紺邑のホームページ

  • 紺邑のホームページ
    新しいホームページがオープンしました。紺邑について、藍染めについての情報です。

ネットショップ

  • G.i-Japan
    藍染を始める方。藍染をなさりたい方もお訪ねください。藍に関する資材とノウハウを提供します。 藍染の製品もあります。 その他にも、沢山そろえて行きます。

イベント情報

フォト

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月

2008年12月31日 (水)

08/12日本橋通信vol.2

日本橋2日目。
そして、大晦日。

朝、ホテル近くの水天宮に行きますと、迎春の支度で忙しそうです。
この辺りは、旨い物が多い。
一度、ゆっくり探索してみたい。
そんなことを思いながら、三越に向かいました。

昼前に、カミサンと次女が来てくれたので、交代して船橋の準備に。
日本橋と比べてはいけませんが、違いはただ一つで、一体感が足りない。
原因も理由も分かっていますが、一出展者の私が口出しすることでもない。
いやいや、この催事を仕掛けた人間として、ちょっと口出ししてきたし、精一杯の事をしているけれど、なかなか分かっていただけない。
社内事情だから、残念ながら、仕方ないな。
これが解決すれば、劇的な変化が起こるでしょうにね。
惜しいことだ。

それでも紺邑としては、大切な仕事場には違いない。
この日のために、九月を染めに集中し、製品作りに勤しんできたお陰で、昨年と違い、品物の数も種類も多い。
結果は自ずと着いてくることでしょう。

三越に帰ると、さすがにいつも通りの大晦日。
地下の食料品は賑わうものの、7階の催事場まではなかなかお客様は上がってきてくれません。
しかし、終わってみると、全体は昨年よりも良い成績。
初日も、予算を大きく超え、前年の成績さへ超えた。
これはこの不況下、大した物だと思います。
原因はと言えば、やはり、一体感、担当の金子さんや小山さんの言う「チームワーク」にあるだろうと思う。
船橋が、日本橋に大きく水を開けられた、最大の原因ですね。
これは以前にも書いたな。
船橋を始めた身としては、残念だと思わざるを得ない。

とにもかくにも、今年の仕事が終了し、3人の娘達とカミサンとで寿司をつまんで帰って参りました。
賑やかな年越しをしております。

今年一年の皆様のご愛読に感謝し、良い年をお迎え下さいませと、ご挨拶させて頂きます。

2008年12月30日 (火)

08/12日本橋通信vol.1

日本橋の初日。

このご時世ですから、多分、みんなドキドキしていたと思います。
なにせ、日本一のデパートですから、ここが悪ければ、どこもこれ以上に悪いと言うことになりかねません。

朝礼の時、ブラシ屋の旦那が、「こんな時だからこそ、暗い話はしないようにしましょう」とおっしゃた。
これは利きましたね。
会場の中に、暗い雰囲気の無い一日となりました。

三越本店と言えども、暮れの30・31日はそれ程のこともないのが例年ですが、今年はお客様が多い気がします。
担当の金子さんも高橋君も、相変わらず忙しく働いている。

結果は、さすが三越本店!
紺邑は、三越始まって以来、年末としては驚くほどの良い成績で終わりました。
お馴染みの島本組が入らしてくださったと言うこともあるけれど、ご新規もお二人入らした。
ちゃんとした物作りをしてきて良かったと、実感しております。
全体も、悪いことはないようだし、いや、良かったようだし。。。

でも始まったばかりですから、気を弛めずに励みたいと思います。

31日の午後は、カミサンに日本橋に来てもらって、私は船橋の準備に行って参ります。
終わってからは、一年ぶりの家族団らんだ。

2008年12月29日 (月)

三越の準備日

日本橋三越の準備に行って参りました。

午後1時から出来るとのことでしたが、私は3時に入ろうと思った。
午前中、船橋への出荷と、煙突工事の打ち合わせという用事があったからです。
ところがこれに時間が掛かり、1時間遅れで三越へ。
小山さんや神田さんに優しくされて、何とか終了。

事務仕事が残っているので帰宅しておりますが、浅草に向かう銀座線の中で次女からメールがあり、浅草で軽く食事をして一緒に帰ることにしました。

ただ今、午前0時少し前。
まだ事務仕事が終わりませんが、明日は朝八時の特急に乗って、9時半に三越本店に到着予定です。
東京は、割合近いのです。

年越しを東京ですることにしていましたが、子供達が山を見たいという。
都会の雑踏から、一瞬ではあるけれど、離れたいらしい。
やはり、田舎は良いのでしょうね。
ですから私も例年通り、元日に船橋に向かうことにいたしました。

これはこれでうれしいことですね。

もう一がんばりしてから、休むことといたします。

実は29日は、鍛冶屋や藤田君達に忘年会に誘われていたのですが、諸般の事情でお断りさせていただいた。
特に藤田君には、ご迷惑を掛けましたm(_ _)m。
仕事上のことで、如何ともし難い事もあるのですよ。

墓参り

墓参りに行って参りました。

両親はキリスト教徒ですから、盆も暮れも正月もないし、仏壇もない。
だから、想い出すには、何か機会がないといけません。

その点仏教は、仏壇があるから、線香を上げる度に、ご先祖様を想い出す。
ありがたいものが、日本にはあるなと思います。

私達は、仏式で結婚式を挙げました。
キリスト教徒ばかりの家なのにね。
別に、両親に反発してそうしたわけではありません。
私は、お釈迦様が大好きなのです。
お寺は、今両親が眠っている所です。
その時のご住職も、結婚式は初めてだったらしく、一生懸命勉強なさっていました。

墓地は、住職の心が現れるところですね。
この墓地も、随分広く大きくなった。
そして、緑が無くなった。
本堂はきれいになったが、住職の住む家は昔のままだと思いきや、それは玄関だけで、その奥には、大きな屋根が見える。
草ぼうぼうだったり、枯れた花が飾られているお墓も、あちこちに見られる。

母方の菩提寺は、墓地にも庭にも、ゴミ一つ落ちていません。
和尚は、「それ(掃除)も修行なんだよ」とおっしゃる。

私達に出来ることは、両親の墓の掃除くらいですから、ピッカピカにして参りました。
小さな修行です。
私がこの墓地に眠ることはないが、良かったなと、つくづく思っております。

三女から、カミサンに仕事上の相談があったらしい。
アドバイスをしたみたいですが、彼女の返事は、「分かった、やってみる。これも私の修行だ」というもの。
「修行」というのは、我が家の口癖みたいな物なんです。
和尚のお陰です。



2008年12月28日 (日)

近況

27日は紺邑の最終営業日。
29日から出稼ぎ家業が始まりますのでね。
お昼は久保さんのところで、みんなで打ち上げ。
日本橋にも荷物を出し、一安心。

それでも、私達夫婦には休みはありません。
今日は、船橋への出荷と、年明けに染める物の準備をしなくてはならない。
29日は、午前中に薪ストーブの煙突工事の準備と、日本橋三越の飾り付け。
30・31日は、私は日本橋で販売。
カミサンの30日は、久保さんのところで餅つき、31日は船橋の飾り付け。
仕事があるというのは、ありがたいことですねぇ。

元日は、東京で過ごす事にしました。
地元におりますと、夜、一人で船橋に出かけなくてはならない。
最終の特急に乗って、北千住で地下鉄に、錦糸町で総武本線に乗り換え座席に一人で座ると、寂しいのですよ。
元日から、そんな気分を味わいたくありませんのでね。

こんな事を書けるのも、ちょいと落ち着いたからです。
 

昨日、所用で桐生市に参りました。
私が生まれた家の側を通るのが、一番の近道。
時間的に早いのは、道の広いバイパスを通ること。
どっちの道にしようかと一瞬考えましたが、ハンドルを握る手が、自然に我が実家への道を選んでいた。

道々、亡くなった両親を思いだす。
「天国に召されているだろう人々と、仲良くしてくれ」なんて、心で思いながら実家の側を通ると、無線が混線した時のような声が、ハッキリと聞こえた。
私は、親父殿が「了解!」と言ったと思うことにします。

ですからこれから、こちらも「了解!」と言うために、墓参り。

2008年12月27日 (土)

「与える」ということ

「冬のプレゼントフェアー」が終わり、ホッと一息なんて着いていられません。
先ずは片付け、日本橋三越と東武船橋への出荷の準備、各百貨店のDM製作、社長業などなど諸々。
師走だなぁ~!
家に帰るのがここのところ遅く、夕飯も9時10時。
だけど、去年に比べれば、忙しくて幸せだなぁ。

報道によると、非正規社員の八万五千人が失業すると云います。
あのトヨタでさへ赤字だなんて、暗いニュースばかり。
でもね、24日の私が住んでいる町は、車の渋滞が生じたほど賑わった。
ニュースを知らなければ、とても不況とは思えない雰囲気でしたね。
それでも、100年に一度の経済危機であることは間違いないらしい。

作家の曾野綾子さんが、昨日の産経新聞のコラムで「人は自分が他人に与える立場にいるという自信を持つ限り、自暴自棄になることはないのである」と書いていらっしゃる。
おむつをつけた赤ちゃんでさへ、倒れた父親の下の世話をしたという実例を挙げながら。。。


 今の日本は、不満だらけだ。その理由は、国家から、会社から、親から、もらうことばかり当てにしているのに、彼らはそれほど豊かには与えてやれないからだ。
 親や国家や社会が無能なのではない。誰も自分を助けてくれる人は本質的にいないのだ。すべて自分で何とかしなければならない、と思うと、「赤ちゃん」まで親のために働ける。日本人の精神の方向性を、もらう期待から与える姿勢に百八十度転換すれば、この閉塞的な空気の重苦しさを解決する場面は多い。
 この食うや食わずの状況で人を助けられますか、と言うひとはあるだろうけれど、それは間違いだ。いささかでも与える生活はどんな貧しい境遇でもできる。与える行為は国家社会に利用されることだ、という思想を払拭できれば、思いがけない道もひらくのである。

ちょいと長い引用でありますけれど、新聞を読むことも、悪いことばかりではありませんね。

私達は、幸いな事に、物も仕事も造れる。
それをみんなでシェアーも出来る。
これから始まる
日本橋三越の「匠の技展」も、ブラシ屋の旦那が造ってくれた物だ。
それを、出展しているみんなで顧客を共有化してシェアーしているから、きっとこの不況を乗り切って行くことだろうと思う。

船橋は、実は私がきっかけを作った。
しかし、シェアーしていることは、三越本店の催事と同じです。
時期がいつも一緒で、私は困るのだけれど、船橋は、そのシェアーをするという役割で、私が必要だと、百貨店の担当者にくどかれ、私は船橋に伺っているのです。

ある地方を代表する企業がリストラを計画し、労働組合に人員削減を提示した。
組合のリーダーは、社員全員の給料を下げることによって、一人も首を切らせなかった。
その人を存じ上げておりますが、信念の人だ。

「与える」ということに「助け合う」という事を加えても良いのではないかな、なんてね(汗;

2008年12月25日 (木)

奇蹟

閑馬は佐野市の山間部にあり、紺邑に来るためのメインストリートにも、滅多に車は通らず、「閑かな所ね」と皆さんおっしゃる。

20081225133629  さて、待ちに待ったく薪ストーブがようやく到着しました。
それがなんと、運転手一人で、4トントラックに積まれて来た。
そして、みんな呆然。
ストーブの重量は170㎏もあり、それがトラックの高い荷台に置いてあるだけ。
これをどうやって降ろすかが問題だ。
みんなで協議しましたが、運転手は、「どうしましょうか?私は持って行ってくれと頼まれただけなので。フォークリフトでもなければ無理だと思いますよ」と言う。

運送料は車で1時間程を1万円も払ってある。
「済まないが、持って帰ってくれるかな。料金は返して頂戴」と私が言うと、運転手は「分かりました」と、会社に電話をしだした。

20081224125658 突然、「ねぇ!あそこにフォークリフトがいるんだけど」とカミサンが遠くを指さした。
見ると、紺邑に入るメインストリートに、大型トラックが停まっていて、その荷台にフォークリフトが二台載っているではありませんか。
「ちょっと頼んでくる」と、カミサンが坂を下りて、遠くのそのトラックまで飛んでいった。

運転手が、会社に電話している間に、カミサンから電話。
「フォークリフト貸してくれるって!」ですって。

とにかくびっくり。
運転手も、「こんな事があるんでしょうかね!」とびっくり。
車も滅多に入ってこないこんなところにフォークリフトがあるなんて、思いも寄りませんからね。

20081224125607 私も飛んでゆくと、「午後、この奥で仕事がありますから、ついでにお手伝いしますよ」と、フォークリフトの運転手さんが云ってくれた。
遠い距離をフォークリフトで来てくれて、ひょいひょいと170㎏のストーブを持ち上げて、工房の中に入れてくださった。

20081224125338 その上、「私がいる内に、ストーブの位置決めもしてしまいましょう」と言って、手で動かす手伝いまでしてくださった。

これを奇蹟と呼ばずしてなんと言いましょうか。

カミサンに「奇蹟だな」というと、「これからこういう事が何度も起こるわよ」なんて云う。
根拠なんてありゃしませんが、そう願いたい物です。

2008年12月23日 (火)

大恐慌の入り口

報道を見ますと、現在は、世界大恐慌の入り口だと言いますね。
もし恐慌が来るとしたら、これからのようです。

恐れながら私は、20年以上も前、親父殿の工房にいるときから、恐慌に備えた仕事をしなければならないと、口を酸っぱくして、親父殿に言っておりました。
そういう生意気なところが、親子とはいへ、経営姿勢に違いが生じてしまったのかも知れません。
田舎に帰り、今も山の中にいて、農業にも手を出し、金のかからない生活を目指しているのも、実は、恐慌に備えていると言えるのです。

私は成功者とはとても言えない立場だけれど、敢えて言わせていただければ、紺邑も、恐慌に備えた仕事をして参りました。
1929年に始まった世界大恐慌の時代を見ると、ビクともしない人たちがいた。
そういう人たちを相手に、商売をしなければならないということです。

大阪で販売のお手伝いをしてくださっている梅津さんは、あるアパレルメーカーのショップの店長を勤め上げた人です。
リタイヤした後、時折、私どもの販売を手伝う仕事をして下さっている。
株も、たしなむ程度にしていますから、経済にもうるさい。
この方が私に、「こういう時代は、お金を使ってはだめですよ」とおっしゃった。
今朝方カミサンが、「お金を貯めなきゃ」なんて、稼いでもいないのにいう。

こういう人たちは、恐慌の時代にビクともしない人たちとは、とても言えません。

ではどういう人たちが、この時代にビクともしない人たちなのか。

それは、わかりません。

だから紺邑は、一流の百貨店で販売をさせていただき、顧客を作り、信頼関係を築く必要があったのです。
そのために、本物にこだわり、デザインにこだわり、品質にこだわってきた。

ただ今、日本橋三越のDMを印刷しております。
相当な数ですが、何年もの積み重ねの結果だし、大凡、どの百貨店でも、それ程成績を落とさずに居られるのも、DMを差し上げるお客様のお陰だと思っております。

その中には、ビクともしないお客様がいらっしゃいますからね。

もう一つは、職人達とのネットワークの構築と言うことです。

私の催事に出る目的は、最初から三つあった。
一つは販売して利益を得ること。
一つは、顧客作り。
一つは、職人のネットワーク作り。

ただ今、紺邑の2階ギャラリーで、日本中の職人達から商品をお貸しいただき、展示販売会をしております。
お陰で田舎の山の中に毎日、数多くのお客様にご来店いただいております。

昨年の11月12月は、ご来店いただいたお客様は皆無でありました。
それに比べれば今年は、夢のような状態です。
これで来年は、少なくとも工房においての販売は、今年よりも良いと思います。
これも、全国の職人とネットワークを築いてきたお陰。
電話で頼んだだけで協力してくれた職人達に、感謝しかない。
今後もこういうイベントを開催し、地元の皆様に、良い物をご紹介して行きたい。

初めて入らしたお客様に、私の考えを申し上げたら、「田沼(佐野市に合併する前の紺邑のあるところ)の誇りです」と言われた。
ありがたいことですね。
 

果たして、世界大恐慌は来るのでしょうか。

麻生首相は、「日本はこの不況から、一早く抜け出す」とおっしゃっているけれど、そうなって欲しいと思う。
報道を見聞きすると、経済評論家や政治家が、賢しらに色々語るけれど、
百年に一度と言われる時勢に、どんな人でも、政策に正解を持っているはずもない。
何故なら人は、神ではないからです。

私は何を信じるべきか。
私は日本の歴史と日本人を信じるしかない。

麻生さんは?

日本の歴史が、時代が呼んだ政治家だと、私は思っております。
この人を潰すようなら、戦争に突入した戦前の日本と同じだともね。
その最大の因は、世論というお化けだ。

2008年12月22日 (月)

寛ぎの空間

月曜日は、どこのギャラリーもお休みが多いと、ご来店いただいたお客様に聞きましたが、紺邑も、本来は月曜日がお休み。
それでも午後には、初めてのお客様に、何組か来ていただきました。

4161127_366751485s 皆様、「珈琲でも飲めたらいいですね」とおっしゃる。
つまり、紺邑の2階を、喫茶店の機能を持たせて欲しいと言うことです。
建物や、景色や環境を気に入って下さった。

20081219180856_3  ここで寛ぎたいけれど、商品を見るだけではなく、長居をしたいとおっしゃる。
誠にありがたいお言葉で、勇気を頂きましたね。
来年は、手作りですが、喫茶スペースを作らせていただくことにします。
2回には、水場もありませんのでね。

三越と東武船橋のDM作りにも精を出しております。
この2カ所は共通のお客様も多いので、デザインと文面に気を遣います。
遅いくらいですが、何とか明日には出そうと頑張り中!

2008年12月21日 (日)

日曜日の閑馬

日曜日は、いつもカミサンと二人だけ。
忙しかったらどうしようかと思ったら、遠藤さんが東京から駆け付けてくださり、磯さんも、私のお昼を作って、手伝いに来て下さった。
ところが、午前中は全くお客様がいらっしゃらず、どうなるかと思いきや、午後から夕方に欠けてちょっと忙しく働かせて頂きました。

驚いたのは宇都宮からの青年。
電車を乗り継ぎ佐野駅まで。
そこから自転車を借りて、閑馬の山の中まで一人でいらした。
車で30分の距離ですから、かなりな物。
えらいですね。
その上、買い物までして下さいました。
ありがとう(^^)/

薪ストーブがまだ届きません。
痺れをきらして電話すると、入荷しているとのこと。
連絡無かったのが気に入りませんが、怒ると疲れるので、夕方、遠藤さんを駅に送りながら、新田まで行って参りました。
お陰で送料が、予定よりも半額くらいになった。
「短気は損気」と言いますが、怒らなくて良かったな。
24日の午前中に届く予定です。

また明日も仕事です。
師走だ!

2008年12月20日 (土)

椎茸と藍染と

師走は忙しいことの代名詞のようですが、今年は正しくその通りになっています。
それにしても、暖かいし、眠い。

閑馬の奥で椎茸栽培をなさっている星野さんが、名古屋に私がいる間に、灰を一斗缶に五杯持ってきて下さった。
お礼も持たずに一斗缶を返しに行きましたら、事務所のストーブに火が入っていません。
「こんな暖かな冬は初めてです」とおっしゃっていましたが、椎茸栽培のハウスも、暖かくなりすぎるというので、入り口を開けてあるほどです。

ところで最近は、菌床栽培の椎茸がありますが、これには椎茸独特の香りさえない。
偽物ではないのでしょうが、こんな物が蔓延って良いのでしょうか。
藍染と同じですね。

椎茸も、ハウスが暖かくなると簡単に育ってしまうらしいのですが、中身は軽く、香りも味もよろしくないらしい。
藍染も、簡単に染まる物は、色落ちが激しく、強さもない。
似ておりますね。

紺邑の藍染は、灰汁で建てた藍で、今後も染めて参ります。
星野さんも、原木栽培を続けて行く。

この冬に、新しい藍が建ちました。
20081220164732 嵩上げする前に、女性陣が見学しております。
真ん中が磯さん。
この甕は、完全に建っているわけではありませんが、華の感じが素晴らしいのです。

20081220164712 液の中身は、すくもと灰汁だけ。
これから嵩上げ。
問題は温度管理ですね。
でも、紺邑の歴史が、それを解決しております。

手入れをし、来週に染められるようになるでしょう。

本日も、朝からお客様にお出で頂いた。
その商品も評判が良いですが、当たり前だと思いますね。

陶芸家の栗原さんも、久しぶりに、ゆっくりとお茶を飲んで行かれた。
元ミュージシャンですから、共通の話題だけでなく、感覚もある。
話をしていますと、話題に切りがありませんね。

今日も充実した日を過ごさせていただきました。

2008年12月19日 (金)

冬のプレゼントフェアー

昨日歌った曲の一つに、「悲しき願い」ってのがあります。
その一節は「誰のせいでもありゃしない みんなオイラがわるいのさ」という。

http://jp.youtube.com/watch?v=H6r8xA6ITaw

その通りで、何があっても、社長の私が悪い。

12月は、百貨店催事は名古屋松坂屋本店と三越本店の二つ。
日本でも最高の売り場ですから、これ以上はありませんから、例年なら十分なんです。
ところが今年は、三越が30・31日の年内は2日だけ。
これでは、売り上げ的に困る。

そこで、紺邑でイベントを開くことにしました。
名付けて
「この冬のプレゼントフェアー」!
急遽お願いした日本中の職人さんから、品物をお借りして展示販売をすることにしました。

北海道の木工品■木工旋盤の名手、志賀さんの作品 独楽など
福島のコルク細工■日本で唯一のコルク細工 帽子やスリッパなど
江戸切り子■名人黒川さんの作品 ぐい飲みなど
江戸木目込み人形■江戸職人小島さんの作品 干支の人形など
絵付け硝子■紺邑ではお馴染みの久野さんの作品
ビーズ細工■かわいいアクセサリー類 遠藤さんの作品
箱根細工■寄木細工など、箱根細工の重鎮 山中さんの作品
京都の手刷り紙細工■ポチ袋など 老舗ぴょんぴょん堂
若狭の塗り箸■NHK朝の連ドラでお馴染み 大下漆器店
白なめし革細工■日本最古の姫路の革細工 小物・財布など 
蝋燭■村井さんの押し花キャンドル メッセージも入れられます。
銀細工■おしゃれですてきなアクセサリー 緑川さんの作品
地元の陶芸なども展示します。
もちろん、藍染も。。。

25日まで開いております。

昨年の12月は、工房に訪れるお客様は皆無でしたが、今年は沢山来て下さっています。
どうか、お立ち寄り下さいませ。

どうも、告知が遅くて下手ですね。
これも、「みんなオイラが悪いのさ」です。

地元

ようやく携帯電話が届きましたが、実は夕べはノートパソコンを工房に置いてきてしまった。

それでブログも書けませんでしたが、今日は、私の話しと歌を聴く会が、地元の足利市で行われました。
町おこしをしているNPO法人の主催だそうですが、私は何も知らない。
それでも、赤間君の紹介ですから、何でもすることにしております。

赤間君はその昔、町おこしをしていたグループの、私のパートナー。
この町の若手の中心メンバーだし、聞くところに寄れば、各地で講演もしているらしい。

まあ、色々あって、この男の頼みは断れないのです。
十年振りくらいに、この街で表立った活動をさせていただいた。

NPOの中心は、大学の先生や地元の人達ですが、遠慮無く、忌憚なく、考えを述べさせていただいた。

聴衆には、私の親戚や、知り合いが沢山いらして驚きましたが、このNPOを主催なさっている方は、大川をよくご存じでしたね。
この街の歴史もです。
驚いたことに、私の幼い頃、父と通っていた寿司屋も置屋も知っていた。
こんな方に初めてお会いしました。

初めてと言えば、私の母方の実家が、ようやく分かってきた。
来年は何か良いことが起きそうです。

2008年12月16日 (火)

08/12名古屋vol7

名古屋最終日。

どうなるかと思いましたが、さすがに松坂屋本店。
大きな成績になったようだし、紺邑も今週2番目の成績。
とは言っても、たいしたことはありません。
毎回、大きなお買い物をなさる方が、数千円で終わってしまい、その分の負けと言うところです。

終了が6時ですので、ちょっと遅くなると最終電車に間に合わず、東京泊まりになる。
急いで片付けて名古屋駅に行き、切符を買う時に、携帯で時間を調べた。
急げば19:01発に間に合い、家に帰れる。
慌てて切符を買って乗車。
さて、携帯でちょっと調べ物があったので、おもむろに取り出そうとしたら、無い!
何処にも無い!
切符売り場で時間を確かめ、慌ててそのまま置いてきてしまったのです。

車内の公衆電話で自分の携帯にかけましたら、幸いなことに、駅員さんが確保してくださっていた。
遺失物係に回すと言うことで、10分ほどしてから電話して欲しいという。
かけてみたら、「この携帯電話は、電波の届かない云々」と留守電。
仕方なく、104で名古屋駅を聞いて電話。
今度は、コールはするのだけれど、通じない。
何度やっても駄目で、通じたと思ったら「松坂屋でございます」だって。
その間違いを2回やりつつ、ようやく繋がり、着払いで送っていただくことで無事解決。

車内で調べ物が出来なくて残念でしたが、なに、大方分かっています。
後は、パソコンで確認するだけのことですから、ゆったりと帰って参りました。

これから、ひと調べでございます。

2008年12月15日 (月)

08/12名古屋通信vol.6

名古屋六日目。

不況の影響が如実に表れるのは、今日からが問題だと思っておりました。
その根拠はと問われたら、長年の経験だとしか言えませんけれどね。
それが出た一日だったと思います。

紺邑も最低の成績ですが、幸いな事に、作務衣を注文して下さったお馴染みが入らして、明日の数字は確保できております。
結果は、何とか凌ぎきったと言うところでしょうか。

革カバンを作っているハリケーン・ユミが、おいしい焼栗をご馳走してくれた。
地下で売っているというので、今日はそれを買ってきて、つまみながら書いております。
これが旨い!
名を「京丹波の「
焼ポン」と言います。
是非、ご賞味下さい。
通販で取るだけの価値はあると思いますよ。

昨日はタマの贅沢。
今日は、いつもの身の丈にあった生活。

08/12名古屋通信vol.5

名古屋五日目

「早いもので、もう五日目よ」とは、販売のお手伝いいただいている馬塚さんの言。
この方は浜松の方。
遠鉄百貨店でいつもお世話になっているのですが、名古屋にも来ていただいております。
生まれは群馬県太田市で、我が生まれ育った所と10㎞ほどの所。
だから、言葉が同じだし、気心が通じるのです。
もちろん販売力もあるけれど、滅多にお仕事をなさらない。
乗っている車はベンツ。
まるで昔の「バークに任せろ」を思わせるマネキンさんなのであります。

歩く伝統工芸こと岡村さんが、ようやくお見えになった。
名古屋に来ていることをメールしましたら、アクセスできない。
ありゃ!と思ってご自宅に電話すると留守電。
海外旅行にでも行っているのかと思っておりましたら、昨日メールが入り、一安心致しました。
やはり彼女が来ないと、名古屋は始まりませんね。

そう言うお馴染みさんが、何人か各出展者にはいらっしゃるわけですが、そういう方々がお見えにならない。
それが今回の特徴的な現象です。
松坂屋本店に何十年も出展なさっている鼈甲屋さんの奥様は、「松坂屋じゃないみたい。お馴染みさんが誰も来ないのよ」と嘆いていらっしゃる。
様々な理由があるのでしょうが、余り良いこととは思われませんね。

そんなことで、紺邑もそれ程忙しい程じゃないから、岡村さんと長く、政治経済談義をいたしました。
この方は見かけによらず(失礼)、この方面でも鋭い!
しっかりした考えをお持ちで、市井にこういう若い人がいれば大丈夫だと、日本の先行きに安堵いたしましたね。

売り上げは昨年を大きく上回った。
その原因は、昨年が非常に悪かったからに過ぎませんが、まあ良いでしょう。

終わってから、タマの息抜き。
下駄屋、シルク屋、人形屋、柘植櫛屋、組紐屋、おろし金屋と私の7人で夕飯。
今日は酔うことにしていましたので、本当に酔っぱらってご帰還。
案の定、ブログをこんな時間(午前4時)に書いていると言う次第であります。

2008年12月14日 (日)

身の丈にあった生活

二宮尊徳は、小田原藩の再建を頼まれて、収入と支出のバランスを見て、えらい人達の食生活にまで口をだして、藩の財政を立て直したそうな。
経団連の土光さんは、目刺しで名を馳せた。

さて、我が身を振り返ると、反省が多い。

その昔は、週に三度は昼飯に寿司。
もちろん、回転寿司など無い時代。
夏、食欲がなければ鰻。
日曜日には、おいしいケーキ屋を訪ねて、東京中を徘徊。
焼き肉は六本木だ、霞町だ、赤坂だ、上野の宝ホテル裏だとうるさく、鉄板焼き屋では肉だアワビだ。
夜中にタルタルステーキにギンギンに冷やしたズブロッカをやっつけてふらふらになり、銀座を歩けば屋台のラーメン屋が「大川さん」と声をかけてくれて、一緒に歩いていた後輩に驚かれたこともある。
「宵越しの金は持たねぇ」なんて気取って、銀座から当時まだ暗かった六本木や赤坂や青山や渋谷をうろつき回る生活。
約40年から30年前の頃のお話し。
もちろん、それなりの収入もあった。

さて現在、こんな事の一つも出来やしませんし、したいとも思わないが、出来ればせめて、寿司くらいは食ってみたい。
そりゃー、たまにはやるけれど、馴染みの店を作る程じゃありません。
そうならなければ寿司屋もないから、それ程の欲望でもなくなった。
金がかかることを承知しておりますからね。
だから、ミシュランで寿司屋の話しなんて、聞くだけでばかばかしい。

現在、真っ正直に藍染をして職人して社長もして、小売りして生活して伝統を守ろうとしたら、若い頃の生活なんて、うらやましくも何ともないが、経験したという事は、私に取っては貴重な財産にはなっていますね。
欲望を追いかけることの虚しさが、少しは身にしみておりますからね。

身の丈にあった生活をすることを、「分度」と二宮尊徳は言った。
そして余った物を蓄え、社会に役立てる事を「推譲」といいますが、それを私は、これから実行しなければならない。
不況と言われる現在、つくづくそう思う。
紺邑の工房の建物は、身の丈に合っているとは言い難いが、これにも何か、意味と役割があるのではないかと思う。
どう利用するかということですね。

しかし、貧乏くさいのも良くない。
心豊かにならなければなりません。
だから、たまの贅沢は、例えば友人との語らいでの一杯の酒なんて、やはり大切なことだ。
要は、節度でしょうかね。

一昨日の宴会のように、鮪だ鯛だヒラメだエビだウニだカンパチだヒラマサだなんて言う刺身に、すき焼き風鍋に、焼き魚に揚げ物が出てきて、最後ににぎり寿司で仕上げ、その間飲み放題なんて言うのは、そこでいつも召し上がっている人達には、身の丈なんでしょうけれど、我々職人の世界ではないな。

2008年12月13日 (土)

08/12名古屋通信vol.4

名古屋4日目。
なんと申しましょうか、午前中は閑散たるもの。
午後になって、お馴染みさんに来ていただき、何とか売り上げが立った。

四日経って思うのは、松坂屋本店本来のお客様が少ないのではないかと言うこと。
外商カードに、ほとんどお目に掛かりません。
朝礼でも、社員の人がそう言っておりましたね。

松坂屋は、名古屋ではマッツァカヤと呼ばれ、特別な存在と言います。
特に本店で「外商に回しておいて」というのが、一種のステータス。
そう言う方が、お見えになっていない。
「わたし、最近高島屋によく行くの」と言う声も聞こえてくる。
大丸色に、名古屋の人が戸惑っているのでしょうか。

この催事の担当部長は、大阪の大丸から入らしています。
堂々と大阪弁でおしゃべりになる。
カードもシステムも変わりました。
その辺りに、雰囲気の変化を、出展している我々でも感じます。
それが吉と出るか凶と出るかは、今後を見なくては分かりませんけれど、皆さん、まだ馴染んでいないようには思います。

トヨタ自動車の下期の営業損益が、1000億円規模の赤字になる見込みなんて言うニュースがある。
一人勝ちのようだった名古屋も暗いかなと思いきや、昨晩の懇親会場なんて賑やかで、入りきれないほど人が一杯。
百貨店の中だって、それ程くらい感じではない。
それなりです。

我々はやはり、一日一日を精一杯やるしかありませんし、もっている力も、そんな物だ。

2008年12月12日 (金)

08/12名古屋通信vol.3

名古屋3日目。

紺邑はそれなりです。

朝一番で、お弁当の差し入れと、その上にお買い物をしていただいた一群が岡崎からお出でになり、なんだかんだと、昨年の実績を上回らせていただいた。
その一番の原因は、昨年の実績があまりにも悪かったからですが、まあまあのペースだろうと思う。

世は不況だと言います。
私の商売上の師匠の、前橋のシルクやさんは、「一日一日を大切に生きるしかない。将来なんて物は、私達が分かるわけがないのだから」とおっしゃる。
全く同感。

「こう言うときこそ、常識が重要だ」ともおっしゃる。
全く同感。

「成績を、景気のせいにすることが怖い」ともおっしゃる。
これまた、同感。

成績が悪いことを、景気のせいにしては、それで解決してしまい、それ以降がありません。
普段と同じように、我が仕事ぶり、品揃え、デザイン等々、我が事を振り返らねば、先がありません。

夜は懇親会。
こんなもの、無くても良いのですが、色々な人とお話しできる機会を与えられたことは、感謝ですね。

お隣は小峰さん。
「毎日、良く書いているね」って、私のこのブログの事を褒めてくださる。
でもね、「毎日書いているかい!?毎日書かなきゃいけないよ」とおっしゃったのは小峰さん。
それで、今でも続いているのです。

ニュース速報で、米国上院は、三大自動車メーカーへの援助を否決しそうだそうな。

先は不透明ですが、一日一日を、それなりに過ごすしか、私達には出来やしません。

2008年12月11日 (木)

08/12名古屋通信vol.2

名古屋2日目。

紺邑の昨日は予算を上回った。
今日のお客様の入りでは、どうなることかと思いましたね。
それでも、最後の最後に何とか形になったかなと言うところ。
噂に寄れば、大きな売り上げの出来たところがあるそうな。
その辺りは、さすがに松坂屋本店だ。

今日から、サッカーのトヨタカップが始まります。
実は現在、サッカー中継を見ながら書いている。
お陰で、今週は飽きることがないようです。

紺邑の目の前が「工房野良」。
久々にお会いしますが、個性的な物をお作りになります。
テキスタイルとしても面白い。
来年、少し暖かくなりましたら、カミサンと遊びに行きたいと思います。

名古屋はお馴染みのお客様ばかりですから、会話がとても楽しい。
お互いの家族の話しだったり、生き方の話だったり、深いお付き合いをしております。
取っつきにくい所ですが、お付き合いすると、深いですね。

2008年12月10日 (水)

08/12名古屋通信vol.1

「暑いですねぇ」とは、目の前をお通りになるお客様のご挨拶。
本当にその通りで、12月も中頃になり、百貨店のBGMはクリスマスソングというのに、暑い一日でした。

こういう日のお客様は、着る物を選ぶのに迷うかなと思いましたら、そこそこの成績を上げさせていただいた。
このご時世では、昨年並みでありがたいところですが、大分、昨年を上回ることが出来た。

松坂屋本店は、初日がいつも悪いのです。
尻上がりになるところが、これまた特徴なのでありますので、少し希望が出て参りました。

この業界も、良い話を聞きません。
最近の百貨店催事の成績が、振るっていないようです。

紺邑は、秋に出展する催事は少ない。
近鉄上本町店の「職人の技展」とこの松坂屋本店の「日本の職人展」が主な物です。

催事が無いわけではない。
しかし、諸般の事情で、出展しておりません。
だから、情報は耳で聞いているだけですが、松坂屋直近に行われた大きな催事も、大分悪かったそうな。

それを聞いた担当も、大分心配していた様子。
多分、今日の結果は芳しくなかったかも知れない。
しかし、これを盛り返すのが松坂屋本店の底力。
事実、良いお客様との出逢いが、今日もありましたからね。
お一人で、何着もお買い上げ頂いた。
こういう出逢いは、松坂屋本店ならではの事です。

昨夜はちょっと散財を致しました。
今夜は、デパ地下のお弁当とワインを部屋でやっつけながら、夜を過ごしております。
身の丈にあった生活を、これからも心がけていきたいな。

これが難しい。
そんな話しも。。。

2008年12月 9日 (火)

名古屋通信

明日から、名古屋松坂屋本店の「日本の職人展」が始まります。

今日は準備の日。

久しぶりに、様々な職人に会っております。

それだけで楽しいな。

そんな報告は、明日から致します。

準備が終わってから、この催事をまとめている藤田君と小島人形のおじさんと夕飯。

お互い3人とも、娘を持った父親だから、様々な話題になった。

私は、いつ何時、何があっても藤田君の味方。
それを歌では「I'm on you're side」と言うのかも知れないけれど、そのくらいの最低の気持ちはあるな。

良い仲間に、藤田君じゃないけれど、私も恵まれていると思いますね。

2008年12月 8日 (月)

「初める」ということ

どうも私は、奥歯に物が挟まったような文章を書いているのかも知れないと、時々読み返して思う。

しかし、「文章では簡単に表せない事だってあるんだい」とも思っているので、どうぞご勘弁いただきたい。

「ご勘弁いただきたい」と、誰に書いているのかというのも問題だな。

なにせ、このブログを書いて飯食っているわけではありませんからね。

でも、読者が居てくださることも確か。

ありがたいことであります。

この「あります」という言葉は、明治以来の東京弁。

花魁の「ありんす」という言葉を、東京に出てきた地方の書生や役人達が、東京弁だと思って使い出したのが始まりだそうな。

始まりと言えば、「始め」と「初め」と日本語にはありますね。

「初め」は「そめ」とも読む。

だから「逢い初める」は「あいそめる」と読む。

「始める」というのは終わりがあること。

「初める」とは、「染める」に通じて、長く消えることがないこと。

「初(そ)める」とは、結果が長く今日まで残るとき、使われた言葉。

「染め」も「初める」染めにならなければなりません。

出逢いも「初める」出逢いでありたいものだ。

って、また奥歯に物が挟まっているかなぁ。。。

2008年12月 7日 (日)

日本酒

日曜日は、カミサンと二人で工房の店番やら、染める生地の精錬などを致します。
朝駐車場に到着すると、水たまりに氷が張っている。
工房内の温度は5度。
ストーブを三台つけましたが、15度になるまで約2時間かかった。

 
20081207114839 外の景色は、裏庭は霜が降り、表の山の景色は、紅葉から枯れ木の姿となり始め、今年初めて冬を実感しております。

 

 

 

朝一番に溝越さんがいらして、耕耘機を見ている。
何処かを溶接すれば動くのだそうですが、冬の間、畑にこれを入れることで、来年に備えるのだそうな。
彼も年末になって忙しいらしく、休みが日曜だけとか。

日本酒のおいしい季節です。
私はつけて飲む。
所謂ぬる燗です。
大吟醸などの凝った酒は、貧乏性の身体が受け付けません。
あの香りが駄目なのだけれど、あれが良いという人がいても別にかまいやしません。
好みですからね。
それにしても、温度管理の技術の進歩とか、新しい酵母の実用化などという科学(化学)というものは、ああいう味も作り出す。

その昔、千葉の田舎で養鶏を始めた弟の同級生がいた。
私も興味があったので行ってみると、どぶろくも造っていた。
それを私に飲めと言う。
飲んでは見たが、ただ辛いだけで、別段旨い物じゃない。
そいつは「こういう酒を飲めるか飲めないかで、私はその人を判断します」なんて生意気なことを言う。

旨きゃ飲む。
まずければ飲まない。
飲ませたいと思ったら、その人が旨いと思う酒を出せばよい。
それが、お持てなしの心というものだし、自分の好みを押しつけるなんて言うのは、人としておこがましいってもんだと、その時は思いましたけれど、当時の私は大人しかったし、こいつに頑張ってもらいたいと思っていたから、「そうかい」で終わってしまった。
こんな片意地張ったような生き方をしていたからか、結局は長続きしていない。

ぬる燗で飲むと書きましたが、これは親父の代から。
「最近は、『つけてくれ』というと、何でも熱燗で出てきやがる」と、いつも怒っておりました。
私は諦めていますから、怒りもせず、我慢をしております。
温度はどのくらいかなどという、うるさいこともありません。

名古屋の寿司屋に行ったとき、「酒をつけてくれ」というと、「ひなた燗、ぬる燗、熱燗、どれにします?」と聞いてきた。
ひなた燗というのを飲んでみたけれど、気の抜けたようなものだった。
まあ、酒にも寄るのでしょうけれどね。

「給料日だから、一本つけておいたわよ」なんて奥さんが言いながら、夕飯の食卓に一本酒が出て来る。
「お!、ありがてー」なんて良いながら、滅多に食えないマグロの刺身で、亭主が酒を飲む。
こんな光景は、今は昔の物語。。。

2008年12月 6日 (土)

蕎麦 藍染 薪ストーブ

良い天気の一日でした。

日当たりは、暑いくらい。

 

お昼は、閑馬の奥にある、久保さんの蕎麦屋さんに。

20081206121510 これが一人前。

お蕎麦、八頭とコンニャクの煮物、山菜おこわ、きぬかつぎ、天ぷら、キュウリの漬け物、いなり寿司。

これで1000円也。

当然残しますが、おみやで持ち帰りますから、夕飯の食卓に並ぶことになります。

光っているところは、日向なんです。

 

午後は、藍染をなさっている宇都宮の小荷田さんご夫妻が、紺邑の藍染をお召しになってご来店。

楽しくお話しをして、お帰りになりました。

 

今月17日から、紺邑2階のギャラリーで、クリスマスとお正月フェアーをやることにしました。

日本中から、面白いものを集めたいと思って、職人達に電話。

箱根細工の山中、京都の紙細工のぴょんぴょん堂、NHKの朝の連ドラでお馴染みの若狭の塗り箸大下、江戸の市松人形の小島、ビーズ細工の遠藤さん、お馴染みのローソクの村井先生に硝子の久野さん、などの皆さんのご協力を頂けそうだ。

これに、焼き物と銀細工と木工細工とコルクが入る予定ですから、なかなか楽しそうです。

 

そして夕方、遂に薪ストーブを買いに行きました。

値段を見て驚いた。

昨日より20%以上値引きされている。

大もうけだ!

もちろん、買わせて頂いた。

問題もある。

このストーブの重量は170kgもあるんです。

どうやって運ぼうかな。

2008年12月 5日 (金)

薪ストーブ

薪ストーブを見に行って参りました。
所は、関東は新田のジョイフルホンダ
まあ、広いこと広いこと。
ここでは家も、キットで売っています。
つまり、組み立てれば自分で家を建てられるわけです。

さて、今まで何故薪ストーブを入れなかったかと言いますと、値段が折り合わなかったのです。
聞くところ見るところ、40万とか50万とかする。
工事費もそれくらいかかると言われていたのですよ。
これでは手が出ません。

最近、閑馬の色々な人に会うと、だるまストーブやら鋳物の薪ストーブやら、またはそれらの中古品で暖まっている。
工事だって自前だ。
そうすると、我々だって手に入れることが出来ると、ようやく分かったのですよ。
何も、北欧製だなんて、気取ることはありません、ってね。
身の丈にあったものを、探して参りました。

20081205112111れが大きい方。
多分、これを明日注文してきますが、これだけで約50坪の部屋が暖まる。
大きすぎるかなと思って、工房で計ってみると、そんなこともない。
薪も、50㎝のものが入るし、前からも横からもくべることが出来る。
何よりありがたいのは、ストーブの上で灰汁を暖められるし、灰が取りやすいことです。

 

20081205112207 これが小さい方。
これでも25坪から30坪が暖まる。
55㎝の薪が入れられるし、灰汁も暖められる。
惜しむらくは小さいから、薪をくべる回数が多いことと、煙突が小さいから、熱効率が少し悪いかも知れないと言うところ。
でも、十分ですが、もしかしたら、もう一台欲しくなる可能性もある。

「大は小を兼ねる」だから、思案中ではありますが、大きい方にすると思います。

 

値段?
見づらいけれど値段が書いてありますでしょ。
工事費入れても、北欧製の10分の1くらいかな。
小さいものなら、その半分だ。

のんびりと一生懸命と

世の中不況だと言いますね。
田舎におりますと、これがピンと来ない。
朝起きて仕事して、、お昼を頂いて仕事して、お三時をして仕事して、夕飯を食べて寝るという日常が、当たり前に在るだけのようだな。

朝、閑馬小学校の手前で、地元の人達の「横断中」という旗で車を止められてしまった。
しばらくすると、学校のマラソン大会だとわかりました。
全校生徒が通り過ぎるまで待たされましたが、私の車の後には、一台も来ませんでしたね。
別に急ぐわけでもないですから、こちらものんびりと待っておりました。

お昼に出てきた漬け物は、隣の窪さんからの頂き物。
夕飯は、魚と肉をちょっと買い物しただけで、鍋が出来た。

田舎暮らしの良さは、こう言うところにあるんでしょうね。
でも、稼ぎは外に出かけなければ出来ませんから、浮き世は生やさしいことはありません。

 
紺邑はお陰様で、なんとか年を越せそうです。
ただし、一生懸命仕事すればね、という条件付きだ。
仕事をすればよいのですから、このご時世では良い方かも知れません。
仕事がないと言う人もいるというニュースも在りますからね。

私の社長業も、あと数日で一段落だ。
今日は薪ストーブを見に行って参ります。
石油が安くはなりましたが、燃えた後は何も残らない。
薪は灰が残りますからね

2008年12月 3日 (水)

職人の社長

様々な事情で、紺邑は有限会社であります。
小なりと言えども、法人として社会に在りますから、それなりの責任を問われる。
社長というのは、その全てを被るわけですから、色々仕事がある。
例えば、帳簿がどうだ、資金繰りがどうだとね。

これがどうも、職人としての仕事には妨げとなる。
しかし、嫌だなんて言うわけにもいきません。

昨日は、その筋の方が工房にいらっしゃり、帳簿をごらんになってお帰りになった。
もちろん、何事もなかったわけですが、それでも、かなりの時間を取られたことは確かであります。今日も、別のお役所に提出する書類を作らなければなりません。
これも、やらなければならないことだ。

そろそろ百貨店催事がありますから、DMを作らなければならない。
名簿の管理もしなければならない。
百貨店に行って、販売しなければならない。
搬入も搬出もあるし、飾り付けもある。

どうも、忙しいことだ。

 
江戸時代がどういう時代だったかという本を読みましたが、のんびりしていて、実に良いですね。

2階建ての長屋の一月の家賃は、職人の一日の日当分だったそうです。
だから、家を買うバカはいなかった。
自分の物は、行李一つ。
火事になると、それを持って逃げれば良かった。
そして、また長屋を建てなきゃなりませんから、職人の仕事が増える。
「火事とけんかは江戸の花」っていうのは、こういう事。
職人には、良い時代でありましたから、良い仕事が残っているのでしょうね。

私もいつか、そうなってみたい。
仕事を委譲すると言うのだそうですが、後は人材の発掘という社長としての仕事が待っていますね。
 

因みに江戸時代は、税金は無い。
江戸の役人は、南北の奉行所に合計で294名。
100万都市の江戸に、警察官がたったこれだけ。
それで、平和と安全が保たれていた。

もめ事は大家が担当。
「大家と言えば親も同然」と言いますけれど、大家は家主ではない。
いわばアパートの管理人。
大家で解決できないもめ事は、家主ならぬ、町名主がおこない、それでも解決できないものが奉行所に上がるという仕組み。
なんてことも書いてありましたね。
(講談社文庫 「江戸時代はエコ時代」 石川英輔)

2008年12月 1日 (月)

閑馬の一日

今日も閑馬の山に籠もって事務処理をしております。

当然、お泊まり。

外は寒いようですが、木造の建物は暖かいですね。

小さな石油ファンヒータで十分です。

地下129mの水を沸かした風呂に入り、お肌すべすべで、パジャマで仕事をしております。

ただ今22:30分。

 

今朝は、磯さんからの電話で起きました。

「朝ご飯、食べにお出で」ですって。

紺邑には、炊事が出来る設備が無いことをご存じなんですね。

美味しいお米に、塩鮭、納豆、卵焼き、自家製のわさび漬け、自家製の味噌で作ったみそ汁、庭で採れた大根という、まことに結構な朝食を腹一杯頂きました。

 

お昼は県庁舎に、書類の書き方を教わりに行きました。

担当に、実に丁寧に教えていただいた。

ありがとうございました。

それなのに、環境問題について一くさりしゃべるところが、私の至らないところです。

 

帰って参りますと、閑馬の奥にある、蕎麦屋の久保さんがいらしてくださった。

この方を知らなければ、この町ではモグリと言われるほどの有名な人。

二度、ご病気で死の淵に立った。

その病床に、近所の人から、回復を願う色紙の寄せ書きが届いた。

「私の命を縮めても、久保さんの命が助かりますように」などと書いてあったそうな。

それ程の人望なのです。

ちょっと相談事もありましたが、話を聞いてくださるその姿勢には、なるほどと思わされます。
 
 

磯さんも久保さんも、人物です。

 

夕飯をどうしようかと考えた。

スーパーでお惣菜といなり寿司を買ってきて、コンビニの鍋焼きうどんで舌鼓。

当然、お酒は無しであります。

 

飲みたいなぁ~!

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »