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2007年11月

2007年11月30日 (金)

根性

 月末に家におりますと、やはり、銀行に行くという仕事が待っております。それにしても混み合うものだ。それを、社長の私の居ない間、全ての業務をこなしてくれるカミサンには、ありがとうと言うほかないな。

 さすがに最近は、白髪が増えて参りましたね。大正9年生まれの、カミサンの母上と同居しておりますが、この方の御髪も白いのですから、もっと白くなりそうだな。

 この「お母さん」がまたかわいい人で、毎日けらけらと笑い暮らしている。そりゃー、90年近く生きていらっしゃるのですから、色々あったことでしょうが、ああいう風に笑える晩年も良いですね。

 お年寄りは、背中で人生を教えて下さいます。

 長男が、そろそろ家を出るらしい。私に言えたことは、「人生は根性だぞ」と言うことだけだったな。

 根性をつけるには、様々な経験と、修行と、それからの気づきが必要だと、先人の背中は語って下さいますね。

 多感な青春時代の始まりに、「お母さん」とご一緒できたことが、彼の人生に、何らかの意味を持たせて下さったことだろうと、感謝しております。何事もなければ、私たちは、彼の老後と付き合うことは無いでしょうからね。

2007年11月29日 (木)

サンタクロース

 三女が帰って参りました。私たち両親に会いに来た訳ではなく、高校の時の同級生達に会いに来たついでに、であります。

 閑馬の工房に行き、その帰りの車中で、「公一お父さん(私のこと)は、『サンタさんは世界中に沢山の子供達が居るのに、何で一日でプレゼントを持って行けるの?』という私の質問に、どう答えたか覚えている?」と聞かれた。全く覚えていない。

 「人間の一分間が、サンタさんの24時間だからだよ」と答えたらしい。

 彼女はそれで納得した。そして、小学校を卒業するまで、本当にサンタさんの実在を信じていたのですが、実は、我が子供達は皆、そうなのでありますよ。

 クリスマスは、それはそれは苦労をしたな。

 子供達に知られないようにプレゼントを買いに行き、子供達が寝付いたことを確認してから、枕元にそれを置く。何が欲しいかを聞き出すのも大変だったが、それを買うのもね。

 でも、夢を持つ子供達に育ってくれた事に、感謝しております。

 子供達は、一人一人個性的でありますが、この三女は、まともなところが変わっている。

 中学校は私立で、ここを出た子は皆、その上の進学校に行く。長女も次女もそうしたのですが、この子だけは、普通科の普通科に、自ら進んで進学した。それだけで、中学校の先生も兼任していたこの高校の先生方が喜んだのですが、二年生の時に私に電話を掛けてきて、「生徒会をやっても良いかな?」という。てっきり、役員にでもなるのかと思って、「良いんじゃない!」と言ったら、会長に立候補するという。

 立候補は良いけれど、落選したらどうするのかと思ったら、見事当選。それからの活躍が、どうも、学校始まって以来、と言われるくらい頑張ったらしく、「数十年に一度の逸材」と言われるほどのリーダーシップを発揮したらしい。

 この高校の生徒数は数千人という、日本でも有数の大人数でして、それをまとめるだけでも大変ですが、女の生徒会長という前例が一度だけで、その時に、学校が乱れたという経験があったので、先生方はどうなることかと心配なさっていたとのこと。
 それを払拭して余りある活躍を見せたらしく、今でも卒業した学校に遊びに行って、職員室で長く遊んでくるという、変わった子です。

 アルバイト先でも、販売成績がすぐに№1となり、現在でも、それなりに頑張っている。

 名を「あい」といいます。

 「名は体を表す」と言いますから、そのうち、「藍」を扱うようになるかな!

 

2007年11月28日 (水)

ストーブ

秋も深まってきたようです。木々の色づきもだいぶ濃くなりまして、そろそろ落ち葉の季節ですね。

これから閑馬に来て初めての冬を迎えるわけですが、これが思うほど寒くない。木造建築だからではないかな!?

20071128161435 1階のアトリエには、このストーブ一台だけで十分です。

お仕事中の小林さんから、寒いと言う言葉を聞いたことがありません。

  

20071128161512 染場も、この小さい奴(すくもに隠れている)で十分のようです。

暖かいのと水の質がすばらしい事で、藍建てが実にスムーズだな。
今建てたものも、一週間で染められるようになった。

 

20071128161642 これが、2階にあるただ一つのストーブで、一般の家なら、四畳半がやっとでしょうね。

これと、床のホットカーペットだけで、お茶を飲みながら歓談できるほどです。

ありがたいことだな。

 

しかし、朝は霜が降っているし氷も張っているし、寒いことは寒い。下の社長の話では、冬は氷点下9度くらいまでは下がるそうな。さて、これからでしょうが、でも、心配するほどでもなく、とても幸せであります。

2007年11月27日 (火)

お城

旅から帰って参りますと、時差ぼけのようになり、生活のリズムが狂い、しばらく元に戻りません。昨夜も9時半には寝てしまい、さすがにブログに穴を開けてしまいました。

さて、閑馬は江戸時代、井伊家の領地でありまして、桜田門外の変ではどうだこうだと、今でも語り伝えられております。

それ以前、戦国時代後半は、秀吉と家康の勢力争いの直中にあったそうな。紺邑の場所を「木戸」と言いますが、木戸は本来「城戸」ですから、多少、城に縁があったのでしょうが、調べてみますと奥に、閑馬城後があるそうな。

近くに下彦馬(しもひこま)という場所がありますが、そこには、下彦馬城があると聞いていたので、探してみました。
20071126135436閑馬から下彦馬に入り、左側の山中に大きな屋敷の屋根が見えたので入って行きますと、ありましたね。

古い古い、整然とした石垣の上に、手入れもされていない城がありました。

 

20071126135405 携帯で取ったので、鮮明ではありませんが、この右側には、これまた大邸宅がありまして、ご子孫が住んでおられる。

どうも、私の知り合いの知り合いらしい。

大川本家も古いですが、歴史が違いますね。

 

下彦馬城主と閑馬城主は仲が悪かったそうな。それでも、佐野氏を一緒に攻めているなど、おもしろそうな歴史が、この場所には詰まっていそうです。これから楽しくお勉強するつもりです。

閑馬に入らした折には、ご案内いたしましょう。

2007年11月25日 (日)

コンニャク

今日は日曜日にもかかわらず、月末納品の注文があったので、それを一人で染めて参りました。

久保さんのお蕎麦屋さんで、久しぶりにお昼。

ここは、おそばも全て自家製だが、今日は、全て自家製のコンニャクの煮物が出てきた。

生涯で一番おいしいコンニャクでしたね。

久保さんにそう申し上げると、おみやげを沢山頂いた。

夜は、コンニャクの刺身で一杯やりましたが、本当にすばらしいお味でした。

感謝です。

(ここで言う「自家製」とは、畑作りから栽培から全てですよ)

2007年11月24日 (土)

紺邑のご紹介

浮き世は三連休だそうで、それも、月曜日まで暖かいらしい。金曜日をお休みにしたからか、どうもリズムが狂っております。

少し、紺邑をご紹介しようと思います。
Dscf1217
ここがメインストリートからの入り口になります。
少々の上り坂になっています。

この写真の左側にバス停
入り口の右の角に、水道のポンプ場があります。

  

Dscf1205_2少し上りますと、右に入る舗装されていない道路がありますから、森の中に入ってゆくようにそこを右折します。
正面に、「紺邑」という木の看板が見えるでしょうか。 地主にお許しを得て、ささやかに置いてありますが、これも大きくしなくては。

 

 
Dscf1206こんな所を入ってきて良いのだろうか?と、一瞬不安になりますが、勇気を持って進みます。
(因みに、大型バスが通れるほどの広さはあります)

 

   

 

 

Dscf1207 そうしますと、こんな風に、砦のような変わった建物が見えて参りまして、それが、紺邑なのです。

お休み

思い切って一日休みにしました。
私どもの様な零細企業は、休むにも勇気が要ります。

それにしてもよく寝ましたね。

この五週間の夢は、おもいっきり昼寝を楽しむことでしたから、それが叶った。
幸いインターネットの接続の調子が悪くて、ネットも出来なかったしね。

この程度の休みで疲れが取れたかどうかは、これから分かります。

Dscf1199 幸い、藍も元気らしいし、すくももあるし、灰も十分だ。
(段ボールに、灰が詰まっているのです)

今日は致しませんが、明日からはこの冬に向けての染めに励みます。

閑馬は寒いとはいへ、七軒町の時程じゃありません。

あの北風の入る染め場に比べれば、天国のようなものだ。

2007年11月22日 (木)

鹿児島日帰り

ちょいと所用で鹿児島日帰りの旅をして参りました。

飛行機嫌いの私は、乗る前に必ず酔っぱらい、飛行機の中で爆睡する習わしですが、本日に限り、あちらでお客様に会わねばならず、酒を飲めません。潔くあきらめ、いつもの羽田空港第二ターミナルの、「新宿アカシア」で昼飯と致しました。

さて、いつもなら、ワインをやりながらビーフシチューを頂くのですが、今日は食事だけですから、「早いのはなに?」と聞くと、ハンバーグ定食という。「じゃ、それちょうだい」と言ったら、本当にすぐに出てきた。

名物ロールキャベツと、大皿に、ハンバーグとサラダとパスタがちょっととライスが一緒盛り。ハンバーグを一口食べて、いつものソースのお味。ロールキャベツを食べたらしょっぱい。まぁ、ここはこんなものなのだろうけれど、どうも最近、何でもしょっぱく感じる。これは私の体調のせいなのだろうか、それとも、料理のせいなのか?それとも、ワインを頂かなかったせいなのかな?それとも年のせいか。。。

実は最近、さる地中海料理のお店に行ってきた。ここはなかなかなのだが、やはりしょっぱかった。シェフが疲れているのかな?なんて思った位でね。どうしちゃったんだろうな。ここでもワインを飲まなかったからかな。ギリシャの奴なんですけれどね。

仕事を終え、今度は鹿児島空港。ここでは遠慮無くお酒を頂いた。もちろん焼酎。変な凝ったものは要りません。「島美人」で良いのですが、この焼酎もはやりだしているらしく、大層なことにならなきゃ良いのですが。

これをたっぷり頂きましたら、空港の待合いで寝てしまって、起こされて、一番最後に搭乗。思惑通り、飛行機の中でも意識不明状態。ついでに、帰りの電車でも意識不明状態で、何とか帰宅出来ました、という一日でした。

2007年11月21日 (水)

秋の気配

 Dscf1195_edited
久々に帰って参りますと、工房周辺の景色が変わっております。

工房から見た景色ですが、紅葉が始まりました。

聞けば、急にとのこと。

そういえば、ようやく秋めいてきたか!?

Dscf1196_edited 裏の山もこの通り。

なんて書いても、おわかりになりますやら。

気持ちの良い青空でありますね。

 

 明日は所用があって、鹿児島日帰りの旅だ。
 

枯れる の2

歌の世界では、枯れることを目標にしてきた。
よけいな装飾を削り取って、ただただ歌うことで説得力がある歌を歌いたいな、なんてね。

そういう意味で、あまり聞きませんが、ペリー・コモみたいな歌が、若い頃は理想でありました。

歌を歌うことは、誤解を恐れずに言えば、色気を出すことでね、その色気の趣きが様々なんですね。
たとえば、聴衆に媚びたり、表現過多になったりするのです。
ショウビジネスの世界にいると、余計に感じる。

声を出すと言うことは、物理的な事でもあって、訓練すると、歌っている人の精神状態まで読み取れるようになる。
それを己に返すと、時々嫌になったりしたものです。

今は亡きギター弾きの純ちゃんが、「君の50過ぎた時の歌を聴いてみたい」と言ってくれていましたが、多分、「枯れた私の歌」という事だったのだと思う。

これは恐れながら、聴衆の質の問題でもありましてね、英語の歌を、当たり前ですが、アメリカ人は実に理解してくれる。
これまた当たり前ながら、日本人のその理解には、やはり少々無理があるように感じるのですね。

その「無理」に訴えかけようとすると、どうしても、「どうだ!」という表現になる。

ですから私は最近、日本の歌ばかり歌うようになりました。
不思議なことに、日本の歌は素直に歌える。
英語の歌はやはり、フェイクする癖が抜けませんね。

何故こんな事を書いているかというと、レイ・チャールズの最後のアルバム、「Genius Loves Company」を聞いたからなんです。

様々な歌手とのデュエットのアルバムですが、長女から教えてもらったもの。

彼女は、「そりゃー確かに声は衰えているけれど、枯れていて良いよ」と言った。

改めて聞いてみると、レイは何も変わっていない。
もうすぐ死ぬというのに、ファルセットまで使っている。
こう言うのは、枯れると言うより、変わることの出来ない、レイ・チャールズの持て生まれたものなんだろうな!?なんて考えさせられております。

そういうものを、私は持っているのだろうかとね。

やはり、藍染めに出会ったことに感謝するしかないな。

2007年11月20日 (火)

帰宅

ついに町田が終了し、家に帰って参りました。
五週間の旅でしたが、来年はこんな事の無いように、スケジューリングを考えなければいけませんね。
なにせ、自業自得なんですから。
町田は、来年の6月のスケジュールを頂きましたが、よく考えて返事をすることにします。

振り返れば、まあまあの成績でしょう。
この品揃えでは、これ以上は望めません。

三週間の間が開きますから、ここで体制を整え、来年に向かおうと思います。
お楽しみに。

2007年11月19日 (月)

打ち上げ

この週は、小峰さんご夫妻はスペイン、高江さんはミラノ、鍛冶屋はニューヨークと、皆さん外国へいらっしゃっている。高江さんと鍛冶屋はまだ若いから展示会だ。私も、偶には海外で仕事をしたいな。多分、近々実現することでしょう。

川連漆器の遠田さん、輪島塗の桂月堂の桂木さん、鹿児島の竹墨の八木さんの四人で、今夜は打ち上げ。遠田さん以外は初めてお目に掛かる。

遠田さん御用達の料理屋というか居酒屋へ入りましたら、飲み物以外頼もうとしない。「お通しを見てから、料理を注文します」と、変なことを言う。出てきたお通しを見て納得。豆腐半丁ともやしの料理に、昆布の料理が出てきた。それだけでおかずになるほどの量だ。

びっくりしましたが、何故か遠田さんは、一人前840円と書いてある湯豆腐を勧めたがる。「それをいただきましょう」と言うと、四人いるのに一人前しか頼まない。
 出てきてびっくり、4人で十分の量。どうなっているんだと、ネギトロを頼んだら大盛りの大盛り。牡蠣のバター炒めを頼んでも同じ。私が生ビール一杯とお酒を5本。遠田さんが生ビールを6杯飲んで、四人で7800円ちょい!

その量と値段には驚きましたね。

また行くかって?

若い連中と一緒になって、そして、大食いが集まった時に参りましょう!

2007年11月18日 (日)

枯れる

さて、私の藍染めだって、絶対に色が褪めないなどという事は言えません。これは、天候や素材によるのですね。そうすると、扱い方が違ってくる。

絹とウールは、定着に時間が掛かるが、それでも、藍が元気で、天日干しをしっかりしていれば、それほどではない。

綿でも、ニットは定着が悪い。たとえば、Tシャツや靴下などです。それでも、定着してしっかりしたものもある。一定では無いところがつらいところだ。それは、お使いいただいているお客様が一番よくご存じだと思います。

その場合は、染め直しをする。それが染屋の良いところですね。大事に使ってさえしてくだされば、染め直すと新品の様になります。

絹とウールはなるべく寝かせていただきたい。道遊さんから頂いたセーターなんかは、その結果のものすごさを改めて確認させて頂いた。

一方で、灰汁を使っていない藍染めはどうなるか。これも一定ではないでしょうが、概ね退色するでしょうし、また、それが売りものにもなっているようですね。それを「枯れる」と表現するらしい。

私にはよく分かりません。

2007年11月17日 (土)

回転寿司

私は寿司が好きだが、わざわざそのために回転寿司に行くことはありません。でも行かないこともない。それは時間が無くて何か食わなくてはならないときに、ただただ腹のこなしに行くのです。

お昼過ぎ、ホテルを変えまして、そのチェックインに言った帰り、あわただしく、近くの回転寿司に入った。

マグロを一口入れて「おや?」と思いましたね。ちゃんとしてる。ものは試しに、回転寿司では絶対に食べないコハダを頼んでみたら、その締め具合が悪くない。あれっと思って巻物を頼んだら、海苔が当たり前に寿司屋の海苔だ。

馬鹿にしたものじゃない回転寿司に、初めて出会いました。

なんで回転寿司なんだろうと思い、その業界の識者に聞いてみたら、その方がお客様が入りやすいんだそうですね。

明日の晩飯にしようかな!?なんてね。

2007年11月16日 (金)

あかぬける

千葉さんのゆかたを、洗った方が良いと、私は持ち主に申し上げた。道遊さんの浅葱色の作務衣も、お話を伺うと、洗った方が良いと思い、先日そう申し上げた。それも、お湯に付けるのです。

さて、藍染めは洗えば洗うほど良いと、こう言われますね。

藍染めは、本来は灰汁(あく)を使って建て、染めますから、灰汁がたっぷり付いている。それは、短期間の洗いでは取れる物じゃない。何年もかけて取れてゆく。

綿の藍染めは、紺屋がしっかり洗えば、または洗えれば、ほとんど色落ちはしません(洗えない染め方もあるのです)。

それを洗いますとね、茶色い色が落ちる。それが灰汁です。

青い色は落ちず、茶色い灰汁が抜ける。その後には、鮮やかな藍の色が残るわけですね。そして、白の部分に入り込んだ灰汁も落ちて行き、白さも冴える。

たとえば絣は、洗うほどに青みを増し、白味がより白くなることによって、その文様が遠目にくっきりと浮き立ってくる。

これを、「藍染めは、洗えば洗うほど色が良くなる」と言い、また、灰汁(あく)が抜けるのですから、これを「あかぬける」と日本人は表現したのですね。

2007年11月15日 (木)

正藍冷染 その2

浜松の遠鉄百貨店は、来年創業20周年らしい。親父殿の代を入れると、それ以来お付き合いさせていただいているお客様が、ここにはいらっしゃるのです。
そのお一人が、昭和30年代に仙台にお住まいで、栗駒まで行って、千葉さんご本人から買い求めた物が、この度見せていただいた、型染めのゆかたです。

拝見させて頂き、一見した印象は、「おや!?」というもの。私がこういう染めをしたら、商品には出来ないなと、一瞬思った。ところがよくよく見ると、てらいのない、純朴な、千葉さんの生活や生き方が表れているような気がしてきた。
そこで、技術についてちょっとそのお客様に説明しましたら、「そうなのよ。千葉さんはね、『なかなか難しくてね』と言いながら見せて下さったの」とおっしゃる。
さもありなん!

お電話をし、お伺いする約束をして、仙台から何時間もバスに揺られ、山道を行くと、停車場に千葉さんが待っていてくださったとのこと。
さもありなん!

このゆかたには、そうゆう風情が感じられて、実に良いのですな。宮城の奥で、細々と続いてきた物に光を当てるなど、文化財の仕事も捨てた物じゃない。

しかし、これまたよくよく見ると、手入れが良くない。「洗ったことはありますか?」とお聞きすると、「まだ一度も洗っていないの」とおっしゃる。色は縹色ですが、やはり所々に灰汁が浮き出ている。こういう場合は、洗えば洗うほど良いのです。
洗い方をお教えしておきましたが、見違えるように、青味を増すことでしょうね。

その方に、その場でそれを着ていただき、写真を撮らせていただいた。
ここでお見せできないのは残念だが、私の感じたとおりの風情でありましたね。

現在の、四角四面の世の中で、千葉さんの作品がどれほどの評価を受けるだろうかと思うと、ちょっと懸念があるな。
この問題も、書き続けながら、考えていきたい。

2007年11月14日 (水)

町田通信vol.1

「正藍冷染」の続きを書こうとしましたら、ブログのメンテとやらで書けず、ちょいと間をおかせていただきます。後でうまく繋がれば良いのですが。。。

さて、浜松が終わりまして、今は町田に来ております。なんともめまぐるしいことですが、私は十代の終わりから、旅また旅の生活を続けているので、慣れきっています。

初日は千客万来で、その中で、大きな宿題も解決でき、めでたしめでたし!でも、成績はいまいちではあります。

夕方、コメントでおなじみの道遊さんが遊びにいらした。なんだか知らないが、「世話になったから」といって、おみやげを差し出すので見てみると、数年前にお売りしたウールのセーターだ。何なんだろうと思ったが、よく見るとものすごい色に変化している。その色の変化を、染めた私に確認させ、そして、それをくれるという。
実に変わったおみやげだが、藍染めのすごさを再確認させていただきました。道遊さんには、ありがとうございました。大切にさせていただきます。

終わって、知り合いのラーメン屋で夕飯。名を「風来房」とかいて「フウライファン」と読ませます。佐野の七軒町に工房があったとき、近くにあったので、時折通っていたお店が、町田に移ってきたのです。

暖簾が汚れたというので、洗って、ついでに染めの補修もし、町田に移ると言うから、また手を入れた暖簾がかかっています。今度は、それを新しくしてくれと言う。

私に暖簾を頼むのは、時間が掛かって大変だ。そういうと、一年でも待つという。色は?と聞くと、染色をやっていた奥さんが、「紺邑の色というと、青しか思い浮かびませんから、青でお願いします」と、泣かせることを言う。
 
久々に店に行ってその暖簾を見たが、さすがにくたびれていましたね。写真を撮ったのですが、保存を忘れて、今見たら撮れていない。それはともかく、そんなのを見せられたら、作るしかないから、ラーメンを作っている間に、「あんなの見たらしょうがないから、のれんを作るよ」と言ってしまった。やれやれ。。。

お味はどうかって?「風来房 町田」で検索をかけてみてください。
暖簾も見られることでしょう。

佐野に居るときは、あまりのこだわりに、出てくるまでに時間が掛かりましてね、東京に行くと言うから、だいじょうぶかいな!?と、多少の心配もしましたが、無事クリアーしていますね。

2007年11月12日 (月)

正藍冷染(しょうあいひやしぞめ)

 藍染めで、唯一人間国宝に認定されたのは、宮城県栗駒の千葉あやのさんです。
 時に昭和30年。その手法を「正藍冷染」といいます。

 藍瓶ではなく、木樽に建てるのですが、加温出来ませんから、暖かい時期にしか藍染めが出来ません。それが「冷染」の由来なのでしょう。

 千葉さんは、型紙以外は、すくも作りから藍建て、染めまで、全部ご自分でなさっていたとのことです。たぶん、あの地域ではずいぶん盛んであったろうけれども、千葉さんだけが残ったのではないかと想像しております。
 その藍建ては、すくもを団子状態にして寝かせ、それを樽の底に並べて灰汁に浸す方法だと思いますが、これが実に合理的なのですね。しかし、建つまでの時間は掛かりそうだ。

 私が親父殿から離れ、工房もなく放浪していた時に、染め場を貸してくださったのが和尚ですが、そこは廃屋で荒れ果てておりました。しかし、ありがたいことに、風呂桶と井戸水があったのです。
 風呂桶を見て、千葉さんの藍建てに思いついた。当時は私には、藍甕もありませんでしたからね。

 そこで、想像しながら「正藍冷染」をしてみた。苦労をしましたが、何とか建ちました。しかし、そこからが大変。
 私はプロですからこれで食わねばならない。だから、冬も染めなければならない。つまり、温度管理に苦心をいたしました。幸い、今は電気という便利なものがありますから、それを利用した。

 最初は、熱帯魚のヒーターを使いましたが、これがすくもにやられてすぐに壊れる。安くありませんでしたから、経済的にも困った。そしてたどり着いたのが、キャンプ用のヒーターです。これで助かりましたね。
 それでも冬は冷えますから、風呂桶に布団を何重にも着せて、暖を取らせたものです。

 そんな思い出もある「正藍冷染」ですが、実は千葉さんの作を見たことがなかった。興味はありますが、機会がなかったのです。

 昨日、浜松でようやくそれを見ることが出来た。
 それについては、明日以降とします。

2007年11月11日 (日)

07/11浜松通信vol.5

 パソコンを変えまして、ソフトのインストールをしております。旅先故、思うに任せず、苦労をしておりますが、それにしても早い。ありがたいことです。

 百貨店の土日は、家族連れが多く、子供たちもたくさん来ます。私には孫が一人もおりませんが、小さな子を見ると欲しくなりますね。しかし、こればかりは何ともなりません。

 毎度のことながら、今日も宴会。
 最初の担当とその部下と元担当にぴょんを入れて5名。
 みんな部署が変わってしまった。

 最初の担当は、食品。
 その部下は、催事担当。
 元担当は、人事。
 それぞれに偉くなった。

 今の私には仕事上、全員直接関係がありませんが、こうやってお付き合いが続いていることは、実に幸せなことだな。彼らが今後の遠鉄をしょって立つのでしょうが、他の百貨店を少しは知っている私の話が、役に立つことを祈りながら、割合まじめな話をいつもしております。

 ぴょんの社長は途中で退席し、明日は宮崎で京都展。
 私は後二日だ。

2007年11月10日 (土)

07/11浜松通信vol.4

 土曜日の百貨店としては、やはり少々人の出が少なかったという印象でしたね。それでも、伊熊さん、原田さんご一行様がお見えになりまして、一時賑やかに過ごさせて頂いた。

 遠鉄に来るようになって7年が過ぎ、それも年二回ですから、お客様に少々ご負担を強いている気が致しまして、「来年からは年一回にしようかと思う」と彼女たちに言うと、「そりゃーいかんがね。私たちは楽しみにしているんだから、来なきゃーいかん」とおっしゃっていただいた。心強いし、ありがたいな。

 終わって、催事に出ている、京都のちりめん山椒の人と、とりつねのデバ君とぴょんの四人で、朝鮮料理屋さんへ行ってまいりました。鍋をいただき、胃腸のお掃除を試みた次第。朝鮮料理というのは、なぜか気持ちの良いものですね。

 帰ってからは、新しいパソコンを使えるようにする作業が待っておりました。モバイルで使うパソコンが、そろそろ寿命のようだったのです。とりあえず、ネットができるくらいにはなりましたね。それでこれを書いておりますが、まだまだ一人前になるには時間が掛かりそうです。

2007年11月 9日 (金)

07/11浜松通信vol.3

 何故か、売り場の人の出が寂しい。よく考えると、近郊に大型ショッピングモールが出来たばかりのようで、その影響もあるようです。幸い、私達クリエイティブ工房の出展者は、顧客を持っておりますから、全体のお客様の数が少なくても、なんとかなっているようです。

 今日は、親父殿から十数年前に買ったシャツを着て、お客様が来て下さいました。それが良い色になっておりまして、他のお客様にすばらしい説得力となりましてね、ありがたいことでした。積み重ねた歴史というのは、すごいことです。

 ぴょんぴょん堂の扱う品は、数百円の物ですから、お客様の数が少ないと、苦戦を致します。それがどういう訳か大健闘中でして、今日もたいした売り上げでした。

 二人ともそれなりに満足して、担当と宴会。
 どういう訳か、遠鉄の歴代の担当者と、気の合わない人がいない。
 ここは、まるで我が家の様なのです。

2007_11080013 次週と再来週の出展者達のご紹介パネルです。

 昨年と逆で、私の後が、シップ・ホップの中島さんとコルク。

 またこの二人で、珍道中をすることでしょう。

 私は終わりましたら、直ぐに町田に行かねばなりませんので、今年は付き合えません。

 残念!

 

2007年11月 8日 (木)

07/11浜松通信vol.2

2007_1108  浜松の二日目、ようやく荷物が着きまして、一人前の売り場になりました。

 手前が紺邑。
 
 向こうに見える白い部分が、ぴょんぴょん堂です。

 商品を並べている最中に、お馴染みの、伊熊さん、原田さんご一行がお見えになり、その中から、数々の品物をお選びいただいた。それだけで充分一日分の成績なのですが、彼女たちは決して品物を持って帰りません。支払いも後日で、もう一度お見えになって、私と馬鹿話をしてお帰りになるのが常なのです。私もこれが楽しみなのですね。

 午後からはゆったりとした物で、何事もなく終わっちゃいました。

 「ぴょんぴょん堂」とは変わった名前だとお思いでしょうが、現社長のお祖父様が、私たちが子供の頃遊んだ「ダイヤモンド・ゲーム」を考えた人で、駒がぴょんぴょんと跳んで、向こうの陣地を埋めたらこちらの勝ちというゲーム。だから「ぴょんぴょん堂」という、意外と分かりやすいのです。

2007_1108_2 手刷りの柄の入った、主に、ポチ袋や祝儀袋を販売しております。

 お正月が近くなったこれからは、フル回転で日本中を駆け回ることになるので、社長自ら休みなしだ。

 座って版を刷っているのが、現社長の岡本ただみつ。 

 手前に立っている女性は、担当のN嬢。
 女北野の言われるほどの、飲み助。

 ぴょんぴょん堂と私とは、曰く因縁がありまして、知る人が見れば、奇跡的な光景なのですね。私自身も、付き合いが復活するとは思っていなかった。

 その仲立ちをしたのが、鍛冶屋の武田だ。
 その理由も、それなりにありますが、いつかお話ししましょう。今はごらんのように、仲良く一緒に仕事をしております。 

2007年11月 7日 (水)

07/11浜松通信vol.1

 突然ですが、浜松の遠鉄百貨店に来ております。我ながら、めまぐるしいことです。
 いつもなら一人で展示販売しているのですが、今回は、京都の紙屋の「ぴょんぴょん堂」が割り込んで来まして、二人展となっています。

 今日は東急東横店の最終日でもありました。つまり、スケジュールが重なっておりまして、商品の数も足りず、成績もそれなりでしたね。元担当の北野が通りがかり、「あれ!今回は品薄ですね」とぬかしやがりましたが、全くその通り。ハッキリ言うのが、この男らしいところ。

 「その内一杯やろう」と言うことになった。しかし、この男は現在外商員だから、休みの前の日しか飲めません。車で走って営業しなければならないし、酒気帯び運転は厳禁ですからね。だから「休みはいつだ?」と聞くと、「明日です」という。それでは仕方がない。今日は初日で疲れていますが、飲み会をすることにしました。
 メンバーを募りましたが、中村君は大阪、内山君は休みと誰もいない。「じゃーあ、ぴょんを入れて三人でやろう」と、いつもの店へ。北野の元部下のミキポンを入れて、四人で一杯やってきました。

 この店の魚は、安くて美味い。店主が釣ってきた物か、直接仕入れている物ばかりで、すばらしい。北野と出会って唯一「良かったな」と思えるのは、この店を紹介してくれたことだな。幸い、分かり難い場所にあって、適度の混み具合。
 散々飲んで食ってしゃべって、「くたびれたから帰る」というと、「もう一軒付き合ってください」と言うから、外国人ばかり集まるバーで、バーボンを一杯だけ付き合って帰って参りました。

 歩いて帰る道中、鍛冶屋から電話が入っていたので、ぴょんが電話すると、まぁーうるさいこと。あいつも一仕事終わってリラックスしたらしく、珍しく酔っぱらっている様子。
 私が昨年の暮れ、神田の「とりつね」で腹を立てた奴も、同席しているとの事。私と話をさせると言うから、「冗談じゃない。私は本当に怒っているんだ」というと、「いや、謝りたいと言っているんです」という。それじゃ仕方ないからお話しさせていただいた。私だって、謝られて許さないほど、野暮じゃありませんからね。

2007年11月 6日 (火)

浅葱裏

 粋とか野暮という言葉は、死語になりつつあるようですね。それが行動の基準になるようなことが、なくなっちゃったみたいです。

 「野暮」の事を、「浅葱裏」といいます。

 参勤交代で田舎武士が江戸に出てくると、吉原なんかの色町に出向いて遊びますね。その遊びが「野暮」で、彼等の着ている物の裏地が浅葱だったから、野暮なことを「浅葱裏(あさぎうら)」と呼ぶようになった。

 じゃぁ、粋な遊びというのはどういう物か。
 節度と恥を知りながら、バカになれるってことでしょうかね。
 これも修行が要るが、恥を恥とする心がないと、気づきません。
 
 なんてね(^^;)

2007年11月 5日 (月)

渋谷通信vol.5

 明日は浜松の搬入日ですから、今日、荷物を出さなければならない。ところが品物の数が足りない。私の胸算用では、今頃は沢山染まっているはずだったのですが、一時、ちょっと藍の調子が悪かったこともあり、また、それなりに売れてしまいまして、品薄なのです。それでも搬入は待ってくれませんから、会場のものを間引きいたしまして、浜松に送りました。

 どうなることかとスカスカの売り場を見て思いましたが、何とかなりましたね。お買い上げ頂いたお客様に感謝です。

 さて、私のプロフィールにも、昨日の記事にも、「意味」と私は書いておりますが、私が藍染めの仕事をしているのは、意味があるわけです。目的と言っても良いですが、それを表現する場が、実は「職人展」であろうかと考えております。

 本日も、お客様にそんなことを大分語りましてね、ご迷惑をおかけしたかも知れません。しかし、そんな小さな出会いの積み重ねを大切にしなければならないと、私は考えてもおります。

 終わりまして、今日も今日とて、傘職人の中島さん、下駄の藤田君、鍛冶屋の武田に省ちゃん夫妻と、武田の包丁を使っているという寿司屋で宴会。

 寿司屋というから寿司屋だと思ったら、まぁ、都会の高いビルにある、夜景を楽しめる気取った料理屋ですね。出て来たものも料理だ。酒も凝ったものを揃えてるらしいし、出てくる料理にも素材にも、みんな曰くがあるらしく、何処其処産の何々ですと小うるさい。食う方も、「作用でございますか」といって食わなきゃならん。最近は食ったり飲んだりするのも大変だ。粋も野暮も、あったもんじゃない。

 お江戸の中島さんは、その世界ではそれなりの人だし、根っからの職人だし、本当の江戸弁で巻き舌で、食い方も遊び方も知っている人だと思いますが、この世界では新人として振る舞っている。だから大人しいですが、本来は板前に、「うるせぇてめぇー、いいからにぎれ!」ってなことを言いながら寿司を食っているはずで、私もそれで良いな。

 でも、なんだかんだ言いながらも、料理と酒以外は、楽しく過ごしました。

 

2007年11月 4日 (日)

渋谷通信vol.4

 本日は懇親会。私は初めての出席です。

 先に書いたような事情で、私としては、この催事に対してのコミットメントは薄かった。本当は1回で終わりにしようと思ったくらいなのです。ですから初回は、もう一軒の藍染め屋さんに先ずは、「ご迷惑をおかけしますが、来年は参りませんのでお許しの程を」と、こちらから出向いてご挨拶させていただいた。だから、懇親会にも出席しませんでした。

 しかし、どうも雰囲気は、同種の職人が同じ催事に出展している事に、違和感のない世界らしい。これは、ある企画会社だけの狭い世界ですが、東横店もそれに侵されているのですね。ですから今回も、藍染め以外にも、同業者のバッティングが見られます。好ましい事とは、今でも私は思っておりません。

 それでも、そうであるからこそ、勉強になることもあるのですね。

 昨年、ある方に、「東京近郊の方々は、何故経費を掛けて、わざわざ遠くに出張するんでしょうね。京都の人達だって東京に出てくる。こんな大きくて魅力のあるマーケットはありませんよ。もっと東京に力を入れるべきだと思うんですけどね」と言われて、なるほどと思った。これは当たり前のようですが、長年この世界にいる私としては、盲点でありましたね。

 確かに、商売だけでこの世界を見れば、そう言う考えも出来る。これは、純粋な職人達の集まりでは、こういう発想はありません。その観点で紺邑の行動を振りかえると、確かに無駄があるように感じられる。

 そこで、東京に力を入れようと考え方を変えました。ですから昨年、津田さんに帰り際、「来年からはちゃんと力を入れさせていただきます」とお話しさせていただいたのです。何せ前回までは、DMも出しておりませんでしたからね。
 渋谷には他に百貨店がありませんでしょう。ですから、ご同業がいらしても、どうもあちらはそれで良しとなさっているらしいので、遠慮も止め、渋谷の拠点にしようと、コミットメントを深めたと言うことです。その結果は、少し出ているように思いますね。今回の成績は、他の百貨店の催事の、普通の成績になって参りました。

 でもね、本来は、「職人展」という催事をやる意味や意義と言うものがある。「商売」という観点だけではそれが見えません。私はそれを捨てるつもりはありませんから、当然、地方にも行きます。またそれこそ、百貨店の存在の意味や意義なのだとも考えております。

2007年11月 3日 (土)

渋谷通信vol.3 津田さん

 今日からしっかりとしたホテルに泊まっております。バタバタするのも、少々疲れましたし、先が長いことでもありますのでね。

 この催事を担当なさっている津田さんは、高江さんのブログにも、鍛冶屋の日記にも時折出てくる、この世界の変人です。有名人とのことでしたが、私は存じ上げなかった。

2007_1103  4年前、最初にお誘いを受けた時、偶々曲げわっぱの高橋の性ちゃんと、池袋の東武百貨店に出展しておりましたら、ご挨拶に入らしてくださった。それが初対面。

 写真の右が津田さん。
 左が性ちゃん。

 ちょっとお話をさせていただいたら、妙な予感がしましてね、「ひょっとしたらもう一軒、藍染めが出店しませんか?」とお聞きしてみた。根拠は、この業界の歴史というかトレンドでしたが、これが的中しておりましたので、お断りさせていただいた。

 しかし、気にもなっているし、鍛冶屋の武田も出ていたし、私も時間があったので、昼間からビールを引っかけて、ピンクのシャツを着て遊びに行ってみた。

 まぁー驚きましたね!。

 なにがって、色々なグループの人たちが混合している事にです。そうそうたるメンバーというわけでもないけれど、実に変わっているのですね。これは長年「職人展」に関わり合い、その推移を見てきた者としての実感です。現在でもそれは変わっていませんね。

 次の年、昔なじみの、鹿児島は指宿の変人、柘植細工の喜多さんから電話を頂いた。内容は「東急東横店の催事に何故でない!」という事。それを契機に、日本中の職人から、同じような電話が掛かってくる。仕舞いにはブラシ屋の旦那までが、「津田さんが出て欲しいらしいよ」ってな事を言うものだから、とうとう「分かりました。出ると言って置いてください」と、出展の返事をしてしまいました。

 しかしです、日程的には実に辛いのです。これは毎年のことだ。上六が終わって、その足で大阪から東京に来て、夜の搬入。荷物は次の日の朝に着くから、手持ちで重い荷物を持ってきても、初日の会場は空々だ。最終日にはそのまま他の催事に移動しなくてはならない。これは今年も同じ。

 そんな私を、無理矢理出展させてしまうのですから、津田さんの「豪腕」振りがお分かりだろうと思います。断れないようにする壺を、良くご存じだ。

 そんなわけで二回目から出ているのですが、これがまた驚かされたことに、銀杏まな板の河端さんまで居た。こんな事を書いても、業界を知らない人にはチンプンカンプンでしょうが、より一層変な感じになっていたのですな。

 この人の姿勢も考え方も面白い。

 この催事で、他の百貨店の仕事のお話を、お客様とも業者とも百貨店とも企画会社ともしてもよろしいとおっしゃる。だから、名刺交換を堂々とする姿が、あちらこちらで見られるのですね。
 こういう担当者は、私の知る限り、この人だけですが、随分前に書いたように、ちょいと企画はずれでありますし、またそう言う存在を許容するものを、東急百貨店は持っているのかも知れません。そう言えば、札幌の東急も変わっていました。

2007年11月 2日 (金)

渋谷通信vol.2

 今日は家に帰ってきて、このブログを書いております。21:08渋谷発の銀座線に乗りますと、23時には家で晩酌が出来る。始発ばかりなので、座れないなどと言うこともない。何故そんなことをしているかというと、DMを作るためです。
 旅が長いと、色々と支障を来たしますが、そもそも閑馬がブロードバンドではないからで、田舎の事ゆえ仕方ない。

 お商売はのんびりしたもので、これはいつもの事です。それでも、一日お二人くらいは良い出会いがあり、それだけで何とかなってしまうところが、この百貨店の面白い所だな。

 特徴はそれだけではなく、百貨店関係者や企画会社の人たちが見学に訪れることですね。特に今日はすごかったな。私の親しい人たちも沢山いらした。ここに出展することが、販路の拡大に繋がるようで、出典のメリットが増すことでもある。担当の津田さんの考え方の現われでもあります。

 さて、落ち着いてから書くことが沢山あるな。明日はどうなりますやら。

2007年11月 1日 (木)

渋谷通信vol.1

 渋谷の街は若者だらけですが、これは、意識的にそう言う街にしたのですね。確かに街は賑わっているようですが、雑多な感じが否めません。最近はその反省もあってか、商店街の方々も、別な方向を目指しているようにも見える。
 我がふる里も、若者の街を目指していた事がある。私は、年寄りが安心して住める街にすべきだと言ってきましたが、こういう意見は少数派でありましたね。

2007_11030003  そんな街に東急東横店はありますから、イメージはやはり「若者」です。ところがこれが違うんだな。お客様の年齢層が実に高い。そして、和装のものが良く売れる。ですから、呉服関係の職人が多い催事でもあります。

 名付けて「名人たちの仕事展」。

 それにしても暖かい秋ですね。お客様が半袖でいらっしゃるとがっかりします。紺邑の特徴は、「温かな藍染め」があることですが、それが、季節的にまだ早いように感じるのですね。

2007_11030005  それでも今日は、一年寝かせたシルクウールの、得も言われぬ青色のジャケットを、日展に出展なさっている画家の方に買っていただいた。それも九州八女市の方。

 八女市と言えば、久留米絣の本場ですし、省ちゃんの家の隣町だし、他の文化財の方々とも親しい方らしいのですが、私のような藍染めは、珍しいですからね。

 この催し物は、担当の津田さんの、思い入れの深いものらしい。とにかく出展者が、業界的に変わっています。私も、この催事でしか会わない職人が何人かいるし、藍染めも紺邑以外にもう一軒出展なさっている。こういう経験も、このお店だけです。そんな話しもしてみたいと思っております。

 良い催事だとは思いますが、惜しむらくは夜九時まで営業であることです。だからと言うわけでもありませんでしょうが、出展している職人の年齢層が若いな。

 初日で疲れているにもかかわらず、下駄屋の藤田君と、鍛冶屋の武田と、お馴染み省ちゃん夫妻と五人で夕食。このメンバーがそろうのも珍しい事だし、そろえる担当の津田さんの豪腕ぶりがうかがえる事でもあるのですが、そういうと「背負っている」と言われそうですけれどね。
 さすがに話が弾みます。話題はあっちへ行ったりこっちに来たりで様々。気が置けませんから全く疲れない。あっという間に夜も更け、さすがにちゃんとしたホテルを取り、今晩はゆったりとさせていただいております。

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