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2008年10月

2008年10月31日 (金)

08/10上六通信vol.2

上六二日目。

忙しいとは決して言えない一日でした。

そんな中、奈良の西川さんが、自家製の奈良漬けを持ってきて下さった。

それを食べるために、帰りに日本酒を買ってきて、風呂上がりに一杯やっております。

美味しいですねぇ。

関東者の私にとって、自家製の奈良漬けなんて、考えたこともない。

ありがたいことです。

昨日は寝不足。

これで今夜は、たっぷり寝られそうです。

2008年10月30日 (木)

08/10上六通信vol.1

上六初日。

上六というのは、我々の通称でありまして、「うえろく」と読みます。
正しくは、近鉄百貨店上本町店と言いますが、上本町6丁目にありますので、「上六」と呼ばれています。
上本町6丁目辺りは、関ヶ原で家康が本陣を組んだ辺りでは無かったかな(記憶だけで書いています)。

今回が30回目。
私は二回目から出ておりますが、年2回開催されますので、これで15年経ったことになる。
この催事の成功が、日本の「職人展」開催に火をつけることになるのです。
そんな話は以前書きましたね。

今回も2週間の開催で、紺邑は後半だけです。
前半は、忙しかったとはとても言えなかったらしい。
後期はどうなるかと、戦々恐々としながら
始まった。

直ぐに、お馴染みがいらした。
なんだかんだと冗談を言い合いながらのお買い物。

直ぐに岩井さんがお見えになって、紺邑のハギレで作ったアクセサリーや小さなバッグをおみやげに頂き、その上にお買い物。

奈良の前原さんは、野良着とおしゃべりを楽しまれた。

お馴染み名和さんも、ごゆっくりなさってくださった。
また、月曜日にお見えになる予定。

山登りをなさる男性のお客様が、メンズのシャツをお求め。
ものすごく我が儘な注文をなさいましたが、ことごとくお引き受けさせていただいた。

またふらりとお立ち寄りのお客様は、手織り綿のワンピースコートを試着してお求め。

などなどと、忙しく一日を過ごさせていただいた。

ニュースを見ると、百貨店業界の厳冬期などという表現が見える。
そんな中、今日は大健闘の紺邑でしたが、これも、お客様のお陰です。

しかし、渋谷から車で大阪に入り云々と、ちょっと無理をしましたので疲れ気味。
軽くラーメン餃子で夕飯を済ませ、サッサとホテルに帰って参りましたとさ。

渋谷から大阪へ

余りの慌ただしさの中、私はただ今、大阪におります。

渋谷の最終日の午前中は、閑馬の工房で、地元の方々16人にお集まりいただいて、藍染を説明させていただいた。
公民館長の和田先生のご配慮だが、誠にありがたい機会を与えてくださった。

歩いていらした方もいるくらいですから、のんびりと丁寧にご説明申し上げ、楽しい一時を過ごすことが出来ました。

「地元にこんなすてきなところがあるなんて、しらなかった」なんておっしゃっていただいたが、それはとりもなおさず、私達の宣伝不足、努力不足ですから、反省も致しましたね。

商品も見ていただいた後、大急ぎでそれを梱包し、渋谷に向かいました。

この間の大阪うめだ阪急も、車で搬入しましたが、大阪は何故かいつも慌ただしい。

渋谷の最終日は混み合っておりました。
私達が着いたのは、三時半頃でしたが、それから一商売させていただいたくらいです。
お陰でと言っては何ですが、出発が予定より大きく遅れ、5時半になってしまった。

それにしても、渋谷東急百貨店東横店の催事は、営業時間が長いから大変だけれど、担当社員達の気配り心配りは大した物です。

工房の品物だけでは足りませんから、渋谷の商品も持って行かねばなりません。
5時閉場ですが、一足先に、目立たないように梱包した荷物を、5時に出したい。
担当に相談すると、その5時に荷物を運ぶ係が売り場に来て、台車に乗せ、遠く離れた検品所まで運んでくださった。
何の支障もなく、搬出できた。
こういう百貨店はそうはありません。
 

大阪近鉄百貨店上本町店の「職人の技展」の搬入は、夜の9時頃から12時頃までですから、間に合うかどうか。
せめて12時までに入って、荷物だけは会場に入れたいと思いつつ出発。
途中、夕飯を食べるためと、運転を交代するために二度サービスエリアに入っただけで大阪に入ると、11時に到着できました。

担当に電話で「11時頃につけそうだから、せめて荷物を会場に入れたいので、よろしく」と、京都を過ぎた辺りで言っておいた。
着きますと、搬入口に三人の若者が私達を待っていてくれて、荷物を台車に載せ、会場まで運んでくれた。
これもありがたいことでしたが、私は百貨店と担当者に恵まれております。

どうぞ皆様、近鉄上本町店9階催事場の「職人の技展」にお越し下さい。

ちょっと会場を見ましたが、楽しそうです。

2008年10月28日 (火)

カレー

ここのところ、お昼は毎日社員食堂のカレーです。
中村屋のカレーなので、社食としては出色の味です。

それにしても日本人はカレーが好きですね。
独特な香りがあるのに、日本で広まったのは、漢方薬になれていたからでしょうか。
イギリス人も食べるようですけれど、あれはハーブに慣れているからかな。

我が母のカレーは、桐生の芭蕉の小池さんに教わった物だ。
美味しかったし、もちろん、私は大好きだった。
子供の頃は、休みになると銀座に行っておりましたので、ナイルのカレーも食べていた。
当時の日本では、インド人のカレー屋はあそこくらいだったけれど、あの苦辛いカレーを、子供ながらに良く食べられたものだ。
出前もやっていましたね。

20代は、カミサンと一緒になって、一時カレーに凝りました。
スパイスの調合も、自分でやっていたのだけれど(もちろんカミサンが)、これが当時、伊勢丹本店の地下と青山の紀伊国屋でしか手に入らなかった。
近所の子供達や、私の友人達を集めて、カレーパーティを開いておりました。
もちろん、手で食べる本格的(?)なカレーパーティ。
その内、スパイスの調合が大変になって、ナイルのカレー粉を混ぜるようにはなった。
今ではそんな時間はありませんからやりませんけれど、懐かしいな。

現在は、本格的であろうと日本式であろうと、いつでも何処でもカレーが食せる。

宮崎市に一軒、カレー屋があった。
一年に一度だけれど、行けば食べに行っていました。
何年か前に行ったとき、店内に女性演歌歌手のポスターが張ってあった。
見ると、親父殿の工房の近所の人で、何故か歌手になった人。
何でこんな遠く宮崎に、この人のポスターがあるのだろうとは思った。

カレーが出てきて一口食べたら、以前と味が違う。
私の好みになっていて、美味しくなった。
料理を運んでいるインド人と覚しき人に、「味が変わったね。コックが違うのかな?」と聞くと、関東から新しいコックが来たという。
コックも出てきたので、「関東の何処?」と聞くと、群馬県の太田市に居たという。
我が町の隣だ。
コックはインド人ではなく、パキスタンか何処かの人だったけれど、ポスターの歌手のことを聞くと、太田の時のお客様だったというから、カレーの世間も狭くなった物です。

08/10渋谷通信vol.5

渋谷五日目。

東京は暖かい。
途中、空調を強くしてもらったほどです。
私も、半袖のTシャツ一枚になって仕事しておりました。

博多帯の小森さんが、ようやく到着。
相変わらず、忙しそうに会場を歩き回っております。
これはさぼっているわけではなく、医者の指示だそうで、じっとしていると血行不良になってしまうかららしい。
「それにしても酷いな」とおっしゃるが、それはお客様の買い控えについて。
この業界では日本一の規模を誇る会社をお持ちですが、その分、より実感なさるのでしょう。

東急東横店は、催事場の上階がレストラン街になっています。
割合高級で、昼食の最低値段が1000円を超える。
ちょっとした物を食べれば、1500円から2000円かかる。
我々働いている物にとっては、ちょっと高い。
それでも、お昼時になると、お客様が並んで待っている。
それを見ると、とても不景気とは思えません。
だから、「買い控え」というのでしょう。
私達は百貨店におりますので、現実にその問題に直面しているのは事実ですね。

藤沢から旅が続いているので、ちょっと疲れが出ているようです。
みんなに「疲れているようですね」と言われるくらい、態度と顔に出ているらしい。
これじゃーいけないなと思っていると、夕方、鍛冶屋からユンケルが届いた。
6時から9時まで、一人で販売しなければなりませんから、助かりましたね。

鍛冶屋の武田、下駄屋の藤田君、洋傘の中島さんという、いつものメンバーで台湾料理屋へ。
藤田君達が偶然見つけたそうですが、結構なお味。
食いも食い、飲みも飲み!
台湾にいたことのある私は、台湾料理が大好きなのです。

帰ってきてからの記憶は、当然、ございません(涙

2008年10月27日 (月)

08/10渋谷通信vol.4

渋谷四日目。

私に取りましては、約二ヶ月ぶりの催事です。
一日一日が色々あって、まだ四日目かという印象。
久しぶりに職人達と会いますと、中身が濃いですね。

お客様にも勉強させられておりますが、島本さんと垣内さんがお見えになった。
「私達は、使える良い物を買わせていただいています」とおっしゃる。
正しく、実用の美、他力の美の世界ですね。
こういう方の目に適う物を作るというのは、作り手と使い手の切磋琢磨だな。

もちろん、紺邑の藍染を着て下さっているわけですが、ある江戸時代から続いている紺屋に行って、「こんな色が出るのか」と感心されたとのこと。
また、「紺邑さんのを着ていると、藍染に見られないときがありますね」ともおっしゃる。

こういう、客観的な評価を聞かせていただくのも、催事ならではのことですね。

一年に一度、東北旅行をなさる。
昨年は、銀細工の名人、進藤さんの工房にお出でになった。
垣内さんが、進藤さんの銀細工のブローチをなさっていたのですが、紺邑の青によく似合う。
「何故か、進藤さんの銀細工は、紺邑さんの藍染に合いますね。ほかの藍染では駄目だし、他の銀細工でもだめ」とおっしゃいますが、さもありなんと思う。
私は進藤さんの作る物が大好きだし、尊敬していますので、こういうお話しは励みになります。
 
島本さん達の目は、自分が使えるかどうかという視点で見ている。
その目に適わなければ、お買い求めいただけません。
それは彼らの好みでもあるから、我々職人が口出すことではありません。

懇親会が開かれました。
三越伊勢丹や小田急など、他の百貨店の催事担当者が来る変わった会で、担当の津田さんならではの事だな。
私は皆さん知り合いだから、妙な気分にはなる。
懇親会で気を遣うのも疲れますから、回りのメンバーは、鍛冶屋、下駄屋、傘屋という気を遣わない連中。
気を遣わなかったら良い気分になって、酔っぱらっちゃいました。

2008年10月26日 (日)

08/10渋谷通信vol.3

渋谷3日目。

驚いたことに、地下鉄の階段でつまずいた。
思う程に、脚が上がらなかったらしい。
右手を付いてしまって、ちょっと痛い。
それよりも、年齢を感じ、運動不足を思い知らされました。
こりゃ何か良いことが起こるかな?と思いつつ出勤。

駅のホームの様子が変わりましたね。
乗客が並んで待っていない。
皆さん、線路から離れ、人からも離れている。
ご時世だなと感じました。
突き落とされたり、通り魔のような事件が多いですからね。
まるで一昔前のニューヨークの様です。
 

始まりますと、高橋道遊さんが一族とお友達を連れてご来店。
朝から賑やか。
友達にお勧めいただいて、お買い物。
めでたく目が開きました。

しかし、全体は実に静かなものだ。
この店にとって、こういう事は珍しいらしい。
どうも、日本全国良い話を聞きません。

それでも腹は減る。
社員食堂に行きましたが、評判の「中村屋のカレー」を食べてみた。
旨い!
社食としてですが、これはいけます。

昼食から帰って参りますと、去年お買い求め頂いた富田さんがいらっしゃる。
一年間、気になっていたお客様。
まだ30代とお若い。

昨年は、お話ししていてちょいと腹が立ちまして、「もういい。売らない!」と言って帰そうとしてしまった。
そうしたらこの人、「お願いします。買わせて下さい」と宣うた。
そんなことまで言わせてまで売った品物が、どうだったかが気になる。

「やぁー、しばらくです」と言いましたら、「大川さん、すばらしいです」と最初におっしゃた。
「いただいたTシャツを着るとリラックスできて、仕事に集中出来ます。シャツも気持ち良くて重宝しいています」とも。
まあ、ありがたかったですねぇ。
こういう感性は、私にも刺激を与えてくれます。

それから婚約者もいらして、しばらくの間、ファッションショーのようになった。
とてもおしゃれな二人だが、着る物全てが似合う。
紺邑と、感性が同じなのですね。
紺邑の商品の面白さを、自分で再確認させていただいた。

沢山のお買い物をしていただいたが、売り上げの問題ではない喜びがありますね。
ご常連になっていただいているお客様全てに感じることであります。
皆様に、改めて感謝m(_ _)m

2008年10月25日 (土)

08/10渋谷通信vol.2

渋谷二日目。

大雨!
ちょっとした雨なら傘は差さない傘嫌いの私が、差さねばならぬほどの大雨。

そのためか、お客様の数は非常に少ない。
成績も然り。

珍しく、若い人が店を覗いてくれた。
質問もされ説明もすると、「実はブログ読んでます。ファンです」なんて言ってくれる。
「なんで私のブログなんか知ったの?」と問いつめると、「実は玲さんの友達です」と白状しましたね。
バンダナを買って下さったが、いやいやありがたい。

搬入の日のミーティングでも、毎日読んでますと言ってくれた職人が二人。
これも、ありがとね。

鍛冶屋の所に行って、「昨日は娘と飲んで、『こころ』について語っちまったよ」というと、「まーた語ったんですかぁー」と言う。

しばらくしてから私のところに来て、演説を始めやがった。

曰わく「パリでお世話になった写真家のセンゴさんに、お礼をしようと思ったんですよ。米子であなたから買った『あれ』覚えてます?あれにしようと思った。ところがですよ、どうやって差し上げようかと考えましてね、ただのプレゼントじゃ面白くないと思っているところに、センゴさんが風邪気味だという。そこであれを『これを首に巻いてご覧なさい』と言って渡したら、首に巻いて離さない。何日か経って『ひょっとして、これをいただくという事にはなりませんか』とセンゴさんがいうから、『最初から奥様にプレゼントしようと思っていた物ですよ』といってお渡ししました。大川さん、これが『こころ』ってもんですよ。『こころ』っていうのは語るもんじゃありません」なんてぬかしやがりましたね。

「あれ」とはウールのストールですが、センゴさんは天然繊維アレルギーなので湿疹ができる。
それでも、首にまいて離さなかったらしい。
奥様もお気に召していただいたとのこと。

誠にありがたいことだ。

そして、「センゴさんが言うには、『これまで色々藍染をもらったが、ありゃーみんな偽物だね。これを首に巻いて、私は直ぐにわかったよ』と言ってましたよ」とは、これも鍛冶屋の弁。

これまた、ありがたいな。
まあ、鍛冶屋の顔も立ったのだろうけれど、あいつの首に巻く奴が無くなっちゃったわけで、褒められついでと、この間、このブログでくさしたお詫びついでに、手織りのウールの、この世に二枚しかないマフラーを上げちゃった。

夜は宴会。
帰り際に、鍛冶屋が握手を求めてくるから、「なんだ?」と言うと、「あなたね、自分の発言の影響力って物を知らないでしょ。これから気をつけて下さい。これは、紺屋と鍛冶屋の手打ちって事です」だとさ。

私は「わかりましたよ」ってなもんです。

2008年10月23日 (木)

08/10渋谷通信 「柿の木坂」

渋谷の初日。

ここは夜九時までの営業ですから、初めから飛ばしますと身が持ちません。
ペースを守って、焦らず逸(はや)らず働かなければならない。

ちょっと早めに出勤いたしましたので、11時には腹が減った。
久留米絣の省ちゃんと洋傘の中島さんの三人で昼食。
話題が戦争の話になってしまった。
ちょっと、省ちゃんと議論。
中島さんは、取りあえず黙って聞いていましたが、きっと何か意見がおありだろうと感じましたね。
まだ遠慮がちかな。

12時頃に売り場に戻りましtが、目も開いておりません。

焦っても仕方ありませんから、お手伝いの新井さんを食事に出す。
すると、お客様がいらして、ブラウスをお求め。
海で素潜りするときに良いとおっしゃる。
海で遊ぶために、山を歩くともおっしゃる。
実に面白いお話しを伺いました。

新井さんが戻って参りまして、新作のベストを売ってくれた。
この方、試着もなさらず、デザインをお気に召してくださったらしい。
ありがたい。

雑賀さんが、久しぶりにお見えになった。
私と平井の追っかけを、自認する方。
雑賀党の末裔。
和紙の細工物をなさっているので、この間染めた和紙のハギレをお送りする約束を致しました。

雑賀さんとお話しをしていると、お客様が熱心に藍染を見てくださる。
ウールのケープをお求めいただきましたが、住所を書いていただくと「柿の木坂」とあります。
私が20代の頃の年越し蕎麦は、柿の木坂の蕎麦屋まで行って食べておりました。
その話を致しましたら、「もう無いのよ」とのこと。
でも、近くにお住まいで、話が弾みました。

あい御影さんというラテン歌手の大立て者が、当時柿の木坂にお住まいで、そこに連れて行かれておったのです。
これが、私の音楽人生を変えることにもなる。
そんなことはともかく、柿の木坂は思い出深い。
そして、「私は『柿の木坂』という歌が大好きです」と言ったらこのお客様、「あら、私調べたらね、あれは何処かの田舎の『柿の木坂』らしいわよ」なんて、夢も希望もないことをおっしゃる。
そう言えば「駅まで三里」もありゃしません。
駅も「都立大」だし。。。(涙

そんなことで、初日は終了。
成績は近年に無く、良好な出足です。

当たり前なのですが、そんな話を書く気力が無くなりました。
酒だ酒だぁー!


渋谷 「搬入」

閑馬で様々に用を済ませ、磯さん差し入れの焼き芋を一つ食べただけで、18:37分発の特急で、一路渋谷へ。

乗り換えも面倒ですので、浅草から銀座線で終点渋谷までのんびりと座って参りました。

20:50分屋上集合と言うことでしたが、20分前には着いた。

エレベーターが妙なところで止まると、高橋道遊さんと亜美ママが乗ってきた。
そのままみんなで屋上に行くと、久留米絣の省ちゃん、洋傘の中島さん、漆器の遠田さん達が、バタバタと乗り込んできて、私も降りずにそのまま地下の食堂に連れて行かれた。
ここでミーティングがあるのです。

この催事は5回目だそうですが、私は2回目から出展しております。
初回はこのミーティングに出席いたしましたが、後は、大阪から渋谷に入っておりましたので、時間的に出来ませんでした。
今回は、工房からですから、出席。

普段会えない職人達と会えるのが、この催事の良さですが、念珠の元村師匠がいたのには驚きました。
出展者のたった一人を除いて、皆出席。
ミーティングが終わりましてから、全員で屋上に行き、商品を自分たちで会場に搬入いたします。
大混雑ですが、そこは仲間内ですから助け合いだ。

元村師匠は初出展だし、耳も遠くなり、年も取りましたので、私が台車を探して半分手伝った。
身体の具合の悪い亜美ママは、道遊さんともう一人のお手伝いさんに助けられながらの搬入。
銀細工の名人・進藤さんは、奥様と二人で大きな荷物を手で運んでいるから、私の台車をお貸しした。
台車の無くなった私には、小峰ラタンの若旦那が回してくれた。
いつもながら、職人達の連携・助け合いは、大した物です。
だれも偉ぶるでなく、平等に働いております。
欠席は鍛冶屋ですが、彼の荷物は、いつ誰が会場に運ぶのでしょうかね?

そう言えばその昔、みんながその日の内に搬入したのに、一人だけ次の日の朝という業者が、船橋の催事にいました。
曲げわっぱの人だった。

さて、展示ばかりは、助け合いというわけにはいきません。
箱から出すのは、道遊さんが助けてくださいましたが、後は一人です。

何とか11時ころにはけりを付けた。
この催事では早いほうです。

終わって長女の所に潜り込みました。

「なにか酒ないか?」というと、赤ワインが出て参りましたので、それを飲みながらの一筆啓上でござりまするぅーm(_ _)m




2008年10月22日 (水)

親ばか2態

藤沢から帰って参りましたが、本日は渋谷東急東横店の準備の日。
夜であります。
昼間は社長業だ。

藤沢の最終日は、早めに出勤して、朝礼に出て、お世話になった皆様にご挨拶をしようと思っていたら、カミサンから電話があった。
「あい(三女)が、9時からのテレビに出るかも知れないよ」という。
私があまりにも世間知らずだから、テレビと新聞を見るようにカミサンに言われ、家では最近見ていても、旅に出てしまうと元の木阿弥で、やはりテレビは見ないし新聞も読まない。
娘のことなら別だから、早速スイッチを入れた。
癌の事らしい。

三女は髪結いで、癌患者のカツラ作りのボランティアをしている。
本業の時間を多少犠牲にはするけれど、これも何かの気づきにはなるはず。
それでも、この間まで勤めていた大きめの美容室では、指名数が全店で二位だったらしい。
まあそのせいで、辞めるのにも、辞めてからも苦労をした。

癌患者を追った番組で、その場面を取材されたらしい。
出るかでないか分からないけれど、見てしまった。
結果は、後ろ姿と手元が映った程度でありました。

朝礼にはもちろん、出られませんでした。
 

長女もテレビのレギュラー番組を持っていた。
夜中だけれど、これも必死に起きて見ていた。
だけど、「つまんない」とか言い出して、辞めちゃった。

良いか悪かなんて言うつもりはないけれど、お陰で睡眠不足にはならないですんでおります。

その長女が最初に雑誌に出たのは、「明星」。
これを見るなんて事は、あるはずもないけれど、買ってしまった。
もう十何年も前の話し。
写真が紹介されていて、一緒に写っていたのは、藤沢の売り場の、目の前の店の売り子さんの息子さん。
当時もそうだったけれど、今でも超有名芸能人だ。


そんな息子を持ちながら、コツコツとお仕事をなさっている。
秘密でも何でもないから、聞きつけたファンが偶に来て、一緒に記念写真なんか撮って行く。
お母さんはうれしそうにそれに答えているけれど、わかるなぁ~!
お話しをしていると、時折「うちの息子がね」なんて話も出て来る。

その息子さんとの仕事は、ギャランティーも良いはずだけれど、我が娘は二度としようとしない。
訳を聞けば、「下手になるから」。
お陰で上手くなったらしく、それなりの評価を得ていることは知っている。
色々な生き方がある物だ。

親としては、羨む事がなければ、それで良しです。

2008年10月21日 (火)

08/10藤沢通信vol.7 「報」

藤沢最終日。

コツコツと朝から商売に励み、何とか最低目標達成!

担当の高坂くんに、「私の居なかった一日を除けば、まあまあだな」と言うと、「その通りですね」だって。

可もなく不可もない成績でございました。

宇都宮でちょいとトラブルが発生。
販売の間、電話とメールで大変でありましたが、その経緯はここでは書けません。
興味のある方は、ミクシィでどうぞ。

唯一言言わせていただければ、「酒見君、ご苦労様でした」と言うことかな。

 
百貨店の業績が、この1・2週間で大きく落ちていると、テレビで報道されていますが、まあ、藤沢もご多分にもれずでありました。
そんな中では紺邑は、健闘したと言っても良いかも知れません。
これも、ご常連のお陰。
長いお付き合いのお陰ですね。

「小売り」というのは文字通り、「小さな売り」で、その集積で小売業は成り立っている。
また、それが本文ですね。
私が持っているバッグは1,000円です。
使ってみれば、1,000円でも高いと思うけれど、買ったのは、日本の一流百貨店だ。

その積み重ねで、小売業は成り立っているというのは、本質的な問題でしょう。
売っていた人は、一流大学をでて、高い給料をもらっているはずの正社員ですが、そういう物を忘れている報いというのも、あるのではないかな。

「報い」という言葉を使いましたが、これには「以前した行いの総決算としてその人に与えられる、負の結果。〔古くは、プラスの面についても言った〕」と辞書には書いてある。
その行いが「徳」である場合を、二宮尊徳は「報徳」といった。
この際、
「積小偉大」という、二宮尊徳の言葉を、我が業界は思い起こす必要があるのではないか、なんて思っております。

道遊さんと会って以来、頭が小難しくなってしまった。
ちょいと切り替えるために、今日は家に帰って参りまして、カミサンといっぱいやることにします。

08/10藤沢通信vol.6 「販売」

藤沢六日目

お仕事は順調に運びまして、最後にはご常連の奥村さんに、ブルゾンをお求めいただいた。
2 このブルゾンは新作ですが、私も着たい。
パールの長谷川君も欲しがった品物ですが、生地の関係で、三着しか出来ません。
それこそ「紺屋の白袴」で、私が着ることは一生無いでしょう。

 
藤沢も明日を残すのみですが、紺屋とはいえ、販売して成り立っております。
我々職人の世界も、作るだけでは生きて行けません。
それを愚痴ろう何て気は全くありませんが、販売は難しい。

一週間の最低予算という物があります。
赤字にはならないという、極めて消極的な目標ですが、世間では最近、これに達しない売り場が増えてきているらしい。
ならばどうするかという事は、経営者としては考えなくてはならない。
そういう難しい話はともかく、今週はどうかと言えば、私の居なかった一日分、売り上げが足りません。

私でなければ売れないというのは、まことによろしくないことではある。
さてどうするかというと、今度は販売する者の問題も出てきて、より一層難しくなる。
ならば、私が販売する方が、問題の解決は簡単だから、私が出張して販売すると言うことになる。

社長が会社にいることは、大切なことだ。
だから、何とかそうしようと思うけれど、任せられる販売力のある人に、なかなか出会いません。
「思いは通ずる」といいますから、現れるように念じてみましょうかね。

では、どうすれば販売力がつくかと言えば、昨日道遊さんとお話しした「こころ」が大切なんだろうと思う。
相手の身になると言うことですね。

自分で書きながら、反省しております(^^;)

2008年10月20日 (月)

08/10藤沢通信vol.5 「こころ」

藤沢五日目
ホテルでネットが繋がらず、一日遅れの記事であります。

ここは江ノ島・鎌倉の入り口ですから、土・日・祭日は、2階にある江ノ電の改札口はお客様で一杯になる。
その為か、店内は午前中閑散たるもの。
昨日も、ご多分にもれず。

午後、珍しく高橋道遊さんが見えると、次々とお客様がいらして、忙しい一日となりました。
お客様が途絶え、二人で小難しいお話しをしておりますと、「あれ!」と声が聞こえる。
ふと下りエスカレーターの方向を見ると、大阪の弘中夫妻が降りてくる。
「なんだなんだ?」と、あるはずのないことが起こった時の不思議な感覚。
聞けば、休暇を取って夫婦で旅行だそうだ。
いつもなら海外に行く所を、ご時世で倹約旅行をしているらしい。
もう年だから、誠に結構。

Ca39006100010001 この男が、日本の「職人展」をやり出した張本人。
日本の催事を変えた男だ。

しかし、そう言うことを知っている人も、もう何人もいないかも知れないな。
それに、サラリーマンだから、そう言うことの評価はあってないようなの。
当時は25歳の若造で、今や30後半のおっさんだ。

しかし、同期では出世は早い方らしい。

夫婦で来たが、結婚式にも出席した。
歌も歌いましたね。

土曜日は、日本橋の高島屋で鍛冶屋に会った。
鎌倉・江ノ島に観光に来たが、駅を降りると百貨店がある。
ちょっと見学と思って入り、「まさか、こんな所に知り合いはいないよね」と夫婦で話していると、藍染が見えてきた。
「まさか」と思ったら私がいたと、こういう具合であります。

道遊さんとは、まあ色々話したけれど、戦後の日本人は、「こころ」を置き忘れてきたなんて話したら、「じゃあ、こころとは何です」と突っ込まれてしまった。
こんな事を話したら一日じゃぁすまないだろうけれど、この場合の「こころ」というのは、いわば日本人の心で、それは「相手の身になることだ」と私は答えさせていただいた。
これは難しいこと。
だから修行がいる。
教育と、歴史を見る事の重要性の所以、なんて話をさせてもらいました。
つまり、「しきしまの 大和心をひととはば あさひににほう やまざくらばな」という事でありますが、これも改めて、いつか何処かで。。。

2008年10月18日 (土)

08/10藤沢通信vol.4

藤沢4日目

ホームコンサートのために帰ることにしてましたが、どうも、人が余り集まらない様子。
それじゃぁ、ギリギリまで藤沢で商売に励もうと思いましたが、身体が帰りモードになっているためか、集中が出来ません。
あきらめて、13:18分大船発の湘南ライナーに乗って、久喜経由で閑馬に帰りました。

ホームコンサートに人は集まらなくても、久野さんの展示会は盛況らしい。
カミサンを含め、スタッフみんな、充実した顔つきです。
小林さんも菅沼さんも、手伝って下さる。
誠にありがたいことです。

案の定、ホームコンサートには人が来ない。
「いいや、みんなで食事会にしよう」と、久野さん親子と私達夫婦の四人で、楽しく夕食が始まった。
しばらくすると、階段を上がってくる足音がする。
私は久々にお会いする、ご近所の山持ちの田中さんだ。
「それじゃー、田中さんのために歌おう」と、コンサートを始めると、「今晩は」と、今度はお馴染みの磯さんがお見えだ。
この二人は、紺邑にとって豪華なお客様。
そして、親父殿の工房からの、古い古いお付き合い。

ところが初対面。
ところが、仕事場のオーナーが一緒だから、話が弾みだした。
私の歌などBGMになってきたので、頃合いをみて止めちまいまして、私も会話に加わった。

私の伯父の話し、ご近所の話し、桐生の話しと弾み、良く聞くと、お子様達も知り合いらしい。
さすが田舎のことだし、お二人とも顔の広い人だから、当然と言えば当然ですが、すばらしい宴会となりました。
これだけでも帰ってきた甲斐があった。

充実した夜でしたが、出来れば藤沢に帰りたい。
21:23分発、浅草行き区間急行というのに間に合い、その車内で、この記事を書いております。
もうすぐ館林に着くらしい。
東武動物公園までは各駅停車ですから、のんびりしているのですよ。

ホームコンサートのおしらせ

ただ今、閑馬の工房にて、「久野説子創作絵付け硝子展」を開催中です。
事の一月に行われ、好評を得ましたので、その第2弾。

新しくなった2階ギャラーを見学がてらにでも、是非、お遊びに入らしてくださいませ。

期間は、明日の19日日曜日夕方の5時までです。

入場はもちろん無料!

 
「絵付け硝子教室」も行います。
時間は随時。
材料費を含め2,500円から
楽しいと思いますよ。

 
本日19日土曜日は、私のホームコンサートがあります。
今回のテーマは「秋」!
会費1,500円でお食事と飲み物と私の歌付き。
気楽に遊びに来て下さいませ。
ギターを弾き語ってみます。

  
こんなお知らせは、早くやらなければ行けませんね。
私は割合キャパシティーが無い人間で、それは自覚しております。
申し訳ございませんm(_ _)m

2008年10月17日 (金)

08/10藤沢通信vol.3

藤沢3日目。

昨年は、そこそこの数字を上げている日。
さて本日は、あまりにものんびりした出足。
いつまで経っても、お客様の足が止まらない。
ただただ流れてゆく。

パソコンを開けて、昨年のデータを見ると、お客様は二人しかいないけれど、大きな買い物があったと言う結果が出ています。

こりゃ、しょうがないと思ってのんびりすることにしました。

そうしますと、「こんにちは」と、鈴木さんがお見えになった。
春に受注した物の出来上がりが遅れまして、大分ご迷惑を掛けたので、それを叱りに来たらしいところで、新作をご紹介したら、「ミイラ取りがミイラになったわ」とおっしゃいましたが、三点お買い物をしてくださった。

しばらくすると、昨年ベストジャケットお買い求めなさり、評判も良く、気に入っていただいたのですが、ご病気でちょっと太ってしまったので、変わりが欲しいというお客様がご来店。
小さくなったベストジャケットを、大きくしましょうと、修理となり、その間着るものが見つかって、それをお買い求め。
この二つで昨年並みになりましたね。

他の百貨店の噂も聞こえて参りました。

昨日は、株価が大幅に下がった。
そのせいかどうか、良い話は伝わってきません。
しかし、今日お買い物をして下さったお二人を見ると、それ程悲観したものでもないかもしれない。
まあ、私に分かる事じゃない。
ただただ、良い品物を作るしかありません。

2008年10月16日 (木)

08/10藤沢通信vol.2

藤沢二日目。
ここはいつも、二日目が酷い。
だから前年と比較しても仕方ないけれど、今日は昨年度比数百%の出来。
やはり、禍福は糾える縄の如しか。

しかし、「禍福」とは決して売り上げだけであるはずがない。
私が、「福」に気付くことが出来るかどうかだろうと思う。
やはりそれは、人との出会いなんじゃないだろうか。
それならば、この百貨店は、すばらしいお客様が沢山いらっしゃる。

朝一番のお客様は、三年ぶり。
「毎回ご案内状を頂いているのに、これなくてごめんなさいね」と、言ってくださる。
「病気してたの」との事。
そういえば、言葉に力がありません。
「それじゃぁ、藍を着なくちゃと思って、思い切って来たのよ」ですって。
確かに、お住まいは戸塚ですから、わざわざ紺邑の為に来て下さったのです。
紺邑としては珍しく、濃紺のブラウスがありましたのでご紹介したら、いっぺんで気に入って下さった。

初日に見ていた方が、今日も来ていただいて、お買い物してくださった。
どうも雰囲気が変わっている方でしたが、「明日、ニューヨークに帰ります」とおっしゃる。
外資系の会社にお勤め。
それも単身だが、結婚なさっていない。
もちろん女性。
なるほど、ニューヨークに住んでいるのが自然な雰囲気だから、変わっているという印象を、私に与えたのでしょう。
長いお話しになりましたが、現在のニューヨーク事情がよく分かりました。

座りながら仕事をしておりますと、時折眠くなる。
ふと気が付くと、目の前にお客様がお立ちになった。
反射的に、「こんにちは」とご挨拶。
それが良かったのか、綿セーターをお買い求め頂いた。
息子さんが、青のストールをプレゼントしてくれたので、それにピッタリだろうと言うことでした。

お馴染みのお客様にも、いらしていただいております。
少々体格の良いお客様。
一日10㎞歩くという。
この辺りは江ノ島・鎌倉と、散歩に最適だ。
それも、時速6㎞で心拍数120と、計りながらだというのだからすごい。
「それでもちっとも痩せないの」と、大笑いなさる体格です。
ご注文で、パッチワークのジャケットをお作りしているのですが、何処に行っても評判がよろしいとのこと。
真にありがたい。
コートの染め直しもしておりますので、信頼は抜群。
もう一度ご来店いただいて、今度はご主人のシャツを考えてくださっています。

出会いを大切にすることこそ、「福」を招くと信じることに致します。

それにしても眠いな。。。(-_-)

とここまで書いて、ニュースを見ると、株価の大暴落が伝えられておりますね。
記事を読めば、相変わらずファンドがどうだこうだと言っている。
「実体経済」などというのも、変な言葉だ。
我々は、実体経済の中に生きていますけれどね。

人間は、物を食い、家に住み、衣服を着て生きているという、当たり前の所に帰らなければならないのではないかな。
そのために何を為すべきかという仕事は、「実体」というよりも、「本質」と言うべき物じゃありませんかね。

2008年10月15日 (水)

08/10藤沢通信vol.1

藤沢の初日でした。

昨日は、鉄道事故のお陰で準備できず、今朝早くから準備・飾り付け。

約一ヶ月半振りの百貨店ですので、ちょっと手間どうかと思いきや、長年の経験と言いますかなんと言いますか、いつもと何ら変わりなく出来てしまった。

久しぶりに百貨店で紺邑の藍染を見ましたが、きれいだな。
担当の高坂君も、そういう印象を持ってくれたようだ。

このご時世だから、藤沢の調子はどうだろうかと朝礼を聞くと、5階のフロアーは予算をはるかに超える成績のようで、めでたい。
今日はどうだったかと言えば、低調に終わりました。

分析は苦手ですけれど、駅向こうの百貨店の「北海道物産展」が初日だったこと。
外商の宝飾催事が、箱根で行われて、その筋のお客様が来なかった事が上げられるらしい。

紺邑にはそれでも、お馴染みさんが来て下さり、数字は出来たかなと言う程度。
やはり、低調の部類だな。

明日からは、きっと良くなることでしょう。

何故って、「人間万事塞翁が馬」って言いますからね(笑)

 
さすがに疲れ気味で、ちょっと早めにホテルに帰ってきました。
サッカーの試合もありました。
久しぶりに代表の試合を全部見ましたが、大変そうだ。
人材の問題は、大きいけれど、今更、黄金世代に頼れないのは、政治と同じで気分かも知れないなんて、余計なことを考えながら見ておりましたね。
稲本が先発じゃない理由が、何かあるんでしょうか?

岡田さんには、「空気の研究」の再読を勧めたいな。

さて、寝ます。
お休みなさいzzz

人間万事塞翁が馬

明日から、久々に百貨店でお仕事です。
小田急藤沢店5階下りエスカレーター前で、「紺邑正藍染展」をいたします。

今日はその準備日。

工房で様々に用事がありましたので、電車に乗ったのが夕方5時。
やれやれと思い、ウトウトしておりましたら急ブレーキが掛かった。
そして、止まったきり動かない。
踏切の警報機が鳴りっぱなしだから、事故かなとは思いましたが、何の衝撃も感じられなかった。
その内放送があって、「踏切で障害事故があり、ただ今調べております」という。
「障害事故とは、随分おおざっぱな表現だな」なんて感想を持ちながら、もう少し待てばよいのかなと思ったら、車内の電気が薄暗くなった。
そして、「この電車は、踏み切り内で軽自動車と衝突しました。現場検証など、もう少しお時間が掛かります」なんて言い出す。
どれどれ!?と外を見てみると、軽自動車が反対側の線路を塞いでいるではありませんか。
しかし、ライトは片方ついているし、左側のボンネットとドアがつぶれている程度で、人が死んだような大事故ではないらしい。
道路上の事故として見ても、軽いようにも見える。
ところがしばらくすると、車内のライトは全部消えるし、外では当然サイレンが聞こえるし、目をこらすと野次馬はたかっているし、仕舞いには放送で、「お客様には申し訳ございませんが、これからレッカー車の到着を待ち、自動車を撤去し、安全を確認してから出発いたします。相当なお時間が掛かると思われますが、ご了承下さい」なんて言うので、腹が据わってすっかり諦めムード。
担当の高坂君にも連絡し、最悪は、明日の朝搬入と言うことに致しました。

こんな経験は初めてですが、事故を起こした当人は大変だろうと思う。
私たち乗客も大変だが、そんなことは何でもない。
無事を祈りますね。

それにしても、私を含めて、他人事には冷たい物だな。
車内の人達は、電話で会社や自宅に報告しているし、笑っているし、私も同じ。
「無事を祈る」と言ったところで、事故を起こした当人とは全く別な人生が、乗客の私たちにはあるわけですからね。

そんな当たり前のことを考えながら、事故を起こした人の身になって感じてみた。
こんな事は、滅多にありませんからね。

約1時間半掛かってようやく出発。
ところが、「この列車は、次の羽生で打ち切りとさせていただきます」というアナウンスがあった。
「打ち切り」という意味は知りませんが、多分、羽生で乗り換えろと言うことなんだろうと思った。

羽生についてみると、その通りで、鈍行(各駅停車)の久喜行きに乗り換え、久喜でまた乗り換えた。
久喜までの30分は何とか座れましたが、久喜から北千住までは立ったまま。
北千住から秋葉原を経由し、東京駅にようやく着いた。

時刻表を見ると、20:43分発の熱海行きと、20:50分の小田原行き通勤快速があった。
藤沢に着くのは、何故か後発の小田原行きの方が早いので、そちらに乗り込む。
ところが混んでいて、やはり立ったまま。
きっと横浜で皆さん降りるだろうし、ことによると、川崎で座れるかなと思いつつ、おもむろに電車は発車いたしました。
新橋に止まり、品川の手前でまた急ブレーキ!
車内放送が、「品川で人身事故がありまして、その影響で、東海道線も止まっております」だって。
あらら、今日2回目の鉄道事故だ。
今度はお客が一杯。
私は立ったままだから、長く待つのは嫌だなと思いつつ、それでも40分ほどじっとしておりましたね。

動き出して分かったのですが、この列車は通勤快速で、品川の後は大船まで止まらない。
と言うことは、今座っているお客は、皆さん大船までお座りで、私はそこまで立ちっぱなしと言う事だ。
なんと言うことだとは思いましたが、この列車を選んだのは私だし、次は大船だから、早く着くことには違いない。

ところがところが、品川を出発したとたん、「この列車は、本日に限り、小田原まで各駅停車とさせていただきます」だって。
川崎に止まると、大勢のお客が乗ってきた。
横浜では、乗れない人が出て来るくらいで、まるで通勤ラッシュの様だ。
座っている人達は、当然降りる気配もない。

ようやく藤沢に到着しても、降りるのに精一杯で、人をかき分けかき分けようやく降りた。
時刻は遙かに10時を超えておりました。
階段をようやく上がり、やれやれ改札についたと思ったら、小田急との乗り換え専用改札だった。
仕方なく階段を下りて、別の階段をまた上がり、やっと外に出られた。

そんな一日でしたが、何なんでしょうね?
「禍福はあざなえる縄のごとし」と思い、「人間万事塞翁が馬」と思えば、今回の旅は、大成功に終わることでしょう。
実に幸先の良い一日でありました。

2008年10月13日 (月)

またぎ

「またぎ」を辞書で引きますと、「東北地方などの山間部に住む、古い猟法を守って狩りを行う狩猟者」(大辞林)とあります。

閑馬辺りは、関東平野の突き当たりで、山間部と言うより、丘のような山地と言った方が良いくらいな物で、それ程高い山もありませんし、深山の如きおもむきもありません。
それでも、所謂「またぎ」の様な人はいる。
名をSさんと言います。

この人の取るイノシシや熊や鹿は、美味しいので有名。
東北のマタギが仕入れに来るほどだし、有名料亭も買いに来る。
何故美味しいかというと、手の入れ方が違うのだそうな。

昨夜は、お馴染みの磯さんの家で宴会。
そこに、Sさんがいらして、イノシシと熊を食べさせていただいた。
イノシシは鍋と薫製。
熊は薫製と言いますか、チャーシューの様な肉でした。

双方とも、実に美味しくいただいた。

 
お酒は県北大田原の「純酒粕取焼酎『天鷹』」。
これは乙なお味。
私はオンザロックでやっつけた。
しかし、余程の酒飲みじゃないと、ちょいと飲めないかも知れない。

CAMUSのナポレオンも一緒に飲んだが、どういう取り合わせなんだか!?
 

そしてSさんから、熊とイノシシの狩りの話を、実際の携帯の動画を見ながら解説を聞きましたが、恥ずかしながら、人生58年生きてきて、割合様々な経験をしてきた私が、圧倒されてしまった。

犬を9頭飼っているそうですけれど、その教育の仕方と、実際の狩りの様子は、凄まじいものだ。

冬眠中の熊を狩る方法も、なんと表現して良いやら。
余程性根が据わっていないと、どんな人でも腰を抜かすそうな。
さもありなん。

Sさんのお話を、文字で表現するほどの力を私は持ちません。

閑馬には最近、色々な連中が来ていますが、彼らはSさんの話を聞かなければならないと、私は思いましたね。
「今度、みんなを連れて行きますから、よろしくお願いします」と私が頼みますと、「ああ、いつでも良いよ!」と快諾を得ましたね。

Sさんの所では宴会は出来ません。
酒は一滴もやらないのです。
だから、また磯さんにお願いしようかなと思っています。

若い連中も、やはり、イノシシと熊と鹿くらいは、食わなければなりません。

鹿は、刺身が抜群。
イノシシのモツは、他人に食わせたくないとSさんは言う。
その掃除の仕方を聞くと、これまたさもありなんでね、食った奴が簡単に「美味い!」いうのを聞くだけで腹が立つのだそうです。
だからいつも、一人で食するのだそうですが、一週間も食い続けると、さすがに飽きるそうな。
これは食わせてもらわなければなりません。

熊は…って、もう止しましょう。

その内に。。。(^^)/

工房改造vol.7

工房の改造が、着々と進んでおります。

日曜日は、染め場はお休みですから、私とカミサンだけで店番。

そこで、2階のもう一つのドアに、藍染めした和紙を張りました。

今回は、ドアを外すのがちょいと面倒なので、そのまま張ることにしました。
どうするかしばし思案した結果(もちろんカミサンが)、市松模様に決めた。
私もそうしたらどうかな?と思っていた模様なので、大賛成。

和紙を三等分し、それをまた二つに折って、やや正方形に破ります。
破るについては、刷毛に水を含ませ、折り目に水を塗って手で破る。
そうすると、和紙の良さが醸し出されるというわけだ。

 

20081012160015 和紙の方に糊を塗って、張ります。

ちょっと面倒なのは、ドアが隠れている部分。
そこには、プラスチックの薄めの定規で、和紙を押し込んで張りました。

取っ手も外す。
最近は、そういう作業にも、ちょっと自信がついて参りましたね。

 

 

20081007172732 夕方、溝越さんが様子を見に来てくださった。
以前の状態と比べ、ずっと良くなったとお褒めの言葉を頂きましたね。
私たちにとっても夢のようで、自分で出来るとは思いも寄りませんでした。

 

 

 

  

20081012160210 玄関のドアは、張られていた和紙をはがしてペンキ塗り。

これで、雨にも負けないドアになったと思います。

今日は、ドアの上側を脚立に乗って塗りました。

私は高所恐怖症で、以前は脚立の三段まで上るなんて事も考えられなかったのですが、それが、こんな高いところも塗れるようになった。
自分でびっくり!

 

 

 

和紙をドアに張るというアイデアは、面白いとは思いますが、外の場合は、雨の対策をするのは当たり前のことだと、ド素人の私でも考える。
ましてやご覧の通り、このドアには庇(ひさし)がありません。

 

  
Dscf1210_2
この工房の出来上がった一年前の画像ですが、この時からもう雨水によるシミが出ております。

その内、左上の和紙が剥がれた。

それも修理されずに一年経ちまして、よく見るとセロテープで剥がれた和紙を張っていたくらいで、恥ずかしいので、ドアは開けたままで、お客様には見せないようにしておいたくらいなのですよ。

 

  

  

 

  

取っ手は木の枝。
このドアを作った人が、「ちょっと山に入って、枝を見つけてきます」と言って付けた物。
生木で良いのかいな?と思っていたら、しばらくしてキノコが生えだした。
もうみんなで大笑い。
付けた人に見せてやろうと思っていたら、それ以来、和紙の状態も取っ手の枝の状態も見に来ない。
キノコが生えていた枝は、和紙を剥がしているときに、さすがに折れてしまいましたね。
一年ちょっとは持ったということですが、そんな取っ手はどうなんでしょうかね?

最終的には、この冬の暖房と、2階の水回りの問題が残っております。

2008年10月11日 (土)

工房改造vol.6

朝はDMの残りを印刷。

印刷機が働いている間、私が付けたドアを外して、藍染めの和紙を張る作業を致しました。
この作業の主役はカミサン。
要はデザインですから、私の能力を超えております。
取り外しと取り付けと、和紙の藍染めは私の役割。

20081011174541_2 何とも良い色合いで、自画自賛。
写真は携帯ですから、実際の物の方が、さすがに良い。
一度見てくださいませ。
裏側も、藍染めの和紙を張ってあります。

色の濃淡を上手く組み合わせた物です。
この上に、様々に紙を切って貼ろうというわけだったのですが、これはこれで一つだということで、しばらくはこれで行きます。

 

  

 

  

20081007172513_2 参考までに、張る前のドアの写真。

合板の色気のない物でありました。

光が斜めに入っているのは、ライトのガラスの傘の影です。

久野さんに、絵を描いていただく予定ですが、そうすると、また雰囲気が変わります。

玄関のドアも変えました。

以前は和紙を張ってあった。
それが雨に打たれてボロボロにはがれ、実にみっともない物になっていたのです。
どうしようか考えに考え、和紙をはがしてペンキを塗ることにしました。
もちろん、考えたのはカミサン。

  

  

その表の具合は、暗くて写真が撮れませんでしたので、裏の様子をご紹介します。
20081011175813_2
和紙は、昨日のうちに、菅沼さんと小林さんの二人で取っておいていただいた。

それにペンキを塗り、庭のススキを貼り付けてありますが、これは出来上がりではないようです。
これからもう一作業あるらしい。
如何なりますやら。

 

 

 

  

   

2007_09080023_2_2 因みに、以前はこんな感じでした。
これをどう見るかという問題もある。

しかし、明らかに和紙が雨に濡れてボロボロになった様子ではある。

まあ、それを放っておいた私たちも私たちだけれど、どうして良いか、方法が分からなかったのです。
「為せばなる」ですね。

 

 

 

  

  
 

まだ部屋が散らかっている所に、近嵐さん親子が宇都宮からご来店。
工房の改造が、どれだけ進んでいるかを見に入らした。
どうも、出来上がりを見ていただけませんでしたが、近々またお出で下さいませ。
割合、良い感じになりつつありますよ。

2008年10月10日 (金)

世相雑感 「政権交代」

昨日は、和紙の藍染めの続きを致しまして、都合14枚染めました。
特に、濃紺を数枚染めたために、体力を使い果たし、ブログに穴を開けた次第。

和紙だって、洗わなければ灰汁が残る。
これが、灰汁を使わない藍染めとの、大きな違いです。

和紙とはいへ、紙ですから、洗いには気を遣います。
手の動きも繊細になりますから、その分、体力も気力も、布の染め以上に使うことになる。
いくつか破きましたが、本日、出来上がりの色を見て、満足いたしました。

アイロンを掛けるわけにはいきませんから、また水に浸けまして、ダラ乾しを致しました。

ダラ乾しを言うのは、水洗いした染め物を、一切絞らずに乾すことをいいます。
いくらか乾いたところで、洗濯用のハンガーに移して乾かします。

 
夕方からは、DMをつくりました。
これも出来上がりは明日だ。

その間、暇を見つけて、パソコンをネットに繋いでみたら、「高島屋と阪急・阪神百貨店が資本・業務提携」という見出しを見つけた。
ありゃ!と思い、こう言うときは鍛冶屋にメールして意見交換をすることに、私は勝手にしているので(鍛冶屋には迷惑かも知れませんけれどね)、メールを送った。
何回かやりとりして、最後は「物作りの本文に集中」と言うことで意見が一致。
まあ、意見が違うと言うことも、滅多にありませんけれどね。
 

それにしても、株価の下落は目を覆うばかりだ。
世界中で酷いものだけれど、我々物作りしている人間だって、買って使う人がいるから成り立っている。
こんな事は、当たり前だ。
使う人が買い控えをすれば、我々の生活も危うい。

帰りの車でラジオのニュースを聞くと、民主党の鳩山さんは、それでも政権交代を叫んでおりますね。
政権の交代は必要かも知れないが、そのために政治があるわけではない。
そんな物は、手段に過ぎないではないか。
政治とは、我々の生活を守るためにあるはずだ。
こんな時は、「未曾有の経済危機に直面し、我々野党も、与党と共に、国民の生活を守るために云々」と何故言えないのか!

この人も小沢さんも、あまりにも政治的手段の遂行にこだわりすぎているのではないか。

選挙期間中、我々の商売があがったりになることは、つまり、世の中の消費が滞ることは、物を売ったことのある人なら、経験上充分知っていること。
だから、選挙をしてもらっては困るのです。

切実なんですよ。

それをお気楽に、政権交代などと叫んでいる人立ちの気が知れませんね。

地べたにはいつくばって生きている我々のことは、民主党のお偉いさんには、お分かりにならないようだ。

2008年10月 8日 (水)

「正藍染」と「本藍染」

ちょいと用がありまして、ネットで調べ物をしておりましたら、「正藍染」と「本藍染」という言葉が出て参りました。
私もこのブログで、「正藍染」について説明させていただいてもいる。
それにしても、私のを含めて、様々な説明があるものです。
「うちの藍染は天然藍を80%使用している正藍染です」なんていう説明にも出会った。
 

「正藍染」と言う言葉は、柳宗悦の著書「手仕事の日本」でも紹介されております。
ここには、日本の民工芸の、戦前の実情が良く表されております。
ご興味のある方は、読んでみては如何でしょうか。
戦後はどうなっているかと言えば、もっと酷くなっていると読んでいただいて結構だと思います。
もちろん、藍染についてもです。

最近、インターネットや新聞記事で紺邑をお知りになった方々から、電話を良く頂戴いたします。
それによりますと、藍染について大分混乱が見られる。
「正藍染と本藍染ってどう違うんですか?」とか、「色々なお話しがあって、どれがどれやらさっぱり分かりません」なんていう声もある。
インターネット上の「藍」と「藍建て」と「藍染」の説明を読んだ私の実感を申し上げると、染める方も売る方も、良くご存じないのではないかと思える。
だから、買う方は、余計に混乱するのではないか。

 
「正藍染」とは簡単なことで、「すくも」を「灰汁(あく)」で醗酵させる、伝統的な藍建て(本建て)による「藍染」の事を言います。
「すくも」を使わなければ、正藍染ではない。
「灰汁(あく)」で建てて(醗酵させて)いなければ、正藍染ではない。
苛性ソーダや石灰は使いませんし、ハイドロや亜鉛末や水飴やブドウ糖類などの還元剤も一切使いません。
もちろん、灰汁で建てた後も、同じです。
「本建て」が出来たところで、維持できなければ、建てたことにはなりません。
後で還元剤を使い、「正藍染」だと言っては、やはり嘘になるでしょう。

しかし、方法は一つではない。
私(紺邑)のやり方と違うからと言って、「正藍染」ではないなどという、おこがましい意見は、私は持っておりません。
日本で唯一の人間国宝・千葉あやのさんは「正藍染」として指定されていますが、その染め方を「正藍冷染」といって、私のやり方とは違います。
石灰をつかったり、日本酒を使ったり、この間は、糖分は一切使わず、フスマだけで建てていると言う人にも出会った。これは、フスマを誤解しています。
水飴やブドウ糖もいけません。

 
「本藍染」とは何か。
それが「本染め」の事なら、「本建て」でなくてはならない。
しかし、そんな意味はないのではないかと、経験上私は思います。
たぶん、「すくも」または、いわゆる「天然染料」として市販されている「藍」を使って染めている物を言うのではないかな。
ハイドロなどの還元剤を使っても、原料が「天然」だから「本藍染」と言っているように、私には見える。
つまり、原料が問題であって、建て方を問題にしていないのですね。
いやいや、原料の質も、問題にされない。

それが嘘になるかどうか、私には分かりません。

あまり詳しく書きますと、藍染をしている人や、売っているお店の営業妨害になるかもしれないので、これくらいにしておきますが、紺邑にいらっしゃれば、全てお話しさせていただきます。

和紙の藍染め 2

地元で漉いている「飛駒和紙」を、藍染めいたしました。

Dscf1829_2 四色、四態。

和紙に限らず、藍染めは素材によって染め方が変わる。
染めてみないと、どうすべきか分かりません。
先回の飛駒和紙は、水に浸けると溶けてしまい、藍染めに向かなかった。
今回は、藍染めできる、結構な和紙でありました。

 

  

水に浸け、藍に浸け、二度染めて、自然に身体と手が動き出す。
染める藍甕も、自然に選ぶ。
こういう事は、説明できる物じゃない。
出したい色を出すにも、私の動きは、決して意識的ではありません。
面白い物だ。

これを何に使うかと言いますと、ドアに張るのです。

 

20081007172513 私が取り付けたドアです。
何とも味気ない。
この表面に、藍染めした和紙を張るのですが、どうするかというのはデザイン力ですから、カミサンにお任せだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20081007172732 紺邑2階のエントランスには、ドアが二つあるので、両方に和紙を張ります。

窓の見える所は、階段の上がり口。
左が私の付けたドアで、正面はトイレになっています。

どんな雰囲気になりますやら、楽しみです。

 

 

 
 

誰が染めたって?

ワシ!

お後がよろしいようで。。。m(_ _)m

2008年10月 7日 (火)

トニー・ベネット

私が最も尊敬する歌手の一人に、トニー・ベネットがいます。

誰でも知っている歌は「I Left My Heart in San Francisco」。

アメリカの音楽史上、最高の歌手だろうけれど、二年前に80歳を記念して、世界のスーパー・スターとデュエットのアルバムを出した。
それを、NHKBS放送でやった。
私は見逃したのですが、それが悔やまれて仕方なかった。

本日、日本のラテン歌手の女王DIVA NORIKO姐さんが、送ってきてくれた。

それを見ましたら、我が人生最大級の感動をしてしまった。

ブログに書くことがあったのですが、とてもじゃないが筆が進みません。

歌もすばらしかったが、トニー・ベネットの「昔を知らなくて、何故未来が語れるのか」という言葉もすばらしかったな。

アメリカは、こういう文化がある限り、捨てた物じゃありません。

2008年10月 6日 (月)

イケア

本日月曜日は、完全休日とさせていただいた。

では、休んだかと言えば、工房改造計画のために、家具を見に行ってきた。
場所は横浜港北のイケア。
おまりの広さに、疲れ切って帰宅。
イケアはイケアで、他の家具屋と競合することは、きっと無いでしょうね。
店の中のお客の声も、「島忠」に行こうだの「ニトリ」に行こうだのという声が、聞こえてきますからね。

クタクタになって帰ってきて、またステーキだ。

ワインも美味しく頂き、明日からのエネルギーにします。

どうも、懲りませんねm(_ _)m

2008年10月 5日 (日)

草刈り

草刈りを致しました。
体力的に目一杯ですから、刈る草を選別するなどと言う器用なことは出来ません。
それでも、お客様の目から見た風景を想像すると、刈った方が今は良いと私は判断しました。

案の定、怒られた。
誰にって?「花宇宙」の村井先生に。
辛抱して咲かせた花を、刈ってしまったらしい。
申し訳ないと思いますが、致し方ないとも思う。
でも、しっかりと謝りましたけれどね。
 

日曜日ですから、時折お客様がお見えになった。
まことにありがたい。

下の社長もお見えになって、おしゃべり。
川口のお客様もおしゃべり。
どうせおしゃべりしているのだから、「紺邑の2階を、喫茶店とギャラリーにしようと思う」と言いますと、お二人とも大賛成。
特に川口の方は、「是非やって!そうすれば遠慮無く遊びに来れるから」と言ってくださった。

そのためには、色々揃えなければならない物もあるので、明日月曜日は、工房を完全休業にして、家具を見に行って参ります。

子供達も一緒ですから、楽しみだ。

皆様、紺邑の変身をお楽しみに。

和紙を藍染め

工房のドアは、私が付けられるくらいだから、重厚さはありません。
和紙を藍染めして、張ろうと思う。

栃木県には、烏山和紙がある。
主催する福田先生とは、古い付き合いだ。
国指定の無形文化財だが、政治にも非常に興味のある人で、行動の人でもある。
町長も、お務めになった。

でも、佐野市には、飛駒和紙というのがあるのです。
それを使わない手は無いだろうと、閑馬よりも10㎞ほど山奥の、飛駒(ひこま)に行って参りました。

恥ずかしながら、初めて伺った。
立派な施設で、お二人が黙々と紙を漉いていらっしゃいました。
聞くと、市の施設だそうで、漉いていらっしゃる方々も、これが生業ではなく、昔から農家の農閑期の仕事であったと言います。
佐野市にある学校の卒業証書を漉いていましたが、真に良いことだと思いましたね。

今は亡き石州和紙の久保田さんから、和紙の藍染めを頼まれていたことや、もう一件頼まれていたことなどを想い出しながら、大判の和紙を15枚、買い求めて参りました。

和紙を染めてみましたら、残念ながらちょっと弱い。
明日、強めの物に交換してもらうことにします。

そして、17日からのイベントのチラシも出来、庭の草刈りも終わり、明日からの工房改築は、いよいよディテールに入ります。

イベントについては、また詳しくお知らせいたします。

2008年10月 3日 (金)

次女

私には娘が三人おります。
その中で一番連絡が取れないのが、東京にいる次女。
メール入れようが留守電入れようが、返事なんて来たこと無い。
 

それはそうと、今日は朝八時半から工房の改装工事。
とは言っても大げさなものではありませんが、染める布をストックする場所作りました。

そして草ぼうぼうの場所を、草刈り。
何せ1500坪の敷地ですから、簡単ではありません。

とにかく家に帰ってきて、カミサンの手料理で、疲れを癒すためにステーキ。

ワインを飲んで眠くなったところで、カミサンの電話が鳴った。

うれしそうに話しているから、なんだと思ったら、次女がこれから帰って来るという。
私は、この間の吉祥寺の時、一緒に飲んでいますからそうでもないが、カミサンは本当に久しぶり。

特急も無くなり、下手をすると鈍行の最終時間だが、この子は本さえ読んでいれば、時間なんか全く関係がない。
鈍行でも充分なのです。

私は歴史なんかに割合うるさい、と言うか、良くしゃべる。
この子は、それに解説を加える。
私の知らないことを、本当によく知っております。
神話の世界や、古典の話になると、私が教わることばかりだ。
 

さて、芯は眠い。
起きて待っていられるでしょうか?
どうでしょう?

2008年10月 2日 (木)

工房改造vol.5

朝から縫製屋さんや仕立屋さんを回り、ホームセンターに行ってドアの取ってを買うことにしました。

ドアの取っ手というと、くるっと回して引っ張るか押すやつだと思っておりました。
っとすると、ドアに穴を開ける作業をしなくてはならない。
図画工作が大の苦手の私には、途方に暮れるような事だ。
しかし、「為せばなる」だ!っと思うことにしまして、カミサンと二人で選び出した。

そうするとカミサンが、「あっ、これが良いわ!」と、箪笥に着いているような引き戸用の取っ手を選んだ。
私にとってみれば「え!」ってなもんで、これならドライバーさえあれば簡単に付いちゃう。
「そんなのありか!?」というと、「バカねぇ、自分の力で出来ることをやればいいのよ」なんて言われちゃった。

「カギはどうするんだ?風呂場だぜ」というと、「こんなんで良いのよ」と選んだのは、昔のトイレの内側で掛けるような簡単なやつ。
なるほどと思いましたねぇ。

「お前、頭良いなぁ~」と言いましたが、心の底から思いましたね。

ところがどっこい、一つ問題がある。
ドアが開かないように、何か付いているのがあるはずだ。
取ってを付けたって、中からカギがかけられったって、いつもブラブラと半開き状態ではいけません。
ところが、こいつの名前が分からない。
係の人に聞くことにしましたが、説明が難しい。
「ほら、ドアを開け閉めするときに、カッチャていうやつがあるでしょ?あれ何処にありますか?」と聞いても、なかなか分かってくれない。
「ドアには突起しているやつがあるやつ」なんて説明している内に、「ああ、これですか?」と見つけてくださった。
これをルーターと言うのだそうです。

よく見ると、やはりドアと壁側に凹みを作って、そのルーターなる物を埋め込まなければ、ドアが閉まらない。
結局はノミを買わなければなりませんでした。

さて、私はやりましたですよ!
写真を撮らなかったのでご紹介できませんが、風呂場にドアを付けました。

図画工作の苦手な私としては、画期的なことなのであります。

ただ今カミサンから、「ここのところ、色々な発見をしているね」なんて、カミサンに言われてしまいましたが、まさしくその通りなのであります。
その内高江さんみたいに、ログハウスなんか建てちゃったりしてねscissors

2008年10月 1日 (水)

工房改造vol.4

今日も今日とて工房の改造。

2階のショップに、喫茶店の機能を持たせようと思っております。
その為には、キッチンを作り、カウンターも作らなければならない。
出来ることは自分でやろうと思っておりますが、餅は餅屋で、出来ないことは人に頼まざるを得ません。

自分で出来ることは、箪笥や棚の組み立て程度。
昔から「図画工作」の苦手な私は、一所懸命努力してようやくそれが作れる。
女性の菅沼さんなんか、パッパとやってしまうのに、情けないことだ。

20081001164849_2_2 それでも今日は、写真の引き出しを、二つ作った。
およそ、一日がかりでありました。

作っている途中で、カウンターを作る相談相手が来てくれた。
引き出しを作っている私を見て、「やはり社長は、そういう手作りが得意なんですね」なんて勘違いされちゃった。

 
小学生の時、ゴミ箱を作る宿題が出た。
のこぎりも使えず、釘も打てない私は、設計図を書いて、向かいの建具屋に持って行って作ってもらっちゃったのであります。
その出来はすばらしく、家が火事で燃えるまで残っておりましたね。
何が言いたいかというと、それ程苦手だということ。

そんな私が、一念発起して工房改造をしているのであります。

風呂場のドアが、付けられておりませんでした。
一年間、付けてくれるのを待っていましたが、どうも期待できないことが分かった。
それでどうしたかというと、今日私が付けた。

ところが、取っ手がない。
明日買ってきて、カギまで付ける所存!

「えらい!」と自分を褒めたい一日でありましたね。

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