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2008年3月18日 (火)

石工の引退

石工倉員さんが、引退を表明した。

職人の引退は、身体が言うことをきかなくなったときだが、倉員さんの場合は、左親指がだめになったとのこと。

そう、メールで語っている。

「何とも残念であるが、仕方ない。真にご苦労さまでした」と、メールを返すしかなかった。

2007_05250081_3 職人暦42年。

私と同い年。

徒弟制度の石工の世界で、しっかりと修行を積んできた。

その基礎の上に、彼の仕事はあった。

そして、工夫の人でもある。

 

世の中がマンション住まいが多くなると見るや、細工も小さくし、箱庭の如くベランダで楽しめるような工夫もしてきた。

長い職人暦には、作風の変化もあった。

奥様とちょいとあり、その後は優しい作風となり、主婦ならぬ主夫の如く、九州男児の典型のような彼が変わったのである。
 

心臓を患い、死に損なったのも最近のことだ。

彼の彫るカッパや蛙は、真に奇妙な表情をしているし、その奇妙さは、今風に言えば「かわいい」とも言うべき物だ。

それはやはり、彼の性格にも寄るのだろうと思う。
 

このブログでは何度も書いたが、ものすごい友達思いで、それは我が身を捨てるほど。
 
だから「ばかたれ会」という、変人ばかりの集まりの中心にさせられてもいる。
 

だから、引退を知らせるメールの書き出しは、「ごめん」!。

「ごめん、左親指駄目になった」とね。

何度も書くが、「ごめん」と書いてきたのだ。

 

私との関係で言えば、工房新築を知るや、藍甕を探してくれて、それをわざわざ車に積んで九州から佐野まで持って来て下さり、そして今年の正月には、新築の祝いとして「紺邑」の名の入った灯籠を下さった。

Dscf1406_2現在、我が紺邑の玄関に鎮座するこの灯籠は、石工倉員引退後、我が家宝となる。

彼の最後の仕事は、今年7月1日から始まる、三越日本橋本店の「日本の技 職人の技展」。

もちろん、私と一緒だ。

そして、最終日の7月6日が彼の引退の日。

その日に一緒にいられることは、まことにありがたいことだし、我が職人人生にとって大きな出来事となるでありましょう。

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