感謝祭
さて突然ですが、人間の行動には、なにか意味があるはず。
そう私は考えております。
「なんで、こんなことをしているのだろうか」と、行動しながら考える。
または、行動した後、考える。
それを、「気づき」と呼んでいるわけですが、今回の「感謝祭」も、様々に気付きと出会いをもたらせてくれています。
最初は「収穫祭」というネーミングだった。
それを「感謝祭」に変更した。
何故かと言えば、「収穫祭」とするほどの収穫もなかったから。
だから正直に、閑馬に居させていただいている事に、感謝をする事にしたのです。
藍染は、すくもと灰と水が命です。
山を見ますと、木は沢山生えている。
けれど、今の日本はそれを使わないから、「灰」がこの世の中にありません。
だから、山が荒れている。
書けばたったこれだけのことですが、これが日本の存在の根本を脅かしていると、藍が私に語りかけてきた。
それを伝えなければならない。
そう私は考えているけれど、私は唯の染め職人だ。
だから、一人一人との出会いを、大切にするしかないという事なのでありますね。
そして、それに感謝する。
催事という物に出かけ、藍染を語りながら販売するという行動の意味も、そこにある。
そこには沢山の出会いがありますからね。
夕方、閑馬の奥で椎茸栽培をなさっている、星野さんの息子さんがいらした。
初めてお会いしますが、感謝祭に入らしてくださるとのこと。
そして、閑馬で採れている椎茸をご持参下さるとのこと。
猪肉もね。
「感謝祭」にしたら、段々収穫祭にもなってきました。
星野さんに、紺邑の藍染を説明した。
特に「灰」について。
そうしましたら、「うちは、365日木を燃やしていますから、365日灰が出ます」と、まるで神様のようなお話しをなさる。
それも、楢(なら)と椚(くぬぎ)だけで、他の木は混ざっていない。
何故他の木を混ぜないかというと、この方の生き方なんだろうと、お話しをしていて感じましす。
これで、藍染の一つの命が、救われました。
「感謝祭」にして良かったと、つくづく思いましたね。
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