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2008年3月

2008年3月30日 (日)

藤沢春通信vol.5

藤沢五日目。

午前中に、鈴木さんが修理の品を持っていらした。
そしたら案の定、紺邑が混み合いまして、お昼も食べられないほどの忙しさ。
やはり、鈴木さんは福の神だ!

雨が降り出したようですが、それにもめげずに、沢山のお客様にご来店いただいた。
ありがとうございます。

藤沢小田急は、安定しています。
いや、安定しだした。

これは私だけではありません。

大森君も城も中島さんも大松さんも、その他のみんなも、毎回そこそこの成績を上げています。
遠鉄と同じように、売り場にお客様がついているような気がしますね。

今日いらしたお馴染みさんは、「私はデパートでは洋服は買わないの。お宅みたいに、ゆっくりお話ししながらお買い物できて、他では変えないお店から買うことにしているの」とおっしゃる。
こういう方も、多いのではありませんでしょうかね。

苦節何年ではあるけれど、地方の、それ程大きくない百貨店で、これだけの成績を上げるのですから、他の百貨店でも何とかなるのではないかな。
年間にすれば、この規模の百貨店では、信じられないくらいの売り上げです。

大切なのは、メンバーの選択と百貨店・出展者双方の辛抱。
これがなかなか出来ないのです。

明日の朝、社長業がありますので、束の間の帰宅を致しました。

藤沢は新井さんにお任せですが、三時過ぎには戻らなければなりません。
お客様が待っていてくださるのです。

お馴染みはありがたいな。

「藍染め」と「正藍染め」

本日、「これは本藍染め?」とお聞きになった方がいらした。

本藍染めとはなんぞや?なんて面倒な話をするのも失礼だから、「左様です」とお答えしておきました。

 

「私も本藍染めを染めたことあるけど、色が落ちて褪めるのよねぇー。それに洗濯も面倒だし」とおっしゃる。

「絶対に褪めないとは言いませんが、本藍染めなら、洗濯が面倒なことは無いでしょう」というと、「あら、色が移るから大変でしょ!」と。

 

どうも変だなと思いましたから、「どちらで染めたのですか」とお聞きすると、何処其処とのお答え。

こりゃ駄目だ。

誤解の元へ行っちゃった。

 

「藍染め」には、本物も偽物もありません。

紺邑のように、徳島の「すくも」を使い、堅木の木灰で取った「灰汁」を使い、苛性ソーダも石灰もソーダ灰もブドウ糖も使わず、全く自然発酵で建てた藍染めも、苛性ソーダやソーダ灰にハイドロや亜鉛末を使った化学建ても、インド藍やインディゴ・ピュアー(人造藍)の藍染めも、藍染めには違いない。

何故かと言いう話は、以前致しました。

 

「正藍染め」という言葉は、化学的な藍染めと、伝統的な自然発酵の藍染めを、区別するためにある。

ですから、「藍染め」に本物も偽物もないが、化学的な藍染めを「正藍染め」と称したなら、それは、「正藍染め」の偽物と言うことになります。

たとえ「すくも」を使おうと、ハイドロや亜鉛末を使えば、「正藍染め」とは言えません。

お分かりだろうか?

 

この方の行ってしまった工房は、「○○正藍染め」と称しながら、茎藍を使い、人造藍を割っている「割建て」ですから、正藍染めの真っ赤な偽物です。

 

ちょいと説明させていただきましたが、ご不快になられないよう、精一杯気を使っちゃった。

私も変わったなぁー!って、しみじみ・・・(-_-)

 

因みにこの工房のホームページに行ったことがありますが、我々から見ると抱腹絶倒もので、山村の省ちゃんに話したら、「えーーーーー!まさか!!」と言っておりましたが、その「まさか」がまかり通っているのが現状だな。
 
それが何処かというお話は、墓場に持って行く所存。

2008年3月29日 (土)

藤沢春通信vol.4

藤沢4日目。

小田急藤沢店は、元はと言えば江ノ電が親会社。
江ノ電の始発駅でもある。

土日となると、改札口は観光客の山。
人は多いが、デパートの中は閑散としているのがいつものパターンなのですが、今日も人の波。
レジカウンターも忙しそう。

どうしてなんだろうと思ったら、やはりそれなりに理由はある。

先ずはOPカード(小田急ポイントカード)を使うと5%引きで、その上5ポイントプレゼント。
として、一人3万円以上お買い上げのお客様には「ぜったいもらえるプレゼント」が用意されているのですな。
それが、4月1日まで続くのです。

紺邑の「正藍染め展」は、残念ながら対象外ですが、ポイントはつきます。
しかし、お裾分けはしっかり頂いておりまして、良い成績であります。

それにしても、鍛冶屋に紹介されてから長いこと藤沢に来ておりますが、お客様がしっかりついていてくださると実感させられております。
今日も、ほとんどご常連です。
そして、ここ数年、成績も安定している。

朝一番にいらした岸田さんは、男性ですが、年の半分以上アメリカの砂漠暮らしで、紺邑の藍染めがものすごく役に立っているとのこと。
「今日は何かありますか?」という、寿司屋のようなお尋ねからいつも始まります。

新作を三つお持ちしておりましたが、全てお気に入り頂き、お買い上げ。
また、半年後、新作を持ってこなければ。

最後に、またご常連の田所さん。
もちろん男性。
ベストジャケットをご注文いただき、秋にはブルゾンをお持ちする約束が出来ました。

その間、女性軍も多数お見えになっていただきました。

一人で販売しておりますが、こういう忙しさも良い物ですね。

夕飯は日本蕎麦。
ホテルの地下という身近なところで済ませました。
当然、酒も無しだ。

2008年3月28日 (金)

藤沢春通信vol.3

藤沢三日目。

ようやく落ち着いて販売が出来ます。
月末は色々と忙しいのであります。

ここは、午後2時までが勝負と思い、朝飯をたっぷりと取りまして、三時過ぎに昼飯に行こうと計画を立てました。

朝はどこも空いていませんので、吉野家の定食。
「祝24時間 牛丼復活」なんて、自分でお祝いしておりました。

ところがところが、午前中、待てど暮らせどお客様がいらっしゃらない。
午後になってもいらっしゃらない。
その間に、来月の札幌へのエアーチケットとホテルの予約が出来ちゃった。

あきらめて2時頃昼食へ。

帰ってきましたら、お馴染みの鈴木さんがお見えになった。

そう言えば去年の秋はお会いできませんでしたが、なんと、心臓の手術をなさっていたとのこと。
病院のベッドの中で、「今頃紺邑さんが小田急に来ているだろうな、なんて思っていたのよ」なんて事を言ってくださる。

お話ししていると、次々とお客様がご来店。
鈴木さんは店番状態。

一息ついて、ようやく鈴木さんのお直しと、お買い物と、ご注文を頂き、取りあえずお帰り頂いた。

お店も一息。

しばらくすると、また鈴木さんがお見えになり、ご主人のシャツを作ることとなりました。
ご近所なんです。

注文書を書こうとすると、またまたお客様が次々にご来店。
鈴木さんは、また店番状態。

ようやく落ち着き、注文をお受けできました。

終わってみれば、一人前の成績。

鈴木さんは、福の神だぁー!

藤沢春通信VOL.2

所用が出来まして、綾瀬に行って参りました。
その間、藤沢は風間君に売り場を託します。

有意義な時間を綾瀬で過ごし、三時頃帰って参りますと、相変わらず百貨店の中は、人混みに溢れている。

さて、紺邑の売り上げはとみますと、残念な結果でありました。

販売するというのは難しいもので、工夫と努力が必要だ。

そのためには、そう言う環境を風間君に与えて上げなければならないが、それを紺邑は出来ないでおります。
しかし、彼は染め手でありますから、現状は十分役割を果たしていると、社長としては考えているのです。

三時過ぎに工房に帰しましたが、その後、私に変わって何か売り場に変化があったかと言えば、有りはしません。

ここは、三時までが勝負なのです。

そして、こういう日が一週間の内で必ず一日ある。
そう自分を納得させて、「明日からまた励むことと致しましょう」なんて、考えておりました。

夕方、ぼーーーーっとしていると、帆布の細野君が側に立っている。
「今日はなんだい?」と聞くと、駅向こうに中澤カバンが出ていて、自分の営業を兼ねて挨拶に来たらしい。
ちょいと長話。
若いエネルギーをもらって、私も元気になりました。

そうしましたら、閉店間際、すてきなお客様との出会いがありまして、数字が出来た。

販売の基本は元気!ってか!?

2008年3月27日 (木)

藤沢春通信vol.1

小田急百貨店藤沢店の初日は、朝七時からの搬入。

担当の高坂君の準備もよろしかったので、何とか時間内にお店の体裁が出来ました。

ここはのんびりとしたところですが、湘南の良いお客様が時折お見えになって、お買い物を楽しまれるところ。
駅向こうにある百貨店とは、だいぶ趣が違います。

同じフロアーに、千疋屋のカフェがあるのですが、そう言う百貨店はそうはありません。
上のレストラン街も、なかなかによろしい。

ここは、鍛冶屋の紹介で始まった売り場で、今や、この階の売り上げの、大きな部分を占めているでしょうね。
上下エスカレーター前に、売り場が2カ所あります。

Dscf1520_2鍛冶屋から私、私から様々な職人に広がり、当時の今井部長の肝いりで、下りエスカレータ前も出来た。
ここは以前、フエイラーの売り場でした。
題しまして、「紺邑 正藍染め展」。

さて、またのんびりなのだろうと思いきや、朝から大勢のお客様。
全体の売り上げも、ここのところ真によろしいらしい。
社員達も忙しく働いている。
紺邑も、前年をオーバーいたしました。

春の陽気のせいかな!?

終わりまして、いつもの「とんこ」でトンカツ。
ビールも飲まず、さっさとホテルに帰り、ゆったりとお風呂につかり、たっぷりとストレッチをし、洗濯も済ませ、さぁー、サッカーです。
ワールドカップ予選、対バーレーン戦。

はじめから、キーパー川口の不調が読み取れた。
全体のリズムもよろしくない。
それについては、あちらの気候もピッチの状態も分からないから、何とも言いようがない。
でも、川口は危ないなと思っていたら、最後の最後にやっちゃった。
キーパーを途中交代させるのは、難しいでしょうから、仕方ないのかな。

それに、選手達にがむしゃらさが見えなくて残念でした。
バーレーンの選手がポール際までボールを追い、マイボールにした場面がありましたが、その気迫が、最後の一点に繋がったのでしょう。
それに比べ、日本の選手は、直ぐにあきらめてボールを追わない。
技術の問題ではなく、精神の問題であったように、私には思えました。

次回のホームゲームを期待したいが、この際、メンバーの見直しが必要ではないかな。

2008年3月26日 (水)

沢田ご夫妻

ブログがメンテナンスとやらで書き込めず、その間に、私は藤沢に来ております。

藤沢搬入の日、つまり昨日、千葉から沢田さんご夫妻がお見えになった。
もちろん電話で連絡いただいておりましたので、お待ちしておりました。

夕方かな?と思っておりましたから、仕事をしておりますと、昼間に「こんにちわー!」と元気に入っていらした。

私はエプロン姿でお仕事中!

ご夫妻の他に、女性がお二人。

ご一緒ですか?と聞けば、そうだとおっしゃる。

こりゃいけねぇーと、沢田さんがお連れした方々に、たっぷりと楽しんでいただかねば、紺邑の名が廃ると思いまして、皆さんのオリジナルのハンカチを染めながら、藍について語りました。
Dscf1516_2紺邑の玄関前で記念撮影ですが、こうしたことは初めてです。

こんどから皆さんと記念撮影をすることにしましょう。

これも、季節が春になったからの事ですね。

終わって2階へ参りまして、商品をご覧になった。

実は、藤沢に送らなければならないものを、沢田さんご夫妻に合うものだけ、私たちが着て欲しいと思うものだけ残しておいたのです。

案の定、あれもこれもと、沢山気に入っていただいた。
特に、例のトーションレースの藍染めは、奥様にぴったり!

ご主人にも、例のダンディになるシャツ。
これはもう、無理矢理に近かったけれど、ご主人は素直に採寸されておりました。
もちろん、オーダーメイドです。

お連れの方もキャッキャと大喜び。

ついでに私の歌を、本当にワンステージ分サービスさせていただいちゃいましたね。

そんなことをしている内に、辺りは真っ暗。

私は藤沢に行かねばなりません。

沢田さんのジャガーで、東京まで送っていただくこととしました。
車中奥様は、「沢山買い物できて気持ちが良いわぁー」だって。
ご主人は、ちょっと苦虫。
いやいや、そんな振りをしているのですな。

赤羽まで、途中のトイレ休憩を入れて一時間半。

湘南ライナー一本で藤沢。

疲れてグリーンを奮発しましたが、なに、赤羽まではタダだ。

2008年3月25日 (火)

三寒四温

昨日は打って変わって寒い一日となりました。
雨も降るし、帰りしなの山々は霞が掛かり、まるで深山のごとき趣を醸し出しております。

三寒四温といいますが、こうして本格的に春になって行くのでしょう。

タンポポとスミレ草が一緒に咲いていますが、そろそろ菜の花も一杯に咲き出しました。

山々も霞に隠れ、また「おぼろ月夜」の季節到来であります。

そんな中で、私はまたも社長業。
浮き世のまっただ中であります。

2008年3月23日 (日)

春の気配

日曜日は基本的に染めはお休み。
藍も人間と同じで、休憩が必要なのです。

閑馬は春の気配。
余りの気持ちよさに、昨日から泊まり込みで機を織っているひろこさんとカミサンと三人で、散歩としゃれ込んでみました。

20080323110940紺邑の裏を上り、一番上の正田さんの家で、畑仕事中の奥さんとおしゃべり。

道に出ると、スミレとタンポポが一緒に咲いている。
それにしてもこの二人の後ろ姿は、しっかりおばさんをしておりますな。



染めはしませんが、昨日染めた物の洗いは出来ます。
これも力仕事ですから、お昼を頂きますとちょっと眠くなって、2階でお昼寝。

しばらくすると、1階のアトリエから、村井さんと大山さんの声が聞こえてきた。
お二人は昨日もいらして、ローソクの押し花の材料を、紺邑の庭に植えたり、それを管理したり、刈り取ったりして行くのです。

20080323161614工房の裏手に、なんと桜の木を植えています。
「ちょっと貧弱だけど、1500坪の庭にたった一本の桜だから貴重だよ」とは村井さん。

大山さんは、前の庭に植えて霜でやられた植物を、日の当たるこの場所に植え替えているのです。

この二人は、土いじりと植物が大好きだな。

紺邑の土は、この二人のためにあるようです。

20080323161355紺邑に入ってくる方法は、正面の畑の道からと、脇の森を抜けてくる道と二つあります。

その交差するところの目安が必要で、壊れた藍甕を置いておいたのですが、それがまた壊されたので、今度は其処に、白鳥草というのを村井さんが植えました。

背が伸びますと、まるで白鳥のような姿で風に揺れるそうです。
こいつは楽しみだ。

20080323163615ひろこさんも、散歩に来たわけではありません。
機を織るのがお仕事ですからね。

この機はフィンランドの物ですが、三時のお茶の時に、フィンランドに行ったときの写真を見せてくださいまして、其処に出て来るお料理が実に美味しそう。

今度ごちそうにならなければ。

20080323161456_2洗い終わった藍染めは、すばらしい色になった。
中島洋傘が作る日傘になります。

村井さん達の向こうに見えるのがそれです。
シルクの広幅なのですが、それにしても時間が掛かっております。
かご染めと無地の2反で、各々10mなのですが、無地はもう一度染めなければなりません。

日傘用ですから、染める度に天日干しし、灰汁を十分に落とすために洗いもたっぷりとしなければなりません。

もう何ヶ月かかっているでしょうか。
中島さんがお待ちなのを分かっていますが、しっかり染めと洗いをしませんと、焼けてしまいますのでね。

こんな事をやっているから、生産能力が上がらないのです。

ご近所の人が、犬の散歩に紺邑の庭を通り、しばらくおしゃべり。
この方のお陰で、母が今喜んで通っているデイサービスに行くことが出来るようになった。
契約延長の営業に来た新聞屋さんも、工房のアトリエに上がり込み、お茶を一緒に飲みながら雑談して帰って行き、隣の木村さんから沼津の干物を頂いたり、閑馬に工房を構えてから、良い人にしか出会いません。

カミサンとそんな話で盛り上がり、帰って参りました。

晩酌は、「うおよし」ご主人お手製の、締め鯖。

美味しいな。
ありがたやありがたや<(_ _)>

2008年3月22日 (土)

トーションレース

20080322180536_2写真のレースの藍染めは、トーションレースを製品化した物です。
日本橋三越に初めてお持ちしましたが、評判も上々。

これを仕立てた岩崎さんは、「トーションレース」がこんなにすてきだとは思わなかった」と言います。

織り元の社長に見せたら、興味津々。
社員の皆様もご覧になった様です。

それもそのはずで、トーションレースとは、飾りの付属品としての需要が多く、製品はそれほどあるものではありません。

何でこんな事を知っているかというと、日本のトーションレースの創業者が、我が祖父であり、私は、ガチャガチャガチャガチャという機械の音で育ったからです。

日本にトーションレース機がドイツから輸入されたのは、昭和の初期。
それも、たった一台。
しかしその後の二十数年間、だれもその使い方が分からず放置されていた物を、縁あって、繊維工業試験場長であった我が祖父が、その開発を指示し、発展し、今があるわけです。

我が祖父の方針は、トーションの技術や、創造的な発想や、それによる商品を独り占めにせず、皆で分け合い、一人の利潤を追求することにあるのでもなく、これを地場産業として育成することにありました。
その思惑は、現状の業界の発展を見れば、大成功と言って良いと思います。

トーションレースの機械の80%は、我がふるさとにあり、その他は、福井と三重県伊賀上野にあるくらいな物ですからね。
 

手元に、「トーションレースの歩み」という、栃木県トーションレース協同組合が創立25周年を記念して発行した冊子があります。

其処にはもちろん、創業者であり、初代理事長である我が祖父大川英三(ひでぞう)が大きく取り上げられていることは言うまでもありません。

そして、我が父仁(ひとし)のコメントもある。

初めてきちんと読みましたが、実に感慨深い。
其処には、父の無念が読み取れるからです。
まぁ、詳しくは書けませんが、地場産業としてトーションレースを発展させようとした祖父の思いや行動が、その後の父とその家族、つまり私達の人生を翻弄した事は、否めない事実であるからです。

「多様化する業界にあって、創始の時から関わっていたが、今、色々と提言する立場にない。『創業は継続よりも困難である』と言う。又、『継続は力なり』とも言う。トーションの業界が発展の一途を辿る事を、父は地下にあって望んでいる事であろう。同時に、トーションの発展の前に父の屍のある事も忘れてはなるまい。トーション業界の発展を祈念する」という父のコメント最後の一節は、そして「屍」という言葉は、祖父の孫、父の息子として、再び申し上げるが、私には実に感慨深い。

父は、藍染めを始める前、祖父と同じように、トーションレース業界のリーダーであった時期があり、苦労もしてきた。
そしてこの時、「今、色々と提言する立場にない」のです。
 

さて、その冊子の中の、「初代理事長 大川英三氏を偲んで」という田島さんの文章の中に、こんな一節がある。
「氏(英三)は古き良き伝統技術を重んじて、温故知新を実施され、藍染めにも深い愛情と理解を示されて、手作りの良さを協調する事に力点をおいたレース作りに没頭した。これが現在のトーションレースに継承されて足利のレースが世に名声を得ている理由の一つであると考えている」。

今回の、紺邑が作ったトーションレースの藍染めは、それこそ、亡き祖父と父への先祖返りとも言うべきものかもしれません。

お彼岸には、双方の墓参りも致しました。

我が人生も、少々変化させようと考えております。

2008年3月21日 (金)

社長業

一分刻みで忙しい日を過ごしました。
それも、主に社長業で、これが私には苦手。
でも、これをしなければ、会社は立ち行かなくなる。

一生懸命努めさせていただいた。

東京から、姪のフーチャンが来た。
彼女は、ニットのデザイナーで、紺邑の今後の相談相手となってくれる予定。
パタンナーの路さんも、彼女の紹介だ。

昨年、私が着ていて好評だった、綿のサマーセーターの見本を持ってきてくれた。

ネット販売用のTシャツも、彼女を通して作って行く予定です。
 

昨日は灰が見つかり、新しい「すくも」も届いていた。

伝統工芸は、我慢が大切。
焦れば何処かに無理が生じ、伝統を崩さなければならない羽目になる。

新しく立て直した藍甕の調子も良くなった。

紺邑が閑馬にきて初めて、全ての調子が整いました。

明日からは、思い切り染めさせていただきます。

2008年3月19日 (水)

灰は藍建ての命。
良い「すくも」と、良い水と、良い灰があれば、藍は建ちます。

しかし、どうも、今使っている灰が気に入らない。

灰の良し悪しは、灰汁に手を入れた時のヌルの加減でわかるもの。
どうも、それがよろしくないのです。

灰を探すことにしました。

閑馬の辺りは、元々林業で栄えたところですから、材木屋さんが多いのです。

お伺いした一軒目は欅を扱っている会社でしたが、残念ながら、ここでは無駄が一切でない。
ですから、材木からゴミ一つも、少しの灰も出ないのです。

すばらしいシステムでしたが、お話しさせていただいた社長には、すばらしい人間性を感じさせていただきました。
別れ際には、灰を探してくださる約束をしていただきましたが、恐れ入りました。

以前から気になっていて、一度行こうと思っていた、「樫」を扱っている銘木屋さんが熊谷にありますので、カミサンと二人で行って来ました。
片道およそ一時間半。

残念ながら、ここも灰が出ない。
しかし、チップや破材は出るとのこと。
それも、あまりに大量なので、ある業者に全てお譲りしているという。
その業者に直接行って見たらどうかと、その会社でお話しさせていただいた女性が教えてくださった。
その業者がどこにいるのかお伺いしたら、「確か佐野ですよ」とおっしゃる。

「え!佐野のどちらでしょうか?」とお聞きすると、住所を調べてくださった。
「佐野市下彦間と言うところですね」と聞いたときには、我が耳を疑いましたね。

下彦間は、閑馬の隣だ!

その女性に感謝しつつ、工房に戻りました。

何せ、お聞きした業者は、紺邑から車で5分位のところのはずですからね。

この女性も、一軒目の社長に負けず劣らすすばらしい方で、カミサンと二人で、「お寺や神社を相手にしているから、木を扱う人は、あんなすばらしい人になれるのだろうか」と話し合ったほどです。
カミサンは、「私は、あんな笑顔は出せていないな」なんて反省をしておりました。

さて、紺邑に戻ったときは、すでに5時を過ぎていたので、私どもも帰りの支度をし、その業者もきっと終わっているだろうから、場所だけ確かめて、明日伺おうと言うことにしました。

下彦間には、行きつけのガソリンスタンドがありますから、そこで聞けば分かるだろうと、ご主人に聞くと、「そこに煙の見える家がそうですよ」と教えてくださった。

これまた「え!」てなもんで、毎日煙が立っているから、何をやっているのだろうと思っていた家だったのです。

お寄りしてみたら、未だ煙が立ち、お仕事中でした。

何を燃やしているのかお聞きすると、なんと、熊谷から来た樫の木を燃やしているではありませんか。
「灰はどうなさっていますか?」とお聞きすると、「捨てていますよ」とおっしゃる。

なななんと、私共が求めていた灰が、我が紺邑のこんな近くにあったではありませんか。
それも、熊谷の方に教わった。
「いつでも、いくらでも持っていって下さい」とおっしゃっていただいた。

恐ろしいほどの縁を感じ、また、私たちが閑馬に来た意味を噛みしめさせていただいた。

そしてその家では、楢の木もあり、藍建ての材料に溢れております。

また家の方々も、見ず知らずの私たちを歓待して下さり、思わぬ長居をし、お話も沢山させていただいた。

今日一日は、すばらしい人達にお会い出来た特別な日となり、紺邑の将来に、明るい日差しが指した日でもありました。

感謝<(_ _)>

2008年3月18日 (火)

石工の引退

石工倉員さんが、引退を表明した。

職人の引退は、身体が言うことをきかなくなったときだが、倉員さんの場合は、左親指がだめになったとのこと。

そう、メールで語っている。

「何とも残念であるが、仕方ない。真にご苦労さまでした」と、メールを返すしかなかった。

2007_05250081_3 職人暦42年。

私と同い年。

徒弟制度の石工の世界で、しっかりと修行を積んできた。

その基礎の上に、彼の仕事はあった。

そして、工夫の人でもある。

 

世の中がマンション住まいが多くなると見るや、細工も小さくし、箱庭の如くベランダで楽しめるような工夫もしてきた。

長い職人暦には、作風の変化もあった。

奥様とちょいとあり、その後は優しい作風となり、主婦ならぬ主夫の如く、九州男児の典型のような彼が変わったのである。
 

心臓を患い、死に損なったのも最近のことだ。

彼の彫るカッパや蛙は、真に奇妙な表情をしているし、その奇妙さは、今風に言えば「かわいい」とも言うべき物だ。

それはやはり、彼の性格にも寄るのだろうと思う。
 

このブログでは何度も書いたが、ものすごい友達思いで、それは我が身を捨てるほど。
 
だから「ばかたれ会」という、変人ばかりの集まりの中心にさせられてもいる。
 

だから、引退を知らせるメールの書き出しは、「ごめん」!。

「ごめん、左親指駄目になった」とね。

何度も書くが、「ごめん」と書いてきたのだ。

 

私との関係で言えば、工房新築を知るや、藍甕を探してくれて、それをわざわざ車に積んで九州から佐野まで持って来て下さり、そして今年の正月には、新築の祝いとして「紺邑」の名の入った灯籠を下さった。

Dscf1406_2現在、我が紺邑の玄関に鎮座するこの灯籠は、石工倉員引退後、我が家宝となる。

彼の最後の仕事は、今年7月1日から始まる、三越日本橋本店の「日本の技 職人の技展」。

もちろん、私と一緒だ。

そして、最終日の7月6日が彼の引退の日。

その日に一緒にいられることは、まことにありがたいことだし、我が職人人生にとって大きな出来事となるでありましょう。

日本橋春通信vol.7 最終日

日本橋三越も最終日。

お手伝いの新井さんに遅く出てきてもらい、撤収に備えます。

催事場が準備のためか、店内は閑かな物。

そして今週は、お帳場の方々に対する特別招待会というのが待っておりますので、少々買い控えの様子が見られるらしい。
そのためかどうかは分かりませんが、商売としては芳しくなく推移しました。

でも、マイミク(ミクシィー仲間)のnarjaさんにもいらしていただき、暇ですから、彼女の買って来たデジカメを見せてもらいながら、ゆっくりお茶でも飲むよう過ごしておりましたら、ぽつんぽつんとお客様がお見えになる。

賑やかに楽しい一時を過ごさせていただき、narjaさんにもお買い物していただき、何とかなりました。

一週間の成績は、昨年を超えることが出来ましたし、いつものように、皆様に感謝<(_ _)>

日本橋三越は、開店中に撤収することがありませんので、閉店の八時までしっかり営業。
5分のお見送りがありまして、それから撤収。
新井さんは慣れた物で、テキパキと進む。
それでも終わってみると、8時50分。

浅草発9時45分の特急りょうもう号に乗りたい。
その前に、恒例の一人打ち上げを、浅草の寿司屋でやりたい。

ゴミの片付けを新井さんに任せて浅草に向かい、9時15分に着いた。
せめて25分、一人打ち上げを仕様と寿司屋に行くと、閉まっている。

こんな情けない話はありませんが、仕方ないから、ラーメン屋さんで慌ててビールと餃子とラーメンをかっ込んで帰って参りました。

ファストフードとしての寿司の役割を、つくづく実感しましたね。

ふらふらになって家に着くと、玄関でカミサンが、妹と甥を送り出すところに出会った。
甥が東京の大学に受かって、その保証人に私がなったようです。
実にめでたいことで、もちろん、私も大喜び。
彼も大分成長の跡が見えるようで、一安心。

椅子に座ると、目の前にバーボンの安酒がある。
それをストレートでクイクイあおり、久々に帰ってきた息子とカミサンと三人で話をしていたら、夜中の2時だ。

やはり、自宅の布団は良いなぁ~と思いつつ、後は爆睡が待っておりましたとさ!

2008年3月17日 (月)

日本橋春通信vol.6

日本橋六日目。

いつものように、夕方4時頃まで、ほとんど動きがありません。

名古屋の歩く伝統工芸こと岡村さんが、お見えになった。
髪を伸ばしている最中で、そのメンテナンスと言うのでしょうか、手入れというのでしょうか、そのために東京までいらしたついでと言うことでした。

「お兄ちゃんに何か買って上げようかな?」なんておっしゃる。
「あれ!お兄様がいたの?」なんて聞いてしまいましたが、初耳。

シルク・ウールのジャケットコートを買っていただいたが、ご本人は後4日で誕生日だそうなので、桜の模様のジャガード織りのストールで、薄縹に染め上げた物をプレゼントさせていただいた。

今度はリサ君とシノ君が来て、また食い物と飲み物のお話で腹を空かせることになった。
ドイツには行けませんが、鎌倉のレストランを教えてもらったので、いつか其処に行きたいと思います。
リサ君にはありがとね(^^)/
皆様も、コメントを参照して、お出かけ下さいませな。

六日目にして初めて、マネージャーに一日お付き合いいただいた。
岡村さんの商品の包装もしていただいたが、さすがに三越のベテランですから、上手いものでしたね。

何故かディヴィジョンマネージャーも一日売り場にいらしたようで、どうも、なんと言いましょうか、一所懸命さを感じさせていただきましたね。

その上、前マネージャーまで時折見に来る。

そんな期待に応えられたかどうか分かりませんが、紺邑は、昨年よりは良い成績を収てはいます。

さて最終日。
三越本店の催事やイベントは、早く終わることがありません。
いつもと同じように八時まで。
是非、お越し下さいませ。

2008年3月16日 (日)

日本橋春通信vol.5

日本橋五日目。

打って変わって晴天。
良い日を予感させるお天気。

その通り、成績はまあまあでございまして、それ以上に、北條さんご姉妹はじめ、お馴染みさんが沢山いらしていただき、その喜びは大きいですね。
でもね、「またねぇー」って、何も買わずにお帰りになる。
おみやげに持ってきた黒砂糖を、「二つ頂戴!」なんて、遠慮もない。

そんな関係が、心地よいのです。

ただ、ちょっと疲れて、身体が言うことを聞かなくなってきた。

三越の7階に薬局がありますから、最後の手段でQPコーワゴールドを買ってきて飲んでおります。
三越で買うと、やはり高いな。

午後はそれで元気が出て、何とか後二日、乗り切れそうです。

Jリーグが開幕していますが、浦和レッドダイヤモンズがまた負けた。
レッズの落ち込みは、
開幕前から想像できていたこと。
メンバーが豪華になったなんて、勘違いで、貧弱に私には写る。
今年は大変だ。

2008年3月15日 (土)

日本橋春通信vol.4

日本橋四日目は大雨。
帝国ホテルで、特別なお客様達への招待セールもやっている。
そのためか、昨日よりも閑かに終始しました。

終わり際にマネージャーが帝国ホテルからご帰還。
「済みませんでした。帝国ホテルは盛況だったんですが、お客様が雨で本店に帰れなくなりまして・・」とおっしゃる。
なるほどな。

大田原でお世話になった企画会社の神田さんが、日経流通新聞のコピーを持って来て下さった。
東武宇都宮百貨店大田原店店長の川又さんが取り上げられていたのです。
川又さんにはお世話になりましたが、たいした物だ。

終わって神田さんと、日本橋とは思えない安くて閑かな店で、ちょっと湯豆腐をつっついて一杯。
久しぶりに日本酒をやっつけましたので、早寝早起きで、それで、「ダンディー」なんて物を書いてしまっちゃいましたです(^_^;)

まぁ、こんな日もあると言うことで・・・

ダンディー

隣の水晶の土屋さんの売り子さんが、私のことをダンディーだという。

衒いもなく「よく言われる」と言ったら、呆れられもしない。

あれ!?ひょっとしたら本気でそう思ってくれているのかな?と思ったら、新井さんまで「そうですよ。皆さんそう思っていらっしゃいます」なんてね。

へぇーーーーー!と我ながら感心すると、そう言えば、二日目にウール・コートとシルク・コットンブラウスを買って下さったお客様にも「ダンディ」と謂われ、「歌手なんです」と新井さんが言うと「あら!もったいない」ですって。

お馴染みの原さんからも、「あら、私もそう思っているわよ。そんなこと言ったら洋子さんに悪いから言わなかったの」なんて冗談めかして言ってくださる。

着ている藍のシャツを変えたからかな?なんてね!

20080314132914_2この新作のメンズ・ドレスシャツは、まことに結構な代物ですから、男性の方に是非お試しいただきたい。

ダンディーと呼ばれることでありましょう。

モデルはダンディー大川(^_-)

写真写りは、ちと悪し(^_^;)
それにしても、昔日の面影はないな(涙

2008年3月14日 (金)

日本橋春通信vol.3

日本橋三日目。

閑かな立ち上がりで、そのまま閑かに終わりましたが、紺邑はご常連に支えられ、何とか不満のない成績であります。
まことにありがたい。

今回の日本橋では、大きなヒントを頂いています。

二日目に、手織り綿を一反、綾織りのダブルガーゼを6mご注文頂いた。
ご自分で、90才になるお母様のために作務衣を作るらしいのですが、「良いものに出会ったわ」とおっしゃったその喜ばれ方に、私もふと気付きまして、テキスタイルとしての藍染めを提供して行こう考えたのです。
三日目も、ご自分で何かをお作りになる方が、ダブルガーゼの布を買って行かれた。
そのうれしそうなお顔を拝見すると、染めるモティべーションが上がるというものです。

あきる野市まで行って、布の展示会と講演会に出席した意味は、こんなところにあるのかなと感じましたね。

ドイツ在住のリサ君が来店。
ドイツ料理の話になり、まぁー腹の減ってきたこと。

私は行ったことはないが、ジャガイモもソーセージもアイスバインもサワークラフトも大好きで、白ワインはドイツに限るってなもんでね、その昔は東京は赤坂のレストランで、大ジョッキのビールを回し飲みしながら楽しんだものですが、ドイツ料理はうまくないという定評が、どうもよく分からないのです。
リサ君に寄れば、料理の種類の問題ではないかという。
さもありなん。

終了し、腹は減っているが、身体とふところは贅沢を許さず、休息を求めている。

ホテルの隣のラーメン屋で軽く夕食を済ませ、風呂にゆっくりつかり、ただただおやすみをさせていただいた。

2008年3月13日 (木)

日本橋春通信vol.2 反省と運

日本橋二日目。

初日は惨憺たる成績。
他の百貨店ならば、それ程恥ずかしいわけではありませんが、三越本店ではそうはいきません。
頂いた予算の、半分も行かなかった。

つらつら原因を考えますに、一つには商品の少なさです。
まだ1/3は兵庫の三田阪急にある。

二つめはDMを出すのが遅かったこと。
初日こそ、常連の須山さんがお見えにはなったけれど、企画会社の出してくださったDMで知って来て下さったのです。
紺邑のDMは未到着と言うことでした。

朝一番に宇野澤さんが紺邑のDMをもって来られ、次々とご常連がいらっしゃる。
皆さん、「DMが遅いわよ!」とおっしゃるが、昨日着いて今日入らしてくださるなんて、まことにありがたいではありませんか。
成績もみるみる上がり、多分、午前中だけで初日くらいは行ってしまったでしょう。

この方々が、商品の少ない初日に来られたら、悲惨でしたでしょうね。
朝、兵庫からの荷物が全部届き、宇野澤さんがいらしたときには、まだそれを並べている時でした。

DM出すのが遅れたことを、初日は後悔しました。
「人事を尽くして天命を待つ」というのが我が座右の銘であるはずなのに、何をしていたのだろうかと。
遅れて良かったと、二日目は思いました。
こりゃー、運が良かったなとね。

結果は初日の四倍ほどの売り上げとなり、お店から頂いている予算の二日分を上回ることがでしました。
皆様、ありがとうございました。
心からホッと致しましたが、三日目はどうなりますやら、また、人事を尽くすことと致しましょう。

さて、何故DM出すのが遅れたかと言いますと、染めに一所懸命だったからです。

器用貧乏のようなところがある私ですが、不器用なところもあって、一つのことに夢中の時は、他のことがおろそかになるのですね。
こういう性格を、一番よく知っているのが我がカミサン。
歌を練習している時もそうでした。

苦労と迷惑を掛けて、今に至ると言うところだな。
恩返しできるのだろうかと言うのが、我が人生の命題の一つですね。

2008年3月11日 (火)

日本橋春通信vol.1

昨日は午前中に家を出まして、一路兵庫県は三田市の阪急百貨店に向かいました。

夕方六時前に到着し、なんやかや致しまして、八時少し前に、車に荷物を積んで出発。

午前二時に日本橋のホテルに到着し、睡眠という仮眠を三時間程取りまして、三越の搬入作業をし、夜八時まで仕事をして、ただいま帰って参りました。
 

私は、日本橋三越本店5階の「リビングステージ」で、水晶の土屋ストローハットの石田頒布のバッグの細野の四人で、「春のクラフトマンフェアー」というのをやっております。

催事場ではなんと「第4回 江戸老舗味と技の大江戸展」という催事で、出展者は知り合いばかり。

同じ5階の売り場には、大館曲げわっぱの柴田さんまでいて、知り合いばかりの賑やかな三越本店となりました。

柴田さんは暇なのか、頻繁に私たちのところに来て無駄話をして行く。
それは良いのですが、良く聴かないと話の内容が分からないのが玉に瑕なのであります。

それでも先輩ですから、大切にしなければ成りません。

 

何にしても、さすがに疲れました。
風呂にゆっくりつかり、今日は休みます。

2008年3月10日 (月)

春よ来い

昨日は関西に行く予定でしたが、時間が出来ず、これから行って参ります。

そんなことで工房にも行けませんでしたが、カミサンだけが出社。

近嵐さんご夫妻はじめ、様々なお客様にご来訪いただいたようで、皆様に感謝するだけでなく、一人頑張ったカミサンにも感謝した一日でした。

なぜ関西に行かねばならないかというと、日本橋三越に展示する商品が足りないからです。
今、兵庫の三田にある荷物を、間引きしてくるわけです。
三田阪急にも日本橋三越にも迷惑をお掛けするわけですが、それを最小にするためには、今晩の間引き以外に無いのです。

一所懸命染めたところで、やはり冬場は藍の調子が言うことを聴きません。
これから暖かくなるにつれて、苦労も少なくなることは、経験が教えてくれます。

春が待ち遠しいな!

 

今、お母さんをデイサービスの人が迎えに来てくれた。

カミサン「お迎えだよ!」
母「どこからだい?」
カミサン「あの世!」
母「待ってました!」

そんな事を言いながらお出かけだ。

2008年3月 8日 (土)

エスニック

朝食は、夕べのスープを利用したカレー。

今年87才の義母の行っているデイサービスの昼食メニューを見ると、カレーだ。
「あらあら」と三人と息子の四人で大笑い。

「そろそろお迎えが来るよ」とカミサンが母に言うと、何故かキョトンとした表情。
気がついたカミサン、「あの世からじゃないよ!」と言ってまたまた大笑い。

午後にはあきる野市で開かれる、新井淳一さんの展示会と講演会に行かねばならない。
10時半に家を出て、会場でお昼を頂くとインド料理で、やはりカレーだ。
流れている音楽も、タブラ(インドの太鼓)の音。

帰ってきて、赤木りえに招待されているライブに行く。
タブラの吉見征樹さんがリーダーの、エスニック音楽のユニットだ。

料理を食べてから音楽を聴くのだが、これまたエスニック料理で、音楽もエスニック。

今日はどういうわけか、エスニックに終始した一日でありました。

ボクシングの内藤君が防衛してめでたい。
これから、小野君と稲本君が対戦するサッカーを、インターネットで解説なしで見る予定。

嫌なわけじゃなく、しっかり楽しめたが、ようやくエスニックから解放されます。

2008年3月 7日 (金)

弓はま絣

 熊本で、久々に弓はま絣の後藤さんにお会いした話は、確か熊本通信で書いたつもりです。長いお付き合いなのですが、弓はま絣についてお尋ねしたことは一度もありませんでした。今回初めて「弓はま絣の特徴ってなんですか?」と、後藤さんのご主人にお聞きしてみた。

 「これです」と、ご自分のお召しになっている作務衣を私に触れさせる。その柔らかさにびっくりしました。ひょっとしたら20年以上もの付き合いになるのに、これまで弓はま絣の事を知らなかった自分を恥じるほどに驚きました。

 柄は「元々おめでたいときに着るものでしたから、こういう柄になるのです」というそれは、確かに鶴などで、それも素朴な物だな。そして「絹よりも綿の方が1.5倍ほど値段が高いのです」と、また驚かされた。そして、綿絣の反物を触らせていただくと、これまた柔らかいにも程があると言うくらい柔らかい。

 「何故なんですか」と当然お聞きすると、自家栽培し紡いだ綿の素材と、小さな機にその秘密があるのだそうな。確かに小さな機なのですが、これを大きくすると、その分沢山早く織れるけれど、、この柔らかさは出なくなる。糸の張り具合もあるのでしょうね。

 残念ながら、写真を取り損ねた。次にお会いする機会がいつになるか分かりませんので、無理矢理作ることにしまして、ただいま仕事を探しております。

 米子の近くには、倉吉や広瀬絣という物がある程、藍染めや機織りが盛んなところだし、筒染めや型染めにも特徴ある物が沢山ある。その中で「弓はま絣」は、主に自家用として織られてきた。「だから、それだけ緻密なんです」とは後藤さんの言。

 その謂われなどは、こちらをご参照下さい。写真は奥様。

 「米子高島屋で、お客様が、後藤さんのところには、すばらしい織り手がいると言ってましたよ」と私が言うと、「僕のことかな!」って、そうかな!?

2008年3月 6日 (木)

盛者必衰

これから晩飯なのですが、久々の肉体労働で、身体が痛い。

調子の良い藍甕があったので、ちょいと調子に乗りすぎて染めすぎたのかもしれません。

お酒が無くなったので買いに行こうとしたら、「二日で一升は飲み過ぎよ!」とカミサンに言われた。

「うおよし」に行ったら、売り切れの刺身の代わりに脂ののったマグロのブツを作ってくれて、目の前に美味しい「酒盗」があってはもういけません。
帰りに日本酒を買ってきてしまい、飲んでおりますです。

昼間は染めながらも、マイミクのコンデさんと「著作権」についてちょっとやりとりしまして、帰りにそのことをカミサンに説明。
こんな事にカミサンは慣れていますので、何も言わず、「そう!」の一言。

そして、「ミクシィはお金にしようとしてんじゃないの」ですって。
どうなんでしょうかね?

何の話し?って、ミクシィをやっていない人には関係ない事でありましたね。

世に言うように、「おごる平家は久しからず」でね!
または表題のごとし。

2008年3月 5日 (水)

熊本からの帰りは、11:05熊本空港発のANA。

熊本市在住の木工芸家・甲斐武さんの工房をお尋ねする約束をしていましたので、朝早く、車でお迎えいただき、市郊外の山の中まで行って参りました。

親しくお話しするのは初めてですから、車中でお互いの経歴を披瀝し合っておりましたら、驚いたことに、甲斐さんは元ジャズ・ミュージシャンでベーシスト。
音楽という共通の言葉を、私たちは持っておりました。

私よりも若いのですが、飄々たる仕事ぶりは実に良いですな。

工房に着くと、BGMにジャズを鳴らす。
また、その風情がよく似合う空間でもありました。

来週、京王百貨店に出展なさるらしいが、それが「九州物産展」という代物。
作風も人間も、似合わないこと極まっております。

なんで出展するかといえば、ただただ世間知らずなのだと私は思う。

でも、行動には何か意味があると言うのも、私の考え。
それを「縁」というのだとも。

私も同じ時期に日本橋三越におりますので、東京で一献傾けましょうということでお別れして参りました。

この縁は、何なのでありましょうや。

帰って参りましたら、旧知のテキスタイルデザイナー新井淳一さんから、展示会の案内が届いておりました。
米子高島屋で出会いました、「
真木テキスタイルスタジオ」で開かれる「生成の布・新井淳一展」というイベント。

カミサンと二人で出かける予定ですが、この縁も何なのでありましょうや。

その夜、フルーティスト赤木リエのライブがあります。
どういうわけか、私たち夫婦を招待してくれた。

この縁も、何なのでありましょうや。

2008年3月 4日 (火)

熊本通信vol.6

熊本最終日。

私の頭の中は、返送の事で一杯。
それでも、ヤマトや大阪に連絡を取っていたら、直ぐに解決。

さて、お仕事!と思いましたが、こう言う時はあきまへん。

とにかく終わりまして、さっぱりいたしました。

最後の最後で、ようやく柘植櫛の西出さんと一緒に食事が出来ました。
一緒のメンバーは、例の如く、下駄の藤田君に浄法寺塗りの勝俣さんに、人形の小島。
一番若いのが小島の52だって言うんですから、皆おじさんになったなぁ~。

今回、初めて馬刺しを頂きました。

これで、心置きなく帰れます。

2008年3月 3日 (月)

熊本通信vol.5

熊本五日目。

ゆっくり出勤いたしました。

さすが日曜日ですから、お客様もゆっくり。

喉の痛みは相変わらず。

柘植櫛の西出さんと食事の約束をしていたのですが、大事を取りまして、鶴屋のレストラン街で一人でトンカツを食べてホテルに帰り、直ぐに就寝。

夜中にちょっと起きはしましたが、それでも就寝、っと書きたいところですが、インターネットでサッカー中継がありまして、一試合全部見てしまいました。

それでもゆっくり出来たことには違いなく、またしっかり寝ることが出来ました。

ネットのサッカー中継は、アナウンスも解説もない。
ドイツのブンデスリーガに言った小野伸二君の試合だったのですが、それでも楽しませていただきました。
サッカーに言葉は不要ですね。

紺邑は、とにかく商品量が問題だと、はっきりしました。
作らなけれ........!

2008年3月 2日 (日)

熊本通信vol.4

熊本四日目。

鶴屋は地下の食料品売り場がリニューアルオープンしたらしい。

朝からお客様が並んでオープンをお待ちだったそうですが、上の階まで上がっていらっしゃらなかったようです。

紺邑はそこそこの成績ではありますが、ちょっと喉が痛い。
くしゃみ鼻水と、典型的な風邪の症状。

風邪を引かないコツは、「引かない!」と決めることだと私は思っていますが、そのためには休むことも大切だ。

風邪薬も飲んで、早く帰ろうとは思いましたが、小山さんに「今晩どうだい?空いてますか?」と聞かれれば、「空いてます」と答えるしかありませんから、約二時間ほど会食。

帰ってきて風呂入れて、ドアを開けて乾燥に備え、薬を飲んで寝たのはよいのですが、夜中に起きてしまい、このブログを書いております。

このホテルの風呂は、水槽にお湯を張っておいても、数時間経つと空になっています。
水漏れするのですね。

ドアはオートロックではありませんが、鍵は簡単には掛からない。
何度かガタガタと調整をしないといけません。
ツインのシングルユースですが、なんと申しましょうか、古い感じが実に良く出ております。
もちろん、お値段はそれなりで、いや、それをまたお安くしていただいておりますし、私が支払うわけでもなく、鶴屋にお世話になっていることですから、もちろん、文句はありません。

しかし、ネットには繋がるし、なんと言っても朝食はすばらしい!
旅先で、これ以上ありがたいことはありません。

明日はゆっくり寝まして、ゆっくり出勤を致します。

健康第一。
命あっての物種。

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