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2008年2月

2008年2月29日 (金)

熊本通信vol.3

熊本三日目。

鶴屋は棚卸しのため、午後六時閉店。
久々に、ゆっくりとした夜を過ごしました。

下駄の藤田君、浄法寺塗りの勝俣さん、シルクの贄田さんに、人形の小島を入れて、五人で定食屋にて宴会。

しかし、どうも変だ。
六人のはずなのに五人しかいない。
おかしいと思っている内に定食屋に着き、その料理のすばらしさに、そんなこと忘れてしまった。

サラダが信じられないほど美味しい。
嫌いな私がお代わりした。

カンパチがこれまた良いし、〆鯖に至っては、嫌いな小島が美味い美味いといって食う始末。

ブリの塩焼きもいけるし、めざしも良い、なんてしている内に、柘植櫛の西出さんをお誘いしていたことに気付いた。

小島が電話をして謝り、贄田さんが謝り、それを横目で見ながら、誘った私は、料理をむさぼり食っておりましたね。

飲んで食って、大満足して、時計を見るとまだ八時ときたもんだ。

ホテルに帰ってストレッチと筋トレをしたら、筋肉がおかしくなって痛い。

ユミちゃんにもらった湿布が偶々あったので張ると、幸い痛みが治まった。

じっとしているのもつらいから映画をみて、何とかブログも書けたし、これにて本日を終わろうかと存じます。

紺邑の成績は、たったお一人のお客様でしたが、コートが売れまして、今日もめでたしめでたしで、全体の成績も予算達成とのこと。

良い夢見でありますように。。。。zzzz

鶴屋と私

鶴屋は地方百貨店の雄ですが、系列としては高島屋です。

工芸の催事が難波高島屋から始まったというお話は、以前書かせていただいた。

そして、武田さんという人の存在も。

 

そんな関係で、武田さんが、熊本の「伝統工芸館」で工芸展を最初にやりまして、色々経緯があって、刃物の小山さんがそれを受け継ぎ、鶴屋で「日本の技展」という催事を始め、今に続いているのです。

もう、20回くらいになるのではないかな。

企画会社が入らず、個人が主催した催事の最初かもしれません。

その意味では、小山さんはパイオニアとも言える存在ですし、また、詳しくは書けませんが、そのやり方が、近鉄百貨店上本町店の「職人の技展」にも大きな影響を及ぼし、主催したF氏の今を決定しておりますね。

親父殿も、高島屋で小山さんとご一緒しておりましたし、当時は藍染めをやっている職人などいない時代だし、仲間内がみんな鶴屋に出ていたのに、小山さんからお呼びが掛かることはなかった。

それには深い理由が、そして業界では有名なエピソードがあったのです。

 

二十年ほど前のある日ある時ある高島屋で、催事が終了し、皆でエレベーターにギュウギュウ詰めで乗っていたとき、親父殿が小山さんに気がついた。

そしておもむろに、そして大きな声で、「おい包丁屋。あんたの刃物は良く切れるな!」と言ってしまった。

エレベーターの中は一瞬でシーーーーーンと静まりかえり、平井の言に寄れば、「みんな顔が青くなった」と言います。

一人親父殿だけはほめたつもりですからそれに気付かず、ご機嫌で帰って行ったそうな。

それ以来小山さんは、親父殿にもその周囲にも、挨拶さへしなくなった。

 

さて、何故かというと、小山さんは「鍛冶屋」か、または「刃物屋」であって、けっして「包丁屋」ではないからです。

親父殿だって、日本橋三越で「Tシャツ屋」扱いされて怒り、その催事を辞めてしまった事があるくらいで、職人の矜持に関わることだからなのです。

でも、結局死ぬまで親父殿はそれに気付かなかったな。

そして当時から小山さんは、若手職人グループからしてみると親分の様な存在で、夕飯に行くにも何十人も引き連れていたほどの人でしたから、みんなの顔が青くなったのも無理ありません。

 

私が小山さんに挨拶しても返事もしてくれないので、何故なんだろうと思って平井や大森君に聞いたら、そういう経緯を教えてくれた。

それを聞いた私は、「よし、小山さんに挨拶してもらうようにしよう」と決心しまして、ことある毎に「おはようございます。こんにちは。こんばんは」と、こちらから挨拶し、小山さんの隣の席が空いていれば、わざとそこに座るようにして、また挨拶をすると言うことを何年も続けました。
 

10年前、宮崎山形屋の「伝統工芸職人展」に出展したとき、偶々小山さんの目の前で実演をする機会がありまして、それを見ていた小山さんが、「君は車で来ているんだってね。私を熊本まで送ってくれないか」と声を掛けてくださった。

苦節何年の甲斐があったというものですから喜んでお送りさせていただいた。

車の中で、「鶴屋に来てみないか」というお話を、ようやく頂くことが出来た。

なにせ、平井も大森も山中さんも、親しい連中がみんな出ているところですから、私だって出てみたいと、長い間思っていたのです。
 

熊本に着きますと、早速鶴屋に行きまして会場を見学し、販売促進部に行って部長と担当に挨拶し、伝統工芸館に行って館長にもご紹介していただき、最後はご自宅に連れて行ってもらい、馬刺しをごちそうしていただくなど、手厚いもてなしをして下さった。

これじゃぁ、みんなが親分の様に慕うのも無理ないなと思いましたね。
 

親父殿も喜びまして、風間君まで連れて行くほど力を入れた物です。

二回目からは私が担当となり、独立した時も、「君を呼ぶことにするよ」と、紺邑を指名して下さったのですが、ありがたいことでした。
 

そういう大恩がありながら、現在出展できないのは、宇都宮と日程が重なるからだとは書きましたね。

その宇都宮の催事も、鶴屋の「日本の技展」の影響を、大きく受けているのです。

 

今年は八月二十日からの週らしい。

宇都宮と重なるのでしょうかね、酒見君。

熊本通信vol.2

熊本二日目。

どうも小野ちゃんがおかしい!?
今日も人だかり。

「なんでやねん?」と思い、話しもし、考えもしたら、第一に革細工の売れる時期であること。
第二に、企業努力。

「桜」の文様を考え,、それがヒットしているのです。

たった二日で、百貨店の提示した予算を、ほぼ達成してしまっております。

同志社出のインテリですが、「おぬし、やるな!」と言ったところですね。

本日は懇親会。

隣に座ったのが小野ちゃん。
この男、弁舌もうるさい。
私もうるさい。

だから、うるさい席になりましたが、私の隣に、百貨店の新しい担当部長がお座りになったから、この方に大変ご迷惑を掛けた。
「職人展」の歴史と今後を語ったのです。

小野ちゃんは、この業界は古いし、色々経験をしていますので、私の話の裏付けをしてくれるので、少しは役に立ちました。

部長には、「良い話を伺いました」と言われたけれど、赤面の至り。

菅原さんと後藤さんと小野ちゃんとで、ちょっと二次会。

飲み過ぎました。

ブログも書けず、ベッドにバタンキューで、また朝早くに目が覚め、書いております。

紺邑の二日目は、好調な小野ちゃんを、少し上回った成績でございました。
昔なじみのお客様に、助けられております。

全体の成績は、恐ろしいほど好調らしい。

2008年2月27日 (水)

熊本通信vol.1

熊本鶴屋百貨店で開かれる、「職人の技展」が今日から始まりました。

紺邑は三年ぶりとなりますが、以前は2月のこの催事は無く、夏の催事に出展していたのですが、これが日程が変わり、宇都宮の催事と重なったために、出展できなくなってしまっていたのです。

朝六時過ぎに会場に入ると、知った顔、懐かしい顔が沢山。

お隣に、弓はま絣の後藤さん夫妻がいらして、「この間米子に来たんですって!」ってな話になり、「大川さんが来そうな予感がしたから、米子を抜け出したの」というから、「一食損した」なんて戯れ言を楽しみながら準備を致しました。

準備が終わり、落ち着いたところでチラシを見ると、メインに紹介されている連中を見て不吉な予感。
案の定、紺邑はたいした成績を残せませんでしたが、紹介された連中は忙しかったらしい。

特に、近くにいた姫路革細工の小野ちゃんの店には、止せば良いのに人だかりが絶えません。

イタヤ細工の菅原さんご夫妻もいらして、「ブログありがとう」なんて言われちゃった。
聞くと、名古屋高島屋で四日市のお客様に、「菅原さんは糖尿病なんですってね」と言われたらしい。
なんで知っているのかと思いきや、そのお客様は、このブログをお読みになったそうな。

どなたか存じませんが、ありがとうございます。

ご本人はパソコンなんかやりませんから、読んだことも見たこともないらしい。

菅原さんと同じホテルに泊まっておりますが、「大川さん何号室?」と聞くから「教えない!」と答えておきました。
未だ死にたくありませんからね。

まぁ、全体にはめでたくも、ものすごい成績であったらしい。

終わって、シルクの贄田さんと熊野筆の鉄の三人で、近くの定食屋へ。

飲まない約束が、贄田さんが始まってしまったので、鉄と二人でさっさと帰って参りました。

今日はただただ休む予定です。

それでは皆様、お休みなさいませ、って、早すぎますから、これからヒバ油を入れた風呂に入ります。

2008年2月26日 (火)

ひな人形

仙台が終わりますと、何があっても帰るのがいつものことですが、今回は、お客様の自宅で開かれる「うれし楽し蔵deひな祭り」というイベントが25日からやっているので、それを見て、そのまま熊本に行くことにしました。

Dscf1490_2午前十時からという、ホームページの記述を信じて参りましたら、シャッターが閉まっている。
壁に貼ってあるポスターを見ると、なんと三月一日からとなっているではありませんか!

「これはいかん。ホームページが間違っている」と思い、主催者に連絡しようとつくづく見ると、なんと去年の告知記事ではありませんか。

仕方がないとは言へ、このまま帰るのでは芸がありませんので、ご当主に電話しますと「あらあら、直ぐに開けますから」といって、中を見せてくださいました。

この建物は大正元年に建てられた物らしい。
写真では分からないでしょうが、菱形の建築物で、非常に珍しい。

Dscf1491_2柱まで菱形なのがおわかりだろうか。

当然、駐車場も菱形なので、何気なくバックすると、車が斜めになってしまうそうです。

この中で、ひな人形が展示されるのですが、準備中の物を拝見させていただいた。

Dscf1493_2_2これは「御殿雛」といって、西日本によく見られる物だそうです。
私は、初めて見ました。

アップにすると、各々の人形の顔が実に個性的で、見飽きることがありません。

少し重めに貼り付けてみましたが、おわかりになるだろうか。



Dscf1497_2こんなひな人形もありました。

庭で遊んでいるような風情なのですが、これまた表情が豊かで引き込まれそうになります。

私は人形が好きな方ではないが、こういう物は良いですね。
Dscf1500_2その一部をアップにしてみました。

何して遊んでいるのか知りませんが、楽しそうだな。

その他、上流階級の雛と平民の雛とがあったり、面白そうなイベントでしたが、全てを拝見できず、残念でした。

来年は、家の中もお見せいただく約束を致しまして、ご当主と別れ、一路熊本に。

このブログは、熊本のホテルで書いております。

それにしても、先ほどまで仙台にいて、夕方には熊本にいるなんて、日本も狭くなった物だ。
やはり、こちらは温かいな。

2008年2月25日 (月)

08/2仙台通信vol.8

仙台最終日。

明後日の27日は、熊本鶴屋で開かれる「職人の技展」の初日で朝搬入ですから、26日の午前中には、仙台から熊本に商品を届けなければならない。

紺邑は、商品の数の関係で、催事を同時に二つすることが出来ません。
正月は、商品を貯めに貯めて、日本橋三越と船橋を同時にしましたが、やはり、無理もあった。

そんなわけで、今週は京都大丸からもお誘いを受けていたのですが、お断りせざるを得なかった。
商売的にはちょいと痛いですが、致し方ありません。

そんな具合ですから、熊本には、仙台の品物を移動させるしかありません。

ところが、普通に出しますと、中一日掛かるので、26日必着にしますと、24日には仙台から商品を送らねばならない。
今日は25日ですから、そうすると仙台の最終日の売り場に商品が全くないことになる。

調べに調べ、ちょいと経費を掛け、ヤマトのタイムサービスを利用すれば何とかなることが分かった。

今日(25日)の午前11時に出せば、26日の午前10時までにつく。
午後7時に出せば、午後5時。

ですから、二回に分けて発送しました。

朝早めに出勤し、午前出しの荷物を作りましたが、さすがに売り場の商品は空か空かだ。
これじゃぁ商売にならないだろうと思いきや、驚いたことにすばらしい成績となり、百貨店からもらった予算も達成し、前年実績も超えてしまいました。

とにもかくにも、これで仙台はめでたく終了いたしました。

明日、熊本に旅立ちますが、今日は仙台に泊まり、お客様の家で開かれる「うれし楽し蔵deひな祭り」というイベントを見てから、羽田に向かう事にしました。

次は「熊本通信」となります。
しばらくぶりだ。

08/2仙台通信vol.7

仙台七日目。

心配した雪と風も上がり、やれやれと思って三越に行くと、静かな一日の始まりとなった。

日曜日だからかな?と思いもしたが、待てど暮らせど人は来ない。

聞くと、風で鉄道が泊まっているとのこと。

なに!?っと、携帯で鉄道情報を見てみると、新幹線は止まっているし、在来線も運休やら遅延やら。

こりゃ、あきまへんと、半分あきらめかけたところに、素敵なご夫妻が来られ、何とかなりました。

すごかったのは今日も「薩摩切子」。

テレビで紹介されたからでしょうか、ここだけ人だかり。
ものすごい成績を上げ、久木山くんが「どうなっているんでしょう?」という程です。

外に行った人の話では、どうも、街中にも人がいなかったらしい。

福井洋傘の肇が、珍しく「ご飯でもどうです」と誘うから、企画会社の小山さんをお誘いして、割り勘で寿司。

遅れてきた小山さんに、「今日はどうだった?」と全体の成績を聞くと、「予算を達成したらしいですよ」と言う。

すごいことです!
この催事はたいしたものだ。
それにしても、小山さんとも古い付き合いですが、こういう風に一緒に飯を食うのは初めてのことだな。

肇にも悩みはある。
福井洋傘が、平台だけで仕事をしていた時から知っている私は、ちょっとだけ意見をしてみた。
帰りがけに、「少しすっきりしました」と言っていましたが、私は無責任に好き勝手を言っているだけですが、そこから何を感じ取るかは、彼の気づきの問題です。
ま、「好事魔多し」と言います。
好い時に悩むことは良いことでしょうね。

小山さんとも、忌憚のない意見交換ができた。
好い会食でした。

2008年2月24日 (日)

08/2仙台通信vol.6

仙台六日目。

仙台の人は、風が吹くと外に出なくなると言われているらしい。
午後は雪と風で、ちょいと調子が悪かったかな。

それでも、売れているところは売れている。
特に目の前の「薩摩切子」は、たいしたものでした。

お昼はラーメン。
佐野はラーメンが売り物の町ですから、どこのラーメン屋に入っても、いわゆる青竹打ちで茹でチャーシューの「佐野ラーメン」ばかり。
もちろん、それはそれで良いのですが、たまにはいわゆる「ラーメン」を食べてみたい。


20080223131123私がいつも行くラーメン屋が、ここ。
出汁が海の物で、昔、日本蕎麦屋が出したラーメンに近いのです。

ラーメンの写真は取り忘れました。
何せ、腹が減っていたので食べちゃってから気がついた。

この日はチャーシュー麺にしたのですが、しっかりいただけました。

惜しむらくは、ちょっとしょっぱいが、地域性かもしれません。

九州の久木山くんには、合わなかったようです。

終わってさっさと帰り、サッカー観戦。
残念な結果でしたけれど、良い経験にはなったでしょう


なんてね。

2008年2月23日 (土)

薩摩切子 営業 久木山くん

どうも目が疲れる。

みんなは「ドライアイじゃないの」と言うが、そうでもない。

Dscf1484_2_2
何故かなと考え、私の売り場の目の前をつくづく見れば、薩摩切子の営業マン、久木山くんのおでこがあるではありませんか。

 

 

  

Dscf1485_3 「まぶしいから、おでこにファンデーションを塗ってくれ」なんて言いながら、仕事をしております。

おでこと共に、薩摩切子の輝きも、すばらしい物です。

 

   

「薩摩切子」は、約150年程前、島津斉彬の時に作られたものが、1863年の薩英戦争でガラス工場も灰燼に帰し、わずか十数年で途絶えたと、パンフレットに書いてあります。

それが昭和60年に復元されて現在に至るわけですが、久木山くんの所属する「薩摩びーどろ工芸」は、まだ十数年の歴史です。

しかし、職人達は復元に関わった人達ばかりだそうですから、中身は復元の歴史そのものでもあるわけですね。

 

無地のクリスタルガラスの表面に、約1~2ミリほどの色ガラスを溶着(色被せ)させ、色ガラスにカットを施し磨き上げた物を「切子ガラス」といいます。

伝統工芸として続いてきた、「江戸切子」が有名ですね。
 
「薩摩切子」の特徴は、クリスタルガラスを使用し、色ガラスが厚く、それをカットしたときに出来るボカシにあるのだそうな。
 
そして、ずっしりと重い。

 

「薩摩びーどろ工芸」は、ガラスの生地づくりからの一貫生産とのこと。

これは、江戸切子の世界と大きく違うところ。
 
江戸切子の最大の問題点は、技術の継承ではなく、ガラス生地の供給にあります。
 
それを自社で出来るというのは、復元した強みとも言えるでしょう。

 

久木山くんの会社は、復元を始めた会社にいた職人達だけで始めた物ですから、経営的な苦労が沢山あったらしい。

紺邑も創業ですから、その話を聞いて身につまされます。

一番苦労をしていた時に、私は彼と会っていたようなのですが、そんなことは微塵も感じさせませんでしたね。
 
苦労の内容は書けませんが、話をしながら久木山君は、涙を流しておりました。

 

久々に会いましたが、営業力も販売力も上がっているようですし、会社そのものも、勢いを感じさせます。
 
苦労話も昔話になっているようで、企画会社の小山氏も、「良くここまで来たね」と言ってくれたとのこと。
 
私も、勇気をもらいました。

 

久木山君は、主に九州の職人達の集まりである「ばかたれ会」の会員でもある。
 
会長は八女の石工、倉員さん。
 
メンバーは、碁盤の松川さん、べっ甲田川弟さん、屋久杉細工の小林さん、薩摩柘植の喜多さんなど、そうそうたる文字通りのメンバー。
 
一年に一回、忘年会をかねてゴルフコンペをするらしい。
 
倉員さんの愛車は、石を運ぶ2トントラックだが、ゴルフ場へもそれで行く。
 
係員に手招きされたので入って行くと、ゴルフ場の工事現場。
 
「ばかたれ!客じゃ!」と言ったそうですが、これこそ「ばかたれ会」会長の面目躍如というものだな。
 
田川弟さんに、「大川さんもそろそろ入らんね」と言われていますが、即座にご遠慮申し上げましたね。

 

薩摩切子の本物は、久木山くんの所属する会社と、もう一社しか作っていないそうな。
 
「各々サインが入っていますから、お買い求めの方はご注意下さい」という久木山君の声が、毎日、私のところに届いて参ります。

2008年2月22日 (金)

08/2仙台通信vol.5

仙台五日目。

朝、営業が始まる直前に、今をときめく福井洋傘の、無駄に身体のでかい社長であるが、「師匠」とか「マスター」とか、なにか変なことを言いながら私のところに来た。

こいつは元々変な奴だけれど、「なんの用だ?」と聞くと、FOMAと契約してブロードバンドに入ったのだけれど、USBを差し込んでも、うんともすんとも言わないので、見てくださいと言うことだった。

全く良い若い者がしようがねぇーなと思いつつ見てやると、USBをパソコンが認識しない。
こりゃー、はずし方が悪かったのだと思って、「タスクバーのこれをこうしてちゃんと取り外してからじゃなきゃだめじゃねぇーか」と怒りつつ、再起動。

USBはどこに入れるのだと聞いて、肇の言うとおりにすると、やはり認識しない。

変だなと思いつつ、入れたところを見ると、なんとランケーブルを繋ぐところに入っているではありませんか。
「ばか!ここじゃないだろう」と、ちゃんと差し込んだら、見事繋がりました。

肇は「繋がった繋がった」と言って、単純に喜んで帰りましたが、そんな騒動が有りながら開店。

「人にはつくせ」と言いますが、朝一番のお客様に、綿ブラウスとシルクストールをお買い求め頂き、安心して昼飯に出かけ、食べ終わって外に出ると売り場から電話があって、ウールケープが売れたという。
「果報は寝て待て」とも言いますが、結構な出足でありました。

終わってみてもたいした成績。
頂いたノルマ達成も見えて参りました。

肇に感謝しましょう。

今日は、仙台の人とおでんを頂き、早めに帰って参りました。

昨日の寝不足を取り戻す所存にて、これから、ご就寝。。。。といたしますzzzz

08/2仙台通信vol.4

仙台四日目。

朝、雪が舞っておりました。
仙台は北国なのに、雪に弱い。
こりゃぁー、人出に期待できないかなと思いきや、さすがに三越です、そこそこの賑わいでありました。
昨日の夕方、「職人技展」がテレビで紹介されたからかもしれません。
紺邑としては、一番悪い成績でしたが、ちょっと私に疲れが感じられます。

毎日節制していて、お酒も頂いておりませんのですが、本日ははじめての宴会。
総勢11名の、気の合った連中の気楽な集いで、中華。

全員空腹で、食べること食べること。
私は、飲み食い両方がんばりましたね。
さすがに酔ったらしく、部屋に入ったらベッドにバタンキュウだ。
おかげでブログも、日をまたいでしまいました。

夜中に起きてしまい、ブログを書いていますが、ちょっと頭が痛いな。
お酒にも弱くなりましたね。

伊万里の石井が、短く書けというものですからこの辺で。。。

さて、もう一度寝なきゃなりません。

2008年2月20日 (水)

08/2仙台通信vol.3 

昨年の今日は、最低の成績の日でしたが、今年は昨年の10倍以上の売り上げで、ありがたい一日でした..

ウールの藍染めに興味を示したお客様がいらした。
実に藍染めに詳しい。
「浅い(薄い)色は肩の辺りが日に焼けるのよね」なんて言いながら、セーターをご覧になって、「あら!?藍染めでウールが染まるの?」と気付かれ、毛糸が欲しいとおっしゃる。

ご注文を伺うべく、住所を書いていただくと、「書くと正体が分かっちゃうのよね!」なんておっしゃる。
ひょっとすると、いわゆる「作家」かな!?なんて思いましたが、そんなことは私には何ら関係のないこと。
その内、「銀座の画廊で展示会をしたのよ」なんて語り出しましたが、それも関係がない。
「私は染め屋ですから、染め屋としてお付き合い下されば結構ですよ」というと、佐野までいらっしゃるという。
それなら関係が出来ますから、詳しくお話を聞くと、絣を織っているらしい。

糸の染めは、久留米に出している。
ですから、山藍のエッチャンを紹介いたしました。
なにせ、エッチャンの義理のお母様は、国宝展にも出展できる、絣の機織名人ですからね。

そんなことを話している内に、染めに出している方は、ウールは染められなくて、絹なら良いと言うらしい。
さもありなんでね。
でも、括り糸の染めは、私には出来ません。

工房に入らしたときに、詳しくお話しして差し上げることとします。

夕方になると、仕事どころではありません。
サッカー日本代表の試合が重慶である。

それを見るために、6時前に夕飯を食べて、終了後そそくさとホテルに帰り、テレビのスイッチを入れると、珍しいことに1:0で日本が勝っている。これは珍しいと見ていると、まぁ、審判の酷いこと。

めげずに頑張った選手達に拍手ですが、こんな事が続くようなら、この大会は無くなっても良いな。

久しぶりに焼酎を湯割りで頂きましたら、すっかり眠くなりました。

2008年2月19日 (火)

08/2仙台通信vol.2

仙台二日目ですが、何故か寒く感じません。
成績も、何十年もお付き合いしている木原先生やお馴染みさんが来て下さって、何とか面目を保っております。

あるお客様が、「藍の草には4つから5つの色があって、それが液の中にあって、染めた物を洗うと藍以外の色はみんな落ちて、青味だけが残るのですってね」と、私の知らないことをおっしゃる。
NHKのラジオで、徳島のある方がそうおっしゃっていたそうな。
「聞き違いではありませんか?」とお聞きすると、どうもそうではないらしい。
どうしてそう言う話が、NHKで放送されるのでしょうかね。

インターネットの藍染めの記事を読んでも、私には理解できないことばかりだ。
それも、書いているのは専門家らしい人達なんですから、今の世相そのものだな。

「藍染めを理解する為に、良い書物があったら教えて下さい」と聞かれたこともありますが、私は寡聞にして知りません。

そのお客様には、私なりの理解を申し上げるにとどめておきました。
でも、割合詳しく説明しましたから、十分ご納得いただいたようで一安心ではあります。

さて、今日も一滴も飲まずに、夕飯を和定食ですませてきた。
先は長い!

2008年2月18日 (月)

08/2仙台通信vol.1

Dscf1475_2

仙台三越の「職人技展」が今日から始まりました。


早い人は朝5時から準備を始めたらしいのですが、私は5時に起きてなんやかやと準備をしてから出勤を致しました。

今回は紺邑の出展場所が大幅に変わっています。

Dscf1478_2催事会場に入る前の、玄関口のような広場に、ぽつんと紺邑があり、人通りの多い場所であります。

皆さん、「良い場所だね」とか、「目立ちますねぇ」とかおっしゃるが、確かにそういえなくもありません。

私の信条として、催事会場の出展場所に対する批判は、一切しないことにしております。
「ここが嫌だ、あそこが良い」と我が儘を言い出しましたら、収拾がつきません。
たとえ会場の最奥の片隅で、来店客数が極端に少ないところであろうと、誰かがそこに出展しなければならないのであれば、それなりの工夫をしてベストを尽くすべきだと言うのが私の考え方です。
「場所に文句は言うな。レイアウトは工夫しろ」ということです。

しかし、文句は無いが希望はある。

紺邑は何年も、同じ場所に出展させていただいていた。
そこは、少し奥に入る場所で、人通りはそれ程よろしいとは言えないところでした。
それでも工夫をし頑張りまして、初回に比べ、五倍ほどの成績を上げられるようになり、ようやく一人前になったと自負もしております。

その結果を見て去年、企画会社の小山さんに、「一度で良いから、紺邑を表側に出させてみてよ」と言ってみたのですが、覚えてくださっていた彼が、昨年までは使っていなかった会場を、彼の企画で使える様にし、紺邑をそこに出展させてくださったのですね。
もちろん、事前の打診はありましたが、新しく開発された売り場であり、誰かを移動させたわけではないので、私としては気も楽ではありましたから、今回の場所にさせてもらったという次第。

しかし、私たちのような商材は、人通りがあれば良いというわけではありません。
ここが難しいところで、他人様が言うような「良い場所」などと、簡単には言えないのです

結果は、やはり人通りの多いところだし、沢山のお客様に立ち寄っていただきました。

その割に、成績が思わしくなく、少しストレスが溜まりましたね。

こういう場合は、「レイアウトを工夫」するべきですから、大きく変えてみましたら、終わってみれば、カミサンから「良かったね!」とメールが入る程度にはなりました。
何とか初日を乗り切ったと言うところです。

終わってから、伊万里の石井と大阪の賑やかなかばん屋ユミちゃんと久留米絣の女王エッチャンと四人で中華の定食で夕飯。
ビールも飲まず、さっさと食べてホテルに帰ってきました。
八日間の長丁場ですから、御身大切にと言うことです。

2008年2月17日 (日)

仙台

仙台に到着しましたが、寒い!

私たち関東者が寒いなんて言うのは、甘い!

しかし、これも慣れだと言うことは、私の経験が教えてくれています。

明日から三越仙台店で「職人技展」が始まります。

ホテルは三越の近くに取りました。

八日間の変則的な催しですが、懐かしいお客様にお会いできることを励みに、しばし仙台で暮らします。

2008年2月16日 (土)

BGM

 毎朝風間君が私を迎えに来てくれて、二人で出勤を致します。平日はFM東京の「SKY」という番組を聞きながらなのですが、このDJと言いますかパーソナリティの石川實という人の話が毎度毎度面白い。

 この人、実に熱い人のようで、まるで一昔前の私を見るようなのですね。話題は時事問題から生き方にまで及び、その発言の一言一言に、私が解説を加え、運転している風間君が頷くという風景は、私たちをご存じの方なら、目に浮かぶようだと思う。昨日は「餃子問題」でありました。FM東京が聴取出来る地域の方、是非一度聞いてみてくださいな。朝五時から八時半までだそうです。

 今日は「SKY」の放送がありませんから、テープでクラシック音楽を聴きながらの出勤でした。それも歌ですから、また私が解説をすることになり、風間君はうなずき、時折質問をし、私が実際に声を出してそれに答える。つい最近、歌い方について語ったばかりでしたので、今日は発声についてでした。しかし、実技は教えたことないな。私は口うるさいところもあるのですが、教えるのは苦手な方だし、私の教える内容は、つまらない事の積み重ねですからね。

 それにしてもすばらしい歌声でした。有名な歌手だそうですが、私は音楽を余り聴きませんので知らなかった。CDを買うことに致します。

 風間君は、私と違って音楽を聞くのが大好きですから、紺邑の藍は、様々な音楽を聴いて建っております。今日はグロリア・エステファンから始まった。スペイン語の発声について語ろうと思いましたが、染めておりますので辞めました。その内、ゆっくり風間君に語ることに致しましょう。

 その内レゲエに変わった。ボブ・マーリーです。風間君はしばらくジャマイカに住んでいましたから、懐かしいのでしょうね。英語も達者です。 そもそもロッカーですから、時折ハードロックも聞こえてくる。面白い染め場ですよ。

 明日、仙台に旅立ちます。一日帰ってきて熊本だ。熊本は大好きな町ですが、三年ぶりになるかな!?双方、楽しみです。

2008年2月14日 (木)

ブログの種

 世に名高き盗人の石川五右衛門は、「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」と辞世の句を詠んで死んだそうでうですが、500回を記念して我がブログを読み返してみると、「大川や 浜の真砂は尽きるとも 世にブログの種は尽きまじ」という感じで、まだまだ書くことがあります。しかし、書く筆力があるかどうかは別問題。

 それは、「源氏物語」と「大和魂」に顕著で、書きたくても書けやしません。

 ところで、種を「ネタ」と言うのは、逆さ言葉で、昔のジャズミュージシャンがよく使っていたものですし、私も逆さ言葉使いとしてはプロです。これがカミサンに「下品だ」として不評で、なるべく使わないようにしております。

 たとえば酒は「ケーサー」、男は「トコオー」、女はご存じ「ナオン」という具合です。しかし、絶対に逆さにしない単語もある。たとえばタバコを「バタコー」とはしないのです。何故かというと、リズムと美学の問題だからです。

 逆さ言葉は、芸能界も使いますが、使い方が皆「トーシロー」ですね。特に最近の奴らはね。

 トーシローなりの使い手もいました。堺正章という方。「ソリンガタンマンニシテ、メートーヲバシトーシテキタ」という名言がありますが、意味はおわかりでしょうか?

 501回目のくだらない書き込みですが、今後ともよろしくお付き合い下さいませ。

2008年2月13日 (水)

排水

 紺邑が一日どのくらい水を使うかというと、風間君の試算によれば、約8トンくらいにはなるだろうという。これが市水だったら水道代が馬鹿になりません。129mの井戸を掘った甲斐がありますね。そして、藍の建ち具合も発色も違います。

 使った水は、当然排水しなければなりませんが、直ぐ側の沢に流すのは躊躇われましたので、少し離れた市の排水溝まで管を通して排水しております。そのために工房の位置を一段上に上げたのです。
 大きな工事をして排水に万全を期したつもりでしたが、突然、トイレの水が流れなくなり、浄化槽からは泡が吹き出て来た。トイレを設置した設備屋さんに調べてもらうと、排水に問題があるという。

 ここのところ降った雪のせいなのか、浸透式の浄化槽のキャパシティー以上の水を使っているせいなのかと、みんなで色々議論をしたが、埒があきません。それでも藍染めをすれば、当然、水洗いをしなくてはならない。

 どうにも困り、しかたなく藍を洗う水を垂れ流しにして、沢に行くようにしましたが、さすがにそれも限界がある。どう対処すべきかをさんざん考えたあげく、垂れ流しではなく、ちゃんと工事をして、沢に水を流す算段をしなければならないと、決断するに至りました。

 しかし、事は簡単ではありません。お隣三軒だけではなく、沢の下に住む方々の了解を得る必要があるし、業者との相談も交渉も工事も、すべてに時間も必要だ。その間、染めの手を休めねばならず、その損失も大きい。

 その原因は、ポンプの容量が小さいからではないかと誰かが言ったので、それならポンプ屋さんに一度相談してみようと思い立ち、電話をしましたら、直ぐに来て下さった。あの、井戸を掘った時に、寝られなくなった浅野さんです。

 排水の状態を見て、「こりゃーポンプが動いてないかもしれない」と、ポンプを見てみると、スイッチを入れても動かない。それじゃぁーってんで、配水管を切ってポンプを取り出して見たら、吸水口から変な物が出ている。いや、吸水口に吸い込まれている状態といった方が良いでしょう。

 何かと見れば、なななんと藍に染まったTシャツではありませんか!そういえば一枚なくなっていました。それがポンプに詰まっていたのです。Tシャツを取り出しましたら、今までと同じように排水できるようになった。すべて元通り!

 めでたしめでたしですが、不思議なことがあるもので、なんでTシャツが排水溝に入っていったのかがわかりません。

 そのTシャツを染めたのは誰かって? 

 私です<(_ _)>

 因みに、この記事で500回目!お陰様であります。

2008年2月12日 (火)

どうも、酒を飲まないと、考えがまとまりません。
書こうとしたのは、源氏物語の「乙女」の事。
ついでに「大和魂」と思ったら、荷が重すぎた。

飲めばどうかと言えば、眠くなる。

そんなことで、昨日はブログに穴を開けました。

今日は工房にノートを置いてきてしまった。
だから珍しく、デスクトップを使って書いております。

本日、徳島からすくもが届きました。

染め場のライトを、水銀灯から蛍光灯にようやく変えることが出来ました。

また紺邑が少し変わり、一年を過ごせる準備が整った。

回りの山々も、新芽を芽吹く気配が出てきています。

毎年節分を過ぎて、紺邑の春が始まる。

本当の春が、早く来ないかなぁ~!

2008年2月10日 (日)

うおよし

 工房のある佐野市閑馬町は、一番近い市街地の田沼から車で15分くらいの山間部に位置します。佐野市から25分、足利市から30分、桐生市から40分で、スーパーマーケットもコンビニもありません。金融機関は、郵便局とJAがあるだけで銀行は信用金庫もない。これだけ書きますと、不便なように感じられるかもしれませんね。

Dscf1457しかし、私たちが閑馬のコンビニと言っている強い味方、「うおよし」が控えているのです。
ここで、食料も日用品も、ほぼ全てを揃えることが出来ます。
名前からおわかりのように、元は魚屋さん。ですから、魚が美味しい。特にお刺身は、街中の魚屋や、そこらのスーパーなんかには、価格と品質で絶対に負けていません。

 週末だけ東京から来ているひろこさんは、「閑馬で美味しいお刺身が食べられるなんて!」と感動しきりだ。ご主人お手製の塩辛も、柚の効いた上品なお味なのでありますよ。そして、ここのジャガイモは絶品だ。

 これは偏に、ご主人と奥様の人柄が表れているのだと、カミサンと閑馬に来て以来話しているのです。この地域オンリーワンのお店なのに、品揃えも価格も品質も、常に細かな気の配りがあり、皆さん安心して買い物が出来ますし、町場に出る必要など全く感じさせません。

 紺邑は閑馬に来て以来、「うおよし」には一方ならぬお世話になってきました。

Dscf1215_2入り口の小さな看板の立っている土地は「うおよし」の土地。
看板を立てることのお許しを頂いただけでなく、「もっと大きな物にしなくちゃだめだよ」なんて言ってくださる。
お休みの日には、犬を連れてお散歩に紺邑までこられ、買い物までしてくださるのですよ。

 私どもが、なんの不便も感じないで閑馬にいられるのは、「うおよし」のお陰なのであります。

 因みに、本日もお酒は一滴も飲んでおりません。三日目の休肝日だ。

2008年2月 9日 (土)

フィトンチッドとマイナスイオン

 昨日は昼寝をしたにもかかわらず、夜も11時頃に寝て、朝七時に起床。凡そ八時間熟睡させていただいた。私の健康のバロメータは声ですが、朝一番の「おはよう!」の発声で、疲れが取れたのが分かりました。

 熟睡の原因を探って見ますと、「ヒバ湯」にたどり着いた。

 日本橋三越で、ヒバ細工の鳴海君に頂いた「ヒバ湯」を入れたお風呂に、二度入ったのですが、出た後も、身体からヒバの香りが漂う。当然、寝ている間も香っていたはずで、これが、私に熟睡をもたらせてくれたのではないかなと思いましたね。

 「ヒノキチオール」というのがあるそうですが、これは檜ではなく、ヒバに多く含まれているのだそうな。その効果の科学的根拠など知るよしもありませんが、この香りは懐かしい事だけは事実だな。そして、熟睡できたことも。

 これを「フィトンチッド」と言うのだそうで、この言葉を知ったのは随分前のことだ。何故知ったのか忘れてしまいましたが、そう言うこともあるのだろうなと思いましたね。それは、藍にも言える事でもあるし、ハーブなんかの働きにもね。

 一方、表題の片割れである「マイナスイオン」にも因縁がある。これは書いていて思い出したのですが、身体に良いだの、心を休ませるなど言いますね。これをビジネス化しようとした人が、私に一肌脱いでくれと頼んできたのです。なんで私に頼むかという理由は、いつか書くときもあるかもしれませんが、取りあえず勉強してみた。

 分かったのはただ一つで、マイナスイオンが学術論文として表されたのは、大正時代にある一例だけだと言うこと(15・6年程前の当時)。そして、存在さえも不明なのだとね。私は、その正誤を図るすべはないが、その説明をしてくれた東大の先生は、邪念がなさそうだったから信じることにしました。結局は、そう言うビジネスは成功していませんね。当然、私の回りには、そう言う商品はありません。

 この間、ある場所で、あるものを売る人と一緒になった。この人は「活性水素」の話をするのですが、彼は、「身体のPHは7.4だから、それと同じ水を飲むことが大切だ」という。そして、そのPHを維持するのが「活性水素」であってミネラルではないとも。そして、「中性とはPH7~8だ」と不思議な事も言う。そして、そういう水を作る容器を売る商売をなさってお出でだ。
 
私は科学に疎いが、酸性・アルカリ性、そして中性とは、という事くらいは分からないでもない。なにせ藍染めをやっているのですからね。
 一週間一緒にいましたが、この人の言っていることに異を唱えた人は一人もいなかった。商売する方にも問題があるとは思いますが、買う方にもあるのではないかな!?それに、こういう商品を紹介する「場」を与えていることにも。

 フィトンチッドはともかく、世の中には理解できないことが沢山ありますね。

 今夜もヒバ湯を入れたお風呂に入ってこのブログを書いておりますが、もう一度入ってから寝ることに致します。もちろん酒は飲んでおりません。

2008年2月 8日 (金)

綿

工房に行って手入れした甕を見ますと、昨日よりはよろしい。

しかし、染めるより休みを要求しているので、私も甕も、今日はお休みにしました。

そしてゆっくり昼寝を楽しませていただいた。

 

時間があったので、何気なく「綿」の歴史に思いを馳せてみた。

綿は、今でこそ日本人が当たり前のように使っておりますが、日本の文化ではありません。

奈良時代の頃に、布として輸入されたのだろうと言われておりますね。

綿の種が日本に入ってきたのはいつかというと、日本後紀に、「延暦18年(799)7月、三河国に漂流した崑崙人が綿の種を持っていた」と記されていて、これが、日本に綿の種がもたらされた最初らしい。

ところが、13世紀に編纂された「新撰和歌六帖題」には

 敷島の やまとにはあらぬから人の うえてし綿の 種は絶えにき

という、衣笠内大臣家良(いえよし)の歌があって、綿の種はどうも絶滅したらしい。

それが再び日本で栽培されだしたのは、秀吉の頃、漁業が盛んになり、魚粉が肥料として使われ出してからと言われています。

それ以前の日本の布は、絹と麻系のものでありました。

 

日本人が綿と本当に親しみだしたのは、江戸中期以降。

それにつれて、藍染めも盛んになっていったといいます。

本日は、酒を一滴もやっておりません。全くのしらふ。久しぶりの休肝日と致しました。

2008年2月 7日 (木)

雪景色

 昨日の帰り際に雪が降り出しました。サッカーのW杯予選のタイ戦がありましたが、寒さになれないタイの選手は大変だろうなと思い、日本の勝利を確信しましたね。ところが、ちょっと車を走らせ、下界とも言える山形地区に出たら、雨に変わってしまった。やはり、閑馬は少し山間部ですから、寒いようです。

Dscf1451今朝はどうかなと思ったら、やはり、閑馬は雪景色。

まるで雪国のようです。

影のあるところは、今日は結局溶けませんでしたね。
駐車のスペースも同じような状態です。

Dscf1448寒さは藍に余りよろしくありません。建ったばかりの藍の調子がよくない。
見た目はよろしいし、醗酵も十分なのだけれど、色が出ていないのです。
すくもが二俵入っている。

 帰ってきて初めて私が様子を見たのですが、今日は少し手入れをしてきました。

Dscf1450こちらは古い方の甕。
古いくせに未だに色が出る。

風間君は、「分からない」と首をひねる。

それで良いのです。
分からないと気づいたことが、一人前になったと言うことだ。

 手入れは年取った私が自分でやる。そして体力を使います。帰りは風間君に自宅まで送ってもらったが、起きていられなかった。ゆっくりと風呂につかり、このブログを書いていますが、いつまで起きていられますことやら。

2008年2月 6日 (水)

桐生

 今日は所用で、桐生市に行って参りました。「西の西陣 東の桐生」と言われるほどの織物の町。有名なのは「お召し」ですね。江戸時代に徳川将軍がお召しになったから「お召し」。超高級品です。
 隣の足利市も機場ですが、主な織物は「銘仙」といって、庶民が着る普段着の絹織物です。桐生には絹織物が残り、足利は見る影もないのは、この辺りに原因があろうかとも思う。

 とは言っても、共に昔日の面影はありません。

 私の子供の頃の遊び場であった「水道山」に上りました。
 
20080206123247 山一つが公園となっており、北は東公園につながり、ハイキングにちょうど良い。
東公園にある光明寺には、祖母の妹が嫁いでおりました。

 

 
 


 

20080206123514

山頂から観た市街地です。

町そのものが、公園のようだ。

写真の山向こうが、我が生まれ故郷なのであります。 
車で10分くらいで、実に近い。 

 

 

20080206112818その中腹に、「大川美術館」があります。
館長は大川栄二氏。
わが親父殿の同級生。
仲が良かったし、同じ苗字だから親戚と思われていましたが、そうではありません。二人は「めんどくせぇーから従兄弟ということにしておくべぇ」といって従兄弟になっておりました。

 大川さんは、スーパーのダイエー全盛時代の副社長で、中内さんの懐刀。サラリーマンの給料の中で収集した絵画を展示しています。地方の個人美術館の雄といえるでしょうね。

 20080206122748_2
「日本近代洋画を変えた昭和の画聖たち」というのが今回のテーマですが、中はちょっと工事中でした。

以前は親父殿の藍染めも展示販売していただいておりまして、カミサンが納品していたのです。

受付で「はじめてですか?」「どちらからお出でですか?」なんて、初めてお会いする方に聞かれましたが、説明するのも面倒ですから、「足利からです」とひとこと言って、静かに観て参りました。

 といっても、私には絵を見る教養がありません。カミサンには、描く才能もあるし、我が子供達はみんな絵が上手い。私だけ蚊帳の外なんであります。それでもさすがに、本物は私の心を動かします。

 大川美術館は、「松本竣介」が常設です。カミサンは佐伯祐三が好きなのですが、共に早世した画家ですね。その他の大川さんが収集し、応援してきた画家達も早世した人達が多いように感じますね。

 館内のコーヒーショップでゆったりとお茶を頂いてから、久しぶりに桐生探索といたしました。

 群馬大学工学部が街中にありますが、ここは日本でも数少ない繊維関係の学部のあるところ。我が一族は、皆、ここを出ております。その近くに「有鄰館」という昔の倉を改造したイベントスペースがあり、親父殿も良く出展しておりました。雄山さんとの出会いも、ここだ。
 その近くに、坂口安吾が死ぬまで住んだ書上邸があったはずなのですが、今は面影は何もない。

 通りが寂しく、シャッターがみんな降りているので、「寂しい町になったね」なんてカミサンと話をしていたのですが、気づけば商店休みの日。ほっと一安心。お昼を取ることにしたのですが、ここは「うどん」の町。消費量は高松を凌ぐという話しもあるのですが、東京に生まれ育ったカミサンには合わないらしいので、単純な和食にしました。

 

20080206125530その食堂に行く手前で、懐かしの「桐生倶楽部」に立ち寄りました。

この窓から、祖父がサンタクロースの格好をして会場に入ってきて、子供達を喜ばせていたものです。

 ちょいと懐かしかったな。

 

 久しぶりの桐生探索でございましたが、本当に街中公園のような、きれいな町だな。

2008年2月 5日 (火)

帰宅

大田原から帰って参りました。
足利も寒い。

最終日は午後4時終了という短い時間で、全体ですばらしい成績を収めることが出来ました。
出展者の皆様にはご苦労様。
企画会社の神田さんは、途中で帰られたが、すばらしい準備をなさった。
もちろん、百貨店の皆さんのお陰でもあり、お客様にも感謝。

八時過ぎに宇都宮の酒見君から、お礼の電話を頂いた。
これもありがたいことです。

星野先生もサスケの主人を連れてきてくださった。
包丁の収集家のごときサスケが、いつの間にか武田刃物の柳刃を買ったそうな。
日本一の評価を得たお米をおみやげに頂き、その上、駅まで送っていただき、何から何までお世話になりました。

今度は、農業のお話で大田原に伺う予定です。
その時はまた、お世話になります。

大田原通信vol.5

 大田原の五日目。

 私は前夜の酒が残り、体調不良と言うほどでもないが眠い。しかし、星野先生に会うのも、大田原に来た目的の一つだから、それはそれで良しと致します。

 星野先生は私より余程若いが、藍建てのヒントを沢山頂いた。

 農家に無農薬農法を教え始めたのはもう15年も前になるでしょうか。毎月勉強会をやっていて、私も参加させていただいたのです。以前にも書きましたが、その農法で作ったお米は、日本一の評価を得るまでになった。基本は、土を人間の身体と同じだと考えることです。藍も同じ。

 付き合えば付き合うほど不思議なことがある。それは、先生には「功名心」というものがあるのか?と思えることだ。

 いつか書くかもしれないが、ある広大なブドウ畑を無農薬でやっている人がいて、昨日、その人とオカリナの宗次郎が対談している新聞を読まされた。脱サラしてワイン用のブドウつくっているのだが、この人の書いたものや言っている事の中に、星野先生の事は一言も出てこない。

 そして、一人で苦労して無農薬でブドウの栽培をしているかのような、図々しい苦労話しをする。事実は、無農薬でブドウ栽培をやりたいと言うから、私が星野先生を紹介し、彼も大田原まで来て先生に会い、それから指導を受けて来て今があるのです。

 容貌は髭を生やしそれなりで、書いていることも言っていることも、何も知らない人が読めばたいしたものだと思うだろうが、この人には「義」が欠けているし、正直でもないし、素直でもない。

 昨晩は、「サスケ」という、博多から来た料理人のやっている店で食事をしながら、その新聞を先生に読まされた。初めて私が、上記したことを直接先生に言ってみた。そうしたらこの料理人も、「本当にその通りだ」と、私と意見が一致しましたね。この人は、先生と一緒に旅行をするほどの仲なのです。

 それに対して先生が何を言うかと思いきや、「だけど、今私が手を引いたら、ここのブドウ達はみんな死んじゃいますよ」と。

 宗次郎が何故出て来るかと言えば、彼のお兄さんの存在があるからだ。その人には、苦言を呈したことはあるが、その内、目に余ることがあれば、書いてみたい。しかし、そんな心持ちでやっていたら、成功は覚束ないだろうと私は思う。微生物との付き合いは、正直で素直じゃないと分からないことがあるものですからね。

 そんな話をしながら、また酔っぱらってしまいました。
 そして、最終日を迎えます。

 今日は帰ります。

2008年2月 4日 (月)

大田原通信vol.4

大田原四日目は大雪!
といっても、全国的なもので、特別なことではなかったようです。
問題は、遠い百貨店にどうやって行くかでしたが、長野から車で来ているはんこ屋さんに送っていただきました。

お客様の入りはどうかと思えば、開店早々沢山の方々がエスカレータを上がって行く。
雪はほとんど影響がなかったようです。

それでも日曜日は、お客様が慌ただしい感じがします。

その中で、内山先生が大健闘。
全体予算は、四日目にして達成!
後は貯金です。

百貨店としては、最高の出来だったでしょう。

昨日、ようやく星野先生と連絡が付き、夜は一日お付き合いいただいた。
夕飯は、今をときめく大田原牛の大黒屋
久しぶりに牛肉を頂きましたね。
星野先生はこれを、5才の時から食べているそうな。

そしてカラオケ。
随分歌いました、というか、歌わされました。
ウイスキーをストレートでぐいぐいやりながらです。
終わってみたら、「山崎」が1/4になっていた。
それでも喉は何ともない。
鍛えてありますからね。

後二日だ。

2008年2月 3日 (日)

大田原通信vol.3

土曜日は、平日の三倍の入店者数だとのこと。
確かに多いのですけれど、感じが違う。

紺邑には、待てど暮らせどお客様が来ない。
朝から忙しいのは、はんこ屋さんと鞄屋さん。
紺邑はさっぱりだ。

そうこうするうちに午後三時を過ぎた。
こりゃあきまへんと、ちょいとあきらめ掛けてきた。
こんな日もあると、自分を慰めましたね。

その中で、おしゃれなご夫婦が会場に入っていらした。
紺邑の前でちょっと立ち止まり、ちらりと商品を一瞥。
でも、直ぐにブラシ屋さんに行き、鞄屋さんに行き、お買い物をなさる。
隣の珊瑚屋さんに戻ってきて、帰りしなに紺邑に、もう一度お立ち寄りいただいた。

Tシャツを見て、「これ良いわね」と奥様。
「良いね!買いなさいよ」とご主人。

ありがたい!
これで目が開く!!
苦節7時間を耐えた甲斐がありました。

ところが奥様は、後戻りしながら、茶羽織風ベストも試着しだしたではありませんか。
「あれ!着てみるとと似合うね」とご主人。
「これが最初に目についたのよ」と奥様。
一瞥したのは、これだったのですね。

私の頭がフル回転しだし、全商品をイメージでの中で奥様に着せてみて、最も似合ったブルゾンをお着せした。
お召しになった奥様を見て、「へぇぇぇぇ」とご主人。
「お宅のは、見てるとダサイけど、着ると良いねぇ!」って、褒めているのかけなしているのか!?
「ダサイは余計ですが、ありがとうございます」と礼を言ったら、ご主人が奥様に「いいよ、全部買って上げる」ですって。

これで本日の予算達成(^^)/

帰り際にテーブルセンターも追加され、「これ以上いると何買わされるか分からないから帰ろう」なんて言いながら、大きな荷物をもってお帰りになった。

またも良い出会いがありました。

全体予算は、始め低調でしたが、午後盛り返し、結果はやはりたいしたものとなりましたねぇ。
驚いております。

20080203082859朝起きると一面の銀世界!
四日目の日曜日、如何になりますやら!!

問題は足だ。
百貨店までどうやって行きましょうかね!?

2008年2月 2日 (土)

大田原通信vol.2

大田原の二日目。

またまた、すばらしい成績を上げることが出来ました。
もちろんこれには、「比較的」とか「おもったより」と書く必要があるのですが、それにしてもたいしたものだ。
紺邑の売り上げをカミサンに報告すると、「おどろいたね」とメールで返事が来るくらいです。
でもまだ二日だ。
気を引き締めて、後四日間、励むことに致しましょう。

驚いたのは成績だけではありません。

終了間際、杖をついているのですが、モダンなお客様が会場に現れた。
紺邑の前をゆっくりと、気になさりながらお通りになる。

「こんにちは」と挨拶させて頂いただくと、丁寧に「こんにちは」と返された。
その笑顔がすばらしい。

隣の平野ブラシで足を止められ、大きな買い物をなさった。

次に紺邑に来られて、ウールのスカートをお求めいただいたのですが、その後、「お宅は佐野でしょ。あの辺りの人は頑張っているわね」とおっしゃり、先日、みの虫を帯やネクタイにしている人が、大田原のギャラリーで個展を開いていた話をなさる。

田尾さんのことだ。

田尾さんは、私の生まれ育った家の近くで、「染工房『がらや』」を主催する染織家です。
田尾さんなくして、私の藍染めはありません。
それ程の恩人なのですが、私は何一つお返ししていないな。

その内、「田尾さんの近くに和田さんという方がいらしてね」とおっしゃる。
和田さんご夫妻は、我が両親の仲人だ。

「小出先生という小学校の先生はご存じ?」なんてお聞きになる。
私の小学校の時の恩師だ。

なんてことでしょうか!

「今日はどんな出会いがありますやら、楽しみであります」なんて書きましたけれど、これほどの出会いはそうはありません。
お聞きしますと、劇団をなさっているらしい。

私のカミサンは役者でしたが、持論は「子供に演劇を習わせるべきだ」というもの。
そう言いますと我が意を得たりとばかりに大きく頷き、「ほんとうにそうよ、こどもが変わります」とおっしゃる。

話は尽きませんが、長いお付き合いをお約束して、お別れいたしました。

 
酒見君が宇都宮から来て、昨夜は店長も交えて大懇親会が開催されました。
一度帰った企画会社担当の神田さんも戻り、出席。
さすが大田原という鴨鍋とお酒で身体を温め、英気を養い、本日に備えました。

さて、三日目の始まりです。

2008年2月 1日 (金)

十字屋

 東武百貨店大田原店という地方都市の百貨店に来て、手描き友禅の内山先生、珊瑚の奥田さんのお二人とお会いして思い出したのは、山形の十字屋のこと。親父殿に「友達のやっている催事だから出てやってくれ」と言われて出展をしたのですが、今から考えると、なかなかの精鋭が集まっておりましたね。内山先生や奥田さんや、山藍のえつこさんとも、ここが初対面だった気がするな。べっ甲の田川さん、松本桐箪笥なんて言う人達もいた。
 
 その中で異彩を放っていたのが内山先生。手描き友禅の作家として、呉服問屋の催事に実演者として出展なさっていたのが、どこかでその催事の主催者との出会いがあり、十字屋の催事に出展するようになった。当時はご自分の手描き友禅だけを並べ、問屋催事の1/3くらいの値段付けをなさっていた。
 米沢織りの方が陣中見舞いに来て下さり、先生の作品を見て、「大川さん、これなら私でも買います」とおっしゃった。その言葉が私をして、この業界に内山先生を紹介させたと言っても過言ではないな。価格は当時と変わってはいませんね。

 この催事の懇親会に出席して驚いたのは、皆さんが「その内いつか、高島屋とか三越といった百貨店に出てみたいね」なんておっしゃっていたことだ。当時からそういう百貨店に出展していた私としては、別世界を垣間見たような気分でした。
 努力なさり、出会いのあった方々は、皆さん、想いが叶っています。隔世の感あり、といったところだな。その山形の十字屋には二度伺った。
 
 初日にお二人とそんな話になりまして、「初心忘れるべからずですね」なんてお話を致しました。

 山形の思い出はその他に、美味しいラーメンと長大なエクレア。双方良い物だし、今でも食してみたい。もう一つは、べっ甲の田川さんと親しくなったところと言うこと。それまでは、田川さんと会ってはいても、挨拶をする程度で、夕食を同じ店でしていても、席を一緒にして飲むなんて事をしたこともなかった。
 それが、山形のホテルの隣に天ぷら屋があって、カウンターで食わせるのですが、そこの女将が着物を着た美人だと私が教えると、早速その晩、天ぷら屋で一緒になった。そこで初めて杯を酌み交わし、親しくお付き合いするようになったのです。今ではご子息の結婚式にも呼ばれる仲になったし、この結婚式がまた、私の運命も変えたのです。もちろん、良い方にですよ。

 「十字屋」は、流通業界の再編が続く中、今ではどこに所属しているのでしょうかね。一時はダイエー系列だったように記憶しております。
 「十字屋」という名前は、我が祖母が付けた名前です。創業者の山藤さんが我が家にお見えになり、祖母に相談して決めた名前。もちろん、キリストの「十字」に由来しております。

 山藤さんの本家は、地頭でありました。「泣くこと地頭には勝てぬ」の地頭です。もちろん「藤」がつくのですから、藤原氏。京都から持ってきた黒松が大木となり、今に残りますし、家の門は文化財指定で趣のあるものですし、庭は京都のお寺のそれを模したもので、見飽きることがありません。建物も千年も昔の面影を残すものでしたが、今は改築されてしまいました。
 御当主が我が親父殿の同級生で、私たち夫婦の仲人でもある。山沿いにある藤原ですから、山藤。日本の山藤姓の始まりの家なのであります。

 因みに「加藤」は加賀の藤原、「佐藤」は佐野の藤原とは、我が師匠の説。その真偽は知りません。

 つれづれなるままの独り言でござ~ぃ<(_ _)>

東武宇都宮百貨店大田原店

栃木県には百貨店が二つありました。
東武宇都宮百貨店と上野百貨店です。

上野百貨店が大田原に出店した。
これがどうもいけなかったらしく、今はありません。

その跡地が、大田原店なのです。

このお店の業績は、開店以来順調らしい。
今年の一月も予算を達成した。
そういう勢いを、感じさせる店でもあります。

JR宇都宮線西那須野駅からタクシーかバスを使いますので、車なしでは考えられない郊外店。
ですから、土日に混み合います。
昨日の成績は、平日としてはたいした物だと思いますね。

ホテルが近くにありませんので、百貨店から田んぼの中の道を、約15分歩かねばなりません。
底冷えするような寒さで、耳が痛くなる。

ホテルに帰ってくると、フロントの暖房は石油ストーブ一台だから暖かくない。
部屋のある階の廊下には、暖房がない。
部屋にはいると、暖まっていないから、コートも脱げずに暖房を入れ、暖まるまで待ちます。

暖まったらコートを脱ぎ、お風呂を入れる。
蛇口からの水は、細々としたもので、それに、なかなか熱くならない。
ようやく熱くなっても、せいぜい42・3度というところか!?

そのまま湯船にお湯が溜まるまでに、ゆっくり着替え、パソコンを準備し、メールチェックやなにやかや一仕事出来る。
外に行こうにも、なにもありません。

そんな静かな日々を暮らさねばならない大田原ですが、のんびりして良いという考えもある。

昨日は、西那須野から山口さんがお見えになった。
今日はどんな出会いがありますやら、楽しみであります。

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