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2008年4月 6日 (日)

藍染め

十数年前、岡崎に来て二度目だったか三度めっだたか、ある催事に出展していたとき、それなりのお年のご夫婦が、私の前を通って行った。

奥様の手を見ると、藍に染まっている。

でも、私の前を知らんぷりで通り過ぎて行く。
 

後ろを歩いていたご主人が、「おいおい、藍染めがあるぞ」といって呼び止めた。

奥様は、「しようがないわね」と言った雰囲気で振り返り、仕方ないなという風情で私のところにいらした。

私はそれが面白いと思って、実演している藍甕の前に奥様を座らせて、藍について話しをしてみた。
 

こう言うときは、大抵、相手が変な事を言う物。

藍建ての話をすれば、素性は直ぐに分かるのです。
 

ところがこの方、どんなに深い話をしても、当たり前のように私と同じ事をおっしゃる。
 
藍建ても染めも、苦労が一緒で、話が合う。
 
こういう人は非常に珍しい。
 
私が言うのも何ですが、本当に本物。

 

ところがあちらも同じ事を思っていて、同じ経験をしてきたのです。
 
つまり、藍染めをしている人で、まともな人に滅多に会うことがなかったのです。
 
だから、私の前を素通りしていったのです。

 

それからおもむろに私の藍染めをご覧になり出して、「私と同じ色を出している人に、初めて出会った」と宣うではありませんか。
 
私も、私にこう語る人に、初めて出会いました。

 

話は弾みましたが、「家にいらっしゃい」という。
 
自分の藍甕を見ろと、こういうわけだ。
 

次の日の終わった後、伺いました。

夕飯も食べさせてもらったのですが、その前に藍甕を見せてもらった。
 
どういう藍かなんて、匂いで分かるもの。

それなのに「なめてみて」なんて言うから、甕に指を入れてなめさせてもらった。
 
もちろん、想像通りの良い藍でした。

絞りの作品も見せていただいたが、美しい物です。

それ以来のお付き合いです。

 

中島さんとおっしゃる。
 
岡崎在住ですが、生まれは秋田県。
 
いわゆる「灰汁建て」の藍染めを始めて、そろそろ30年くらいになるそうな。
 
ご自分ではそれを「地獄建て」と称していらっしゃる。
 

きっかけは、お母様が絞りの職人で、秋田の「淺舞絞り」を復活なさった事。

それを、中島さんも継承し、岡崎や有松の方々ともそれで交流が出来たわけです。

みんなで秋田の淺舞まで、勉強しに行ったりもした。
 

その内、自分でも藍建てをしようと思い立ったが、教えてくれる人はいない。
 
そこで、秋田の地元に行って90近いおじいさんに教わってきた。
 
この方は、三日後にお亡くなりになったそうですが、中島さんにその血は受け継がれました。

それから、ご自分で絞った物を、自分で藍染め出来るようになった。

 

デザインも勉強しようと、一念発起して大学に通ったらしい。
 
御年53歳の時。
 
大学生生活が、あんなに楽しいとは思わなかったといいます。
 

中島さんの藍染めは、数々の賞を取っていますけれど、彼女に驕り高ぶりは一切ありません。

無さ過ぎるといった方が良いくらいだ。

昨年は、松坂屋の担当者に頼まれて、ここ岡崎店の愛知県伝統工芸品展にも出展なさった。

私が紹介したのですが、今日は、その報告とお礼にいらしたのです。

 

リュウマチという持病を持ち、脳梗塞で倒れたご主人とご一緒に住んでいる。
 
ご自身も、昨年の松坂屋で風邪を引き、また、正月から入院生活で、今年初めてバスに乗って、松坂屋まで私に会いに来て下さった。

今や、使っている藍も、私と同じものに中島さんが変えた。
 
以前の物とは、醗酵の具合と色合いが違うのです。

石灰も貝灰に変えた。
 

病気気味で、体力を使う藍染めは難しくなってきたけれど、やり残したことがあるという。
 
それは、淺舞絞りでまだ復活させていない柄を、絞り染めること。
 
五葉の松に、鶴と亀なのだそうですが、その中に様々な技法が入っているのだそうな。
 

それに今までの作品群を加えて、一大展示会をして引退したいとおっしゃる。
 
その時は、何があっても駆けつけるお約束を致しました。

Dscf1532_2 そして初めてのツーショット。

こういう方には、もっと活躍してもらいたい物だが、いるところには本物がちゃんといるという実例です。

中島さんには、お話ししているだけで沢山の事を教わった。

意識はしていらっしゃらないでしょうが、紺邑を立ち上げて、最初に「正藍冷染」で藍を建てられたのも、中島さんから頂いた知恵が働いたからなのです。

 
その代わりと言っては何ですが、いつぞや名古屋まで来られて、「今スランプなの。藍が建たない」とおっしゃったとき、お話を伺わせていただいて、使っている「灰」が駄目なんだと私なりに思い、紺邑の灰を送らせていただいたこともある。

そうしてスランプを脱し、最初に建った甕で染めた絹のスカーフを、「ほら、こんな良い色に染まったよ」と、私に下さった。

そういう、ありがたいお付き合いなのです。

 

先日、さる世界的なデザイナーから、中島さんに藍染めの依頼があった。

健康上、お断りせざるを得なかったのですが、「何故私に?」と聞いたところ、何処かでそのデザイナーが、中島さんの藍染めをご覧になって、その色合いに惚れ込んでしまったらしい。

そういう良いお話もあるのですから、もう少し続けてもらいたい物だ。
 
でも中島さんは、「来て良かった。元気をもらった。帰ったらまた染める」と、いつも言って下さる。

それが私の役割なのかもしれません。

 

中島さんは、平成21年10月5日、お亡くなりになりました。
心からご冥福をお祈りいたします。

平成21年10月20日
紺屋 大川公一 合掌

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