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2008年2月 1日 (金)

十字屋

 東武百貨店大田原店という地方都市の百貨店に来て、手描き友禅の内山先生、珊瑚の奥田さんのお二人とお会いして思い出したのは、山形の十字屋のこと。親父殿に「友達のやっている催事だから出てやってくれ」と言われて出展をしたのですが、今から考えると、なかなかの精鋭が集まっておりましたね。内山先生や奥田さんや、山藍のえつこさんとも、ここが初対面だった気がするな。べっ甲の田川さん、松本桐箪笥なんて言う人達もいた。
 
 その中で異彩を放っていたのが内山先生。手描き友禅の作家として、呉服問屋の催事に実演者として出展なさっていたのが、どこかでその催事の主催者との出会いがあり、十字屋の催事に出展するようになった。当時はご自分の手描き友禅だけを並べ、問屋催事の1/3くらいの値段付けをなさっていた。
 米沢織りの方が陣中見舞いに来て下さり、先生の作品を見て、「大川さん、これなら私でも買います」とおっしゃった。その言葉が私をして、この業界に内山先生を紹介させたと言っても過言ではないな。価格は当時と変わってはいませんね。

 この催事の懇親会に出席して驚いたのは、皆さんが「その内いつか、高島屋とか三越といった百貨店に出てみたいね」なんておっしゃっていたことだ。当時からそういう百貨店に出展していた私としては、別世界を垣間見たような気分でした。
 努力なさり、出会いのあった方々は、皆さん、想いが叶っています。隔世の感あり、といったところだな。その山形の十字屋には二度伺った。
 
 初日にお二人とそんな話になりまして、「初心忘れるべからずですね」なんてお話を致しました。

 山形の思い出はその他に、美味しいラーメンと長大なエクレア。双方良い物だし、今でも食してみたい。もう一つは、べっ甲の田川さんと親しくなったところと言うこと。それまでは、田川さんと会ってはいても、挨拶をする程度で、夕食を同じ店でしていても、席を一緒にして飲むなんて事をしたこともなかった。
 それが、山形のホテルの隣に天ぷら屋があって、カウンターで食わせるのですが、そこの女将が着物を着た美人だと私が教えると、早速その晩、天ぷら屋で一緒になった。そこで初めて杯を酌み交わし、親しくお付き合いするようになったのです。今ではご子息の結婚式にも呼ばれる仲になったし、この結婚式がまた、私の運命も変えたのです。もちろん、良い方にですよ。

 「十字屋」は、流通業界の再編が続く中、今ではどこに所属しているのでしょうかね。一時はダイエー系列だったように記憶しております。
 「十字屋」という名前は、我が祖母が付けた名前です。創業者の山藤さんが我が家にお見えになり、祖母に相談して決めた名前。もちろん、キリストの「十字」に由来しております。

 山藤さんの本家は、地頭でありました。「泣くこと地頭には勝てぬ」の地頭です。もちろん「藤」がつくのですから、藤原氏。京都から持ってきた黒松が大木となり、今に残りますし、家の門は文化財指定で趣のあるものですし、庭は京都のお寺のそれを模したもので、見飽きることがありません。建物も千年も昔の面影を残すものでしたが、今は改築されてしまいました。
 御当主が我が親父殿の同級生で、私たち夫婦の仲人でもある。山沿いにある藤原ですから、山藤。日本の山藤姓の始まりの家なのであります。

 因みに「加藤」は加賀の藤原、「佐藤」は佐野の藤原とは、我が師匠の説。その真偽は知りません。

 つれづれなるままの独り言でござ~ぃ<(_ _)>

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