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2008年7月

2008年7月31日 (木)

08/7吉祥寺通信vol.1

吉祥寺初日。

初めて吉祥寺東急インに泊まりましたが、実に快適。
しかし、一泊だけの、急遽入った客だからか、エレベータ横の部屋だったので、一日中、妙な音に悩まされてはおりました。
名残惜しくもチェックアウトし、伊勢丹のお仕事が始まった。

だれも期待していないと思える催事でしたが、前年の紺邑の実績を見ると、これがなかなかの成績。
本日も、お客様の出足も好調で、終わってみれば、全体はものすごい成績。
驚き、恐れ入りました。

我が紺邑は、午前中にベストジャケットが出まして、めでたく目が開いた。

府中で「待てば海路の日和あり」を実感しておりましたので、しばし待っておりますと、ぽつぽつとお客様がいらっしゃる。

そんな中、「ブログを見てます」とおっしゃるお客様が見えられた。
「どちらからですか?」とお聞きすると、なななんと、福島県のいわき市からだ。
フム!?と頭の中が回転し、日本橋三越でお買い物なさってくださった方だと直ぐに解りました。
閑馬にも、ご主人と入らしていただいていますし、カミサンから、実に詳しく報告を受けております。

まあ、紺邑の為だけにお出で下さったわけではないにしろ、実にありがたいことで、藍染をしていて良かったと思う瞬間であります。

色々お話しを致しましたが、何せこのブログをお読みだから、長年の知己の如き会話となりましたね。
楽しい経験をさせていただきました。
感謝感謝であります。

終わりまして、疲れた身体に鞭打って、初台の台湾料理屋でDIVA NIRIKO姐さんとデート。
食べたら、ちゃんとした台湾料理。
まるで、台北の屋台にいるようでありました。

余りに懐かしい味だから、「玉子の焼いたもの出来る?」と聞くと、メニューには無い、台湾の餃子屋の卵焼きが出てきた。

二人で紹興酒を、グイグイと呷るように飲んで、食いまくって帰って参りました。
ちょっと遠いけど、子供たちを連れて行かねばなりません。

紺邑も私もカミサンも、こう言っては何ですが、ちょいと運気が上がってきたような、そんな元気を頂いた一日でありましたとさ。

2008年7月30日 (水)

お陰様

オンセの高江さんのブログに「趣味で竹細工をしている人たちが次々とやって来る。工房の見学の申し込みがあったり、バッグの作り方を聞かれたり、『私の所も隠す事はありません、すべてオープンにしていますから何でも聞いて下さい!』と」と書いてあります。
紺邑も、隠すところは一つもない。
だから、何でも聞いてください。

何故秘密がないかと言えば、その正直さが色に出ると考えているからです。

「企業秘密」なんてものは、簡単に真似される程度の物だからだと、私は不遜にも思っております。
これは、教えるだけで解ってしまう物だと言うこと。
解ったと思った時点で、成長は止まる。
だから、そういうものはちっとも怖くない。

職人は、これを身にしみて感じているいるはずだし、感じられなければならない。
だから、隠す所なんか、なにもない。

私は旅が多いが、いつも藍染のことを考えている。
その昔、90歳を超えて、絞りや縫い物をして下さっていた「島田のおばさん」が、「公ちゃん(私)が帰って来ると、色も柄も変わるねぇ」と言ってくれたのは、旅作で考えたことを、帰ってきて試してきたからですね。
その集大成が「紺邑」の色なんです。

これは、技術だけでは出ません。
私の考えや想像力が生み出した物だから、いわば「個性」と言っても良い物だ。

しかし「個性」とは、一人の想像力や思いだけで出せるものでもない。
そこには出会いという物が必要なんですね。

でも、「出会い」は、「思い」によって生まれる物。
思わなければ、出会いもありません。

「木灰」は、現在の日本では、そう簡単に手に入るものではない。
燃やせば良いと言うものでもない。
それは、燃やした人でなければ解らない。
でも、欲しいという想いが、一九さん、宮崎のまっちゃん、narjaさん、郷原さんや、ご近所さんたちとの出会いに繋がった。
林業の里の閑馬に私たちが居るというのも、そんなところにあるのではないかな。

久留米絣の省ちゃんとの出会いで、「貝灰」を知ることが出来たのも、私たちの、藍染に対する熱い想いの語り合いからだった。

黒砂糖を使うというヒントは、星野先生から頂いたし、藍建てのヒントも、沢山頂きました。

黒砂糖は、物産展で卸業者と知り合うことが出来、その人が沖縄の農家を教えて下さって、最初はそれをいただいておりました。
一時、沖縄の黒砂糖が不作で手に入れることが出来なかったとき、今のマスコバド糖を教えて下さったのは、パン職人でもあるひろ子さんだ。

切りもないほどの良い出会いが、私たちを支えて下さっております。

「お陰様」と書きましたが、実は、こんな想いが入っているのす。

昨日、ちょっと工房に行き、郷原さんから届いた灰の「灰汁」を、見て触って感じたことでもあります。

郷原さんには、良い灰を分けて下さり、この場を借りて感謝申し上げます<(_ _)>

もちろん、郷原さんとの出会いを作ってくれた鍛冶屋にも…

2008年7月29日 (火)

08/7府中通信vol.6 「お陰様」

府中最終日。

朝一番に、昨年九月にご注文いただいて、ようやく出来上がったスカートを、調布の中山さんが取りに来て下さって、めでたく目が開きました。
古い古いお付き合いで、それに甘えて、出来上がりに一年も掛かっちゃった。

お陰様で、昨日と同じように、お昼をゆっくりいただけた。
メニューは、ニンジンなど野菜がたっぷりと豚肉の入ったキクラゲと玉子の炒め物に、納豆とまたまたヒジキの小鉢で、山の幸、海の幸に加え、タンパク質のバランスも取れた結構な物。

売り場に帰りますと、二日目にTシャツをご注文いただいて、最終日にそれが届き、お電話差し上げていたお客様が来て下さった。
「私はストレスがたまると、買い物しちゃうのよね」なんておっしゃるから、「それは私どもにとっては、結構なストレスですねぇ」なんて戯れ言を言っていたら、七分袖のブラウスとTブラウスも買っていただき、これだけで府中としては立派な成績です。

そろそろ片付けの準備をしようと思ったところに、初めてのお客様が立ち止まって下さった。
「そろそろ終わりね。もうちょっと付き合ってね」なんておっしゃりながら、遊んで下さる。
茶羽織風ベストをお召しになったら、これがお似合い。
目の前の小島人形の一家が、「それがお似合いですよ」なんて、助け船を出して下さる。
「そうね、これにしましょ!」でお買い上げ。

有終の美を飾ることが出来ましたが、鳥井ちゃん始め、回りの皆さんに助けられながら、お陰様の一週間でした。

ふと、村井さんの売り場を見ると、末広町の佐々木一家が居る。
お昼の仕事だけで切り上げ、遊びに来たそうな。
「大川さんは、終わってからどうしますか?」と聞くから、「ちょいと飯を食ってから帰る」と答えると、「じゃー、ご一緒しましょう」って事になって、鍛冶屋と佐々木一家とで夕飯。

鍛冶屋に寄れば「ホテルの先の定食やですよ」と言うことだったが、行ってみるとちょいとした小料理屋だ。
色々と料理が運ばれてきて、それなりに食わせる物だから、酒も進んじゃって、遂にワインも開けた。
カミサンから電話があって、「今日はどうするの?」と聞かれ、ついつい「浅草かどっかのホテルに泊まって、朝早く帰る」と言っちゃった。
それを聞いた佐々木が、「そんなら、私の家に泊まって下さいよ」言うもんだから、泊まらせてもらって、朝早く帰って参りました。

月末で、社長業が忙しいのでありますよ。

閑馬の工房に顔を出し、藍建ての指示をし、銀行を2軒回って、また館林から電車に乗って、一路、吉祥寺伊勢丹へという所であります。

涼みがてらにでも、是非、伊勢丹吉祥寺店にお出かけ下さいませ。

2008年7月28日 (月)

08/7府中通信vol.5 「待てば海路の日和あり」

府中五日目。

「暑さで人が来ないのかな?」という意見があります。
そうかもしれないが、マスコミの「熱中症に注意」なんていう余計なお世話にも、原因があるかもしれませんね。
相変わらず、そんな閑かな会場でありました。

朝飯をどうしようかなと、考えながら出勤しましたが、考えている内に伊勢丹に着いてしまった。
社食が開くのが11時と早いので、それまで我慢すればいいやと、催事場に入ってしまいました。
しかし腹は減っている。

我慢して我慢してようやく11時だ!

さて、飯だ!と、食堂に向かおうとしたら、藍染が目についた。
しかも、紺邑の藍染だ。

昨年お求めいただいたご夫妻が、斜め前の筆屋にいらっしゃったのです。
ご主人が、紺邑のダブルガーゼのシャツをお召しで、後ろ姿でしたが、紺邑の色は直ぐに解ります。

「こりゃいかん!朝飯どころではない」と、思いとどまり、売り場でお二人を待つことにしました。
なにせ、一人のお客様とお話しすることも滅多にないことだし、しかも、紺邑のお客様なんですから、これを千載一遇のチャンスと言わずしてなんと言いましょうか!

ところが、待てど暮らせど、筆屋でお話しが弾んでいる様子。
こちらは、腹の虫がうるさい。

ようやく、筆屋を離れたと思ったら、遠く、大島紬の城の方に行ってしまわれた。

あらら、と思いましたが、お二人を信じて、素知らぬふりをしてお待ちしておりましたら、ようやく、我が紺邑の売り場までご到着。

「お久しぶりです」と、腹の減っていることを悟られぬようにご挨拶。
直ぐに、紳士物のハンガーラックに目が行き、私もこれをお勧めしようと思っていた、楊柳の綿のシャツをご覧になって、「あら、これが良いわね。一年に一度だから、いただきましょう」とおっしゃり、めでたく商談成立(^^)/

目が開いて朝飯が食えるなんて、こんな良いことはありません。
肉じゃがと麦とろの定食に、冷や奴と、ひじきに大豆の入った小鉢をゆっくりと頂きましたね。

その後も、ぽつぽつとお客様にご来店いただきましたが、思わしいというほどでもない。
しかし、仕方ないなとも思える程度でありました。

が!

終了間際、母子のお二人にお立ち寄りいただいた。

「あら、栃木!?」
「はい。佐野から参りました」
「栃木にも藍染があるの?」

なんて言う会話から、その方も栃木出身であるという所までこぎつけた。

益子や日光や大平下などという、栃木県出身者でなくては出来ない話題で盛り上がって参りました。

お嬢様が、レースのワンピースを見だした。
お母様がそれを見て、「あら、お似合いよ」と気取っておっしゃる。
「ご試着してみますか」と試しに言ってみたら、「そうね」とのお返事。
あれ!?脈があるのかな?なんて思いながら、贄田シルクに試着室をお借りした。

これが良くお似合い。
「買いなさいよ」と、神様のようなことをおっしゃったのはお母様。
「そうね」と、これまた仏様のようなことをおっしゃったのはお嬢様。
「ありがとうございます」と言ったには、救われた私。

会計をしようと売り場に戻ったら、今度はお母様が、新作のワンピースをご覧になって、「これなら私も着られそうね」とおっしゃるから、またまた、贄田シルクへ。

試着したら、これまたお似合い。
そこにお嬢様が、なんと、別のワンピースを2着も持ってきて下さって、それも試着。
「あら、良いわね!これも良いわね!」で、都合三着お求め。

会計と梱包をしている間に、また栃木のお話し。
「私が栃木出身って、よく分かったわね」とおっしゃるから
「いえ、栃木弁は直ぐ解ります」とお答えすると
「あらぁー、最初は気取っていたのに、わかっちゃった?」と大笑い。

会計も済ませ、品物の包装も終わり、全て終わったのだけれど名残惜しそうなご様子。

ついでだから、和泉木綿を手絞りして染めた反物をお見せした。
そこに、ちょうど鹿児島から戻ってきた芭蕉布の鳥井ちゃんが居たから、着たらどんな感じになるかをやってもらった。
そうしたらこのお二人、考え込んじゃった。

そして一言、「もらう」!

寸法を鳥井ちゃんに測ってもらって、お仕立てすることになりました。

驚きましたね。

今回は、「果報は寝て待て」ではありません。
「待てば海路の日和あり」の一日でありました。

2008年7月27日 (日)

名は体を表す

明日は長女の誕生日。
名を「麻衣」と言います。
このブログでは、「ヒップとシップ」で、ちょっと紹介させていただいた。

本当は「舞」と名付けたかったのですが、大川という姓に対して重い。
「舞子」とすればバランスが良さそうですが、どうも字数がよろしくない。
そこで、麻衣としたのですが、それは、私たちの初めての子として、無事にすくすくと育って欲しいという願いもこもっておりました。

絵に才能があった。
3歳で、既に大人の絵を描いておりました。
知り合いは皆、絵描きになるだろうと思っておりましたし、長じた今も、絵が上手いことには変わりない。
こればかりは、才能ですね。

言っておきますが、私は全く駄目!
絵心も才能も持ち合わせておりません。
カミサンは実に上手いし、大した物だが、麻衣の領域ではありません。

特別だと私たちは思うけれど、ダンサーになってしまった。
何でだろう?と思うが、生まれたときに「舞」と名付けようとしたことにも必然があるのでしょうかね。

生まれたときから音楽に囲まれ、子守歌がスティービー・ワンダーだし、家にはスタジオ・ミュージシャンなんかが出入りしていたし、DIVA NORIKO姐さんもいたという環境だから、その影響も大きかったのでしょう。

高校を卒業したとき、高校に頼まれて、さる有名大学を受験し、見事合格したけれど、ダンスの専門学校に入っちゃった。
そっちの方が、入学金が高かったのに、半年も経たず、「辞めたい」と相談があった。
聞けば、レベルの問題だから、「辞めちゃえ」と言ったのは我がカミサン。

それから様々に良い出会いと努力と才能で、日本では行く所まで行ったかも知れない。
良くやっていますが、この世界は、経済的には恵まれないということと、年齢と体力に限界もある世界だから、職人の娘で良かったという時が来るかも知れません。

Dscf1772 明日は一端帰るので、「今日は誕生日のお祝いをします」と花宇宙の村井さんにお話ししましたら、すてきなローソクを頂きました。
そこには「I dance even when the wind blows」と書いてあった。

このローソクに火を入れ、次女の残していったドンペリを開けて、お祝いを致します。

08/7府中通信vol.4

府中四日目。

昨年、ご注文を頂いたのですが、なかなか合いませんでね、二度作り直しても駄目で、結局キャンセルとなったお客様がまた見えられ、ご注文いただいた。
なかなかに難しい注文ですが、修行と思ってお作りすることにしました。

その昔、京王で、我が兄弟子から藍染を買ったというお客様が、ヒョイとブラウスをお買い求め。
栃木の藍染というチラシをご覧になったのでしょうが、私を見て、「あら?私があった人より若いわ!」とおっしゃったので、直ぐに兄弟子の小松さんだと解りましたね。

「最近、藍染に凝っているんだ」という男性が、Tシャツをお買い求め。
どんな藍染にしろ、凝っていただいていることは、まあ、ありがたいことです。
「おたくは武州?」と聞かれましたが、「いえ、栃木です」と、普通に答えておきました。
機嫌が悪ければ「とんでもない」という、相手の言うことを強く否定する形容詞(大辞林)をつけるところです。
こういう表現は、微妙で解りづらいでしょうね。
ご勘弁下さい。

終わって駅に急ぎますと、弘前のアケビ細工の変人、古川さんがホームに立っています。
聞くと、お兄様のところから通っているらしい。

私は娘の所からだし、宮崎の家具屋さんも、東京のバッグやさんもそうだ。
こんな時にしか逢えませんからね。
もう人生も先が見えてくると、何回逢えるのかな、なんて、考えてしまいます。

娘の家の前の中華屋で、またも中華。
帰ってきて、ユー・チューブで音楽鑑賞。
この子は、音楽がないと夜も日も明けません。

足をマッサージしてもらいながら、懐かしい音楽と、新しい音楽を満喫し、眠りにつきましたとさ。

2008年7月26日 (土)

暑中見舞い

暑いですねぇー(^^;)

暑中お見舞い申し上げます。

全国百貨店協会は、二酸化炭素排出削減に協力するために、冷房を2度上げているそうです。
それでも、催事会場は寒いくらい。
背広を着た社員にちょうど良い程です。

口だけかな?と思っておりましたが、所用があって1階下に行ってみましたら、なるほど暑い。

何故、催事場だけが寒いのか、不思議でありますが、中には「お客様の数の問題じゃないの」と言う奴もおりますが、大きなビルの空調は、難しいのでありましょう。

まだ涼しい午前中に百貨店に入り、涼しくなりかけた夜、外に出る生活ですから、未だ、その暑さを経験しておりません。
だからこそ、体調に気をつけなければなりませんが、ブログをお読みの方はお分かりでしょうが、何もしておりませんね、私は。
しいてあげれば、冷房の効いた社員食堂での昼寝くらいか。

皆様もご無理なさらず、ご自愛くださり、この暑い夏を乗り切って下さいませ。

2008年7月25日 (金)

08/7府中通信vol.3

府中三日目。

25日の給料日と言うことを期待しましたが、はずれてしまいました。
まあ、良いでしょう。
成績はともかく、気持ちよく仕事をさせていただいております。

朝の出勤も、ラッシュとは逆方向ですから楽な物。
8:50に娘に見送られ、9:33分に府中駅に着く。
吉祥寺も、ここに泊まらせてもらう予定ですが、何日かは追い出されそうだ。
仕方ない。

今日は、大森君と城に、鍛冶屋の武田を入れて夕飯。
それに加え、パールの長谷川君、通販のコーディネータ加藤さんも参加。
大森君も城(きずき)も、酒が飲めませんから、宴会の付き合いはしない。
大酒飲みの武田との接点がないから、このメンバーは珍しいのです。

酒飲みは、飲まない二人を全く気にしないで、ビールと紹興酒をやっつけた。
飲まない二人は、食うだけかと思いきや、驚いたことに、大森君が、紹興酒をちょっと舐めて真っ赤になりましたね。

今日はお陰で、私もそれ程飲まずに済みましたとさ。

2008年7月24日 (木)

08/7府中通信vol.2

府中二日目。

開店前に、大田原の星野先生から携帯に電話が入った。
嫌な予感がしましたが、案の定、敬愛する百姓の大鹿さんが亡くなったという知らせ。
覚悟はしておりましたが、さすがに感じるところが大きかった。

それでも現実は現実として対処せねばなりません。
朝礼に寄りますと、昨年を上回る成績らしい。
まあ、何か大きな物が売れたのでしょう。

昨日よりも一段と落ち着いた雰囲気で、午後になってもそのまま。

ちょっと寝不足なので、休憩時間に食堂で爆睡。

そこに、芭蕉布の鳥井ちゃんが迎えに来てくれた。
「シルクのシャツが欲しいって言っているお客さんが来てるよ」っとね。
私が寝ている間に、接客してくれていたらしい。

売り場に戻りますと、若い女性。
お父様の誕生プレゼントとのことでした。
シルクのシャツの現物がありませんので、難しいご注文でしたし、期日が来月の15日というのもきつい。
それでも、何とかしようと思いましてね、お引き受けいたしました。
その間に、巾着も売れた。
果報は寝て待てを、またもや実感!
そして、持つべき物は友ですね。

今日は、畏友の一人を失った。

それはともかく、大島紬の城と水晶の大森君とは、最近、滅多に会わないから、三人で食事の約束をした。

ところが、さる百貨店の有名担当者がいらっしゃるというので、急遽予定を変更。
ちょいと、業界の話題で盛り上がった夜となりました。

帰りは、その有名担当者とご一緒。
私は酔っぱらいで、あちらはお酒を飲めないので素面ですから、乗り換えも教えて頂き、無事、娘の部屋に帰って参りました。

ベッドに倒れ込むように寝てしまいましたが、喉が渇いて夜中に目が覚めますと、枕元に水が用意してあった。

さすが…!

地震警報

昨夜、鍛冶屋たちと酒を飲んだせいで、どうにもこうにも眠くなり、帰ってきてからベッドでちょっと横になったのが災いして、眠れなくなってしまいました。
このホテルは、BSも見られるので、夜中、テレビ番組を色々楽しんでいると、NHKが突然「地震です」と言うではありませんか。

試験放送かな?と思ったら、しばらくして地震が来たのには驚きましたね。

人知はここまできましたか!

現地で間に合ったかどうかは知りませんが、待つ時間が怖いだろうな。

遅く寝ても、早く起きてしまう。
年かな(^^;)

2008年7月23日 (水)

08/7府中通信vol.1

府中初日。

鍛冶屋の日記を見ましたら、立ち食い蕎麦の話が出ていたので、朝食はそこにしようと探したらあった。
天玉そばを頼んで天ぷらを一口食べたら、腐ったような味。
変だと思って、はき出して帰ってきたのですが、昼間、トイレに何度通ったことか。
少し痩せたかな。

暑さのせいか、なんのせいか、閑かな一日を過ごさせていただきました。
鍛冶屋もひとりでやっているけれど、伊勢丹は女子社員がしっかりしていますから、安心なんですね。
もちろん、私も一人です。

明日から、娘の所に行く予定ですから、今日がゆっくり出来る最後。
初日から最後というのも変ですが、鍛冶屋は信用していない様子。
私も自信はない。

真珠、鼈甲、鍛冶屋、紺屋で宴会。

内臓の刺身など、大変美味しく頂き、最後はラーメンで締めて参りました。

久々に、食うことに満足しましたね。

きっと、よく寝られることでしょうが、今日はこれまで!

2008年7月22日 (火)

府中

府中の準備日です。

午前中は社長業。
相田みつをさんの「具体的に動いてごらん」という言葉を想い出しました。

お昼はカミサンと二人で、館林駅前の名物「花山うどん」を頂き、東武線で久喜、久喜からJR宇都宮線で浦和、浦和から京浜東北線に乗り換え南浦和に、南浦和から武蔵野線に乗り換え、府中本町というルートで府中伊勢丹へ。
何でこんな面倒なことをしたかと言いますと、山手線原宿駅で、また人身事故があり、埼玉から都内に入るJRのダイヤが狂っていたからです。

3時から説明会があるというので、それに何とか間に合いました。
府中本町から伊勢丹に行く途中に、大国魂神社があり、暑い中でしたが、木陰が気持ちよかったですね。

会場に入りますと、水晶の大森君、大島紬の城、鍛冶屋の武田本人など、業界ではたいしたメンバーが居る。
府中の催事は、面白いですよ。

大森君が終わるのを待って、二人で四川料理店で夕飯。
ここの麻婆豆腐が、山椒が利いていてよろしいのです。
腹が減っていたので、ご飯をお代わりして帰って参りました。

ホテルは初めての所。
インターネットの使える部屋が満室。
困ったなと思って部屋に入り、取りあえずパソコンを開くと、無線ランの信号が動く。
ありゃりゃ!?と思ったら、繋がりました。

誰かは知りませんが、感謝感謝(^^)/

夏のお話し 火事

私が26歳の正月、家族揃って日の出を拝みに、浦安まで行った。
その1月に、実家が火事になりましてね、それ以来、日の出は拝んでおりません。

家が火事になりますと、思い出が消える。
それ以来、執着が無くなっちまいました。
いまでも、記念写真を撮る習慣がない。
ブログを始めて、写真を撮るようになったのです。

さて、家が燃える一週間前、母が「何となく、家が寂しそうなのよね」と言っておりました。
日を追う事に、家が小さく見えてくる。
そして、一週間後に火が出た。

片付けをしていますと、町内会長が、「英三さん(我が祖父)が持って行ったドクロはどうしました?」と聞いてきた。

町内の自治会館を建てるとき、工事現場からドクロが出てきた。
その回りを、六文銭が円の形で置かれていたと言います。
この辺りは古戦場でもあり、不思議なことでもありませんが、それを、事もあろうに我が爺様は、家に持って帰ってきたらしい。

家族の誰もが寝耳に水。

しかし、振り返りますと、それ以来、我が家には様々なことが起こった。

祖母が亡くなった時、実に中途半端な葬儀を致しました。
横浜の神学校を出て伝道師となった程のクリスチャンでしたが、無教会主義のために、牧師も神父も呼ばず、聖書を読むのは「聖書研究会」のメンバー。

私は「どうもおかしいな」と、雰囲気といいますか、空気を感じておりました。

私はこういう事には、当時感じやすいタイプで、事実かどうかはともかく、京都の祇園では、腕を捕まれて引っ張られるし、静岡の清水では、抱きつかれたりなんかしていた。
詳しくは、今は書きません。

そんな私が母屋でちょっと仮眠を取っておりますと、私の上に乗ってくる物がある。
それも背中からなのだが、首が無い!
私の身体は、金縛り状態で身動き取れないが、慣れている私は、「どっこらしょ」と、乗ってきた身体を横に押しのけてやった。

変な物が居ると思い、みんなに聞いてみると、両親の寝室では、黒い雲のような物が天井を回り、こういう事にはまるっきり縁のない弟も、金縛りにあっていると言うではありませんか。
それから毎晩、寝る前に、家族で賛美歌を歌ってから休むようにしました。

ドクロの話を聞いて母は、「そう言えば公一が、首のないのが居るって言ってたね」と、あのことを想い出しましたね。
母が必死で探しますと、焼け残った寄宿舎から、そのドクロが出て参りました。
良い日を選んで埋骨させていただいたらしいが、皆さん、ドクロを見つけても、家に持って帰ってはいけませんぞ。

結局、母屋も寄宿舎も、焼け残った染め場さえ、今はありませんからね。

高所恐怖症

私の生まれ育った家は、「お大尽」なんて呼ばれていたという事は書きました。
まあ、旧家の分家ではありますけれど、所謂大川家というのは、古い家ではある。
本家の建物は、国の文化財に指定されてもいますし、「足利織物史」の江戸から近代は、ほとんど大川家の歴史と言っても良い。

我が家は、「工場家」と書いて、「こんばんち」と呼ばれておりました。
のこぎり屋根の工場と続いていたからです。

「前家(まえんち)」も大きな家でしたが、それが屋根で続いていた。
屋根が広い広い庭のようで、子供の頃はそこで走り回って遊んでおりました。

「まえんち」は、「フロ」という名の大きなシェパードを飼っていて、犬小屋も大きかった。

ある日、犬小屋の屋根の上で遊んでいて、足を滑らせた。
そのまま、背中を下に向けて落ちたのです。
あ!っと思ったら、偶々下を通りがかった、近所の久保さんの、腕の中にすっぽりと私の身体が納まっておりました。

この時、久保さんが通りかからなければ、私はこの世に居なかったかも知れません。

この時以来、私は高所恐怖症。

26歳の時、その実家が火事になった。
のこぎり屋根からのもらい火でしたが、毎日ものすごい数の人達が、片付けの手伝いに来て下さった。

私は東京に住んでおりましたが、毎日通った。
カミサンは、次女がお腹の中にいたので、東京。

母屋は全焼。
竈のあった土間を改築し、私の部屋にした建物は残った。
みんな、その屋根の上に上って片付けしているのを見て、私も上がらざるをえなくなった。
上ってはみたが、どうにもこうにも足が動かず、身体も動かず、冷や汗がびっしょりだ。

恐る恐るはしごを伝って下りましたが、あんな恐怖はありません。

子供の頃、屋根を走り回っていたのが嘘のようです。

だから、飛行機が今でも大嫌いだし、ハングライダーなんて、もってのほかなのでありますよ。

2008年7月21日 (月)

08/7浦和通信vol.6

浦和最終日。

開店前、女子社員が回ってきて「今日の搬出で、必要な物はありますか?」と聞く。
私は「少しのガムテープと、実演の甕の蓋を覆うエアーパッキンを下さい」とお答えしましたが、いつもながらすばらしい気配りですね。
当たり前と言えば当たり前だが、これが、伊勢丹のすごいところ。
我々が、安心して仕事が出来るようにしてくれます。

祭日の為か、やはり出足は寂しいもの。

どうなるかと思いきや、藍染が好きでレースが好きなお客様がいらした。
そんな藍染は、紺邑の得意ですからお勧めすると、寸法に合わせてお仕立てすることになった。
これだけで、大きな成績です。

それが終わると、「私はもう飽きるくらい藍染を持っているの」というお客様に、Tブラウスのご注文を頂いた。

これだけですけれど、皆さんに「良かったね」なんて慰められる始末でございました。

埼玉県は、日本一の藍染の産地。
難しいところで、毎回、苦心惨憺なんであります。

 
とにかく終わりました。
片付けも淡々とこなし、5時に終わって6時前に外に出られました。
乗り継ぎも良く、18:10浦和発宇都宮線に乗って、我がやに19:30についております。

今日はゆっくり休みます。

明日は、午前中の社長業をこなし、府中に向かいます。

2008年7月20日 (日)

08/7浦和通信vol.5

浦和五日目。

暑い日曜日で、それもお祭りの日ですから、出足はそれ程良いとは言えませんが、またいつものように、三時過ぎに賑わいがありました。

朝ご飯は、ちょっとだけ腹に入れてきたのですが、11時過ぎにはもう腹ぺこ。
ところが、秩父の織り姫の、姉貴の方が蕨に住んでいまして、トンカツ弁当を届けてくれるという電話が入った。

12時半頃だろうと思い、我慢だ我慢だと自分にいいきかせておりましたらなんと、11時半に姉貴が来てくれた。

ありがたい!と、贄田さんと二人で、社員食堂で頂きましたね。

美味かった!

蕨は、東京から浦和に向かいますと、川口の先にある駅。
その駅前にある、単なる食堂のような「大作」というトンカツ屋だけれど、これがいける。
何年か前は、わざわざ食べに行ったものだけれど、最近は、疲れた身体がそれを許しません。

線路の向こう側には、「人形の小島」のおじさんの友達のやっている焼き肉屋がこれまた良いのだけれど、これにも行く体力がない。

そんななか、このトンカツ弁当はありがたかったな。

お陰でちょっと売り上げも出来た。
それでも情けないほどですけれどね。

 
まあ、何事もなく一日が終わったのですから、感謝ですな。

「小さな旅」 桐生

朝テレビをつけましたら、NHKで「小さな旅」という番組が始まり、最初の画面に「のこぎり屋根」が出てきた。
子供の頃から見慣れた風景だったので、「あれ!?」っと思ったら、やはり桐生でありました。

私の家は、地元では「工場家(こうばんち)」と言われ、のこぎり屋根の工場と続いている家だった。
子供の頃は、その屋根に上って走り回っておりました。
親たちは忙しくて、注意する暇なんか無かった。

桐生は、「西の西陣 東の桐生」と呼ばれるほど、織物の盛んな町。
落ち着いた美しい町です。
今でも織物が生きていて、「桐生織物協同組合」が存在しております。
しばらくは、理事長が親父殿の従兄弟でありました。

桐生は、我がふるさとの一つでもあり、親しいところ。

これから織物が、一層盛んになるなんて言うことは難しい事かも知れない。
しかし、世間に、桐生の織物を知らしめる事は、大切なことだと私は思った。
昨日、私がなんだかんだいった人を、この業界に紹介した訳は、実はそこにあったのです。

残念で仕方ないな。

 
因みに「小さな旅」という番組は、多分、関東ローカルではないかな。
西では見られない番組かも知れません。
我が親父殿の工房も、紹介されたことがあります。
良い番組だと思いますね。

2008年7月19日 (土)

08/7浦和通信vol.4 堪忍袋の緒

浦和四日目。

さすがに土曜日ですから、お客様が沢山お出でになりました。
浦和祭りと言うこともあるのでしょうが、大した賑わい。
結果は、紺邑は芳しくありませんでしたね。
まあ、お祭りの時は、えてしてこういう事になりがちです。

それでも夕方、narjaさんご夫妻がお見えになり、藍染ではなく、武田刃物の鉈とナイフをお買い求め。
ホームページを見て、予めお調べになっていたらしい。

石川さんは、差し入れを持ってきて下さった。

そして、細谷さんが、今日としては大きなお買い物をして下さった。

楽しい、賑やかな一時を過ごせましたが、やはり、お馴染みはありがたいな。

 
さて、表題の「堪忍袋の緒」がどうしたかと言いますと、切れたのであります。

染屋でもない帯屋が、あまりにも堂々と藍染を売っておりますのでね。
昨日も書いたとおり、例え同じ会場に同業が居ようとも、紺屋が藍染を売り、帯屋が帯びを売るのは、当たり前だ。
しかし、異業種他社を邪魔する行為は、最低な事。
長い間注意してきたことでもあるけれど、決して直そうとはしないが、どうも聞くところによると、様々な所や場面で、出展者に迷惑を掛けているらしい。

例えば、他のお店にいらっしゃるお客様を、自分の所に連れて行ってしまったり、バッグ屋さんで商談中の人に「そのバッグには、この帯がお似合いですよ」と口をはさんだり、着物屋さんで、着物を買おうとしているお客様の近くで、ついでに帯を売ろうと、じっと立って見つめていたり、人の売り場まで自分の商品を出したり、通路を埋めるほど自分の商品をだして、お客様の通行を妨げたり、それはそれは切りもないほどだ。

今や「触らぬ神に祟りなし」の状態で、皆さん、側にいるだけで不愉快な様子なのです。

誰が紹介したって、この私ですから、責任も感じるので遂に「あなた、何故藍染を出す。今後は、この藍染は偽物だと、公言することにします」と最後通告を致しました。

後でその報告をある人にしましたら、パシッと私の腕を本気で叩き、「大川さんは人が良すぎる。あんな人を紹介してしょうがない!って、みんな言っているんですよ!!」って怒られちゃった。

私は、催事に置ける、一体感の重要性を説いてきた。
企画会社の人はそれを、チームワークと呼ぶ。
それが会場が熱を帯び、お客様の財布の紐をゆるめるのだと思っている。

この業者は、それを冷やす。

まったくもって、皆さんにも企画会社にも、謝るしかありません。
しかし、本業は大変良い仕事をするのです。
だから、それだけで勝負してもらいたかったし、それも言ってきた。
聞く耳をお持ちではなかったと言うことです。

私は怒りはしましたが、それで仕事を妨害するようなことは致しません。
しかし、もうお仕事を紹介することは無いでしょうし、私が直接関わり合う仕事場に、彼らが現れることはありますまい。
一刻も早く、お気づきになることを、願うだけだな。

この業界でこういうのは、この人達だけです。

 
今日は浦和に泊まれます。
ゆっくり休ませていただく。

2008年7月18日 (金)

08/7浦和通信vol.3

浦和三日目。
危うくお茶をひく所でした(^^;)

昼間、ものすごい雨が降ったそうな。
「文字通り、バケツをひっくり返したとはあのことだ」とは、後から入らした江戸友禅の内山先生の言。
「浦和祭り」と言うのは例年通りで、外はものすごい人の出だ。
別に今年だけおかしいわけではないけれど、お茶を引きそうになった。
みんなで「こんな日もある」と言って慰め合いましたね。

20080717192121_3 紺邑は、7階の「アートホール」という所に出展しております。
催事場から、少し離れた場所にあり、分かり難いかも知れません。
伊勢丹としては、様々な工夫をして、集客に努めて下さっていますし、広いスペースもいただいております。

 

 

20080717192210 三越、松坂屋と、本店を渡り歩きますと、例年、どうしても商品の数が少なくなる。
今年はみんなに「充実していますね」と言われる。
確かに十分にありますね。
後は結果だけだな。
まだ三日あります。

伊勢丹の催事の特徴は、女性たちが活躍することです。
男性は一人だけいらっしゃいますが、具体的な活動は皆女性。
朝礼も女性で、しっかりと、事務的なことを簡潔に伝えてくれて、余計なことは言いません。
彼女たちが、これまたよく働くのです。
売れた商品の梱包に、困ったこともない。
レジに持って行けば、後は彼女たちがみんなやってくれる。
伊勢丹が大きくなってきた理由も、分かりますね。
賢いし、我々も安心だ。

百貨店によっては、何もしてくれず、全て我々業者にやらせる所がある。
例え百貨店の人が、手が空いていようと、何もしません。
そう言うところは、やはり成績も落ちてくるようですね。
我々に対するホスピタリティの無いところは、お客様にもない。
以心伝心と言うこともありますから、怖いことだな。

日本橋三越が、我が業界では日本一ですが、担当の金子さんの働くこと働くこと、すごいですよ。
もちろん、梱包も社員がしっかりやって下さいますし、いつも「ありがとうございます」と、私たちに言います。
しかし、その昔は酷かった。
レジの女性なんか、我々を敵の様に扱い、挨拶しないどころか、ニコともせずという状態だった。
ちゃんと変われるんですね。

2008年7月17日 (木)

08/7浦和通信vol.2 本文

浦和二日目。

午前中は社長業。
こればかりは、私以外には出来ない。

午後二時過ぎ、カミサンに群馬県の館林まで送ってもらい、四時頃から交代して、売り場に立ちました。
そこから、今日のほとんどの売り上げを作った。

売るというのは、私にとっては、簡単なことじゃない。
とにかく、経験も、勉強も、工夫も必要だし、お客様の心を感じ取る感性も必要だ。

さて、小売業が不調だという噂ですね。
先日行われた、東武百貨店船橋店で行われます「栃木・福島 物産と観光展」の説明会が、宇都宮で開かれた。
店長も出席され「百貨店の業績が不調だと言われておりますが、それは、我々が販売を忘れてきたからです。全て百貨店の責任です。そう言うことを反省し、この催事を今後も発展させるよう努めます」とおっしゃったそうな。
これを聞いたカミサンは感動し、「困った、断れなくなった」と言っております。

それにしても、すばらしい店長ですね。
以前書いたかと思いますが、小売業の本文は、小売りしかないはずだ。
当たり前のことだが、売ることを知らない百貨店マンに、販売の何が解るのだろうかと、常々考えて参りました。
朝礼などで我々に訓辞を垂れる人もいますが、その人、物を売ったことがあるのでしょうか、物を作ったことがあるのでしょうか。
みんな大人だし、仕事場を頂いていると言うことには感謝もしているし、販売は我が事だから、誰に何を言われようと努力は致しますから、誰も何も言いやしませんけれどね。
でも、我々を使おうとする人はいても、学ぼうとする人は、少ないですね。

船橋東武は、催事の担当もすばらしい。
私は大好きだ。
それでも家庭の事情で、今回お断りしたら、「えーーーーーー!ショックだなぁー!」と言われちゃって、「解った、出る」と答えてしまった。
上も良ければ下も良いの、典型のようなお店です。

浦和の話からはずれましたが、浦和は自力がありますねぇ。
みんな、良い成績を上げていて、大した物だ。
紺邑は前年通りだが、明日からは例年通り、上昇気流に乗るつもりであります。

2008年7月16日 (水)

08/7浦和通信vol.1

浦和初日。

伊勢丹の「技ひとすじ展」は、松戸、浦和、府中、吉祥寺、立川と回るシリーズです。
効率を考えると、こういう方式はとても良いことなのでしょう。
事実、各店六日催事で開催され、一日は準備日に当てられますから、こちらの身体も楽ですし、物流にも経費がかかりません。
紺邑は、浦和、府中、吉祥寺に出展いたします。

さて浦和ですが、伊勢丹の支店の中では、力のある百貨店だと思います。
以前の催事場は六階にあったのですが、改装して七階に移ってからは、以前に比べると、少し、落ち着いてしまっているようだ。
紺邑も、もう少しで一人前になるかも知れないと言う矢先でしたから、残念至極。

いつもの事ながら、紺邑は出だしが悪い。
最後の最後で、昨年並みになった。
それでも、ちょいと恥ずかしい数字。

   

昨日、大分の藍染屋が挨拶に来た話をしました。
昨年は、長崎で一緒だったが、今年は、私も彼も止めてしまった。
渋谷の百貨店に、やはり紺邑以外の紺屋が出展している話し も、以前書きました。
一つの催事に、同業がいることは気に入りませんが、紺屋が藍染を展示するのは、当たり前のことです。

藍染をしてもいないのに、染色業でもないのに、藍染を出している業者がいる。
何度か注意しましたが、直らない。
私の目の前で、「本藍染のシャツです」なんて言っている。
偽装問題が騒がれている昨今、こんな事を平気で良くできると思うが、私は諦めました。
売り上げが悪いから、八つ当たりしているわけではありません。
諦めていますから、挨拶もしております。

当然、こういう業者は、染め直しも修理も出来ません。
私はお客様に常々言っております。
「修理も出来ない業者は、職人じゃない!」ってね。

誰がこんな業者をこの業界に紹介したんだ!っと思うでしょうけれど、私なんです(^^;)
本業は、立派なものなのですよ。
いつの間にか、すれちまいやがったのです。
貧すれば鈍するでね、それこそ、他山の石とせにゃなりません。

2008年7月15日 (火)

08/7名古屋通信vol.7 浦和へ

名古屋最終日。

前期展の最終日ではありますが、後期展は、35の業者の入れ替えがあって、あと六日間続きます。

後期に出展する、大分の染屋が挨拶に来た。
「先輩の後じゃー」と言っていましたが、なに、それなりに頑張ることでしょう。
新婚だしね。

紺邑の最終日は、ご常連に支えられ、何とか数字も出来た。
百貨店から頂いた目標予算も達成し、めでたしめでたしでありました。
皆様、ありがとうございました。

明日から、埼玉県浦和市にあります、伊勢丹浦和店の「技ひとすじ展」が始まります。

明日の朝早く、企画会社の藤田君と、伊勢丹の齋藤さんにご足労を掛けて、搬入・展示・販売を致します。

お近くの方々、お遊びにいらしてくださいませ。

08/7名古屋通信vol.6

名古屋六日目。

こんな事があって良いのだろうかと言うほどに、閑かな一日でありました。
原因なんて分かりはしませんが、それにしても外は暑い!
そんな中を、ご来店いただいたお客様には、ただただ感謝だな。

現在紺邑には、帽子がありません。
ご常連が、「今日は帽子を見に来たの」とおっしゃいましたが、一つもない。
職人さんが病気で、作る気力を無くしているからなのですが、それは言い訳で、私どもが、本気で作ろうとしていないからでもある。

作り手を知らないわけではないから、そこに頼んでいる、しな織りの石田君の所に、どんなものを作るのか見に行った。
ちょっと話をしたのだが、この人の性格が現れて、面白かったな。
よく言えば個性的、悪く言えば、自分勝手な所があるのですが、私はそれを承知でお付き合いさせていただいておりますし、本人にも伝えてある。

その他に、書く種の無い一日でありましたが、それならば、「その日の内にブログを書けば良いではないか」という声も聞こえてきそうですけれど、ご多分にもれず、みんなで食事に行きまして、ついでにお酒を頂いたお陰で、寝ちまったのでありますよ。

2008年7月14日 (月)

08/7名古屋通信vol.5

名古屋五日目。

日曜日の午前中は忙しくありませんから、11時過ぎに、久留米絣の省ちゃんと二人で昼飯に行きました。

「灰」の話になった。
「灰を楢に変えたら、実に良いよ」というと、「私も楢を使ってますけど、大川さんは何処から取っているんですか?」と聞くから、「何処其所だ」と答えると、「え!私もです」ですって。
なんと、同じ灰を使っていました。
これには驚いたな。
「やはり藍建ては、すくもと灰と水だな」というと、「うちも120m掘った井戸水です」と、紺邑と同じだ。
もちろん「貝灰」を使っているのも同じ。
違うのは、すくもですね。

食後のお茶を飲んでいると、お手伝いの馬塚さんから電話が入った。
「名和さんという方がみえていますよ」という。

名和さんとは大阪のお客様。
今や私に、バレンタインのチョコレートを下さる唯一の人。
ブログの愛読者でもあり、「飲むならブログを書いてからにして」とメールまで下さる方。

ご主人は、特注品のフード付き5ポケッツベスト、奥様は、ベストジャケットをお召しですから、紺邑のお客様と直ぐに解ります。

このブログでお馴染みの、小峰さん、高江さん、福山さんなどをお訪ねになり、なにやらお買い物。
紺邑では、かご染めのTシャツとバッグに、パンツやなんやかやをご注文なさっていった。

名和さんご夫妻の、アラシのような滞在が終わると、ものすごく閑かに時は過ぎて行きました。

次の嵐は、岡村さんの登場に始まる。

1年半越しで制作中の、正絹の反物のお支払いをしてしまうとおっしゃる。
仕方ありませんから、いただくことにしましたが、納品は、今年の12月になります。

省ちゃんの白絣と帯、平井の帯締め、藤田君の下駄、高江さんのバッグと、すばらしい品揃えもなさった。

それも、我々プロが自信をもってお勧めしたものですから、そんじょそこらにはありません。
出来上がりましたら、是非お見せしたいと思います。

 
終わり頃、ご常連んのご夫妻がふらっとお出でになった。
ワンピースをご覧になって、「これ好き!」とご主人におねだりすると、「良いよ、いただきなさい」と優しいお言葉。
多分、喜寿は過ぎておられるお二人でしょうが、何ともほのぼのとしたご夫婦です。

奥様は、「あなた、作務衣があるわよ」と、新作の作務衣を指さされた。
紺邑の売り場には、滅多に作務衣が並ぶことはありません。
気に入った生地がなかなか見つからないからですが、それを近所の機屋さんに織ってもらうことにしました。
少々高いものになりましたが、ようやく気に入った作務衣が出来たと思っています。

ご主人に着ていただきましたが、気に入ってくださり、これもご注文。
最後の最後で、良い商売をさせていただいた。

皆様、ありがとうございました。

2008年7月13日 (日)

08/7名古屋通信vol.4

名古屋四日目。

昨年の実績を見ると、土曜日が一番よろしくありません。
前年比がどうだと、数字を見て百貨店は言いますが、その点では気楽に過ごせる日でもある。
しかし、売り上げというのは、我が身のことだから、前年が悪かったから悪くても良いと言うものじゃない。
だから、仕事は一所懸命です。

さて、開店。
淡々と時は過ぎてゆきますが、やはり昨年と同じで、調子が悪い。
不思議だなと思うけれど、私はこういう時の分析が苦手。

夕方に、お馴染みさんが来て下さり、昨年を上回る成績となりました。
やはり、良い物を作った上での出会いでしかないんじゃないかな!?

前年比としてみれば、大きく上回りましたけれど、数字でしかないな。

 
朝早くおきまして、寂しいからテレビのスイッチを入れましたら、「新日本紀行」をやっていました。
山形県は天童の、将棋の駒作りの職人が出てきた。
漆を使った手描きの人は、もう二人しかいないという。
35才の男性がそれを継ごうと、修行を始め、弟子に入った。
師匠以外の、もう一人の手描き職人の仕事を見学に行くという設定が出てきた。

その弟子が、漆について何か質問すると、「あのね、説明できない。漆というのは毎日違うから」と答えていらした。
修行を重ねて、感じるしかないと言うことらしい。
藍も同じですから、さもありなんと思う。

こういう事が、分析に頼る現代では、解り難い事なのでしょうね。

何でも、言葉や数字で説明できると思っている。
だから、気楽に質問をする。
答えがあると思うから、質問できるんですね。
答えがないと解るのも、修行を重ねてのことなんでしょう。

 
名古屋松坂屋本店は、日本一大きな百貨店。
売り上げも大きい。
紺邑はそれ程ではなくとも、出展者は大勢いますから、終わってみればすばらしい成績だったらしい。
さすがですね。

2008年7月12日 (土)

08/7名古屋通信vol.3 懇親会

名古屋三日目。
いつものように、のんびりと開店したかと思ったら、直ぐにお馴染みのお客様がいらした。

二日目に、ちょうど私が忙しかった時に入らしたお客様が、朝一番ならすいているだろうと、また来て下さり、新作のベストジャケットをお買い求め。
狙っていたのだそうです。
奥様にもと、探して下さったのですが、7号サイズの小さい物が今回は無い。
残念でしたが、次回のお楽しみとさせていただいた。

岡崎からの太田さん達総勢4名は、お買い物もしていただいたけれど、私のお昼も持ってきて下さった。
食堂で開けてみたら、カミサンの作るような心のこもったもの。
美味しく頂きましたが、本当にありがとうございます。
お召しになっている、紺邑の夏のロングコートがすばらしい!
作った方が忘れていましたので、写真を撮らせていただいた。

寂しそうに、男性のお客様が私の前に立った。
「あれ?」と思いましたが、案の定、「あの後家内が亡くなってね」とおっしゃる。
あの後とは、昨年の12月の催事のこと。
立ち姿で察した通りでしたが、残念なことです。

この世界に長くおりますと、こういう事にも出会いますが、それだけ親しくさせていただいていると言うことですね。

午後は決して忙しいことはなく、ボツボツと進行。
金曜日は「コンヨウビ」と呼ぶのだそうですが、そんな感じで閑かなものでしたね。
終わってみれば、なかなかの成績です。
三日目だけをとれば、昨年より大分成績を落としましたが、紺邑としては、予定通りですね。

 
さて、私にとっては三日連続中華となる懇親会が、銀座アスターで開かれました。

広い会場の真ん中当たりに席をとり、開会を待っていると、三々五々、職人達が集まってくる。
さすがに、催事を主催する人達の座る上座は空いておりましたが、そこに、事もあろうに、ある県の名前の付いている傘屋の若い者達が、ドンと座った。
そして、タバコをプカプカとふかし出し、もう一人は片足を椅子に乗せている。
行儀の悪いこと極まりないが、 幹事達が来れば正すだろうと思い、「あいつら、知らないであんな所に座って、かわいそうだな」なんて、我がテーブルでは話しておりました。

幹事達や百貨店の担当者がようやく入ってきた。
座るところは、当然上座。
あいつら、慌てて態度を直すだろうと思いきや、相変わらずのタバコと片膝。

懇親会が始まり、私が職人を代表して挨拶させていただいた。
これは、私が偉いからと言うわけではなく、順番が回ってきただけのことです。
ついでに、乾杯の発声もして、会は和やかに始まった。

ふと上座を見ると、あいつらはまだタバコと片膝だ。
隣の省ちゃんに聞くと、私がスピーチしている間も、片膝野郎はそのままの格好だったらしい。
しばらく我慢しておりましたが、遂に辛抱仕切れなくなり、ビールを持ってお酌に行く風情で上座に行き、その片膝野郎の膝を、バシッとひっぱたいて「直せ!」と言ってやりました。
お陰で、私の一番嫌いなお酌をしなきゃならなかった。

でも、相手は藤田君や西出さん達ですから、今回は気楽な物で、それよりも、その席に私が行って話をするなんて言うのは、珍しいことだから、かえって良かったかななんて思いましたね。

それにしてもこの会社の社長は、社員にどういう教育をしているのか。
大恥じをかいたと思うが、それを恥と思わないなら、唯の「恥知らず」ということだ。

まあ、そんなものだろうというのが、大方の見方だな。

 
三日目の中華料理も、結構なものでした。
昨日の下世話さと違う、ちゃんとしたお料理でしたね。
珍しく、最後のチャーハンまで頂いて帰って参りました。
もちろん、バタンキュウで寝てしまいましたとさ。

2008年7月11日 (金)

08/7名古屋通信vol.2

名古屋二日目。

相変わらずのんびりした出足。
よく考えてみると、職人展というのは、概ねこんなものですね。

名古屋へ最初に来たのは、35年も前のこと。
なんとかというキャバレーに、出演するためでした。

駅からタクシーに乗りましたら、ドアを閉める前に発車した。
運転手は、挨拶もしない。
若かった私は、これに驚きまして、それ以来、名古屋は余り好きな所じゃなかった。

今では大好きな所になったけれど、それはお客様のお陰。
長くお付き合いしますと、こんなに人情味のある所はありませんね。
名古屋の経済は良いそうですが、解るような気がします。

そんなお客様に、二日目も支えられました。
お買い物の多寡ではありません。
来ていただくだけでも、勇気づけられるという物です。
もちろん、お買い物をしていただくに越したことはありませんが、それが、物作りの動機付けにも粮にもなります。

お陰様で、昨年を少し上回る成績ですが、ちょいと品数が少なくなっちゃったな。

 

初日の夕飯は、中華でした。
二日目は、一昨年に行った台湾料理屋へ。
「夜来香」と違って、辛いお味。
これも、いわば中華だけれど、三日目の懇親会も中華らしい。
三日連続中華だけれど、台湾に何ヶ月も住んでいた私ですから、平気の平左ってもんです。

2008年7月10日 (木)

08/7名古屋通信vol.1

名古屋松坂屋本店、「手のぬくもり・熟練の匠の技『日本の職人展』」の初日。

日本橋三越本店から名古屋松坂屋本店へというこのシリーズは、この業界では、これ以上はなかなか望めない物だと思います。
ですから、緊張感がすごいし、物作りも、これに合わせることになります。
しかし紺邑は、未だかつて品揃えに満足したことはありません。
まあ、誰でも同じだろうとは思いますけれどね。

なんとか初日が終わりました。
昨年も感じたことですが、この催事は、出足が良くありません。
徐々に、日が経つに連れて、お客様が増えてくるのが、この催事の特徴のようです。
その伝では、まずまずの成績ですね。

「その伝」と書いて想い出しましたが、「大川さんのブログは、日本語が難しい」という人がいた。
伊万里福右衛門窯の福山さん。
2 写真は、初めてお会いしたときの実演写真です。

洋傘職人の中島さんに初めて会ったときのような感じがしましたので、他の百貨店に紹介するときのために撮らせていただいた。

しかし、催事に出展する時間が取れないらしい。

もちろん、それはそれで結構なことだと、私は思います。
いや、その方が良いな。

この写真だけを見ますと、なにやらまじめな若い作家の様ですが、普段はちょいと崩れております。

その様子は、高江さんのブログをご参照下さい。

その高江さんと福山さんと三人で、「夜来香」という中華屋さんに行ってきました。
ここは、職人が沢山集まるところ。
私は行ったことが無かったのですが、それだけでみんなに馬鹿にされるくらい。
行ってみると、以前来た店。
名古屋丸善の裏にあって、お昼を食べたことがある。

その時は気付きませんでしたが、餃子が良いですね。
その他も、私の好みだな。
味にごまかしが無く、結構なものでした。
って、そんな事よりも何よりも、気を遣わずに食える雰囲気が何より。
職人が夕飯を食うには、まことにふさわしい中華屋です。

福山さんが、私のブログの日本語が難しいと言ったのはこの時ですが、「勉強しなさい!」と叱っておきました。

2008年7月 9日 (水)

名古屋へ

朝5時に起きて書類の整理。
ちょっと仮眠して、九時過ぎに銀行回りという、社長業。
工房に帰って、カミサンと注文品の整理。
そんなことをしていると、もうお昼の12時だ。
午後1時から名古屋松坂屋本店の準備。
間に合わないなんてもんじゃないけれど、せめて足利市駅発12:41発の特急に乗りたい。
急いで車で足利へ向かい、3分前に駅に到着。
やれやれと車中の人に。
北千住→秋葉原→東京と連絡も調子よく、何とか16:30頃には松坂屋に入れそう。
それも、時間がない中、いつもの回転寿司でようやく昼飯も食べられた。
14;30発の“のぞみ”に乗り、一路名古屋に。
少々疲れたので、ぐっすりと仮眠。
すると、“のぞみ”なのに豊橋に止まってしまった。
「米原駅で人身事故があり、豊橋に停車いたしました。復旧のは何時になるか解りません」とのアナウンス。
迷ったが、豊橋で降りてJRの在来線に飛び乗った。
この列車の一番前の席が空いていて、運転席も線路もよく見える。
もう開き直って、のんびりと景色を楽しみ、18:00頃に到着。

隣に福井の蒔絵師、松田ご夫妻が居た。
聞くと、やはり列車が人身事故で、3時間遅れて着いたという。
群馬シルクの贄田さんも、上越線が人身事故で乗れず、ご子息に車で途中まで送ってもらったらしい。
どうも今日は当たり日だから、宝くじでも買うべきだったか!

松田さんに、「死んじゃいたい気持ちも分からないではないけれど、死んだって、世間は何事もなく、こうやって日常の生活を送っているんだから、どうしようもないですね」というと、松田さんの奥様は、「死にたいなんて考えるのは、若い内よ」とおっしゃる。
「え?」と聞き返すと、「年を取るとね、人生なんてこんなものだって解っちゃうから、死のうなんて思わないのよ」だって。
この言葉を聞けただけでも、名古屋に来てよござんした。

とにかく、19:30分まで準備して、ホテルにチェックインという一日。
夜くらいは、のんびりしたいものだと、馴染みのラーメン屋に行くと、跡形もなく平地になっている。
たった半年で、世の中は変わりますねぇ。

2008年7月 7日 (月)

貝灰と石灰

紺邑の藍建てには、貝灰(かいばい)を使っています。
貝灰も石灰(せっかい)の一種ですが、市販されているいわゆる石灰は、消石灰と呼ばれていますね。
これを、「石灰(いしばい)」とも言います。

どう違うかと良く聞かれます。

消石灰は、石膏分が多い。
これが、建てた藍甕の底に、白く残る。
石膏分は、微生物の餌になりませんからね。
良く、アルカリの調整などという意見を聞きますが、そう言う面もあるのでしょうけれど、藍が堅くなり、寿命も短くなるし、すくもに入っている藍分(ランブン)を充分使い切ることが出来ないと、私の経験は語って参ります。

一方貝灰は、蛎や蛤や赤貝の貝殻を焼いた物を言います。
これは、古くから藍建てに使われてきた。
「貝殻を焼くことにより、イオン化され云々」なんて言う理屈は知りませんが、微生物の餌になる事も、これまた経験が教えてくれます。

一昨年、京都大丸に出展したとき、京友禅の若い作家が、「藍染めで、斑が出ないようにするにはどうしたらよいのか」と聞いてきた事があります。
この作家は、藍建てを良く知っていたので、実演の藍甕に手を入れてもらって、底にたまっているすくもを握らせてみた。
手を出して、「こんな柔らかいすくもは、初めてです」と驚いていましたが、この「柔らかさ」は、貝灰のお陰なのですね。
柔らかい藍から、柔らかな藍の色が出て来る。
貝灰の白味は、一切残らず、微生物が全部食べてしまう。
紺邑の美しい青色の、源の一つです。

貝灰で藍建てをしますと解りますが、消石灰と性質が全く違います。
ですから、藍建ても変わる。
省ちゃんは「難しい」と言いますが、私もそう思う。
下手な使い方をしますと、藍が寝てしまうのです。

それにしても貝灰が、現代の日本に未だに存在している事は、ありがたいことだし、捨てたものではないと言うことでしょうね。

 

08/7日本橋通信vol.6

日本橋最終日。

相変わらずの賑わい。
それも、土曜日と同じような感じで、成績になかなか結びつきません。
終わってみれば、昨年とほぼ同程度の売り上げでありました。

ある程度の努力の結果ですが、これで何もしなかったら、さすがの三越本店と言えども「危なかったなぁ」という感想であります。

それでも最後の最後で、「お陰様で予算を達成させていただきました。ありがとうございました」と、企画会社の担当が、一軒一軒挨拶に回ってこられた。
この予算は、業界では信じられないくらい高いもの。
紺邑はいつも平均より少し上位なのですが、今年も同じでありました。

まあ、めでたしめでたしと言うことです。

 
終わって、三女と長女を呼んで寿司屋で打ち上げ。
長女とは、本当に久しぶりだ。
親子で食って飲んで騒いで。
最終電車の時間が迫ってきたが、「バスにすれば」という長女の言に従い、21:45浅草発を諦めて、22:40東京駅発の佐野行きのバスにした。

タクシーで東京駅に着くと、バス乗り場に人だかり。
こりゃどうした訳か?と、慌てて切符売り場に行くと、「満席です」だって!
なにやらのコンサートがあって、バスで帰る若い連中で一杯らしい。

時刻表を見ると、直ぐにJRに乗って北千住に行けば、館林行きの最終の鈍行に間に合う。
また慌ててJRに飛び乗り、山手線で上野へ行き、地下鉄日比谷線に乗り換えて北千住に着き、何とかそれに間に合った。
酔っぱらいの親父は、三女に手を引かれながらの道中でありました。
車中も三女に頼って爆睡。
館林までカミサンに迎えに来てもらって、ようやくの帰宅でございましたとさ。

2008年7月 6日 (日)

08/7日本橋通信vol.5 「特別食堂 日本橋」

日本橋五日目。

三越本店の7階は、催事場が主で、その他商品券や友の会カウンター、特別食堂、薬局、めがね売り場などがあります。
今週の催事は、我が「匠の技展」と季節柄「水着展」ですが、なんと言ってもすごいのはお中元会場ですね。
そこに集まる人に、酔ってしまうほどの数!

紺邑、オンセ、小峰ラタンは本館なのですが、中元会場を間にして新館にも「匠の技展」の会場があるし、従業員食堂に行くにも、中元会場を通らなくてはなりません。
それが、一苦労なのだ。

そのお陰で、「匠の技展」も、それはそれは沢山の人がお見えになった。
しかし、お中元の手続きの時間つぶしの様相を呈し、賑わうだけでなかなか成績に結びつきません。
多少のイライラが、会場内に見受けられる一日でしたね。

 
もう一つの特徴は、「特別食堂」の存在ですね。
経営はホテルオークラ。
値段は書きませんが、我々がお昼を食べるところではありません。
そこに、吸い込まれるように、お客様が入って行く。
これが、他の百貨店の催事場と違うところで、バーゲンを目的にしたお客様の集まる会場ではないのですね。

私は、「特別食堂」の前で、小峰さんと商売させていただいています。

最初にここに出展したとき、特別食堂にいらしたお客様が、通りがかりにチラッと紺邑の商品を見て、「あらきれいね。ちょっと見せて」とおっしゃる。
ヒョイと試着なさり、気に入ってくださった。
「いただくわ。お食事して来るから、包んでおいて」と、簡単にお買い物なさってくださった。
出て入らしたら、お友達数人とご一緒。
「ね!きれいでしょ。皆さんもどう!?」なんて言ってくださって、大きな売り上げになったのには驚きました。

新館が出来てからの三越本店には、なじみではないお客様も沢山いらっしゃるようになった。
以前は、トイレや食堂が何処にあるかなんて、お客様に余り聞かれなかったものですが、最近は「レストランは何処?」と質問される機会が増えました。
年末年始は、今の中元会場が「匠の技展」の会場になりますのでね。
これが困る。

確かに、7階には「特別食堂」はあります。
しかし、いわゆる百貨店の食堂じゃぁありません。
そのつもりで行くと、びっくりします。
最初は、「会場突き当たりです」なんてお教えしておりましたが、中には「お前がちゃんと調べておかなかったから悪いんだ」なんて、夫婦喧嘩をしながら帰っていらっしゃるお客様もいるので、新館5階のファミリーレストラン「
ランドマーク」もお教えしております。
ここなら、ちょっと高いが、我々でも行けないことはありませんからね。

紺邑や小峰さんの場所は、一見すると会場の一番奥ですから、中元会場からは一番遠い。
その分、影響も少なく、ゆっくりと商売できるところがありがたいのです。

本日は最終日です。
終わったら子供達と食事でもしたいな。
三女は手伝っていますから良いとしても、久しく会っていない二人が来られるかな?

2008年7月 5日 (土)

08/7日本橋通信vol.4 修理

日本橋四日目。

 

職人仕事の特徴は、修理が利くと言うことですね。

修理品のお預かりで、大変忙しい日を過ごしました。

 

閑馬にも来ていただいた、ひろこさんのお友達は、一昨日、ご主人とお見えになって、日傘をお求めいただいた。
 
その傘の柄が長いと感じるのだそうで、長さを調節できないか?とおっしゃる。

 

そこで、中島さんの所に相談に行くと、日傘と雨傘の違いを説明してもらい、私もひろこさんのお友達も納得。
 
知りませんでしたが、なるほどと思いましたね。

それでも、柄の長さはメーカーによって多少の違いはある。

そこで、短めの柄に張り替えて貰うことになりました。

出来上がりは、最終日。

これは、すごいことだと、私は思う。

そう言うと中島さんは、「なんで?私は職人ですから当たり前です」というが、そうはいかないのが今の日本の現状です。

 

紺邑はと言えば、染め直しを致しますから、長いお付き合いのお客様が次々とみえられ、その対応で忙しい。

中には親父殿の時代のもので、十数年はたっているだろうと言うのもある。

これは、サイズの変更。

本来は、会社が違いますから、引き受けなくても良いのでしょうが、染めたのは私かも知れませんから、修理を承ることにしているのです。

 
ズボンの染め直しもお引き受けしましたが、懐かしいデザインで忘れていた物。

これは、また作ることにしますが、昔の物を思い出せるのも、修理・染め直しの良さですね。

 

エコが叫ばれておりますが、大量生産大量消費は、それに逆行します。

環境問題を考えるなら、消費者も、「物作り」を大切にして貰いたい物です。

 

さて成績は、忙しいほどの事もありませんで、日本橋としては平凡、他の百貨店ならば良いというところでしょうか。

 

終わりの頃、リサ君とシノ君が来店。

ドイツ土産も頂いた。
 
ありがとね(^^)/

2008年7月 4日 (金)

08/7日本橋通信vol.3 職人の引退

既述の如く、石工倉員さんが、今回の催事を持って引退。
41年間の職人生活をねぎらう会が、昨夜開かれました。
初めは四・五人でやろうと言っていたらしいのですが、数十人という数になった。
倉員さんの人徳という物ですね。
三越からも、担当が二人とも入らした。
企画会社の二人の姿を見たときは、驚きましたね。

記念品に、我が紺邑の物を選んでいただき、実にありがたいことでした。

それぞれの感慨があるのだろうけれど、私はただただ、「ご苦労様でした」と言うほかない。

最後はカラオケも付き合わせていただいて、帰って参りました。

 
日本橋三日目。

朝一番で、通販会社の加藤さんがお見えになり、「さすがに三越本店ですね」という。
何かと思えば、朝から沢山お客様がいらっしゃるという感慨らしい。
「そうかな?今日は少ないとおもうけれどな」というと、「いや、今時こんな時間に、これだけ人がいる百貨店はありませんよ」と言われれば、そうかな?とも思いますが、今日は、我々出展者から見ると、余り忙しくない日でありました。
全体の成績も、それなりだったろうと思う。

紺邑はと言えば、三日間ほとんど同じ成績。

過去の実績よりは大分良いだろうと思いますが、このご時世で前年より上回っているという事だけでも、ありがたいと思います。
少しは努力を致しましたが、それが結果にも出ているとも思う。
しかし、まだ足りません。
やらなければならないことは、沢山あります。
それだけ紺邑は、まだまだ伸びる可能性を持っているということだな。

ありがたいな。

 
今日は、日本の催事名物担当の一人、津田さんがみえられた。
10月の自分の催事の、ちょっとした打ち合わせを、これまた簡単に済まされてお帰りになりました。

終わり頃、若い女の子が店にいたので、少し、いやいや、沢山藍染めの事やら歴史の事なんかをお話ししてしまった。
迷惑だったろうけれど、私に話をさせてしまったのが運の尽き、いや、「運の着き」だと思いたい。

内容は、教育の問題

ある紺屋が、近所の小・中学生達に、藍甕を解放して染めさせているのだそうな。
聞くと、1時間やそこらで、Tシャツが簡単に染まってしまうらしい。
こんな馬鹿なことをやらせるから、人を認められない子が育ち、子が親を殺す時代になったのだ、と言うのが私の意見。

この紺屋さんは、かなりのお年らしく、それなりに藍染めについて語り、それなりの風貌らしいが、やっていることは、小学生に出来ることを、自分がやっているのだという「告白」に過ぎません。

なんてことを話して、一日が終わりましたとさ。

2008年7月 3日 (木)

08/7日本橋通信vol.2

日本橋二日目。

会場も、噂に寄れば百貨店全体も、活気があるように思える。
お中元会場が、さすがに日本一ということもありましょうか。

それでも、紺邑は出足が悪かった。
三女と二人で、のんびりと昼食が取れたほど。

午後に入って、途切れなくお客様にいらしていただき、中学校の恩師、福田先生にも来ていただいて、終わってみれば、初日とほぼ同じ成績となりました。

自宅に帰らなければなりませんが、ブラシ屋を隠居した高橋さんからのお誘いで、浅草で飲み会。
もう一人は珍しいことに、江戸の刃物やさん。

二人の会話は、催事の仕事に関することばかり。
内容は、私の関知しないところだから、ちんぷんかんぷん。
質問をしながら、ようやく解る程度でしたが、食わせてくれた天ぷらも刺身も豆腐も、みんな美味かったな。
1時間ほどの滞在で、最終電車に飛び乗り、自宅に帰って参りました。

今日三日目は、倉員さんの送別会。
日本橋に泊まりますが、飲まないわけにはいきませんからね。

2008年7月 2日 (水)

日本橋通信08/7vol.1 久留米絣と人間国宝

日本橋初日。

朝、4時には起床。
それから、名古屋のDM作り。
七時前の電車で日本橋へ。
九時に到着。
なんとか準備も整え、開店。
十時過ぎには三女が来て、私と新井さんと三人体制で販売です。

開店と同時に沢山のお客様が会場に溢れ、隣のレジが忙しく動き出した。
紺邑も順調。

ところが、お買い求め頂いた商品に付けるリーフレット、紺邑の紹介文が見あたらない。
仕方なく、名詞をお渡しした。

受注伝票が無い!
仕方なく、三越の伝票だけで対応。

実演するハンカチがない!
これは、代用する物が無いので、実演できない。

急遽、カミサンに持ってきてもらうことに。

2時半からほんの一瞬、四人体制となったが、それがちょうど良いほどのお客様の数で、担当の金子さんが、「一週間分のお客さんが来ちゃったんじゃないの!?」なんて言うほどの賑わい。

ところが、カミサンが帰った四時頃から、パタリと人の出が止まってしまった。
成績も、これではたいしたこと無いという、どうにも困った事態となった。

そんなとき、名古屋から何故か岡村さんが、紺邑の藍染めをお召しになって来店。
日帰りなさるという慌ただしさでしたが、ちょうど私も暇になったので、広い会場をご案内しました。
オンセの高江さんも、久留米絣の省ちゃんもいますからね。
途中、企画会社の小山さんと出会い、紹介すると、「ブログで存じ上げています」だって。

岡村さんもお帰りになり、六時を過ぎましたが、動きがない。

これでも成績としては、他のどんな百貨店でも立派な物なのですが、ここでは満足できる物じゃありません。
困ったなと思っていたら、横浜の深澤さんがひょいと現れ、閉店の8時までご滞在。
その間、 ボツボツと売れて、何とか恥ずかしくもない成績を収めることが出来ました。
ちょっとした百貨店の一週間分だから、ものすごいと思うのですが、三越本店ではこれで普通ですから困ったものだ。

 
途中、倉員さんが私の所にいらした。
指が言うことを聞かなくなったので、職人を廃業し、これが最後の催事。
それでも淡々とお仕事をなさっている。

何故来たかというと、私が「久留米絣に人間国宝は居ない」と言っているからです。
どうも、それが納得できないらしい。
昔、催事で人間国宝と一緒に仕事をしたとおっしゃるし、ネットにも新聞にも、Mさんと言う人が人間国宝として出ていると言うことを、私に伝えたいらしい。

久留米絣は団体指定ですから、個人としての所謂「人間国宝」はいません。
しかし、昭和32年、国指定重要無形文化財に指定されたときは、代表者として6名認定され、その内の一人がMさん。
「正藍染」の千葉あやのさんは人間国宝だけれど、Mさんは団体の代表者の一人で立場が違う。
こういうことは一般には解らないし、宣伝する方は無闇に肩書きを利用するから、世間は誤解するのですな。

因みに久留米絣は、昭和51年に国指定重要無形文化財の保持団体として認定され、代表者の認定はその時点で解除されております。
だからといって、Mさんの仕事が認められなかったと言う訳じゃない。
良い仕事だということは、なにも文化庁だけが決めるわけではありませんからね。

 
さて、その重要無形文化財久留米絣技術保持者会会員の省ちゃんが、宴会をやろうと誘いに来た。
メンバーを聞くと、断るわけにはいかない。
「しょうがねぇーな!」と言いつつ、ホテルを取って泊まり込みで宴会をし、酔っぱらってまたブログを書けず、またこんな時間(朝5時)に起きて書いております。

これからどうしましょ!?

2008年7月 1日 (火)

日本橋三越

日本橋三越で開催されます「日本の職人『匠の技展』」の準備の日でした。
ところが月末ですから、朝から用事が詰まっている。
なんだかんだして、三越に着いたのが午後3時半過ぎ。

オンセの高江さんにお会いしたが、痩せていましたね。
ダイエットの成果が現れています。

5時から講習会。
三越本店は、実にしっかりしています。

チラシもすばらしいし、広報もしっかりやって下さっていることが、良く解りました。
この辺りが、他の百貨店や企画会社の違いですね。

企画会社を悪く言う人の決まった台詞は、「ピンハネ」です。
確かにそう言う会社もある。
しかし、ブラシ屋の旦那が始めた会社は違います。
努力なさっている。
その結果が、日本橋三越だと、私は考える。

一方、春先に行われた、某超一流百貨店の歴史ある催事は、散々の成績であったらしい。
前年の7割も成績が落ちたとか。
この催事のチラシは、三越の6分の1の数ほどしか出さず、大きさも小さい物だった。
その結果が如実に表れたと言うだけのことだと、私は思います。

黙っていてもお客様は来るというのは、思い上がり。
我々出展者と、主催する人達との、相互努力が必要だと言うことでしょうね。

講習会が終わり、傘の中島さんと、日本橋で一杯やってきました。

蕎麦屋ですが、初めての店。
私は新潟の酒が好きなのですが、珍しくそれがあったので、つけて貰って飲んじゃった。
蕎麦も旨かったが、酒も良い。
地下鉄に乗って気が付いたら、神田。
しかも、銀座方面に向かっている。
寝ちまって、浅草からまた戻ったらしい。
慌てて乗り換えて、ようやく浅草へ。

次の特急まで45分もある。
鈍行に乗った方が、少し早く着くので、21:12発に飛び乗った。
22:56に着くまで、全く記憶がない。
車中で爆睡。
良く乗り過ごしませんでしたね。
奇蹟だな。

帰ってきて、「ごめん。寝る!」で、今度は布団で爆睡。

朝早くに起きて、DM作りの仕事をしております。
そのために、自宅に帰ってきたのですよ。

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