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2007年12月

2007年12月31日 (月)

ご挨拶

今年ほど、様々な出来事があったことは、我が生涯にありません。
いや、ただ単に、昔を忘れているだけなのかもしれないな。

振り返りますと、その一つ一つが、客観的に見ると大事(おおごと)で、良く乗り切ってこられたと、我が事ながら思う。

その要因は、忘れるという特技と、前向きにしか生きられない現状を、あるがままに受け入れたことにあるのかもしれません。

もう一つ大切なことは、人に恵まれていることでしょうか。
いろいろな方々に、ご助力を頂きました。

全てに感謝するしかありません。

それにしても三月の終わり、七軒町の工房を離れなければならない時、閑馬の設計をお願いしていた加藤さんに、「大川さんには、本当にいろいろなことが起こりますねぇー」としみじみ言われた時は、「全くだなぁ」と思いましたね。
これを鍛冶屋は「トラブルの集積地」と表現したが、何の因果なんでしょうか!?

落ち着いたら、考えなくてはならないことのようですね。
私は、「犬も歩かなければ棒にも当たらない」といつも言っておりますが、まぁ、歩いている証拠なのだと思っておりますよ。

カミサンには苦労を掛けました。
いや、掛け続けだな。
恩返しが出来るのだろうかと、いや、出来るようにしなければと思う。

そして、ご助力いただいた全ての方々に感謝しつつ、「良い年をお迎え下さい」とご挨拶させていただきます。

7/12日本橋通信vol.5

ついに大晦日。
今年最後の日本橋、というか催事となりました。

朝一番に、昨日沢山お買い求め頂いたお客様がまたお見えになった。
「おはようございます」とご挨拶しますと、「あなた、商売気が無いわねぇ。一枚入っていなかったわよ」とおっしゃる。
あれ!一枚入れ忘れたのかな?と思いましたら、もう一枚お買い求め頂いたのを、私がそう思わなかったらしい。
それをわざわざ、又買いに入らしてくださった。

御年80半ばで、それも田園調布から。
「31日は忙しいのよ!」なんておっしゃいながら、ご機嫌でお帰りでした。
三越のお帳場のお客様は、特別ですね。
ありがたいことでした。

途中、日本橋はカミサンに任せ、船橋に行き展示の準備。
早く終わったので、又日本橋に戻る途中、カミサンからメールが入り、「ウールケープが売れた!」ですって!
こいつは驚きました。

おかげさまで年の瀬に、立派な成績となりました。

日本橋三越にご来店のお客様皆様に、感謝申し上げます。

2007年12月30日 (日)

07/12日本橋通信VOL.4 Kさん

日本橋4日目。
例年ですと、30日辺りから、さすがの三越本店も、落ち着いた雰囲気になります。

三越担当のKさんは、この業界では一種独特な人で、とにかくよく働くし、スタンスは中立で、出展者に対する思いやりも深い人だ。

今年の予算設定は、昨年より高いらしい。
それが、三日終わって、少し負けている。
それをこの人は朝礼で、「皆さんのせいではない」と言う。

こんな朝礼をする百貨店マンは、日本で二人だろうな。

それを、社長が会場の片隅で聞いていたというのだから面白い。
そして、直々に「よろしくお願いしますよ」と言われ、「余り飲み過ぎないように」とも言われたというのも面白い。

本店では有名人なのです。

さて、紺邑は思わぬ成績。
こんな年の瀬は初めてです。
うれしい悲鳴。

午後、Kさんが我が売り場に「もうちょいで予算行きそうだよ」とニコニコして入らした。
夕方、「今年の予算行っちゃったよ」ですって。

年の瀬にこんな成績を上げられるのは、さすが三越本店。
また、お客様の数も、それなりに多かったように感じましたね。

いよいよ明日は大晦日だ。

いろいろあった今年も、ようやく終わります。

2007年12月29日 (土)

07/12日本橋通信VOL.3 笑門来福

3日本橋4日目。

暮れのこの時期に、大きな予算を作るのは、やはりさすが三越本店です。
多分、他の追随を許さないのではないかな。
紺邑に限っては、ちょいと苦戦を致しました。

朝、お客様をお迎えしていると、べっ甲のしんちゃんが、「大川さん、顔が怒っていますよ」という。
こりゃいかんと思って、無理矢理笑顔を作る努力をする。
その内、浜松や、浜松とのご縁を作ってくださった一九さんと電話をしているうちに、又顔が怒り出す。

「笑う門には福来たる」と言いますから、「こりゃいかん」と又思って無理矢理の笑顔。

私の目の前の売り場にいらっしゃる、江戸組子細工親子の対話が面白く、今度は自然の笑顔が出て見ましたね。
ありがたかったなぁ~・・・

とにかく無事終了。

鈴木一九さんの、「大川さんの思う通りになされば良いです。私はそれに従いますよ」と言って下さった言葉もありがたかったけれど、私はだれも巻き込む事はすまいと思っております。
歌の文句じゃありませんが、最後に「I did it my way」って言えりゃー良いです。

危険だということ

寝覚めがよろしくない。

昨夜の酒のせいかとも思ったけれど、どうも違うようだ。

昨日、浜松にある百貨店から電話があった。

こちらからもしていた事でもある。
 

それによると、私が紹介した職人を、お客様のクレーム一つで辞めさせるとのことだ。
 
百貨店の方針に、基本的に口を挟まないのが私のやり方だが、どうも腹の虫が治まらない。

この担当の部下は、スケジュールを組んでいるのだが、この間も確認を怠った。
 
そのために、業者がどんな思いをしているかが分かっていない。

スケジュールを決めるというのは大切なことで、一人でやっている工房なんか当たり前のようにある我々職人の世界では、それが生活を左右することもあるのだ。
 
こういうことは、サラリーマンには分からない事だろうが、想像くらいしてもらいたい。
 

だめならだめでも良い。
 
しかし、その理由が相当のものかどうかの検討を十分にし、その連絡をしなければならないのは、一般社会常識というものだ。
 

一般社会常識を欠いた行為が、この百貨店で起きていることに、私は担当者に「危険だ!」と表現した。
 

この百貨店の特徴は、我々出展者やお客様に対する、すばらしいホスピタリティーにあったと私は思うからだ。
 
それが、「○○ってどこにある百貨店ですか?」と言われたお店が、我々の業界で名を馳せ、そこそこの売り上げを作ってきた要因だと、私は考える。

それを失えば、どこにでもある地方百貨店の一売り場に落ちぶれ、今出展しているような業者から、その内見放され、どこでもいるような連中しか集まらなくなるぞ、という事だ。
 
「それは、私を含めての事だ」と、私は申し上げた。
 

百貨店では良くあることだと言うならそれでも良い。

しかし、大切なものを失うだろうという警告が、「危険だ!」と言うことだ。

2007年12月28日 (金)

07/12日本橋通信vol.2

日本橋二日目。
久々に、ご常連でマイミクで、紺邑の前工房をご存じのnarjaさんご来店。
そろそろ染め直しだろうなと思っていたご主人の作務衣をお持ちいただいた。

この方はマックを使って、ものすごく前からホームページをご自分で作っていらっしゃる。
私も愛読者なのだが、写真が上手だな。
うらやましいくらいです。

女性ライダーで、紺邑のオープンの日には、バイクでお見えになった。
びっくりしましたねぇ。

ご自宅で開かれるオープンパーティには、私も一度お伺いし、ご主人にも紹介していただいておりますし、いつぞやは日本橋まで一緒に来ていただいた。

某国立大学教授のご主人のホームページに、最近行って参りましたが、ちんぷんかんぷん!?
カミサンに読んで聞かせましたが、あまりの分からなさに、二人で大笑いしてしまいました。
掲示板の議論も、興味津々なのですが、理解が追いつきません。
残念なり。
narjaさんに解説頂き、少々、内容はわかりました。

それにしても静かなもので、さすがに年末ですね。
ゆったりと時間が過ぎ、夕方、ようやく一波来て、成績もそこそこ上げられました。
やはり、松坂屋も三越も、本店の力は違います。

終わって忘年会。

下駄屋、絣屋、帽子屋、紙屋、傘屋と私の6人。
昨年、私がちょっと不愉快な思いをしたところ。
今回は、私が失礼したかもしれない。
大分、酔っぱらいました。

この忘年会で、今年は一段落だ。

2007年12月27日 (木)

07/12日本橋通信vol.1

日本橋三越本店の初日は無事終了。
なんとなく静かでありました。

私は出勤しますと、先ずは、場内を一周しながら皆様に挨拶をする習慣があります。

トンボ玉の「にのみやあ~と」のかわいらしい親子にご挨拶すると、「ブログ読んでます!」だって。
「ありゃ」っと思いましたが、本日終了後、ブラシ屋、下駄屋、絣屋、紺屋の四人で夕飯を食べながらの話題で、なんと下駄屋まで読んでた。

皆さん隅に置けません、って言ったって、私が勝手に書いていることを、勝手にお読みになっているわけで、書いている方としては、読んでいただいていることに感謝するだけですな。

風邪気味です。
大切な体ですから(誰だってそうだってか)、食後にビタミンB群、ビタミンCに栄養剤にパンラクミン錠をのみ、これから風邪薬を飲んで休みますzzz....

2007年12月26日 (水)

素直な心

本日は日本橋三越本店の「日本の職人『匠の技展』」の準備日。

年末で社長業が忙しく、飾り付けを、お手伝いの新井さんにお任せして夕方現場に到着。

新井さんという人は、販売もプロだけれど装飾も上手いもので、私は頼りにしております。

彼女は一昨年、大病をしましたが、奇跡的に復帰。

よかったよかった。

大病してお解り頂いたのが、藍染めの良さだそうで、昨日紹介した痴呆症のご主人のように、うちのカミサンの送ったスパッツの暖かさを、実感していただいたのですね。

 

今日の染め場では、大阪の針灸の先生に依頼された布を染めました。

この先生が階段から落ちて肩を打ち、その痛みが針でも直らなかったのに、うちの藍染めを着たら随分楽になった。

それ以来、患者さん達に、「あそこの藍染めを着なさい」とお勧め頂いているのです。

どのように使うかは知りませんが、薄い生地を濃い目に染めました。

Dscf1334_2 認知症のご主人も、この針灸の先生も、その素直さが本質的な物を感じさせるのだと、そんな話を染め場でしていると、それを聞いていたアルバイトのイッセイ君に、「最近の若い人に、その感覚が分かるのでしょうか?」と質問された。

それはやはり、教育の問題もあるが、自然や人間や歴史との交わり方で、感じる心を作ることが出来るのではないかと、私は答えておきました。

実は今日、そんな話を朝からカミサンとしていたのです。

 
それは「かむかふ(考える)」という、日本人の心根とも言うべき事についてです。
 
そんなことも、このブログで話をしていけたらありがたいことです。

2007年12月25日 (火)

あったか藍

この冬の紺邑のテーマは、「あったかぁーい」!
これを文字で表せば、表題のようになる。
まぁ、しゃれではありますな。

さて、話は戻って名古屋の最終日の最後のお客様。
いらっしゃるなり、「もう旦那に頭に来て、ヒステリーを起こして、家を飛んで出てきたの」とおっしゃり、ちょっと興奮気味。
私は夫婦喧嘩かと思って、「それはそれは、お若いことで」と、笑いながら返した。
なにせご主人は、88才ですからね。

しかし良く聞きますと、認知症を患っていらっしゃるとのこと。
それも完全な。
そして、看病に疲れて入らしたのですね。

私、恐縮と汗顔の至り。
「知らないこととはいえ、まことに失礼しました」と謝りますと、「いいのよ。ところでこのセーターは男物でしょ」と、道遊さんからいただいた非売品のセーターを指さす。
そして、「うちの旦那は、前に買ってあげたお宅のセーターを着ると『あったかいなー』って言うんだけれど、どういう訳か、他のセーターを着せると『さむいさむい』って言うのよ。だから、もう一枚買っていってあげようと思うの。頭に来たけど、旦那は旦那だからね。」と言ってくださった。

実に実にありがたいお話です。
染めて作っている甲斐があろうという物だ。
認知症の人に、嘘がつけるはずがありませんからね。

それでね、道遊さん。
あのセーターを、お譲りしてしまいました。
お許しあれ。

買うと決めたその方、「あら!飛び出してきたのでお金忘れてきちゃった!」ですって。
もちろん後日、お求めいただきました。

2007年12月24日 (月)

クリスマス

我が家はクリスチャンでしたから、クリスマスは恒例のお祝い事でありました。

群馬県桐生市にある「桐生倶楽部」で、聖書を朗読し、賛美歌を歌ったものです。

祖父がサンタクロースになって、子供達にプレゼントを渡してゆく。それが楽しみでありました。

我が母上だけが家に残り、親戚中集まった、それはそれは大人数の料理を作って待っていてくれる。
昭和30年代に、チキンの丸焼きですから、豪華なものだ。
でも、それは庭で飼っていた鶏ですから、お金はかかっておりません。

賑やかなクリスマスでしたが、今年は何もない。
それどころか、忙しすぎて、ブログの書き込みもままならない程です。

それでも昨日は、チキンを焼いてワインを開け、ちょいと雰囲気を出そうとはしましたが、子供達もおりませんので、ただの団らんでおわりだ。

今日の献立も、田舎の豆腐屋の厚揚げとがんもどきで日本酒ときたもんだ!

でも、私は仏教徒ですから、これが自然な姿かもしれません。

それでも、メリークリスマス!!

2007年12月22日 (土)

なせばなる

今年の総括は別の機会にしますが、一番大きな出来事は、工房を新しくしたこと。
しかし、工房そのものの引っ越しは二度いたしました。

こんなことは、普通考えられないことです。
そのために、混乱している仕事もあり、それが思わぬ事態を招いてもいる。

それを整理するために、スタッフミーティングを二度致しまして、工房内の意思の疎通を図り、働きやすい環境作りを致しました。

まだ十分ではありませんが、来年に向けて、良い準備が始まったと思っております。

工房を新しくしますと、どうも、こんな零細でも、ちゃんとした会社になって行くのですね。
当たり前だとお思いでしょうが、それに追いついて行く努力は、物づくりとはまた別物で、新しい種類の努力なのです。

「なせばなる なさねばならぬ何事も なさぬは人の なさぬなりけり」だ。

2007年12月20日 (木)

日記

昨日は、名古屋から一路東京は銀座へ。

松屋前で待ち合わせのお仕事があったのですが、それにしても銀座は変わりましたね。アップルコンピュータのショールームなんて言うのもあるし、高級ブランドばかりで、これからの益々にぎやかになりそうです。

来年、銀座三越で仕事をしたいなと思って入ってみると、どうも、私どもが出展するような場所がありませんね。裏の駐車場だったところが、伊勢丹との統合後の本社になるらしい。松坂屋と大丸も本社が銀座だそうで、世界中からの風が銀座に吹いているようです。

日本橋三越に用があったのですが、時間があったので、久しぶりに高島屋へ寄ってみた。

ぴょんのおかあさんが居て、久々に長話。
ちょっと驚きの内容でありましたが、ブログに書けるようなことではありません。

それにしても、高島屋の変わりようにもびっくりしました。
売り場が壁だらけで、先が見えない。
だから、人影も見えない。

日本橋三越に行きましたら、それはそれは賑やかなこと。
全く対照的でしたね。

新館8階の「ギャラリーアミューズ」に出展中のガラス細工の久野さんと、来年のお仕事の打ち合わせ。
この方の作品がカミサンが大好きで、一月に閑馬で皆様に紹介したいと思っているのです。
決定しましたら詳しくお知らせいたします。

娘達の部屋に行き、次女を連れて六本木の「サテン・ドール」というライブハウスへ。
DIVA NORIKOのライブに、赤木リエが特別ゲストと言うことで、久々にカミサンを連れて行った。

大変たのしゅうございました。
ワインも3本開けてしまった。

娘達の部屋に二人で泊まりました。
私は直ぐに寝たが、カミサンは夜中の二時頃まで話をしていたらしい。
女同士ですからね。

とりとめのない日記でございます。

2007年12月18日 (火)

07/12名古屋通信vol8

松坂屋最終日の感想はただ一言、「さすが松坂屋本店!」。

朝礼の時は、何か深刻な雰囲気で、「こりゃー、よほど成績が悪いのかな?」なんて思いましたが、夕方4時頃には、ほぼ予算達成された様子。

すごいなぁ~。

高額商品が沢山出たようで、担当は、「来年が大変だ」と、うれしい悲鳴を上げていらっしゃいました。自力がありますねぇ。

紺邑は、並の百貨店なら上々、本店では物足りないと言う成績で終わりました。それでも最終日は前年を上回った。今回は凸凹が激しい週でありました。

明日は東京で三件用足しをしなければなりませんので、名古屋泊まりといたしました。やはり、急いで帰るよりは、のんびり出来てよろしいようで。

2007年12月17日 (月)

07/12名古屋通信vol7

 名古屋6日目。

 ようやく、アルパカ・リャマ・モヘアのケープが2着届きました。この冬の目玉商品にしようと思って染めて作った物。ところが、縫製が遅れたために、今になってしまったのですね。この辺りが、出来合いの商品染めと、生地を染めデザインし仕立てると言う、手間を掛けた仕事との違いです。

 出来合いの製品を仕入れ、絞るかなんかして染め、アイロンを掛けて出来上がり!という方法も知っていますが、紺邑の藍染めの質に見合う製品を作ろうとすれば、そんなことでは藍がかわいそうですから、手間を掛けて商品を作っております。

 隣に出展している石田君が、「在庫はどうしてますか?」と聞いてきた。「在庫が溜まったことがない」というと、「うらやましい」という。まぁ、これも考え方で、私には在庫があることがうらやましい。それにはどうしたらよいかというのも、紺邑の今後の課題です。

 さて、今日届いたケープはどうしたかというと、それほど安い物ではありませんけれど、2着とも売れてしまいました。今月後何着出来るかと言えば、4着。どうも困った物だ。

 さて、夕飯をどうしようかと考えていると、組紐の平井が通りかかったから、「おい!しゃぶしゃぶでもどうだ!?」と誘うと、「そんな体力はねぇーよ」と、年下のくせに生意気なことを言って断りやがったので、あの小汚いラーメン屋で、ビールと餃子と定食にすることにしました。

 帰り道、古布のデザイナーの「まこっちゃん」と一緒になった。この人、ラーメン屋に付き合うという。私としては、人を連れて行くところではないから、「よしなさい」と言っても付き合うという。それで、瓶ビールに餃子に野菜炒め定食という、まるで学生が食べるような夕飯を、二人で頂いてきた。これはこれで良しとしましょう。

2007年12月16日 (日)

07/12名古屋通信vol6

 今日で松坂屋の五日目が終了。

 誰とは言いませんが、細かい日用品を作っている職人が、「がっかりだな」と言う程の成績ですね。紺邑は、昨日の前年比大幅アップの貯金を、全部使い果たしてしまいましたね。

 昨日の懇親会は、変わった形式でしたが、お偉方の席に座っていた柘植櫛の西出さんに、「ご苦労様でした」と言うと、「まるで○○組の襲名式みたいでしたね」とおっしゃる。なるほど大阪の人の発想で、そうだったかもしれない。でも、私の「結婚式みたい」と言う方がかわいらしいな。

 「大川さんが写真を撮っていたので、きっと『この会、なんの会?』って、ブログに書かれそうだ」って、みんなで言ってました」とのこと。こちらもあちらを見るが、あちらもこちらを見ているってことですねぇ。

 本日はFIFAクラブワールドカップの決勝がありましたので、お弁当を買ってテレビ観戦。

 面白い試合で、それをリアルタイムで見られたことに感謝です。

 

世相雑感 企画会社の存在意義

大丸の社是は、うろ覚えだけれど、「先義後利」というものだったと思う。

「利」の先に「義」があり、義の後に「利」があると言うようなことだろうけれど、大丸の奥田さんが、どこかのインタビューの中でおっしゃっていたのは、「その上でいかに利益を上げるかと言うことに、腐心しなければならない」と言うことだったように記憶しています。

二宮尊徳の影響の大きい企業に、トヨタがありますが、尊徳は「分度」と云った。

「収入と支出のバランスと内容を考え、倹約を心がけろ」と云うことでしょう。

トヨタのトップは奥田さんの兄上だから、もし経営的に関係あるとすれば、大丸の経費節減というのは頷けますね。

そして努力の結果も、それなりに現れているからこその、今回の松坂屋との経営統合なのかもしれません。

 

名古屋はトヨタの地元だけれど、よく「トヨタはケチだ」という話をお客様から聞きますが、それは「分度」と言うこともあろうかと思う。

しかし「推譲」とも云って、分度によって余ったお金を、自社の将来のために蓄え、又社会に還元すると言う考えもある。

トヨタカップなどは宣伝もあろうけれど、その一環と言えなくもないかと推測しております。

 

しかし、小売業(百貨店)の現実は厳しいようで、右肩上がりの成長は見込めないし、見込んでいないようにも見えますね。

つまり、そんな将来を見据えた上での経営統合ではないか。

それは、経済の大きな問題だろうけれど、その中で、我々零細の職人達が如何に生きて行くかと云うことは、小は小なりに考えなければならないと思います。

 

そんな百貨店で開催されて来た「職人展」も、曲がり角に来ているように私は思う。

私のように、個人で仕掛けて百貨店主導で運営する時代は終わり、また、企画会社同士の条件闘争の時代も終わり、健全な企画会社の運営に委ねられるべき時代になって来るのではないかとね。

 
それはリスクの問題です。
 

たとえば今回のように、広告宣伝費が削減され、集客力に影響が出てきたとして、その仕掛けをどうするかと言うようなことですね。

百貨店と我々の間に入り、調整とリスク負担が出来るかもしれません。

それこそ、「企画力」の問題となるわけで、名前の通り、企画会社の仕事ともなるはずです。

 

今までは、大凡リスクのない仕事であったと想像しております。

仕入れも在庫も入りませんからね。

誤解を恐れず云えば、調整能力と管理能力があれば良かった。

そこに付加価値を付けたりなんだなんて云うのは、ちょいとした理屈という物でね。

 

百貨店が上記したような方向に進むとすれば、企画会社が名前だけでなく、リスクも背負えるような企業になることが求められてくるのではないでしょうか。

また、それが企業としての存在意義と云う物だし、健康的だと私は考えます。

もちろん、それに見合わない催事も出て来ることでしょう。

それはそれとして、臨機応変に対応するのも企画です。

 

職人の本文は物作りです。

私のように、職人が催事に関わるのは限界がありますし、それは多分、経験者(何人もいませんが)は皆、感じていることだろうと思う。

職人に、物作りの良い環境を作ってやるのも、企画会社の仕事になってこようかと思いますね。

それこそ、文化という物に関わり合うことで、やはり、企業としての本質的問題であり、存在意義の問題ともなるかともね。

 

久々に催事に出まして、ましてやそれが名古屋松坂屋本店で、FIFAクラブワールドカップなんて云うものにも遭遇しての、とりとめのない世相雑感であります。

2007年12月15日 (土)

07/12名古屋通信vol5

 四日目になって、ようやく本店らしい人の出になりました。結果はやはり、前年を大きく超えたらしい。かくいう紺邑も、250%増でありました。

 中日ドラゴンズが優勝し、そのセールが先月あったらしい。ものすごい人の出で、ある出店者は、一年分の利益を出したという。そのしわ寄せが、今月の集客力に現れているのではないかという人もいましたが、なるほど、分析というのは難しい物ですね。

 本日は懇親会。

Dscf1348_edited_2 先回までの中華料理から、今回は日本料理に変更された。

 昭和三十年頃の結婚式の様な感じでしょ!(って、ご存じないか)

 「高砂の席」みたいな上座に、お偉方が並んでいる姿は、異様とも言えるが、この業界では珍しい風景だな。中には、この宴会だけに出席しに、わざわざ新幹線で来た方も見えますねぇ。

 私の席は、もちろん下々の末席で、一つ空いている所です。いつものことですが、気楽で結構なことでありました。

 料理のお味はと言うと、私はそういうことには口うるさくないのであります。

2007年12月14日 (金)

07/12名古屋通信vol4

 名古屋の三日目。

 目の前の九谷焼のご主人は初のお目見えなのですが、「ここは人が通りませんね」と嘆くほどの静けさでありました。この二日間も、四時には終わっている感じですね。

 それでも昨日は、紺邑は昨年実績より180%程伸ばしたのですが、今日はいけませんでしたね。冬場の藍染めのお商売は凹凸があるのです。明日又頑張りましょう。

 昨日は私が、下駄の藤田君、柘植櫛の西出さん、組紐の平井におしゃべり革鞄のユミちゃんを誘って、牡蠣鍋で忘年会を企画したのですが、突然(?)浦和vsミラン戦が入り込んできたので、誘った私がキャンセルし、サッカーに夢中になっておりました。

 本日の朝、皆さんにキャンセルのお詫びに回りましたら、妙にうれしそうな様子。伊勢の牡蠣は美味い。それも、マトヤではなく何とかというところが特に良い。そいつをたらふく食べて飲んで勘定をしたら、一人数千円で済んでしまったらしい。勘定の間違いに違いないと、彼らは思っている。それで上機嫌なのであります。あたしゃー悔しかったね!それですっかり腹が減り、いつか牡蠣鍋を食べようと決心を新たにしました、って、私が誘った宴会だったのにな。

 でも、浦和の善戦で良しとしなければ、罰が当たります。

 悪いと言ってもそれは松坂屋の本店。他の百貨店に比べれば、その売り上げはさすがな物です。

2007年12月13日 (木)

07/12名古屋通信vol3

 名古屋松坂屋本店の「日本の職人展」も、二日目を無事終了!
 
 大丸と経営統合されまして、何か変わったかなと思いましたら、いくつか感じられるところがあります。

 第一は、広告宣伝費の削減ですね。チラシが小さくなり、地下鉄などの中刷りが無くなった。その影響かどうかは分かりませんが、お客様の数は、「ここが松坂屋の本店か?」と思わせるほど静かです。お買い求めいただいているのは、DMを出したお客様だけという状態ですね。
 ですから、小物を扱う方や初めて出展なさっている職人さん達は、少し苦労しているのではないかな?

 第二に、朝礼の内容。「3S運動」が、「笑顔で挨拶、迅速になんとか・・」と変わりましたね。

 第三は、BGMです。毎年ここに来ますと、いつもの変わらぬクリスマスソングが聞こえてきたものですが、今年は全く違う。それでも、ルー・ロウルズやエラ・フィッツジェラルドやディーン・マーティンやサッチモなどの歌声が聞こえてくる分には、まだ良いのですが、その中に日本語の歌が聞こえて来た。それが「クリスマス」と言うところを、「クリスメ~ス」と歌っている。
 それだけでも気持ち悪いのに、その歌い手の「アメイジングレイス」も流れてきた。これが堪りません。気持ちが悪くなるくらい酷い。聞かないようにすれば良いのでしょうが、そうはいかないのが辛いところです。
 「こりゃなんだ?」と思っていたら、雰囲気のある女性の声で、「この年の松坂屋のクリスマスイメージソング・・云々」とアナウンスがあった。これに参っておりますですよ。

 私だけかなと思っていたらある社員は、「この歌が聞こえて来たら、聞こえて来ないところに避難する」と言っておりましたが、その感性は正しいと思う、っと言うより、当たり前だな。

 それでもさすが松坂屋本店で、昨年度より少しの落ち込みで済んでおりますが、実感としては、もう少し悪いかな!?

 突然ですが、浦和がミラン相手に良くやりました。これを切っ掛けに、日本のサッカーの、質の向上が出来れば良いなと思う。
 私が見ていた頃よりは、確実にレベルアップしていますからね。 

2007年12月12日 (水)

07/12名古屋通信vol2

 松坂屋名古屋本店の「日本の職人展」が始まりました。

20071212112020 会場のコンコースのような所ですが、冬は例年、この場で出店しております。

 少々くらいのが難点で、無理を言いまして、明かるくしていただいております。

 さて、チラシを見ますと、やはり大分小さくなりました。多分例年の半分くらいの大きさではないでしょうか。そのせいかどうか、実に緩やかな出足となりました。これも、大丸との統合の影響でありましょうか!?

 「佐野のどこでやっているのか?」とお尋ねのお客様がいらした。良く聞きますと、繊維関係の商社にお勤めで、足利で二年間、ホテル住まいをなさっていたとのこと。両毛地区が担当だったらしく、実にお詳しい。昭和三十年代の良いときでしたから、相当遊んだことでしょうね。
 あの縫製屋はどうしている?、あの呉服屋はまだあるか?と聞かれても、40年以上も前のことですから、私にはちんぷんかんぷんでありましたが、お客様は楽しいそうにお話をなさっていましたね。

 両毛では「だがね」言葉を使います。これは、名古屋と同じですね。多分、繊維関係で、そうとう深く長いお付き合いがあったのではないかな?

Dscf1347_2  珍しく岡村さんが初日にお見えになった。

 紺邑の、アルパカとリャマとモヘアの藍染めのコートをお召しになり、どうもいつもと雰囲気が違う。

 髪型だと気がついたので、「どこまで伸ばすつもり?」と聞くと、「腰まで」とのこと。そんなことが分かるくらい、長いお付き合いとなりました。

 東京に行ってしまうので、今回はもう会えないらしい。それで初日にいらした。顔をお見せいただいただけでもありがたい。

 お正月は、ひょっとすると、日本橋でお会いできるかな?

 さて、夜はサッカー観戦。
 明日は浦和だ。

2007年12月11日 (火)

名古屋通信

名古屋に来ております。
松坂屋名古屋本店の「職人展」。
久々の催事。

名古屋松坂屋本店の催事は、いつだったか書いたように、親父殿達の夢の存在でした。
ところが、出展の機会がなかったのですね。

栃木県の物産展があるわけでもないし、当時は職人展もありませんでしたから。

それで私は、職人展を作る努力をしたことがある。
担当者が変わり、それは頓挫いたしましたが、今度は下駄の藤田君が動いてくれて実現したのが、今の職人展です。
ですから多少の感慨がある催事です。

ここは催事前日の昼間の搬入ですから、ゆったりと準備が出来ます。

三週間工房にいまして、私としては久々の催事。
間が開きますと、少々不安になる。

カミサンにそう言いますと、「大丈夫。きっと良い出会いがあると思いなさい」と言われた。

そういえばそうだと、素直に受け取ることにしました。

この一週間で、どれだけ良い出会いがあります事やら、楽しみであります。

2007年12月 9日 (日)

酒屋さん

Dscf1322_2_2  下野銘酒「磨墨」が無くなりましたので、今度は「飛駒」をいただきに、栗原商店に行って参りました。
 軽自動車一台が、やっと通れるほどの狭い道を行きますと、ポツンと明かりが見えて、そこがお店です。

  

 

Dscf1323_2 カメラを右にして、道を写すとこんな感じで、街灯も何も全くありません。

 左手は山と森で、右側は畑。その右には閑馬川が流れております(もっともこの時期は、水がありません)。

 

 

Dscf1327_2  店主の栗原さんです。

 「ブログに紹介させて下さい」と申し上げたら、「面白いことになりそうですね」とおっしゃった。

 実にバイタリティーあふれたお方で、びっくりいたします。近所の人達を連れて、自転車で茨城の海までツーリングの企画などもなさったそうな。
 

 奥のそば屋の久保さんから、煮物にお赤飯にお蕎麦を頂いて参りました。これに、やはりこの辺りの唯一の「コンビニ」でいただいた美味しいお刺身で、これから「飛駒」で一杯やります。

 漢方米は、明日の楽しみと致しましょう。

日本一美味しいお米

 さて、何を持って日本一とするか!?それは、客観的評価もあれば、自分の個人的な評価もあろうかと思う。

 そのどちらも尊重するとして、昨日、大田原の星野先生から、客観的評価として、「日本一美味しい」とされたお米が送られて参りました。

 「全国 米・食味分析鑑定コンクール」(米・食味鑑定士協会主催)と言うのがありまして、これが日本一規模の大きなコンクール。そこで、日本一の評価をいただいた物なのです。金賞は何度も取っていたらしいですが、投票数№1は初めてのことだと言うことらしい。

 福島のお米ですが、何故か福島は昔からお米が美味しい土地ですね。

 末広町の「鳥つね自然洞」の出す美味しいお米も福島だし、その昔、日本の寿司米の産地として、かの魯山人も福島の米を褒めておりました。根っから土が良い所へ、さらにそれが健康になった結果でありましょう。

 「漢方米」はどれでも美味しいが、それがさらに美味しいというのは、今晩頂く予定ですが、楽しみだな。

2007年12月 8日 (土)

磨墨(するすみ)の顛末 つづき

 宇治川先陣争いでは、佐々木の策略によって、梶原の乗る「磨墨」は、二番手になってしまった訳ですが、さてその後、「磨墨」はどうなったかと言いますと....
20071209084803こういう日本酒になっております。

閑馬の栗原商店という酒屋さんがお作りになったお酒です。

商標も登録してあり、「飛駒」という酒もある。

「生食」も登録しようと思ったら、これには様々な文字があって、無理であったとのこと。

もちろん飲んでみましたが、これから贔屓にしていこうと思っています。

その前に、「飛駒」も飲んでみたいな。

それにしても栗原さんは、田舎の本当に小さな酒屋さんで、それも、裏通りの森の中にあって、地元の人以外は絶対に分からないお店のご主人ですが、ものすごく考えていらっしゃる。お話しさせていただきましたが、勉強になりました。

20071208102513

赤い看板が小さく見えると思いますがどうでしょうか?

ここに「スナックするすみ」と書いてあるのです。

なんと、スナックにもなっている。

ここは、県道66号線、いわゆる田沼・桐生街道を入ったところにあります。
ものすごく田舎で、人家もまばらなところですが、どういう方達が飲みにいらっしゃるのでしょうね?
私はスナックと言うところは、趣味も無いし、日本全国で浜松の一軒しか行きませんので、よく分からないのです。

カミサンは知っていたらしいですが、私は知らなかった。
驚いて携帯で写真を撮ってきたけれど、妙な代物になっちゃった。
でも、せっかくだから載せておきます。

2007年12月 7日 (金)

磨墨(するすみ)の顛末

 「飛駒」と「閑馬」の謂われを、民話程度に書きましたが、調べるのも嫌だという方のために、補足。

 飛駒で捕らえられた馬を「生食(いけずき)」、閑馬で捕らえられた馬を「磨墨(するすみ)」と名付けられたわけですが、それが、平家物語には....

 「佐々木四郎が給わった馬は、黒栗毛で、体格は大きくたくましいが、馬だろうが人だろうが、あたりにいるものに見境なく噛付くので「生食(いけずき)」と名付けられた(「すく」とは、食べるの意)。足の丈が八寸ということであった。梶原景季が給わった馬も、立派な体格をしていて真っ黒だったので、「磨墨(するすみ)」と名付けらた。いずれも劣らぬ名馬であった。」と、分かりやすく書いてあるらしい。※

 梶原景季は頼朝に、執拗に「生食」を所望したが、頼朝は「生食は、私が戦場で乗る馬だから」と言ってそれを許さず、「磨墨」を与えた。ところがしばらくして、佐々木四郎高綱に「生食」を与えてしまったのですね。この二人が戦場で会ってしまったからさぁ大変。

 俺様ほどの名馬に乗っている奴はいないだろうと、得意満面の景季は、戦場で事もあろうに「生食」に出会ってしまった。その持ち主が佐々木と知ると、「あんなに頼んだ馬を、あんな奴にやるとは...」と頭に来て、死んじゃおうと思うが、ただ死んでは面白くないから、佐々木四郎と戦って、二人とも死んで、頼朝に「惜しい事をした」と後悔させてやろうと、佐々木四郎に必死の形相で詰め寄る。

 気配を察した佐々木が、「いやいや、この馬は盗んできたのです」と言い繕う。そのあまりの馬鹿馬鹿しい言い訳にあきれて、二人で大笑いになって、殺し合いにならずにすんだ。

 さて佐々木は、「生食」を給わった時に、喜びのあまりにか、「この馬で先陣を切る。切れなければ死ぬ。」と、頼朝に見得を切ってしまっていた。

 その時が遂にやってきた。それが「宇治川の先陣争い」ですね。

 つづく......

※佐々木四郎高綱の給はられたりける御馬は、黒栗毛なる馬の、きはめて太うたくましきが、馬をも人をも傍を拂つて食ひければ、生食とは附けられたり。八寸の馬とぞ聞こえし。梶原が給はつたりける御馬も、極めて太うたくましきが、まことに黒かりければ、磨墨とは附けられたり。いづれも劣らぬ名馬なり。

2007年12月 6日 (木)

大邸宅

 下彦間城(「馬」ではなく、「間」が正しい)のお話を書きましたが、我が近所には、こんな大邸宅が隠れていました。
Dscf1319_2どの道からも、どの畑からも見ることは出来ません。存在すら分からない。

周囲の道は舗装もされておらず、軽自動車さへ行き交うことが難しい程に狭い。

先日お会いした野村さんにお伺いした、旧I氏邸です。

足利から電話が引かれたとき、1番がこの家であったそうな。(確か大川本家は、局は別だが、3番だったと思う)

Dscf1320_2_2私邸ですし、今は管理している方だけがお住まいのようですので、この程度のアップだというのが残念。

お住まいだった方とは、高校卒業した頃、良くお会いしていたし、我が友人のビジネスパートナーだった事もある。

そんな多少の縁はありますが、この大邸宅を目の当たりにして感慨無量!

栄枯盛衰と言いますが、文化の衰退を嘆かずにはいられないな。

このまま朽ち果ててゆくのを待つのも、人ごとながら悔しい気もします。

下彦間城も然りですが、歴史というのは厳しい物だな。

2007年12月 4日 (火)

狐の嫁入り

今日は良い天気で、調子よく藍染めが始まりました。

Dscf1312_2 昨日染め上がった生地を天日干し。

晴れているのは、木陰でおわかりだろうと思う。

ところがこの時、雨が降っているのですよ。

  

  
 

Dscf1313_2玄関の石畳ですが、雨の後がありますね。

これが小雨とも言えない、しっかりした雨で、ちょいとびっくりいたしましたね。

いわゆる天気雨、別名「狐の嫁入り」と言う奴ですな。

久々に遭遇いたしました。

それでもほんの一瞬のことで、後は順調に染めることが出来ております。

そろそろ、名古屋松坂屋本店の催事の準備をしなければなりません。 

実演用の藍も、建て始めました。
Dscf1317_2 イスラム教のターバンをかぶっているようですが、床暖を入れ、周りをバスタオルで包んで、保温を心がけているのです。

中身は3㎏ほどのすくもを、灰汁でたっぷり練り、ひたひたになるまで灰汁を入れたもの。

  

 

Dscf1318_2 後三日ほど寝かせまして、この灰汁を入れてかさ上げを致します。

樫の木灰から取った、一番灰汁です。

ほれぼれするほどよい色合いで、ぬるみもたっぷりだ。

よい藍が建つこと、請け合いですね。

  
楽しみですが、これを名古屋に運びますと、おかしくなってしまうのですよ。
冬場は簡単にいきません。

2007年12月 2日 (日)

名馬磨墨(するすみ)

 いつぞや次女から、「源氏物語」と「平家物語」について、メールが入ったことがある。「源氏」を奇跡、「平家」を最高のエンターテインメントと言うような表現をしていた覚えがあります。「カンペ(カンニング・ペーパー)無し」とも書いてありましたが、携帯で書いたメールとしては、大作でありました。

 彼女には、「カンペ無し」で書ける教養があるが、これから書くことは、いわゆる「受け売り」で、「カンペ有り」であります。そのカンペも、地元の民話集程度の物。私には教養がありませんのでね(本当です)。

 源平の時代のある時、この辺り(飛駒、閑馬)の人達は、頼朝に献上する馬を見つけるために、馬狩りをしたそうな。深山から二頭の馬が現れ、それが飛ぶように走っていたので、その原野を「飛駒」と呼んだ。

 一頭は飛駒で捕らえられ、「生食(いけずき)」と名付けられた。

 もう一頭には逃げられたが、それを追いかけて行くと、ある沢の池で、疲れて水を飲んでいるところを捕まえた。馬が閑(しず)かになった所なので、其所は「閑馬」と呼ばれるようになったそうな。

 その馬の名を、「磨墨(するすみ)」と言います。

 「生食」には佐々木高綱が乗り、「磨墨」には梶原景季(かげすえ)が乗ったのが、平家物語で有名な「「宇治川の先陣争い」ですね。

 この物語が史実かどうかなどと問うことは、エンターテインメントですから野暮なことで、調べてみますと、こういう伝説は、日本中至る所にあるらしい。でも、閑馬の謂われの一つとして語り伝えられてきたという事は、地元の史実ですね。

 このブログに出て来るお蕎麦屋さんの近くに、磨墨が捕まった池が残っています。今でも其所を「するすみの池」と、地元では言っております。その内写真を撮って参りましょう。

 何故こんな事を書いたかというと、詩人の舘内尚子さんからお電話を頂いて、そんな話題になったからです。彼女はこのブログをご覧になっているらしい。赤面の至りですが、仕方ありませんね(^_^;)

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