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2008年7月22日 (火)

高所恐怖症

私の生まれ育った家は、「お大尽」なんて呼ばれていたという事は書きました。
まあ、旧家の分家ではありますけれど、所謂大川家というのは、古い家ではある。
本家の建物は、国の文化財に指定されてもいますし、「足利織物史」の江戸から近代は、ほとんど大川家の歴史と言っても良い。

我が家は、「工場家」と書いて、「こんばんち」と呼ばれておりました。
のこぎり屋根の工場と続いていたからです。

「前家(まえんち)」も大きな家でしたが、それが屋根で続いていた。
屋根が広い広い庭のようで、子供の頃はそこで走り回って遊んでおりました。

「まえんち」は、「フロ」という名の大きなシェパードを飼っていて、犬小屋も大きかった。

ある日、犬小屋の屋根の上で遊んでいて、足を滑らせた。
そのまま、背中を下に向けて落ちたのです。
あ!っと思ったら、偶々下を通りがかった、近所の久保さんの、腕の中にすっぽりと私の身体が納まっておりました。

この時、久保さんが通りかからなければ、私はこの世に居なかったかも知れません。

この時以来、私は高所恐怖症。

26歳の時、その実家が火事になった。
のこぎり屋根からのもらい火でしたが、毎日ものすごい数の人達が、片付けの手伝いに来て下さった。

私は東京に住んでおりましたが、毎日通った。
カミサンは、次女がお腹の中にいたので、東京。

母屋は全焼。
竈のあった土間を改築し、私の部屋にした建物は残った。
みんな、その屋根の上に上って片付けしているのを見て、私も上がらざるをえなくなった。
上ってはみたが、どうにもこうにも足が動かず、身体も動かず、冷や汗がびっしょりだ。

恐る恐るはしごを伝って下りましたが、あんな恐怖はありません。

子供の頃、屋根を走り回っていたのが嘘のようです。

だから、飛行機が今でも大嫌いだし、ハングライダーなんて、もってのほかなのでありますよ。

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