さて、郷原さんに連れられて、石見銀山に歩いて行くと、坑道入り口の手前で男性に声を掛けられた。
「お時間があれば、お話しをさせてください」と遠慮がち。
そんな謙虚な姿勢につられてお話しをうかがうと、それは石見銀山の詳しい説明でありました。
坑道を「間歩(まぶ)」と言うこと。
それが600もあること。
公開されているのは「龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)」ただ一つであること。
間歩に対し、銀鉱石は横にあったこと。
だから間歩は、人の出入りと鉱石の運搬の為にあったこと。
坑道は縦横無尽に地下にあるのだけれど、見学できるのは極々一部であること。
だから、世界遺産のイメージで入ると、がっかりするかも知れないこと。
なるほどとお聞きして、入り口に到着。
先に受付した人に、記念撮影を頼まれたついでに、私達もお頼みした。
後ろに見えるのが「龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)」の入り口であります。
入って歩いてみますと、確かに説明を聞かなかったら、「なんでこれで世界遺産?」と私も思ったかも知れない。
話を聞いていたから、横をはしる坑道に気づく事が出来、ここで働いていたであろう人々に思いを馳せる事が出来た。
その後、「石見銀山世界遺産センター」で歴史のお勉強をしましたが、全く飽きませんでしたね。
もう少しゆっくりしていたかったくらいです。
中でも、「大久保間歩」の映像には引きつけられました。
藤沢の小田急では、トイメン同士でお仕事をさせていただいたこともある、民工芸とファッションがクロスオーバーしている、さる有名店に連れて行っていただきました。
古い家を改造した様子や、創られ、飾られている品々を見ますと、紺邑とは全く方向性は違いますが、大変参考になりました。
工房まで行かせていただき、仕事場にまで上がって、スタッフに藍染の話なんかして参りましたが、まあ、これも何かの縁でありましょう。
その店で珈琲を飲みながら、郷原さんと親しくお話しさせていただいたけれど、沖縄の話し、酒や食い物の話し、焼き物の話し、歴史や民俗学や言語の話し、音響の話しなど、この人の氏素性が疑われる話ばかり。
本当にお役人かいな!?と思いましたね。
そのお店で珈琲を飲みながら、「今日は、魚を食べて帰っていただきます」とおっしゃる。
この辺りは魚の美味いところだそうで、鯖だ河豚だと、そんな話をたっぷり聞かされたので、喜んでお言葉に甘えることにしました。
私は山育ちですから、魚の名前さえ知りませんが、のどぐろだなんだ、はらわただ胃袋だタタキだ干物だと、それはそれは美味しくいただき、「一日お付き合いいただいて、ありがとうございました」とお礼を申し上げると、「いや、半日です」とおっしゃる。
私と同い年ですから、そろそろゆっくりとしたお時間が出来るお年頃。
後は私に時間が出来れば、今度はゆっくりとお酒でも酌み交わしたいですな、郷原さん。
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