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2009年3月

2009年3月31日 (火)

藤沢通信vol.7

藤沢最終日。

売り上げの最低目標まで行くには、少々爆発しなければ届かない感じです。
この売り場を作ってくれた、元部長の今井さんが挨拶に来られたから、そう申し上げると、「気合いです!」という。
そうかいな?っと思って気合いを入れてみると、なんと目標を少し上回ってしまったではありませんか!
「そうでしょ!」とは、別れ際の今井さんの返事でしたが、面白いですねぇ。
今週、最高の出来でありました。


藤沢市内を抜けるのに、一苦労するほどの大渋滞でありました。

景気が戻りつつあるのかな?などとも思いましたが、高速道路に入ると、ガラガラだ。
日本の景気は、まだまだでありますね。

家に帰ると、次女が引っ越しの手伝いに来ておりました。
この子は、大切なときに現れる、不思議な子だ。
引っ越しについても、後ほどご報告しようと思います。

2009年3月30日 (月)

藤沢通信vol.6

藤沢六日目。

商売はボチボチでございました。
毎度のことのようにゆったりとはしていますけれど、全く駄目という日がないのが、今回の特徴ですね。
この日も何とかなった。

さて、途中で通販の書類を出すという仕事が出来た。
時間があるからちょうど良いので、担当に電話すると、支社に行っているという。
そちらに電話すると、「会議中です」という。
電話してくれと伝言すると、接客中に電話があった。
折り返し電話すると、先ほどと違う人が出て、「今会議中です」といって、こちらの用件も聞かず、忙しそうに電話を切られた。
こちらは困るから、用件をちゃんと伝えようと再び電話すると、「だから会議中だって言ったでしょ!」とぬかしやがる。
「それでは、こちらにお電話いただけるようにお伝え下さい」というと、「はい、分かりました」と、けんもほろろの態度。
「電話番号はお伝えしなくてよろしいですか?」と聞けば、「どちらでも良いですよ」だって。
そこで、「あなたのお名前は?」と聞くと、急に態度が変わった。
「伝言はお伝えしますから、ええと・・紺邑のどちら様でしょうか?」なんて今頃聞いてきやがるから、「あなたのお名前を聞かせて下さい」と再度言うと、ようやく白状した。
「お電話いただけなければ、書類は提出いたしません。後は、あなたの責任で処理してください」と言って電話を切った。

こんな会社はろくでもないなと思いましたけれど、我が身を振り返れば、きっと色々ろくでもないことをやっていたんだろうなとも思う。
淡々と仕事をしようと思いましたね。

御ニコニコ 怒るまいぞやそわか

2009年3月29日 (日)

藤沢通信vol.5

藤沢五日目。

駅に降りますと、家族連れでホームがにぎわっています。
ここは江ノ電のターミナルですし、江ノ島・鎌倉が近いこともあり、観光地の入り口という感じなんですね。

百貨店の中も、家族連れや数人でご一緒のお客様ばかり。
こういうときは、我々はお呼びではありません。
本当に興味を持って下さる方を、じっとお待ちするしかない。

午後に、ようやく一組、ゆっくりお話しできるお二人連れが入らした。
説明していると、お馴染みの鈴木さんが見えた。
お相手しようかと思いましたら、「どうぞ、あちらをなさって」と言ってくださる。
ご常連はありがたい。

結局お二人連れは、明日来るとと言うことになりましたが、楽しい一時でしたから、もしかしたらお戻りかも知れません。
鈴木さんには、ちょいとお高いが、欲しかったものがあったのでお買い求め頂いた。
それ一品で、昨日の売上げを超えた。
やはり、ご常連はありがたい。

我々の商売は、お客様の数ではないと、つくづく感じます。
商品だって、そんなに沢山出来るわけではありませんしね。
しかし、顧客を持っているかいないか、ファンが入るかいないかと言うのは、大きな事だと思い知らされておりますから、思い切って名簿の整理を始めました。
私は行動が遅いと、反省もしつつです。

2009年3月28日 (土)

藤沢通信vol.4

藤沢小田急四日目。

高速道路が1000円だというので、どうかなと思いましたが、さすが土曜日で、お客様の多い一日でした。
紺邑はと申しますと、相変わらずのんびりした一日。
これは、ここの特徴でもあります。

ある百貨店の、紺邑のような売り場に出展している、洋傘の中島さんから電話。
上の階の催事場に、知り合いが沢山いるけれど、どうも売上げが芳しくないとのこと。
北海道の滋賀ちゃんからもそんな話があったけれど、もう悪い話は聞き飽きましたね。
それを常態として、考えて行かなければならないかも知れません。

お客様がキョトンと立っている。
「伊勢丹に出いませんでした?」お聞きになる。
「相模原ですけれど、こんなハンカチをその時頂いたのよ」と見せていただいたそれは、紛うことなく私の染めた、格子柄の物。
またまたハンカチを二枚買っていただきましたが、うれしい出会いでありました。

どうも、高速道路の状況は混んだらしい。
これを契機に、消費者のメンタリティーも変わって欲しいな。

2009年3月27日 (金)

藤沢通信vol.3

藤沢小田急3日目。
またまた寒い1日でありました。

開店しますと直ぐに、「お客様からお電話です」と、お呼びが掛かった。
出てみますと、お取り置きをキャンセルするという用件でした。
まあ、お客様の勝手ですから、文句も言えませんが、これはありがたくないな。

一点ものでしたし、取り置いている間に、それをお好みのお客様もお見えになっている。
その方に、その商品を紹介できなかったというのは、痛恨の極みですね。

藤沢では、珍しい出来事でありました。

 
「大川さん!」とお声掛け頂き、Kさんご夫妻がお見えになった。
初対面だったのですが、ホームページとブログで私を知ったと言うことでした。
日本とインドの親善のためのお仕事をなさっていらっしゃる。
その上、染色に造詣が深く、ある雑誌に連載までなさっている程です。

インドの藍染を探し、遂に発見。
そこまでお出かけになって、ビデオを撮ってきたので私に見せたいとおっしゃる。
大変ありがたいお話しでしたが、あいにく機材が無く、DVDを見ることが出来ません。

私は職人で、研究者ではありませんから、こういう事はよく知らない世界。
もちろん興味津々でありますし、我が地方は染色業の盛んなところでもありますから、紺邑の藍建てと藍染も紹介しながら、インドの藍を取材されたKさんのお話しを聞く会を、閑馬でやろうと云うことになりました。
その他、長い間色々お話しをさせていただきましたが、良い出会いになりますことを願っております。
お買い物までしていただきましたが、ありがたいことでした。
人間万事塞翁が馬ということでしょうかね。 
 

夕飯を、ホテルの近くのラーメン屋さんでとった。
これが大はずれ。
餃子にも、ラーメンに入っているシナチクにさえも、砂糖を使っている。
もちろん食べきれませんでしたが、やはり、塞翁が馬だな。

2009年3月26日 (木)

藤沢通信vol.2

藤沢小田急の2日目。

朝は、やはり雨模様。
平塚に泊まっているのですが、電車が藤沢に着く頃には、雨の中、日が差してきて、まるで狐の嫁入りのような状態でした。

百貨店の中は、セールやイベントが沢山あって、割合賑わっております。
紺邑も、午前中には売上げが出来た。

それにしても寒い。
暖かいはずの湘南ですが、まるで冬のようだ。
昨年のデータを見ると、ウールのケープが売れている。
持ってこなかったので、慌てて送ってもらうことにしました。

それでもこの日、一番売れたのが日傘というのですから不思議。
三本持ってきたのですが、売り切れてしまいました。

賑わいがあると言っても、全てのお客様が藍染に感心があるわけでもありせんから、藤沢はいつものように、ゆったりと時間が流れております。

2009年3月25日 (水)

藤沢通信

藤沢の初日は、雨模様でありました。

小田急の、5階下りエスカレーター前の「匠の技」のコーナーにいますが、紺邑の前に出展していたのは、熊野筆の渡辺さんでした。
「どうでしたか?」と聞くと、「WBCがあったせいか、お客様の入りがいつもと違いましたね」とおっしゃる。
朝礼に寄りますと、全体の成績も影響を受けているらしい。
WBCの素晴らしい結果が、今週から現れることを祈りますね。

そんなことで、藤沢小田急5階下りエスカレーター前で、「紺邑正藍染展」が始まりました。
20090325132930_2 いつもは、アブストというガラス棚があるのですが、今回は、前担当高坂君の引き継ぎミスで用意されていなかった。
これを機に、新しいディスプレーにしてみたら、お客様が立ち寄り易くなったようで、新しいお客様に、お買い物していただいた。

「こりゃ幸先良いな」と思いましたけれど、それからはボチボチ。
それでも一見さんに、「私の気に入らない物が一つもないわ」とか、時折お馴染みさんが通り、「あら、今年も良いのがあるわね。後で来るわね」とお声掛けもして下さる。
毎日のように御来店なさるお客様の存在が、この百貨店の特徴なんですね。

アメリカと日本を行ったり来たりしている岸田さんが、仕事帰りに御来店。
いつも「お勧めはありますか」と、寿司屋のような注文をなさる。
今回は、男性物が少ない事が玉に傷。
それでも、ありったけの良い物を買って頂いて、レジの人が、「すごいねぇ」なんて云うくらい。

結果的には、実に良いスタートを切ることが出来たと思います。
少し、運気が上がってきているようですしね。
そう思って、この一週間を過ごさせていただこうと思います。

2009年3月24日 (火)

藤沢小田急

明日から、恒例の藤沢小田急で、「紺邑正藍染め展」です。
今日は、その準備の日。

それでも浮き世は様々にあって、朝早くから宇都宮の郊外に行き、午後に来客があるのでトンボ帰り。
二つとも、大変貴重なお話しを伺い、有意義な一時を頂戴して、一路藤沢に向かいました。

途中でWBCの結果が気になり、携帯のニュースを見ると、日本が韓国に勝った!
藤沢までの電車の車中、そのニュースばかりを見て来ました。
これで日本が元気を取り戻すことが出来れば、何より。

湘南の方々、是非お越し下さいませ。

2009年3月22日 (日)

前川印傳展の2

2日目を書こうとして、いつの間にか終わってしまいましたが、無事終了しました。

2日目に磯さんが入らして、「お彼岸中にすみません」と挨拶しますと、「本当よ!みんな用があって来られないじゃないの」とおっしゃった。
全くその通りで、出展者にも皆様にもご迷惑を掛けました。
それでも、新聞に取り上げていただきましたので、遠く宇都宮の北の方からも、印傳が大好きな方々に御来店いただき、2日目は大きな実績が出来ました。

終わってから、賑やかにホームパーティ。
久しぶりに歌を歌いましたが、長い間風邪を引いていたので、ちょいと辛かったな。
酔いまして、ブログが書けなかった。

最終日は、ものすごく賑やかな一日。
お隣の木村さんや、千葉の野田からはこのブログをご覧になった橋本さん、横浜から一年後輩の犬飼君一家や、県北からは星野先生ご一行や村井さん等々。
星野先生が歌えなんて言うから、昼間から数曲歌いましたが、大分、ノドの調子が戻っていましたね。

御来店いただきました皆様、ありがとうございました。
来月は、日本三大桐下駄の産地、栃木市から、沼尾さんをお迎えします。
三大産地と言っても過去形で、今や栃木県伝統工芸指定の下駄やさんは、沼尾商店ただ一つ。
地元の方さえ知りませんので、どうぞお楽しみに。

2009年3月20日 (金)

前川印傳展

「前川印傳展」が始まりました。

朝起きますと、外は大雨。
こりゃ困ったなと思いましたが、前川兄が足利市駅へ到着する頃には、すっかり上がって晴れ間が出てきた。
「運だけはあるんです」とは前川兄。

お彼岸に開催してしまいましたので、迷惑を掛けるかなと思いますが、不平不満も愚痴も何も言わない。
こう言うところが、運を呼び込むのでしょう。
それでもさすがに田舎ですから、皆さん、お墓参りに忙しいには違いありませんが、印傳に興味のある皆さんに御来店いただきました。
このブログを見ていただいた方にも御来店いただき、ありがとうございました。

椎茸の星野さんと社長との会話は盛り上がり、鹿を四頭見たとか、猪の話だとか、カタクリの話や野の草花の話しを、都会育ちの前川兄は訳も分からないという顔をして聞いておりました。
その内渓流釣りの話になった。
今度は前川・星野で盛り上がる。
夕方、星野さんの家に行き、椎茸栽培の現場を見学し、また渓流釣りの話しになって一本電車を乗り過ごすほど。
目の前の閑馬川でヤマメが釣れるという話しに、前川兄の顔が驚いて、そしてほころぶ。
「今度は、夏呼んでください」と言い出した。

 
とにかく、無事に始まりました。
すてきな印傳を見に入らしてくださいませ。

2009年3月19日 (木)

帰還

出雲空港はJAL、米子空港はANAと分かれていて、双方独占状態。
そのせいか、東京からの便には割引がありますが、出雲からの便にはそれがありません。
その差、一万円以上。
その上、私は飛行機嫌いですから、電車を乗り継いで、安く上げることにしました。

泊まらせていただいたホテルは、出雲空港の近く。
畑のどまんなかで、回りにコンビニが一軒あるだけというロケーション。
当然、駅などありませんから、タクシーを呼びまして宍道駅まで行き、朝午前6:44発特急「やぐも」で岡山へ。
そこから「のぞみ」に乗り換え、北千住、館林経由で、田沼まで帰って参りました。
到着時刻、15:48。
およそ、九時間の旅。

帰りますと、印傳の前川兄弟が、紺邑の工房に来ておりました。

20090319174924 明日からの、「前川印傳展」の準備のためです。
社長と専務が来てくれて、ちょうど飾り終わったところ。
立派な店が出来上がりましたし、沢山、印傳を持ってきてくれました。

「紺邑で展示会をやってくれないかな」と頼むと、二つ返事で「良いですよ」と云ってくれて、こんな田舎まで来てくれて、こんなに沢山商品を持ってきてくれて、本当にありがたいことです。

お彼岸ですが、是非皆様、お出かけ下さいませ。

2009年3月18日 (水)

斐川

朝、岡さんがお迎えに来て、「ちょっと散歩しよう」と言って連れて行ってくださったのが、荒神谷史跡
20090318101003 銅剣・銅矛・銅鐸が、大量に見つかったところ。
その全てが、国宝。
この場所を、昔から神庭(じんば)と言っていたそうですから、神の庭から出土した国宝と言うことでしょうか。

神社も多いが、その一つ一つに、物語がある。
そんなことは当たり前ですが、その奥が深い。
例えば斐川には、水の神様がいらっしゃるけれど、スサノオノミコトの息子で、ただ一人大和に逆らい、諏訪に流れ、諏訪神社があるなどという話は、壮大なる古代のロマンでありますね。

 
斐川は、企業誘致に成功した町。
その因は、水。

斐川を流れ、宍道湖に注ぐ斐伊川は、表に見える水量は少なくても、豊富な地下水を抱えている。
他の地域が水不足になっても、この辺りが困ることは全くないのだそうな。
そして豊かな平野が広がり、農作物も水産物も豊か。

工房おかやは、良いところにあります。

 
ここは出雲。
島根県はその他に、石見、隠岐と、三つの地方で構成されている。
石見は大田市に参りましたが、隠岐はさすがに行けませんでしたが、これも奥の深い事です。

隠岐は流人の島ですが、後鳥羽上皇、後醍醐天皇が有名ですね。

閑馬の隣の山形には、「御所の入り」という所があります。
御所とは、天皇・上皇・皇后などの敬称ですから、その昔は、何かがあったはず。
そこには、柿本人麻呂を祭ったひとまろ神社があり、惨殺された後醍醐天皇の子息の墓もあるそうな。
この二人とも、島根にゆかりがある。

何かの縁を感じますね。

 
展示会最終日は、朝早くからお客様に恵まれ、コルクの帽子と藍染のジャケットが出て、岡さんご注文のシャツも届き、めでたく終了いたしました。
 
夜はまた、岡さんの手料理をご馳走になり、出雲のワインと二人のお嬢様との会話で酔っぱらいまして、自分が何処にいるのか分からなくなって、これまためでたく終了!

2009年3月17日 (火)

黄砂

おかやの五日目の朝は、まことに良い天気。
でも、カラリと晴れてはいない。
なにか、ボーっとした感じで、これが黄砂だそうな。

「黄砂は関東でも降りますか?」とお店の方に聞かれ、「いや、あちらでは降りませんね」と答えていたら、夜のニュースで、東京にも降ったという。
今年は例年になく、黄砂の降る日が多いらしい。
大陸で起こっている出来事は、人ごとではありません。

海辺の山に登りますと、朝鮮半島が見える。
この辺りの方の大陸に対する感覚は、我々太平洋側の日本人と全く違うのではないかと思います。

夜また、岡さんの手料理を頂きましたが、お二人のお嬢さんと一緒。
政治から歴史という、変わった話題で盛り上がる。
その時岡さんが、百済の工人のお話をなさったけれど、古代から朝鮮半島が、日本にとって如何に身近な存在であるかを思いしりましたね。

島根にしばらく住んでみたい。
そうすれば、もっと日本が分かるような気がしますね。

2009年3月16日 (月)

出雲通信の2

「おかや」での展示会も、四日目を向かえました。

お客様とも親しく接することが出来て、大変有意義な時間を過ごさせていただいております。

50才の時に紺邑を立ち上げた私は、それを0才として考え、70才を成人として生きてみようと思った。
「初心に帰れ」という言葉がありますが、定年を前にした長岡さんという方とゆっくりお話しさせていただき、我が身を振り返り、初心を想い出すことが出来ました。
感謝ですね。

お昼前に、岡さんが「食材を見に行こう」と誘いに来た。
今夜は、彼の手料理を馳走するという。
そのためには、客人たる私と一緒に、食材を選ぶことがお持てなしだというのです。
嫌いな物を出したくはないということらしい。

島根沖でとれた魚を二種類、朝どれの烏賊、サザエ、長なすやこの地方特産の香りの良い野菜等々を選び、お昼は出雲蕎麦をご馳走になった。

その手料理の見事なこと。
驚きました。

食後は、岡ご夫妻に温泉に連れて行って貰い、ひとっ風呂浴びまして参りましたとさ。

2009年3月15日 (日)

安来市広瀬町 「鍛冶工房弘光」

吉田酒造のある町は、安来市広瀬町。

須藤さんに広瀬絣のことを聞くと、「広瀬絣センター」というのがあって、機も置いてあるし、藍染も出来るという。

もう少し調べてみると、紺屋もあるし、若い人が頑張っている。

ふと考えてみたら、広瀬には、鍛冶屋の小藤家があるのを思いだした。

 

朝、須藤さんと一緒に工芸おかやに出社し、そんな話をしている内に、広瀬に行きたくなってきた。

絣も見たいし藍も見たいし、小藤家も尋ねたいから、「これから広瀬に行っちゃおうか!」と須藤さんに言うと、「良いですよ。ご案内します」とは言ってくれたけれども、やはりそうはいきません。

その内、昨夜遅く、東京から戻って来ていた岡さんがギャラリーに入らして、須藤さんと三人で島根の工芸の話になり、図らずも、小藤君の話題になった。

電話してみると、「これから行きます」という。

 

鍛冶工房弘光は、刀鍛冶として、「備前伝福岡一文字の重花丁字乱れ」の奥義を極め、最高位の「国工院大宗匠」の称号を拝受したほどの家。

今も、「安易な民芸ブームにのらず、溶接による接合や機械加工を極力避け、昔日さながらの技法を受け継いで1点1点、心を込めて造り上げている」鍛冶屋さん。

「日本刀鍛錬の技を生かし、日本古来の鐵によるあかり器具の復元と移りゆく現代の暮らしに美と用のしつらえを提案する創作あかり工芸をめざします」という言葉そのままに、素晴らしい作品を造っています。

 

最初にあったのは、大分トキハの職人展でありました。

ある日、まだ大人しかった鍛冶屋の武田が、「大川さん、本物の鍛冶屋ですから、よろしくかわいがってください」と、私に小藤さんのお嬢さんを紹介した。

作品を見ると、実に面白い。

これは紹介しなきゃならんと思った私は、それから、様々な人々と百貨店に彼らを紹介したらしい。

「らしい」と何故書くかというと、余り覚えていないのです。

遠鉄なんかも私が紹介したと、小藤君が言うんですから、まあ、そうなんでしょう。

どうも私は、以前も書いたけれど、こう言うところがあるのです。

 

彼らが何故大分のトキハにいたのかと思ったら、岡さんの紹介だったそうな。
 
そう言えば当時、岡さんと大分で飲んだ記憶もある。
 
元を糾せば、岡さんが発信地でありました。

 

そんなこともあって、小藤宗相君が本日、はるばる斐川町まで、かわいい子供達を連れて、遊びにきてくれました。

「わざわざすまないね」というと、どうもお母さんがこの近くの病院に入院していて、その見舞いも兼ねているので気にしないで欲しいという。

どうも膝の具合がよろしくないようです。

もちろん、母上も私は存じ上げておりますが、事は深刻でもないようなので、ホッと一安心。

 
遠い島根で、毎日知り合いと会えるというのは、幸せなことです。

2009年3月14日 (土)

出雲通信

工房おかやの展示会が始まっております。

初日(13日)は、台風のような大風の一日でした。

20090315153953 「おかや」のギャラリーは、国道9号線に面し、ガラス張りですので、通る車から中の様子がよく見えるようになっております。
大きな看板も、出して下さっている。


20090315154015 国道9号線は、島根県を横断するメインストリートらしく、ものすごい交通量で、私のような田舎者は目が回るほど、ひっきりなしに自動車が通って行く。
行きの車中からギャラリーを見た方が、「『おかや』さんは、今度はなにやっているんだろう?」なんて思い、帰りに寄って下さるなんてことがありまして、上々の滑り出し。

2日目は、雪模様の寒い日でしたが、島根県安来市広瀬町にある造り酒屋「吉田酒造」の須藤さんが、車で二時間掛けて陣中見舞いに来て下さった。
運も一緒に連れてきてくれたようで、今回持ってきた中で一番高価な総レースのスーツが売れてしまいました。
カミサンの力作でありましたので、これを着ていただくことだけでも大満足であります。

大田市の郷原さん、安来市広瀬の須藤さんと、島根県に来てお世話になっていますけれど、このお二人は、鍛冶屋のネットワークの方々。
鍛冶屋に「武田ネットワークにお世話になっています」とメールすると、「こちらは大川ネットワークで、傘の中島さんと毎晩懇親会」と返事が来ました。
たしかに中島さんを鍛冶屋に紹介したのは私だけれど、名古屋丸善の4階で、偶々一緒になったらしい。
世間は狭いですが、こういう交友関係は楽しいと言いますか、ありがたいことでありますね。

須藤さんが「今晩、出雲に泊まりますから、一杯やりましょう」という。
急遽ホテルを取りまして、出雲市駅前の蕎麦屋で、一献傾けました。
日本酒にうるさくない私に付き合って下さり、安酒を燗して飲んで下さった。
このブログで私の酒の好みをご存じだから、おみやげも純米酒。
それで十二分。
お腹は十分でありました。

2009年3月13日 (金)

石見銀山

さて、郷原さんに連れられて、石見銀山に歩いて行くと、坑道入り口の手前で男性に声を掛けられた。
「お時間があれば、お話しをさせてください」と遠慮がち。
そんな謙虚な姿勢につられてお話しをうかがうと、それは石見銀山の詳しい説明でありました。

坑道を「間歩(まぶ)」と言うこと。
それが600もあること。
公開されているのは「龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)」ただ一つであること。
間歩に対し、銀鉱石は横にあったこと。
だから間歩は、人の出入りと鉱石の運搬の為にあったこと。
坑道は縦横無尽に地下にあるのだけれど、見学できるのは極々一部であること。
だから、世界遺産のイメージで入ると、がっかりするかも知れないこと。

20090312140041_2 なるほどとお聞きして、入り口に到着。
先に受付した人に、記念撮影を頼まれたついでに、私達もお頼みした。

後ろに見えるのが「龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)」の入り口であります。

入って歩いてみますと、確かに説明を聞かなかったら、「なんでこれで世界遺産?」と私も思ったかも知れない。
話を聞いていたから、横をはしる坑道に気づく事が出来、ここで働いていたであろう人々に思いを馳せる事が出来た。

その後、「石見銀山世界遺産センター」で歴史のお勉強をしましたが、全く飽きませんでしたね。
もう少しゆっくりしていたかったくらいです。
中でも、「大久保間歩」の映像には引きつけられました。

藤沢の小田急では、トイメン同士でお仕事をさせていただいたこともある、民工芸とファッションがクロスオーバーしている、さる有名店に連れて行っていただきました。
古い家を改造した様子や、創られ、飾られている品々を見ますと、紺邑とは全く方向性は違いますが、大変参考になりました。

工房まで行かせていただき、仕事場にまで上がって、スタッフに藍染の話なんかして参りましたが、まあ、これも何かの縁でありましょう。

その店で珈琲を飲みながら、郷原さんと親しくお話しさせていただいたけれど、沖縄の話し、酒や食い物の話し、焼き物の話し、歴史や民俗学や言語の話し、音響の話しなど、この人の氏素性が疑われる話ばかり。
本当にお役人かいな!?と思いましたね。

 
そのお店で珈琲を飲みながら、「今日は、魚を食べて帰っていただきます」とおっしゃる。
この辺りは魚の美味いところだそうで、鯖だ河豚だと、そんな話をたっぷり聞かされたので、喜んでお言葉に甘えることにしました。

20090312173129_2 20090312173141_2 私は山育ちですから、魚の名前さえ知りませんが、のどぐろだなんだ、はらわただ胃袋だタタキだ干物だと、それはそれは美味しくいただき、「一日お付き合いいただいて、ありがとうございました」とお礼を申し上げると、「いや、半日です」とおっしゃる。

私と同い年ですから、そろそろゆっくりとしたお時間が出来るお年頃。
後は私に時間が出来れば、今度はゆっくりとお酒でも酌み交わしたいですな、郷原さん。

2009年3月12日 (木)

大田市

午前中は、パソコンに向かってデスクワーク。
これが結構手間取り、午前11時過ぎまでかかった。

大田市の郷原さんへ電話。
「メール、ご覧になっていただきました?」と聞くと、私の「
大田市へうかがいます」というメールが届いていなかったらしい。
幸い、「午前中は予定がありますが、午後なら時間が取れますよ」というお言葉を頂いて、先ずは出雲大社にお参りし、一路大田市に向かいました。

出雲大社では、何かロケをやっていた。
後で気が付いたのですが、朝の連ドラで、この辺の事をやっているんじゃなかったかな?
よく知りませんが、そんな感じでありました。

岡さんにお借りした車で、国道9号線を大田市に向かいますと、所々で海に出くわす。
これが、我々関東者がもつ日本海と言うイメージを覆すほどに美しい。
まるで沖縄の海のようだ。
古代、この辺りが、日本と大陸を結ぶ玄関口だったのかも知れないと言うことを、想い起こさせてくれる風景です。

出雲市からおよそ40㎞の距離を、信号にも引っかからずに、ほぼノンストップで大田市に着くと、そこには人口4万人ほどの、小さな日本の田舎町の懐かしい景色がありました。
取りあえず市役所を探して町を走りますと、迷いもせずに直ぐに見つかった。

その駐車場から郷原さんに電話しますと、10分で着くから待てとおっしゃる。
その間、船橋や秋田に電話して、「職人展」の新しい職人が発掘できました。
新しいと言っても、その方は伝統工芸師のれっきとした職人で、ただただ、業界の新人と言うに過ぎません。
まだまだ人材はいると言うことを、思い知らされました。

郷原さんは、本当に10分ほどで入らした。
なんと、午後は仕事をお休みにして、私にお付き合い下さるという。
どうも申し訳ないが、実にありがたいことです。

島根県の総人口は、約72万人。
一つの政令都市のそれにも満たない。
大田市から出雲空港まで1時間。
最寄りの高速道路のインターまで1時間半。

はてさて、町おこし事業をやってきた身としては、絶望的な環境です。
ところが、郷原さんにご案内いただいた山の中に着きますと、人の姿が沢山見えた。
言わずと知れた世界遺産、「石見銀山」であります。

20090312160932 町並みは整備され、まるで江戸時代にタイムスリップしたようだ。
珈琲も飲めるし、お土産品もあるし、ファッションはあるし、お蕎麦もあるしで、賑やかです。

2009年3月11日 (水)

また出雲

出雲にきております。

毎年三月には、日本橋三越5階のお仕事を頂いておりましたが、今年はそれがありません。
紺邑としては、真に大きな売上げのあったイベントでありましたので、経営的には実に辛い出来事でありました。

それを岡さんに言いましたら、「じゃあ、家に来ない」ということで、ギャラリーおかやで明後日から、紺邑とコルク細工なずなの二人展をいたします。

今日は準備だけのために出雲に入りました。
明日は一日自由時間ですから、大田市まで足を伸ばそうかと考えております。

2009年3月 9日 (月)

「我」

仙台で「人は己を映す鏡」だなんていう、当たり前のことに気付いたことはここに書きましたが、本日はさる方にそれを指摘され、我が人生を振り返ってしまいました。

般若心経は「無私」を説くそうですが、それを悟りとするならば、私の生き方はそれからほど遠いものでしたね。
過去形で書きますと変ですが、まあ、偶には振り返ることも良いでしょう。

「私は、思い通りには生きてこなかった」と言いますと、その方は首を傾げていらっしゃいましたが、実はそうなんだと、自分では思っている。
割合、都合に流されるタイプなんだとね。
しかし、他人様から見ると、決してそんなことはなく、自分の好きなように生きてきたと思われるらしい。

このギャップが、悟りから遠いという所以なんでしょう。
つまり私は、物事に対する解釈が、自分勝手なんですね。
 
「歌を歌っていた」と言うと、「道楽息子」とか「好きなことをしてきた」と思われるし、言われる。
しかしそこに、「どんな歌を、どんな風に、何故歌って生きてきたか」と言うことは、誰も考えてくれないから、「そうじゃないんだよ!」と私は言う。
それを言わなきゃいい男なんだけどね、なんてね。
これを「我が強い」というのでしょう。
一事が万事と言いますから、こんな事ばかりでございました。

齢60近くになって、「我」というものについて考えさせられております。
やはり、晩生だな。

2009年3月 8日 (日)

機械音痴

我が家のルーターなるものに電源が入らなくなり、インターネットが使えなくなりました。
繋がなくてはならない時は、ダイアルアップか携帯電話を利用するしかありません。
遅いし不便だから、しばらくは、家でインターネットをいたしませんでした。
まあ、禁煙禁酒のようなものでしょうか。
それもさびしいし、ブログも書かなければならないので、ルーターを買ってきて、自分で設置。

機械をいじって、スムーズに出来たことが、私には一度もない。
何かがおかしくなって、簡単にできない。
失敗したりわからなくなって、「あれ!」という言葉が、しょっちゅう口から出てくる。
今回も、二時間かかった。
私が機械音痴だということは、カミサンはよく知っておりますから、失敗して「あれ!」と私が叫ぶたびに、大笑いされております。

パソコンのソフトも、良くわかりません。
エクセルで足し算が出来るようになるまで、7年掛かりましたからね。

幸いキーボードは、ワープロを使っておりましたから打てる。
これは練習すればよいことだし、その昔は、私の食い扶持のひとつでもありましたからね。
打つ音を聞くだけなら、早いですよ。
でも、打ち間違えだらけで、これも心の中で「あれ!」ばっかりでございます。

2009年3月 7日 (土)

常識

世は、小沢さんの秘書の逮捕で喧しいようです。

それにしても、「国策捜査」という民主党の主張は、国民の政治不信をいたずらに増長させることになるでしょう。
こういう問題は、マスコミ報道もそれに影響される世論という物も、みな憶測に過ぎないと言うことを明らかにさせてくれますね。

本来、政治家の検察批判は、憶測や推測であってはならないはずだけれど、小沢さんは「感じを持ちます」とおっしゃる。
根拠は全く示されなかったし、説明責任が果たされたとは、とても言えないでしょうね。
日本にとって、国民にとって、小沢さんを党首とする民主党の対応は、罪深いことだと私は思います。

自民党にも波及すると言いますが、そうかもしれないしそうでないかもしれない。
そんなことが、誰が分かるというのか。
「自民党に広がらなければ不公平だ」という意見も憶測に過ぎず、マスコミがそう言う意見を取り上げることは、世論操作でありましょう。

日本国民の私は、ただただ見守ることしか出来ません。
何も知らないからです。
当事者の小沢さんでさえ分からないものを、国民の誰が分かるというのでしょうかね。

それが、常識という物だと、私は考えます。

2009年3月 4日 (水)

「白藍」

「藍白」という色とはどういう色かという問い合わせが、電話とこのブログにありましたが、私は寡聞にして知りません。

「白藍」という言葉は知っておりました。
しかし、これは色と藍(インディゴ)と二つある。

藍は、醗酵の力で水溶性となって、液の中に溶けている。
この状態の藍を、白藍(シロアイ、ホワイト・インディゴ)と言うらしい。
液の中に糸や布を入れると、白藍がそれに付着し、酸化して青藍に変わるわけです。

色の「白藍」は、シラアイと読む。
つまりシラアイイロというわけですね。

どんな色かと言えば、「わずかに緑味のある薄い藍色」で、山藍の摺り染めの、最も薄い色だったのかも知れないと、物の本には書いてある。

それにしても、色には文字通り、色々ありますね。

山藍とは何か?
その摺り染めなんて、本当にあったのか?

どうなんでしょう、なんて、無責任のようですが、私は良く分かりません。
延喜式に書いてあると言っても、私がこれを詳しく読む時間などありませんからね。
その時間を如何に作るか、これが我が人生の課題なり、ってね。

2009年3月 3日 (火)

帰宅

ようやく帰って参りました。

新潟で引いた風邪を、まだ引きずっておりますが、熊本の暖かさが、それをかなり回復させてくれました。
その暖かさが、実は藍染と言わず、衣料の販売には難しく、やはり商売上は、二月の寒さが欲しかったですね。

催事が終わった3日の朝、突然寒くなった。
師匠贄田さんと二人で、「この寒さが初日からあればな」と、溜息をつきつつ帰路についた。

昨日までは、Tシャツにシャツにジャケット。
3日は、その上にコートとマフラーの姿で足利の駅に着きますと、みぞれが降り出した。

家のドアを開けると、カミサンが「小沢の第一秘書が逮捕されたわよ」と言う。
政治がこれで正常に戻り、一刻も早い景気回復となって欲しいものです。
小沢さん一人に、日本国が引っかき回されていた感がありますからね。

2009年3月 2日 (月)

09/02熊本通信vol6

熊本鶴屋最終日。

 

担当S譲の朝礼は、心のこもったもので、今日も、事務連絡を入れながら、「私にとっては、素晴らしく楽しい一週間だった」と挨拶をした。
終わると、職人達から、ご苦労様という拍手が起こりましたが、これも、心からの物だ。
こういう朝礼も、珍しい。
片付けの、最後の最後まで、気配りが徹底していて、安心して仕事が出来ましたね。

 

後から話を聞けば、搬入の日、社員達はほとんど徹夜状態だったそうな。
朝5時から、担当部長が会場に詰めていたらしいですが、頭が下がります。
鶴屋は地方百貨店の雄ですが、今後とも、こういう姿勢で居て欲しいと思います。
鹿児島の山○屋、大分のト○ハなどの変質を見ていますので、切実にそう思います。

 

片付けが終わり、外に出ますと、今度は販促の部長が、トラックに乗せる荷物のチェックをなさっている。
最後まで、頭の下がる思いでありました。

 

ブラシ屋の旦那の仕事をしている仲間達が集まって、宴会を致しました。
師匠贄田、洋傘中島、越前竹人形欽、筆の鉄、人形の小島という面々。
水晶や印傳もいますが、店に入りきれません。
料理の主体は、馬肉!
美味しかったですが、昨日の酒が、多少肝臓を痛めつけたらしく、はかどりません。
それでも、楽しい一時を過ごして帰って参りました。

 

仙台、熊本と2週間の旅も、これにて一件落着m(_ _)m

2009年3月 1日 (日)

09/02熊本通信vol5 甲斐さん

熊本鶴屋五日目。
久々に良い天気でありました。
雨や曇り空の日が続きましたから、絶好の洗濯日和。
そんな一日を過ごさせていただいた。

熊本在住の木工作家、甲斐武さんと会食。

新宿の京王百貨店で、隣り合わせになりまして、何故か気が合い、お付き合いが始まった。
私は職人だし、甲斐さんは作家ですから、同じ物作りの世界と言っても土俵が違う。
全く別世界なのです。

なんで気があったのか、と言うより、波長が合ったのかと思いましたら、二人ともミュージシャンだったと言うことがあるかも知れません。
彼は、ジャズのベース弾きでありました。
それも、生きて行くための、多少の営業努力に、共通体験がある。
「バーキャレのタイバン」なんて言う話は、業界を知らなければ通じませんからね。
それは、陶芸家の栗原さんも同じです。

共通の体験というものは、言葉に説明を要しませんから、話をしていても気楽です。
ですから、話しも弾むし、疲れないという事なのかも知れません。

甲斐さんは、どう見てもシャイな人。
言葉の数も少ない。
作家として、アトリエでジャズを聴きながらの作業が、とてもよく似合う人。
作品も、そう言う人柄を顕していまして、京王百貨店で隣り合わせたときは、場違いなところに居るなと感じた。
この人の作品は、不特定多数に紹介する物じゃありません。
木工の好きな人や、感心のある人に紹介する物だ。

京王で、催事(職人展)に誘われたそうな。
私は「およしなさい」と言いましたが、「せっかく誘われたのですから、行ってみます」と言って引き受けちゃった。
「どうでした?」と聞くと、「いやぁ、場所も何も酷かった」とおっしゃいましたが、当たり前のことでね、誘う方に目がないだけのこと。
まあ、懲りたようですから良しとしましょう。

馬刺しをご馳走になってしまった。
どうも気が引けるので、ラーメンをお返しした。
それでは足りないのは承知ですので、東京でお返しをする所存。

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