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2008年4月 3日 (木)

08岡崎通信vol.1 徳川

 松坂屋岡崎店初日。

 閑かな幕開けで、閑かに閉じた一日でした。
 それでも紺邑は、松坂屋本店のお客様や、十年以上も前のお客様との出会いで、前年を上回る成績ではありました。

 愛知県岡崎市は、徳川家康が生まれ育ったところです。
 徳川家は、元はご存じ「松平」ですが、力をつけるに従い、源氏本流新田氏の末裔「徳川」を称する様になるわけです。
 それは、家康の祖父清康からだと言われていますが、田舎武士が箔をつけるために必要なことだったのでしょう。

 さて、「徳川」というのは、我がふるさとの隣町、群馬県太田市世良田町の世良田氏の事だという。
 もちろん、徳川町という地名も残る。
 その子孫だと、松平は主張するわけです。
 
 我がふるさと足利といえば「足利尊氏」、太田市といえば「新田義貞」。

 足利氏も新田氏も、ともに清和源氏の本流の名門であり、武家そのものの本流でもあります。
 足利尊氏が征夷大将軍となれた理由でもある。
 因みに、秀吉は源氏ではありませんでしたから、将軍には成れない。だから、関白になるしかなかったということなのでしょう。

 足利尊氏と新田義貞は、共に戦って北条氏を倒すわけですが、最後は対立し、新田義貞が敗れて足利尊氏が勝ち、足利幕府を開くことになる。そんな曰わくがあって、今でも足利と太田の仲はしっくりいっておりません。

 さて、松平に家康という傑物が出て、征夷大将軍となり、徳川家は江戸に幕府を開く。
 彼の生まれ育ちはここ岡崎だが、元をただせば我が家の近所の出だと、岡崎の人達に自慢をするのが私の慣わしなのであります。

 徳川は天下を取り、ご先祖様をお祭りした。だから、世良田東照宮というのがあるというわけです。

 徳川の由来は、そのホームページをご参照下さい。

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