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2007年10月10日 (水)

ナイト・パリ

 ティーブ先生の話になんでなったのだろうと、ちょっと不思議だが、また思い出話し。

 先生と言っても、私たちは「ティーブさん」と陰では呼んでいました。目の前では先生でしたけれどね。その「ティーブさん」は、生涯二枚アルバムを残しています。

 一枚は「FATHER&MAD SON」という、ご子息との冗談めかした気楽なアルバムで、楽しいもの。もう一枚は、「SING A SIMPLE MELODY 」という、その名の通り、シンプルで小粋なアルバムです。私はもちろん両方ともLPで持っているけれど、最近CDで復刻したらしい。 

 1976年に出た、粋とはこういうものだというサンプルのような作品です。機会あれば聞いてみていただきたい。

 このアルバムが録音されのは、「ナイト・パリ」と言う、今で言うナイトスポット。六本木の交差点を溜池の方に下り、飯倉に行く道とのY字路の左側にありました。今ですと、サントリーホールの前と言ったところでしょう。

 ここが、我がカミサンと私が出会った店。

 私の行きつけの、ジャズヴォーカル専門の喫茶店が新宿にありまして、そこでジンを飲みながら長居をすると、電車がなくなります。そこで金もないのにタクシーで帰るわけですが、当時住んでいた板橋の大山に帰るより、六本木の「ナイト・パリ」に行った方が安くつく。そしてピアノ弾きがいて、そこで歌えば飲み代はタダ。そして、ティーブ先生もそこにいらした。

 私が18才から19才になる年のことです。

 その店は、夜中に閉めて、朝十時から喫茶店になる。私はそのまま泊まりまして、朝、喫茶店になっても、ギターを弾きながら歌っていたりした。そこにカミサンが客として来たのですな。

 以後のお話は、またいつか・・・
 しかしこの人は当時、目立ったなぁ~!

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コメント

こりゃ初耳、私も学生時代に大山の日大病院の隣りにアパート借りてましたよ。

へぇ~、奇遇だね。

私は環六の板橋区役所前に近い方だったから、反対側だな。

三畳一間の下宿。
トイレ、台所共有で、隣が駆け落ちした若夫婦で、その隣が子持ちの若夫婦で、苦労したな。
分かるかい?

近くにラーメン屋があって、全く出汁が利いていない、本当にまずいラーメンを食わせた。
近くに風呂屋が無くて、駅近くまで通ったものだ。
ここに約一年暮らした。

歌の仕事を始めたばかりで、電車賃も無いときがあって、本を売って電車賃にして、仕事場で前借りしてね、これを業界ではバンス(advanceの略だな)というのだが、結局そのグループを辞めたときには、借金が残ったな。

その借金は、結局は私の体に財産として残って、今でも歌が歌える基本にはなっているのだ。

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