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2008年9月

2008年9月30日 (火)

秋の日はつるべ落とし

月末だから、色々と忙しい。
悠々たる日々を暮らしてみたいものだと、思う時ですね。

それでも細かいところはカミサンが担当。
私は、パソコン相手の仕事で終わりました。

時折ネットに繋いで遊んでいたら、どうもそちらに力が入っちゃって、目も疲れて軽く睡眠を取りながら、休憩みたいな日になってしまった。

しかし、休日は休日としてちゃんと取った方が良いとは思いますね。

 
金融危機だそうな。

そんなときに、国内の政局なんて問題じゃぁないだろうと思っていたら、解散が伸びそうだ。
当然だと思うが、どうなる事やら。

 
1929年からの世界大恐慌と同じような恐慌が起きたときどうするかというのが、我が商売の基本にある。
それは、親父殿の工房にいるときから語って参りました。
まだ準備段階で、今そんなことが起こっては困ります。

麻生さんの所信表明演説を注視しておりましたが、私としては一安心であります。
まあ、そんな話で、今日は一日が過ぎていった。

それにしても寒い。

「秋の日はつるべ落とし」と言いますが、もう夕方六時過ぎには真っ暗だ。

昨日も鍋。
今日も鍋。
まるで冬だな。

暑さ寒さも彼岸まで

毎年思うことであるけれど、「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく行ったものだと思いますね。
異常気象などと言われておりますが、彼岸を過ぎて急に寒くなったことに、少々安心しております。

そうしますと、藍の調子にも変化がある。
その変化に、対応してあげなければなりません。
今の一番は、温度管理だ。

私の身体も、対応してあげなければならないのですが、筋肉痛でそれどころではない。
やはり、分を知らなければなりませんね。

しかし、開墾した土地にカミサンを案内し、喜んでもらえてちょいと満足。
ところが、「あそことあそこも開墾して頂戴!あそこに日の光を当てたいの」と、さらなる注文をもらってしまいました。

また、溝越さんと小川君に来てもらわなければなりません(笑)

工房改造は続いておりまして、その打ち合わせを致しました。
大分形が見えて参りましたが、2階のショップは、今日でほぼ出来上がります。
どうぞ、お遊びに入らしてくださいませな。

2008年9月28日 (日)

工房改造vol.3

工房と言っても、建物だけではありません。
庭もある。
朝方、花宇宙の村井さんから電話があって、溝越さんが何時頃閑馬の紺邑に来るかとお尋ね。

溝越さんはご近所の方で、偶々紺邑の庭に犬を連れて散歩に来た。
そこでカミサンに声を掛けられて、親しい仲になってしまった人で、看護師で介護の専門家。
お母さんのデイケアーやショートステイでも、本当にお世話になっている。
今や、私の庭いじりと畑作りのパートナーとなっています。

溝越さんに連絡をすると、11時頃には紺邑に来るという。
村井さんが何の用かと思ったら、耕耘機で耕して欲しいところがあるらしいのですね。
何処かと思えば、染め場の目の前の場所でした。

Dscf1820_2 耕耘機を運転しているのが溝越さんです。
身長は優に180㎝を超える長身。
元は板金工で車好きで、畑仕事も好きですから、耕耘機の運転はお手の物。

村井さんと大山さんが一所懸命土作りをしていた場所なのですが、草の根がはびこり、遅々として進まなかった。
それが瞬く間に耕されるのを見て、お二人ともちょっと興奮気味。

これから村井さん達が、ここで何をなさるのかは、私は分かりませんが、きっとすてきな場所になるのでしょう。

 
作業をしていると、電話がなった。
千葉の東武百貨店船橋店の元担当で、今は浪人中の小川君からでした。
紺邑の直ぐ側まで来ているという。
突然ではなく、そう言う約束でありました。

この男は、紺邑の前の工房を知っている珍しい担当者だった。
前の工房に来て、その私のイメージとかけ離れた佇まいに、私への評価が変わったという。
閑馬に工房を移転することを知り、是非、一度訪ねてくると言っていたのが、彼の個人的な事情もあって、この時期になってしまったと言うわけです。

喜んでくれたようだ。

Dscf1821_2 ついでと言っては何だが、どうせ暇なんだからと言って、庭の草刈りと竹藪の開墾を手伝ってもらった。
巨体を汗びっしょりになって動かしながら、草を燃やしている風景です。

この後、竹藪の開墾をしたのですが、私には写真を撮る体力も余裕も全くなかった。
ものすごい労働で、今だってクタクタで、筋肉痛になりそうな気配の中、このブログを書いているわけでしてね。
なんでそんなことまでしたかというと、溝越さんが小川君を見て、出来ると思っちゃったんですね。
事実、出来てしまった。
すばらしく、庭がきれいになりましたからね。

小川君も溝越さんも、ありがとうございました。
また、よろしく(^^)/

2008年9月27日 (土)

工房改造vol.2

工房を改造しておりますが、その主なところは2階のギャラリーです。

久しぶりに一ヶ月以上催事に出展せず、じっと工房に私が居る為に、商品がようやく溜まるようになって参りました。

完全に2店舗分出来ましたね。
Dscf1817_2 ここが常設のギャラリーとなります。

今までは、私が旅に出ますと、商品が全くと言って良いほどありませんでしたが、これからは、常にこのくらいは展示できるようになります。

是非とも、お遊びにお出かけ下さいませ。

今日もご近所の方が、退職祝いをお求めになりました。
そんな気の利いた物も、揃えられるようになっております。

工房でのお買い物の面白さは、オリジナルの物をオーダー出来ること。
例えばTシャツなら、大きさ、色合い、柄などを、お好みに合わせて染めることが出来ます。

それに加え、皆様に気楽にお茶を飲んでいただける空間作りを、カミサンと二人で手作りで致しております。

お楽しみに。
って、作っているこちらも楽しんでおりますですよ。

2008年9月26日 (金)

お彼岸のはしりくち

日曜日も祭日もなく、工房に詰めておりましたので、墓参りができなかった。
我が家の墓参りは、お盆にやっておりますが、気になって仕方ないのはカミサンの方。

私の娘達がひょっとして嫁いだ後、私の墓参りに来なければちと寂しいと、生きている私は思う。
だから、カミサンのお父さんも寂しいのではないかと、考えるわけです。
ましてや我が家には、お父さんの奥さんまでいるわけだから、工房のみんなに宣言をして、東京八王子の霊園まで、お母さんを連れて墓参りに行って参りました。

北関東横断道路のインターが、足利の我が家の直ぐそばに出来ましたので、八王子まで簡単に行けるようになった。
群馬県の駒形まで、いままで一時間以上掛かっていたのが30分も掛からず行ってしまう。
驚きました。

ちなみにこの「駒形」は、「一本刀土俵入り」の駒形茂兵衛で有名。
ちょいと手前の国定村は、国定忠治で有名。
群馬県は、そういった人たちの産地なのでありますよ。

ついでに言えば、近所の藪塚には、「紋次郎村」というのがある。
言わずとしれた、木枯らし紋次郎所縁の施設であります。

身体が疲れ気味だし、ガソリンももったいないから、ほとんど制限速度を守って走った。
一般道に入り、それでもゆっくり走る。
あるトンネルを、先頭でゆっくり走って通り抜け、ふと気がつくと、警察官が座ってスピード違反の取り締まりをやっていた。
違反はしてはいけませんが、助かりました。
なにせ私が先頭だったのですから。
違反はしないことが当たり前ですけれどね。

そんな事で三時には工房に戻れたのですから、便利な世の中になった物です。
で、結局は休みなしと言うことで。。。

2008年9月25日 (木)

麻生内閣誕生

麻生さんが総理大臣になり、組閣も終わったようです。

政治家に世襲議員が多いとの批判がある。
事実、今回入閣した議員も、世襲議員が多いようだ。

しかし、収入も財産もプライベートまで曝され、家族を犠牲にし、選挙活動にも政治活動にも莫大なお金が掛かるにも関わらず、収入の路も閉ざされ、まるで聖人の如き人格まで求められている昨今、誰が政治家になろうとするでしょうか。

ジバン、カバン、カンバン無くして、どうやって政治家になれというのか。

それでも成れます。
何故言えるかというと、私はそういう活動をしてきた。
それについて必要な物は、もちろん、ジバンでもカバンでもカンバンでもない。
勇気と信念と行動力です。

立候補したわけではないが、それでも、傷つきましたね。
一番は、カミサンと家族だな。

報道を見ると、あまりにも政治活動と政治家を軽視していると、私には思えます。

2008年9月24日 (水)

「棟方志功」その後

2007年2月13日(火)に、「棟方志功」という記事を書きました。
群馬県桐生市にあるレストラン「芭蕉」と、ご主人の小池さんのお話。

棟方志功の壁画を消してしまったという逸話を紹介しましたが、それが日の目を見るという記事がありました。

棟方志功の壁画が“復活”  桐生市で50年ぶり

□□□□
版画家の棟方志功(1903-75)が55年ごろ、群馬県桐生市のレストラン「異国調菜・芭蕉」で描いた壁画が、約50年ぶりに日の目を見ることになった。当時の店主が完成の翌日に壁画をしっくいで塗り込めたため、誰の目にも触れられない幻の壁画とされていた。現店主がしっくいをはがすことを決め、11月には来店客に公開される予定。

 壁画は縦約2メートル、横約2・7メートルで志功の肉筆の作品としてはかなり大型。中心に大きな馬、周囲に7人の天女、太陽、月、魚などが描かれている。青森市の棟方志功記念館の武田公平館長補佐は「限られた人しか知らなかった絵がオープンになり、当時の志功の描き方などを知る上で意義深い」と指摘している。

 知人を通じ、志功に制作を依頼した当時の店主が「店に合わない」として塗りつぶしたが、2代目の小池一正さん(68)が「半世紀は一つの区切り」と、しっくいをはがし“復活”させることにした。
□□□□
「知人を通じ、志功に制作を依頼した当時の店主が『店に合わない』として塗りつぶしたが」という所は、私の聞いた話とは違いますが、それはともかく、興味深いですね。
写真を見ると、随分明るい雰囲気だ。
やはり、店の雰囲気には合わないような気がしますね。

桐生については度々書いてきました。
これを機会にでも、一度訪れては如何でしょうか。

足利も桐生も、とても良い町だと私は思う。
ところが最近は、時流に乗り遅れたか、ちょいと衰退気味。

一人でも多くの人に、見てもらいたい町でもあります。

小さな旅に最適だし、私がご案内しますよ。

工房改造

閑馬に移って一年経ちましたが、その間、建物の問題で、様々なことがありました。
その対応に追われて、肝心の中身が全く充実出来なかった。

取りあえずは、基礎の部分をある程度修理してもらい、ようやく最低限安心して仕事が出来るようになったことと、諦める事が出来るようになって、後は自分たちで良い方に変えて行こうと思えるようになりました。

そこで、イベント終了後、大改造を行っております。

4161127_366751485s  先ずは、使っていなかった八畳の部屋の荷物を全部片付け、地元や全国の工芸品を展示出来るようにしました。
(写真は一年前にnarjaさんに採っていただいた物。奥の一段低くなっている部屋)

キッチンの部分には水場もありませんでしたので、自分で作り、美味しい珈琲とお茶を入れられるようにします。
(ここは、いつもとっちらかっていて、写真なし)

リビングの部分にはテーブルを配置し、お客様がくつろげる空間を作ります。
イベントの時は、ここがギャラリー。
(上の写真手前)

Dscf1792_2 ベランダに通じる部屋は、紺邑の常設ギャラリーです。

広いベランダは、昨日板を敷きまして、お天気の時はここで寛ぐことが出来るようになりました。
後はテーブルを配置するだけです。

一年間、私が出たり入ったりして落ち着かなかったことが、全てでした。
カミサンだけでは、対処できるはずもありません。

カミサンは、ディスプレーは実に上手い。
私は足下にも及びません。
それを生かす環境は作れますから、今はまじめに取り組んでおります。

 
お陰で身体がクタクタになって、夜は寝ていられず、ご飯を食べたらバタンキューだ。

ここのところ、ブログが一日おきになってい待っている最大の原因であります。

でも、楽しくなって参りましたね。

2008年9月23日 (火)

1周年記念イベント終了

また一日ずれてしまいますが、イベントが終了しました。

最終日は小雨模様でしたが、切れることなくお客様に来ていただきました。

企画会社の藤田君も、見学に来てくれた。

彼も、途切れなくお見えになるお客様に、びっくりしていたようだ。

とにかく、山の中の工房ですからね。

無事終了し、田村さんに藤田君も入れて打ち上げ。

場所は、足利市のある料理屋。

書家の相田みつをさんが、講演の帰りに必ず寄っていた店で、入り口には、親父殿の染めた相田さんの言葉が掛かっています。

相田みつをさんと親父殿は、中学の同級生で、仲が良かった。
毎月1回この店で、同級生達が集まって一杯やっていた。
もちろん、私は全員を知っておりました。

そんな事を話しながら、お愛想の全くない女将に、「田村奈巳さんですよ」と紹介すると、「あら!東宝の!!」と詳しいこと。

ここの旦那は、さる料亭の料理人だった人。
とにかく、目利きだから、魚も旨い。
野菜は自分の畑で採った物だし、強力な冷凍庫も持っている。

まあ、滅多に行くこともありませんが、昔は毎日のように通ったものです。

そんなことで落ち着いちゃったものだから、二人が東京に帰る電車も、最終の特急になってしまいました。
それでも夜八時台だ。

田村さんにはお疲れ様でした。
お見えになっていただいたお客様には、ありがとうございました。

2008年9月21日 (日)

一周年記念イベント二日目

ブログに一日穴を開けておりますけれど、イベント二日目。

大型の台風が来る予定だったので、朝覚悟を決めて起きてみるとピーカン!

驚きましたが、田村さんはお天気女らしい。

それにしても、すごい利益でありました。

おかげさまで、お客様も沢山入らしていただいた。

夜は、私のホームコンサートがあるから、私は自重してあまり働かないことにしていたら、とんでもない事に、お昼を食べる閑もありませんでした。

三時近くになってお昼に行っても、もうこの辺りではどこもやっていない。
仕方なく、「うおよし」でインスタントの焼きそばを買ってきてお昼としました。

夕方、コンサートの準備。
椅子の数をどうしようかと思いましたが、カミサンに任せた。

narjaさんが、骨董品とも思えるカローラで登場。
早く来て何をなさるかと思えば、庭の草花を見学。
この方は、こういう事に実に詳しい。

三々五々、お客様がお集まりになる。

ついでと言ってはなんですが、藍染めについても説明させていただいた。

中には、藍染めを染めていた女性もいらしたみたいですが、カミサンがキチンとフォローしておいてくれたようだ。
本物との出会いは、多分、初めてだったことでしょう。

ところが夕方、カミサンは足りない物を買い出しに行っちゃった。

会場はてんてこ舞い。

それを、「花宇宙」の大山さんに助けていただいた。
彼女がいなければ、どうなっていたか!

さて、コンサートを始めようと思ったら、なんと、椅子の数がぴったり。
カミサンが、「ね!私の予想が当たったでしょ!!」っと、大え張りでありましたね。

コンサートはどうだったかって?

そりゃー、私には分かりませんが、多分、楽しんでいただけたと思います。

2008年9月19日 (金)

一周年記念イベント初日

準備万端とは言えないまま、「田村奈巳ビーズ展」の初日を迎えました。
私には、まだ草刈りが残っている。
なにせ1500坪ですから、切りがないのであります。

小雨模様で、さすがにお客様もなかなかいらっしゃらない。
どうなるかと思っていると、昨日お電話いただいていた姉妹が、お昼頃何とか到着。
下の社長も、一杯機嫌で「こんちわぁー!」と入ってきていただき、この間の「どまんなか田沼」で出会ったお客様もいらっしゃるなど、なかなか馬鹿に出来ない初日となりました。
信金の理事長からは、電報もお花も頂いておりましたが、本日はご本人に来店いただいた。
感謝感激ですね。

幸い台風も、明日は閑馬を避けてくれるようだ(^^)/

田沼奈巳さんは、映像を見れば、どなたも「あの人か!」と分かる方だが、所謂女優さんらしさがない。
人生観も達観しているし、この地味なビーズ細工を、心から楽しんでいらっしゃいます。
決して女優の片手間仕事ではありません。
すばらしい作品群だと、私は思う。

お嬢様がダンサーだそうで、その辺りは我が家と共通していますから、話題にも事欠かない。
食事も毎回三人で致しておりますが、尽きることがありません。

お酒はおやりにならない。
けれど、酒飲みの食べ物は大好きだそうで、私たちにお付き合いくださっております。

明日は私のホームコンサートもある。
染め師なのに図々しいとお思いでしょうが、なに、元々歌を歌うことは生業ですから、私としては自然なことなのでありますよ。

ある日「私は歌は上手いよ」というと、ある後輩が、「大川さん、そう言うことは自分で言うもんじゃぁありません」という。
なに、こんな事を自分で言えないようじゃあ、無名で歌を歌い続ける事なんて、出来はしません。

この「無名」というのが味噌(笑)

2008年9月18日 (木)

イベント前日

朝から小雨模様でしたが、めげずに草刈り。
エントランスが見違えるようにすっきり致しました。

汗びっしょの身体を乾かし、田村さんをお迎えに足利市駅へ。
ところが、出発に手間取り、午後1時になってしまった。
到着時間は1時20分ですから、時間がない。
飛ばしに飛ばしまして、閑馬の工房から20分で着いた。
慌てて改札に行くと、5分ほど到着が遅れておりまして、かろうじてセーフ!

田村さんを乗せて、閑馬に尽き、準備をしている間も、残りの草刈り。

途中、照明合わせをしただけで、また草刈り。

Dscf1795_2 夜暗くなりかけた頃、カミサンが「終わったと!」と声を掛けてくれたので、草刈りも終了し、ギャラリーへ上がって見ましたが、見事にディスプレーが出来ておりました。

明日も少々手直しを致しますけれど、準備万端です。

後は、皆様のご来店を、お待ち申し上げております。

禍福はあざなえる縄のごとし

19日からイベントをやりますので、お客様をお迎えするためにも、草刈りを致しました。
考えてみれば、ギャラリーもやっているので、こんな事は普段からしていなければならないこと。
深く反省して、一所懸命草刈りしています。

一周年記念イベントが、地元の新聞に記事として載りました。
早速反響がありまして、閑馬の工房に入らしていただいたお客様が一組。
お話しをすれば、親父殿の知り合い。
「まぁー、仁さんの息子さん!?」なんて話になりまして、長いお付き合いの出来そうな予感が致します。

ある商品がキャンセルになった。
私どもの連絡ミス。
小さい器に、沢山の情報があるために、抜けるのですね。
私の責任ですが、これまた反省。

大阪の百貨店から電話。
お客様に見ていただいて、気に入ったらお買い求めにいただけるという品物を、買っていただいたといううれしい報告。
ちょいと高額商品で、訳ありの物。
まことにありがたい。

ご近所に、イベント開催のご挨拶。
皆さんに、直接お会いしてお話しできただけでもありがたいことです。

途中で電話が入った。
こんどは、閑馬川に青い水が流れているという、ご近所からのクレーム。
これも、私どもの説明不足。
深く反省。
よくよくお話しを致しまして、改善をお約束。
私たちの仕事を知っていただけるように、一度、工房にお招きしなければなりません。
伝統工芸の存続は、やはり皆様の理解が必要ですね。

色々なことがあった一日ですが、まさしく、良いこともあれば悪いこともある。
「禍福はあざなえる縄のごとし」でありますな。

2008年9月16日 (火)

敬老の日の出来事

敬老の日。
そろそろ私も、その対象になるお年頃になりました。
工房のみんなは連休。
私とカミサンは、お仕事で閑馬におりました。

村井さん達が来て草刈りをしてくださり、小山さんご夫妻が、花の咲いた藍草の鉢植を持って来て下さった。
足を痛めている奥様に、サポーター代わりに包帯をお試しいただくことになり、それだけでは物足りず、リハビリ用のニットパンツをご注文頂きました。
以前よりずっとお元気そうで、一安心です。
ご主人には、シルクの靴下と、珍しいインカフ(中国の藍染め)のメンズパンツの染めをお預かりしました。

四人でにぎやかにおしゃべりをしていると、いつの間にか、カミサンと奥様が消えた。
戻ってくるまで、夕方カミサンと行く予定の、茨城までの行き方を、ご主人に詳しく説明して頂きました。
いつも、海釣りに行く道らしい。
そのうち奥様とカミサンが戻ってきて、ギャラリーで何か品物をお決めになったらしいのですが、それは後ほどと言うことになりました。

夕方は、農業部の太田さん夫妻と山本さんが、田んぼを見た帰りに、紺邑に寄って下さった。
ものすごく面白い話になったのですが、これを書くと一冊の本になるなと思っていたら、山本さんから、著書を頂いた。
了解を得ましたら、ブログで紹介させて頂きましょう。

さて、茨城に何しに行くかと申しますと、友達がレストランをやっていてライブがあるので、其処に初めて行くことになったのです。
九月は催事がありませんから、こんな時しか行けませんからね。
それも、その友達と、30年ぶりに逢うのですよ。
一昨年、偶残連絡先が判明し、メールを入れましたら、「私が人生で一番逢いたい人だ」という、ラブレターのようなレスポンスが帰ってきた。
遊びに行こうとスケジュールを調整していたら、お弟子さんからメールが入って、「ガンで入院し、手術するので、しばらく逢えない」旨のメールが入って、逢えなくなってしまったのです。
何の弟子かと言いますと、音楽のです。
友人の彼とはその昔、一緒にバンドをやっていた仲。

彼は、さる某超有名演歌歌手のバックバンドをやっておりまして、そのメンバーは、トップクラスのスタジオミュージシャンばかり。
拘束時間は長いのですが、ものすごいギャラだった。
しかしその分、フラストレーションが溜まる。
そのはけ口として、私のボーカルでバンドを組み、ライブをやっていたのです。
中身は、ラテンジャズと言いますか、フュージョンの様な物ですね。

音にはうるさい我が長女が、そのテープを聴いて、「へぇー!今聞いてもものすごく新しいね。こんな事やってたの!」と言っておりました。
三十年以上も前のことですから、この子はまだ赤ん坊だった。

久しぶりに彼の演奏を聴きましたが、実に結構。
今時、ああいう音を出すミュージシャンはいませんね。
競演していた人たちも、気持ちよさそうでした。

演奏が終わってから、其処に、私も知るゲストミュージシャンも来て、30年ぶりの会話が始まった。
その中身を紹介していては、これまた一冊の本が書けそうだ。
一つありがたかったのは、そのゲストミュージシャンに、「この人(私の事)はね、私の知る限りでは、日本で一番上手い歌い手だった」と言ってくれたことです。
茨城まで来た甲斐がありましたね。
そのゲストミュージシャンは、日本でも世界でも、有数な音楽家だと、私は思っている人だが、黙って聞いておりましたね。
そりゃそうでね、私が歌手だという実感はないでしょうからね。

なんやかやで、私だけワインで酔っぱらい、その日は茨城に泊まって、カミサンと二人で帰って参りました。
こんな事書くと、土曜日のホームコンサートが怖いな。
練習しましょ!

2008年9月15日 (月)

新潟県村上市 「灰の文化」

旅に出ていますと、テレビも新聞も見ません。
帰って来て、カミサンと世相を話すと、私は何も知らない。
そこで、「たまには、テレビも新聞も見なさい!」と説教されるから、ここのところ、見るようにしております。

久しぶりに「遠くへ行きたい」という番組を見ましたら、新潟県の村上市が出て参りました。
我々工芸の仲間では堆朱、食うものではが有名ですね。
皇太子妃雅子様のご実家のあるところでもある。
そして、人知れずですが、我が祖母のふるさと。
ですから我が家には、村上堆朱が沢山あった。
これが年を逐う事に艶を増して、得も言わぬ色になってゆくのですね。

我が家のルーツを追って、唯一度ですが、村上市を家族で訪れたことがあります。
祖母の旧姓は中村。
村上藩の家老の家柄で、祖母は明治の時代に、横浜の神学校に通ったクリスチャン。
伝道師となり、我がふるさとの教会に来て祖父と知り合い結婚。
そして父が生まれ、私が生まれ、我が子達が今生きているわけです。
ですから、村上市がテレビで紹介されていると、他人事ではありませんから、一生懸命見てしまいました。

漁港が紹介されていましたが、山の木が豊かだから海も豊かなのだと、漁師が話をしている。
「さもありなん」と頷いていると、今度は山の中の村が出てきた。
驚いたことに、「灰汁笹巻き」という、木灰の灰汁を使う食べ物があった。
鍋で湯を沸かし、そこに楢の木などの木灰を入れて灰汁を採り、餅米を笹に入れた物を灰汁に入れて何時間も炊くのだそうですが、出来上がりはそれこそ黄金色の灰汁の色。
美しい保存食ですが、ミネラルたっぷりで身体に良いでしょうね。

今度は「しな布」が出てきた。
これも「しな織り」として、我々工芸の世界には親しい物です。
しな布は、シナノキなどの樹皮から糸を作り、織り上げて作る。
樹皮は堅いから、柔らかくして裂きやすくするために、木灰の灰汁で良く煮込む。
ここにも「灰汁」が使われておりますが、まさしく「灰の文化」が息づいておりますね。

しな布は、くず布、上布などと共に、日本の古布を代表する物ですが、こういう作業工程を見ますと、やはり日本は灰の分化なのだと思いました。
それが未だに続いている。
もちろん、藍染めも、細々とですが続いている。

テレビもたまには良いですね。

2008年9月14日 (日)

健康グッズ

足利という所は、繊維産業のメッカでありました。
渡良瀬川の南には、一時トリコット団地というのがあった。
そこは現在、大型商業施設が並んでいて、物を作っていた面影はない。

トリコットで何を作っていたかと言えば、下着類かな!?
七色パンティなんていうのが、その昔にはあった。
それを開発なさったのは、我が同級生の父上でありました。

それはともかく、産業としてのトリコットはなくなったが、職人の技は、連綿としてこの町に生きています。
日本の大手メーカーの、最高級品下着を作っていた職人達が、この町には存在する。
その大手が無くなったとき、職人達が集まってネットワークを作り、今でも最高の下着を縫っているのです。

紺邑の下着は、こういう人達に作っていただいております。

先日閑馬に入らした宇野澤さんの奥様は、「あれ良いわね!一度履いたら脱げないわ」とおっしゃった。
ある人は、下のご病気で、夜中にしょっちゅうトイレに行かなければならなかったけれど、それが一度に減った。

アトピーの人のかゆみが楽になったりもする。

そんな事実がある。

 
本染めの藍染めで、手間暇掛けて下着を染めるというのは、商売上実に無謀ではありますが、カミサンは今、健康グッズと称しまして、これに燃えております。

 
佐野には包帯を成型している会社があります。
だから、包帯の正藍染めが紺邑にはある。
手拭いもある。
靴下もある。
シャツもある。

これらをご紹介する準備を、整えつつあります。
お楽しみに。

しかし、沢山は染められないことに、変わりありません。

2008年9月13日 (土)

「発展すること」と「町おこし」

所用があって、佐野市の南、渡良瀬川の近く、川を渡れば館林市という所にある、「栃木運輸支局佐野自動車検査登録事務所」という、長い名前の所に行って参りました。

栃木県の自動車ナンバーには、「那須ナンバー」「宇都宮ナンバー」「とちぎナンバー」とありまして、その内の「とちぎナンバー」を管轄している。
初めて行きましたが、大きくて広くて、自動車屋さんだらけだ。

それにしても、佐野の南側は発展しております。

東北自動車道の浦和インターから50㎞地点に「佐野・藤岡インターチェンジ」があり、都内からでも簡単に来られ、そこは「佐野新都市」とか言って、イオンだアウトレットだと、土・日は車が渋滞するほど混み合う。

H0000187802_2

東京からは、ここまではバスも来ています。
この運輸支局だって、「とちぎナンバー」の登録には絶対の存在だ。

その影響が、旧市街地には及んでこない。
相変わらず、眠ったような町並みです。
ましてや、その北側の山の中の閑馬に至っては、尚更のこと。

発展はしているけれど、この辺りは色気も素っ気もないところで、「住め」と言われりゃ、「土地をくれてやる」と言われても嫌ですね。
事実、民家などありゃしません。

こう言うのを見ますと、町の発展とはなんだろう?と思わざるを得ません。
様々な会社や施設が沢山出来て、人が来れば良いと言うものでもないでしょう。
そう、私は昔から考えておりました。

やはり、住みやすい町が良い。

「住みやすい」とはどういう事かを考えるのが、「町おこし」なんだろうと思うけれど、どうも、違う方向に行きやすいな。

新幹線の駅や高速道路のインターをつくり、企業誘致をして税収増と人口増を図り、町を発展させて行くなんてことを、政治家は言う。

そこに、「どう発展させて行くか」というのが、抜けておりますね。
それを「ソフト」と言うんだそうですが、そうすると、その専門家と称する、または思われる、所謂「プランナー」とか「コンサルタント」とか言うのが出てきて、日本中、同じ街にしてしまった。

 
チラシ配りを致しました。

先ずは新聞社。
旧知の支局長に、閑馬の今後について語りましたら、興味を示された。

農業をしようとする都会の若者達が集まり、工芸を生業とする人も集まり、賑やかになってきたからです。
ここに住みたいという人も増えてきた。

秋には収穫祭をやりたいと思う。

実りを分け合い、音楽を楽しみ、住むことに喜びを感じられる時間を、みんなと共有しようという試みです。

これを「ソフト」と言っても「町おこし」と言っても構いませんが、人がそこに住むと言うことは、もっと日常的で当たり前の事なんだという前提が、それらの言葉にはありませんね。

私たちは時間を掛け、無理もせず、頑張りもせずにやっていこうと思います。
無理や頑張りは、疲れるだけですからね。

 
その閑馬も、数年後、近くに北関東横断道路のインターチェンジが出来る。
この高速道路は、日本海側の新潟と、太平洋側の茨城を結ぶ、日本の経済にとって重要な路線となることでしょう。
そして、日本の東を南北に走る東北自動車道とも交差しているから、東京にも近いし、東京を通らなくても、西日本に抜けることが出来るようになる。
そうなると、またぞろ企業が誘致される。
多分、既に決まっているのでしょうが、下手をすると、南のような状況にならないとも限りません。
物流の拠点となって、トラックばっかり集まるのかも知れない。

そんな、色気も素っ気もない物との戦いこそが、「町おこし」なのだと、私は考えるのです。

2008年9月11日 (木)

紺邑 閑馬工房開設一周年記念イベントのお知らせ

□□□□
本建て正藍染めの工房「紺邑」が、佐野市閑馬町に移転して一年が経ちました。
それを記念して、女優でビーズ細工作家の田村奈巳さんをお招きして、「田村奈巳ビーズ展」を開催させていただくことになりました。
ビーズで携帯のストラップなどを作る教室も開きます。
是非お気軽に、遊びに入らしてくださいませ。


「田村奈巳 ビーズ展」Img002_3

開催日:9月19(金)・20(土)・21日(日)
開催時間:10:00~17:00

田村奈巳さんは、星由里子・浜美枝さんと「東宝スリーペット」として売り出され、映画では「大誘拐」や「日本一の若大将」などの東宝映画で、テレビでは、「キーハンター」や「水戸黄門」などでお馴染みの女優さんです。

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田村さんのビーズアクセサリーは、女優らしく、華やかで、独創性に溢れた作品です。
コンセプトは「大人の女性の為の美珠アクセサリー!」
素材も、トンボ玉や自然石などを使い、様々に表現なさっています。
その田村奈巳さんを閑馬にお招きし、展示会を致します。
是非、お気軽に遊びに来て下さい。

《ビーズ教室》
携帯のストラップや小物を作ってみませんか。
時間:14:00から随時
費用:3000円より(材料と作る物によります)
お電話でご予約下さい

《歌とおしゃべりと》
軽いお食事と、大川公一と田村さんとのトークと大川公一のホームコンサートを楽しみませんか。
日時:20日(土) 午後6時半
会費:1500円 持ち込み自由!
□□□□

以上がお知らせですが、このお知らせのチラシ作りが大変だったのです。
どうぞ皆様、遊びに来て下さいませ。

田村さんとは、日本橋三越でお会いしました。
お手伝いの新井さんのご紹介。
「女優さんよ」と言われましたが、私はその世界に疎い。
今日、田村さんからDVDが届きましてそれを拝見。

大誘拐」はこの私でも見ておりました。
面白かったですね。

懐かしかったのは「日本一の若大将」だ。
加山雄三は、私たちの世代の偶像的存在です。
なんと、青大将の従妹が田村さん。
良く良く存じ上げておりました。

今でも大変お美しいが、彼女のビーズ、つまり「美珠」の美しさも、是非ご覧頂きたいな。

千客万来 二宮君

また早寝早起きをしてしまいました。
それも9時半に寝たというのだから、余程のことでありますね。

さて、ここのところ来客が多い。
大変ありがたい事です。
火曜日は、「花宇宙」の村井さん達が、お客を連れて閑馬の紺邑にお泊まり。
お客様は誰だろうな?と思っていたら、トンボ玉だというから、香川県の
二宮君かと思ったらその通り。
熊谷の八木橋で、展示販売に来ていたそうな。
洋傘の中島さんからの紹介だそうで、友達の輪が広がっている事は喜ばしいですね。

水曜日(昨日)は五十日で、午前中は野暮用で忙しく、閑馬に私が着いたのが十一時少し前。
その時は、村井さん達はもうお出かけでした。

せっかく香川県から来ているのに、会えなくて残念だったなと思い、電話すると、まだ飛駒に居るとのこと。
それも、カフェブロッサムでお昼を取るというので、帰りに寄ってもらうことにしました。

その間、イベントのチラシ作り。
これが上手くいかない。
四苦八苦していると、二時頃に、村井さん、大山さん、二宮君の三人が工房に着いた。

これからどうするのか聞いてみると、香川県で水が余り豊かでない所から来た彼女は、水が見たいという。
赤見温泉は「日本名水百選」に選ばれているほどの所だから、そこに行き、足利学校も見たいらしい。
それを、地元で生まれ育った私が案内しない手はないし、チラシ作りに行き詰まってもいたので、私が運転して案内することにしました。

赤見温泉の池の鯉と戯れ、足利の大日様(鑁阿寺)を見学し、隣の足利学校まで歩いてゆくと、途中、トンボ玉を売っている店があった。
そこに入って一見学して足利学校へ。
日本で一番古い学校と言われ、足利の人は「学校様」と呼んでいます。

新しく作った所はどうでも良いから、孔子廟と図書館を見学いたしました。
図書館に入りましたら、ひげ面のお年寄りと、学芸員らしき人がお話中。
中村元さんの本がズラリと並んでいるのには驚きました。
こんど、ゆっくりと参ります。

お二人の近くの本棚に参りましたら、「足利織物史」が置いてあった。
この本の上巻は、大川家の歴史と言っても良いくらいなものだ。
それを二宮君に教えていたら、お二人の声が聞こえてきた。
「小俣の大川家の人で、誰か○○をしてくれそうな人はいないのかね?」と、髭の人が言っているのです。
○○が聞き取れなかったけれど、私も大川家の一員ではある。
それを教えてやろうとは思いましたが、この二人は話しに夢中で、私の存在に気付かない。
まあ、そんな物だろうな。

Dscf1789_3 閑馬に帰り、記念撮影。
村井さんは二宮君のことを「許嫁(いいなずけ)」と勝手に言います。
車に乗ろうとするとドアを開けてやるなど、献身的に尽くしておりましたね。
私もお邪魔しましたが、足利見学では放っては置けませんや。

カミサンが、閑馬でトンボ玉展をやろうと言い出して、スケジュール調整することにしました。
その時は、お知らせいたします。

帰ってから、行き詰まっているチラシ作りをしようと思ったら、眠くなって寝ちゃったのでありますよ。

2008年9月10日 (水)

慌ただしいということ

毎日肉体労働をしておりますと、早寝早起きでしてね、この「早寝」がくせ者で、ブログが書けない日が出て来るわけです。

月曜日は、朝から畑の草刈り。
汗びっしょりになって、昼過ぎは久保さんからトラクターをお借りして開墾。
秋野菜を植える準備が、着々と進んでおります。

農業を何故やるかと言えば、食糧危機に備えること。
旨い物が食いたいこと。
お金の掛からない生活をしたいこと。

そんな理由があります。

理想は自給自足だけれど、そこまでやるつもり。

みんなでね。

そんな話を、池袋のお客様としたことがあります。
椅子に座りながら、それこそじっくりと、農業や自然や歴史や政治について語り合った。
その方からFAXが入りまして、火曜日(昨日)に佐野までいらっしゃるという。

佐野駅に迎えに出ますと、友達と、女性二人でJRのジパングとやらを使って、気楽な小さな度の風情です。
閑馬への路も、佐野の旧市街を通り、古い町並みを見てもらいながら、また、私の解説を聞いてもらいながらの小さなドライブ。

藍染めを見ていただいたのはもちろんですが、また懲りずに、自然や農業や歴史のお話しを一くさり。

 
紺邑のお客様で、栃木の那須にお住まいの方がいらっしゃいます。
日本橋三越に来て下さるのですが、「今日は、東京の別荘に来ているの」とおっしゃる。
つまり、田舎に家を持ち、東京の家を「別荘」と称して、時折、都会を味わいに来るのですね。

そのお話しをしましたら、「あら、発想の転換ね。私は何でも決断が早いほうなのだけれど、実は家を建て替えようと思っていて、これだけが何故か決められないの。その話は面白いわ」っと、閑馬に住むことに興味を示された。
「それで、もしここ(閑馬)に家を建てようと思ったら、どうしたらいいの?」とお聞きだから、「私たちがお手伝いしますよ」とお話しさせていただいた。

みんなで農業をやるわけですから、一人でも多くて賑やかな方が良いですからね。

お買い物もして下さり、帰りは足利まで、また小さなドライブをして街をご案内。
もちろん、私の解説付き。
麺街道」の話をしてから、「あらき」という美味しい蕎麦屋へご案内したら、お休みだ。
その近所の「小島屋」という、手打ちうどんの店へ。
これぞ関東のうどん!と言う物を召し上がっていただき、お帰りになった。

こういう「小さな旅」は良いなと、私は思いましたね。
ブログの読者の皆様、いつでもご案内しますから、お申し付け下さいませ。

 
カミサンから電話が入り、お客様が閑馬に入らしているという。
私が、デイサービスに行っているお母さんのお迎えをして工房に帰りますと、もうお帰りになった後。
それでも、大きな買い物をして下さったようで、まことにありがたいことでした。

ひろ子さんの引っ越しなんかもありまして、慌ただしい一日でしたが、売り上げまで出来ちゃって、ありがたい一日でもありました。
 

5時頃、「今日は早めに閉めよう」と言っては見ましたが、結局、工房を出たのは六時半。
それも大慌てで宅急便の配送センターに行き、締め切り五分前について荷物の発送。
やはり、落ち着いた日を暮らすには、準備が足りないと申しましょうか、準備段階と申しましょうか。。。!?

2008年9月 8日 (月)

農業と繊維業と

昨日も今日も、野良仕事に励んでおります。

日曜日は、午前中に下の社長がご来店。
開襟シャツをお買い求め頂いた。

雨が降り出したので、お昼はカミサンと二人で、久保さんの所に二日連チャンで蕎麦を食べに行きました。
そこに、閑馬農業部の連中がいた。
別テーブルに座ろうと思ったら、久保さんのご主人が、彼らの席に私たちを連れて行ってしまったので、若い連中と一緒に蕎麦をやっつけました。
ところが何の拍子か、農業、教育、子育て、歴史なんて話になっちゃって、私は食べる暇なしにシャベクリ通し。
根が嫌いじゃないものですからね。

相手は、ちょいとなの通っているラジオのパーソナリティ。
親しくお話しをするのは、多分初めて。
話の途中、隣の男性が、「興味深い話でした」と言ってくださったが、この方は、パソコンの世界で名を馳せているらしい。
まあ、双方知らない世界ですが、面白そうな連中であります。
帰り際に紺邑にも寄っていきましたが、またゆっくりとやろうと言うことになりました。

カミサンと二人で夕飯のお買い物に、街中のあるスーパーに入りました。
私が、市のイベントに、様々な形で参加していた頃、市役所の窓口だったYさんがいた。
何年かぶりで会ったので懐かしく、「よっ」と手を挙げて挨拶したら、ちょっと戸惑っている様子。
しばらくして私と分かったらしく、「なんだよ。随分太っちゃったから分からなかった」っと宣う。
これを聞いたカミサンの喜ぶまいことか。
「ね!だから太ったって言っているでしょ」だって。

「もう少しかい?」と聞くと、「今度の三月だ」という。
これで、私が何を聞いたか分かるくらいの仲。
つまり、「そろそろ定年じゃないの」と私は聞き、それに答えてくれたわけです。

次の仕事も決まっていて、これが繊維の世界の事務局の責任者。
話を聞いて、これも内容が直ぐに分かった。
「今度、世界に発信してゆくつもりだから、そん時は頼むよ」という。
私が昔やっていたことを、よくよく知っていますのでね。
わざわざ車に戻って、名詞を持ってきてくれました。
会の代表者は、私が子供の頃から良く知る人。
この町の、珍しい成功者。
私もその会に、参加することになるでしょう。
これも縁だ。

私が、この町で活動しなくなって、そろそろ八年は経つかな。
それはそれは派手な活動をしていたと、その当時の人に言われたことがある。
その人曰く、「輝いていた」とのこと。

最後は、このスーパーが建つ前のこの土地で、あるシンポジウムが開かれ、そのパネラーとして何かしゃべって以来、私はこの町のことで何も活動しておりません。
それが新聞に大きく取り上げられて信用となり、紺邑が存続できた。
そして、親父殿を最後に見たのも、そのシンポジウムの会場でありました。

多分、良い再会であるかも知れません。
親父殿の導きかな、なんて思っております。

2008年9月 6日 (土)

眠い

眠い。
とにかく眠い。
こんな眠いこともない程、眠い。
工房に行っても眠いから、寝ていると、カミサンが「入らしたわよー」と言う。

船橋から宇野澤さんが、染め物とベストのお直しを取りにいらしたのです。

四方山話のおしゃべりをして、いつもの蕎麦屋の久保さんのところで昼食。

足利にご案内して、「舟定の芋ようかん」をご紹介した。

芋ようかんと言えば浅草の舟和ですが、舟定の方が古いので「元祖芋ようかん」となる。

舟和のパンフレットには、当然、舟定が出てきます。

双方とも、船橋出身だから「舟」が付くのですね。

こんど、栃木の物産展にお誘いしたらどうでしょうかね。

 
工房に帰ってきてからも眠い。

だから昼寝。

こんな事は、今日でおしまいにしましょう。

2008年9月 5日 (金)

「意味」

テレビで、映画「東京オリンピック」の後半をやっておりました。

懐かく見させてもらいましたが、1964年(昭和39年)だから、戦後わずか19年でオリンピックを東京で開催してしまったわけで、すごいことでありましたね。
あのとき、新幹線が開通し、高速道路も出来た。

「国破れて山河有り」と言いますね。
そうなってはいけないと、先人達は戦争を止めた。
そのお陰で、今があるように思います。

終戦時の海軍大臣米内光政は、焼け果てた帝都東京を見て、「日本が本当に回復するのに、200年は掛かるだろう」と言ったそうですが、果てさて、どうでありましょうか。
経済の問題に限れば、戦前よりも現在の方が、余程大きくなっておりますね。
しかし、「心」を見ると、我々は戦後、それを失ったまま生きているのではないかと思うときがしばしばであります。

報道を見ますと、親が親を殺し、子が親を殺し、親が子を殺し、子が子を殺す世の中です。

偽装事件も後を絶たない。
藍染の世界だって、そんなのばっかりだ。
カミサンと二人、車の中のラジオ放送のニュースで、何かの偽装事件を聞きながら、そんな感想を言い合って参りました。

戦争が無いという事では、現在は平和ですが、心の平和は何処に行ってしまったのかと思う。

 
紺邑は決算でありました。
税理士に寄れば、原価率が実に高いそうな。
つまり、儲けが少ないと言うことですね。
これはこれで、今後考えなければならない問題だけれど、どうすればよいのか。

大切なことは、私たちが藍染をしているという「意味」を失わないこと。

経済ばかり考えれば、苛性ソーダを使い、還元剤を使い、「正藍染」と嘘をついて販売することも選択肢に入るかも知れない。
そして、そんな藍染が沢山あることも知っています。
しかし、そんなものに何の「意味」があるのかと、私たちは考える。

戦後は、「意味」を失って来たのではないか。

生まれてきた意味、生きている意味などなど。
仕事も同じです。

私は、藍染に出会って、それに気付いた。
親父殿に、心から感謝できるようにもなった。
 

伝統工芸という物は、人間が捨ててこなかったから、伝統として残ってきた。
なぜ捨てなかったかと言えば、「意味」ある物だったからですね。
それは、島倉堂のところでお話ししたとおりだ。

意味を失ってしまった現在、それを伝えるには、私たち伝統を受け継いでいる人間が、それを伝えなくてはなりません。
その役割を、実感してもおります。

その手段として、「職人展」という催事には、しっかりと意味がある。
それは、百貨店や企画会社の存在理由でもある。
ただ経済だけを考えると、そういう本質的な問題に、たどり着けないと私は考えるのでありますよ。
最近、A企画の方にお話ししたのは、彼らの仕事に、意味が無いと言いたかったのであります。

 
そんなことを考えさせられた、一日でありました。

2008年9月 4日 (木)

帰宅

浅草に泊まりましてね、朝八時半まで本当に熟睡。
カミサンからの電話で起こされたのですが、もしこの電話がなければ、いつまで寝ていた事やら。

バスルームに入って驚いた。
シンクに洗濯物が入りっぱなしだ!
そう言えば、寝る前に洗濯した。
着替えがないから、これしか着る物がない。
慌てて濯ぎ、タオルに巻いて水気を取り、エアコンを強に入れて乾かしたけれど、乾くわけもない。
チェックアウトを調べたら11時!

助かった。
乾くまで部屋でゆっくり出来る。

テレビをつけたら、福田さん辞任のニュースをワイドショーでやっていた。
相変わらず、テレビは無責任でありますね。
だから見るのは嫌なのですが、「あんたはなんにも知らない。テレビと新聞くらいは見なさい」と言われておりますので、最近は無理してみるようにしております。

こんな番組で、世論が形成される。
それも、お茶の間とやらでこれを見ている人達の意見が左右される。
それを恐れて、政治家がワイドショーに媚びる。
たかがタレントが、国民の投票結果で選ばれた議員を悪し様に罵る。
なんともやりきれません。

世は政治不信だという。
それを呷っている連中が、何を言うのかと、多少、怒っております。

二人の相撲取りから、大麻陽性反応が出たという報道も、恐ろしい。
こんな簡単な検査結果で、大騒ぎだ。
この二人が無罪だったら、これまた責任をどう取るつもりなのでしょうね。

そんなことを思いながら時間を過ごし、ある程度乾いた洗濯物をドライヤーで無理矢理乾かし、何とかホテルを出た。
玄関を出たら見たような看板がある。

20080903104736_2燦然と輝く「印傳」の文字は、あれは前川印傳ではないか!?

文字の下の写真は、先代と現社長。

社長の兄貴とは、昨日まで一緒だった。

入っても見ましたが、良いお店ですね。
東京土産に、印傳を如何でしょうか。
浅草雷門を、上野方面にちょっと行くと、左側にあります。

浅草駅から11時過ぎの特急に乗って帰宅。
お昼を食べて、待望の床屋さんへ。
さっぱりしましたが、「福田さんの辞任は、潔いな」と言ったら、床屋政談で悪口を言ってやろうと思っていたらしいご主人は、「はー!」と言って絶句。
面白かったな。

帰ってきてから、これまた待望の昼寝。
気付いたら午後7時。
夜も11時に寝たら、朝7時半まで爆睡。

寝も寝たりでありますが、これでも多少疲れが取れたかな?程度ですね。
きょうもたっぷりと寝たいな。

2008年9月 2日 (火)

うめだ通信vol.7 最終日

うめだ最終日。

今日も今日とて、閑かに時は過ぎゆくでありました。
うめだ阪急歴数十年という鼈甲屋さん夫婦も、「こんな事は初めて」と言うくらいです。

目の前が、群馬県前橋市の贄田さん。
我が商売の師匠です。
親父殿の時からの、古いお付き合いで、シルク製品を作っていらっしゃいます。
贄田さんも暇なことには違いありませんが、今回もそれなりに売っています。

「閑かですね」と私が語りかけると、「大川さん、2時からが勝負です。私は、その時間に着くように、売れ筋の商品を追送させているくらいですから」と、おっしゃった。
2時を過ぎた頃、突然、贄田さんのお店に人だかりが始まった。
それが一段落したので「予言通りになりましたね」と私が言うと、「それも、追送させた商品が、五枚の内、二枚売れました」という。
全く恐れ入りましたね。

暇なら暇なりに商売できるようにする、工夫と行動力と想像力と勘と決意をお持ちですね。
私も見習わなくてはなりません。
最も、持っている在庫の数が違いますけれどね。

こういう勘が何故働くかというと言うことは、ちょいと内緒にしておきます。
私は弟子だから、教えて下さるのですけれどね。
最終日に買って下さったお客様は、皆さん、通りすがりの初めて方々。
さすが我が師匠でありますね。

もう一人の師匠の小森さんには、ある素材の仕入れ先を教わった。
わざわざ会社に電話をかけて調べて下さり、「これで軽いおみやげをつくりんしゃい」とおっしゃる。
これまた、ありがたいことだ。

最低の目標に、わずかに足らずに終わりましたが、それは仕方ない。
急いで片付けて新大阪に向かい、東京駅からのバスに間に合う新幹線の切符が買えた。
ところが放送で遅延がどうのこうのと言っている。
ありゃ!?と思ったら、岐阜か何処かで大雨が降って、中には運行中止の列車まであるらしい。
幸い、私が切符を買ったのぞみは、五分遅れで到着。
やれやれ、これで佐野行きのバスに間に合うと思ったが、なかなか発車しない。
ようやく発車した後の放送で、15分遅れで到着予定とのこと。
これまたやれやれ、バスにかろうじて間に合う。
ホッとして弁当を開け、ワインをラッパ飲みしながら食べて、一寝入り。
新横浜で目が覚めたら、30分遅れている。
これでバスに間に合わないことが決定!
急いでホテルを探し、浅草に取ることが出来た。
山手線に乗り、神田で降りようか上野まで行こうかと迷ったけれど、上野まで行って銀座線に乗り換えることにしました。
切符売り場に行って買おうとしたら、自動販売機が「販売中止」になる。
買おうとする自販機が、次々と中止になって買えない。
なんじゃこりゃ!?と思っていると、放送が、銀座駅で何かがあって、銀座線は運行が中止だという。
色々ある日だと思い、仕方ないからタクシーにしようと思っていると、「銀座線は、上野・浅草間を折り返し運転することになりました」と、ラッキーな放送があった。
神田で降りなくて良かったと思い、ホームに行くと、私を待っているかのように電車がいるではありませんか。

無事ホテルに入って、これを書いております。

このホテルには、ちゃんとしたサウナが着いている。
それも、部屋の浴衣とスリッパで行ける。

たっぷりと浸かって、疲れを取ってきますよぉ(^^)/

うめだ通信vol.6

うめだ六日目。

鍛冶屋のホームページにある日記「鍛冶や方丈記」で、私はちょいとからかわれておりますが、今回は苦戦中であります。

お馴染みのお客様も、余りお見えになってくださいませんね。

ですから、成績がどうのこうのというより、楽しくないのです。
だから、疲れる。

名和ご夫妻が救ってくださったが、毎日来て下さいと言うわけにも参りませんからね。

京都タカシマヤで、「第20回 この道ひとすじ 日本の伝統展」という催物が開かれていました。
昨日終わりましたが、六日間の予算を五日で達成したらしい。
担当が梅田に入らして、「うちはこの三倍はお客様が入っている」と言って帰ったそうです。
消費マインドの低迷と、簡単に片付けられないようですね。
先週の船橋の催事も、大成功でしたしね。
それとも、大阪がよろしくないのだろうか?

この辺りは、百貨店で商売させていただいている我が身としては、じっくりと考える必要があるのではないかな。

幸い今月は、時間があります。
久々に、考える事をしてみたい。
また、そのために頂いた時間だろうと思っております。

昨夜は、島倉君の事を書くだけで精一杯。

お酒も飲まず書きましたが、「夕飯の時に飲まずに、寝る直前に飲むとよく寝られる」という、贄田さんの助言を実行してみた。

本当によく寝られましたね。
久々に、熟睡した実感を持って、朝起きております。

今日は6時閉場。

足利の家まで帰れるかどうか、ギリギリのところ。

無理ならば、浅草泊まり。

2008年9月 1日 (月)

鎚起銅器

島倉政之君39歳
Dscf1780_2 この路ひとすじ、この年で20年。
まじめを絵に描いたような、この世界では珍しい人間、のように見える。
私よりも、高江さんの方がよく知っているかも知れません。

新潟の燕市に、島倉堂はあります。
燕市は、洋食器の産地として有名ですね。

銅器を叩く技法は、いわゆる「鍛金(たんきん)」と私は覚えておりましたが、その技術が、燕市で作られる銅器に生かされ、「鎚起銅器」という名称になるようです。
経済産業大臣指定伝統的工芸品。
つまり、組合があり、産業として成り立っている伝統工芸というわけです。

「鎚起」というのは、「槌(つち)」で「起(おこ)」すの意で、銅板を、焼なましを繰り返しながら金槌で鍛え上げ、成形する鍛金技術だと、島倉堂のパンフレットには書いてあります。

行程は、板取り→なまし→成形→模様打ち→着色→仕上げとあるようですが、どうも、その一つ一つに様々な技術と意味があるらしい。

銅を一通り叩くと硬化する。
それを火炉に入れて650度位に熱すると、組織が変化し軟らかくなる。
軟らかくなった金肌をさらに金鎚で叩き、形状が完成するまで、打ち絞りと焼き鈍しを数十回繰り返す。

物の本による説明ですが、どんな工芸にも言えることですが、手間は掛かりますね。

さて、島倉君の作業を見ていると、如何にも簡単そうに見える。
そこでかどうか、私にやってみろというので、やってみた。

Dscf1785_2 驚いたことに、島倉君がやると、きれいなぶつぶつが出来るのに、私がやると、なんにも形にならないどころか、平べったく凹んで行くだけだ。

笑っちゃうくらい、なんにも出来ませんでしたね。

「直しますから大丈夫ですよ」と言われましたが、これまた私がメチャメチャにした銅器の表面を、簡単に直してしまうところが、さすがに職人でありますね。

作っている物は、急須、建水、湯沸・水注、茶筒・茶壺、急須台・茶箕、茶托、カップ・盃・酒入れ、ポット、などなど、多種多様の銅器があります。

さて、銅器が何故この世の中にあるのか!?

先ずは、その熱伝導の良さ。
アルミの2倍、鉄の5倍、ステンレスの25倍だと言いますから、お湯も直ぐに沸き、熱が容器全体に均一に伝わりますから、料理が美味しく仕上がる。
なるほど、プロの料理人が使うわけですね。
また、冷たい飲み物も、口当たりや手に伝わる清涼感が格別なのだそうな。

耐久性にも優れている。
それは、数千年前の貨幣や銅器が腐食せずに現存していることで、証明されておりますね。
そして、段々良くなる。

Dscf1782_2 後列右側が13年目の急須。
中央が、14年目の急須。
一番左が、43年目の茶筒ですが、使い込めば使い込むほど、味わいが深くなって行くようです。


殺菌作用に優れている。
これによって水は浄化され、花瓶は花を長持ちさせ、急須や湯沸は、うまみを一層引き立てるというわけです。

良いことばかりですが、だからこそ、何千年も人類は銅器を使い続けてきた。
藍染と同じであります。

鎚起銅器は修理修繕が利きます。
今週も、古い骨董品のような銅器の修理を依頼され、簡単な物は、目の前で直していました。
一度買えば、それを長く長く使えると言うわけです。

島倉君は、催事に余り出ておりませんが、日本橋三越では私と一緒です。
是非、彼の鎚起銅器を見てくださいませ。
出来れば、お使い下さい。
そして、簡単そうにやっている実演も、ご覧頂きたい物だ。

 

私が彼の写真を撮ったり、取材をしたりしていると、「ブログですか?」と聞いてきた。
「そうだよ」と答えると、「大川さんのブログに書いてもらうことが夢だったんです」なんてかわいいことを言う。
間違いや、私の誤解でもあったら、指摘して頂戴。

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