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2009年1月

2009年1月31日 (土)

09/1大田原通信vol.3

大田原3日目。

朝起きると、部屋の窓からピューピューと、ものすごい風の音がする。
車に乗り込むと、台風かと思うばかりの大雨。
これが雪だったら、吹雪というところでしょうか。
想い出しますと、去年の今日も大雪だった。

こんな天候でどうなることやらと思いましたが、開店と同時に、お客様が沢山エスカレーターに乗って行く。
そう言えば去年も、大雪でどうなるかと思ったら、同じ光景だったことを想い出しました。

終わってみれば、このご時世とこの場所では、考えられないほどの成績ですね。
この業界の大ベテランの鈴木さんに、「たいしたもんだと思いますね」と言ったら、黙って頷いていらした。


懇親会をやるという。
私以外は、全員出席らしい。
具合は悪いけれど、それでは出ないわけにはいきません。
ちょいと無理したら頭痛だ。

 
ゆっくり寝ます。

2009年1月30日 (金)

09/1大田原通信vol.2

東武宇都宮百貨店大田原店は、百貨店には珍しく、郊外店です。
ちょいと前までは、田んぼと畑の真ん中にあった。
当然、周辺にホテルはなく、我々の泊まっているホテルからは、歩くと25分くらい掛かる。
昨年は寒空の中、歩いて通いましたが、今年のホテルは、送迎バスを出してくれています。
企画を担当している方の尽力でしょうが、まことにありがたいことです。
 

2日目の朝一番で、鈴木さんが作業着を着て、「おう!」と挨拶しながら売り場にいらした。
この方は、サラリーマンとしては変人の部類で、しょっちゅう上司ともやり合う自己主張の多い人で、取締役まではなりませんでしたが、功なり遂げて、何故か大田原店の物流にいらっしゃる。
この店を立ち上げた一人でもありますから、こういう立場を楽しんでいる様子で、これまたサラリーマンとしては変わっています。

この方がいらしたから、宇都宮も船橋もここの大田原の「職人展」も存在する。
宇都宮に私と平井と大森の三人で営業に行って、当時催事課の次長だった鈴木さんに「職人の技展」をプレゼンしたのは、もう十数年も前のこと。
三月に行って八月に開催させていただいた。
次の年には、鈴木さんと私と二人で船橋に行き、今の催事が出来た。

担当の増渕さんに、「私の頭の上がらない人でね」と鈴木さんのことを話すと、「え!大川さんにもそんな人がいるんですか?」と、まだ若いから誤解があるようです。
そりゃー、少しうるさいところが私にはあるけれど、そんなところも、鈴木さんとは合ったのでしょうね。
私は、良い担当者に恵まれております。

 
星野先生が、薬を持って入らしてくださった。
水まで隣の食品売り場で買って来て下さり、2種類の漢方薬を飲ませていただいた。
ちょうど良いシャツがあったので、買い物までして下さり、私は良い友達にも恵まれております。

 
雨の一日でしたが、今日も立派な成績だと思う。
地方百貨店の衰退が、報道されておりますね。
ここは、地方百貨店の地方支店という所。
確かに、全体的には大きな売り上げがあるわけではありませんけれど、私達には不思議な百貨店です。
でも、品揃えは、ハッキリとスーパーの郊外店との差別化が出来ています。
全国の地方百貨店の方々に、一度見てもらいたいほどだ。

2009年1月29日 (木)

09/1大田原通信vol.1

いささか旧聞に属するかも知れませんが、大丸の浜松進出が無くなったそうですね。
遠鉄と親しい我々としては、どう考えたものか、良く分かりません。
しかし、当事者の方々は、どちらにしろ大変だろうなと思う。
これで、遠鉄百貨店の増床計画が中止されたという話は聞きませんのでね。
それとも、そんな話はあるのかな?

身近なところでは、池袋三越が、この五月に閉鎖されます。
札幌の丸井今井が、民事再生法の適用を申請するらしい。
催事のスケジュールも、今年はかなり変動がありますが、丸井今井は6月を予定している。
果たしてどうなりますことやら。

それでも上半期は、スケジュールは何とか去年より上手く行きそうです。
あとは気力でしょうかね。
 

大田原は順調な滑り出し。
驚いたことに、皆さんよく売れていて、実績は昨年を大きく上回りました。
8社だけの小さな催事ですが、3時頃の段階で、40社の柏、三十数社の新潟を抜いてしまいました。
単純に比較は出来ませんが、それでも大した物ですねぇ~!

泊まっているホテルは、温泉付きです。
部屋はツインのシングルユースで、部屋も風呂も相当に広い。
アスレチックの設備も温泉プールもあるけれど、今の私は魅力を感じませんね。
それでも今日辺り、温泉に入ってみようかな、と思うほどに体力が回復をして参りました。

2009年1月28日 (水)

身勝手なこと

午前中は自宅でウトウト。。。

一念発起して閑馬に行き、ちょいとお仕事。
しかし、ぼーっとしていて、何も出来ません。

そこへ、Yahoo関連の会社と称する人から電話。
話をしていると、一方的にガシャッっと切られた。
「最近の若い者は」という話になると、「自分の事かと不愉快になる」と、広津和郎は言ったらしいけれど、これで本当に商談になったとき、この男はどうするんでしょうかね。
こういうのを身勝手と言うわけですが、こんな奴もいるし、まともなのもいると言うところでしょうか。
いやいや、身勝手も甚だしいというのか!?
 

とにかく、大田原へは行かねばなりません。
ところが、仕事をしていては大田原にいけない。
そんなことを考えていると、珍しく腹が立ってきた。
「御にこにこ」も忘れてしまうほどにです。

溝越さんがいらして、風邪引きで具合の悪そうな私を案じ、「大田原まで運転して行きましょうか」と言ってくださった。
そうか!?車で行く手があるな!と思い起こし、自分で運転して大田原まで来ております。
溝越さん、ありがとうね(^^)/

準備を始めましたら、武田刃物の小林さんと担当が、なにやら話をしている。
何のことかと聞いてみると、刃物を並べている平台をGケースに変えろと言っているらしい。
もう並べ終わる頃にそんなことを突然言い出すのは、実に理不尽なこと。
前もって言ってくれていれば、武田刃物は大田原に来なくて済んだかも知れない。
条件が合わないのですから。

この催事の経費は、皆、出展者が持っている。
だから、売り上げを上げなければ、経営上困る。
私達を呼んだ百貨店は、それに答えるべく、売れる環境作りをする責務があるはずだし、それが仕事のはずだ。
出来ないなら出来ないでも仕方ない。
しかし、それは前もって言って置かなければ、遠い岡山から来た方に失礼ではないでしょうか。
そう申し上げさせていただいた。

結果は、担当の方々のご尽力で、当初のまま営業出来るようにはなりましたし、夜には酒見君からも電話を頂いた。

 
消費の落ち込みが酷いという。
その原因は果たして、景気だけにあるのだろうか。
つくづく感じさせられた事でありましたね。

あの「三者の喜び」は、何処へ行ってしまったのか。

出雲

今年はカミサンも連れて行こうと思っておりました。
そして、大田市にもお伺いして、一晩、あのあたりでゆっくりしたいとも思っておりました。
ところが、わたしの風邪と様々な事情が重なり、カミサンは来れなくなり、大田市に行くことも叶いませんでした。
郷原さんにもお会いしたかったけれど、次回こそはと思う。

この辺りの文化は深い。
藍染にしても、筒描き、型染め、板締め、絣と様々だ。
ゆっくり勉強する時間が欲しい。

 

岡さんは、神社オタクを自認するほど、神社好き。
出雲大社はもとより、日本中の神社のお話を私に聞かせてくださるが、私はただただ「へぇー、ほー!」と、感心して聞くだけです。

 

「工房おかや木芸」は島根県簸川郡斐川(ひかわ)町にあります。
斐(ひ)は日(ひ)に通じ、氷川の氷(ひ)も、日でもあり斐でもあるとおっしゃる。

 

出雲大社にお参りして、少し時間がありましたので、岡さんの言葉を思いだして「日御碕(ひのみさき)」まで足を伸ばしました。
幸い天気にも恵まれ、風邪を引いている身にもやさしい。

 

日御碕街道を海をめでながら走りますと、突然「日御碕神社」という看板が見える。
ところが神社の姿がどこにもない。
「なにごとか?」と思うと、崖下に真っ赤な東照宮のような大きな神社が出てきた。
しかし、どこからどう入るのかわからないので、道を少し戻ると看板に「次の信号を右折」と書いてある。
行きますと、妙なところに妙な形で、日御碕神社は建っておりました。

 

この神社は本来、海岸から入るところで、道はなかったのだそうな。
それで、道から入ると、「妙」だと感じるのだそうです。
岡さんが、「海まで出てみました?」と聞く。
その先に「経島(ふみしま)」というのがあったらしいけれど、「それを見なければだめでしょう」と言われ、「日御碕灯台は行きました?」と聞かれ、ここも行かなかった。
私は約四十年ほど旅を続けておりますが、観光というものをしたことがありません。
こういうことに慣れていないのですが、思いを残すことができましたので、きっと来年も縁があることでしょう。

 

慌しい出雲の旅を終え、つかの間の休息を自宅で取っております。
これから県北は大田原市の東武宇都宮百貨店へ向かいます。

2009年1月27日 (火)

米子から出雲へ

米子の最終日。
社員やおかやさんのスタッフに助けられて、片付けも終わり、ホテルに帰ってゆっくりさせていただいた。
風邪に祟られた一週間でしたが、皆さんの優しさに触れられた一週間でもありました。
久々に医者にも掛かり、己を見返る事も出来たありがたい一週間でもありました。
お陰様と思うけれど、これは出雲神社の教えでもあります。

朝、去年より一便遅い列車で米子を発ち、出雲に向かいました。
空気が柔らかい。
岡さんにお迎えを頂いて、お店に伺った。

20090127103848工房おかや」の中はギャラリーになっていて、日本中のクラフト製品が展示販売されております。
岡さんの、顔の広さが分かります。

まあ、こう言っては何ですが、私だって「ねえ、来てくれないかな」という岡さんの一言で、来ることになっちゃったんですからね。

昨年は、出雲大社にご一緒した。

今年は車をお借りして、一人で参拝して参りました。

20090127122228 これは、本殿を真裏からみたところですが、今はこちらにご神体はいらっしゃいません。

「平成の大遷宮」で大規模な修理に入りました。

私も些少ですが、奉賛させていただいた。

いつかもう少し詳しく書こうと思いますが、実は家に帰ってきてこれを書いておりまして、やはり体力が続きませんね。

この辺りでお休みとします。

2009年1月26日 (月)

米子通信vol.5

昨日は、鍛冶屋の日記でお馴染みの、安来の須藤さんにいらしていただいた。
私のブログを読んでいてくださり、風邪引きなのを知り、一杯誘おうと思っていたのを諦めたそうです。
残念ですが、また次回と言うことで、買い物をして下さった。

朝起きると、身体がしゃきっとしません。
着替えようとしても、言うことを聞かない。
ぼーっとしていて、多少遅れ気味に会場に入りました。
夕方になると、喉の痛みが酷くなってきた。

よく考えてみると、昨年の暮れから働きづめだ。
やはり、多少の休息は必要ですね。
「お前はもう、若くは無いのだ」という啓示と受け止めて、早引けをさせていただき、部屋で休ませていただきました。
今年一年、色々あるだろうけれど、健康あっての物種でしょうからね。
 

最終日の今朝も、同じような目覚めです。
何とか、出かけて参ります。

2009年1月25日 (日)

名古屋のことの訂正と御礼

皆様、おはようございます。
ちょいと訂正させていただくことがある。

名古屋タカシマヤの「伝統展」と三越の「全国職人の技展」の開催時期が同時期だと書きましたが、事実は、一週間ずれておりました。
25日現在、伝統展は開催中で26日(月)まで。
三越名古屋店の「職人の技展」は、27日(火)から2月1日(日)まであります。
ちなみに、松坂屋本店では「大九州物産展」が開催中で、われらがオンセの高江さんも出展中だ。
名古屋は良い話がないけれど、賑やかではありますね。

名古屋タカシマヤの伝統展に出ている大森君からメール、新宿京王にいる帽子屋の勝士からは電話がありまして、双方に岡村さんがいらしてお買い物をして下さったとのこと。
この場をお借りして、岡村さんには御礼を申し上げます。

ついでにと言っては何ですが、今朝も食欲が無く、体調にそれ程の変化がありません。
「食後」と書いてある薬のために、何か食べているだけのこと。
つまりませんね。

2009年1月24日 (土)

米子通信vol.4

今日から米子は、雪と言う予報。
朝起きて窓を開けますと、一面の雪景色。
折角の土曜日に残念な事ですが、やはり集客には、多少の影響があった模様ですね。

昨日は、私のいない間にお客様がいらして、ウールのジャケットをお求めいただいたとのこと。
昨年、コートを買って下さったお客様のようだ。
お会いできずに、まことに残念でありました。
 

家具の催事ですから、初めてお会いする方々もいらっしゃいます。
今日は、静岡の指物をなさる方とお話しを致しました。
静岡は木工芸の盛んなところですが、やはり、徳川家の影響が大きい様です。
栃木も同じで、東照宮を造った職人達が残って、鹿沼などは未だに木工の大産地だし、栃木は切り下駄の産地でもある。

静岡は藍染も多い様ですが、これは、芹沢圭介の影響もあるのでしょうね。
共通の知人もいて、会話が弾みましたが、工芸は分業ですから、職人の廃業で大変らしい。
これも人ごとではありません。
我々の仕事は、薄氷の上に乗っているような物だ。
 

医者に行ったせいか、今日は食欲が出てきた。
お昼にレストラン街に行って、スパゲッティを食べたら美味しく感じましたので、夕飯も米子で初めて外食。

鍛冶屋から「売場で爆睡するよりも、点滴をしてもらって病院のベットで1~2時間お休みになるとずいぶん楽ですよ」と、コメントが入っています。
大変ありがたい忠告だけれど、医者に掛かったことのない私は、点滴というのを打った事はありませんし、打って貰う方法も分からない。
お医者様に「点滴打ってください」というのでしょうかね。
それ程親しい医者もいないしな。
いや、同級生が開業しているけれど、もう何年もあってもいない。
そろそろ還暦ですから、帰ってから主治医を作る算段でも致しましょう。
もう、そんな年齢だ。

2009年1月23日 (金)

09/1米子通信vol.3

米子3日目

とにかく、食欲が無いことが寂しい。
昨夜はコンビニで、せめてと思いおでんを買ってみたけれど、結局は食べなかった。
今朝は、薬を飲むためにバナナ一本だ。

それでも朝出勤してみると、「随分良くなったね」と皆さんおっしゃる。
目の感じが違うらしいのですが、これまた、具合が悪くなったことのない私には、良く分からない。
それでも、皆さんを信じて良くなったと言うことにして、働かせていただきました。

風邪で食欲もなく、味も分からないからかも知れませんが、ここの社員食堂は、初日に行って見ましたけれど、私には、二度行くことは無理だ。
社員通用口の隣に、神戸のカレー屋さんがあって、それが楽しみだったのに、行ってみたら移転しておりました。
今日はレストラン街(と言っても三軒だけ)の中華で、暖かいお蕎麦をようやくいただき、薬を飲んだら売り場で爆睡。
この睡眠時間は、記録的であります(^^;)
起きますと、「お茶でも如何?」とのお誘い。
会場内で、抹茶とお菓子を頂き、気が付きますともう16時だ。

名古屋タカシマヤの「伝統展」に出展している、イタヤ細工の菅原さんから電話が入っていました。
電話すると、2月にご一緒する熊本の鶴屋で、一晩空けてくれという空恐ろしいお誘い。
この方と飲みますと、終わりという物が無いのですが、「私が言っているんじゃないよ。カミサンだからね」というお言葉で一安心。
近くに、弓はま絣の後藤さんがいらっしゃるそうで、接客中でお話しできず、残念でした。

そういへば名古屋は、三越でも「全国職人の技展」をやっている。
同時期に開催なんて、良いのやら悪いのやら。
勿体ないことだと、私には思えます。
双方、知り合いや友達ばかりだ。

皆さんどうしても帰れとおっしゃる。
医者に行けとも。
「面倒だ!」というと、地団駄踏んで心配して下さる方もいる。
仕方ないので、十年以上ブリに内科医を訪れました。
淡々と診察を受けましたら、38°2分だ。
ちゃんとした熱ですね。
薬を一杯いただいて、先ほどホテルに帰ってまいりました。

食欲はない!
また流動食です。

2009年1月22日 (木)

09/1米子通信vol.2

米子2日目。

午前中、何とか売り上げが出来ました。
出来たと言うよりも、岡さんの奥様がお客様を紹介して下さったと言うことです。
それでも、お気に召した物がなければ買っていただけないわけで、ちょうど良い物がありました。

昨日に比べて見違えるように元気になりましたが、病気をしたことがないので、程度が良く分かりません。
皆さん、「そう言う人に限って、限界を知らないから無理して風邪をこじらせるのよ。売れたんだから今日も早く帰って、明日もお昼頃出て来れば良いの」なんて、優しいお言葉を掛けてくださる。

私としては珍しく、食欲がありません。
朝も昼も、何も食べたくない。
それでは身体が持ちませんし、薬も飲めませんから、朝はカップうどんを食べたが、二~三本すすっただけで嫌になっちまって、薬。
昼はカレーにしたけれど、味が良く分からず、結局残して、薬。

今日は何とか、最後まで持ちました。
しかし、食欲がない。
コンビニで、また流動食を買って参りました。

これを食べて、また薬だ。

米子通信vol.1

一昨日、百貨店の人達に手伝っていただき、何とか準備をして、夕方ホテルに入り、洋服を着たままベッドで一眠り。
つけっぱなしのテレビでサッカーが始まったけれど、見る元気もなく、最後の方だけ見てから必死で洗濯をし、風呂に入り、ただただ寝ましたね。
こんなに寝たのは、いつ以来だろうかと思うほど。

洗濯物はビショビショのままで干し、乾燥から身を守った。
食欲はないので、コンビニで買ったポタージュスープとパンと栄養剤が夕飯。
気が付けば朝の八時。
それにしてもよく寝ました。
かなり身体は楽になりましたけれど、風邪気味であるには違いない。

初日。
どうにも辛くて、薬を買って参りました。
そのせいか、売り場でぐっすり寝入ってしまった。
まあ、普通の催事ではなく、おかやさんの個人的なイベントですから、皆さんに心配していただき、体調が優れないのなら帰りなさいと言ってくださる。
その上、ショウガをお湯にといて蜂蜜を入れて飲めやら何やら、優しいサジェスチョンを頂き、それに甘えて、この業界に入って初めて早引けをさせていただいた。
デパ地下でチューブに入ったショウガと蜂蜜を買い、夕飯も全部買って帰り、ただただ休ませていただきました、

幸いなことに、このホテルは部屋にネット環境がありません。
時間つぶしも出来ませんから、ゆっくりと休むことが出来ました。
これはロビーのパソコンから。
それでもブログを書くというのは、根性と言わずしてなんと言いましょうか。

商売の方は、なんと申しましょうか、主催する岡さんの奥様が、「まあ、ゆっくりと休んでいってください」とおっしゃったそのままですね。

2009年1月20日 (火)

いざ米子へ

ただ今、朝の5時半を過ぎたところ。

これから米子へ旅立ちます。

おかや木芸の主催するイベントに、出席をするためです。

その主な目的は、出雲大社への参拝にあります。

今年は、カミサンと次女が来ることになっていますが、どうなりますやら。

少し風邪気味。

体調は辛いけれど、淡々とこなして参ります。

Yes we can!

2009年1月19日 (月)

09/1新潟通信vol.6

新潟五日目。

ちょいと用があって、静岡にいる伊万里の石井に電話しました。
「新潟にいるんだって?」というから、こちらの現状を嘆きながら話すと、「あれ!?仕事なの?ブログを読むと遊びかと思った」ですって。
まあ、そう思われても仕方ないけれど、どっちもどっち、何じようなものじゃないかな?

今日も今日とて、相も変わらずだ。
一久さんが、一番高いテーブルを売ったくらいが、昨日と違うところ。

終わってから最後の晩餐で、お蕎麦屋さんに。

少々風邪気味なんですが、腹一杯食べて、吹き飛ばしてやろうと思います。

2009年1月18日 (日)

09/1新潟通信vol.5

新潟伊勢丹としては、初めて賑わいを感じる日でしたね。

それでも紺邑は、相変わらず低調です。

ここの商品を少し間引いて、次回の米子タカシマヤへ送りました。
その準備も、何にも邪魔されず、順調に出来たと言うことは、商売上は余りよろしいことではありません。

 

この百貨店は、スタッフも良いし、仕事も気持ち良く出来るのですが、どうも紺邑向きではないようです。
それが分かっただけでも、良しとしましょう。

 

ブラシ屋の旦那がいらした。
同じ世代を集めて、小さな宴会を致しました。
旦那は下戸ですから、乱れることもありませんし、みんな疲れ気味、風邪気味ですから、小さいくらいがちょうど良い。

 

焼き鳥、刺身、卵焼き、サラダ2品、寄せ鍋に、ビール、焼酎、酒をたらふくやっつけて、一人2千円ちょっと。
高い物が売れないわけですね。
でも、ちゃんと美味しい料理でした。

 

また太るかな。

米と酒

朝起きて着替えますと、太ったことを実感いたします。

ここ新潟は、米と酒が旨い!

昨夜もご飯大盛りを、ペロリと食べてしまった。

社員食堂でさへ美味しい。

こりゃーいけません。

反省(^^;)

2009年1月17日 (土)

09/1新潟通信vol.4 挨拶

新潟四日目。

昨夜担当が、「土日は、絶対にお客様が沢山入ります」と言ったとおり、見違えるような人出となりましたが、相変わらず紺邑には立ち寄っていただけません。
どうも新潟の皆さんは、着る物に興味がないようで、私だけでなく、洋服は皆さんよろしくない様子です。

大不況の中、一久さんとお話しをしていて、今後の方針が見えて参りました。
結局は、作る物の質の問題ではありますけれど、その上で、何かしなければならないだろうと思います。
そして今年は、催事のスケジュールも方針も、百貨店の都合で大きな変化がありまして、出展する方も日程調整に忙しい。
こんな時こそ、皆で助け合って行きたいものです。
 

この業界で一社だけ、私が挨拶しない業者がおります。
私にも皆にも、あまりにも迷惑を掛けるので、私が怒ったのですが、だからといって、その業者をどうしようとも思ってはおりませんが、積極的に、一緒に仕事をしようとも思っていない。
 

その昔、親父殿がある人に、大変失礼なことを言った。
親父殿としては好意と思って言ったその言葉は、相手を侮辱するものでありました。
私がこの業界に入ったとき、その方に挨拶しますと、私を無視する態度をお取りになる。
もちろん、挨拶も返していただけないので、どうも変だと思って仲間に聞いてみると、上記の如くでありました。
「こりゃー面白い。挨拶してもらえるまで、こちらから挨拶し続けよう」と、その時私は思った。
会う度に、「おはようございます。こんにちは。今晩は。お疲れ様でした」と、無視をされても声を掛け続け、休憩や食事で一緒になると、隣に座るように心がけました。
そんなことをしながら数年経ち、昨日書いた宮崎山形屋の催事で、偶々隣り合わせで出展。
私の実演を初めてご覧になったその方は、面白いと思ってくださったらしく、自分の主催する催事に出てみないかと、遂に声を掛けてくださった。
苦節数年で、こんな事もある。 

私が挨拶しない業者の跡継ぎが、今回、直ぐ側に出展している。
この人は、私が挨拶しないから、私に挨拶しない。
挨拶出来ないようだと、会場内で孤立する。
ならば私のように、挨拶の一つでもしてみればよい。
人間同士なんだから、きっと許し合うことが出来るはずだ、と思うけれど、この人はそれが出来ない。
出来ない人達だから、嫌われ者になる。
そして、この業界に彼らを紹介したのが、この私ときたもんだ。
それも、私が挨拶しない理由の一つ。

これから来るであろう大不況を乗り越えるには、挨拶を出来るような、みんなで助け合える人間関係を作ることも、大切ではないかなと思いますね。
それはやはり、感謝とお互い様という心持ちが大切だろうと思うな。
政治の世界もです。

2009年1月16日 (金)

09/1新潟通信vol.3

新潟3日目。

伊勢丹の新潟店は、地方百貨店では大きい方だと聞いております。
その他には、ご存じ遠鉄、山形屋、藤崎、鶴屋などがある。
その割には芳しくないから、この暇さ加減は、地域によるものか、はたまた不況によるものなのかと、隣の一久さん達とそう言う話になった。
我々凡人に分かるわけもないけれど、大恐慌に如何にして備えるべきか、大問題ではありますね。
 

「あら大川さん」という女性の声。
振り返ると、なんと宮崎山形屋の催事担当者が立っているではありませんか。
新潟物産展の打ち合わせだそうですが、懐かしいことだ。
私は宮崎県が大好きで、私に合うのです。
売り上げもそこそこだから、是非行きたいのですけれど、日程が合わずにお断りした。
ここの「伝統工芸職人展」という催事を企画しているゴザ屋さんは、一度断ると二度と話が無くなる。
そう彼女に言って、「今度呼んで頂戴」とお願いしておきましたね。
こんな奇特な藍染屋さんはいませんよ、っての。

もう一カ所行きたいのが、土佐の高知の大丸。
ここも大好きだけれど、近鉄上本町店とぶつかるのです。
上手く行きませんね。
 

閉店間際、化粧ブラシのいづみちゃんが、「目の開く飴、なめます?」と言って、小さな飴をくれた。
それをなめていると、外国人の二人が店の前に立った。
円高の昨今、それも新潟に何しに来たのだろうかと思い、話し出しますと、「しぼり」なんていう日本語を話すから、安心してしゃべると日本語が通じない。
仕方なく、片言の英語で藍染を説明したら、買っていただき、めでたく目が開いた。
霊験あらたかな飴は、あと一つ残っていますので、明日は大丈夫でしょう。

  
懇親会が開かれました。
昨夜、中島さんに連れて行って貰った、毎日行っても良いお店。
おいしい料理とお酒で、和気藹々とした和やかな会で、この百貨店で働く人達の人柄が現れていますね。

歌を歌えと言うのでアカペラで、止せばよいのに2曲ほど。。。(^^;)

2009年1月15日 (木)

09/1新潟通信vol.2

新潟の初日。

20090115153516 この静けさは、いつ以来だろうかと想い出しますと、二十年以上も前の、さる東北にあった百貨店の時以来ですね。
どうなる事やらと思っていると、真向かいの滋賀ちゃんが、忙しそうに働いています。
とにかく良くしゃべる。
売り上げもそこそこ上げているようだけれど、我が紺邑に、日が昇る事はありませんでした。
それでもディスプレーを変えたりなんていう努力はしましたので、一週間の内には、何度か良いこともあるでしょうし、無意味にここにいるわけでもないでしょうから、それを探すことにいたします。

夕方、ホテル代が突然話題になった。
ネットで取った人の方が、百貨店の紹介よりも、なんと一泊2千円近く安いという。
破格の値段ですが、この静けさを考えると、その差はどうしようもなく悔しいと言うことになり、ホテルと交渉しますと、予約できればネットに変えてくれるという。
これはありがたいと、必死で予約。
先ずは4泊の、私と大阪の靴屋が、楽天で取れた。
5泊の一久さんが、「あれ!楽天には大川さんと同じ金額の部屋がない」と叫ぶ。
「どれ!」と私も調べると、確かにない。
急いで「じゃらん」で調べたら、私と同じ宿賃の部屋が取れた。

そんな騒ぎをして、洋傘の中島さん、一久さん、志賀ちゃんで夕飯。
そこは、中島さんが昨年、毎日来ていたというお店。
安くて美味いとは聞いておりましたが、私も毎日で良いな。

酒は美味いし、ねえちゃんきれいだから、新潟は良いところだけれど、天国に行くにはまだ早い。
あと五日間、浮き世の家業をまっとうしたいものです。

2009年1月14日 (水)

09/1新潟通信vol.1

新潟伊勢丹の、今日は搬入日。

足利から両毛線に乗って、高崎まで約1時間。
高崎から新幹線で終点新潟まで、約1時間チョイ。
12:08足利発に乗って、14:47に新潟に着きました。

途中、久々の銀世界を味わいましたが、惜しむらくはトンネルだらけだ。

新潟は、暗い空。
しかし、雪は路面になく、伊勢丹まで無事歩いて行けましたが、ちょいと遠かったな。

会場にはいると、実演の帝王志賀ちゃんが、「最低の場所ですよ」という。
紺邑の場所に行ってみると、なるほど、前が志賀ちゃんで、後ろが漆器の一久さん。
こりゃー、最低と言うわけで、それ程仲が良いという事の裏返しなんです。

その他にも、パールの長谷川、洋傘の中島、ジュエリーのミカミなどなど、そうそうたるメンバーで、担当の藤田君は、良く集めました。
聞くと、これほど大規模に開催するのは初めてらしい。
 

この町に最後に来たのは、24・5才の時だから、35年も前のこと。
「エルザ」という高級なクラブがあって、そこにゲストで歌って以来です。
蝶ネクタイを忘れ、カミサンに持ってきてもらって、帰りに万座温泉に遊びに行った記憶がよみがえって参りましたね。

準備が終わって、一久さんと志賀ちゃんと私の三人でホテルへ帰って来ました。
外に出ると、福井県の一九さんが、「福井より寒い」と言って嘆く。
「旭川よりは暖かいよ」とは、志賀ちゃん。
ズボン下を履いているか?と聞くと、一九さんだけが履いていた。
私はともかく、志賀ちゃんは「九度までは履かないけれど、さすがに十五度・二十度になると履くね」と言う。
旭川では冬場、温度を言うときはマイナスを省く。
プラスになると、プラスをつける。
恐ろしい!

三人で夕飯を食べてコンビニへ行く道すがら、ピカ!と稲光がした。
これを「雪がみなり」と言うと、一九さんに教わりました。
これから雪が降るらしい。

かかあ天下に空っ風

帰って参りまして、年賀状を拝見いたしました。
沢山の方から頂いております。
筆無精な性格と忙しさにかまけ、年賀状もお返事も滞っております。
このブログの読者で、年賀状を私共に出してくださった方へ、先ず持って、御礼を申し上げます。
本年も、よろしくお願いいたします。
 

さて、地元に帰って参りますと、北関東の寒さは身に染みますね。
気温じゃなくて、空っ風の冷たさです。
これを「赤城おろし」と呼びます。

2007_0114_1 赤城山(あかぎやま)の向こうに雲がかかると、こちら側に台風かと思うばかりの風が吹き始める。
日本海側からの風がこの山にぶつかり、雪を降らせた後のからっからに乾いた風が、吹き付けるのです。
上州名物「かかあ天下に空っ風」と言われますが、その空っ風です。
ここは上州ではありませんが、言葉と文化と経済圏は同じです。

群馬県のホームページでは、「徳富蘇峰は、かかあ天下を、『実力ヨリ来ルモノナリ』としています。十辺舎一九も、『上州の女子は実によく働く。養蚕、糸ひき、機織りをやっているのは女子ばかり。女なくては明けぬ国とは上州のことだ。』と紀行文で語っています。」と紹介されております。

おんな(かかあ)が糸を繰り、機(はた)を織る。
手を荒らして大切な生糸を傷つけてはいけませんから、おんなに水仕事なんかさせられません。
だから男がする。
それを端から見れば、「かかあ天下」となる。
地元のおとこの言い分です(笑)


2009年1月12日 (月)

09/1日本橋通信vol.6

遂に日本橋最終日。

 

ものすごい人出で、本館から新館への通路は、歩けない程でした。
紺邑もそれなりにお客様に来ていただいたし、それなりの成績ではあったけれど、もう一つ伸び悩んだ一日でしたね。
日本橋の結果は、昨年が良すぎたと思えば、まあまあでしょう。
思ったほどの落ち込みはありませんでしたが、常連の方々の御来店が少なかったように感じました。

 

会場に、王監督の姿が見えました。
政治家も、時折買い物をして行く。
お買い物いただいた後で気が付けば、さる大新聞社のオーナーだったりする。
この辺りが、日本橋三越本店ならではですが、王さんは地味ですね。
お痩せになったと言うこともあるかも知れませんが、気がつかない人もいるし、事実私も、言われなければ分からなかった。
その点長島さんは、三越の何処かに居るというだけで、百貨店中の雰囲気が華やぐ。
それはそれはものすごいオーラですが、それは、皇族の方々に匹敵しますね。
これはお二人のキャラクターの違いで、良いも悪いもありません。
残念ながら、紺邑にはお立ち寄り頂けませんでした。
着る物に、余り興味が無いのかも知れませんね。

 

ちょっとだけ地元におりまして、次は新潟です。
初めて参りますが、私には新潟の血が1/4入っている。
楽しみです。

2009年1月11日 (日)

09/1日本橋通信vol.5

日本橋五日目。

出足は悪かったけれど、午後にはいつもの日本橋三越の賑わいがありました。
紺邑は、ポンポンと大きな物が出て、日本橋三越としても恥ずかしくない成績を上げさせていただいた。
多分、全体もそれなりの成績だったことでしょう。

ご夫婦連れが二組、午前と午後にご来店。
双方、ご主人の方が先に入らして、ジャケットをお気に召した。
お二人とも、「大蔵省を連れてくる」と同じセリフ。
後から入らした奥様は、「似合わない!」と一言だけの同じセリフ。
それも、ご主人が試着したのを、冷たく一瞥しただけ。
ご主人はがっかりして、「いつもこれだもんな」とこれまた同じセリフ。
そしてしょぼしょぼと、寂しい背中を見せてお帰りになりました。

今年の特徴は、女性が買い控えておりますね。
いやいや、自分の物は買うけれど、ご亭主には買って上げたくないのかな?
私は結局、愛していないのだと感じましたね。

最後の最後、またご主人だけの御来店があった。
今度はお馴染みさん。
お勧めを試着したら、お気に召した。
「カミサンに見てもらおう」と、またまたなっちまった。
後から来た奥様は、「ここに寄ったら、また引っかかるっていったでしょ!」と、お馴染みだからニコニコしながらおっしゃる。
「これどう?」とお見せすると、「私は無地が良いな」とおっしゃりつつ、買わせないようとなさる。
こちらも退けませんから、奥様にもウールケープなどをお勧め。
その高い物をご主人は、「僕のは良いから、君がそれを貰いなさい」と優しいお言葉。
そうしたら奥様、「私は良いから、あなたのになさいな」とこれまた優しいお言葉。
結局は、最初にご主人がお気に召したベストに落ち着きました。
このご夫婦は、見ているだけでほほえましかったですねぇ。
良く聞くと、奥様はご主人のことを、「ねぇダーリン!」だって(^o^)

夕飯をお弁当にしようと、デパ地下へ終わり間際に行ってみた。
サラダを買おうとしたら、1500円くらいした。
ウニ一舟12,000円と言うのもあったらしい。
こう言うのも、売れるんですねぇ~。

2009年1月10日 (土)

09/1日本橋通信vol.4

日本橋四日目。

ブラシ屋の榎本に寄れば、今日から「冷たい日本橋」から脱却する予定でした。
開店すると、確かに驚くくらい、お客様が入っていらっしゃった。
高額品も売れ、見違えるような一日になりました。

っと、これは、榎本と全体のお話し。

紺邑は、寂しい一日を送らせていただいた。
そもそも、ファッションやおしゃれに興味のある方々の日ではありませんでしたね。
今日も今日とて、夕方に何とか売り上げが出来た。
そんな程度でありましたけれど、家具などの大きな物も売れた一日だったようです。

百貨店に関して、全国から様々な情報が入るけれど、どうも最近は、地方の方が良い傾向にありますね。
これから、地方巡業が始まりますが、ちょっとは希望があるかな!?

 
昨日、日本橋三越5階で、毎年三月に行われていたイベントが中止になりました。
割合大きな売り上げのあったイベントですから、ちょっと痛い。
新しい販路を開拓しなければなりませんが、降って湧いたように、仕事が一つ入りましたけれど、これでは足りないな。

各百貨店の催事の時期が、どうも変わってくるようです。
毎日、スケジュールを見て調整しています。
これも、百貨店の合併に寄る物なのでしょうかね。

激動の年が始まったようです。

2009年1月 9日 (金)

09/1日本橋通信vol.3

日本橋3日目。

 

雨から雪の天気予報を、テレビで盛んにやっております。
予報というのは、当たろうが当たるまいが、お客様の出足に影響する。

バラエティー番組では、相変わらず軽薄な政治批判が繰り返されている。
暢気なものだ。

 

外に出ると、さすがに寒い。

朝礼で、日本橋三越の本店長から、我々にご挨拶を頂いた。
それだけこの催事の存在と期待が大きいのだろうけれど、ありがたいことだ。
ブラシ屋の旦那が始めた時を思うと、隔世の感ありです。

何度でも書くけれど、この催事は、日本橋三越で開催されているから、日本一の売り上げを誇っているわけではない。
そこには、ブラシ屋の旦那の努力と行動力があり、担当のKさんや小山さんや我々業者の努力の上に成り立っているものなのです。
それが分からなければ、この催事は参考にもなりませんよと、他の百貨店の方々には言いたいですね。

 

 
開店はしましたがやはり、客足は鈍い。
地方の百貨店に居るような感じさえするほどだ。

 

ところが、さすが日本橋三越のお客様はひと味違う。
「冷たい雨の中、ようこそお出で下さいました」とご挨拶すると、「雨だから空いていると思って来たのよ。こう言うときでないと、あんた達とゆっくり話しも出来ないからね」とおっしゃる方が二人。
ありがたいことに、簡単に両目が開いた。
しかし、単価は小さい。

紺邑は、夕方近くに割合大きなものが売れて、何とかなった。

全体はどうかと言えば、六時過ぎに急にレジが忙しくなり、そこに打ち込まれる金額の一つ一つが非常に大きい。

担当のKさんの表情にも、満足な様子が現れている。

 

まあ、人により成績は様々でしょうが、悪い中、検討中だとは言えると思います。

 

 
夕飯は、何故か下駄屋の藤田君と久留米絣の省ちゃんに誘われて、末広町へ。
ご馳走になったのかも知れないが、記憶が定かでは無い(^^;)

2009年1月 8日 (木)

09/1日本橋通信vol.2 「冷たい日本橋」

日本橋2日目。

出張も七日目となりましたが、その間、長女の部屋から通っておりました。
そう長くも居られませんので、これからの四日間はホテル住まいです。

日本橋と一口に書いておりますが、その昔は、三越、高島屋、東急(白木屋)と、三つの百貨店がありました。
親父殿は、そのどれにも出店しておりましたし、私も手伝っておりましたから、長い付き合いのお客様が多い所。
本日は、そういうお馴染みの方々に御来店いただき、ようやく日本橋に居るという実感がわきましたね。
成績もそれなりで、これなら一人前でしょうね。

ストック置き場が、私の売り場の近くにあります。
ブラシ屋の榎本という奴が、在庫を取りに私の前を通って行くのですが、その度に一言ある。
昨日一昨日と、「『冷たい日本橋』が出ていますね」という。

この男は、毎月のように日本橋三越に出展しているのですが、どうにもこうにも買っていただけない日があるのだそうで、それを「冷たい日本橋」と言うのだそうです。
「こういう時は、押しては駄目ですよ。お話しをする日にして、お客様の戻りを待つんです」なんて、独り言のように語る。

そんなものかいな!?とは思いましたが、お客様に押しつけない商売というのは常識でもある。
「不況の時は常識に帰れ」とは、我が商売の師匠のシルク屋さんの弁ですから、私も押しつけはしませんし、そうしようと心がけております。

一昨日のウールケープは、一度ご覧になったお客様が戻ってきて下さり、お買い求め頂いた。
今日も、お戻り頂いて日傘を買って下さったお客様がいらっしゃいましたから、榎本の言うことも、もっともだとは思いましたね。
さすがは、販売のプロだな。

夕飯を久しぶりに、下駄の藤田君、久留米絣の省ちゃん夫妻、化粧ブラシのいづみちゃんで豚しゃぶ。
いつも一杯の店ですが、年明けから暇らしく、予約を受けてくれた程。
行ってみると満席で、店員が「今日からようやく普段に戻りました」という。
こちらも一安心して、おいしく頂きましたとさ。

2009年1月 7日 (水)

09/1日本橋通信vol.1 買い控え考

日本橋の後半戦2日目。
私にとっては初日。

皆さん、この2日間は忙しくないと言う。
午前中は確かに、そういう感じがしなくもありません。
しかし午後には、賑わいが感じられ始めました。

日本橋に居たカミサンからメールで、「買わない!」とありましたが、人が多い割に、皆様三越の手提げ袋をお持ちではない。
つまり、買い物をなさっていない様子なのです。
ご常連にも何人かいらしていただきましたが、やはり、買い物をなさらない。
これが「買い控え」というものなのでしょうかね。

午後3時半過ぎに、通りすがりの方にウールケープをお買い求め頂き、一安心いたしました。
それまで全く売れなかった。
他の百貨店なら、良くあること。
冬の藍染は、そんなものなのです。

しかし、ここは日本橋三越本店。
日本一の百貨店ですし、事実、こういう事は経験したことがない。
それは出展者のみんなの感想でもある。
三越本店だけでなく、松坂屋本店やうめだ阪急などという、日本を代表する百貨店に出展している連中ばかりですが、何処も同じ感じです。

買い控えには二通りあるようです。
一つは、懐具合を考えて、お金を使わないようにする買い控え。
もう一つは、世間体を気にする買い控え。

前者は、いわゆる我々庶民でしょうが、後者は、お金を持っているけれど、こんなご時世では、買い物をすること自体が恥ずかしいとおっしゃる方々。
これが、我々百貨店で商売するものには、痛い。
「金は天下の回りもの」と言いますが、金持ちが使ってくれなければ回りません。

 

世の中には、お金持ちもいればそうでない人もいる。
これは仕方ないことで、否定も肯定も出来るものじゃない。
だけど現代の日本は、金持ちを認めようとしない。
彼らはこの不況下、ひっそりと暮らさなければ、うらやましがられ、嫉妬され、ろくな事にならない。
だから、庶民に気を遣って金を使わない。
そして世の中、益々不況になる。

 

誰がそうさせているのか!

良くお考えいただきたいものだ。

2009年1月 6日 (火)

09/1船橋通信vol.5

船橋最終日。

まあ何とか、最低の目標は行きましたね。
それにしても浮き世は厳しい噂だらけです。
こんな時に、衆議院の解散を話題にする神経が分かりません。

自民党も民主党も、この危機に一丸となって立ち向かおうと、何故しないのか。
渡辺某なんて言うのは、論外です。

怒っているわけではありませんよ。
なにせ、今年は怒らないんですから。

明日から日本橋ですが、船橋の荷物を持って行きました。

7階の催事場に着いたときに、カミサンに遭遇したものの、「じゃあーね!」で分かれて参りました。
カミサンは、かわいい息子の待つ家に、急いでご帰宅遊ばしたわけであります。

どうも日本橋も、いまいち調子が出ない様子です。
どうなります事やら、一踏ん張りしてみましょう。

2009年1月 5日 (月)

09/1船橋通信vol.4

船橋四日目。

閑かに始まりました。
ここまで前年比95%程というのは、善戦ではあるでしょうが、それで良しとしたのでは、良い智慧は浮かびません。
担当のTさんと、久々にゆっくりと、この催事の今後についてお話しをさせていただいた。

ゆっくりと話が出来るほど、まことに閑かな一日で、どうなるかと思いましたが、夕方の一瞬、3組のお客様が重なった。
販売員は二人ですから、どうしてもお一人にお待ちいただくことになります。
一組にお買い上げ頂き、その品物をマネキンさんがゆっくり包装をしているから、「お客様が一人お待ちだから早くして」と指示をいたしました。
お客様に商品をお渡しし、お待ちいただいたお客様の所にマネキンさんが行くと、お客様が動いた。
その瞬間に、「お忘れ物はございませんか。ありがとうございました」と言って、お客様を帰してしまった。
私は、もう一組のお客様の相手をしていたけれども、これには少々慌てましたね。
しかし、その場で注意もお声掛けも出来なかった。

お帰りになった方は、長い間、我が売り場に留まって商品を見ていて下さった。
ご試着にもなり、他のお客様とも会話をなさってもいた。
お気に召した物もあった様子なのに、ちょっと動いただけで帰るものと思いこみ、「ありがとうございました」と挨拶して帰してしまうと言うことは、販売員として言語道断な事です。
先ずは、お待たせしたことを詫び、お気に召していた商品を改めてご紹介するなど、やることは沢山あったはずです。

怒りはしませんが、注意はいたしました。
「申し訳ありませんでした」とは言うけれど、誰に対して申し訳ないかが分かっていません。
お客様に対して申し訳が無いのですね。
お買い物をしたいから、長い間売り場にいらして待っていて下さったのに、買えない状況を作って帰してしまうのは、百貨店の存在そのものを否定していることです。
まあ、雇ったのは私ですから、私に手抜かりがあったと言うことではありますね。

新年会をいたしました。
「番屋」という居酒屋に、総勢17名が終結。
人形の小島、印傳の前川という東京勢が初めて加わり、栃木の桐箪笥と福島の洋服屋、オーストリッチのハンさんや、大森水晶のお嬢などという珍しい面子も加わり大騒ぎ。
最年長が、漆器の一九さんで、その次が私という、若いメンバーでもありました。

問題は帰り。
昨日も神奈川県まで行ってしまった。
人形の小島が、本八幡までアテンドしてくれるというので、連れて帰ってもらいました。
そこからは、一本で娘の所まで帰れますので、無事帰宅。
鍛冶屋を喜ばせずに済みました。
あいつは、人の失敗を、笑いの種にしやがりますのでね。

2009年1月 4日 (日)

09/1船橋通信vol.3

船橋3日目。

藍の調子がようやく良くなりましたので、2日目から実演をしております。
お客様と百貨店の皆様には、喜んで頂いているようです。
藍染についてはよく説明できましたが、成績がそれについて参りませんでしたね。
商売としては、日本橋が補ってくれています。

天狗こと高橋道遊さんが、遠く横浜からお見えになった。
その昔、横浜三越でお会いしてからのお付き合いだが、この方の交友関係も、それ以来、ずいぶんと変わりました。
私のところで、「私は客です」と言いながら、販売の手伝いまでしてくださる。
秋田から船橋のお祖母様の所に遊びに来ている高校生が、藍染に非常なる興味を示すと、なんと、おみやげまで買って上げるという変人。
この高校生は、今日を一生忘れないでしょうね。

鍛冶屋の野郎が、暇をもてあましている私のところに来て、「いやあ、大川さんは、年が明けてから人間が一回り大きくおなりになったご様子で」とか、「怒らない」という今年のテーマを、道遊さんと二人でからかうが、なに「御にこにこ 怒るまいぞやそはか」です。

終わって、急いで日本橋へ行き、寿司屋に飛び込むと、もうみんな来ていました。
日本橋三越に出展している連中の、恒例の新年会なのです。
今年はどうも、様子が違う。
担当のKさんが、お付き合いしている方を連れていらした。
Kさんは商売上は担当であるけれど、我々にとっては友人でもあるから、心配で仕方ない。
私は二人の隣に座ってしまったから、気を遣いましたね。
下手なことをいって、彼女の気が変わってはいけませんし、その「下手なこと」を言ってしまうのが私の特徴ですからね。

日本酒で酔うと、電車で帰れなくなる恐れがあるので、みんなに合わせて芋焼酎にしました。
寿司屋で焼酎は、滅多にやりませんが、宴会ですからね。
みんなでKさん達を、万歳で見送り、地下鉄に乗りました。
大人しくしていたつもりだし、それ程飲んだ記憶もないのですが、気が付くと溝の口。
日本橋から多摩川を越えて、神奈川県に来てしまった。
慌てて乗り換え、渋谷に戻る。
寿司屋の帰りなのに、腹が減った。

ラーメンを食べて、タクシー拾って渋谷区の長女の家にようやく到着!
と言う次第でありましたとさ。

2009年1月 3日 (土)

09/1船橋通信vol.2

船橋2日目。

三が日ですから、さすがに人出は少ない。
それでもようやく、お馴染みの方々にお見えいただけるようになりました。

昨年の八月、栃木福島物産展でお買い上げ頂いた方々は、特に紺邑のショーツ(パンティ)を目指していらっしゃいます。
「これをはくと、もう他のものははけなくなる」とおっしゃる。
私はさすがに男ですから、会話はマネキンさん任せ。
藍染のすばらしさに、皆様お気づきの様子ですが、こういうものは商売的には効率の良いものではありません。
それでも、喜んでいただけますと、作る甲斐があるというものですね。

「他の百貨店で、何か集客の為にやっていることはありませんか?」と、担当に聞かれました。

確かに、様々工夫をしていることは確か。
外商のお客様と友の会会員への告知や、ノベルティーや有料・無料の頒布品の設定等々。
しかし、百貨店に出来ることは、限られていると私は考える。
それを如何に充実するかが、大切なのではないか。

告知せず、人が集まると言う事はありません。
良い品物を、正当な価格で販売しなければ、お客様はリピーターに成ってくださいません。
楽しいところに、人は集まります。

以上が大前提。

最近は、告知する事を疎かにする傾向が、百貨店に見られます。
予算が無いと言うのが理由でしょうが、金を掛けない告知の方法もあるのではないではしょうか。
方法を考えることが、大切だと思いますね。

良い品物を販売するには、良い品物を見る目を養わなくてはならない。
目の前で陶器を売っている若者が、「百円ショップにも、結構良い物が売っています」という。
私は、「君ね、ここは職人展だよ。物を作っている人間が、百円ショップの品物を褒めてどうするのだ」と、さすがに説教をしましたが、こういう目と感性を持っいる人間を、職人展に入れること自体がおかしな事だと、気付かねばなりません。

楽しいところには、どうすればなるのか。
私の言う「一体感」とも通じますが、いつか、私の考えを書いてみましょう。
いや、書いてきたかな!?

楽しく過ごさせていただいたお陰か、成績は十分な物です。
日本橋も、まあまあだ。
めでたいところで、長女の家に帰って参りました。
ここから船橋と日本橋に通います。
ありがたいことに、馬喰町乗り換え一つで船橋まで行くことが出来ます。

2009年1月 2日 (金)

09/1船橋通信vol.1 今年のテーマ

新しい一年が始まりました。

今年の私のテーマは「怒らない」こと。
そのための呪文を、毎日唱えております。
「御にこにこ 怒るまいぞやそはか」とね。

朝一番から、今までの私なら、怒鳴りだしそうな事件が起こった。
そこで「御にこにこ 怒るまいぞやそはか」と唱えると、あら不思議、怒りが消えて行き、笑顔が出て来る。
午前中は、そればかり唱える一日となりました。
お陰様で、気分良く、一日を終えることが出来た。
まことに幸先の良い出足であります。

成績は、もの足りません。
しかし、冷静に考えれば、こんなものでしょう。

もう一つのテーマは、けじめ。
けじめと言っても、普通の人なら当たり前の生活上のこと。
朝起きたらどうするかと言うようなこと。
私には少々、だらしないところがあるのです。

もう一つは、「分度推譲」の実践。

欲張っているようですが、各々が小さな事ですから、それこそ「積小偉大」、つまり、小さな行為の積み重ねが大を為すというものです。

自分としては、テーマがハッキリしている、珍しい一年の始まりです。

2009年1月 1日 (木)

正月元旦

久保さんについていただいたお餅の入ったお雑煮で、今年は始まりました。
みんな、三々五々起きてきて、けじめのない新年の始まりですが、家族6人全員が揃いますと、家の狭いこと狭いこと。
これが全員一緒に暮らしてきた時代があったかと思うと、感慨一入です。
そう私が言うと、みんな身体もそれなりに小さかったのだと言う。
まあ、その通りですが、この狭い部屋に肩を寄せ合って生きてきたから、こんな親でも、誰一人としてぐれずに、優しい人間に育ってくれたのかな!?なんて、余計な感慨まで覚えてしまいました。

 

工房で用事を済ませてから、久しぶりに初詣に、大平山神社まで行って参りました。
途中大渋滞だったけれど、沢山の神様にお会いできて、すがすがしい気持ちに為ることが出来ました。
ここには数多くの神様がいらっしゃるのです。

 

明日から私達が居なくなりますと、長男の仕事場や何やらに行く足が無くなる。
そこで、折りたたみの自転車を、夕方買いに行きました。
良い物が見つかり、ついでに次女のテレビまでお買い得の物があって、そんなことをしていたら、私の乗る特急に間に合わなくなった。
なに、各駅停車の旅と洒落れば済むことです。

 

21:01足利市発→久喜→新越谷→(徒歩)南越谷→西船橋という経路をたどり、22:59分船橋に到着。
全部鈍行で2時間ですから、乗り換えは多いけれど、近いものです。

 

さて、明日から東武百貨店船橋店の「にっぽん全国 職人の技」が始まります。
どうぞ、お遊びに入らしてくださいませ。

おめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。

今年もよろしくお願いいたします。

 
百年に一度の経済危機と言われる年明けですが、物作りを続けてきた我々の時代の到来かも知れません。
日本の伝統工芸は、百年どころが千年以上続いてきたなんて、当たり前の世界です。
藍染は、日本では1800年の歴史を持つ。世界的には7000年近い。
その間、様々な危機を乗り越えて今があることを、私達は思い出さねばならない。
新年早々、その意味を伝える「催事」に出展できる喜びを、感じております。

韓国人は、日本で「職人展」が出来ることに驚く。
日本人は、それが当たり前だから、驚きはしない。
円高、ウォン安という事実に、それが現れていると思います。

日本人は、職人を尊敬する文化を持つ。
鹿児島では紺屋を、「クヤドン」と言う。
「ドン」は殿。
西郷ドンのドンと同じですからね。

一方韓半島は、歴史的に職人を尊敬しない。
良い腕を持った職人の物は、日本で生きることになります。

新幹線の0系が昨年、お役ご免になったけれど、終戦後たった14年で、日本独自の技術で出来た。
韓半島も中国も、新幹線は出来たけれど、それは輸入物だ。
アメリカも、物作りを忘れてしまった。
1929年から始まった世界大恐慌は、第二次世界大戦による軍需拡大で救われたという説を信ずれば、その軍需だって、元は物作りには違いありません。

今こそ、我々の時代の到来であります。

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