「与える」ということ
「冬のプレゼントフェアー」が終わり、ホッと一息なんて着いていられません。
先ずは片付け、日本橋三越と東武船橋への出荷の準備、各百貨店のDM製作、社長業などなど諸々。
師走だなぁ~!
家に帰るのがここのところ遅く、夕飯も9時10時。
だけど、去年に比べれば、忙しくて幸せだなぁ。
報道によると、非正規社員の八万五千人が失業すると云います。
あのトヨタでさへ赤字だなんて、暗いニュースばかり。
でもね、24日の私が住んでいる町は、車の渋滞が生じたほど賑わった。
ニュースを知らなければ、とても不況とは思えない雰囲気でしたね。
それでも、100年に一度の経済危機であることは間違いないらしい。
作家の曾野綾子さんが、昨日の産経新聞のコラムで「人は自分が他人に与える立場にいるという自信を持つ限り、自暴自棄になることはないのである」と書いていらっしゃる。
おむつをつけた赤ちゃんでさへ、倒れた父親の下の世話をしたという実例を挙げながら。。。
今の日本は、不満だらけだ。その理由は、国家から、会社から、親から、もらうことばかり当てにしているのに、彼らはそれほど豊かには与えてやれないからだ。
親や国家や社会が無能なのではない。誰も自分を助けてくれる人は本質的にいないのだ。すべて自分で何とかしなければならない、と思うと、「赤ちゃん」まで親のために働ける。日本人の精神の方向性を、もらう期待から与える姿勢に百八十度転換すれば、この閉塞的な空気の重苦しさを解決する場面は多い。
この食うや食わずの状況で人を助けられますか、と言うひとはあるだろうけれど、それは間違いだ。いささかでも与える生活はどんな貧しい境遇でもできる。与える行為は国家社会に利用されることだ、という思想を払拭できれば、思いがけない道もひらくのである。
ちょいと長い引用でありますけれど、新聞を読むことも、悪いことばかりではありませんね。
私達は、幸いな事に、物も仕事も造れる。
それをみんなでシェアーも出来る。
これから始まる日本橋三越の「匠の技展」も、ブラシ屋の旦那が造ってくれた物だ。
それを、出展しているみんなで顧客を共有化してシェアーしているから、きっとこの不況を乗り切って行くことだろうと思う。
船橋は、実は私がきっかけを作った。
しかし、シェアーしていることは、三越本店の催事と同じです。
時期がいつも一緒で、私は困るのだけれど、船橋は、そのシェアーをするという役割で、私が必要だと、百貨店の担当者にくどかれ、私は船橋に伺っているのです。
ある地方を代表する企業がリストラを計画し、労働組合に人員削減を提示した。
組合のリーダーは、社員全員の給料を下げることによって、一人も首を切らせなかった。
その人を存じ上げておりますが、信念の人だ。
「与える」ということに「助け合う」という事を加えても良いのではないかな、なんてね(汗;
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