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2008年2月 8日 (金)

綿

工房に行って手入れした甕を見ますと、昨日よりはよろしい。

しかし、染めるより休みを要求しているので、私も甕も、今日はお休みにしました。

そしてゆっくり昼寝を楽しませていただいた。

 

時間があったので、何気なく「綿」の歴史に思いを馳せてみた。

綿は、今でこそ日本人が当たり前のように使っておりますが、日本の文化ではありません。

奈良時代の頃に、布として輸入されたのだろうと言われておりますね。

綿の種が日本に入ってきたのはいつかというと、日本後紀に、「延暦18年(799)7月、三河国に漂流した崑崙人が綿の種を持っていた」と記されていて、これが、日本に綿の種がもたらされた最初らしい。

ところが、13世紀に編纂された「新撰和歌六帖題」には

 敷島の やまとにはあらぬから人の うえてし綿の 種は絶えにき

という、衣笠内大臣家良(いえよし)の歌があって、綿の種はどうも絶滅したらしい。

それが再び日本で栽培されだしたのは、秀吉の頃、漁業が盛んになり、魚粉が肥料として使われ出してからと言われています。

それ以前の日本の布は、絹と麻系のものでありました。

 

日本人が綿と本当に親しみだしたのは、江戸中期以降。

それにつれて、藍染めも盛んになっていったといいます。

本日は、酒を一滴もやっておりません。全くのしらふ。久しぶりの休肝日と致しました。

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