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2008年3月22日 (土)

トーションレース

20080322180536_2写真のレースの藍染めは、トーションレースを製品化した物です。
日本橋三越に初めてお持ちしましたが、評判も上々。

これを仕立てた岩崎さんは、「トーションレース」がこんなにすてきだとは思わなかった」と言います。

織り元の社長に見せたら、興味津々。
社員の皆様もご覧になった様です。

それもそのはずで、トーションレースとは、飾りの付属品としての需要が多く、製品はそれほどあるものではありません。

何でこんな事を知っているかというと、日本のトーションレースの創業者が、我が祖父であり、私は、ガチャガチャガチャガチャという機械の音で育ったからです。

日本にトーションレース機がドイツから輸入されたのは、昭和の初期。
それも、たった一台。
しかしその後の二十数年間、だれもその使い方が分からず放置されていた物を、縁あって、繊維工業試験場長であった我が祖父が、その開発を指示し、発展し、今があるわけです。

我が祖父の方針は、トーションの技術や、創造的な発想や、それによる商品を独り占めにせず、皆で分け合い、一人の利潤を追求することにあるのでもなく、これを地場産業として育成することにありました。
その思惑は、現状の業界の発展を見れば、大成功と言って良いと思います。

トーションレースの機械の80%は、我がふるさとにあり、その他は、福井と三重県伊賀上野にあるくらいな物ですからね。
 

手元に、「トーションレースの歩み」という、栃木県トーションレース協同組合が創立25周年を記念して発行した冊子があります。

其処にはもちろん、創業者であり、初代理事長である我が祖父大川英三(ひでぞう)が大きく取り上げられていることは言うまでもありません。

そして、我が父仁(ひとし)のコメントもある。

初めてきちんと読みましたが、実に感慨深い。
其処には、父の無念が読み取れるからです。
まぁ、詳しくは書けませんが、地場産業としてトーションレースを発展させようとした祖父の思いや行動が、その後の父とその家族、つまり私達の人生を翻弄した事は、否めない事実であるからです。

「多様化する業界にあって、創始の時から関わっていたが、今、色々と提言する立場にない。『創業は継続よりも困難である』と言う。又、『継続は力なり』とも言う。トーションの業界が発展の一途を辿る事を、父は地下にあって望んでいる事であろう。同時に、トーションの発展の前に父の屍のある事も忘れてはなるまい。トーション業界の発展を祈念する」という父のコメント最後の一節は、そして「屍」という言葉は、祖父の孫、父の息子として、再び申し上げるが、私には実に感慨深い。

父は、藍染めを始める前、祖父と同じように、トーションレース業界のリーダーであった時期があり、苦労もしてきた。
そしてこの時、「今、色々と提言する立場にない」のです。
 

さて、その冊子の中の、「初代理事長 大川英三氏を偲んで」という田島さんの文章の中に、こんな一節がある。
「氏(英三)は古き良き伝統技術を重んじて、温故知新を実施され、藍染めにも深い愛情と理解を示されて、手作りの良さを協調する事に力点をおいたレース作りに没頭した。これが現在のトーションレースに継承されて足利のレースが世に名声を得ている理由の一つであると考えている」。

今回の、紺邑が作ったトーションレースの藍染めは、それこそ、亡き祖父と父への先祖返りとも言うべきものかもしれません。

お彼岸には、双方の墓参りも致しました。

我が人生も、少々変化させようと考えております。

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