桐生
今日は所用で、桐生市に行って参りました。「西の西陣 東の桐生」と言われるほどの織物の町。有名なのは「お召し」ですね。江戸時代に徳川将軍がお召しになったから「お召し」。超高級品です。
隣の足利市も機場ですが、主な織物は「銘仙」といって、庶民が着る普段着の絹織物です。桐生には絹織物が残り、足利は見る影もないのは、この辺りに原因があろうかとも思う。
とは言っても、共に昔日の面影はありません。
私の子供の頃の遊び場であった「水道山」に上りました。
山一つが公園となっており、北は東公園につながり、ハイキングにちょうど良い。
東公園にある光明寺には、祖母の妹が嫁いでおりました。
山頂から観た市街地です。
町そのものが、公園のようだ。
写真の山向こうが、我が生まれ故郷なのであります。
車で10分くらいで、実に近い。
その中腹に、「大川美術館」があります。
館長は大川栄二氏。
わが親父殿の同級生。
仲が良かったし、同じ苗字だから親戚と思われていましたが、そうではありません。二人は「めんどくせぇーから従兄弟ということにしておくべぇ」といって従兄弟になっておりました。
大川さんは、スーパーのダイエー全盛時代の副社長で、中内さんの懐刀。サラリーマンの給料の中で収集した絵画を展示しています。地方の個人美術館の雄といえるでしょうね。
「日本近代洋画を変えた昭和の画聖たち」というのが今回のテーマですが、中はちょっと工事中でした。
以前は親父殿の藍染めも展示販売していただいておりまして、カミサンが納品していたのです。
受付で「はじめてですか?」「どちらからお出でですか?」なんて、初めてお会いする方に聞かれましたが、説明するのも面倒ですから、「足利からです」とひとこと言って、静かに観て参りました。
といっても、私には絵を見る教養がありません。カミサンには、描く才能もあるし、我が子供達はみんな絵が上手い。私だけ蚊帳の外なんであります。それでもさすがに、本物は私の心を動かします。
大川美術館は、「松本竣介」が常設です。カミサンは佐伯祐三が好きなのですが、共に早世した画家ですね。その他の大川さんが収集し、応援してきた画家達も早世した人達が多いように感じますね。
館内のコーヒーショップでゆったりとお茶を頂いてから、久しぶりに桐生探索といたしました。
群馬大学工学部が街中にありますが、ここは日本でも数少ない繊維関係の学部のあるところ。我が一族は、皆、ここを出ております。その近くに「有鄰館」という昔の倉を改造したイベントスペースがあり、親父殿も良く出展しておりました。雄山さんとの出会いも、ここだ。
その近くに、坂口安吾が死ぬまで住んだ書上邸があったはずなのですが、今は面影は何もない。
通りが寂しく、シャッターがみんな降りているので、「寂しい町になったね」なんてカミサンと話をしていたのですが、気づけば商店休みの日。ほっと一安心。お昼を取ることにしたのですが、ここは「うどん」の町。消費量は高松を凌ぐという話しもあるのですが、東京に生まれ育ったカミサンには合わないらしいので、単純な和食にしました。
その食堂に行く手前で、懐かしの「桐生倶楽部」に立ち寄りました。
この窓から、祖父がサンタクロースの格好をして会場に入ってきて、子供達を喜ばせていたものです。
ちょいと懐かしかったな。
久しぶりの桐生探索でございましたが、本当に街中公園のような、きれいな町だな。
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