ないからです。つまり、病気や虫や雑草等に対する悩みですね。

 土が健康ならば、病気などにはなりませんからね。

 ビジネスの心配も少ない。美味しいから、高く、そして良く売れるのです。前にも書きましたが、イツボさんのトマトなど、畑で売れてしまってなかなか世に出ないし、彼らの作るお米は、作っているときに売り切れ状態だ。

 記念撮影の後は、赤城山麓のブドウ畑に出発。そこはものすごく広い土地ですが、やはり無農薬。その主が、どうしても農薬や除草剤を使いたくないとおっしゃり、始まった。指導なさった星野先生(写真左端)には、ご足労掛けております。

 お昼過ぎには米田さんご夫妻はじめ、次々にお客様ご来店。

 夕方に歌を歌う予定の私は、あまりのどを使いたくなかったのですが、そうはいきません。沢山おしゃべりさせていただきましたね。ありがとうございました。

2007_10130021  夕闇迫る頃、ホームコンサート開始。
 おかげさまで沢山の人にご来場いただいた。

 

 楽しそうにお聞きいただいている様子で、写真を見て一安心。

 またまた取材中の早川さんが写っちゃいました。

2007_10130023  予算と場所がないので私のギター弾き語りです。

 ギターなんか、年に何度も引きませんが、「昔取った杵柄」で、何とかなる物です。

 凡そ一時間。約20曲あまり。

 私も終了後、ワインと日本酒でちょいと酔わせていただきました。

 多分、楽しいひとときを過ごしていただいたと思います。
 ご来場下さった皆様には、感謝感謝m(_ _)m

2007年10月12日 (金)

花あかり

2007_10120006  12日から14日までのイベント初日です。

 朝10時にお客様がお見えになり、順調な出だし。

 佐野の方々は、明日のホームコンサートにもお出かけいただく事となりました。

 押し花キャンドルの美しさに魅入られ、そこに火の入った姿を是非見たいとのこと。さもありなんです。

2007_10120004 午後はお教室。

 手前にいる方は、安佐読売の早川記者。

 取材に入らしていただいたところを一枚。

 「取られるのはどうも・・・」と照れていらしたな。

2007_10120008  2時間かけた大作の出来上がり。
 じゅんこちゃん、頑張りました。

 このお教室は、14日にも開かれます。
 
 ふるってご参加下さい。

2007年10月11日 (木)

気づき

 工房のある佐野市閑馬町は、佐野市と合併する前は、安蘇郡田沼町でした。私の生まれたところも、足利郡坂西町と同じ郡部です。
 大きな町には商工会議所がありますが、郡部は商工会。中小企業の助け合い組合みたいな感じですが、紺邑も地元の商工会にも入る事にしました。何故か懐かしいのは、郡部育ちだからでしょうかね。

 担当の中島さんが工房まで来てくださった。
 
 この方から最初に出た言葉が「気づき」。我が紺邑のキーワードも「気づき」ですから、妙に話が弾みました。中島さんは、「気づきがあると世間が狭くなります」とおっしゃる。ちょっと考えましたら、全くその通りだと気づかされましたね。

 明日からのイベントの準備をしていましたら、お昼頃お客様が入らした。宇都宮東武百貨店でお会いした方ですが、現在は田沼町の公民館にお勤めとのこと。そこで藍染めの講習会が出来ないだろうかというご相談にお見えになった。喜んでお引き受けしましたが、ついでにお買い物までしてくださった。
 コーヒーを頂きながら四方山話となり、さてそろそろお帰りになろうかという際に、中島さんがお出でになった。そうしたら「あら中島さん」とご挨拶なさる。このお二人は数十年来の旧知の仲でした。
 お二人とも本来は葛生町のお方。そして共に最近、田沼町に仕事場を移されたばかり。世間は狭いと言うことを、最初に証明してしまっていたわけです。

 夕方お客様から電話が入りまして、道順を聞かれた。こんな時間にありがたいなと思っていますと、待てど暮らせど到着しない。また電話がありまして、また教えますと、また電話があって違うところに行っちゃった。なんと佐野から足利に入ってしまわれたらしい。それでも何とかご到着。もう辺りは薄暗くなっていましたね。

 千葉ナンバーのジャガーから降りた人を見てびっくり。船橋東武でご常連の沢田さんご夫妻ではありませんか。「もう、帰ろうかと思ったわよ」とおっしゃりながら、にこにことご来店。お二人とも紺邑の藍染めを着てきてくださった。特に奥様は全身藍染め。

 「作務衣は出来てる?」とご主人の注文のお話をしつつ、結局はご自身の夏のお着物をお買い求めになられた。ご来店の目的も、実はそれ。「着物を買いに行くなんて言ったら、この人、連れてきてくれないから言わなかったのよ」なんて、ご主人の前でけろりとおっしゃる。

 道に迷いつつ、苦労してご来店いただいたので、私の歌をプレゼント。曲は「宵待草」。「待てど暮らせど来ぬ人を・・・」ってね。きっと喜んでいただいたろうと思います。いや、思いたい(^^;)

 お帰りになる頃は真っ暗闇。その中で、またの機会をお約束してお別れしましたが、佐野市閑馬町の里山の工房で、千葉からお見えになったお客様をお見送り出来るなんて、ありがたいことです。

藍建て 染めと教育

インターネットというのは、ただただ情報が多いですね。

私がこれに出会ったのが1995年だから、結構長いか。

でも、ブログを初めてからは、随分ネット社会とも親しくなった。

 

調べると、様々な藍建てがあり、藍染めがあることが分かりますね。

紺邑もその内の一つなんだろうな。

思うのは、職人仕事が少なくなっているなと云うこと。

 

百貨店に出展して、一人一人のお客様に出会いながら藍染めを語ることと違って、ネットはいっぺんに大勢の方と語れて便利なようであるようだけれど、やはりそれは文字の世界で、心まではなかなか伝わらない。

私は、この「心」というのが大切なのだと考えるのだな。

 

青森県の小学校で、一年掛けて、藍の栽培からすくも作りから藍染めまでの体験をしたという報告の記事を読みました。

題して「藍の栽培及び藍染めで輝くこども達」。
 

この経験で、教わった子供達は、歴史が分からなくなったでしょうね。

学校も子供達に対して、かわいそうなことをするものです。

歴史が分からなくなったばかりでなく、この子達は「仕事」が分からなくなってしまった。
 

何が言いたいかと云いますとね、この子達だって出来ることを、私たち職人がやっている事になっちまうでしょ、ということ。
 

職人仕事だけじゃなくて、どんな仕事だって、一人前になるには、経験や素質や修行が要る事なんて、世の中に出れば当たり前のことでしょう。

この子達は、それが分からなくされてしまったわけで、世の中に出てから苦労することになるでしょうね。
 

これを企画した先生は、世の中をなめていますね。

苛性ソーダを使って還元剤使って、何が教育ですか。

歴史の中に、そんなものはなかった。

実社会では仕方ないことかも知れないが、それが教育の場では大切なことのはずだ。

 

学校で歴史を教え、そこに子供達が想像力を発揮し、それに思いを馳せるとき、歴史の中にいる紺屋が、苛性ソーダとハイドロを使っているなんて、喜劇か悲劇か!

 

そりゃー、たかが藍染めと言えなくもないが、一事が万事とも云うでしょう。

2007年10月10日 (水)

ナイト・パリ

 ティーブ先生の話になんでなったのだろうと、ちょっと不思議だが、また思い出話し。

 先生と言っても、私たちは「ティーブさん」と陰では呼んでいました。目の前では先生でしたけれどね。その「ティーブさん」は、生涯二枚アルバムを残しています。

 一枚は「FATHER&MAD SON」という、ご子息との冗談めかした気楽なアルバムで、楽しいもの。もう一枚は、「SING A SIMPLE MELODY 」という、その名の通り、シンプルで小粋なアルバムです。私はもちろん両方ともLPで持っているけれど、最近CDで復刻したらしい。 

 1976年に出た、粋とはこういうものだというサンプルのような作品です。機会あれば聞いてみていただきたい。

 このアルバムが録音されのは、「ナイト・パリ」と言う、今で言うナイトスポット。六本木の交差点を溜池の方に下り、飯倉に行く道とのY字路の左側にありました。今ですと、サントリーホールの前と言ったところでしょう。

 ここが、我がカミサンと私が出会った店。

 私の行きつけの、ジャズヴォーカル専門の喫茶店が新宿にありまして、そこでジンを飲みながら長居をすると、電車がなくなります。そこで金もないのにタクシーで帰るわけですが、当時住んでいた板橋の大山に帰るより、六本木の「ナイト・パリ」に行った方が安くつく。そしてピアノ弾きがいて、そこで歌えば飲み代はタダ。そして、ティーブ先生もそこにいらした。

 私が18才から19才になる年のことです。

 その店は、夜中に閉めて、朝十時から喫茶店になる。私はそのまま泊まりまして、朝、喫茶店になっても、ギターを弾きながら歌っていたりした。そこにカミサンが客として来たのですな。

 以後のお話は、またいつか・・・
 しかしこの人は当時、目立ったなぁ~!

2007年10月 9日 (火)

ウイスキー

 すっかり秋めいて参りましたね。燗した酒が、美味い季節到来です。

 酒は何でも飲みます。若い頃はウイスキーが多かった。

 若い頃(二十歳前後、本当は十代の終わり)は、金がありませんでしたから、サントリーのレッドが良いか、ハイニッカが良いかなんて、仲間内で議論をしたほどだ。サントリーホワイトなんて高級でね、オールドを飲むときは、清水の舞台から飛び降りるような覚悟が必要でした。

 バーボンは、今でもオールド・グランド・ダッドの8年が好きだな。甘ったるい奴はいけません。

 スコッチは、キング・オブ・キングスが思い出深い。
 カミサンの友達の兄貴が変な人で、この酒を人差し指に引っかけ、肩に掛けながら新宿の風月堂に現れ、階段を上り、2階の仲間のところに行く姿がかっこよかったなぁ。そのころはシングルモルトのウイスキーなど殆どなかった。大贅沢が12年ものでね、かの岡田真澄氏だって、カティーサークの8年が好きだなんて言っていた時代です。何せ、ジョニクロが一万円。大卒の初任給が3万円に満たない時代でです。

 飲み方は今でもストレート。

 その昔、凡そ35年も前のこと。ようやくサントリーオールドが飲めるようになった頃、青山墓地の近くに、朝方までやっているレストランがポツンと一軒建っていましてね、ここに一日置きに通っておりました。

 目的は、ティーブ・釜萢先生と友人の丸田と三人で飲むこと。

 私が夜中の12時頃に入って行きますと、カウンターに座っているこの二人が、「お、飲んべぇーが来たからもう一本入れてくれ」と言って、オールドを追加する。でも、まだ新しいのを開けたばかりで、目の前に2本並ぶわけだ。私がストレートで、丸田が水割りで、ティーブ先生がオン・ザ・ロック。朝までに三本開けまして、新しいのを一本追加して帰るという日々でありました。

 ティーブ先生は、日本のジャズボーカルのはしりのような方です。まぁ今時は、かまやつひろしの父上と言った方が通りが良いのでしょうね。

 私の大好きな人でした。

2007年10月 8日 (月)

イベント

どうも、カミサンの企画がようやく分かりまして、遅まきながらここに発表いたします。

「花宇宙展」
押し花を埋め込んだキャンドルの展示会

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 押し花のキャンドルをご紹介いたします。熔けにくいワックスで作られたポットやキャンドルに、押し花が埋め込まれています。火を灯すと今までにない幻想的な明かりを楽しむことが出来ます。年を経て、押し花の色彩も変化し、アンティークな味わいが出てきます。

作者:村井逸久真
 武蔵野美術大学講師等を経て、1990年10月《花宇宙》設立。スコットランド・スカイ島で習得した押し花キャンドルの技法を独自で開発・改良を加え現在に至る。  

日時:10月12日から14日の三日間
    午前10時~午後5時まで

※押し花キャンドル教室

 12日午後2時より約2時間
 参加者数:10名
 会   費:3,800円(税・材料費全て)

※キャンドルナイト・ホームコンサート

 たくさんの押し花キャンドルに火を入れ、閑馬町の自然の中で、大川公一の歌を楽しむ会です。

 13日午後6時半頃から約一時間
 会費:1,500円(お茶とお菓子付き)

お時間のある方、是非ご来店下さい。
    

2007年10月 7日 (日)

良い出会い

 日曜祭日は、基本的に染めはお休みです。藍は生き物ですから、四六時中染めれば疲れてしまいますからね。それでも我が夫婦は休みなしだな。楽しいし、また、そういう時期なのでしょうね。息子には、「働くという貯金をしているのだ」と言って、今朝出てきました。
 
 午前中はゆっくりのんびりしたものでしたが、お昼前に鹿沼市からご夫婦がおいでになり、それをきっかけに、様々な人にご来店いただきました。面白かったのは、昨日、藍染めを教えた人のご近所さんがいらしたことだな。この方とは古い付き合いで、趣味が高じて藍染めをなさっている。絞りを東京まで行って習いながら、お着物を染めていらっしゃるのですね。久々にお会いして、ゆっくりなっさって下さった。

 「少年の日美術館」の安藤先生のお友達も三人でいらした。「こういう藍染めを15年探したけれど、ようやく出会えた」とおっしゃり、たくさんお買い物をしていただきました。お連れになった方々とも私は気が合い、たぶん長いお付き合いが出来ることでしょうね。

 この工房を始めてから、毎日新しい、そして良い出会いがあります。

 感謝ですね。

 今日は工房に泊まります。
 何故かというと、例のイベントの告知が出来ないからです。
 これからその案内状とチラシ作り。

 それを後ほどお知らせ出来るように、願っておりますですよ。

2007年10月 6日 (土)

ある土曜日の一日

 今日は藍甕を休ませる日としまして、私は事務処理とお客様係としました。

 午前中からお電話いただき、宇都宮から私の出た新聞記事をご覧になって、青木さんご夫妻がお出でになった。穏やかで和やかで、気持ちの良いご夫婦。灰汁に手を入れていただくと、「おや!?ぬるぬるするね。アルカリが強いのですか?」とお尋ね。少しご存じの様子なので、ちょっと詳しくお話しさせていただきました。
 とても感じていただいたようで、「佐野ラーメンを食べて、もしかしたらTシャツでも頂こうかと思って来たのですが」とおっしゃりながら、おそろいでウールのシャツと奥様はスカート等々、沢山お買い求め頂きました。
 奥様の退職祝いだそうで、「私のために働いてもらって」とご主人。

 そうこうしていると、熊本から「ゴザ屋の亭主」がお見えになった。私が青木さん達とお話ししている間、近所を散歩して来たらしい。「良いところだ」と盛んにおっしゃる。「心の洗濯をさせてもらったよ」なんて言いながら帰って行きましたね。

 そしてもう一組、やはり宇都宮から女性が二人いらした。どうも変な雰囲気。良く話を聞くと、藍を建てているという。それで勉強に来たのですね。
 やはりご近所で藍染めをしている女性がいて、彼女は藍建てに成功したらしい。ところがこの方は、ハイドロから逃れられない。それじゃぁと言うわけで、紺邑のやり方を全部教えて差し上げた。

 一生懸命メモをしながら、「こんなに教えていただいて、講師料を払わなければ」なんておっしゃるから、「大丈夫、そんなに簡単に出来はしませんよ」と言っておきました。何をどうしてこうすればこうなるなんて、ハイドロ建ての様な答えなどありゃしません。

 蝋燭に押し花をなさる村井さん達も、草刈りと草花の調査にいらした。その間に小山さんご夫妻も染め直しを取りにいらして、ついでにお買い物。ご主人の釣ったりっぱな金目鯛を2尾頂いた。

 まだまだ書くことはあるけれど、毎日賑やかなことで、ありがたやありがたやです。

 そうだ、イベントの告知がありましたね。
 明日、村井さんと詳しい打ち合わせをしてからにします。
 すんまそんm(_ _)m

2007年10月 5日 (金)

秋の空

 今日は一日中染め。欲張りすぎましてクタクタです。何を染めたかというと、絹のストール。淡々と数をこなしました。

 朝八時過ぎに準備を始めます。

 先ずは昨日染めて、酢水に浸けてあったものを、たっぷりと水を使って洗います。今日はアルパカを濃紺に染めた布でした。こいつは乾いているときは軽いのですが、水を含むとものすごく重い。それを水槽いっぱいの水を使って洗います。一枚3mなのですが、脱水も何もせずそのまま物干し竿に掛けて天日干しをする。腕と腰が痛くなるほどです。
 ウールだろうが絹だろうが、藍染めの場合は天日干しが絶対。ただし、お家で洗う場合ではありませんよ。染めているときのことです。

 お昼は私と風間君は2階でします。昼寝をするためですね。ちょいと起きてはいられないし、これが午後の活力となる。

20071005  昼寝の体制から見た天窓。
 秋の空にきれいな雲が見えます。

 「女心と秋の空」と言いますが、今日は文字通りでしたね。

 朝は秋晴れ。午後に入って直ぐに曇り、三時過ぎに染めた物を干そうと思ったらまた晴れだし、直ぐにまた曇りだした。

 明日は、私が染めた藍甕はお休み。そして、手入れをして日曜日もお休みです。

 イベントを発表するわけでしたが、明日だ。

2007年10月 4日 (木)

秋の始まり

 一日くらい休みたいなと、思わなくも無いが、今日は先日入らした米田さんが、出来上がった品物を取りに工房にいらっしゃるので、事務処理を兼ねて出社しました。

 しかし、やることが多いな。仕事があるのは実にありがたいことですが、それをこなす能力となると、我が夫婦は決してあるとは言えませんので、とにかく一所懸命です。

 米田さんは奥様だけで、中澤さんご夫妻をお連れになった。例の如く、ハンカチを染めながら藍染めの説明を致しましたが、その反応が、いわゆる「打てば響く」というやつで、説明しているこちらが、楽しかったな。
 終わってゆっくりお茶をご一緒しましたが、お話の弾むこと。どうもただ者ならぬ気配が漂いますが、ホームページを拝見して、なるほどと思いました。いつかご紹介できればと思います。
 
 米田さんご注文の作務衣はピッタリ。良かった良かった!中澤さんご夫妻にも、ウールの茶羽織風ベスト(一点もの)とシルク・コットンのシャツをお買い求め頂きました。 

 お車はキャデラックのエルドラド。それも濃紺。私の大好きな車。また、中澤さんにそれがよく似合うのだな。閑馬の山奥に、キャディが入ってくると言うことだけでも楽しい事だ。

 米田さんには、有り難うございました。ご主人がいらっしゃれませんでしたが、今度はゆっくり時間を作ってお出で頂きたい。
 中澤ご夫妻にも、またのご来店をお待ちしております。

2007_10040004_2  三人をお見送りして、ふと空を見上げると、正しく秋の空。

 うろこ雲がくっきりと見え、庭には赤とんぼが飛び、夕暮れには虫の音が聞こえて来るようになりました。

 紅葉が楽しみだな。

 帰宅しますと、特注の綿入りのベストをお作りした湘南のお客様から、うれしい便り(葉書)がありました。アメリカのニューメキシコ州ホワイトサンズという砂漠地からです。
 「日中は35℃を上回り、夕方は冬物を着用しなければならない場所で、綿入りベストは大活躍です。11月下旬までこちらで着こなして体調管理してゆきます。感謝」と書いてある。こちらが感謝だな。

 イベントを企画しております。
 明日、発表したいと思います。
 お楽しみに

2007年10月 3日 (水)

京王通信vol.4

 遂に最終日を迎えました。始まる前、お手伝いの花地さんに、「今日の予算は○○だよ」と言って、本気モードで仕事に入る。昨日、ディスプレーの前に商品を置いて売り場を広げた結果が出てか、朝から実に忙しい。こんな事なら遠慮せずに、初日からしていれば良かったと思うほどでした。

 お馴染みも入らしていただき、一段落した夕方、ちょっと疲れましたので休憩。しばらく仮眠をとり、売り場に戻りますと、お客様がいらっしゃり、花地さんが書類に書き込みをしている。なんとウールのケープをお買い求め頂いておりました。またまた「果報は寝て待て」だ。

 お話しさせていただくと、「私は、藍甕を撹拌する係をやっていたことがあるのです」とおっしゃる。その言葉にいやらしい響きが全くない。お聞きすると、徳島の、私も知るある紺屋さんに建ててもらった藍を、管理なさっていたらしい。
 それなら私の藍もお分かりだろうと詳しくお話ししたら、「そんなお話しを聞いたら、あのコートも頂こうかしら」と、手織り綿と保多織りのワンピースコートもお買い求め頂いた。お陰様で一週間の最低目標を達成させていただきました。

 終了を迎える一時間前、私の売り場のディスプレーの前に、男性が二人立って何か操作を始めた。商品をお客様の目から隠すように、それも堂々とです。

 「何をやっているんだ」と聞くと、ディスプレーを何かしているとのこと。「なんで今やらなければならないのだ」とまた聞けば、八時には電源が切れてしまうからという。しかし、商品の前に立ち、それでなくても狭い入り口を隠すなど、私の商売の妨害行為だ。それも、スタッフがです。
 そう言うと、「この仕事も大切なのです」とぬかしやがったから、「おい!商売ってのはな・・・」と説教を始めた。その内の一人が、「まぁまぁ」などと言って私を宥めようとする。その内、隣の木工屋さんも、「おまえら何やってるんだ。止めろ!」なんて言い出して、結局止めさせた。

 後から来た本当の担当者に事情を説明しましたが、様々に問題を抱えているこの売り場の前途を憂いますね。

 

2007年10月 2日 (火)

京王通信vol.3

 京王は、午前中は実に静か。それが二時頃から突然賑わい出す特徴があります。ですから、焦っても無駄なのですね。

 ところが本日は、待てど暮らせどお客様がいらっしゃらない。目の前をお通りになるのだが、店には寄って下さらない。寄って下さってもお買い求め頂けないという時間が、ただただ過ぎて行きます。

 実は今週は、毎日こういう日が続いておりまして、どうにもならず、昔なじみのお客様に助けていただいているだけ。新規のお客様はほとんどいらっしゃいません。

20071002180440  ここはネットのアンテナショップだと歯抜け社長が言うから、一番奥の壁側に商品の展示もせず、前面の最高の場所にあるディスプレーの邪魔にならないようにしてきましたが、遂にしびれを斬らせまして、奥にストールを飾り、ディスプレーの前に商品を並べてしまいました。

 考えてみると、歯抜け社長と私ども出展者の関係が分かりませんね。なんなんでしょうね。

 この売り場は間口が狭く、お客様の注意を引き難く、奥は塞がれていますから、入ってくる人も余程の興味のある方に限られる、大変販売の難しい作りになっています。その上に、2社入っていて売り場は狭く、一番良いところにはネットの商品とディスプレーが置いてあるのですから、実に困りました。

 ネットがどうのこうの言われても、私どもも生活がかかっていますから、遠慮も限界に達したという次第。そうしますと現金なもので、お客様が立ち止まるようになった。そして夕方、ようやく目が開いた。京王でこんな事は初めてですね。

 それでも、山本さんがいらして、ひろ子さんの織った裂き織りのマットをお買い求めいただき、ようやく何とかなりましたが、ここは先が思いやられます。それとも、紺邑だけなのかな?

 そんなことより、ひろ子さんの裂き織りが初めて売れましたね。
 それも、お馴染みの山本さんで、めでたしめでたしだな。

2007年10月 1日 (月)

馬鹿っ話(バカっぱなし)

 またDIVA NORIKOが遊びに来た。何せ新宿の住人ですからね。「よ!姉さん」と言ったら「何言ってんのよ。一つしか違わないじゃないの」って返してきた。年がばれるな。
 続いて赤木りえが来て、宮野弘紀が来た。今日はこの三人と飲み会。

 「何処に行こうか?」と姉さんに問えば、「白龍はどう?」と宣う。これは懐かしいお店の名前が出てきたものだと、直ぐに賛成。「だけど店が新しくなっちゃって、時々変なライブをやっているから、ライブがあったら止めようね」ということで電話で確認。めでたく今日はライブ無し。そこで行って参りました。

 白龍は名を「白龍館」と変えておりました。以前はタクシーの運転手が立ち寄るようなお店でしたが、ドアの前に立って愕然と致しました。なんと大きな、そして豪華なドアなんでしょう。そして「開く」のボタンを押すと、まるで「開けぇーゴマ!」と言ったかのように、厳かに開いて行く、っとそこには、ゴージャスな空間と巨大なフルコンのグランドピアノが鎮座ましましている。その変貌には驚きましたね。
 こいつは料理も変貌しているかなと、昔食べていた料理を頼みましたら、こちらは変わっていない。ちょいと上品にはなりましたけれどね。 

 まぁ、話と言っても馬鹿っ話ばかりで、宮野が、「私は最近カラオケで、演歌を歌います」なんて言うものだから、このメンバーで演歌談義になっちゃいました。NORIKO姉さんは「あら!私だって上手いものよ」というから私も、「なに、僕だって上手いもんだぜ。今度歌い方を教えてやる」と言ったら宮野が、「やはりコブシですかね?」と聞く。「いや、それに泣きが入るのさ」と言うと、姉さんが見本を聞かせるってな具合。おまけにりえまで、「あら、あたしだってやろうと思えば演歌を吹けるわよ」なんて言う、ばかばかし一時でありました。

 驚いたのは、みんなミクシーをやってた事だな。
 お陰でりえとマイミクになっちゃいました。

2007_10010007_2  後から宮野の奥様ご到着。この方とは初めてお目に掛かりますが、ボサノバの先生。この夫婦はまだ新婚のようだな。ちょいと当てられ、ついでにまた飲んで、酔っぱらっての一コマ。何故か私だけ大きく写っているなぁ?「太ったからよ!」というカミサンの声が聞こえてくるようだ。

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