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2008年5月

2008年5月31日 (土)

組木細工

神奈川県を代表する伝統工芸の「箱根細工」には、寄木細工と組木細工とあります。

お馴染みの秘密箱は、双方の応用の様です。

さて、それを代表する職人、山中成夫氏。

001_2 山中組木工房四代目。

箱根細工の重鎮。

神奈川県卓越技能保持者で唯一の小田原市指定重要文化財保持者。

長年鍛えた身体は、鋼鉄のよう。

その太い腕と指で、まことに繊細な仕事をなさいます。
 

002_2 木をカンナで削りますと、削った木はクヅになりますね。

寄木細工では、様々な木を寄せ合わせて文様を作り、一枚の板にします。

それをカンナで薄く削った物を化粧材として使い、あの独特の箱根細工になるわけで、カンナの削りクズが重要な存在となるわけです。

ですから寄木細工では、クヅとは言わず、削りクヅを「ヅク」と呼びます。

山中さんが手に持っているのが、「ヅク」です。

 

山中さんは組木が得意ですから、秘密箱も「54回+1回開き 隠し部屋付き」なんて言うのを考案した。

これが大当たりで制作に忙しく、催事には滅多に出て参りません。

 

ところが五代目の忠明が、「72回開き 隠し部屋付き」を考案したものだから、益々忙しくなってしまった。

これが滅多に手に入らないし、今回の売り場にも、一箱も置いてありませんし、インターネットでも売り切れだ。

五代目はものすごくまじめな男。

デザイン力にも優れている。
 

007_2 山中さんが手を添えているのは、忠明が作った秘密箱です。

従来の秘密箱のデザインも形も変えた、画期的なもので、「72回開き」とともに評判となり、問屋からの注文だけで、来年の半ば頃まで休む暇が無いと、山中さんはこぼします。

「おめーよぉー、まじめな息子を持つと親父は大変だよぉー。

この間の連休だって、休んだのは日曜日だけだぜ。

お陰で親父のこの俺も、休めねんだよぉ!」と、小田原弁で嘆きますが、それがうれしそうだ。

「おめぇー、パソコンに書くだら、息子の作品を紹介してくれや」と言った時のポーズがこれです。

 

「あいつはタバコも止めちまった」と自慢話は続きまして、「今、酒も止めようとしているぜ」なんていう。

「そういやぁー、あいつに酒を教えたのはおめぇーじゃねぇか」なんて私に八つ当たり。
 
身に覚えがありますので、反論のしようがありません。

 

忠明はホームページで、「デザインを優先するのか、パズルを優先するのか、試行錯誤の毎日ですが、『新しい時代を感じさせる箱根組木細工にチャレンジする心をいつまでも忘れず』を座右の銘として、日々精進しています」と書いている。

 

デザインに関しては真にすばらしい才能を発揮しておりますね。
 
パズルは、山中家伝統の物。
 
これが五代目の課題でありました。

 
003_2_2 ビニールが掛かっていますので見づらいかも知れませんが、ロボットの組木細工です。
 
「面白いですね」と私が言うと、「おうよ!こりゃー忠明が作ったもんでな、またこれが評判になっちまってよ。

あそこで売れてあそこで売れて、残りはこれ一体だけになっちまってな、これも実はあそこに持ってきてくれと言われているんで、売れちゃー困るんだけんどよぉー、飾っているのさ」とまたまた、困った風に自慢話をなさる。

忠明には久しく会っていませんが、良く成長しました。
たいしたもんだ!

 

 

山中さんは十数年前、還暦を迎えると、社長の座を五代目に譲ってしまった。
 
自分がいなくなった後を無事過ごせるように、社長業の苦労をさせようと言うことだったのでしょう。
 
それを機に、私は「隠居」と呼ぶことにした。 
 
水戸黄門に擬えて、格さんが私、助さんが大森君としました。

 

隠居の唯一の楽しみはゴルフ。

四十を過ぎてから始めたためか、今でも夢中。
 
シングルハンデの腕前で、業界随一でしょう。
 
ゴルフが旨くなるためにウォーキングを欠かさず、筋トレも欠かさないから、唯でさえ頑丈が身体が、老年になっても変わりません。
 
もちろん、酒もタバコもやらない。

 

随分前、私と大森が、ここ浜松で隠居とゴルフをした。
 
止せばよいのに、ホールインワンをしてしまったのです。
 
もちろん、隠居が。
 
景品のテレビ何ぞを貰って、喜んで帰った。

 

隠居の友達で、それも畏友とも言うべき存在が大森君の御尊父。
 
その人が、「おめぇーよ」と、隠居が私に語りかけるように隠居に言った。
 
「ホールインワンをして、お祝いをしねぇー訳にはいかねぇーだろ!」ってね。

 

隠居としては思い切りよく、伊豆の温泉付きで私と大森を招待してくれた。
 
三人では寂しいから、ブラシ屋の旦那・平野さんを加えて四人でゴルフ。
 
帰りはなんと鰻をごちそうになると言う、隠居としては一世一代の大盤振る舞い。
 
いまでも会うと、この話が出る。

 

先日、ホールインワンをしそうになった。
 
その時隠居はボールに向かって、「入るなぁー、入るなぁー!」と叫んでいたそうです。

 

私が紺邑を立ち上げたとき、遠く小田原で心配してくれて、へそくりを私のために提供してくれそうになった。
 
相当な金額です。
 
気持ちだけでもありがたいことですが、そのへそくりは今、五代目に行っているそうな。
 
これも、親父としてめでたい!

2008年5月30日 (金)

08/5浜松通信vol.2

浜松二日目。

歩いて出勤しようと思いましたら、右の靴が合わずに足の甲が痛い。
仕方なくバスを利用しました。
このホテルは遠鉄系列なのですが、百貨店からは歩いて20分ほど離れているのです。
そこで、出展者にはバスの無料チケットが出ている。

バスに乗って気付いたのですが、携帯電話を部屋に置き忘れた。
久しぶりに不自由な一日となるなと思いましたが、無ければないで、なんとかなるもんです。

紺邑は、相変わらず可もなく不可もなく、恥ずかしくもなく誇れるほどでもない成績。
しかしこのご時世、良しとしなくてはならないでしょう。

伝統展に出展している保多織り岩部さんとは、本当に久々に会いました。
「保多織り」とは「ぼたおり」と読む。
「多年を保つ」ということで、丈夫で長持ちする織りという意味なのですね。
紺邑の様々な商品に用いられている、上品な織りです。

岩部さんという人は、見かけは常識人ですが、真に変な人で、卓球のラケットを常に持ち歩き、ホテルの部屋で素振りを欠かさない。
好奇心旺盛。
だから、私が紺邑を立ち上げたとき、しつこくその訳を、遠慮無く聞いてきた唯一の人。
その責任を取ってか、商品を貸してくれたり、ある時払いの催促なしで染めの素材を提供してくれたり、「商品が少ないときは、注文を取りなさい」と教えてくれまして、事実その通りにさせていただき、今の紺邑があるという、恩人でもある。

今夜は、岩部さんと水晶の大森君のお嬢さんと三人で、いつもの「轟」で夕飯。
美味しく頂き、満腹となって帰って参りました。

岩部さんは、私にとっても紺邑にとっても、実に重要な存在ですから、こんな紹介では本当はいけません。
いつか改めて書くこともあるでしょう。

寄木細工の山中さんは、大凡準備が整いましたので、明日にでも…

2008年5月29日 (木)

08/5浜松通信vol.1

浜松初日。
カテゴリーは「催事」にしてありますが、正確に言うと「個展」であります。

遠鉄の社員の胸に付けているバッジに、「20th」とありますから、開店二十年を迎えるらしい。
とすると、我が両親は、20年前から浜松遠鉄百貨店に来ていることになる。
古い話だ。
お客様とも社員とも付き合いが長いから、この百貨店では遠慮がほとんどありません。
ありがたいことです。

今日は雨模様で始まった。
それにしては、まずまずの客足でありました。
結果もそこそこで、恥ずかしくは無い。
しかし、誇れるほどではない、と言うところ。

時折暇を見つけて、催事場の伝統展に遊びに行きます。
上りエスカレーター前の、最上の売り場に、箱根寄せ木細工の山中さんが陣取っています。
仕事場では久しぶりにお会いした。
ゴルフ場では、この間浜松であった。

職人展・伝統展の名物。
腕も確かな、日本を代表する職人。

明日はこの人を取り上げてみたいが、約束はいたしません。
出来ないこともある。

伝統展の連中は懇親会、のはず、だが…!?

水晶の大森君と大島紬の城君に、熊本の「あとりえ伊万里」社長の深川芳子が来ていることは伝えておきました。
終了間際に、彼らは一緒に鰻を食べに行くことになっておりました。
もちろん、私も一緒です。

伊万里に私に水晶に大島紬兄弟に伊万里の五人で一路ウナギ屋へ。

ところが既に閉店。
聞くところに寄れば、大森君達は、この店に13年間、一度も入れなかったらしい。

相談の上、私の知っている魚の旨い店に行くことになった。

魚も旨いが、出て来る料理も良い。
五人でたらふく食って勘定をして貰うと、驚くほどに安い。
大満足して帰って参りました。

あの店には、今度の日曜日も参ります。

2008年5月28日 (水)

浜松へ

昼の2時半過ぎに浜松に到着し、百貨店に入り準備を始めました。
明日から7階上りエスカレーター横のクリエイティブ工房で、「紺邑正藍染め展」が開かれます。

会場に入って行きますと、先ずは美術ギャラリーの「アートサロン」の前を通る。
今週は誰が出展しているのだろうかと思って覗くと、熊本のあとりえ伊万里
準備に精を出しているのは、社長の深川芳子。
そう言えば、昨年も一緒だった。
ちょいと挨拶して現場に着くと、マネージャーの中野君が待っていてくれた。
「あれ!移動じゃなかったのか!?」っと聞くと、「6月からです。お世話になりました」と挨拶された。
全く短い付き合いだったが、どうしてこうもこの部署は、人事異動が頻繁にあるかのか!
彼が課長の徳田さんを呼んでくれてその話になり、「人事課長を呼んでつるし上げようか」なんて怖い話になりましたが、もちろん冗談。
でもその課長とは、昨年移動になった元担当マネージャーの内山君ですから、全く冗談にも程があるってもんです。

課長とマネージャーが手伝ってくれるという贅沢を味わい、準備はとんとん拍子に進みました。
途中、深見君が挨拶に来た。
この人は、ちょっと前に私が怒っちゃった人。
出かける前にカミサンが、「深見さんに一杯奢ってやりなさいよ!」と言っておりましたので、今週中に奢らなければなりません。
課長にそう言うと、「それは言えるかも知れません」だって。

深見君は、挨拶もそこそこに、催事場に飛んで帰った。
今週から「日本の伝統展」という催事が始まり、彼が担当しているからです。

いつもは、伝統展が終わって、紺邑の正藍染め展が始まるというスケジュールだったのですが、日本橋高島屋の都合で、一週間ずれたらしい。
そして、五日間の催事となってしまい、私も彼らと一緒にならなければならない羽目になったと、こういうわけです。

この催事と私は、人知れず因縁がありまして、それは徳田さんも知らない事。
懐かしい顔ぶれも多いし、普段あっている連中も多い。
それでも知らない業者が一軒ありまして、それも隣の桐生の人だ。
世の中、狭いようで広くもありますね。

準備が一段落してから会場に行き、挨拶に一回り。
終わって、人形の小島とタクシーでホテルに入りました。

明日は彼らは懇親会だそうな。

私は閑かに暮らせそうで、結構な事です。

閑馬の一日

昨日は休もうと思った。

50代も後半になると、やはり三週続けて旅に出て、夜片付けてそのまま夜搬入し、朝早く飾り付けをするなんて事をすると、ちょいと疲れるし、疲れが抜けない。

小峰さんのような大先輩がいるので、泣き言を言うわけにはいかないが、事実は事実として疲れ気味。

午前中は、宇都宮から百貨店担当の酒見君が、休みを返上して閑馬に打ち合わせに来るので出勤
Dscf1656_2 彼は七軒町の紺邑も知っている珍しい存在。

だから、じっくりと閑馬を案内した。
「ここは良いところだな、良いところだな」と何度も言う。
「七軒町に比べれば、どんなところだって天国だけどな」と私が言うと、やはり「良いところですねぇ」と言ってくれる。

東武宇都宮百貨店で開かれる「職人の技展」の準備のために、私の都合に合わせ、休みを返上して来てくれた。
ここで日本中の職人に電話をし、メンバーが決定いたしました。
こんな風に、大きなテーブルで話が出来るなんて、夢のような出来事なのです。

Dscf1653_2 紺邑の庭ですが、段々村井色が鮮明になって参りました。
草刈りも半分残してくださっていて、「残りはみんな刈っていいですよ」という指示を頂いたそうな。
10年後の庭のイメージが、村井さんと大山さんには出来ているのだそうです。

Dscf1655_2 藍の調子はどうかというのが一番気になるところですが、丸甕は実によろしい。
写真では解り難いでしょうが、藍の華の勢いで分かります。
大甕の方は、良かったり悪かったりですが、手入れの仕方を風間君と打ち合わせ。
閑馬の藍染めも、春を迎えて勢いが出てきましたね。

「疲れが取れないのは年齢のせいだけじゃない。運動しなさい!」とは、我がカミサンの言。
そこで午後は、シューズを買いに行って参りました。

Dscf1659_2 所は佐野アウトレット。
お店は「ナイキ」。
靴を物色し、店員にサイズを聞いてみたら、紺邑の縫製を頼んでいる八木橋さんのお嬢さん。
心強かった。
初めて行きましたが、さすがに安いですね。
narjaさんに聞いていましたが、「ボーズ」もあった。
こりゃ、混み合うのも分かる気がいたします。

閑馬に帰ると、やはり次々と仕事が舞い込んでくる。
終わると夜七時で、結局虎さんの通夜には行けず弔電を出し、お陰様と言っては何ですが、サッカーを見て、さすがにブログも書けず、夜十時には寝てしまいました。

朝八時近くまで寝ることが出来、これから浜松にお出かけです。
これが終われば、染めに勤しめる。

2008年5月26日 (月)

08/5相模原通信vol6

相模原最終日は、暑い一日となりました。
「暑い」が「熱い」なら良かったのですが、紺邑は冷め切ったままで終了。

それでも、オンセの高江さんのブログ愛読者で、ついでに私のこのブログを読んでいてくださるYさんとの出会いがありました。
お話ししているうちに、高江さんのブログで読んだ方であることを思い出しましたね。

終了間際、突然営業時間の延長が決められた。
隣のホールで、高橋真梨子のコンサートが六時半からあり、そこにいらっしゃる方々を取り込もうという狙いらしい。

紺邑だけは、商品の発送の関係で、時間通りに終了させていただいた。
お陰で、明日の朝、この商品全てが浜松に到着いたします。

狙い通り会場はにぎわい、この週の最大の成績を上げたらしい。
数字は言えませんが、業界をご存じの方々なら、驚愕することでしょう。
13人の催事で、50人の催事に匹敵する成績かも知れません。
 

終了後、新宿の京王百貨店に行って、みんなと宴会でもしようかと思っていましたが、鍛冶屋からメールが入り、藤本虎さんが亡くなったという知らせ。
驚きました。

「藤本虎」とは企業名でもあります。
江戸手植えブラシのメーカーで、業界のリーダーでもありました。
 

社長の虎さんには、高島屋の「伝統展」でご一緒させていただき、私の染めるハンカチを妹さんがお気に入りで、毎回相当な数を買ってもらっておりました。
妹さんがいないときは、「おい、あいつの為に、十枚ほど染めといてくれ!」なんて、まるで寿司屋のような注文を頂いたものです。
その妹さんは、豆絞りに半纏という、まるで神輿をかつぐ様な姿で、ブラシを販売していました。

立川高島屋の「伝統展」では、浅草から近いのにお泊まりになる。
鰯を食わせる店でいつも一緒になり、「俺はここだけは泊まるんだ。行きつけの店があってな」とおっしゃっていた。
さて、行きつけの店がどんな店か、結局、誰にも教えておりませんでしたね。

わが親父殿とも親しく、日本橋高島屋の「伝統展」」出展者の懇親会では、虎さんの引っ越す前の店にみんなで伺い、東京を案内していただいたらしい。

近年はお身体の具合が悪く、催事に顔を見せることもなくなり、私が会うのは、社員の職人ばかりとなりました。
そんな折の訃報であります。

あの江戸弁が懐かしいですが、大変お世話になりました。

明日、虎さんの通夜もあるので、宴会も止め、ただいま家に帰って参りました。

08/5相模原通信vol5

相模原の五日目は雨の出だし。
それも、春らしいちゃんとした雨。
しかし、ここの会場は、市道を兼ねているので、人通りは絶えません。
いつもより多いくらいでもありました。

それにしても紺邑は、久々の低調。
こんな日もある。
それでも、目標の最低ラインはキープしてはおります。

Dscf1636_2 これが紺邑ですが、非常に難しいディスプレーになっています。
この写真で左右二面見えていますが、裏側にもう二面あるのです。
つまり、柱を囲んで、四方が売り場。
裏側には手が回りません。

Dscf1637_2 こちらが裏側。
沢山品物が並んでおります。
それも新作が多い。
充実しだした感じがしております。
写真だけではお分かりになりませんでしょうから、是非会場まで足をお運び下さいませ。

この会場の照明は、水銀灯です。
これが、藍染めの色を正確に出せないのですね。
妙な色になる。
それも、成績が芳しくない一因であるかもしれません。
それでも「きれい」だと、お客様は言ってくださいますけれどね。

写真を撮っておりますと、帆布の細野君が、「ブログ用ですか?」と言う。
どうも、見透かされておりますな。

2008年5月24日 (土)

08/5相模原通信vol4

相模原四日目。

天気予報は雨だけれど、夕方までは降らず。
しかし、降ってからお商売になり、ようやく売り上げが出来たという一日。

お昼頃、バカに人通りが多い。
担当に聞くと、劇団○○の公演が、隣の文化ホールであるとのこと。
帰り際のお客様がねらい目だと言うが、私は期待しないことにした。
何故なら、ああいう芝居を見る人が、我々の伝統工芸が分かると思えないからです。
こんな事書くと、また叱られるかな。
まあ、中にはお分かりになる方がおられるに、違いありませんけれどね。

世阿弥は「守・破・離」を説くわけですが、主催者に、そこに言う「離見の見」があるように思えないのです。
長野オリンピックの開会式を見ての印象です。
「離見の見」とは、自分の後ろ姿を見ることでしょうが、あの演出は、そうではなかったな。
 

実演している藍の調子が、今日から良くなりました。
やはり、時間は掛かる。

盛んにハンカチを染めておりますと、小学生達が目の前を通る。
その内の一人が、「うちのお兄ちゃんが染めたやつだ」というから呼び止めて、「ねぇ君。君たち子供が出来ることを、私たち大の大人がやっていると思うかい?。こういう仕事は、何年も何年も修行をしてようやく出来ることなんだよ」と言い聞かせながら、すくもの話からじっくりと藍染めを説明してやりました。
その内大勢集まってきたので、講演会の様を呈してきた。

白いハンカチを藍甕に入れ、色が茶色から緑、緑からくすんだ青に変わり、それを水洗いすると鮮やかな青になる。
その変化を彼らは見て、目を丸くする。
あるお母さんは、大きな拍手。
本染めの藍染めは、どんなに色落ちがしても色移りのないことも、実際にやってみせると歓声が上がる。
説明は、子供に分かりやすくなんて、私は迎合しない。
担当の藤田君も見ていて、「私たちに説明するのと、同じ言葉でなさっていましたね」と感想を述べていましたが、まさしくその通り。
「彼らは、心で感じているのでしょうか、子供達はみんな分かっていたようですね」とも言う。
まさしく、その通りだと思う。

そんなことをやっているうちに、私は疲れ切ってしまった。
夕方はそのために、昼寝をたっぷり。
ゆっくりと売り場に出ると、終了間際に、お馴染みのお客様がご来店。
その日の売り上げの半分以上を、一人で作ってくださり、ひとまず満足いたしました。

「待てば海路の日和あり」です。
ん?「
棚からぼた餅」だって!?
いやいや、「果報は寝て待て」が正しいようで<(_ _)>

2008年5月23日 (金)

08/5相模原通信vol3

相模原では町田に泊まります。
電車で一駅で、少し歩かなければなりませんが、たまにはこう言うのも悪くありません。
運動になります。

会場が2階、社員食堂は6階。
これも階段を歩いて行きます。
別に健康のためではない。
エレベーターに乗るのが面倒なだけのこと。
こういうのもたまには良い。

仕事は、相変わらず全体は大変な成績で、「順調に推移しています」とは、今日の朝礼担当の奥チャンこと奥山君。
彼女は新しくできた催事チームのリーダーだそうな。
よく働き、よく飲みます。
それも、底なしだ。

紺邑はと言へばそれなりの成績なのですが、これが下から数えた方が早い位置なのです。
ここは、布物がそれ程強くありませんし、私と群馬シルクの贄田さんしかいません。
もっとも全部で13社だ。

夕方までは目も当てられぬ程でしたが、我が藍染めの色を見て、「きれい」「こんな色初めて」というお客様が次々と現れ、終わってみれば、他の百貨店ならば立派な成績。
それでも下から・・・(^^;)

町田住まいは私一人ですから、夕飯はホテル近くのジョナサンへ。
私の大好きなビーフシチューが、コーンポタージュ、サラダ、パスタ、ライスかパンにデザートの付くコースで\1400程。
それに、ビールとワインを一杯だけ飲んで帰って参りました。
ああいうレストランも、バカにしたものではありませんね。

夕べは思いっきりストレッチをしたお陰か、久々に朝まで起きずに寝られました。
今日もその伝に従ってみることにします。

蕎麦屋のお話

わが地元は食文化の町。
特に蕎麦が良いのですが、我が工房の近辺で、良い蕎麦が採れるのです。

麺の文化の土地柄でもある。

お隣の桐生市はうどん。
消費量は讃岐に匹敵する。

足利市は蕎麦。
ご存じ片倉さんの「一茶庵本店」もあるけれど、足利の蕎麦は昔からあり、信州の蕎麦も食せる。

佐野は近年、「佐野ラーメン」で売り出している。

館林は関東人ならお馴染みの「館林うどん」。
うどんの乾麺の産地。

この四市を結ぶ路を、「麺街道」と今は呼ぶのですが、これはある人の独断でね、最初は「麺麺街道」と名付けられたのです。
この方が余程リズムが良いなと、私は思う。

名付け親は「「九一そば」のご主人。
九一の蕎麦を極細にして、出汁の利いた汁をたっぷりつけて食う、足利の蕎麦。
一口入れただけで、麺を細く切る意味が分かる。
今の主人は我が後輩だが、インテリで謙虚な良い男。
蕎麦好きで、店の休みの日も蕎麦を食いに行く。
私が「良い蕎麦屋があるよ」と言うと、連れて行けと言う。
そこでも美味そうに蕎麦を食っていたな。

何時だったか、お酉様に行ってべろべろに酔っぱらってこの店に入り、食した蕎麦は絶品でありました。
運が良ければ新蕎麦が食える。

これもある日あるところで、この後輩に久しぶりにあった。
日本の政界をリードする人が来るってんで、私も呼ばれたパーティ。
そこでこれから蕎麦を打つという。
それも、十割。
私は十割が良いとはちっとも思わないけれど、「それをいつもの細切りで食わすのか?」と聞くと、「そうですよ!一茶さんも来てますけど、私が打ちます」と、いとも簡単に言う。

来ている「一茶さん」は、片倉さんのお孫さん。
まだ無理だったのでしょうね。

味はどうだったかって?
私は時間が無くて、食せずに帰ってきてしまったのですよ(涙

一茶庵は東京の蕎麦。
ですから、付け汁にさっとつけてするっと食する。
なんと言っても“さらしな”でなければなりません。
田舎蕎麦なんていう、黒いものを頼むのはいけません。

私は、子供の頃から一茶庵で蕎麦を食べていた。
もちろん、片倉さんの打った蕎麦。
我が祖父が、片倉さんの友達だったのです。
当時は鰻の寝床のような蕎麦屋で、片倉さんの金蕎麦なんて物を食っていたらしい。

年越し蕎麦も、毎年一茶庵に取りに行ったものだ。
簡単に書いていますが、我が家は足利のはずれでね、街中の一茶庵に行くのは容易では無い時代のお話です。

2008年5月22日 (木)

08/5相模原通信vol2

相模原二日目。

この催事は日本有数だと書きましたが、規模が小さい上に、神奈川県とはいえ地方都市の小さな百貨店のことですから、業界では余り知られていない催事でしょうね。

最初は5階の催事場で江戸職人展として始まり、全国へと変わり、それが2階ギャラリー・スクエアーに移って化けた。

それにはそれなりの理由があると思いますが、書きましたように、企画会社の溝口さんと、百貨店担当のHさんの熱意の賜物と、私は考えております。

溝口さんは、催事企画会社で人生最晩年を送られ、またそれを、心から楽しまれておりました。

私のことを「社長」と呼んで親しんでいただき、何かと相談された物です。

新規開拓も進んでなさり、私ともコンビを組んだこともある。
 

たまには勇み足のようなこともあった。

ある時、「○○百貨店に営業に行きたいと思うのですが、社長、どう思います?」とおっしゃる。

百貨店と名は付いていますけれど、実際は郊外型のスーパー。

そこに呼ばれた業者がかわいそうですから、「お止めなさい。あそこは百貨店じゃありませんよ。共通商品券も使えません」と忠告しましたが、ご本人はなかなか納得なさらなかったな。

その後、ある人がそこで催事をやったらしいが、やはり結果は散々でありました。

 
それ程熱心でしたが、それが、現場の仕事にもあらわれる。

それに我々が乗せられる。

だから会場は活気に溢れ、お客様の財布の紐がゆるむから、成績も上がる。

特に、ここ相模原は、百貨店担当のHさんとのコンビネーションが抜群でしたね。

 
最後にお会いしたのは、日本橋三越でした。

お顔に黄疸が表れ、いかにも苦しそうでしたが、それでも「社長!またあの百貨店に行きたいですね」と、営業開発の話をなさっておりました。
 

その後をついだ藤田君も、彼なりの個性とパフォーマンスで、良くやっていると私は思います。

 
相模原に来る度に、溝口さんのことを思い出すことでしょう。

08/5相模原通信vol1

伊勢丹相模原店2階ギャラリースクエアーで開催されております、「全国職人の技展」に出展しております。

先週までオンセの高江さんや、花宇宙の村井さんが入らしたところ。

二週間催事なので、交代いたしました。

昨日はその初日。

 
ここは、坪効率から考えるとものすごい売り上げを取る。

私が知る限りでは、日本有数です。

紺邑などの衣料品はそれ程でもありませんが、その他の方々は、たいした物です。

それが何故出来たかと言うと、この催事を開拓した溝口さんと、担当の熱意でありましょうね。

その溝口さんは、お亡くなりになった。

 
昨やは懇親会。

溝口さんを偲ぶように、いつもの蕎麦屋で行われました。

そこで酔いまして、またブログに穴を開けちゃった(涙

 
会場におりまして、ふと気が付いた。

今月はこれで三週続けて外に出ている。

池袋、船橋・宇都宮、そして相模原。

ここで一週間空いて浜松だと思いこんでいましたら、大きな勘違いで、来週の29日から遠鉄だ。

これでは4週続くことになる。

 
紺邑の染め手は、私と風間君だけ。

時折アルバイトのイッセイ君が手伝うにしても、わずかなものだ。

紺邑は紺邑の色があるから、染めは決して外注しない。

全て紺邑で染めた物。

私が居なければ、風間君しかいない。

だからいつでも品薄だ。

でも今年は、新しい工房に移って生産能力が上がり、その結果がようやく出つつありまして、それが販売結果にも結びつくようになって参りました。

 
浜松が終われば、六月は催事は一つ。

たっぷりと染めに精進し、七月の繁忙期に備えたいと決心を新たにしましたね。

2008年5月21日 (水)

08/5船橋通信vol6

船橋最終日は、嵐という波乱の幕開け。

テレビのニュースを見ると、雨と風が酷いという報道。

ホテルを市役所付近、つまり、百貨店から歩いて15分くらいのところに取り直したため、タクシーを呼んで貰い、余計な出費となりました。

それでも、ベッドも広く、ネット環境も良く、快適に過ごさせていただいた。

 
午前中は、さすがにお客様の姿が
ない。

どうなるのかと思いきや、終わってみればなかなかの成績で、紺邑は大目標を達成!

全体も、大きく予算をオーバー!

ありがとうございました。

 
船橋の荷物を赤帽に載せ、一路相模原へ。

何故か道路は、紺邑を祝福でもしているようにがら空きで、小一時間で神奈川県は相模大野に着いてしまった。

 
企画会社の藤田君や、伊勢丹の奥チャン達に手伝って貰って搬入を済ませ、飾り付けは明日にして早めにホテルに入り、さてブログと思ったら、パソコンがネットに繋がらない。

ようやく繋がったと思ったら、もう午前1時だ。

お陰で明日の寝不足は必至だ。

 
明日からは、相模原通信となります。

2008年5月20日 (火)

娘のライブ その2

眠れずにちょいと独り言…
 

我が次女のライブについて、鈴木一九さんが飯を食いながら、「どうだった?」と聞く。

多分、私の寸評を聞きたかったのだろうと思いますが、歌がどうだ音楽がどうだという批評は、私にはありません。

もちろん、上手い下手もない。

要は、彼らが何を表現したいかということで、その熱意や意志は、十分に感じ取ることが私には出来た。

ですから、「声を落とす」と表現しました。

これがまた解り難い様ですが、簡単に言うと、腹から声を出すという事なんであります。

そうすれば、演奏の中身の根本が変わることでしょうし、質も変わり、彼らの熱意や意志も、聴衆たる我々に伝わりやすいと、こういう訳です。

これまた問題は、変えたいと彼らが思っているかどうかですが、それは私には分かりません。

変えたいと思っていなければ、私の指摘は、余計なお節介となることでしょう。

 
娘のステージを見ながら、思い出した事が二つある。

一つは彼女の母親。

あの芝居がかったステージや、変な雰囲気は、演劇をやっていた頃の、私の知らないカミサンの姿ではないかと言うこと。

その昔、大久保にあったフラメンコの店のステージに立ったカミサンの写真からの連想です。

血は争えないと感じましたね。

 
二つめは、漫画家で歌手で文筆家の内田某女。

しばらく年賀状などを送ってきておりましたが、筆無精の私が返事をしないからか、没交渉となっている人。

私のライブに大分足を運んでくれましたが、時折、本屋で彼女の著作を見たり、テレビで見たりして、懐かしくは感じております。

この子も変な子だった。

我が娘と内田某女が重なるのは、どういう物でありましょうかね。

それは、生への強い意志を感じ取れるという事かも知れません。

この二人は、家庭環境に関しては全く違いますが、我が子ながら、芯が強いなと感じることも出来ました。

 
子には苦労をさせた方が良いとは、今日、この業界の某大物との会話に出てきたことですが、親として苦労を掛けたこの子が、しっかりと生きていることを見て、少々の安心を得ております。

もちろん、他の子達も同様で、ありがたいことであります。

2008年5月19日 (月)

08/5船橋通信vol5

船橋五日目。
紺邑は、前年実績を三日でほぼ達成。
昨日からは貯金の日々ですが、社長としてはそんなことで喜んではいられません。
良い藍染めをするためには、良いビジネスが必要だからです。
この辺りは、「目的と手段」として、いつか書いてみたいと思っている問題です。
 
 
そんな小難しい話はともかく、昨日もなかなかの成績でありましたが、今日は真に閑かに終始いたしました。
それでも紺邑は、満足できる成績。
全体も、一週間の予算は四日目にして見えてきたようで、多分、成功裏に終わることでしょう。
 
今日の夕飯は、組紐の平井、漆器の鈴木さん、塗り箸の大下君に、若狭飴の田中君を入れて、番屋で腹一杯頂きました。
この四人は、小京都の仲間です。
小京都展は今はありませんが、いつか復活させたい催事。
田中君は、その時の重要な構成メンバーですが、今日の今日まで、同じ会場に居ることに気が付かなかったし、鈴木さんも大下君も、同じ県なのに教えてくれなかった。
余り暇なので、会場をぶらぶらしていて、五日目にして田中君の存在に気が付いたという次第。
この人の仲人は、浜松遠鉄百貨店の社員で、私もよく知る人なので、余計親近感があるし、一昨年はお父様にごちそうになっているのです。

船橋東武は催事の雄ですが、雨にだけは弱い。
明日、台風の影響が出るという天気予報で、朝七時くらいがピークとのこと。
我々の運気で、台風が避けてくれることを願いつつ、お休みなさいzzz

08/5船橋通信vol4 娘のライブ

船橋四日目。

様々な事情で、昨夜はブログに穴を空けてしまいました。

第一は、夕方次女からメールが入りまして、四谷でこれからライブをやると言う。

バンドが何組か出るらしく、彼女の出番は八時頃から。

ちょっと早く船橋を出れば間に合う。

鍛冶屋やとり常の佐々木達と、焼き肉屋で宴会の予定があったのですが、鍛冶屋に了解を得、彼のところに客としてきた元マネキン嬢を店番にして貰うという好意に甘え、四谷に行って参りました。

お陰様で間に合った。

四谷二丁目のなんだらとかいうライブハウス。

階段で地下に降り、受付でバンド名を言って金を払いドアを開けると、タバコの煙がもうもうとした中、ロックバンドの囂々たる音楽とも騒音とも、何とも言えない耳をつんざくようなサウンドが響いてきた。

娘のライブとはいえ、いい年こいた大人が一人じゃ嫌だなと思っていると、ステージ前の客席にいる男の後ろ姿に見覚えがある。

我がホームページの管理人で、変わり種のカメラマン、YOKO.こと横坂ではありませんか!

このライブの最初のバンドが、こ奴の息子のバンドだったらしい。

ほっとして横坂の真後ろの席に腰を下ろした。

演奏しているバンドは、娘の前のバンド。

私には騒音としか聞こえないけれど、彼らは青春の中の大切な一ページを刻んでいるところだと思って、我慢しながら聞いておりました。

それにしても腹が減り、こんな事なら飯を食ってくれば良かったと思いながら、ステージの轟音と共に時は過ぎ、ようやくこのバンドの演奏が終わった。

やれやれと思ったら横坂が振り返り、挨拶代わりの第一声が、「何で飯食って来なかったの」!

「何で分かるの?」という返事が私。

空腹にジンソーダを入れながら、横坂の友達達を紹介された。

娘と息子のライブに動員されたという、バカ親父二人でありますが、横坂の息子のタケと我が次女は幼なじみ。

東京で一緒に育ち、私たちが田舎に引っ込んでからちょっと付き合いに間が開きましたが、大学に入学して東京に出てからは、我が娘が早稲田で、タケが慶応だったので、「早慶戦だ」とか言ってまた付き合いが復活したのであります。

 
やがて木魚の音とお経が聞こえて来た。

スクリーンが開くと、ステージに仮面を被った男が右隅で、シンセサイザーかパソコンと覚しき物の前に座り、それを操作している。

ステージ中央には、緋毛氈に覆われたテーブルが置かれ、その周辺は、平安時代を思わせるような装飾がなされている。

おもむろに、娘が現れた。

Dscf1616_2 衣装は十二単の一番上だけをまとったようなド派手なもの。

先ほどまでの喧噪は何処へやら。

木魚とお経の中にドンカマのリズムが刻まれ、お経の様な娘の歌が始まった。

親の私が言うのも何ですが、変わっておる。

バンド名を「SOUL FACTORY」と言います。

途中で、二人しかいないのに「メンバー紹介をいたします」と言ってバンドメンバーを紹介していましたが、それによると、右側の男を「魂(たましい)」と言うのだそうな。

これまた変わっておる。

そんなことはともかく、声を出しているには違いない。

私の印象は、声の落とし方を覚えた方が良いなと言うこと。

どんなことでも、表現という物は、相手に伝わらなければなりませんからね。

次回の告知も為されておりまして、6月23日、題しまして「21世紀の精神異常者」!

 
帰り際に、「CDは如何ですか?」と係の人に声を掛けられたから、シングルとアルバムを買ってきた。

ついでに「伶ちゃんのポートレートもどうぞ」と言われ、娘のサイン入り写真をいただいて参りましたね。

 
横坂が、「何処かに行こうか?」と言うから、「何でも良いから飯を食わせてくれ」と頼んだ。

「そんなこと言われたって、あたしもこの辺は知らん」と冷たい。

仕方なく三丁目まで歩いて、横坂行きつけの、朝までやっている中華屋へ。

「ここはコックが変わったらしく、半年来てない。だから、味は保証しない」なんて横坂が言っておりましたが、メニューは私の好みばかり。

注文を、私の隣に座った女性にして貰いましたが、これまた私の好みばかり。

紹興酒を頼み、これを空きっ腹に呷るように飲みながら料理を頂くと、これまた、なかなかに普通で良い。

「良いじゃないの」と横坂に言うと、「うん、元に戻ったね」だって。
 

無事にホテルにたどり着きまして、さてブログじゃとパソコンを開けると、ランが繋がらない。

ケーブルの問題らしいとは思ったのですが、代えて貰うのも気が引けたし、酔っぱらってもいたのでそのまま爆睡。

これが、ブログに穴を開けた第二の理由でございます<(_ _)>

2008年5月18日 (日)

お休み のお知らせ

本日18日(日) 工房のショップをお休みとさせていただきます。

私もカミサンも、外でお仕事をしているからです。

なにとぞご理解下さいませ。

来週は、いつもの通りです。

紺邑 大川

2008年5月17日 (土)

08/5船橋通信vol3

船橋三日目。

土曜日は家族連れが多いので、我々ファッション関係よりは、日用品関係の方が賑わう傾向にあるようです。

事実、私の隣のい草工芸の奥田さんは、大変な賑わいでありました。

奥田さんは、奥様が今回はお見えですが、ご主人は催事の企画会社の社長さん。

その筋では、有名人。

私も世話になって長い。

そんなこととは全く関係なく、船橋には来ていただいております。

 
紺邑は、久しぶりに暇!

夕方まで、こりゃ、駄目だと思いましたが、それでも他の百貨店なら一人前の成績なのではあります。

船橋だから、物足りない。

 
終了間際、親子連れがお見えになって、お祖母様のおみやげをお買い求め頂いた。

それでまさしく一人前で、文句のない成績になりましたが、人体に着せている絹麻のスーツが気になって仕方のないご様子。

試着なさると、お嬢様の方が、「あら!似合ってる!!」とおっしゃる。

隣の奥田さんも、その隣の小森の会長も、みんなが似合うと言う。

私からすると、ものすごくお似合い。

 
結局それもお買い求め頂いたが、正直、その商品を手放すのは、少し寂しい気がいたしましたね。

しかし、これで成績は十二分でありまして、紺邑としては文句がありません。
 

Dscf1615_3お買い求め頂いたのは、写真の左側の品物ですが、今回の目玉商品であり、紺邑の表現したい色そのものでもあります。

色は縹色。

素材は麻と絹。

写真ではとてもじゃないが分からない、すばらしい青でありました。

 

終了後、京都のぴょんぴょん堂が遊びに来たので、鍛冶屋と真珠屋を入れて夕飯。

常識的な量をやっつけて、新しいホテルにチェックインいたしました。

その印象譚は、明日以降に。

2008年5月16日 (金)

08/5船橋通信vol2

船橋二日目。

隣のオーストリッチのハンさんに、「ハンカチを1000円で売るのは良いけれど、特売というのが気に入らない」と、普通の声の大きさで言ったら、私の普通は一般人の大声ですから、それが偶々近くにいた催事担当の耳に入ってしまって飛んできた。

20080516184347_2赤い看板を見て、「これはいけません。全くその通りですね。直ぐ変えましょう」と言って、文字通り直ぐに「特別提供品」と変えて下さった。

何をこだわっているんだと言う声もありましょうが、気持ちの問題なのであります。

さすがこの業界の名物催事担当Tさんであります。

物産展出展者の一流どころで、この人を知らない人は、日本では滅多におりますまい。

我々職人展の世界は別ですけれどね。

さて、相変わらずハンカチが人気だから、足が疲れることには違いありませんが、午前中に島本さんご一行三人が、皆さん紺邑の藍染めをお召しになってご来店。

そこに宇野澤さんご夫妻が加わったのですから、嵐のような一時が開店からお昼まで続きました。

もちろん結果はものすごくありがたいもので、担当のTさんが、たいへん喜んで下さったのは言うまでもありません。

 
紺邑はとんとん拍子に売り上げ、大変忙しかったし、目の前にいるストローハットの口芸家の石田君も、昨日も今日も忙しそうだから、全体も忙しいのだろうと思っていたら、どうもそうでもなかったらしい。

まあ、藍染めと麦わら帽子は、季節が良いと言うこともありますが、ありがたいことではありますね。

夕飯は、漆器の一九さん、組紐の平井、箸屋の大下と私の良い年をした男四人で、また鍛冶屋にバカにされながらお好み焼き。

関東のお好み焼きは、ソースがどうだ、醤油がどうだ、焼き方はどうだ、マヨネーズはどうだ、削り節はどうだ、海苔はどうだ、焼き方はどうだと、実はうるさい。

これといった決まりもなく、個性があるのですな。

今回は、この三人は、止せばよいのに私に焼きを任せた。

仕方なく、この私が一生懸命焼きましたね。

やらせりゃ上手い物ですが、滅多にやりません。

 
腹一杯に食べて、帰って参りました。


2008年5月15日 (木)

08/5船橋通信 vol.1

本日から東武百貨店船橋店6階イベントプラザで開催されております、「にっぽん全国 職人の技と和菓子展」という催事に出展いたしております。

Dscf1615_2 ネットには出てきませんが、チラシには「100枚限定 手染めハンカチ\1050-」と言うのが出ている。

最初の話では、ハンカチのコーナーを作り、「ハンカチ展」という物をやろうと言うことでありました。

来てみれば何のことはない、ただの特売で、拍子抜けもし、がっかりもしましたが、それでも一生懸命100枚飾りましてお客様を待つことにしました。

好きな人には何枚もお買い上げ頂き、特売になっていたとはいえ、私にとっては一枚一枚に物語がありますから、それを熱くお客様に語りましたね。

沢山売れましたが、その分、会計に走る回数も多かったわけで、今日は足がパンパンになってしまいました。

成績はまぁまぁでありますが、物足りないことは事実。

ハンカチに力を入れれば、そうなることは仕方ない。

ですから、特売にがっかりしたわけです。
 

しかし、限られた商品の数ですから、一週間を通せば、それなりの成績となることでしょう。

なにせここも、常連に支えられているところですからね。

全体の成績は、全ての部門で予算を達成し、めでたしめでたしですが、この百貨店の自力はこんなものじゃないはずだ。

 
さて、夕飯が問題だった。

もうお酒の顔も見たくないし、一刻も早くホテルに帰って一風呂浴びたい。

鍛冶屋に「人生を捨てるんですか?」とののしられても、大戸屋で定食をいただき、さっさとホテルに帰り、熱い腰湯にゆっくり浸かり、汗びっしょりになってこれを書いております。

これからストレッチをたっぷり致しまして、身体の疲れを分散させ、睡眠を取ることに致します。

2008年5月14日 (水)

「ばんや」

「ばんや」は「番屋」のことで、漁民が、漁場の近くの海岸線に作る作業場兼宿泊施設のことを言います。

 
朝5時58分足利市駅発の特急りょうもう号に乗りまして、北千住→錦糸町と乗り換え、午前8時ちょうどに船橋に着きました。

改札口を出ますと、紺邑の藍染めとハッキリ分かる作務衣をお召しの女性の出迎えを受けました。

船橋東武と日本橋三越で有名な、宇野澤さんの奥様。

ご主人は車でお待ちいただいておりました。

私もそれに乗り込み、一路房総半島は保田へ。

ここには近年有名になりました、「ばんや」という店があって、美味しい魚を驚くほどの安さで食わせてくれるというので、宇野澤さんご夫妻に案内していただくのです。

 
船橋の駅から渋滞を見込んで二時間掛かると思っていたのが、道路は全くのがら空きで、9時半に到着。

開店まで30分もありますので、雨の中、近くを散策してみました。

 
「ばんや」は漁協直営のお店。

Dscf1603_2 その漁協の上に待っている鳥たちのうるさいこと、多いこと。

カモメかなと思っていましたが、どうも鳴き声が変だ。

近寄ってみると、トビです。

こんな大群は、始めてみましたね。

Dscf1602_2 漁船は帰ってきたのか出ていないのか、網の手入れをしておりました。

お邪魔してはいけないので、遠くから遠慮がちのワンショット。

10分くらい前に店の前の干物やさんを冷やかしますと、ものすごい種類がある。

値段を見てびっくり仰天。

たっぷりと買って、来週届くように手配しました。

 
さていよいよ店内に入り注文。

奥様は鯵フライにその日あがった魚の寿司。

私もまねて、鯵の塩焼きに寿司。

宇野沢さんは、ヤリイカの定食。

そして千葉名物、トビウオのナメロウ。

 
最初に出てきたフライを一口頂いて、朝だから我慢していたのですが、たまらなくなってビールを注文。
 

ナメロウは大きなトビウオ一匹分。

鯵の塩焼きは、なんと三匹出てきた。

こいつははらわたがちゃんと付いている。

これがたまらなく美味でありました。

 
寿司だけはいただけません。

握りが機械ですね。

 
満腹、大満足して船橋に帰ってきて、東武百貨店の催事の搬入です。

ビールが効いて、最初はボーーーーっとしておりました。

何とか終わって、ホテルに帰り、のんびりした後、今度は船橋の「番屋」で夕飯。

 
ちょっと酔っぱらいました。

明日、この書き込みを添削し、間違いがあれば直します。

2008年5月13日 (火)

小学生達

今日は、前もってお約束していた閑馬小学校の三年生全員、総勢11名が藍染めを見に来ました。

五年生は、伝統工芸を勉強するから、長年相手にしてきましたが、三年生は初めてだ。

どうやって藍染めを説明しようかと思い悩みましたが、成り行きに任せることにした。

小学三年生と言えども、各々個性があるはずですから、話をしながらそれを見極めようと思ったわけです。

カミサンは、「黒砂糖を最初に舐めさせてみたら」なんて行っていましたが、これも、その時になって決めようと思った。

 
さて、実際に話を始めたら、みんなしっかり聞いているし、子供だと思ってこちらが合わせることもない。

それから二時間、選びつつも、私は私なりの言葉で、藍染めの話をしました。

 
楽しかったですが、それは私だけでなく、彼らも同じだろうと思う。

いや、思いたいな。

 
Dscf1580_22階では、カミサンは彼らに、自分でハンカチにアイロンを掛けさせておりました。

少しでも、自分の力が、このハンカチに加わっていると言うことを自覚させようと言うことらしい。

Dscf1584_2全員で記念写真。

楽しかった感じが伝わってくるし、さすがに田舎の子供達ですから、素直でとてもありがたかったな。



今日は、とても忙しい日そ過ごしましたが、カミサンに言わせると、毎日のことだそうな。

明日は、宇都宮と船橋の搬入。

だから、荷物を出す。

お直しの確認。

染め直しの確認。

カミサンは宇都宮に、私は船橋に行ってしまうから、その間の染めの打ち合わせ。

の間にDM制作。

私は、染め。

 
目が回る程だけれど、これがいつもの工房であるなら、カミサンはたいした働き者です。

 
何とか無事に一日を終わることが出来たけれど、カミサンはその上に夕飯の支度が待っている。

どうも、なんと申しましょうか…!

2008年5月12日 (月)

マニュアル車

近所の木工作家のMさんが、紺邑に入らした。

紺邑の2階を、よく知る職人や作家達のアンテナショップの如きギャラリーにしようと思っておりまして、M[さんにも参加して欲しいと、お話ししていたのです。

外でお話ししていると、軽自動車のワンボックスカーが入ってきた。

降りて入らしたのが、なんと、紺邑のお客様であり、マイミク(ミクシィ仲間)で七軒町の工房もご存じという、珍しい存在のnarjaさん。

ほぼ東京と言っても良い埼玉県のご自宅から、灰を持ってきて下さった。

 
narjaさんは軽井沢に山小屋と自称する別荘をお持ちで、そこの暖炉でとれる灰を、紺邑のために供給して下さっていたのです。

越前漆器の鈴木一九さんから頂いていた当時は、足りませんでね、narjaさんからいただいていた灰は実に重要で、ありがたいものでした。

もちろん、今でもです。

 
彼女は女性ライダーでもありまして、紺邑のオープニングのお披露目にはバイクでいらっしゃいまして、私どもを驚かせた。

そんな人ですから、お乗りになっている車は、なんと、未だにマニュアル車なのであります。

 
里山の保存にも力を入れられているので、紺邑の山をちょっとご紹介して、私どもの夢を語り、お昼はカミサンと三人で、飛駒にあるレストラン「カフェブロッサム」へ行って参りました。

子羊のグリル、オーガニックビーフ100%のハンバーグ、豚肉の塩漬けを、三人で回しながら食しましたが、結構なものでしたね。

パンは、バターか直輸入のオリーブオイルで、サラダは、近所で採れた野菜達を自分で塩・胡椒・オリーブオイルを好みで味付けするのも良いですな。

子羊は、オーナーが、薪ストーブでお焼きになる。

やはり、薪は料理を美味しくしますね。

ワインを飲めなかったのが残念。

紺邑に帰りまして、これから作る商品サンプルをご試着しながら楽しまれた。

 
お帰りになって、「楽しいお持てなしをありがとう」とメールが入りましたが、「ありがとう」と言うのは私たちの方です。

こういうお付き合いは、甲斐があるというものですね。

2008年5月11日 (日)

08池袋通信vol.6

遂に池袋最終日。

少し雨模様。

最終日というのは、どうも片付けに思いが行くので、落ち着かない。

工房に電話して、手染めのハンカチが何枚染まっているか、枚数を確かめて貰ったら、45枚だという。

もっとあるはずなのに、どうも変だ。

「売った?」と聞けば「売った」という。

しかたなく、最終日だというのにハンカチ制作に励みましたね。

それでもこの週に30枚くらいしか染まらなかったし、どうしても欲しいというご常連には、お譲りもしたので、結局100枚には足りませんから、明日から工房で染めなければなりません。

 
成績は、最大目標に後一歩というところまで来ていましたが、まぁ、無理かもしれないと思ったのがいけなかったのか、本当に後一歩というところで終わってしまいました。

それでも池袋としては大満足であります。

 
終わる頃、東急東横の名物催事担当の津田さんがお見えになった。

二階級特進の大出世をなさったが、態度も何も変化なし。

それが、この人らしいところでしょうね。

 
帰りに、一人打ち上げをやろうと思いましたが、良い店が見つかりません。

もうどうでもいいやと思って入った店が、気がつけば「甘味屋」さん。

かろうじて瓶ビールはありましたが、メニューにおつまみが見つからない。

まさか、ぜんざいやお汁粉でビールもありませんから、ラーメンのつけ麺とやらを頼みまして、さっさと食べ、湘南ライナーに乗って帰って参りました。

やれやれと、家でこれを書いております。
 

明日はnarjaさんが久しぶりに閑馬にいらっしゃるとのこと。

楽しみにお待ちしておりますです。

08池袋通信vol.5

池袋五日目。

この百貨店は、雨に弱いというのが通説。

ある流通業界大手の大社長は、「売り上げは天気次第だ」と言いましたが、それは言える。

 
案の定、閑散とした出だしでしたが、さすが老舗。

徐々にお客様がお見えになり、多分、夕方には全体も、なかなかの成績になっていたのではないかと思われます。

紺邑も、夕方閉店間際に、昨日のお客様が「やっぱり気になるから」と、埼玉県の桶川から来ていただき、今回持ってきた商品で一番高価な物を買って下さって、めでたしめでたしでありました。

一週間の最低目標はこれで達成ですが、本当の目標までには少し足りない。

あと一日、人事を尽くすことと致します。

2008年5月10日 (土)

作り手 使い手

昨日のことですが、一人の若い伝統工芸士が辞めたという知らせがありました。

よく知っている仲ですから、感慨無量。

それを教えてくれた職人は、「私だって分かりませんよ。

その内『あいつ何処に行った?』なんて言われるかもしれません」と語る。

かくいう私だって分からない。

日本の伝統文化という物は、風前の灯火。

だから命がけなのです。
 

私は、伝統というものは、意味があるから続いてきたのだと考えております。  

それは、人が生きると言う意味にも通じるとも思う。

辞めた奴の仕事も意味あることだけれど、「悪貨は良貨を駆逐する」の例え通り、粗悪な廉価品に負けているのです。

 
私たちは物を作るプロだ。

であるとするなら、それを使うプロが消費者ではないかと、私は思う。

それが皆、見る目を失っているのではないかな。

なんて、そんなことばかり言うから、嫌われるのでありましょうね。

誰に?って、悪貨の人達にです。

2008年5月 9日 (金)

08池袋通信vol.4

池袋四日目。

久々に朝ご飯を食べずに出勤。

お陰で腹が減り、11時にはお昼。

何とか一日を終わりましたが、今日は日本の誇るラテンの歌姫DIVA NORIKOと、世界的になりつつある日本を代表するフルーティスト赤木りえと、これまた、この男の真の略歴を披露すると、とんでもなく危険なカメラマンのYOKO.が来て、珍しく四人で会食。

現在、私になんだかんだと説教する唯一の男、YOKO.のしゃべるまいことか!

うるさいうるさい。

別れ際に、「今日のミクシィは、俺の悪口か!」と言うから、そんな物ミクシィなんかに書きはしませんっての!

堂々と、このブログに書かせていただきます。

 
それにしても、この男との付き合いは古い。

奥様のエッチャンとは、我が女房より古い付き合いだし、お互い、友達同士だ。

りえもNORIKO姐さんも、フムフムと聞いてはいたが、実のところは闇の中だろうな。

 
生死を分ける戦いの中をくぐり抜けた男だが、そんな気配は全く見せない。

料亭の息子だから、料理にうるさいけれど、そんなことも全く見せない。

一見気弱そうだが、事実は、空恐ろしい男です。

 
これまたその昔、赤木りえのレコードジャケットを、私が頼んでこの男が撮った。

NORIKO姐さんとは、色々あった旧知の共通の知人もいる。

そんなこんなで話が盛り上がり、私としては、いつになく遅い帰ホテルであります。

 
鼻風邪もすっかり良くなりました。

いよいよ明日は池袋の最終日だ。

藍建て、藍染めで、私に異論のある人は、どうぞ、お越し下さい。

忌憚のない意見の交換をすることは、願ってもないことだ。

そんな勇気のある人がいましたら、三越池袋店7階催事場に、紺屋大川はおります。

 
なんでこんな事を書くかと言いますと、ある掲示板で、私の
事が取り上げられているらしいからです。

ご存じの通り、私は実名で、ブログを書いておりますから、逃げ隠れいたしません。

いや、出来ません(涙

 
それに、私のモットーは、「誤りを改むるに憚ることなかれ」ですから、素直な物だ。

こういう話しも、飲んでいるときに出ましたが、私は何とも思いません。

私の意見や書き込みに、異論反論あれば、いつでもブログにコメントかメールを頂きたい。

素直にお答えする所存!

2008年5月 8日 (木)

08池袋通信vol.3

池袋三日目。

とにかく鼻風邪を何とかしなければならない。

カミサンによると、どうも、お母さんの引いた風邪を引き継いでしまったようです。

ゆっくりたっぷり寝ようと、昨日書いたとおり早く寝ましたら、何となく嫌な気がして起きたら地震!

地上14階の部屋は、ゆったりゆったりと、気持ち悪く揺れております。

これでちょっと起こされましたが、ワインを半分くらい飲みまして、今度は八時まで寝ることが出来ました。

地震に関しては、我が家はたいしたことなかったようであります。
  

「訃報」という題で、大阪の田辺先生の死をお伝えしましたが、今回は、親父殿の代から二十数年もお付き合いしていた、秋元兄弟の弟さんの訃報を聞くこととなりました。

親父殿の藍染めの大ファンで、東京中、いや、埼玉、神奈川までお出かけいただいたもので、多分、タンス一杯お持ちであったろうと思います。

これでお兄様は、姉上と弟さんを亡くされ、一人ぼっちとなりました。
 
ポケットから藍染めのハンカチを出してくださいますと、十数年前の私の染めた物。

「私は良い出来のハンカチは自分で持っているが、出来の悪いのは人にあげているのだ」とおっしゃる。

ありがたい。

その柄が懐かしく、お陰で当時の柄出しを沢山思い出しまして、今日一日ハンカチを染めておりました。
 

   
染めていますと、人が集まりは致します。

それが販売には繋がりませんが、良い機会ですから、丁寧に藍染めについて語ることにしております。

 
その内のお一人が、恐る恐るという風情で私に藍建てについて質問なさってきた。

お話ししているうちに、「実はブログを読んでいまして、そこで池袋の催事を知って、ここなら行けると思って、参りました」とおっしゃる。

驚きましたね。

この方は、藍染めのサークルに入っていて、どうも疑問に思うことがあり、藍染めについて知りたくて、ネットを検索しているうちに、私のブログに行き当たったとのこと。

良く読んで下さっていることが、お話ししていて分かります。

なるべく詳しく分かりやすくお話ししたつもりですが、今後も何なりとお訪ね下さい。

私の藍建てと藍染めに、秘密やウソなど、一つもありませんからね。

 
この方はなんと、お買い物までなさって下さった。

実は、こういう事が大切なのだと私は思うのですが、人に聞くだけ聞き、礼も言わず帰る人が多いのです。

特に、教室に通っている人や、中途半端な物作りしている人に多く見受けられる。

こういう人は、「心」が分かりませんから、結局、藍染めも分かりはしません。

多分、そう言うつもりではなく、気に入ったから買って下さったのだとは思いますが、「心」があるからこその事で、また、だからこそ、ご自分のなさっている藍染めに、疑問を持たれたのだろうと思います。

またお会い出来ることを祈っております。
  
 

通りがかりの高校生か大学生と覚しき女の子が、「わぁー懐かしい匂い」と言う。

どうも、何処かで藍染めをしたみたいだから、「あのね、君!君が簡単にできるような藍染めを、職人の私がしていて、それを販売しているとしたら、お客様にも百貨店にも失礼な事だと思わないか?」と言ってみた。

そしたら隣のお母様が、興味深そうに私の話を聞いているから、私の藍建てと藍染めの話を、実演を交えながらお話しして、「いいかい!?こういう仕事は、職人として修行が必要なんだ。君のやったような簡単な藍染めを、もし学校で教えたとしたら、教えた先生は、罪作りというものでね、君たち生徒に、修行や練習が必要なものがあることを、分からなくさせてしまったのだ」と、また、余計なことをしゃべってしまいました。

ところがこのお母様は、「全くその通りね」とおっしゃる。

そして、なんと二つも買って下さった。

その間、二人ともニコニコとずーーーーっと上機嫌。

実にすがすがしい親子でありましたね。

 
今日のお客様は、秋元さんを含めて、この三人だけ。

結果は寂しいけれど、中身の濃い一日でありました。

  
仕事は終わりましたが、先ずは鼻風邪を治さなければならない。

そして、大阪の名和さんから手紙を頂きまして、「お酒を飲むならブログを書いてからにして」という仰せがあったから、また中華を軽く頂き、ビールを瓶半分くらいにして帰ってきて、このブログを書いております。

これからワインを少し頂き、薬を飲んで寝る予定であります。

2008年5月 7日 (水)

08池袋通信vol.2 うなぎ

池袋二日目。

朝礼に寄りますと、初日は実によろしき成績の様でした。

事実、各店舗の実績を見ますと、とても池袋三越とは思えないすばらしいもの。

今日はそこそこすばらしい成績で、誰も文句は無いでしょうね。

 
しかし、紺邑に限っては、困難があった。

なんと、最初のお客様が、キャンセルの人。

それも、ハギレだってんですから、何をか言わんやであります。

少しがっかりしましたが、こんな事にへこたれていられませんから、その後、小山さん達の協力を得ながら、二日合計すると、一人前の成績となりました。

 
珍しく、鼻風邪を引いたようです。

終わり頃来た企画会社の藤田君にも、「完全に鼻声ですよ」と言われ、一念発起いたしまして、ウナギ屋で栄養をとることにいたしました。

 
池袋でウナギというと「うな鐵」だけれども、私にとっては駅向こうで遠い。

だから、誰にも告げずに「うな達」に一人で行って参りました。

 
ここは、サラリーマン御用達の居酒屋風ウナギ屋。

ボトルキープは皆、焼酎の一升瓶だし、つまみは飲み助むきの物ばかり。

一升瓶のボトルが、カウンターの下に並んでいるのは、壮観でありますよ。

 
先ずは瓶ビール(大)を頼んで、鰻の頭、キモ、ヒレなどを頼み、ビールが終わった後、酒をつけて貰って、豚のレバーとニンニクの串焼きを頼み、その間、ラッキョウをつまみながらと言う、ものすごい精力的食品をたっぷりと頂きました。

最後の仕上げは鰻重の特上ときたもんだ!
 

ホテルに帰って、パブロンを飲み、水をたっぷりと飲みまして、これから休みます。

果たして眠れますやら…!?

2008年5月 6日 (火)

08池袋通信vol.1

池袋三越の「匠の技展」が今日から始まりました。

準備は今朝の六時から。

私は七時頃に入りましたが、樽細工の鎌田さんや柘植櫛の森さんなど、「現代の名工」達も、朝早くから一生懸命働いておりましたね。

 
今回の初日の「オープニング・サービス」として、紺邑は「藍染めハギレ詰め合わせ50点限り税込み\1,050」と言うのに参加しました。

発案は、担当の渡辺さん。

小林さんが一生懸命詰めた物ですが、彼女は紺邑の小物担当ですから、ご自分の視点でハギレを入れておりますので、すこぶる評判がよろしいのです。

お昼には完売!

私はこれに掛かりきりで、疲れましたね。

午後はどうなるのだろうと思いましたら、常連も沢山見えられ、レストランの目の前に紺邑はあるので、そこにお立ち寄るお客様にも、次々とお買い物をしていただき、池袋としては上々のスタートとなりました。

 
全体も非常によろしいらしく、渡辺さんも、企画会社担当の小山さんもホッとした様子。

彼らは、夕べ遅くまでかかって商品の搬入をし、今朝、我々よりも数段早くから店に入って、会場の準備と我々の手伝いをしていたのですから、ホッともしたろうし、内心はうれしいことでしょう。

ご苦労様です。

 
今日は全員疲れておりますので、三々五々解散し、私も中華の定食で夕飯を済ませ、早々に帰って参りました。

 
ただいま泊まっているホテルで、少々約束事の食い違いが起きております。

私は「約束違反だ」と思っておりますし、先方も考慮中。

それによっては、明日チェックアウトしようと思っております。

怒っているわけではありません。

納得がいかないだけであります。

 
ただいま、ホテル側とお話を致しまして、全て納得の上、週末まで泊まることに致しました。

めでたしめでたしであります。

2008年5月 5日 (月)

奇遇

お休だから、もしお客様が工房にいらしたとしても、午後からかな!?なんて甘い考えでおりましたら、工房に泊まったひろこさんから電話が入り、九時半前に二人の女性がお見えだとのこと。

慌てて飛んで行きまして、御挨拶しますと、どうも見たような竹のバッグをお持ちだ。

「ひょっとしてオンセの…?」とお聞きすると、高江さんのファン。

なんと、オンセのホームページで見て、地元の私の工房をお訪ねいただいたという。

驚きましたね。

オンセのホームページを見なければ、紺邑が分からなかったとおっしゃる。

話をしてみましたら、私が大川だと解った。

この方、私のコンサートまで来ていただいているし、我が弟と同じ会社の人ありました。

お昼頃まで紺邑でお楽しみ頂き、お買い物もしていただき、お蕎麦屋さんの久保さんのところに行かれた。

 
もう一人の方は、ハーブに興味をお持ちだから、これからの紺邑でたっぷりとお楽しみいただけると思います。

 
昼過ぎには、大船から、紺邑のパターンを担当なさっている路さんがいらっしゃり、その後は、姪夫婦が遊びに来た。

 
賑やかな一日を過ごし、私はただいま池袋におります。

明日から三越だ。

2008年5月 4日 (日)

同級生

Dscf1571_2 閑馬のあちこちで、草を刈るモーターの音が聞こえてきます。

その合間に、ウグイスなどの小鳥の声。

そして、もうクロアゲハが飛んでいる。

朝から、ひろこさん達はくつろいでおりました。

 
昨日の夕方、栗原さんが紺邑にお出でになったらしい。

Dscf1572_2 ご用は何かいなと、工房をお訪ねしたら、登り窯で焼いている真っ最中。

真っ黒い煙を、空一杯に吐き出しておりました。

これじゃぁー、焼き物は田舎でなければ出来ないなと実感しますね。

 
Dscf1574_2 薪が庭中一杯だ。

これが濡れていれば温度が上がらず、それで、何もかもおしまいだから、非常に神経を使っている様子が分かります。

この木の灰は、藍建てには使えません。

 
ご用件をお聞きすると、犬を貰ってはくれまいかということ。

ただし条件は、座敷で飼って欲しいというもの。

 
紺邑では犬が欲しいことは山々ですが、洋服を扱っていますから、家の中では飼えません。

どなたか、飼っても良いという方がいらっしゃいましたら、ご一報下さいませ。

ゴールデンレトリバーの五歳の女の子で、躾はしっかりされているとのことです。

 
 
Dscf1570_2 紺邑の前の道が、広くなります。

こちらからの方が、車で入って来易い。

そこから、初心者マークの車が紺邑に入ってきた。

運転席を見ると、白髪の初老の男性だ。

あんな年で珍しいなと思っていると、高校の同級生の関口が降りてきた。

 
この前会ったのが、三年前。

新聞に私が載っていたのを見て、奥さんと来てくれたらしい。

 
飛駒の出身とばかり思っていたのですが、閑馬で育ち、閑馬小学校に通っていたとのこと。

我が母校までの16㎞を、自転車で、それも大正時代のトンネルを抜け、砂利道の峠を越えて通っておりました。

それだけで、話題の男だったのであります。

 
奥さんが言うには、自転車に乗って足腰が鍛えられ、中距離走が早くなったと自慢していたらしい。

クラスで七番だったそうな。

一番は誰かと言いますと、私であります。

学年で私より早いのが三人いた。

一人は、中距離の県記録保持者で、こいつは抜群に早かった。

二位と三位はハンドボール部で、四位が青少年赤十字団(JRC)団議長で、女子校の生徒達とボランティア活動ばかりやっていた私(我が母校は男子校)。

陸上部より速かったから、校内マラソン大会であいつらを抜いたときの、「ちくしょー」と言う声が心地よく、今でも耳に残っております。

 
そんな思い出話をしているうちに、なんと買い物をしてくれた。

割合高い物を買ってくれて、これはうれしかったな。

この男の商売が、上手くいっている証拠のようなものですからね。

そう言えば、夫婦共に、良い顔をしておりました。

 
これから夕飯。

野菜たっぷりのスープでワインをやる予定。

多分、バタンキューとなる予感がしますね。

芸事

閑馬では、今時は苗床を作る準備。

閑馬農業部は、その手伝いに東京から来た。

三時休みに、その状況を見に行きますと、ちょうど仕事が終わる頃。

みんなで蕎麦屋の久保さん家(ち)で休憩。

「酒飲むかい?」と言われれば、断る手はありませんから、冷や酒をクイクイとあおるように頂きましたらへべれけ!

それから記憶が無く、気がついたらこの時間(午前2時)。

携帯電話に鍛冶屋からの着信がある。

何の用かいな?

さてこれからどうしましょ!?

寝ますかねzzzz

寝られるかな?

 
寝られずにメールチェックしていたら、大阪の名和さんから入っておりました。

「ブログ楽しみにしてますが、たまには笑えるのもお願いします」って、大阪の人をわらかすほどの物は難しいですよ、ってね。

 
 
息子がさっき帰って参りました。

夜中の二時半。

こいつはギター弾きを目指している。

私はその関係で飯を食ってきましたから、他所の若い者がミュージシャンになりたいと言えば、「止めておけ」と言う。

この世界で飯を食うだけでも大変だからです。

それに、長く続かない。

宮野君赤木りえと言った、超一流は別です。

ああはそうなれるもんじゃぁありません。

我が息子の場合は、「勝手にしろ」ってなもんです。

職人の息子ですからね。

  
 

それにしても、子供達は皆、「芸」の世界に行っちゃった。

親が親だから仕方ないが、これがまた、いわゆる「タレント」には成れないのでありますよ。

 
長女は、十代の終わりに、さる超某有名タレント集団と仕事をした。

でも、「下手になる」と言って、それ以来そういう仕事をしない。

例外は、世界的某超有名歌手のツアーの仕事を最近したくらいで、テレビ番組のレギュラーの仕事まで止めちまうのであります。

 
閑馬の農業部は、某超有名芸能プロダクションの連中だが、これに我が息子は全く興味を示さない。

そういう世界に行きたいとも思っていない。

宮野君は尊敬している。

だから私たちも、某超有名プロダクションのプロデューサー達に、ギター弾きを目指す息子の話もしない。

 
彼らがタレントを連れて来た時、「会ってみるか?」と言ったって、「微妙」とか言って演奏を聴こうともしませんからね。

宮野君が来れば、楽器運びまでするのに。

 
親の血という物は、怖いな。

2008年5月 2日 (金)

閑馬 園芸部 農業部

閑馬の紺邑は、全部で4段構成になっています。

一段目は、井戸のポンプが主体。

二段目は、工房が建っている。

三段目は、梅の木の大木をランドマークとした広場。

2007_05043四段目は、さて、一年前の記事を読みますと、「我が工房の土地は、四段で構成されております。その一番上から見た工房ですが、遙か彼方だな。勝手な希望では、この一番上に、本当の住まいを建てたいと思っているのです。立っているのが、我が次女。」と私は書いている。

さて一年後…
Dscf1567_2 開墾されて、畑にされようとしております。

ここは取りあえず、閑馬農業部の連中が、作物を作る練習場となり、その内、ハーブ園にしようという魂胆が、我がカミサンに出来上がってしまいました。

ここの土がまた、作物を作るのに、最適。
 

紺邑には、農業部と園芸部とある。

園芸部部長は、言わずとしれた村井さんで、農業部部長は、太田さんという人。

村井さんはプロだが、太田さん達は、農業は全くの素人。

だから、練習場が必要なのです。

総勢15名かそれ以上。

皆さん東京の方々。

蕎麦屋の久保さんのご主人が先生で、明日雑草取りやら籾殻の扱いを学ぶらしい。

 
太田さん達については、追々ご紹介するとして、閑馬も賑やかになりました。

2008年5月 1日 (木)

「灰」「釉薬」「紺屋の明後日」

浅草で泊まったホテルは、シモンズベッドとやらが入っておりまして、小綺麗で安くて親切で、インターネットの環境も良く、とても気に入りました。

昼前に帰って参りましたが、やはり疲れているのか、お昼も食べずに布団に潜り込んで爆睡。

午後起こされて、閑馬へ。

用件は、お客様への、納期遅れの報告という、余り楽しくないお仕事。

最近まで藍が元気が無く、現在使っている灰に変えるまでの苦労が、納期遅れになってしまっているのです。

紺屋の明後日」そのものだ。
  

一番最近の灰を紹介してくださったのは、ご近所の陶芸家の栗原さん。

純粋な楢の木の灰なのですが、灰汁を取った後は、釉薬として使えますので、栗原さんに取りに来てもらいました。

Dscf1565_2_2 灰汁をとった後の状態を見てもらい、納得してもらいましたが、「灰汁の状態はどのくらい良いのですか?」と聞かれまして、「よろしいですが、その前に、『ものすごく』を付けるくらいよろしいですよ」と申し上げますと、「どのくらいなのでしょうか?」とお聞きになるから、藍甕をお見せいたしました。
  

Dscf1566_2_2 実際に、釉薬として使う灰なので、しっかりと燃やしておりますし、色として結果の出ることですから、全く純粋に楢の木だけの灰です。

確か、省ちゃんのところも楢じゃなかったかな?それともブナだったかな?

 
この辺りは、藤が盛んに咲いております。

足利フラワーパークの藤棚も有名ですが、この辺りの自然の藤は、それを凌ぐほど良い物だ。

Dscf1563_2お隣の、野生の白藤は、一年前にこのブログでご紹介しましたが、今年もきれいに咲いております。

一見の価値ありだと思いますよ。

ウグイスの鳴き声を聞きながら、如何でしょうか。

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