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2008年11月

2008年11月30日 (日)

閑馬の日曜日

日曜日は染めはお休み。
私とカミサンは出社して、店番です。

朝、ご近所の役員の方々が、排水の状態を見にご来店。
ちょいと、藍染を説明させていただいたけれど、人間の理解力は、自分の経験や知識から離れられないと言うことは仕方ないことです。
我々の伝統の世界を理解すると言うことは、感じなくてはならない。
私たちは、人類数千年の歴史をしょっているのですから。
なんてこと言ったってね。。。
日本の戦後社会を憂いておりますよ。

こういう事は、徐々にお話しして参ります。

その間に女性が二人ご来店。
七軒町にも入らした佐野の人が、友達をお連れしたのです。
言葉に関西なまりがあるので聞けば、京都の方。
着物のデザイナーでした。
こういう人は感じることが出来るから、会話が成り立ちます。
ここに、社長と溝越さんが加わり、楽しい一時となりました。

溝越さんがコーヒーを入れてくださったけれど、これが美味しいこと。
たいした物だ。

私は仕事で閑馬泊まり。
工房で書いていますが、寒いですね。

ちょっと時間が出来たら、薪ストーブを見に行って参ります。
薪には困らないし、灰は出来るし、暖かいし、言うことありませんからね。

閑馬のネット環境は、ISDN。
ADSLは満杯です。
ましてや光は無し。

家では光ですから、遅いこと遅いこと。
それでもダイアルアップよりはましという物ですが、動画や音楽は無理です。
何とかならない物でしょうかね。

寒いから、暖かなお酒でも飲もうかなと思うけれど、それじゃぁ仕事にもなりません。
困った。。。

2008年11月29日 (土)

「感じる」と言うこと

分からないなんて事は、たいしたことじゃない。

だから、分かるなんて事も、たいしたことじゃない。

なんて書きましたけれど、藍染をしておりますと、藍が、「日本人は、人間の理解を超えたものの存在を感じ取る能力を持っていたのではないか」と、私にかたりかけてくるのです。

日本人は「分からないこと」を許容することが出来たのではないだろうか。

というよりも、感じ取ろうとしてきたと言った方がよいかも知れません。

 

日本の藍染の原料を「すくも」と言います。

藍草の葉に傷を入れ、水はけの良い土間に積み、水を打ち、むしろを被せて寝かせ、100日程かけて醗酵させた物です。

藍分の含有量は、3~4%くらいと言われております。

それを、灰汁でまた醗酵させると、藍染が出来るようになる。

こう書いて説明したところで、昔の人が「醗酵」という言葉を知っていたから、「醗酵」という手段を用いたわけではない。

 

何故、藍染が出来るのだろうかと、日本人は分析してわかったわけじゃない。

しかし、感じることは出来たから、「すくも」を作り、保存できる様にし、一年中藍染が出来るようになった。

藍染は世界的な文化だけれど、他の国では、藍草が育った時だけしか、藍染が出来ない。

ここに、日本人の特徴があるように、私には感じられる。

 

日本人は、自然という物と語り合い、または溶け合って生きてきたから、感じる力を持つ。

一方、自然を、自分と対立する一つの物と考える西欧文明は、分析して分かろうとする。

コールタールから藍の成分を作り出し、合成藍が出来た訳がそこにある。

これの藍の含有量は100%ですから、インディゴ・ピュアーと呼ばれます。

 

すくもを灰汁で醗酵させて染めた藍染と、合成藍で染めた藍染と、何が違うのかと言う問題もある。

日本人は、その違いを感じる事ができた。

だから、明治30年頃、合成藍が日本に入ってきたとき、日本人は藍染を着なくなってしまった。

 

一方、分析で分かろうとすれば、すくもの藍も、合成藍の藍も、成分は同じと言うことになるらしい。

ならば、合成藍の方が、手間も掛からず、大量生産出来るし、管理なんてする必要もないから優れている、という見方もある。

だから、世の中は合成藍の藍染だらけになった。

 

合成藍には、醗酵する元がありません。

だけど、水に溶かさなければならない。

だから、苛性ソーダと還元剤を使う。

それを河川に流したら、どうなるだろうかと、私は感じる。

 

伝統的な藍染めは、草の葉と灰汁です。

葉は、古来から薬草として人間が使ってきた物。

灰は田畑に蒔いた物。

それを河川に流したら、どうなるか。

2008年11月27日 (木)

理由

水でも何でも、物の良し悪しを、現代は計って決めますね。

でも、計っても分からないことの方が多いのではないかな。

人間の心なんかもそうですね。
 

しかし、分からないことはあってはならないと、最近は考えるらしい。

元厚生事務次官夫妻を殺害した人間も、何でそんなことをしたか、その理由が分からなくてはならないらしい。

そんなことが分からなくて、何の差し障りがあるというのか。
 
もちろん、その理由も大切なことだろうけれど、もっと大切なことは、彼が人殺しだという事実ですね。

事実よりも、理由が大切だなんて事があるのでしょうかね。
 

藍染も同じでね、ウールが染まろうが、青い美しい藍染が染まろうが、そんなことは、私の想像力と心の為す事であって、私がその理由を知っていたわけではありません。

分からないなんて事は、たいしたことじゃない。

だから、分かるなんて事も、たいしたことじゃない。

なんてね!

2008年11月26日 (水)

猪など。。。

先日のイベントで、星野さんに、美味しい猪肉を食べさせてもらった。

その前は、磯さんの家で、鹿のレバー刺しを頂いた。

じつはちょっと前に、紺邑の裏山で、鹿が罠に掛かった。

夕方、工房の前の竹藪が、何かの声でやかましい。

多分、カケスだろうという。

 

近くの柿の木が、猿にやられた。

30分できれいに実がなくなるそうです。

猿は女を甘く見るらしい。

カミサンが追い払っても、知らんぷりだそうな。

ところが男が来ると、直ぐに逃げると言います。

今月の15日から、鉄砲打ちが解禁になって、15・16日は、閑馬は猟銃を持った人で賑わっておりました。

 

さて、閑馬の人々に、猪や鹿を食する習慣はないそうです。

こんなに野生の獣が里に出てきたのは、この十年だそうな。

だから、猪の肉の処理に困るらしい。

星野さんの家でも、ご両親は食べない。

 
 
宮崎で、私はよくごちそうになったけれど、高く売れると言いますから、もったいないですね。

何とか、商売にならないかなと思いましたら、どうも、日本中でこんな有り様のようだ。

 

足利の西宮と言うところは、私の大好きな街だけれど、そこにも猪が現れるといいます。

やはり、少々山が荒れているようですね。

2008年11月24日 (月)

「自然」という言葉

私は自分の仕事を、「自然と向き合う」と表現いたしますが、では、日本人にとって、「自然」とはどういう存在なのか。

 

今年亡くなった言語学者の大野晋さんによると、英語のNatureに当たる日本語は、「自然」と言う他、何も言いようがないといいます。

ところが、ヤマト言葉には、「自然」という言葉が見あたらない。

何故、ヤマト言葉にそれが発見できないのか。

 
 
それは、古代の日本人が、「自然」を人間に対立する物とは捉えていなかったからではないか。

日本人は、「自然」を一つの物と見る考え方を身につけずに来た。

つまり、「自然」とは、日本人の意識のうちに確立しているものではなく、そこに溶け込むところであって、自分と自然の間に、ハッキリした堺が無く、人間はいつの間にか自然の中から出て来て、いつの間にか自然の中に帰って行く。

そう言うものを、「自然」だと思っているから、ことばとして「自然」というものがない。

 

「隠棲する」という言葉があります。

人間が、自然の風景 ―大きな林、水の流れ、広々とした草原、そこに立つ一本の大樹― その中に自分を持って行き、その自然の一つの風物となって生きることを隠棲と言うわけですが、それは、日本人が「自然」と「人生」に対して持つ、根深いこころざしの一つの姿だろうと、大野さんは「言葉」から見るのですね。

こう言うところに、日本人の考え方や物の見方、暮らしの習慣や、感情や、判断の仕方などの本当の姿があるのではないかと。(新潮文庫「日本語の年輪」)

 
 
閑馬に様々な人々が集まりだしております。

若い人もいますが、実は、隠棲の場として選ぶ方も多いのです。

春日部の鈴木さん、川口の元橋さん、同級生の岩崎君などなど。

それもやはり、日本人ならではのことではないでしょうかね。

2008年11月23日 (日)

出会い

その昔、ある場所で、型染め作家の女性にお会いした。

藍の建て方の一から説明したら、数時間後、「私の30年の染めの人生は、何だったのかしら?」と言って、大粒の涙を流して泣かれてしまった事があります。

 

それ以来、余り正直に藍染を語るのは止めようと思いましてね、みんなから、「大川さんは円くなった」と言われるようになったのです。

その時私が語ったことは、本当のことかも知れないけれど、彼女にとっては、生き方そのものを否定されてしまったようで、余計なお世話でありました。

今日も、そんな出会いがありました。

 

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アルパカのコートを見て、「ウールの藍染めは難しいんでしょ?」と質問された女性がいたのです。

恐る恐る、そして、少しずつ、彼女の反応を見ながら藍染を説明する。

私の説明を聞く姿勢が、段々本気になってきました。

 

草木染めの話にまでなり、媒染剤の話しになったので、「灰の文化」について語らせていただいたら、得心なさったようで、「今日のお話しで、これからどうして行こうか、方向性が見えてきたような気がします」と言って帰られた。

 

私も大人になったと、つくづく感じさせていただいた出会いでしたね。

2008年11月22日 (土)

アルカリ性であると言うこと

「藍」は水に溶けません。

水に溶けなければ、染めにならないから、溶けるようにする。

それを「建てる」と表現するのですね。

 

物の本や、ネットの藍染の解説によると、「強アルカリ性の溶液に、藍は溶ける」と書いてある。

それを昔は、木灰の灰汁で取っていたが、今は灰がないから、苛性ソーダなどで強アルカリ性溶液を作るのだそうな。
 

苛性ソーダで作られる強アルカリ性の溶液は危険だから、ゴム手袋が離せない。
素手で染めれば、瞬く間に皮膚が荒れるか傷だらけだ。

だから、アルカリ性の水は、河川に流してはいけない。

 
 
畑や田んぼをアルカリ性にするのに、農家は苦労をする。

どれくらい石灰を使うことか。

石灰は、ほとんど石膏分だから、使えば使うほど土が硬くなる。

堅くなると土に空気が入らないから、窒素分が行き渡らない。

だから、化成肥料が必要になる。

 

昔は石灰ではなく、木灰を田畑に蒔いていた。

土がアルカリ性になるだけではなく、灰に入っている微量元素が、土の中の微生物の栄養になり活性化し、より柔らかな呼吸しやすい土となって、空気中の窒素分も取り入れやすくなる。

だから、化成肥料は要らなかった。
 

 
藍染の工房の排水の問題が、ここに生じる。

アルカリ性の水は、流してはいけない。

そりゃー、苛性ソーダで作られたアルカリ性の水は、危険です。

だが、田畑をアルカリ性にする努力も、一方にはある。

藍染も、灰の灰汁で藍建てをしている紺邑の様な工房もある。
 

この区別が、数字では表すことが出来ないのですね。

だから、行政の管理というものは、難しいと私は思います。

 

田畑をアルカリ性にするのに石灰を使うなら、灰汁で建てた藍染の洗い水を使った方が、どれほど良いことか。

もちろん、苛性ソーダで建てたものはいけませんよ。

 

紺邑の洗い水を調べると、どうやってもPh10を超えてしまう。

田畑に最適だけれど、河川には流してはいけない。

それでただ今、紺邑では大きな水槽を建設中であります。

伝統工芸の本質を分かっていただくことは、難しい事です。

 

2008年11月21日 (金)

私は髭が薄い。

二十代は、髭を剃る習慣がなかったほどです。

それがこの年になって、毎日剃らなくてはならないハメになっております。

習慣がなかったから、剃り忘れることが多い。

慌てて剃ると、肌も習慣がないからか、直ぐにひげそり負けして血だらけなんて事はしょっちゅうです。

 

今朝も髭を剃るのを忘れてしまった。

「いつ何処で、誰に会うか分からないのだから、毎日髭は剃りなさい」といつもカミサンに叱られている私は、仕事場で剃ろうと思った。

 

大阪の貝塚市に、柘植細工の西出さんという方がおられる。

このブログでいつか紹介しなくてはならない職人さんですが、この方も髭が薄い。

そして、私と同い年。

「大川さん、コンビニで売っている、安い電動の髭剃りくらいがちょうど良いですよ。私は直ぐに髭剃り負けするし、市販されている髭剃りでは、かえって強すぎるのです」と、いつかおっしゃっていたのを想い出した。

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コンビニに飛び込んで、\1,050也の安物の電池髭剃り機を買いました。

まことに結構な代物です。

水洗いは出来るし、ブラシで掃除も出来るし、アルカリ単三の電池で一日三回の使用で一ヶ月持つそうな。

私は朝一回で良いんですから、どのくらい持つ事やら。

あまりに小さく、あまりに軽いので、無くさないことの方が難しそうだ。

2008年11月20日 (木)

冬来たりなば春遠からじ

急に寒くなりました。

いかがお過ごしでしょうか。

私は風邪はひいていないが、風邪気味がずっと続いている。

それを薬と気合いで抑えているってところです。

 

日本海側は大雪だそうな。

知り合いが多いけれど、心配しても始まりませんから、心配はしておりません。
 
 

我が母方の祖母が、カミサンの生きる上の師匠ですが、「心配すると言うことは、望んでいる事よ。だから、心配しちゃ駄目」と、海外にいる私について語っていたそうな。

だから、心配はしておりません。

  

巷間、不景気だと言われておりますが、やはり不景気らしい。

これを冬とするならば、「冬来たりなば春遠からじ」です。

ようやく冬に入ったのだから、後は春を待つばかりと願いたい物だ。

2008年11月19日 (水)

蕎麦

キエレスマテのライブと、紺邑オープンハウスが終了。

イベントの次の日、足利の「九一蕎麦」に、赤木りえ、宮野弘紀、岡本博文、伊藤のりこさんと、うちのカミサンと私、総勢6名で昼飯。

 

京都の岡本さんは、蕎麦に親しくないらしい。

だから、「もり蕎麦とざる蕎麦の違いはなんですか?」なんて聞く。

一番の違いは、海苔が載っているかいないか。

次に、蕎麦つゆが違う。

だから薬味が、もり蕎麦は七味、ざる蕎麦はワサビと使い分ける。

 

蕎麦屋の天ぷらも良い物だから、それも頼む。

当然、天つゆは、蕎麦つゆとは別に出て来る。

食い方は、せいろに乗っている蕎麦を、上から箸でつまむと、食べやすい。

 

「九一」の蕎麦は、蕎麦が九割、つなぎが一割なのだけれど、それを細切りで食わせるところに特徴がある。

江戸の蕎麦と違って、出汁をたっぷりと取った汁なので、細切りの蕎麦に汁をたっぷりと絡ませて食する。

十割蕎麦も限定であるけれど、これも細切りで同じ食べ方。

そんなうんちくを語っていたら、「普通に食べて下さい」なんて、大女将に言われてしまった。

 
 
この「九一そば 第一立花」は百年を優に超えるお店。

それも足利では珍しいことではない。

 

宮野君が大根蕎麦を頼もうとしたので、それは別に旨い店があるといって、私が食わせなかった。

それが「あらき」という店。

良い記事があったので、これも紹介しておきます。

 

足利は蕎麦の旨いところなんです。

2008年11月18日 (火)

感謝祭vol.2

我々が、閑馬に御礼の気持ちを表せていただくために行った感謝祭が、無事終了いたしました。

この「無事」かどうかと言うのが、「自分の思いこみではないか」と、私は考えてしまう質。

だから気苦労が絶えない(^^;)

 

参加していただいたご近所の陶芸家で元ミュージシャンの栗原さんからメールを頂いたり、閑馬で農業を始めたダイナリ君から電話を頂いて、「楽しかった」と言われて初めて「無事」を確認することが出来ました。

 

午前中は、宮野、岡本両ギターリストに、閑馬小学校で演奏してもらった。

この二人の演奏を、閑馬の小学生に聞かせられたことだけでもありがたいな。

閑馬小学校は、今時珍しい木造の校舎を持つかわいらしい学校で、この学校に子供を入れたいために、都会から越してくる方もいらっしゃるくらいなのです。

 

ダイナリ君も太田さんも、閑馬の皆さんにご紹介できた。

彼らは日本に、古くて新しい、親しい人間関係を作ろうとしている。

だから先ずは、地元の方々に知っていただくことは、大切なことだと私達は思っています。

二人は雨の中、蕎麦を刈っている最中に、どろんこになって挨拶だけに来てくれました。

 

三々五々人々が集まりだし、東京からカメラマンの横坂が、奥さんのえっちゃんと息子と弟子を連れて来たところで、ライブコンサート開始。

会場は満席。

用意した椅子が足りなくなりました。

20081116172122 演奏はもちろんすばらしく、ボサノバの伊藤ノリコ君が飛び入りで歌ってくれたり、しっかり盛り上がりましたね。

 

 

終わってからパーティ。

カミサンが一生懸命準備し、磯さんや久保さんや、磯さんのお友達や、川口から駆けつけてくださった元橋さんや、溝越さんや、星野さん達ご近所の方々のご協力があって出来たこと。

青木さんの奥様は、手作りのケーキを持ってきてくださった。

 

ライブが終わってパーティの準備が始まると、近所の吉田さん達が、食材を2階に運んできてくださる。

太田さんとダイナリ君と溝越しさん達は、バーベキューの準備。

そこに猪肉をもって来てくださった星野さんが加わり、ベランダは人が一杯。

お鍋も出来て、にぎやかにパーティが始まりました。

 

気がつけば朝。

この間の事を書けば、キリがありません。

参加してくださった皆様に、感謝でありますm(_ _)m

2008年11月16日 (日)

感謝祭

さて突然ですが、人間の行動には、なにか意味があるはず。

そう私は考えております。

「なんで、こんなことをしているのだろうか」と、行動しながら考える。

または、行動した後、考える。

それを、「気づき」と呼んでいるわけですが、今回の「感謝祭」も、様々に気付きと出会いをもたらせてくれています。

  

最初は「収穫祭」というネーミングだった。

それを「感謝祭」に変更した。

何故かと言えば、「収穫祭」とするほどの収穫もなかったから。

だから正直に、閑馬に居させていただいている事に、感謝をする事にしたのです。

 
 
藍染は、すくもと灰と水が命です。

山を見ますと、木は沢山生えている。

けれど、今の日本はそれを使わないから、「灰」がこの世の中にありません。

だから、山が荒れている。

 
書けばたったこれだけのことですが、これが日本の存在の根本を脅かしていると、藍が私に語りかけてきた。

 

それを伝えなければならない。

そう私は考えているけれど、私は唯の染め職人だ。

だから、一人一人との出会いを、大切にするしかないという事なのでありますね。

そして、それに感謝する。

 

催事という物に出かけ、藍染を語りながら販売するという行動の意味も、そこにある。

そこには沢山の出会いがありますからね。

 
  
夕方、閑馬の奥で椎茸栽培をなさっている、星野さんの息子さんがいらした。

初めてお会いしますが、感謝祭に入らしてくださるとのこと。

そして、閑馬で採れている椎茸をご持参下さるとのこと。

猪肉もね。

「感謝祭」にしたら、段々収穫祭にもなってきました。

  

星野さんに、紺邑の藍染を説明した。

特に「灰」について。

そうしましたら、「うちは、365日木を燃やしていますから、365日灰が出ます」と、まるで神様のようなお話しをなさる。

それも、楢(なら)と椚(くぬぎ)だけで、他の木は混ざっていない。

何故他の木を混ぜないかというと、この方の生き方なんだろうと、お話しをしていて感じましす。

これで、藍染の一つの命が、救われました。

「感謝祭」にして良かったと、つくづく思いましたね。

2008年11月15日 (土)

ご近所

今度のイベントの為に、ご近所に挨拶回りを致しました。

木村さんは、耕耘機で畑を耕すところでしたが、後で庭の木になっている柚を、たっぷり頂いた。
 

久保さんには、新築の家を見せていただいた。

建てたのは、私の同級生が専務を務める建築会社。

私は、金融機関の関係で頼めませんでしたが、素晴らしい家でしたね。

住む人の身になっているデザインだと思います。

そして、まるで別荘地のような、素晴らしい景色です。

 

木村さんの所に参りましたら、閑馬の奥にある椎茸栽培農家のご主人に出会えた。

なんと、木村さんの家がご実家なのだとのこと。

そしてその方は、我が伯父の教え子で、私どもに最初から親しみを抱いていてくださった。

椎茸を大きく栽培なさっていますので、これから毎日、軽トラック1台分の、楢と椚の木を燃やすそうな。

灰が一杯出来る。

素晴らしい出会いを頂きました。

 

やはり、何か行動を起こすと、良い出会いがありますね。

2008年11月14日 (金)

食欲の秋

閑馬の工房は、秋を迎えて色づいております。
庭を散歩してみましたが、昨年とは全く違う景色だ。
村井さん達の努力のたまものです。
もう少し、ここで過ごせる時間が欲しいと、つくづく思うほどです。

そんな感慨にふけっていても、腹は減る。
ましてや、食欲の秋だ。

お昼をどうしましょ!?と考えていると、磯さんから電話。
「カミサンに変わりましょうか?」というと、「居ることが分かればいいのよ」とおっしゃる。
こりゃなにか、食い物の差し入れだな!と思っていると、案の定、サンマを炊いた物、三種類の菜っ葉のおひたし(おしたし?)、大根の葉っぱとジャコをお持ちいただいた。

私も、奈良の西川さんから頂いた奈良漬けを出した。

さて、後はご飯だけだと。。。

どうしましょと思っていると、チンすればよいコンビニで売っている奴があるという。

こいつを一口食べたら、食えた物じゃない。

ふと磯さんを見ると、二段重ねの小さなお重に、炊いたご飯を開きだした。

「食べる?」とお聞きになる。

当たり前です!っての。

そんなこんなで美味しいお昼を頂きました。

 
夜、磯さんの家に所用があって伺った。
いつぞやのマタギがいらっしゃり、新鮮な鹿のレバーの刺身を出された。
一口やりましたら、私の人生で、こんな旨い物は食ったことがないと言うほどに旨い。
申し訳ないが、むさぼり食ってしまいました。

「レバーとハツと脳みそは、鉄砲打ちだけが食えるもんで、これは食える物じゃなくて、食わせない物だ」と言われながらも、むさぼり食っちゃった。

後はハツと脳みそだけれど、遠慮無さ過ぎて、怒られたらもう食えないな。

食欲の秋のせいだな。

2008年11月13日 (木)

実りの秋の感謝祭

**********
佐野市閑馬町に、全国から様々な人々が集い出しました。
工芸や音楽や、特に農業を目指す若者達が、閑馬の人達に支えられながら、コツコツと農作業を始めだしたのです。

2反歩程の田んぼを、手植え手刈りで米を作ってみました。
蕎麦も作りました。
ジャガイモも作りました。
ナスも作りました。

今年は祝うほどの収穫があったわけではありません。
しかし、小さなことの積み重ねの大切さを表現して行きます。

その小さな第一歩として、本建て正藍染めの工房「紺邑」で、日本を代表するミュージシャンを迎え、実りの秋の感謝祭を致します。
**********

キエレスマテ ライブat紺邑

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日本を代表するフルーティスト・赤木りえ、日本のアコースティック音楽界を常にリードして来た日本を代表するギターリスト・宮野弘紀、京都在住の新進気鋭のギターリスト・岡本博文の三人によるユニット「キエレス・マテ」を閑馬に迎え、実りの秋の収穫を祝い、「コミュニティー祭り」の時に、すばらしい音楽を楽しみませんか。

日時:平成20年11月16日(日)  
   午後4時開場 ライブ開始
   午後6時より「紺邑オープンハウス」
   
会場:紺邑広場、または2階ギャラリー

会費:無料

紺邑オープンハウス

この秋に収穫された閑馬の食材でバーベキューを楽しもうという物です。

参加は自由。
食事は、持ち寄り。
もちろん、持ち寄り無くてもけっこうです。
ビールなどの飲み物は用意いたします。
特に時間を決めて、何をすると言うこともありません。
夕飯がてらに、気楽にお過ごし下さい。

会 場:紺邑2階ギャラリー

2008年11月11日 (火)

08/11浜松通信vol.6 「百年企業」

浜松最終日。

終わってみますと、販売成績が昨年を上回っていたらしい。
如何に昨年が悪かったかと言うことですが、不思議な感覚です。

それでも、この買い渋りと言われ、不景気と言われる中、ご常連に支えられていると言うことですね。

紺邑は、染めも製品作りにも、最大のこだわりを持ってやっているつもりですが、その成果がこういう不景気の時に出ているのだと思いたい。

大阪も、それ程の落ち込みもありませんでした。

実は家に帰ってきておりまして、テレビで「百年企業」というのをやっている。
こういう厳しい時勢の時は、歴史に学べと言うことらしい。

「百年企業」とは、文字通りですが、そこには様々な経験から学んだ智慧があると言っています。
しかし、その根本は、物作りに対する信頼を、お客様から得ていると言うことだろうと私は思いました。
私達も、学ばなければなりません。

これからも精進を重ねる所存であります。

08/11浜松通信vol.5

浜松六日目(私は五日目)。

眠い!
とにかく眠くて、午後の一時過ぎ、30分ほど昼寝して、何とか一日持ちました。

3時過ぎに、ぴょんぴょん堂の西村君が到着。
岡本社長と交代。
京都展で山形県の酒田市へ行くのだそうな。
あんな小さな町で催事が出来るなんて言うのは、京都展ならではのこと。
「職人展」では、人が集まらないでしょう。
 
余り忙しくなかったので、目が覚めてからは、日曜日のチラシ作りに励みました。
後ほど発表させていただきます。

夕方、お客様から電話がありまして、作務衣をご注文。
電話だけで売り上げが出来てしまいました。
真にありがとうございます。

終わってから、西村君と、食品のバイヤーで「クリエイティブ工房」を作った中村君の三人で、大好きになった「長谷川」で宴会。

遠鉄の「クリエイティブ工房」は、我が業界では名が通っている売り場ですが、彼が始めた時は、遠鉄百貨店の名前さえ知る人が少なかったのです。
努力と発想で、今の「クリエイティブ工房」の基礎を気付いた担当者です。
そんな思い出話をしながら、久しぶりにリラックス。

 
ぴょんぴょん堂社長の奥様が、「最近、大川さんのブログに能書きが少なくなったね。疲れているのかしら?」とおっしゃったそうな。

それは言えるけれど、あまり長く書くなと言う、読者の意見も尊重しているのですよ。
ジャンジャン(^_^)v

2008年11月10日 (月)

08/11浜松通信vol.4

浜松五日目。

Dscf1749_2 朝一番で、原田さんがお見えになり、モダン野良着を試着なさったら、「わたし、これに惚れたらぁ」と言ってお脱ぎにならない。
その内、従妹の伊熊さんが入らして、なんだかんだと賑やかに午前中は過ごさせていただきました。

今年の春、私、不遜にも、百貨店の出展数を減らそうと考えまして、この二人に「遠鉄を年1回にしようと思う」と言いましたら、「あんた、そりゃーいかんが。私達はあんたに会うのを楽しみにしとるだから、来にゃーいかんがね」と、猛反対された。
お陰で考えを改めまして来ておりますが、お二人に会うと、来て良かったとしみじみ思います。

前日入らした松本さんご夫妻も、このお二人の仲間。
全身、紺邑の藍染をお召しになっていただいております。
奥様が、ものすごく奇麗にお痩せになった。
以前なら決して着られなかった細めのジャケットをお求めいただき、「今年は私、あんたは来年ね」とご主人に。
ご主人は、「こうしてあんたに会えて、バカ話しが出来ればそれで良いよ」なんて私におっしゃってくださる。
やはり、来て良かった。

午後は‘のら’さんがお見えになった。
お子様連れですから、藍染の実演をお見せした。
ちょいと藍の調子が良くないが、それなりにご説明いたしました。
気が付くと、初めての会話かも知れません。
ネットでやりとりしていましたから、そんな感じがしませんでしたね。
これは不思議な事だ。

そんな事で忙しくしていると、夕方、バスケこと北野が現れた。
今は外商にいますから、仕事が終わったのでしょう。
宝井さんという彼の担当のお客様で、紺邑とも古いお付き合いの方がいらっしゃる。
「宝井さんは?」と北野が聞くから電話をしてみる。
通じませんでしたが、「今回は電話がなかったら来ないつもりでいたのに、ちょうど良く電話があったもんだから、来ちゃったわよ」なんて言いながらおもむろに現れた。
それから北野と、閉店まで楽しんでいらした。

様々なお客様との出会いがあった一日で、日曜日としては立派な成績でしたが、それはともかく、やはり遠鉄は来なければならないなと、つくづく感じさせられた一日でしたね。

終わってぴょんぴょん堂の岡本社長と北野と三人で「轟」へ。
また飲んで食って、「もう一軒行きましょう」で、カラオケ。
へべれけで、タクシーで帰ってきて、例の如くバタンキュウだ。

そして例の如く、朝の四時半に目が覚めているという、お粗末の一席。。。

2008年11月 9日 (日)

08/11浜松通信vol.3

浜松四日目(私は3日目)。

毎日毎日、ぴょんぴょん堂の岡本社長と一緒に晩飯を食っています。
夕方になると、今晩どうする?という話で過ごす。
初日はステーキ。
2日目は「鍋にしよう」と言いつつ、行った先に鍋が無くて、飲んで食って、帰りにラーメンを食べて帰って参りました。

行ったラーメン屋を「
濱龍(はまりゅう)」と言います。
江戸の漆器屋、
シップホップの中島さん御用達で、私が行こうにも行けなかった店。
なるほど、江戸の人が旨いという味でございました。
帰りは満腹になりすぎて、歩くのがやっとという有り様。

今日、気が付いてみると、ウエストが太った。
「こりゃーまずいな」と思いつつ、また夕方「今晩どうする?」って話になって、食えなかった鍋を、岡本行き付けの「長谷川」という、濱龍の側の寿司屋兼小料理屋兼居酒屋で、無理矢理作ってもらって食べてきました。

この店は私の好み。
親父も息子もお母さん良い。
だから気分が良くなって、またもや食いも食ったり飲みも飲んだり。
腹がパンパンであります。

当然のことながら、風呂に入ったら起きていられず、寝ちゃいましてこの時間(午前4時)に書いております。

 
商売の方は、お陰様で何とかなっております。
四日目は、見込みを入れれば、立派な成績でしょうね。 

私の目の前に、伊賀焼の鍋が売られています。
使い方を説明しているビデオが流されているのですが、これが旨そうなので、ついつい買ってしまいました。
売り場は、遠鉄としては決して忙しいと言える状態ではありませんから、社員の喜ぶまいことか。
お手伝いの馬塚さんにもお買い上げ頂き、全員、めでたしめでたしだ。

2008年11月 7日 (金)

08/11浜松通信vol.2 「すまし建て」「濁り建て」

遠鉄2日目。

のんびりとした1日でしたが、コメントいただいたように、‘のら’さんがお見えになった。

私、全く気づかず、誠に失礼しました。

今回は、綿の手絞りの反物と、藍染の小紋とかご添えの正絹の反物を持ってきたので、お見せしようと思っていたのに、誠に残念でした。
 

小紋は、藍染の世界では珍しいと思う。

その昔、藍染の作家という人が上六にいらして、なんやかやお話しさせていただいた。
型染めをなさっているとのこと。
よくよく聞くと、「すまし建て」だとおっしゃる。

「すまし建て」というのは、「すくも」をお湯で洗い、不純物を取って、藍の液をすまして、型染めをする方法を言う。

物の本に寄れば、不純物が少ないから、醗酵に20日程掛かると書いてあるが、これは醗酵を知らないという事に過ぎません。
つまり、専門的に言えば、、、なんて無粋なことは止しておきますが、「すまし建て」に対し、私達の本建てを、「濁り建て」と言います。

この作家は、濁り建てで型染め、それも小紋は難しいと言うから、その時は奥に隠れていて見えなかった正絹の小紋の型染めを見せたら、言葉を失っておりました。

その反物があったのに、惜しいことをいたしました。

お時間があれば、またお越し下さい。

 
ぴょんぴょん堂の社長と、今日は2軒ハシゴしてお腹がまたパンパン。
ようやく起きていて、ブログを書いております。

08/11浜松通信vol.1

浜松遠鉄百貨店7階「クリエイティブ工房」の私にとっての初日。

売り上げを見ると、まずまずです。
その日は、私は大阪、工房では団体客がありましたから、合わせればありがたい成績となりました。
ちょっとお客様の数が少なく感じられるけれど、秋はこんなものかなとも思う。

それでもお馴染みさんが来ていただいているし、どうもDMの着くのが遅かったらしく、これからでしょう。

今回は、京都の紙屋「ぴよんぴょん堂」と一緒です。

 
浜松は大阪に比べて暖かい。
お客様は半袖。

温暖化と言いますが、どうなっているんでしょうね。

2008年11月 5日 (水)

08/11上六通信vol.7 大阪から浜松へ

上六最終日。

ちょいとからだが疲れ気味のためか、風邪をひきそうです。

出展者の皆さんが、葛根湯を下さったり、ユンケルを下さったりと優しくしていただき、何とか持っています。

しかし、幸いなことに食欲はある。

 
上六の成績は可もなく不可もないが、この時期としては、良しとしなければならないかも知れません。

帰りに、いつもの一人しゃぶしゃぶで、久留米絣の省ちゃんと熊野筆の鉄ちゃんと三人で食事。

あまりにゆっくりしていたので、新幹線にギリギリ飛び乗ってきた。

慌てていたので勘定を払い損ね、省ちゃんが多分建て替えていることと思います。
後でしっかり請求してくださいね、えつこさん(省ちゃんの奥様)。
 

浜松に着くと、大阪より暖かい。

新幹線の途中で、元担当のバスケから電話で「飲みませんか?」と誘われた。
今日は疲れているので勘弁。

ホテルに入り、薬を飲んで身体を休めようと思います。

明日から、浜松の遠鉄百貨店7階クリエイティブ工房におります。

2008年11月 4日 (火)

08/11上六通信vol.6

上六六日目。

紺邑の秋の上六は、毎年尻つぼみ。
それでも、今日はよろしくありませんでしたね。

それに、少々風邪気味。
突然寒くなりまして、みんなが半袖なのに、ジャケットを着たりしています。

夕方、ハリケーン・ユミこと岡城マユミ嬢が来まして、風邪薬を置いていってくれた。
今日はこれから、それを飲んで休みます。
なんとか、直さねばなりません。

 

今月の紺邑のイベントの企画書を書いておりました。

16日の日曜日、夕方4時から、キエレス・マテのライブを、紺邑の庭か2階のギャラリーで行います。

入場は無料の予定。

それが終わった後。6時から、オープンハウスでバーベキューです。

narjaさんが毎年おやりになっている物を、ちょっと真似させていただきます。

閑馬で採れた物を主体に、楽しい一時が過ごせれば良いと考えていますので、お近くの方は、是非、遊びに来て下さい。

正式な告知は、改めて行います。

 
終わった後、水晶の大森君、大島紬の城(きずき)、久留米絣の省ちゃん、ヒバ細工の鳴海、熊野筆の鉄と、男ばかり6人でお好み焼き。
食い過ぎで腹一杯。

これに風邪薬を飲めば、百人力!

2008年11月 3日 (月)

08/11上六通信vol.4・5

昨夜は懇親会。

ここの懇親会は、私がやり方を教えた物。
そして、歌も歌わなければならない。

要するに、宴会部長みたいな存在だから、飲めや食えや騒げやの中心に居なければならないために、飲み過ぎて、騒ぎすぎてバタンキュウ。

ブログに穴を開けた理由です。

今日の朝一番に、名和さんご夫妻が来店。
染め直しだ修理だと、沢山承りました。
この間お会いしたとき、「ブログが長い」と、伊万里の石井の様なことをおっしゃったから短くしたら、今度は「短すぎる」とお叱りを受けた。
じゃあどうしたら良いかとお尋ねすると、「今より長く、今までより短く」という我が儘な仰せ。

 
終わってから、久留米絣の省ちゃんと、藍染二人組で夕飯。
田辺先生という、私と鍛冶屋がお相手していたお客様が倒れた後、面倒を見ていた女性が、近くで居酒屋を始めたので、そこに行ってきました。

息子と二人で始めたのですが、どうも、色々問題を抱えているらしい。
私達が行くことで、多少でも改善されることを願いますね。
まあ、詳しくは書けませんが、帰る頃は、うち解けてきた。
誰がと言うと、息子です。

毎日眠い。
今日は、しっかり睡眠を取りたい物だ。

2008年11月 1日 (土)

08/11上六通信vol.3

上六3日目。

朝、外へ出て気が付きましたが、私はシャツ一枚しか着ていない。
今日から11月だというのに、それでも寒くない。
暖冬という噂ですが、それにしても暖かい。

紺邑は朝から忙しかった。
終わってみれば、たいした成績です。
普段なら、私は遠慮のない方ですから、自分の成績に素直に喜びを表すのですが、今回ばかりはちょっと遠慮気味。
全体が、それ程良いとは言えないからです。

終わりまして、近くの洋食屋で夕飯。
初めて行ったレストランですが、本当に久しぶりに、素直に美味しい料理を頂きました。

お腹いっぱいになって帰ってきましたが、久々に大満足です。

明日も大満足となりたい物だ。

それを祈念して、お休みなさいzzz(-_-)

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