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2008年1月

2008年1月31日 (木)

大田原通信vol.1

昨日から栃木県大田原市の東武宇都宮百貨店大田原店に来ております。
鳥取県の米子市にいて、島根県出雲市から帰ってきたと思ったら、大田原市ですから、実に慌ただしく、私の人生そのものだな。

東武の大田原店は小さな店です。
ですから、ご出展いただいていた皆さんは、戦々恐々としていたのではないかな!?
なににって?誰も知らない百貨店だし、売れるのかな?ってね!
二週間ほど前、東京近郊の、某市某百貨店でも大田原の話題になり、「どうなんだろうね」なんて、不安そうに話をしていたそうな。
この某有名百貨店の催事は、悲惨な結果だったらしく、大田原も悲観的に見ていたようです

結果は本日、百貨店目標予算の200%を超えました。
ですからみんな、機嫌が良い。

中澤カバンの職人さんは、「思いの外ですね」といい、高知珊瑚の奥田さんは、「某市某百貨店なんか比べものにならない人の入りだ」と言い、江戸手描き友禅の内山先生は、「なかなかだね」といい、企画会社の神田さんはホクホク顔だし、私も満足。
ざまー見ろってなものですが、まだ五日もある。
こつこつと励むしかありません。

その企画会社の神田さんは、良くやりました。
吹き抜けで、外の光が頼りの照明の会場に、明かりをたっぷり入れる努力をなさった。
紺邑だけでも、12本のスポットライトがあります。
アクセサリーのショーケースも、グレードを上げ、会場の雰囲気に、高級感を持たせております。
その結果が、本日に現れていると、私だけでなく、出展者みんなが感じていることだろうと思う。
新入社員でこの業界をよく知らないようですが、元営業マンのガッツと行動力に、感心しております。って、一出展者としては、ちょいと生意気な感想でございました。

開店前には、店長も挨拶に来られ、明日は店長も出席し、宇都宮の催事課の酒見君もわざわざ来てくれて、百貨店が私たちを招待しての懇親会が開かれます。

たった八人の小さな催事ですが、充実した一週間を過ごせるように励むことと致します。

大田原四態。
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入り口から見た紺邑の売り場ですが、上を見ていただくと、吹き抜けの様子が、少し感じ取れるかと思いますが、如何でしょうか(^^;)

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2階から撮った物ですが、右側が紺邑で、隣が奥田珊瑚。
奥田さんも、本日は良いお酒を飲んでいることでしょう。

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その左隣が「安曇野りんご遊印」。
長野からはるばる来るまで駆けつけてくださった。

東京手描き友禅の内山先生は、まさかと思いましたがご本人が入らした。
私が直接お電話したのは事実ですが、ありがたいことでしたね。
この辺りが、商売上のツボを心得ている、たたき上げの人という感じです。
手前の緋毛せんが武田刃物。
その左隣が、平野ブラシ。

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奥が中澤カバンで、その手前左側が、女性に人気の「ジュエリICCO」。

2008年1月30日 (水)

帰宅

出雲大社にお参りして、帰ってきました。

朝9時過ぎに出雲に着き、岡さんの出迎えを受けまして、それから午後三時過ぎの飛行場まで、お付き合いいただいた。
岡さんとも長い付き合いだが、こんなに長時間一緒にいたことはなかったなぁ。

早速出雲大社へ。
その印象譚を書くには、相当なエネルギーが要るようです。
とにかく二人とも、すがすがしい気持ちになれました。
次回は、カミサンを連れて来なければなりません。
すばらしい機会を与えてくださった岡さんご夫妻に、感謝ですね。

出雲そばも良かった。
資料館の奥の中庭に面したお店でしたが、そばがきも出してくれました。
しかし、なんと言っても、あの細切りが良いな。

米子にしても、出雲にしても、小さな町ですが、自立しているという印象を持ちました。
それは、この町でしか生きて行けないからなのでしょうね。
つまり、完結しているのですな。
だから、小さな店でも、工夫次第では生きて行けるのでしょう。

私たちの所は、あまりにも東京に近いので、結局は自立出来ないのではないかなと思います。
本当に必要で良い物は、東京に出れば何でも手に入りますからね。

町おこしのヒントを頂いたようだ。

2008年1月28日 (月)

明日。。。未来。。。

明日、出雲大社に行って参ります。

工房を新しくしたとき、鍛冶屋に「出雲大社に行きなさい」と勧められたのですが、伊勢赤福の暖簾を復元した関係もあり、また、伊勢に沢山知り合いがいるので、伊勢神宮にこだわって決めかねていたのです。

しかし、工房の近所に出雲神社があり、伊勢に行く機会もなかな出来ない。
そして今回、米子に呼ばれ、スケジュール調整にもトラブルがあったのですが、結局、そによって、自然と、いや、必然的に、出雲大社にお参りすることとなりました。

折しも60年に一度の、遷宮の始まりの年でもある。
これこそ千載一遇の機会でもある。
そして紺邑は、「出雲屋敷」になることに決めました。

身を清めて参りたいと思い、ついでと言ってはなんですが、ズボンを新しくすることにしました。
私は買い物が大嫌いで苦手なのですが、仕方なく、米子タカシマヤの紳士服売り場に一人で行った。
気にいたパンツがあったので試着することにしましてね、「ウエストは○○㎝」と売り子さんに言って、試着したらボタンがしまらない(泣)
知らぬ間に、ウエストが大きくなっておりました。
そう言えば、久しぶりに会った岡さんも、同じようだったな。
「お互いに大きくなりましたね」が、最初の挨拶だった。

仕方なくワンサイズ大きな物にしました。
ショックでしたね!

それでもまだ「デブ」と言われるほどでもないと、自分では思っております。

「デブ」と言えばSF作家の小松左京が、「デブとは差別用語である。せめて『胴回りが不自由な人』と言ってもらいたい!」と言っていたことを思い出した。

そうならないようにしよ!

米子通信vol.6

米子タカシマヤの最終日。

はじめの三日間はなんだったのだろうかと思うくらい、お客様が沢山お見えになりました。
成績も、マネージャと岡さんの奥様が抱き合うくらい良かったようです。
紺邑も、鍛冶屋のお陰もあるけれど、思いがけない成績を上げさせていただきました。

これは偏に、岡さんの知名度と努力の賜だな。

一週間お付き合いして分かりましたが、「おかや」というブランド力はたいしたものです。
そして、お客様との、百貨店との信頼関係も絶大なものだな。

古いお付き合いではあるけれど、評判は聞いていたけれど、私と違う世界でもあるけれど、勉強にもなったし、違う世界であるからこそ、新しいすばらしい出会いがありました。

明日は出雲大社にお参りします。
ここでもまた、岡さんにご足労掛ける。

それにしても私にとって、ありがたいお付き合いです。

2008年1月27日 (日)

米子通信vol.5

朝、表に出てみると、この冬初めて出会う雪景色。
転ばぬよう慎重に出勤しました。
こんな日は悪いのだろうなと思いきや、沢山の人出で、全体の成績は良かったらしい。
しかし、家具催事ですから、さすがに洋服目的のお客様は少ないですね。

夕方、お一人のお客様が、売り場の中を興味津々ごらんになっている。
説明しようとすると、「二階堂さんの・・・」と遠慮がちにおっしゃる。
二階堂さんとは、我がマイミクで、染めと織りをなさっている方。
今回は、吹雪の為にお会い出来ませんでしたが、そのお仲間という事でした。

それではというので、ちょっとだけ藍染めについて語りましたが、この辺りはそう言う方が多いようです。

藍染めに興味を示される方とお話ししますと、私の生まれ育ったところと同じで「機場(はたば)」だったようですね。
だから共通体験が多く、まるで地元にいるようなのです。

綿を紡いで糸にし、括って紺屋で染めてもらい、それで普段着を織っていたのがおばあさんだったとか、お蚕さんの話とか、身近な話題ばかり。
桑の実を食べて口の周りを真っ青にし、ポケットに詰めて母親に怒られた話しや、お蚕さんのガサガサ動く音の話なんかすると、「そうそう」と同感し合って盛り上がるのですね。

この辺りには、子供が生まれると、母方の里から、赤ちゃん用のもの一式を送る風習があり、その中に、藍染めの産着と湯上がりがあり、それが筒染めされていたのだと言う話をすると、皆さんご納得。

ところがそれが、ここ山陰独特の風習だと知らず、「家の嫁さんは京都なのだけれど、だから何も送ってこなかったのね。この辺りだけなんだ、そんな事するの。」と、誤解を解く事も出来たみたいです。これでこの方の家庭は安泰だ。

終わって「かいき温泉」でひとっ風呂浴びて来ました。
いい湯だなぁーってね(^^)/

2008年1月26日 (土)

鍛冶屋武田一家

米子は寒い。
久しぶりに、冬を感じております。

昨日、一昨日と、二日間新聞にこのイベントが紹介されたらしい。
その為か、沢山のお客様が入りました。
っと言っても、比較的でありますよ。

さすがに家具の催事ですから、洋服に集まる人は少ないようですが、午後、お一人奇特な方がいらして、テーブルクロスを作る商談が始まった。
それがまとまり、伝票を切っているときに、騒がしい一段が突如現れました。
なんと、鍛冶屋武田一家。

Dscf1435_2 一家と言ったって、家族のこと。
奥様に長女の麻衣君に松水。
新見から車で一時間程で来られるらしい。
奥様とは、新見の武田家に泊まらせていただいた時、麻衣君とは岡山の寿司屋以来であります。
そこに、「おかや」の岡さんの奥様を入れての記念写真。

「なるほどなるほど」と言いながら入ってきたのですが、この「なるほど」という一言が、今週の私の仕事の全てを表していますね。

その昔、仕事があまりない頃、倉敷三越に出展したことがある。
その時も武田は来てくれて、買い物もしてくれた。
その時を思い出すように、また買い物をしてくれましたね。

好意は甘えて初めて生きると思いますので、こういう場合は、遠慮しないことにしております。
それでもありがたい事でした。

武田家は運も持ってきてくれたようで、その後、シルクのコートも出た。

終わって何故かフグを頂いた。
メンバーに、鍛冶屋の日記でお馴染みの、吉田酒造の須藤さんが混じる。
この人が私に色々質問してくるものだから、それに答えている内に、食べるよりもしゃべる事が主になっちゃった。
醗酵から政治から歴史なんて言う、凡そ酒のつまみにならない話で、気の毒だったのはお隣のお客様だな。
私の声は大きいですからね。

どうも、私一人が楽しんだようで、こう言う事は申し訳なかったかなと思う。
まぁ、ご勘弁下さい。

料理と酒に関しては、武田の言う「なるほど」と言うことで。。。

2008年1月24日 (木)

米子通信vol.3

私が何故米子に来ているのか、その意味は、おぼろげに見えて参りました。
そして、様々な出会いや気づきもありますね。

米子のお客様は、藍染めをよくご存じだし、また、そのつもりの人もいる。
それはやはり、弓はま絣の産地だからでしょう。
これを地元の方々は皆様、「はま絣」ということも、今回初めて知りました。

後藤さんの事はここに書きましたが、やはり地元だけあって有名だし、お客様が皆お知り合いの様です。
お会いできるかと思ったら、お客様が、「今、どこかのデパートに行っているみたいだよ」とおっしゃるので、直ぐに調べてみたら、名古屋タカシマヤの伝統展に出展なさっていました。

今回は残念ながら、会えないようです。

しかし事情通はいるもので、機織りの名人が後藤さんの所にいらっしゃり、後継者と言われる人も、修行中だとのこと。
弓はま絣も、当分は大丈夫なようです。

昨日一番の男性のお客様は、紺邑をねらったようにご来店。
説明しようとすると、「いや、分かっているからいい」といって、私を牽制する。
「この辺にも、○○さんという本染めをやっている人がいるからね」と。

そんなことはどうでも良いのにと思いつつ、怒るなと言う鍛冶屋の忠告を思い出し、「作用でございますか」とだけ言っておきました。
ジャージーの上下を着こなしていたこの方は、服飾デザイナーだそうで、無遠慮に商品を見て行きましたが、こんな人がどんな物を造れるというのでしょうか。

岡さん夫妻が尊敬する和尚がいらした。

「栃木県から参りました」とご挨拶すると、「へぇ、栃木のどこ?。私の母も栃木なんだ」とおっしゃる。「佐野です」と答えると「え!母も佐野だよ。植野と言うところだ」とびっくりなさった。
「前の工房が七軒町と言うところにあって、植野から市駅に向かったあの踏切を渡りましてね・・・」なんて、実にローカルな話題となった。
遠い米子に来ていることを忘れる一瞬でありました。

山陰では、子供が生まれますと、母方の里から子供の物一式を送る風習があり、その中に、藍染めの産着や湯上がりがあったと、私は説明してきました。
その話でお客様と盛り上がったのですが、そんな話は次回に。

米子通信vol.2

米子には来ているのですが、ネット環境が非常に悪い。
これも、パソコンを携帯につないで書いております。

このイベントは、岡さんが独自に実施しているもので、私が出展しているいつもの職人展とは、大分感じが違います。
お客様も、皆お馴染みの様子ですし、外商が一生懸命、顧客を連れてきてくださる。

そんな中、初日は何とかなりましたが、本日は私にとっての初雪を体験し、耳たぶが痛くなるほどの寒さのせいか、さっぱりでしたね。

昨日は近所の温泉に行って参りました。
これが功をを奏してか、足の疲れが大分取れた。
良いこともありますね。

食事に困っておりますが、高島屋周辺には特にこれといったものが見あたりません。

昨日、温泉に行く前に駅の方に行ってみると、それはそれは沢山お店がありました。
なんと、目的の二軒が満席で入れずという盛況ぶり。

お見それしましたね。

まぁ、そんなかんな、のんびりやっております。

2008年1月22日 (火)

米子通信vol.1

米子に到着。

空港に着き、バスに乗ろうとして切符を買っていると、なんとそのバスが、乗客を一人も乗せずに出発してしまった。
時刻表を見ると、確かに時間通りに出発したらしい。
しかし、バス停の時刻表には、「飛行機の到着時刻に合わせる」とも書いてある。
そのために凡そ二十人ほどが、寒空の中、次のバスまで25分も待たされた。

長く旅をしているが、こんな事は初めての出来事。
腹も立ったが、ここで怒っては一週間がつまらなくなるので、何とか米子の良いところを探してみることにしました。

タカシマヤの会場は広い。
岡さんともご挨拶。
「来ていただいて光栄です」なんて、こちらの心をくすぐる。

怒らなくて良かった。

明日が初日。
如何なりますやら。

2008年1月21日 (月)

イベント最終日

土曜日の馬鹿騒ぎに、どのくらいの人が集まったかというと、二階の部屋一杯でした。
カミサンに言わせると、隣が何をしゃべってるのか全くわからないくらいうるさく、まるで椋鳥の巣のようであったそうな。
それにしても、あんな山の中に、それも夜に、よく集まったものです。

さて、久野さんのイベントが無事終了しました。
案の定、社長は毎日ご来店下さり、楽しい会話とお買い物を楽しまれた。
社長がガラスの器の収集家だと初めて知りましたが、様々なガラスをお持ちになり、久野さんに絵を描いてもらうことになりましたね。
「これも紺邑さんがここに来てくれたからだ」と、思いがけない言葉を下さった。
ありがとうございます。

最終日のお昼は、いつもの蕎麦屋さんに久野さんをお連れした。
後から入って入らした三人組の妙齢のご婦人たちに、店主が私を紹介してくださった。

「あら!藍染めなら足利に大川さんがいますね」とそのうちのお一人が言う。
「私が長男です」と申し上げると、「あら!音楽をなさっている!?」と。
「それが私です」と言うと、「私達のライオンズクラブにお呼びして、歌を聴かせていただいたことがあるのよ」と。
もちろん私も覚えていることですので、「その節はお世話になりました」とは申し上げたが、そんないきさつがあるのに、何故私の事がお分かりにならなかったかというと、私、少し太ったのであります。

蕎麦屋の人が、「帰りに寄ってみたら」と言ってくれて、三人とも、紺邑にお寄りいただいた。
久野さんの作品を見るなり目が輝き出しまして、皆さん大きな買い物をしてくださった。

深くお話をしていきますと、やはり共通の知人の多いこと。
その一人一人によろしくと申し上げ、私の歌を二曲ほどお聴かせしてお別れいたしました。

そんなこんなで終了。
楽しいイベントとなりました。

次はどなたに来ていただこうか、これから思案いたします。

2008年1月20日 (日)

大騒ぎ

ちょっと疲れ気味で、ブログを書く体力がない、っと言うのは言い訳で、実は飲み過ぎたのです。

19日の夜、紺邑の2階でホームパーティを急遽することに致しました。

切っ掛けは、先回のホームコンサートに、「少年の日美術館」の安藤勇寿さんがいらっしゃれなかった。
お年始のご挨拶にカミサンが伺ったときに、「それが残念だった」とおっしゃったそうなので、「じゃぁーやるか」という気になっちゃったのです。

もう一つは、太田さんと言う方が、閑馬辺りで農業をやりたいと言うことなので、地元の方々に紹介しようという、この二つの目的があったのです。

音響(PA)をどうしようかと考えていたら、太田さんが持って来てくれるという。
彼は音楽関係の大手プロダクションに所属し、また、大物タレントのマネジメントやプロデュースもなさっているのです。

その一人のkengo君が来て歌ってくれることになった。
彼は仙台のテレビCMで売り出し中とのこと(LINKはそのコマーシャル)。
ストリート出身らしく、充電式のPAを持ってきてくれた。

私もそれに便乗し、ギターも借りて二人でちょっとしたライブをやりました。

親しい人達に来ていただいた。
それも、飲食共に持ち込みで。

リラックスしすぎまして、日本酒を冷やでやってしまい、最後の方は良く覚えていないのです。

最後には若い人達も大勢来て、大盛り上がりで、床に座り込んでkengo君と二人でデュエットなんかしてしまいました。

どうも、そのまま床で寝てしまったそうな。
そんな一日でございましたとさ・・・

2008年1月19日 (土)

勘違い

朝起きて、昨夜のブログを読み返してみれば、「本当に自分で作っている職人の時代、または、そういう品物を扱っているお店の時代になってゆくことでしょうね。」なんて私は書いている。

その通りだと思うのだが、これを勘違いする百貨店の担当者がいるから困るのです。

何でも自分で作っていりゃー良いものかと言えば、そんなことはないのでね。

彼らの見るべきは、「質」と「内容」です。

 

こう言うのは「前提」とか「常識」というものなのだが、そこから話さないと分からないというのも、問題なのですね。

こういう議論は神経が疲れるから、ちょいとあきらめ気味なのです。
 

久野さんと話をしていて面白かったのは、作家と職人の問題。

作家は単に「作家」とおっしゃるが、職人の場合は「ちゃんとした」と形容詞が付く。
 
これは「実感」というものだと思いましたね。

これも「質」と「内容」の問題でね、ちょっと禅問答のようになりますんで、この辺で終わり!

2008年1月18日 (金)

当たり前のこと

久野説子さんの展示会初日が終了。

私、恥ずかしながら知りませんでしたが、説子と書いて「えつこ」とお読みするんだそうです。

下野新聞が書いてくれまして、朝一番はその読者。

支局長に感謝せねばなりません。

工房の入り口に、優秀な物作りをしている中小企業の典型のような会社がある。

そこの社長は、我が工房では通称「社長」で通っている。

「社長」は中卒のたたき上げだが、実にバイタリティー豊か。

毎朝3時頃に会社に来て仕事を始め、昼過ぎには帰って、糠のお風呂に入りに行く。

これがすばらしいらしく、本人は癌持ちなのですが、再発もしないし、暇があっては山登りなどして実に元気。

そして、夜七時には寝てしまうと言う生活をなさっている。
 

この社長が今日、早速入らしていただいた。

さすがに物作りをなさっている方で、作品を実に興味深くご覧になる。

あれも面白いこれも面白い、これはどうやって書いたのだ、このガラスはどうなんだと、矢継ぎ早に質問の嵐。

その一つ一つに、久野さんは丁寧にお答え下さった。
 
当たり前のことですが、全て久野さん自身がお作りになった作品だからこそ、お客様であり、ちゃんと物作りをなさっている社長と、共感のある会話が成り立つのですね。

社長は、本当に楽しそうに、久野さんと会話なさっていらした。

明日も明後日も、ご来店下さるかもしれません。
 
もちろん、大きな買い物もなさっていただいた。

 

また当たり前のことですが、これからの時代は、久野さんや、紺邑や、鍛冶屋やオンセや小峰ラタンや花宇宙の村井さんや、私がここで紹介させていただいている、本当に自分で作っている職人の時代、または、そういう品物を扱っているお店の時代になってゆくことでしょうね。

その一つの典型を、見ることの出来た日でしたね。

2008年1月17日 (木)

久野説子絵付け硝子展

久野さんがご到着。
早速準備に掛かりました。

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作品を一つ一つ出す度に、みんなでキャーキャー言う。

そのたびに久野さんが、その謂われや物語を語り出すものだから、なかなか準備が進みません。

午後2時頃から始め、終わったのは七時を過ぎておりました。

こんな楽しい準備なら、仕方ありませんね。

一番奥に見えるのは、「花宇宙」の大山さん。
藍染めの押し花をしたローソクをお持ちいただいた。
一緒にそれも展示いたします。

Dscf1417_2かわいらしい作品群ですが、これは箸置きらしい。

鮮明ではないかと思いますが、実物をご覧下さいませ。

みんながキャーキャー言う理由がおわかりになるでしょう


  

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グラス類だと思う。

そのほか、アクセサリーや時計(カミサンが気に入ってしまった!)、根付けやランプなど、それはそれは様々な絵付けガラスがあります。

「花宇宙」の時と同じように、紺邑が別世界となりました。

 

それにしても感慨無量。
七軒町の工房では、こんな事が出来るなど思いも寄りませんでしたからね。

カミサンとも風間君とも、そう言って頷き合いましたね

2008年1月16日 (水)

鳥取

1月23日から、鳥取県米子市の「米子タカシマヤ」に行くことになりました。
初めてです。

日本橋三越の時に、近くに出展なさっていた鳥取の「因州若桜焼」の大坪さんに、今度「米子に行きます」と言うと、じっと黙って私を見つめ、「どこ?タカシマヤ?」と一言。
「そうです」と私。
後は無言。
その表情は同情が深かったな。

鳥取は、大丸に二度行ったことがあった。
でも、もう行くこともないだろうと、名簿がどこかに消えてしまっています。

隣の県に、それも県境の近くに住んでいる鍛冶屋にも言ったら、「しようがありませんねぇ。一日くらい付き合ってあげますよ」だって。

行くには行くなりの事情というものがある。

古くからの付き合いで、尊敬もしている「工芸 おかや」の岡さんから突然電話があって、彼独自の催事にお誘いを受けたからです。
それ以外なら、多分行かないでしょうね。

題して、「創作家具工房展」と「創作衣(ころも)工房展」。
私は当然、後者に出展いたします。
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米子に知り合いがいないか良く考えてみたら、これまた古い付き合いの、「弓はま絣」の後藤さんがいらした。

後藤さんは、主にタカシマヤ系の「伝統展」に出展なさっているから、最近私とは縁がないのです。
お会いするとすれば、熊本の鶴屋くらいなものです。

地図を見ればお近くらしいから、久々にお会いできるかななんて軽く考えております。

一番の楽しみは、29日に岡さんのショップに伺い、出雲大社にお参りできることです。
紺邑の近所には出雲神社もあることですし、ご縁があるかもしれません。
 

実は、それだけでも良いと思っているのですよ。

23日(水)~28日(月)までおります。
お近くの方は、、是非是非ご来店下さいませ。

2008年1月15日 (火)

寒い

冬ですから当たり前ですが、寒い!

Dscf1399_2朝、氷の張った灰汁を取り、暖めて使います。

灰汁を取った後の写真ですが、直ぐに回りが凍る。

まるで大きく開けた鮫の口のようですが、それ程寒い!

 
 

Dscf1400_2ガスコンロに乗せてしばらく暖めていても、まだ凍っています。

おわかりだろうか。

それでもありがたいことに、井戸水は相変わらず15度以上あるから、暖かいのです。

 

夕方最後の最後、外に干していた染めた生地が、カチンカチンに凍っておりました。

それでも一日一日日が延びてゆく。

春の訪れも、肌に感じる日々でありますよ。

紺邑新春イベント

紺邑では、新春のイベントを行います。
今回はその告知!

3_2 

カミサンがいつもしているイヤリングの作者、久野説子さんの個展を、紺邑でいたします。
写真はそのチラシです。

村井さんに続いて第二弾、新春初のイベントとなります。

彼女の作品は、普段使われているガラスに絵付けをした物ですから、実に身近で、カミサンに言わせれば「かわいらしい」作品です。
イヤリングの素材は、なんとビー玉だ。
そして、何か力を感じさせるのですね。

村井さんも久野さんも、紺邑の大好きな人。
紺邑のお客様やご近所に、ご紹介できるだけでもありがたいと思っております。

会期は1月18日(金)から20日(日)
時間は午前11時から午後5時まで
場所は紺邑の2階です。

皆様是非ご一覧下さい。

2008年1月13日 (日)

熊谷から宇都宮へ

私の住んでいる所から熊谷に電車で行くには、足利市駅から埼玉県の羽生(はにゅう)に出まして、秩父線に乗り換えるしかありません。

幸い最近、羽生に止まる「特急りょうもう号」が出来たので、随分楽になりました。

17:05足利市駅発に乗り、熊谷に着いたのが18時ちょっと過ぎ。

それほど遠くはありません。
 

八木橋の会場に入って行くと、さすがに知り合いばかりだから挨拶が忙しい。
 
そんな中で、大きな声でみんなに挨拶回りしている私を、「誰だ?」ってな顔をして見ていたのが、催事のご担当。
 
私はお会いしたことがない。
 

鍛冶屋が紹介してくれたが、名詞交換をしながら、「この催事は私が始めました」なんて余計なことを言うのが、私の悪い癖だな。
 
でも、本当のことです。
 

その事情をよく知る甲府水晶業界の名門店「大森水晶」の大森社長が、久々に出展しております。
 
彼は第一回から、私が手を引くまで出展しておりました。
 
「大分様変わりしたね」とは、大森君の弁。
 
その通りです。

 

夜七時閉店という、実に健康的なお店で、直ぐに皆で、通称オモニの店の「民族村」に繰り出した。

熊谷駅の直ぐそばにある、オモニがたった一人で切り盛りしている朝鮮料理店ですが、まことによろしい。
 
以前にも書きましたが、私は毎日通っても良いな。

 

朝4時まで営業している店ですから、この時間は暇。
 
貸し切り状態で約二時間、酒を飲まない大森君に、「酒飲みと付き合うと、こんな美味い物が食えて良いだろう!」なんて嫌みを言いながら馬鹿騒ぎ。

 

八木橋の催事担当者は私を知りませんでしたが、女性社員達は皆昔なじみで、「ホテルとっておきましたぁー」ってな具合のお付き合い。
 
そのホテルに泊まり、今日は宇都宮東武百貨店に挨拶に行って参りました。

 

熊谷から宇都宮へのアクセスは、最短距離を行こうとしますと実に複雑になります。

先ずは秩父線で羽生に出て、東武伊勢崎線に乗り換えて久喜に行き、JRに乗り換え栗橋に行って東武日光線に乗り換え、栃木で東武宇都宮線に乗り換えると、東武宇都宮駅に着く。

乗り換えもすごいが、三時間以上時間も掛かる。
 
そこで、JR高崎線で大宮に戻り、湘南ライナーの快速宇都宮行きに乗れば、ちょうど二時間で行けることが分かったので、それにいたしました。

 

東武宇都宮百貨店の会場にはいると、これまた知り合いばかり。
 
会場入り口に、甲州印伝の山本さん、長崎べっ甲の田川弟さん等の重鎮達。

ちょっと行くと、今度は大阪の念珠の「師匠」こと元村さんまでいる。

一番奥というか駐車場からの入り口に、江戸手書き友禅の内山先生が電卓をたたいていた。
 
「電卓をたたく姿がよく似合いますね!」と言ったら、百貨店の担当の酒見君に肩をたたかれてしまいましたね。

「そんなこと言っちゃーいけません」という事でしょうが、なに、遠慮は要りません。
 

福右衛門窯の福ちゃんのご両親がいらして、丁重にご挨拶させていただいた。
 
私の大好きな窯なのです。
 
私が酒見君に話をしたことがあって、それを覚えていた彼が、オンセの高江さんに頼んでもらって出ていただいたという次第ですが、よくぞ宇都宮に来て下さったし、酒見君の執念だな。
 
正直、ここだけ別世界でしたね。

 

熊野の化粧筆の泉ちゃんと、ぴょんぴょん堂の米(よね)さん、翠宝堂の弟と、面倒掛けた職人達にも挨拶し、これまた我が儘言って出展していただいた、マイミクの四代目にも挨拶。
 
百貨店もチラシなどでしっかりと宣伝してくれて、良い成績のようでホッと致しました。

 

そんなこんなで帰りがけ、大島紬の原さんの所へ行ったら、「大川さんは新しく工房も建てたし、メジャーデビューもするし、運が良くなりましたね」とおっしゃる。

メジャーデビューという意味が分からない。

そりゃー業界的には、出展している百貨店や催事は、メジャーと言えるかもしれません。

そんなことは昔から何も変わっていないのですが、工房を新しくすると、見られる目も変わるのでしょうね。

原さんには、良い勉強をさせていただきました。

 

久しぶりに長いブログとなりました。

最後まで読んで下さった方には、ご苦労様でした。

今年は良い年となりますよ。

2008年1月12日 (土)

朋あり遠方より来たる・・・

朝起きますと、船橋の宇野澤さんから電話が入り、「来てるよ!」と。
どこに来ているかというと、閑馬の工房です。

あわてて出かけて参りました。

用はと言うと、変人石工の倉員さんが、工房の新築祝いに彫ってくださった石塔を、三越から車で運んで来てくださったのと、蕎麦を食べるのと、厄よけ方位よけのお参りに行くこと。

先ずは石塔をおろし、厄よけに行って参りました。

関東の人間なら、厄よけと言えば佐野ですから、「佐野厄除け大師」に行ったとお思いでしょうが、あに図らんや足利の寺岡山元三大師にお連れした。
宇野澤さん夫妻と我が夫婦の4名ですが、私共にとっては良い初詣となりました。

続いて蕎麦屋へ。

宇野澤さんは腹回りが140㎝を越える巨体ですから、煮物、天ぷら、稲荷寿司、赤飯に蕎麦というセットを、いとも簡単に召し上がる。
つられて私も全部頂いた。

蕎麦を食べている最中に、房州の魚の話になり、「保田」と言うところで美味い魚が食えるらという。
干物を送って下さることになったのですが、なんならそこまでご一緒しましょうとなり、5月の船橋の搬入日の前日、また宇野澤ご夫妻が閑馬にいらっしゃり、近くの赤見温泉に泊まり、次の日、私どもと房総の「保田」まで行って魚を食べ、そのまま船橋東武に入って準備という算段が出来上がりました。

宇野澤さんご夫妻は、船橋東武で知らない人はいないお客様。
日本橋三越でもおなじみ。

お手伝いの新井さんは、私たちの関係を、「まるで親戚のようですね」と表現するお付き合いとなりました。

因みに宇野澤さんの車には、枯葉マークがついています。

お見送りしてこれを書いておりますが、私はこれから熊谷の八木橋に出かけて参ります。
仲間が大勢来ておりますのでね。
何しに行くかと云えば、ただただ宴会のため。
嫌いじゃありませんね。

2008年1月11日 (金)

去年の世相を表す漢字は「偽」だったそうですね。

我々の業界からすれば、結構なことではある。

「真」にスポットライトが当たることは、社会が健康になると云うことだろうけれども、それが、マスコミやお役人の判断に任せられる社会も、不健康だと思うな。

作り手も「真」を追求するが、使い手もそうあって欲しいと願いますね。
自分の判断力を養って欲しい物です。

肝心な事は、その間に入る小売業や問屋や企画会社の人達の見る目も養わなくてはならないと云うこと。
多分、そう言う時代に入って来ているのだと思います。

そして生き残るのは、「真」を追求している人達であることを祈らざるを得ません。

去年の暮れから正月に掛けて、百貨店催事に出展してみての感想です。

私ども紺邑は、少なくとも真を追求しております。
工房に来ていただければお分かりになるでしょうが、嘘は一つもない。

問題は、品質です。

今日も機屋さんに来ていただいて、今後の染める素材について話し合いました。
つまり、オリジナルな生地を織りたいのです。

まだまだやらなくてはならないことが沢山ある。

当然のことでしょうが、現在は現在の最善を尽くして行こうと思います。

2008年1月10日 (木)

08/1日本橋通信vol.7

遂に日本橋最終日。

仲間内からは「止せば良いのに」と思われつつ、藍染めの実演を致しました。
そうすると、お客様が足を止めてくださるし、ハンカチが染め上がるしと、良いこと尽くめの様ですが、ハンカチしか売れません。
それでは困るのですが、そろそろ終了時間が迫って来る。

「こりゃ、今日はだめだな」と思うようになってきた。

体も疲れ切って、先日電車を乗り過ごし、東京駅についても動けなかったような状態になってきて、お客様がいらしても、商品の説明もしたくない。
お手伝いの新井さんに、「最後の休憩に行ってらっしゃい」と言ったときに、お客様が一人いらした。

この方が長く売り場にご滞在。
新井さんも熱心に説明している。
私も最後の気力を振り絞って参加。
そうしましたら、三越のお帳場のお客様独特の言い回しで、「いただくわ」とおっしゃり、この日最初の売り上げとなりました。

これが、この日の目標売上高と同じ金額で、新井さんと二人で大喜び!
そして、二週間の目標を、最後の最後に達成できたのです。

でも、一日の成績としては喜べる程でもない。
新井さんと、「目標通りだけれど、設定が低かったね」と言っているうちに、そろそろ本当に終わりの時間が近づいてきた。

さて、片付けの準備をしようと藍甕を閉じると、茨城県からお馴染みさんがお見えになった。
久しぶりなのでお話ししていると、どうも商品をお求め下さる様子。
私も最後の最後ですし、久しぶりですから一所懸命お勧めしましたら、その方の為に作ったようにウールのスカートもケープもお似合いになる。
双方ともお求めいただき、結局は三越本店としても恥ずかしくない成績で終わることが出来ました。

新年早々、まことにありがたいことで、紺邑としては上々の出足となりました。

三女が新年の挨拶に来て、片付けを手伝ってくれたので、体力的には大助かり。
この間騒いだ寿司屋で打ち上げをし、浅草駅に着いたら次の特急まで45分もある。
しかたなく、新仲見世通りにだしている屋台のおでん屋に入り、ちびちびとお酒をやりながら時間をつぶすことにしました。

ここの酒が「浅草」とかいう奴で、ぬる燗にして飲むと、いかにも「屋台の酒」という感じでいける。
それですすんでしまいまして、良い気分で乗車。
案の定又乗り過ごし、終点の「太田」まで行ってしまった。

もう電車はありませんから、タクシーで帰宅。
タクシー代を払いましたら、お財布の中身が空っぽになった。

こちらも予算達成で、めでたしめでたしでございます。

2008年1月 9日 (水)

08/1日本橋通信vol.6

日本橋三越本店に戻って参りました。
今日と明日の二日で終了です。

昨年末27日から開催している催事ですから、少しはメンバーが替わっています。
「花宇宙」の村井さん達にお会いできたのは、新年早々の喜びです。
昨年の正月は、私が船橋だけで終わってしまって、日本橋では会えませんでしたからね。

さすがの日本橋三越も、お客様に新年の疲れが出たか、淡々と時間が過ぎて行きます。

それでも夕方、ウールケープが出、終了間際に公子・直子姉妹がいらしてめでたく一人前の成績を収めさせていただいた。
昨年に比べると、紺邑は上々の出足です。
暮れからお正月に掛けての日本橋三越に、ターゲットを絞った物作りをしてきた結果だろうと、ちょっと満足しております。
そして、全体の成績も、担当のKさんに不満のない位の物だったらしい。

終わって今回最後の宴会をしてきました。
それもいい年こいたおじさんばかり七人でビヤホール。
全く遠慮のない人達で、わいわいガヤガヤと過ごしました。

明日からは、肝臓を休めさせることと致しましょうかね。

2008年1月 8日 (火)

08/1船橋通信vol.7

船橋最終日。

静かな一日でしたが、お陰様でハンカチの染めがはかどりましたね。

担当の高津さんと雑談していて、次回の目玉に、我がハンカチが決まってしまいました。

染める数300枚。
それを会場一面に飾ると言うのです。
それも、全部違う図柄と言うことですから、こりゃ大変ですが面白そうだ。

終わって日本橋に荷物を持って移動しました。

Kさんや企画会社担当の小山さんが待っていてくださり、順調に搬入が終了。
Kさんに「大川 is back 後は任せろ」と言ったら、「もう予算は目安が付いているから大丈夫だよ」なんて言われてしまった。

日本橋三越は特別ですね。

紺邑も、今日はちょっと低調でしたが、お馴染みの山本さんがいらして、一点ものの、それもカミサンのデザインした物をお買い求め頂き、ありがたいことでした。
山本さんは、紺邑の品物との良い出会いをしていただける方です。

あと二日ですが、日本橋で精進いたします。

2008年1月 7日 (月)

08/1船橋通信vol.6

船橋六日目。

商品が乏しくなりました。
それと共に、私から覇気が消えて行くようで、自分にむち打ちながら仕事をしております。

さすがに休みたいと思う。
だから早く帰ろうと思ったら、鍛冶屋が誘ってきた。

伝統日本のホームページの掲示板でやりとりし、今はドイツにいるリサ嬢のお友達が来るから付き合えと言う。
直ぐに帰ろうと思ったら、酒が腰を落ち着かせてしまった。

それにしても、私みたいなおじさんの話に、帽子屋三男坊とその嫁も、リサ嬢のお友達も、よくぞ付き合ってくれたものだ。

多分、へべれけで電車に乗ったのだろう。
気がつくと東京駅。
私のホテルは市川なのです。

ありゃ!?っと思ったが腰が言うことを聞かず、そのまま待機していると、電車がおもむろに走り出し、幸いなことに市川方面に向かいだした。

きっと、東京行きに乗り、市川を乗り過ごし、その折り返し運転だったのでしょうね。
そうでなかったら今頃、逗子か横須賀だ。

ラッキーでしたが、何とか市川のホテルにたどり着いたという、お粗末な一日でございましたですよ。
トホホだな(^_^;)

2008年1月 6日 (日)

08/1船橋通信vol.5

船橋5日目。

醗酵しすぎて爆発した甕を手入れして、そろそろ落ち着いたかなと思い、蓋を開けてみると、良い匂いが致します。
これなら大丈夫だと思って手を入れてみると、すくもが沈んでいません。
まだ落ち着いていないらしく、指の関節二つ分しか染めるものを入れる隙間がない。
色はどうかな?と思ってティッシュペーパーを入れてみると、良い色なので、それなりにハンカチを染めることに致しました。

久しぶりに実演しておりますと社員達が集まってきて、「へぇーーー!?大川さんは本当に職人なんだ」とぬかしやがる。
そりゃー、私は職人にしては良くしゃべりますけれどね。

輪ゴムも糸も割り箸も何も道具を使わず柄だしを致しますと、仲間内が買ってくれる。
お客様も買って下さるが、ハンカチしか売れません。

困ったものだと思っていたら、夕方五時過ぎにお馴染みさんが二組同時に来て下さった。

一組は桐生に住んでいらしたことがあり、もう一組はお隣の太田市出身。
私の生まれは、双方から車で10分も掛からないところですから、ローカルな話題で盛り上がりまして、ようやくハンカチから脱出して一人前の成績を作らせていただいた。

全体の成績も、ようやく盛り上がってきた。
そろそろ船橋の自力を発揮してもらいたいものです。

終わって、加藤さんとお食事の約束でしたが、それが電話番号を聞き忘れ連絡が取れません。
改札口で八時という事だったのですが、私から連絡することになっていたので、やはりお見えにならなかった。
30分近く待っておりましたが、まことに失礼しました。

仕方なく、近くで中華を一人寂しくやっつけて、お酒も飲まずでありましたね。

追伸
今年から高江さんに倣いまして、文字を大きく致しました。
私はこの年でまだ老眼になっていませんが、高江さんは先達ですからね。

2008年1月 5日 (土)

08/1船橋通信vol.4

船橋4日目。
慌ただしい一日でありました。

今日は名古屋から、岡村さんが上京する日。
彼女の掛かり付けの歯医者さんが、銀座なのです。

昨年、久留米絣国指定重要無形文化財技術保持者会会員・工芸会正会員の山村省二氏の作品で着物を作られたので、そのお披露目も兼ねてであります。

私は船橋におりますが、どうしてもその出来上がりを拝見したくて、夕方の販売をお手伝いの青柳さんに任せ、船橋から出かけていったという次第。

20080105190454_2 作者の山村省二氏と、仕立て担当の奥様えつこ嬢を囲んで岡村さんです。

すばらしい色合いで、それはそれはご本人を含めて美しいものでしたね。

藍染めした絹糸に山桃の皮を煮だして草木染めしたもの。

全くの自然界にある緑ですから、美しいだけでなく、優しく雅でもあります。

まだ若い岡村さんが、大人の雰囲気を醸し出していらっしゃいますね。

こういう芸当は、私には出来ません。
山村省二ならではのものだな。
あのでかい体で、すばらしく繊細なものを染めるものです。

実に感心いたしました。

日本橋にいるカミサンの鼻息が荒い。
販売成績が、たいしたものなのです。
私も、よく頑張っていると思う。

百貨店業界の今年の正月は、日本橋三越の一人勝ちのようだ。

百貨店が、本来の姿に戻って来つつあるのではないかな!?という予感をさせる、平成20年の出だしですね。
紺邑は、それを見据えて物作りをしてきた。
その成果でもあるかと、思いたいところです。

2008年1月 4日 (金)

08/1船橋通信vol.3

船橋三日目。
昨日と違って賑やかな出だし。
さすがに、仕事始めの日で、そろそろ世間も落ち着いてきたのでしょうか。

船橋から日本橋までは、20分で行けてしまいますから、共通のお客様も多い。
双方に出展すると言うことは、ある意味強引な訳ですが、本日、たまたま日本橋の「匠の技展」で紺邑に出会い、その色を気に入られた船橋のお客様が、こちらにも来てくださいました。
そして、こちらにしかない品物をお買い求め頂いた。

こういう、相乗効果もあるのですな。

寒い冬の実演は、甕の調子が気になる。
そこで、少し暖めておきまして、今日から実演をしようかなと思い、しっかりと密封されたステンレスの蓋を開けたら、大きな音と共に蓋が飛び、液が吹き出て辺りに散らばってしまった。

ちょっとした爆発です。

醗酵が進みすぎ、密封された甕に、ガスが溜まっていたのでしょう。

それから約一時間、掃除に追われ、皆さんに大迷惑をお掛けしてしまいました。
明日貝灰が届けば元に戻ることでしょう。

貝灰の使い方は、こう言うときにもあるのです。

迷惑を掛けたので皆様に謝っていると、担当の千葉さんが、「いやいや、新年の祝砲ということで!」と言ってくれた。
上手いし、ありがたい。

しかし、醗酵建ての藍染めだという証明にはなりましたね。

終わってまた宴会。
どうも嫌いではないので困ったものだ。

2008年1月 3日 (木)

08/1船橋通信vol.2

船橋二日目。

初日は福袋で大混雑。
その反動か、本日はまことに静かな立ち上がりで、そのまま終わってしまった感じでしたね。

三が日の終わりは、こんなものかもしれませんが、そう言ってあきらめてしまってもよろしくありません。
集客をどうするかについて、少々の提案を、百貨店にして行きたいと思いますが、一業者としては余計な事だとは思う。
しかし、だれがするかと言えば、私以外に百貨店に提案する人が見つからないのです。
強いて言えば鍛冶屋だろうが、この男は、職人の本文から踏み出すことをしないのですね。

次回は多分、もう少し大きな規模での開催となるでしょうが、性根を据えて、関わって行きたいと、今は思っております。
こういう事が、時折百貨店と問題を起こす原因でありまして、困った性分だな(^_^;)。
しかし、目的があってのことで、それは、「職人仕事・伝統工芸の存続を図り、その意味を知らしめる」ということで、小さな仕事ですが、割合大層なことなのだとも思っているのです。

終わりまして、その足で、日本橋の飲み会に行って参りました。

なじみの寿司屋での宴会ですが、遠い私が先に到着。
三々五々集まってきた連中が、口々に私を見て「あれ?会場に居ましたか?」と聞きやがる。
そんなことはお構いなしで、飲みも飲んだり食いも食ったりで、本日も大騒ぎ。

帰りは総武線で20分位なのですが、一人で電車に乗るのも寂しい限りですし、正月ですからグリーン車を奮発。
なんとか帰って参りました。

紺邑としては、良い出だしだと思っております。

2008年1月 2日 (水)

08/1船橋通信vol.1

船橋の初日が終わりました。

紺邑のお商売としては、まあまあでして、ご常連に支えられて、実にありがたいことでしたね。

終わる頃、初日だし、みんな準備で疲れているだろうから、素直に帰ろうかと思ったら、鍛冶屋が「今日どうします?」と言い出したから宴会になってしまいました。

参加者は、越前漆器の一九さん、鍛冶屋、ストローハットの三男坊夫婦、伊勢の真珠屋夫婦に、福島の鞄屋の工場長に、秋田の桶樽名人の息子に、今NHK朝の連ドラの主役である越前塗り箸と、京都の念珠屋というメンツで、なんと「笑笑」で宴会。

とにかく馬鹿騒ぎをして帰って参りました。

今日はおとなしく休みまして、お正月を乗り切ることに致します。

    

2008年1月 1日 (火)

新年

おめでとうございます。

朝は11時から、閑馬で新年会。
お世話になった方や、これからなる方々総勢三十名ほどが、狭い自治会館のような所に集合して、和やかに新年をお祝いしました。

そこで濁り酒を頂き、ちょいと酔っぱらい気味で帰宅。
ついでに昼寝。

夜八時半の特急に乗り、船橋に入りました。

昨年も同じでしたが、この道中が寂しいのですね。
そして寒い。

それでも、無事新年を迎えられた喜びと、仕事に恵まれた事に感謝しつつ、明日から船橋で精進したいと思います。

今年も皆様にとって良い年となることを祈りつつ・・・

新年快楽

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