紺邑のホームページ

ネットショップ

  • G.i-Japan
    藍染を始める方。藍染をなさりたい方もお訪ねください。藍に関する資材とノウハウを提供します。 藍染の製品もあります。 その他にも、沢山そろえて行きます。

イベント情報

フォト

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月

2009年4月29日 (水)

上六最終日 そして帰還 

最終日は、お手伝いをして下さっている梅津さんが、仕事を遠慮なさってお休みで、私が一人で販売をしました。

名和さんご夫妻がマスクをつけてご登場。
豚インフルエンザというわけではなく、奥様が風邪を引いてしまったらしい。
ご主人のマスクは、風邪を引くと大好きなゴルフに行けなくなるから、移らない様にするためだそうです。

手拭いをお預かりして、実演ついでに染めまして、それを取りにいらした。
無地、むら染め、たたみ染め(板締めみたいなもの)、ボカシと、様々に染めてみました。
まあ、それだけ時間があったと言うことなんですが、ボカシは本当に三日間掛かった。
見ていた大森君が、「そんなに手間が掛かるんだ!」と驚いていましたけれど、そんなものなんです。
「ボチャっと液に入れてくれれば良い」なんて気楽に藍染を頼んで来る方もいらっしゃいますが、とんでもないことなんであります。

ワンピースをお取り置きの山口さんも入らした。
どうしたのかと思いましたら、転んで怪我をなさったそうな。
痛みをこらえて、わざわざ来て下さった。
ありがたいことです。

サッサと片付け、熊野筆の鉄と傘の中島さんと、新大阪駅で恒例のしゃぶしゃぶで打ち上げ。
たっぷり食べて飲んで、新幹線に乗り込んだ。
直ぐに爆睡。
しかし、大きな声で起こされてしまった。

何事かと思ったら、前の座席で、酔っぱらいが六人、対面シートにして大声でしゃべっている。
酔っぱらいだから仕方ないと、我が身を振り返りつつ、我慢を致しました。
彼らは品川でおりましたけれど、隣の中島さんに「うるさかったですね。一生懸命我慢してました」というと、「私もです」だって。
お互い、酒飲みだから仕方ない。

東京駅から10:40発の佐野アウトレット行きのバスに乗り、夜中の12時に到着。
先ほどまで大阪にいたとは思えませんが、星空の美しい閑馬に戻って参りました。
家ではストーブを焚いております。

2009年4月28日 (火)

09/4上六通信 初心忘るべからず

久しぶりに酔いました。
この二週間で、初めてまともにお酒を頂いたように思います。
元担当のH中と一緒でした。
この男が「職人の技展」を始め、日本の催事を変えたと言っても過言ではありません。
でも、しがないサラリーマンですから、知る人は少ない。

今回で31回目を向かえる近鉄百貨店上本町店の「職人の技展」第2回目に来たとき、彼はまだ二十代半ばで、マネキン(販売のお手伝いをする人)さんから、「H中君}と、君付けで呼ばれておりました。
担当は皆、高卒。
彼は今や齢40を過ぎ、出世頭ですが、さもありなん。
また、そうでなくてはいけません。

最初に来たときの初日、売上げが5万円しかなかった。
当時は売れておりましたから、そんな経験を私はしたことがなかった。
余りに売れないことにショックを受けまして、レイアウトを変えることにしましたら、その日、懇親会があったにもかかわらず、担当が居残って手伝ってくれて、みんな遅刻。
次の日、何倍もの売上げになったという思い出もあります。

一昨日、昨年沢山のお買い物をして下さったお客様がお見えになった。
その方は、着物を着たことが無く、この催事で初めて紺邑の浴衣、大島紬を一揃えなさった。
百貨店の呉服売り場では、足袋を買っただけ。
何故なら、足袋の職人がいなかったからです。
着物も帯びも、帯締めも帯留めも、着物に合う傘までも、全て職人展で揃えられたし、この百貨店のカードすら持っていなかった。

一年経ち、その間、この百貨店の良いお客様になったのでしょう。
今回は、外商が二人ついてきて離れない。
帯締めを買うのに、呉服売り場の担当を含め、厳つい男二人と女性一人の三人がつきっきりだ。

紺邑もその方にDMを出し、お勧めする商品も作ってきたが、帰りがけに「ごめんなさい、時間が無くて」と、ちょっと挨拶されただけで帰られてしまった。
何故かと言えば、その外商員達と呉服の社員が、連れて行ってしまったからです。

催事担当の社員達はこの間、何もしない。
これで、われわれの一年間の営業努力は、全て無駄となりました。
我々というのは、昨年、このお客様とお付き合いした業者全てと、出展者達です。
買って下さらなくても、それは仕方ないが、せめて、作ってきた商品の説明や、お話しくらいはさせてもらいたかった。

H中が担当ならと、私は思う。
「初心忘るべからず」だ。

それでも、このブログをお読みになって来て下さった方もいらっしゃる。
最後になりましたが、ありがとうございます。
そう言う方との出会いは、励みになりますね。

2009年4月27日 (月)

09/4上六通信

ホテルのネットが繋がりません。
それで、ブログを書くのに苦労をしております。

日曜日は懇親会。
いつものように大騒ぎだけれど、翌日幹事から、「栄養ドリンク」という名の栄養ドリンクを頂いた。
2週続けて出席したことに対する御礼、と言うことでありました。
出席しただけで頂けるわけではありませんでね、私は司会もし、歌も唄ったのでありますよ。
幹事というのは、職人展を運営する会の幹事という事なんですが、これを作るには一悶着あった。

この「職人の技展」は、最初、大阪の伝統工芸を継ぐ人達に刺激を与えるという目的で始まったことで、それはそれは小さく、売上げもたいしたことのない催事でした。
それが段々と大きくなると、先に書いたように、主導権を握ろうと様々な人達が関わり合ってきた。
その一部は、これを組織化して、日本中の百貨店で同じような催事を運営していこうと企て始めたのです。
そこである日、十数人が集まって会議を持った。
私も誘われた一人でしたが、組織化に私は反対でありました。
その理由は様々ですが、日本中の職人を組織化して催事を開くなんていうのは、本末転倒、目的を失うことだと考えたのであります。
ならば、ネットワーク化すべきだと、企画書として書面で提案させていただいた。
出席者達に、私の真意が通じていたかどうかは疑問ですが、結果は私の提案通りになった。
それで、「会」が出来たというわけであります。

彼らは、組織化した後の管理を、当時は大きな百貨店で催事を担当していたIさんに任せようとしていた。
これが、I企画という催事会社が出来たきっかけとなった。

この頃は、関東の催事を企画主催していた武田さんが病床にあり、出展していた職人達の行く末が危ぶまれていたという事情もあり、他にも職人を組織化しようという動きがありました。
それに異を唱えたのも私で、そこで初めて、ネットワークという話をさせていただいた、
相手は、今では仲の良い、竹家具の江藤さんと水晶の大森君で、この業界で私が彼らと交じり合うきっかけでもありました。
その動きの中から、九州の催事会社が出来、名称に「会」が入ることになるけれど、真意が其所にあるかどうかは疑問ではある。

この動きが、上六に影響して上記した会議が開かれたと言うこともありますが、組織化して、一部の職人に権力が集中するのに懸念を持っていた人がもう一人その会議に出席していて、それがブラシ屋の旦那。
彼が一方の企画会社を作って今がありますけれど、当時会議に出席して権力を持とうとした人達には、ショッキングな出来事であったでしょう。

上六の「職人の技展」の動きが、現在の日本のこの業界の大きな流れの元になっているのですが、現在の上六の出展者や担当にも、催事の売上げにも、その業績はなんにも残っていないし、現れてもいません。
「創草と守分」の話をさせていただいた所以の一つであります。

2009年4月25日 (土)

09/4上六通信vol.10 ストレッチ

朝起きたら大雨。
それに見合ったお客様の数。
紺邑は、名和さん初め、お馴染みさんがいらしてくださり、それなりでした。
皆様ありがとうございます。

それはともかく、朝起きたら腰が痛い。
鍛冶屋の日記を想い出して、恐怖が我が身を襲う。
原因は柔らかいベッドにあることは明白なんですが、早速ストレッチをたっぷりといたしました。

帰ってきて風呂にゆっくり浸かり、またストレッチをたっぷり。

さてっと、パソコンを開けてブログを見たら、「中腰で染めに励めば励むほど紺屋さんとて明日は我が身、せいぜいストレッチで抵抗することですね」と見透かしたような鍛冶屋からのコメントがあった。

病床で唸っている鍛冶屋に何と言われようと、ストレッチくらいは励むことにしましょう。

あれが、伝染病じゃなくて良かった良かった!

2009年4月24日 (金)

09/4上六通信vol.9

上六後期二日目。

やはり後期は、大人の雰囲気がありますね。
成績はボチボチだけれど、驚いたことに、家が一軒売れた。
家といっても茶室ですが、本当のこと。

紺邑もボチボチ売れはしましたが、皆さん新しいお客様。
お馴染みが、何故か少ない日でありました。

朝、長女から電話がありまして、心斎橋のホテルに居るとのこと。
昨日と今日、京都と大阪でダンスのワークショップがあり、今日の夜中にショーをやるのだそうな。
どうも、私達常人とは、生活のパターンが違いすぎます。
昔の私もそうだったんですけれどね。

明後日は名古屋だそうで、忙しいこってす。

夕飯でも一緒にと思ったら、先ほど電話があって、夜のこの時間に「これから少し寝る」ですってさ。

少し風邪気味。
代表幹事の西出さんに頂いた薬を飲んで、ゆっくり休みます。
 

ちょっと時間があるので、鍛冶屋の日記(方丈記)を読みましたが、凄まじいな。
私はああならないようにしよーーっと!

2009年4月23日 (木)

09/4上六通信vol.8 同情

上六8日目。
後期の初日。

がらりとメンバーが替わりました。
何か、大分空気が変わり、如何にも「職人展」という感じがするのですが、何故だろうかと考えると、どうも、後期の方が平均年齢が高いのかも知れません。
それに、前期に比べれば、顧客を持っている業者が多いですから、きっと成績は良くなることだろうと思っておりました。
多分、そうなってはいると思いますけれど、実感はそれ程でもなかったかな。
良く分かりませんが、結果は明日ハッキリするでしょう。
 

鍛冶屋が入院中で、今回は弟子の中西君が来ております。
手術が無事に終わったようなので、初めて鍛冶屋にメールを致しました。
それにしても痛いらしく、日記にもそう書いてありましたが、返信を見ますと、その痛さは想像の外のようだ。

人の痛みは、分かりません。
だから驚くくらいで済んでいますけれど、当人は大変だろうな。
大変だろうなと言ったところで、彼の痛みを共有しているわけではないから、同情しているわけではありません。

「同情」というのは、「他人の苦しみ・悲しみ・不幸などを同じように感じ、思いやり・いたわりの心をもつこと。かわいそうに思うこと」という意味らしい(大辞林)。
これが難しいことだと、いつも私は考えている。
だって、同じように感じることが出来るほど、私は人間が出来ていませんからね。

高校生の頃、私は中距離走が、陸上部の連中より早かった。
校内マラソン大会で、一生懸命走っていると、「頑張れ!」と声援される。
「これ以上どうやって頑張るんだ」と、苦しんでいる私は思った。
こんなささやかな経験が、私をして「頑張れ」と、なかなか言えなくさせています。

私達以外に身寄りのなかった伯母が、脳梗塞で倒れた後、必死にリハビリをしていた。
余りに生真面目な人で、やりすぎるくらいでありました。
彼女は、「頑張れと言われると、これ以上どうすればいいのかと絶望的になる」と言っておりました。
これは、私の経験と違って、文字通り必死でありましたから、切実ですね。

だから子供達に、「頑張っている人に『頑張れ』なんて、気楽に言うもんじゃないよ」なんて言っておりますけれど、じゃーなんて言えば良いのだと言われると、これが困る。
だから「頑張れ」と言うんじゃあ、安直じゃぁありませんかね。

考えすぎだという人もいるでしょうし、そうかもしれませんが、私はそう思っていると言うだけのことです。

 
関西弁(京言葉かな?)で、「お気張りやす」と言うのがありますね。
これは割合スキな言葉で、これを関東弁に直して、「お気張りなさい」と使ってみる。
頑張れ同じことなら、私もお気楽なものだと、しゃれてごまかしてみる(^^;)

なに!?シャレにもなっていない!?
こりゃまた、失礼を致しましたm(_ _)m

2009年4月22日 (水)

09/4上六通信vol.7

案の定の一日でありましたが、こういう日は休みにしていただきたいものだ。

休みと言えばその昔、三十四・五年前の正月二日から四日まで、長崎のキャバレーの仕事が入った。
元旦に行って、その日はリハーサルで、二日から本番ということだったのが、行ってみると二日目だけキャンセルで、「希望」という唄をうたって人気者になったシャンソン歌手に、仕事を取られたことがある。
当時はコンビニも無く、食堂もレストランも、店という店は皆休みですから、元旦二日と、日本人として大事な日を退屈に過ごさざるを得なかった。
そんなこともあって、この歌手が大嫌いになりましたね。

余計なことを想い出しつつも、幸いなことに5時閉場で、前期の人達は片付けてお帰りだ。
私も含め、何人かは居残りの二週間。
ゆっくりと疲れを取り、後半に備えたいと思います。

2009年4月21日 (火)

09/4上六通信vol.6

上六の六日目は、広報上は前期の最終日で、明日は、社員と家族とその知り合いを対象とした特商会とやらで、全店を上げてクローズな大バーゲンになるらしい。
それも、クローズを名目としたオープンなものという噂もある。

昨年の例で言うと、皆さん割引商品目当てですから、催事場以外は賑わい、もし催事場に来られたとしても、「ここは値引きはないの?」と言われ、それはそれは・・・ものだそうな。

これじゃあ、今週はお客様は入りませんね。
今日買うより、明日のバーゲンで買った方が良いに決まっていますからね。

この百貨店は、これが恒例のようですが、関東にいる私達はよく知りません。
関東でも、その昔はこういう事が行われていたけれど、大分少なくなっているようです。
月に一度やるとしたら、その他の30日近くを犠牲にしているという事じゃないかな。
私なら、1万円で買える物が7000円になるなら、ばかばかしいですからその日まで待つし、絶対に正価では買いませんね。

案の定な状態で一日が終わりました。

昨日も今日も、本店から来た黒服の厳つい偉いさん達が店内を回っていた。
この状況を、彼らはどう見たのでしょうかね。

でもね、恐ろしいことに、梅田と心斎橋の店は、もっと酷い状況だと、出展した人が言っておりました。
 

紺邑は、出ないより出た方が良かったという結果です。
明日はお手伝いの梅津さんにはお休みをしていただき、私一人でのんびりと過ごす予定。
忙しくなればしめた物で、夕方5時には終わり、後期の準備だそうです。

後期は、大森君や省ちゃんなどが来て、より賑やかになるでしょう。
鍛冶屋は病院だ。

2009年4月20日 (月)

09/4上六通信vol.5  二兎追うものは一兎も得ず

今日も今日とて、閑散たる会場で一日過ごさせていただいた。
紺邑としては、まずまずです。

さて、近くの百貨店でも同じような催し物をやっていて、同じ業者が出展している所もあると聞きました。
早速調べてみると、なるほどその通りだ

政治家風に言えば、これは如何なものかと思う。

百貨店に役割があるように、私達にもそれはあるはずだし、お互い様だと思うし、そこには多少なりとも節操というものがあって然るべきではないか。
そう思う私が変なのか。

同じ地域に顧客が居るとして、DMをどうやって出すというのか。
出展業者の方で、優先順位でも決めているのか。
もしそうなら、いや、そうでなくても、
私には、お客様にも百貨店にも、失礼な行為だと思えるけれどなぁ!?
職人展がどうのこうのと言う意見を聞くけれど、そんな業者に業界を語る資格はない!っと私は思う。


札幌丸井今井が経営再建で大変だけれど、札幌東急百貨店は、同じ職人展で今でも大きな売上げを作っている。
丸井今井は6月、東急は8月に職人展があり、私は双方に出展出来るかも知れない。
でも、丸井今井に出ているから、東急には出ない。
地元で言えば、東武宇都宮百貨店と福田屋百貨店に、同時期に出展するなんて事は、考えられません。

これが当たり前だと思うけれど、ご時世がそれを許さないのか。
業者の中で、矜持という言葉が、行方不明になっているようだ。
背に腹は代えられないということかいなと、ちょいとしみじみ感じておりますですよ。
催事の内容が違ったり、主催者が県や国だったりすれば、話は違いますけれどね。
同じ「職人展」では、考えられません。

簡単に言えば、上六のこの催事がバカにされているというわけで、担当者に「すこし業者の選定を考えたらどうか」と提案してみた。
「そうですね」という答え。

二兎追うものは一兎も得ずって言いますからね。

 
遠鉄の中村君が、ちょいと用事があって大阪まで来た。
幸か不幸か、浜松は一店しか百貨店がないから、そんな心配は要りません。
打ち合わせも上手く行き、大満足で帰て行きましたとさ。
この人は、二兎追うなんてことはしないという基本姿勢でしたからね。

2009年4月19日 (日)

09/4上六通信vol.4 本末転倒

朝、従業員用エレベーターに乗りますと、担当と一緒になりまして、「夕方まで、紺邑さんが売上げトップでしたなぁ」と言う。
そりゃー情けない。
つまり、それだけ全体がよろしくないと言うことです。

常連のお客様が、ようやく次々とお出でになる。
どうも、DMが届いたのが17日頃で、大分遅くなってしまったと言うことに加え、百貨店からの告知が全くと言って良いほどなされていない為に、この催事のあること自体を、お客様がご存じないのですね。
確かに、広告チラシは、薄っぺらい小さな物があるだけです。

百貨店は、お客様が来てナンボの世界でしょうに、お客様を呼ばなくてどうやって商売しようというのでしょうか。
それを、「あんたの所からハガキが来なかったら、この催事のあることすら知らなかった。百貨店からは何もない」と、お客様に指摘される一日でしたね。

そりゃー、百年に一度の経済危機で不況だと言うことは、身に染みて感じてはおります。
しかし、全く売れないわけじゃない。
紺邑だって、この二日間は何とか面目が立っております。
それは、お客様に来ていただいているからで、DMを出せない新規の業者や小物を売っている人はどうしたらいいと言うのでしょうか。
集客は、百貨店の最大の役割だと、私は思いますけどね。

経費の節減だと、経営者は言うのでしょう。
私もそうしております。
しかし、DMは出すし、商品も作る。
そうしなければ、商売になりません。

百貨店が集客に力を入れないと言うことは、我々で言えば、商品を作らないことに等しいのではないか。
経費を節減するなら、まだ他にあるでしょうにね。
私達でいえば、宿泊・交通費、食事代を節約したりね。

商品を作らなくなったり、DMを出さなくなれば、これを、本末転倒と言うのではないかな!?
そんな印象を持たせられた一日でありました。
 

懇親会がありましたが、いつものとおりの馬鹿騒ぎでありましたね。
しかし、二次会は遠慮して、体も経費も節約をいたしましたとさv

2009年4月18日 (土)

09/4上六通信vol.3

上六3日目。

実は、いつも販売のお手伝いを頼んでいます梅津さんが、昨日まで居なかった。
初日が始まろうとしているのに来ないから、こちらから電話をしたら、「あら、先生(私のこと)が19日からとおっしゃったから、これから病院で胃の検査をするところです」ですって。
それで仕方なく、18日の今日から来てもらいました。

そうしたならば何と、名和さんご夫妻がいらしてから大盛況で忙しかったこと。
もっとも、名和さん達がいらっしゃるのは分かっていましたから、梅津さんに18日から来てもらったのですが、それでも助かりました。

午後には谷川さんがお見えになってお話ししているうちに、岡山の柿渋の旦那が居ないことが分かった。
どうも、来週も来ないらしいと言うので電話をしてみると、商品が出来なくて出られなかったと言う。
訳を聞けばもっともなことなのですが、秋には元気な姿を見てみたい物です。

ふと、思いがけない人が目の前に立った。
東武船橋や日本橋三越や東急東横でお馴染みの、島本さんの奥様。
Dscf1881_3 一瞬、分けが分からないで頭が混乱。
びっくりしましたが、「ただただ驚かすためだけに寄りました」ですって。

堺でご親戚の結婚式があり、それで来阪。
ブログで私が大阪にいることをしり、いたずら心で訪ねていらした。
思惑はバッチリで、本当に驚きましたね。

そんなことで、久しぶりに上六らしい楽しい時間を過ごすことが出来ました。
皆さん、ありがとうございました。

2009年4月17日 (金)

09/4上六通信vol.2

さて2日目。

お馴染みさんがお見えになると、ゆっくりお話しをしてから、「また来るわね」と帰ってしまわれる。
2週間ありますから、その間2~3回いらっしゃることでしょう。

それにしても閑散としておりますが、景気のせいなのか、はたまた私どものセイなのか、はたまたなんのセイなのか分かりませんが、閑かなことです。

このホテルの近くに、屋台のおでん屋がある。
屋台と言っても、東南アジアにあるような大きなやつ。
なんと、モダンジャズが流れている。
けれど、やっぱり屋台。
昨日は、うら若き女性が、一人で生ビールを飲みながら、おでんを突っついておりました。
さすが大阪だな。

それ以外に夕飯を取れるような処がないので、百貨店のレストランで夕飯を頂き、帰ってきましたね。
こちらも2週間ですから、大阪とゆっくりお付き合いさせていただきます。

2009年4月16日 (木)

09/4上六通信vol.1 草創と守成

通称上六、近鉄百貨店上本町店の31回目になる「職人の技展」が始まりました。
私は2回目から出ておりますが、この催事には、思い出が一杯つまっております。

数回目の懇親会でお偉いさんが、「この催事も、いつかは名物催事と呼ばれるように頑張ってください」なんてスピーチなさっていましたけれど、今日の朝礼では、「31回を迎え、名物催事になっていますが」と、回数は担当が言うようにまでなった。

最初の頃は、お客様の数も少なく、受注の伝票も無い程で、売上げも小さな催事だったけれど、みんなの力で盛り上がり、大きな成績を上げられるようになった。
そうすると、この催事に出たい人達も増えてくるし、催事そのものを仕切ろうとする人も出て来る。
売れない頃は誰も見向きもしなかったのに、現金な物です。

そうしますと、基礎を作った人達は離れて行き、催事が大きくなって売れるようになってから入ってきた人達が、幅を利かせるようになってきた。
世の中の景気が良かった頃はともかく、今やこの催事も、昔日の面影なんか何もありませんが、私には、昔の財産を食いつぶしているように見えます。
 

今日も終わりが近づいた頃、隣の出展業者の姿がない。
仕舞いまでいないで、帰っちゃったんですね。
こんな事は、この催事を作り上げてきた頃は、絶対にないことだった。
みんな、一丸となって仕事をしておりましたからね。

そんな一体感が、この催事の特徴だったのだけれど、いつの頃からか、一部の人間の我が儘がまかり通るようになってきた。
そんなことが、この催事の低迷の原因だと、私は感じております。

「草創と守成といずれが難きや」と言うんだそうですが(帝王学のすすめ:山本七平)、今や草創(創業)に目が全く向いていませんから、守成(継続)も力になるわけもなく、衰退も宜なるかなと思います。
 

そんなことはともかく、唄の歌詞ではないけれど、私には私の道がありますから、一業者として参加しております。
今日も、岩井さんや、名和さんのご主人が顔を見せてくださった。
そう言う方々に会えるだけでも、幸せという物です。

大阪へ

浦和の仕事を終え、一路大阪は上六へ。
恒例の「職人の技展」に出展いたします。

一時この4月の仕事が全くなくなりまして、ここ近鉄百貨店上本町店だけになった。
あわてて担当の宇治君に電話して、2週間にしてもらった。
そうしたら、あるはずもない浦和伊勢丹が入り、ナゴヤドームも入って、一気に忙しくなってしまいました。
結果はどうあれ、仕事があるというのはありがたいことです。

浦和を夕方6時頃発って、大阪の会場に10時半頃着き、準備を始めましたが、さすがに出来上がるわけもありません。
途中ですが終わらせて、ホテルに入っております。
続きは明日の朝だ。

ここは気心の通じ合う連中ばかりですから、気が楽。
お客様との付き合いも、古いし深いから、毎日が楽しいというお仕事です。
2週間という長丁場ですから、ゆったりと飽きずに、一所懸命仕事に励む事と致します。

それでは(^^)/~zzz(-_-)

2009年4月15日 (水)

ラジオ深夜放送

その昔は、ラジオの影響力は大きかった。
TBSは、特に頑張っていましたね。

若かりし頃の大橋巨泉が、大学対抗バンド合戦というのをやっていた。
早稲田の「ハイ・ソサエティ・オーケストラ」とか、慶応義塾大学「ライト・ミュージック・ソサエティ」などのビッグバンドからコンボまで、アマチュアですが良いバンドが出演していた。
早稲田、慶応出身のジャズミュージシャンが多いのも頷けます。

大村麻梨子さんというディスクジョッキーがいて、この人も私にジャズを教えてくれた。
今アメリカにいらして、渡米したミュージシャンの世話というか、スタジオなんかを紹介するコーディネータの様なことをなさっていてるとは、フルーティストの赤木りえから聞きました。

それが終わり、深夜になると、パックインミュージックが始まる。
金曜パックの那智・チャココンビは一世を風靡しましたね。
二部が夜明けまでで、その合間の三時前、「マジックピアノ」という番組があった。

文化放送にダイヤルを合わせると、*セイ・ヤングと言う番組があり、土居まさるが代表的なパーソナリティですが、私は成田敦子さんが大好きだった。
何度も投稿して読まれましてね、馴染みのリスナーでもあったのです。
若くして癌でお亡くなりになりましたが、その手記「「チーちゃん、ごめんね―ガンと闘う母から娘へ」は、映画にもなった。
彼女に会いたくて、文化放送まで行って、他のパーソナリティのセイヤングに出演して歌を歌ってきたなんて事もやった。
高校生の頃のお話し。

その後が、「はしれ歌謡曲」という、夜中に走るトラック運転手達のための番組で、5時過ぎからはじまる「モーニング・ポップス」という番組があった。
担当は、御法川法男(みのりかわ のりお)という新人アナウンサーで、現在のみのもんた。
もう一人が、やはり新人アナウンサーの落合恵子でありました。

ニッポン放送に行くと、ご存じ「オールナイト・ニッポン」で、その代表は糸居五郎さんだけれど、私のしゃべりは、彼に似ているとよく言われます。
しかし、余り聞いたことが無かった。
何故なら、あまりにも音楽が主体過ぎましたのでね。
それもポップスばかりで、ジャズに目覚めてしまった私には、面白いものではなかったというわけです。

青春の思い出だけれど、高校生の頃、こんな事をしていたのでは、学業が覚束なかったわけだ。

そうそう、明日から伊勢丹浦和店の「春の技ひとすじ展」に出展いたします。


*想い出しましたが、セイ・ヤングはこの後に出来た番組で、当時は「東京ミッドナイト」という、東京ローカルの番組だったと思います。

2009年4月14日 (火)

ラジオ

このブログも900を越えております。
ほぼ毎日更新ですけれど、偶には書けないときもある。
そして、何を書いたか直ぐに忘れてしまうので、内容が同じにならないように、毎回、前日の記事を確認しながら書いております。
それだけ、私の記憶力が乏しいと言うことなんですね。

統一地方選挙の季節らしい。
ここ佐野市でも、市長選挙と市議会議員選挙が同時に行われました。
ご近所の市議が無事当選したらしく、カミサンがホッと胸をなで下ろしております。

我がカミサンは選挙が嫌いで、アレルギーに近い。
これには少々わけがありまして、最初に関わった選挙で、落選の経験をしたことと、私が関わった選挙で、苦労を掛けさせてしまったからなんです。
だから、知り合いの選挙が気が気ではないのでしょう。

選挙速報を、ラジオで聞いておりました。
もちろん、ローカルな栃木放送ですが、これがなかなか入らない。
混線した雑音の中、ようやく聞いておりました。
テレビは映りませんから、見ない。
だからラジオだけの世界です。

思えばラジオとの付き合いは古い。
幼少の頃は、赤胴 鈴之助に夢中だった。
それ以来のサユリストでもある。

テレビでは、鞍馬天狗が最初の思い出。
「杉作、おじさんはね!」という、嵐勘十郎がヒーローで、三角ずきんを被ってチャンバラごっこをした物だ。
昨夜はNHKの「真打ち競演」で、林家木久蔵改め林家木久扇の物まねを聞いて、大笑いさせて貰った。
この人、話をよくかむけれど、面白いな。
やはり、世に出る人は何かを持っておりますね。

青春時代は、中・高と深夜放送で育った。
それでジャズも覚えちゃって、音楽が生業になるきっかけも作られた。
TBSはパック・イン・ミュージックで文化放送はと言う話は、以前書いた記憶があります。

これからもしばらくは、ラジオに親しむ日々が続くことでしょう。

2009年4月12日 (日)

ナゴヤドーム 5 騒音

最後のこの日も、騒音の中の一日でした。

歌のステージが松崎しげるで、この人の声の大きいこと。
この人の生歌を初めて聴きましたが、驚いたことに、英語の歌を歌う。
それが、私のレパートリーと重なるので、歌詞を知っている曲ばかりですから、ついつい聞いてしまう。
そうすると、例えば発音やブレスが気になって、素直に聞けない。
できれば、日本語の歌でショーをして欲しいと、つくづく思いましたね。
だって、英語は英語ですからね。
この人のデビューは、たしか「黄色い麦わら帽子の 女の子・・・」という曲だったと思うけれど、私は声も歌も大好きでした。
地声の強い人なんだろうけれど、それも才能です。

目の前は、相変わらず囲碁と将棋の広場。
今回、つくづく感じたけれど、囲碁の人達は、棋士もファンもまじめだ。
将棋の人は、個性的。
華やかさやおもしろみは、断然将棋だけれど、やって面白いのは囲碁。
双方とも、たいした実力はありませんけれどね。

終わり頃に、阿波踊りが始まった。
その音は、如何ともし難いほど大きくて、その場にいるのが耐えられないほど。
一刻も早く帰りたいと、その音に隠れるように帰り支度を始めてしまいました。

このイベントは「大人の文化祭」と銘打っていましたが、その中に「お買い物」と言うのが全くありませんでした。
ですから、ご来場した方々は、「買う」という行為を想定せずに入らしていたようです。
つまり、物販は、開催目的の中に入っていないのですね。
こう言うところに、私達を呼んではいけないな。

そう思いながら、洋傘の中島さんと二人で、急いで帰って参りました。
このブログは、閑馬で書いております。

2009年4月11日 (土)

ナゴヤドーム 4 「何と申しましょうか」

「何と申しましょうか」とは、野球解説者小西得郎さんの名解説だと知る人は、長い野球ファン。
それは私の、ナゴヤドームイベントの感想でもあります。

さすがに土曜日ですので、ものすごい人の入りです。
多分、数万人という数ではないかと思う。
その人数のざわめきと、小林幸子(何故か演歌は呼び捨てだ)の歌が会場に流れる中、目の前では目隠し将棋の熱戦が繰り広げられ、それが終わると我が売り場の隣で、鵜飼いの実演が始まる。
将棋はたっぷりと楽しませていただいているけれど、間断のないその喧噪で、耳と頭の中は複雑に混乱し、疲れ果てました。
人が集まれば物が売れるという発想がありますが、なかなかそうは問屋が卸しませんね。

ところで小西得郎が、なぜ「何と申しましょうか」と言ったか。
玉を股間に当てた選手が、余りの痛さに身もだえた。
それを見て、「何と申しましょうか、この痛さばかりは、ご婦人には絶対わからない痛さでして」と解説したそうな。

2009年4月10日 (金)

ナゴヤドーム3 藍染の色落ち

ナゴヤドームに来て、久しぶりに素朴な質問攻めにあっております。
曰わく、「本当の藍染は、色落ちがするんでしょ?」なんてね。

ここで何度も書いたと思うけれど、藍染には、色落ちがするから本物だとか、しないから本物だと言うことはありません。
本染めだって、色落ちする物もあるし、しない物もあるからです。
ただし、色落ちしても、色移りしないのが本染め。
だから、他の物と一緒に洗濯して、なんら差し支えない。
色移りするのは、薬品を使った藍染。
だから洗濯は別にしろと言う。
こんなハッキリしていることはありません。
薬品を使っていても、色移りしない物もあるかも知れないけれど、それは、染めと洗いが丁寧な仕事だと言うことでしょうね。
説明が面倒な理由です。

我が藍染を見て、「これはムラが無くてきれいな藍染だから、合成の染料を使っているのか?」という質問もあった。
ムラ染めになりやすい藍染を、ムラ無く染めるのが職人の芸。
色がきれいなのは本染めだからと、本当のことを説明申し上げた。
こんなのはまだ良い方で、「これは染めですか?」なんていう質問も多いですから、藍染自体をご存じない方が多いように見受けられますね。

値段が「高い!」と、怒られてもおります。
私は「恐縮です」なんて、誰かさんみたいに謝るだけ。
「あんたのところのベストで、スーツが2着買える」なんて言うのもあったな。
私は、「よく言われます。でもしょうがないんです」と、また謝るだけ。

傘の中島さんが来て、「路上で売っている気がしませんか?」という。
「なんか、うちの地元で店出しているみたいだ」というのですが、名言ですね。

20090410141909_2 ステージで杉田二郎氏が歌い、同時に目の前では、囲碁の初心者講座が開かれ、それはそれは賑やかですよ。
囲碁の方は、余りに初心者向けすぎて、私には面白くありません。

20090410155050_2_2 将棋は本日、深浦康市王位っていうんですから、豪華で楽しい。
アマチュア5段と角落ちで目隠し将棋。
上手持ち時間30秒で、下手は10分を使い切ってから30秒。
上手が勝ち、その後、女流初段と双方目隠しをしての将棋。
平手。
大熱戦のうち、上手の勝利。

いやいや、楽しい一時でございました。

2009年4月 9日 (木)

ナゴヤドーム 2

さてどうなりますかと、期待と不安が交差する中、ナゴヤドームのイベントが開始されました。

ところが、大きな会場に、なかなかお客様がいらっしゃらない。
目の前が囲碁と将棋のコーナーなのですが、人を入れようと、アナウンサーがマイクで必死に呼びかける。
その声が大きいので、私達のコーナーにも人がいらっしゃらない始末。
会場でのんびりと、お昼何ぞを頂きましたね。
でも、糸やなんかが売れて、ホッとはしておりました。

その内、目の前が賑やかになってきた。
20090409131940_2 写真がその会場ですが、将棋の佐藤康光九段の目隠し将棋が始まったのです。
佐藤九段は、羽生、渡辺と並ぶ、棋界の実力者。
沢山の人達が見入っていましたが、その中に私も入っております。
もう商売どころではありません。
平井さえも、売り場を離れて見に来る始末。
いやはや、目隠ししたまま一局指したわけですが、ものすごいものを見せていただきました。

これが終わると、サッと人が引いてしまい、今度は別の会場から大きな声が聞こえてきた。
養老孟司さんの講演会が始まったらしい。
我がコーナーは閑散たる物なのですが、あちらは満席。
終わるまで待っていると、お客様は一目散に出口へ・・・(T_T)

その内歌声が聞こえて来た。
タケカワユキヒデさんのコンサートが始まったのです。

20090409170031_2 画面に映っているのが、会場一杯のお客様。

手前で携帯を弄っているのは、一久さん。

今度の旅のホテルを取っているのです。
とにかくお客様が目の前を通りませんのでね。

コンサートが終わると、またもや一目散に出口へ。

終了6時少し前になりますと、会場のアナウンスが「当会場は、6時に閉場いたします。お客様は、速やかにご退場下さい」と流れる。

お客様に、速やかに退場しろなんて、私達ではとても言えません。

良いお勉強をさせていただいております。

2009年4月 8日 (水)

ナゴヤドーム

良く分からないけれど、取りあえず名古屋へ旅立ちました。

さすがに身体が疲れておりまして、車中は爆睡。
名古屋のJR中央線とやらで、大曽根駅へ。
ホームの「ナゴヤドーム→」という看板に従って歩いていて行くと、遠いこと遠いこと!
都会の田舎道みたいなところを、約20分ほど歩いてドームに到着。
さて、入り口は何処かな?と探そうとしたら、「大川さん」と言う声が聞こえる。
なんと、洋傘の中島さんだ。
彼も急に決まったらしい。

20090408175647 会場にはいると、漆器の一久さん、柘植櫛の森さん、組紐の平井、元石工の倉員さん、唐木指物師の高嶋さん、卸し金の岩渕さん等々、親しい友人ばかり。
心強いことこの上もありませんが、システムを聞くと、釣り銭も包装も何もかも、自分でやらなければならないらしい。
慌ててカミサンに電話して、包装紙や手提げなどを送ってもらうことにし、後は一久さんや中島さんに助けてもらいながら仕事することにしました。
持つべきものは友ですね。

飾り付けをしていると、出展者らしい夫婦が、「あら、きれいな色ね!」と言って立ち止まり、なんとTシャツを買って下さった。
幸先の良いことであります。

中島さんが、この間丸善に出展したときに馴染みになったという中華屋へ誘ってくれたので、一久さんと三人で夕飯。
ここの餃子は絶品!
その他も大した物。
鍛冶屋の武田が探した店らしいですが、さすがに武田で、あの美味い店を探す嗅覚はすごいと、改めて思いましたね。

明日からの英気を養い、休むことと致します。

2009年4月 7日 (火)

建った藍 そして名古屋へ

20090407162919_2 先々週の土曜日に仕込んだ藍です。

最終の嵩上げをしたところ。

すくもと灰汁と、少々の貝灰だけで建った。

明日、黒砂糖と貝灰を足して、少し寝かせてから染めに入ります。

純粋の楢灰と、ご近所から頂いた灰で建てておりますが、立派なものだと私は思いますね。
 

私の友人が、亡くなりました。
少し年上ですが、肺ガンだったらしい。
若いだけに、進行が早かったとのこと。
そのために、ナゴヤドームのイベントに、急に出展することになりました。
引越も重なっててんてこ舞いですが、事情が事情だけに致し方ありません。
彼が与えてくれた仕事だと思い、感謝しながら行って参ります。

明日搬入、9日から12日までです。
「お宝・美術と名工の技」コーナー と言うところに出ています。
余りに急な話で、内容は良く分かっておりません。

2009年4月 6日 (月)

テレビと焚き火

18年の住みかを変えるとなりますと、その垢のたまっていると言ったら、表現の仕様もありません。
その一つ一つを、焚き火で燃やせるところが、田舎の良いところ。
一日中燃やしておりますと、顔が真っ黒だ。
朝から焚き火して、それが完全に灰になるまで、夜遅くまで掛かる。
こう言うところが、灰作りの難しいところで、簡単じゃありません。

テレビの引越も、しなくてはなりません。
我がカミサンは、バカになるためにテレビを見ますのでね。
ところがこれが、きれいに映らない。

閑馬と言えども、少なくとも日本国内なのだから、テレビくらいは見られなければおかしい。
ところが、NHKの総合と教育しか映らない。
こんな事があってはならないことなので、友人の専門家に見てもらうと、やはり映らない。
果たしてこれは、環境のセイなのか、電気工事のセイなのか、それが問題だ。

その専門家の友人の言によると、工事した人が変だと言う。
暗に、「君の発注した会社は・・・」と言っているわけだけれど、こと電気工事に関しては、さもありなんと私も思う。

取りあえず、明日久しぶりに、工事した会社に電話します。

その専門家の友人は、高校の同級生なのだけれど、面白い男で、こんなご時世に関して、「こう言うときだからこそ、やりがいがある」とか、「災い転じて福となすだぜ」とか言って、回りを励ます。
私も、良い友を持ったと思う。
こういうのも、人徳ですね。

まるまる一日時間を取って、テレビを見られるようにしてくれるそうな。
ありがたい。

ネットはISDNで、テレビは映らないとなると、後はラジオが残る。
早速NHKを聞いておりますが、眠くなったので、寝るという、これだけが楽しみだ。

2009年4月 5日 (日)

引越し

今度は、住まいの引越です。
本格的に、閑馬に住むことにしました(実は、四日から移っております)。
18年住んだ部屋をかたづけるとなると、簡単ではない。
娘達が来て手伝ってくれても、一日二日では終わりはしません。
それでも今日は、大物を運び終わりましたから、一段落と言うところです。

このブログ関係で一つ困ったことは、ADSLも光もないこと。
仕方なく、フレッツISDNでネットに繋がっております。
ADSLには、枠があることを、初めて知りましたね。
その空きがないのです。
光なんて言うのは、夢のまた夢。
しかし、有線やケーブルテレビというのもあるかもしれません。
これからゆっくりと、探すことに致しましょう。

宇都宮の酒見君から、データを遅れという電話がありました。
写真を送ったのですが、まあ遅いこと遅いこと。
今風に言えば、はんぱじゃありません。

でも、閑馬らしいと言えば閑馬らしいので、長閑に過ごさせていただきます。

それでは、お休みなさいませ。
(音が何もありません!)

2009年4月 3日 (金)

国立のギャラリー 「ヒップホップカルチャー」

国立まで車で行って、飾り付けをして参りました。

20090402153203_2_3

まさしく展示会で、販売会の趣はありませんね。

おしゃれにきれいに飾るわけですが、こういう事になると、私はお手上げだ。
絵心のある、カミサンと長女が、なんだかんだと言いながら、飾り付けをしておりました。

 
長女は、所謂ヒップホップをやっているわけですが、「やっている」というのは、ダンスの事だと思っておりました。
ところがヒップホップというのは、ライフスタイルだと言うのですね。
ですから、絵を描くのもヒップホップだし、エコロジーもヒップホップなんだそうな。

飾り付けをしておりましたら、お客様が話しかけてくださいまして、長女が手を指している絵を見て、「ダンスみたいですね」とおっしゃった。
見ず知らずの方にそう言われると、びっくりもしますが、その方は絵が大好きだそうで、ビリー・ジョエルの「New York State Of Mind」という曲をモチーフにした画家の絵なんかを見せて下さった。
因みにこの曲は、私の愛唱歌でもありますから、これまたびっくり。

美味しいピザを頂いて帰って参りましたが、こういう世界に浸るというのも、一興だと感じさせていただいたな。

四月いっぱい展示させていただきます。
是非ご一覧下さいませ。

2009年4月 1日 (水)

引っ越し そして 国立

2階のギャラリーを、テキスタイルの展示と特注品に限定し、1階のアトリエをギャラリーにすることにしました。
階段が狭く、2階では、お年寄りや車いすの方に、商品を見てもらえませんからね。
その引っ越しを、一日掛けて致しました。

国立の準備がありますので、藍染めの展示までは出来ませんでしたが、三日には整うと思います。
是非、どんな風に変わったかを、見に来てくださいませな。
もちろん、このブログでも紹介しますけれどね。
 

国立のギャラリーは、長女の絵の個展に便乗する形です。

会場はgallery & cafe 15APERTMENT
住所 〒186-0004 東京都国立市中1-19-15
アクセス JR国立駅より徒歩8分
お問い合わせ TEL 042-574-1159 FAX 042-574-1159
営業時間 11:30 - 22:00 L.O.
定休日 無休
座席数 50
カード JCB.DC.NICOS.DINERS.SAISON.AMEX.VISA 他
駐車場 無

場所は・・・

58d13f71_2 

国立駅南口でて
SEIYUの前の道を右
ずーーーと歩くと右側に
ナントカ(忘れた。。。)食品館ってスーパーが
あるのでそこを過ぎたらすぐ右にまがると
すぐ右側にありまーす
10分位はあるくかなあ

とは、長女の説明であります。

これも、4月3日からです。
お近くの方、是非ご来店下さい。
料理も雰囲気も、よろしいようです。

長女がどんな絵を描いているのかは、怒られるといけませんから紹介しませんが、よろしければ、ご覧になって下さい。

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »