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2009年5月

2009年5月31日 (日)

パソコン騒動

カミサンから電話が入り、パソコンが止まり、電源のスイッチが入らなくなってDMが印刷できないという。
そのパソコンは一時、娘達に貸していたもので、そう言えば調子が悪いと言っていた。
「コンセントは入っているかい?」などと、事細かに電源を調べてもらったけれど、ちゃんと入っているという。

こりゃー困った。
また帰らなければ駄目かと思ったとき、また電球がパッとつくようなひらめき!
DMのデータの入ったCDを、もう一つのパソコンに入れてみてもらったら入力出来た!
裏面の印刷が始まりました。
これで帰らなくて済むと思いつつ仕事が終わりましたが、ふと、表面(宛名)をどうしようかと想い出してしまった。
そのパソコンに、ソフトが入っていないのです。
その時はもうバスも電車もない。

やはり、帰らなくてはならなくなった。

これが土曜の夜の出来事。

 
日曜日の朝一番、ガラス棚の上に飾った新作のブラウスを指さし、「それ見せて」という、お客様の素晴らしい声を聞くことが出来ました。
お着せしたらピッタリ!
もちろん、お買い求め。

後の仕事は、覚えておりません(涙

 
また高速バスを使って佐野に帰りました。
日曜日のためか、またもやスイスイ。
今回は、予定時刻よりも早く着いた。
これは便利です。

印刷をどうしたらいいか、色々考えたけれど、引越でまだ繋いでいない古いデスクトップにはソフトが入っていますから、それを何とかすることにしました。
必死でコードを探して繋いだら、つかえるようになって一安心。
データを入力し、これでデスクトップ専用の印刷機も使えるようになった。

スイッチの入らないパソコン(ノート)を調べてみると、やはりどうやってもスイッチが入らない。
こういう場合は電源しかないので、コードを見ると、確かにコンセントは入っているし、トランスのようなものにも電気がついているし、パソコンにも繋がっている。
全部を入れ直してみると、なんと、パソコンにちゃんと入っていなかっただけで、スイッチを押すと起動し始めたではありませんか。

たったこれだけのために、私は帰らされたのかと思うと腹が立ちますから、帰ってきたお陰で、工房中のパソコンと印刷機が使えるようになったのだと思うようにしましたね。
実際、印刷のスピードは実に速くなりました。

余りの喜びに、酒をかっ食らってバタンキュウzzz(-_-)

2009年5月30日 (土)

高速バス 復路

朝7時20分、佐野アウトレット発の高速バスに乗って一路新宿へ。

乗ってくるお客様が皆さん、「おはようございます」と挨拶をしながら乗ってくる。
乗っている方も「おはようございます」と挨拶を返している。
まるで観光バスでこれから東京に行くような雰囲気だけれど、別に知り合いではないらしい。
皆様、そこそこの妙齢の女性達ですが、観光会社の集めた団体旅行のつもりなんですね。

定刻に出発。
土曜日のこととて、道はまたもスイスイ。
今度は、到着予定時刻の10分前に新宿に着きました。

降りる時も、「お世話様」と、皆さん運転手に挨拶して降りて行く。
良いですねぇ。

お仕事は淡々としたもので、書くことがない。
どうしましょうかね(^^;)

夜、このブログを見た宇都宮の酒見君から連絡があるだろうと思っていましたら、メールが入りました。
二人で何とかしましょう。

2009年5月29日 (金)

高速バス

引越をした所為で、電源などが見つからないパソコンがある。
DMのソフトがそこに入っているのを想い出し、今使っている工房のパソコンに、こちらからデータを送っても開くことが出来ない。
DMを作るために、仕方なく、帰ることにしました。

さて、どうやって帰ろうかと思案を致しましたが、時刻表を調べると、町田→代々木上原→北千住→足利市というのが出てきて、夜の10時には家に着く。
そこでカミサンにメールして、迎えに来てもらうことにしました。
しばらくして、ポッと電球がついたようなひらめきがありまして、高速バスを調べたら、新宿→佐野というのがあった。
しかも、安くて早い。
こりゃいいや!とばかりにネットで予約して、カミサンにも変更した旨メールをした。

このバスは、明治通りを走り、王子経由で佐野までという経路。
混むだろうと思った明治通りが、スイスイと走れる。
不況も、こう言うときは良いですね。
早めに着いたとみえて、停留所でしばらくお客の来るのを待っておりますと、予約客の最後の一人がなかなか来ないらしい。
運転手が本部に無線で、「そろそろ出発します」という連絡を取っていると、息せき切ってそのお客様が到着。
約2分遅れで、王子を出発しました。

直ぐに首都高に乗り、後はこれまたスイスイだ。
何の支障もなく佐野に着くと、なんと予定到着時間の2分遅れ。
この運転手の律儀さに、感心するやら呆れるやら。
それをカミサンに話したら、「そんなことを気にしているあなたもすごいね」なんて皮肉を言われてしまいました。

到着したのは良いのですが、カミサンが迎えに来ていない。
電話をすると、「足利だ」という怒ったような返事。
メールの確認を怠ったようですが、メールを見たら必ず返事をするようにと言う指示をしていた私が、返事のない事に気が付かなかったという私の責任。
なんで怒ったような返事だったかというと、いつもは怖くて走らないバイパスを飛ばしていたからなんですね。
迷惑を掛けました。

帰るとFAXが入っていて、随分前に、宇都宮の催事日程を確認してきた人が、出展出来ないという。
こういう事に私は、一度も苦情らしきことを言ったこがないけれど、度重なると、さすがにちと考えてしまいますね。
これで今回、四人目です。

2009年5月28日 (木)

町田通信vol.2

町田二日目。

朝から雨模様で、この百貨店は雨に弱いのだそうだけれど、その通りの一日でした。
しかし隣のブラシ屋さんは大健闘。
そういう業者もいるのですから、言い訳は利きません。
明日も一所懸命、仕事することにしましょう。

昨日は、サッカーの日本代表が改心の試合をしたらしい。
私が批判的だった、本間君と長谷部君は成長したようです。
良かった。
 

党首討論が、久々に開かれた。
終わった後の談話で、両者の姿勢が良く分かりましたね。

鳩山さんは、印象譚を語っておりましたが、あれは聞き手のイメージに訴えるという卑怯なやり方だ。
それに対して相手が説明すれば、言い訳になり、後に残るのは対立です。

一方の麻生さんは、意見の理由を語っておりますね。
遠慮がちなところが気に入りませんが、大人の対応だと思いました。

2009年5月27日 (水)

町田通信

実は、町田小田急7階食器売り場「匠の技」のコーナーに出展しております。

このお仕事、私のスケジュール帳には書いてあったのですが、待てど暮らせど打ち合わせが全くなされない。
仕事が無くなったとも、あるとも云ってこない。
遂に、搬入日の前日となってしまったので、こちらから担当ではない売り場の親しい社員に電話して、「明日搬入だと思うが、うちの仕事はあるのか?」と聞くと、「ありますよ。お待ちしています」という。
何でこんな事になったかと言えば、人事異動と引き継ぎがなされていなかったかららしい。

昨日、何とか売り場に到着すると、担当ではない社員が、担当のバイヤーを紹介してくれた。
この方に初めてお目に掛かるし、担当のバイヤーの存在すら知らなかったし、当日まで連絡を取らずに、よく仕事になるなと思っていると、「実は商品が見あたらないんです」という。
そういえば、夜七時過ぎに始まる搬入なのに、夜九時近くに私が入ったにもかかわらず、紺邑の荷物が何処にもない。
大変なことだと思うのだけれど、「何処かにありますよ」なんて暢気に云いながらデパート中を探したらしく、しばらくしてようやく到着しました。

「什器をどうしようかと思ったのですが、幸い高坂(担当ではない親しい社員)が分かっていたので」とバイヤー。
なるほど、高坂君らしく、ハンガーラックなどは多いくらいに揃えてある。
足りないところもあったけれど、「明日揃えておきますが、それで良いでしょうか?」という。
私はもちろん、それで構わない。
「電話を頂ければ良かったのに」と云うと、「それが電話番号が分からなくて」とバイヤーは云う。
「高原(前任者)が全部資料を持って行ってしまったので」と、ありそうなことも云っておりましたが、まあ、小田急らしいと言えば小田急らしい。

解り難いかも知れませんが、私は怒っているわけでも、苦情を書いているわけでもない。
事実を書いているだけで、私も確認を怠っているわけですから、どっちもどっちというところですね。

小田急町田店7階の売り場は、この2日ほどものすごく良い成績だそうな。
しかし、その前の二週間は、インフルエンザ騒動だからか、酷いものだったらしい。
朝礼では、「そろそろインフルエンザ騒動も落ち着いてきた」というお話しがありましたが、そうなら良いな。

2009年5月26日 (火)

冒険的ドライブ

庭の草刈に励む。
何故なら今日から、しばらく旅に出るからです。

とにかく一所懸命必死で草を刈っていると、東京から富永さんが、灰を持ってきて下さった。
道の駅の「どまんなか田沼」に寄って来て、これから日光に行くという。
急いでいる様子もないではないが、取りあえずお茶を飲みながら世間話。
里山のこと、農業のこと、最近の政治の政策についてなどなど。

お昼でもと思ったら、本当に急いで日光に行きたいらしい。
さて、道をどうするのかと聞くと、足尾を抜けて行くとおっしゃる。

東京の赤羽から埼玉の川口・岩槻、群馬の館林・太田・桐生を抜けて栃木に入り、銅山で有名な足尾から日光に出る国道が122号線ですが、私はこの道が大好き。
日光からいろは坂を上り中禅寺湖に出て、そのまま金精峠で群馬に降り東京に帰る道もまた良い。

足尾を抜けると云うことは122号線で行くと云うことだけれど、さて、閑馬からどう行けばよいか。
山道を通って、飛駒→梅田→桐生から122号に出るのが王道だけれど、この辺りの噂によると、桐生に出ずに、梅田から山を抜けて足尾に行く道があるという。
私は通ったことはないが、その話をすると、なんと富永さんはその道を行ってみると云う。
不安になった私が、グーグルの地図で調べると、その道は山の中で行き止まりだ。
それでも行くという富永さんは、どういう人なんでしょうかね。

別れ際に、「結果を教えて下さい」と云って分かれた。
どうやって教えて下さるかというと、ミクシィでです。

今読んでみましたら、地図の通り行き止まりだったそうですが、そこから地図にない、穴が空いていたり石が転がっている林道が延びていて、無事、足尾から日光に行き着いたらしい。
驚きましたが、めでたしめでたしだ。

そうそう、書き忘れましたが、富永さんは女性です。

2009年5月25日 (月)

えにし

朝起きると小雨模様。
また今日も昨日と同じかと思っていると、磯さんから電話。
「赤飯を炊いたから、取りにお出で」とありがたいことなので、車を走らせました。
閑馬を出て数キロ先なのですが、そこに雨はありません。
ちょっと離れているだけですが、磯さんのお宅は関東平野にありますので、山間の閑馬とは大分気候が違うようです。
閑馬も、午後には晴れて参りました。

庭がお花畑のようで、それを愛でながら、玄関先でお茶と茶菓子代わりに赤飯を頂いていると、なんとみそ汁も出てきて漬け物も。
すっかり朝食代わりになってしまい、工房に帰ると直ぐに仕事に掛かることが出来ました。

今日は、やらなければならない仕事が沢山ある。
広告商品のデータ送付、DMを作り、通販の注文商品を梱包・発送、次回催事の商品発送と盛りだくさん。
その上に、染めと洗い。

染めの準備を済ませると、伯母と従姉妹が来た。
伯父の何かのお礼に使うと言って、ハンカチを30枚も注文してくれて、それを取りに来たのです。
久しぶりに、長話を致しました。
我が父と母や祖父母の話は、他人では出来ません。
私が佐野に越してきた理由も、初めて語ることが出来まして、意義深い時間でありました。

お昼時に、田沼の鳥喜さんご夫妻がお見えになった。
鳥の唐揚げ屋さんだけれど、いつも行列が出来る程に繁盛していますし、親父殿の工房の上得意さんでもあった。
ご主人は演歌歌手で、その昔はステージ衣装も藍染で作ったし、日本のボーリングのトップアマでもあって、今回は、沖縄の試合で着る下着の染めを頼まれていたのです。
どのくらいのスコアーを出すのかと思ったら、直近のゲームのデータでは、4ゲームトータル880!つまり220アベレージですって。
すごいな。

午後は着々とお仕事をこなし、夕方無事終了。
夕飯は、図々しくもまた礒さん宅で頂いて参りました。

磯さんと鳥喜さんの奥様はお友達。
同じく、親父殿の工房のご常連でした。
伯母と従姉妹は云うまでもありませんが、親子の繋がりはありがたいとしみじみ思いましたね。
親父殿の工房の染めを、小森さんに言われて再開したとたんに、以前の繋がりも再開出来てきたような気がしますし、親父殿が天国から私達を助けてくれているようだ。

2009年5月24日 (日)

普段の日曜日は、ギャラリーで販売に勤しもうという日なのですが、染めたものと精錬済みの布の洗いも溜まり、注文の品物もあるので、私一人で染めと洗いをすることにしました。

しかし、朝方の外は雨。
幸い、染め始める頃には小雨になりましたが、洗いは待ってくれませんので、一日中洗い。
その間に藍染という慌ただしさで、カミサンは仕上げに忙しく、溝越しさんがお見えになりましたけれど、なんのお構いも出来なかった。
懲りずに遊びに来て下さいな。

それでも数十枚のハンカチにTシャツや裏地等々、染めの成果はそれなりに上がり、精錬も済み、終わってみれば満足な一日であります。

夕方染め終わる頃、雨が本格的に降り出し、今(午後7時)は雷が鳴っております。
身体が少し濡れましたが、タイイングとしては良かった。

明日の染めの準備も出来ましたので、晴れてくれれば言うこと無し!
でも、今日と同じような天気らしい。
それはそれなりに、お仕事に励むことと致します。

2009年5月23日 (土)

千客万来

かご染めをしました。例の小森さんに示唆を受けた染めなのですが、親父殿の得意技だったもの。

およそ10年ぶりくらいに致しますので、どうも勘が働かない。
しばし素材を前にして考え込んでしまいましたが、手が自然に動き出しまして、何とか染める準備は出来た。
準備さえ出来れば、後は何とかなると言うもので、染め始めたら直ぐに、ご注文いただいていたぼかしの暖簾を取りにお客様がお見えになったのですが、会話をしながら染めることが出来た。

東京からビーズ細工の遠藤さんが来た。
その直後に、先週の宇都宮の物産展で出会ったSさんがお二人で入らしていただき、楽しくお買い物。
話が弾んでいるところに、ローソクの村井さんと大山さんが庭の手入れにいらっしゃり、夕方近く、佐野の町から閑馬に引っ越しを計画中の若夫婦が、閑馬の様子を見に、二人のお子を連れて紺邑に立ち寄ってくださった。
外で話をしていると、見かけない車が入ってきて、助手席の女性が私に手を振る。
誰かな?とよく見ると、親父殿の工房で働いていたHさんが、ご主人と一緒に来て下さった。
それこそ10年ぶりくらいだけれど、親父殿の得意技を染め始めたら、当時の人が工房に来るなんて、なんたる偶然かと思うけれど、偶然はないと言いますから、面白いと感じましたね。
きっとこれから、様々な出会いが始まるか、復活するのではないかと思います。

紺邑としては千客万来、にぎやかに過ごさせていただいたけれど、最後の最後は、藍甕の手入れが残っている。
こればかりは体力と気力が必要ですので、しばし休憩をしてから致しました。

日も長くなりましたので、その後少々草刈りをしましたら、もう体力は残っておりませんでした。

遠藤さんを送りながら、買い物でもどうかとカミサンに誘われましたが、身動きが出来ない。
頭と指先は何とか動きますので、このブログを書いております。

2009年5月22日 (金)

幸せ

この時間(午後五時)に仕事が終了しました。
ずいぶん早いですが、藍の調子が良ければ、こういう事になるのですね。

今日は、綿ジャガード織りの広幅@6.5mを、藍色一枚、濃紺二枚に、2.3mの広幅一枚を縹色に染めた。
紺邑の一日の仕事量としては十分です。

その間、様々な生地の精錬も出来ましたから、明日の準備も万全。

染める格好は、写真そのままで、口の悪い奴はこれを「中腰のへっぴり腰」と言いますけれども、これが腹式呼吸の専門家の私としては理にかなったもので、鍛冶屋と天狗殿には悪いが、腰痛にならない形なのですよ。

毎日こんな具合ならば言うこと無いのですが、そうはいかないのが藍染。

つかの間の幸せでございます。

2009年5月21日 (木)

準備

小森さんに云われたことを実行に移すには、それなりの準備が要ります。
先ずは、東京に行かねばなりません。

仕込んだ大甕の藍が、暖かな陽気のお陰で、一週間で建ちました。
それを横目にして、カミサンと二人で車で東京に旅立つことにしたのですが、用というものが出来て、なかなか佐野を出させてくれません。

先ずは生地の精錬、受注した商品の発送、銀行周りと、次々に用が出てくる。
誰かが東京に行かせたくないのかと思うほどにです。

それでも何とか高速に乗りますと、なんと一時間半で五反田に着いてしまった。
用のあるビルの駐車場からエレベーターに乗ると、中の案内に「曽○工芸」という会社がある。
高○屋の催事を企画している会社で、知り合いもいるから、カミサンに「高橋さんのいる会社だよ」と言っている内にその階に到着。
ドアが開くと、なんとその高橋さんが立っているではありませんか。

「あれ、今日本橋じゃないんですか?」と、しばらくぶりにお会いしたのにとぼけたご挨拶をしてしまった。
私と同年配で、子を四人持っているところも似ている。
頭も同じ様に白くなった。
お互い仕事中ですから、親しくお話しは出来ませんでしたが、お元気そうでなによりでした。

ずいぶんと長居をいたしまして、古いお付き合いにもお会いできて、沢山の収穫を得て帰って参りました。
次回からは、また違う紺邑をお見せできると思いますので、お楽しみに。

2009年5月20日 (水)

帰還

船橋の最終日は、午後四時までという珍しいもの。
どうなることやらと戦々恐々たるものでしたが、呉服部門は早くに予算達成。
なにやら大きなものが売れた様子です。

私は始め、ちょいと弱気でありました。
疲れの所為もあるかと思いますが、カミサンに「そんな気持ちだから売れないのよ!」と渇を入れられて、よし!とばかりに薬局でユンケルを飲んできた。

そうしましたら、お馴染みの長谷川さんがお見えになったので、「最終日にどうしたんですか?」とお聞きすると、「はがきを整理したら、お宅のDMが出てきたの。知らなかったのよ」ですって。
ご主人と奥様にお似合いの新作をお見せしたら、めでたく双方ともお買い上げ。
最終日としてはそれで十分ですし、一週間の売り上げも、何とか格好が付きました。

今回は、高江さんのブログでも紹介された、小森の会長と一緒になった。
博多ドンタクで、地元のテレビ局に出演され、その時に親父殿のかご染めを着ていたら大好評だったとのこと。
またまた、「何でやらんか!」とおしかりを受けた。
そればかりでなく、この不況にどう対処すべきか、様々な示唆を頂きました。
おっしゃるとおりに、努力することにいたします。
明日から早速行動開始です。

閑馬に帰って参りましても、暑いくらいの陽気。
闇夜に蛙の鳴き声が、うるさいくらいです。

2009年5月19日 (火)

船橋通信vol.6

船橋六日目。

余りの蒸し暑さに、エアコンを除湿にして寝たほどであります。

朝のニュースで、関西の新型インフルエンザ報道がありましたが、その影響で、百貨店の入場者数が昨年の60%になっていると云います。
ある百貨店では、全員がマスク着用だそうな。
我々は、お客様との会話が商売ですから、こりゃあ困ったものだ。

「関西には行かないの?」と、ある人に言われたけれど、幸いと言いましょうか偶々と言いましょうか、関西地方に出張の予定は当分ありません。
さて、関西で催事があるかな?と考えてみたら、うめだ阪急の職人展が明日から始まるではありませんか。
杉樽の鎌田君とオンセの高江さんが出展するようで、本日、双方とも奥様を交代に寄越して大阪に旅立ちました。
高江さんは半分諦めた様子でしたが、なに、やるときはやるでしょう。

問題は、百貨店従業員に感染者が出たときですが、ひょっとすると閉鎖という事も考えられる。
しかしです、旧来のインフルエンザではそこまでやりませんね。
今回の新型が、果たしてそうする必要がある程のものなのか、厚労省にはハッキリさせていただきたいものだ。
一説に寄れば、低毒性であると言いますからね。
あの目立ちたがり屋の桝添大臣には、目立った分の責任があります。

その所為(せい)か、かの所為か、何の所為か、本日の来店客数の少なさは、船橋に長い間来ておりますが初めて経験するほどです。
社員達の感想も、同じではないかな。

不景気の上にインフルエンザ騒動だ。
政治の世界に、政権交代だなどといっている暇はありゃしません。
民主党よ、世間を良く見ろ。
厚労相よ、しっかりせい。
この二つが、現在の私の政治的意見であります(^o^)

2009年5月18日 (月)

船橋通信vol.5

船橋5日目。

蒸し暑い一日で、気力も体力も萎え気味の一日となりましたが、一週間の催事では、どうしてもこういう日がある。
マネキンさんがいればともかく、一人の場合は萎えてはいられません。
それでもいくらかはそう言う気分の影響が出たのか、今日が一番悪い成績となりました。

しかし、悪いのは紺邑だけではありません。
全体的にも良くはないが、これを景気のせいだけにしているわけにはいきません。
担当のTさんともその対処法を話し合いましたが、百貨店と出展業者が共に手を携えて、集客と販売に努力するべきだという事になりました。
その方法も、色々あると思います。

その上に、新型インフルエンザの国内感染が広がりつつあるという。
しかし、それ程強くはないのだそうな。
ならば、それなりの対応があっても良いと思うが、桝添厚労相のような目立ちたがり屋の大臣の存在は困ったものだと私思う。
大阪では、百貨店の入場客数が60%くらいになったというニュースもある。
冷静な対応を望みますね。

私達庶民は何も出来ないが、夕飯は食わなくてはならない。
筆屋の鉄、木工の志賀、漆器の一久さん、桶屋の鎌田と私の五人で、売上げに見合った中華屋で、麻婆定食。
何とか完食して帰って参りました。

まだ2日ある(^^;)

2009年5月17日 (日)

船橋通信vol.4

船橋四日目。

朝はちょっと雨が降ったけれど、ちょうど良いお湿りで、いわゆる百貨店日和というやつです。
昨今、土日祭日の高速料金が1000円ですから、皆さん何処かにお出かけだ。
雨模様なら、少しはその足が百貨店に向いてくださるかも知れません。
しかし、そう簡単でもないのが、昨今の不況です。

民主党が、代表を変えましたね。
代表選挙を注目しておりましたが、彼らにはこの不況の現実が伝わっていないようです。
相変わらず、暢気に政権交代を叫び、官僚主導型の政治を国民主体の政治にというお題目を並べているだけ。

代表が鳩山さんに決定した後、岡田さんと二人で両手を挙げていましたが、その中に小沢前代表の姿がない事に、私は違和感を感じました。
人事が決定された後の写真を見れば小沢さんがいて、岡田さんが加わっただけで、何の代わり映えもありゃしません。
ただ、小沢さんが一歩引いて、西松問題から身を隠したにすぎないと言う印象だな。

それにしても小沢さんは、身の処理の仕方が上手い!
それに乗っている新執行部は、やはり一蓮托生でしょうが、その中に今度は岡田さんが入ってしまった。
残念なように見えるけれど、今後の彼の行動に注目することにしましょう。

休憩中、携帯のニュースでそんなことを見ながら、やはり淡々と仕事を致しましたが、ちょいと販売の調子が悪い。
日光の手前、つまり今市と言うところでしたが(^^;)、6時頃に若いカップルに日傘を買っていただいて、初日くらいの売上げが出来た。

その間に、百貨店のお客様としては若い男性が、藍染に興味がある様子でお立ちになった。
カップルがお帰りになった後、藍染をご説明申し上げると、ボタンダウンのシャツが欲しいとおっしゃる。
これから作ることになりますが、実にありがたいことだ。
品物を送るために住所を書いて頂くと、東京の中野だ。
つまり、東京から千葉まで電車に乗ってお買い物に入らしたわけで、理由を尋ねれば、ホームページを見て、わざわざ紺邑の為に来て下さったという。
驚きましたが、久しぶりにHPの効用に出会いました。
毛塚さん、ありがとうございました。
帰りますと新しい藍が建ちますので、それで染めさせていただきます。

終わってから、オンセの高江さん達と一杯。
余り大人数にならずにやろうと言うことでしたが、九人も集まってしまって、ただの宴会になってしまいました。
その内高江さんとも、ゆっくりお話ししてみたいけれど、次の機会に致しましょう。
しょうがないな。

2009年5月16日 (土)

船橋通信vol.3

船橋の3日目。

淡々と仕事を致しておりますと、それなりの成果というものはあるもので、昨年並みの成績を上げることが出来ました。
多分、全体もそれなりの成績であったことでしょう。

思うに、連休が終わり、母の日が終わったこの週は、どんな催事を打ってもろくな成績をあげることは出来なかったでしょう。
百貨店から見れば職人展は、こう言うときに最適な催事なのですね。

我々からすれば貧乏くじを引いているようなものなのですが、それも存在価値だと思い、淡々と仕事をするしかありません。

 
隣のスーパーでお弁当を買って、安ワインで夕飯と致しました。
こういう、何でもない日が必要なんですね。

2009年5月15日 (金)

船橋通信vol.2

船橋の二日目は、昨日よりは成績が良かったものの、昨年の実績を大きく下回ってしまいました。
でもこのご時世では、悪くはないだろうと思う。

様々な事務処理があり、それをカミサン一人に押しつけた格好になってしまって、実に心苦しい一日でした。
それでもなんとか納まったところが、ありがたいな。

出展者達は心許す人達ばかりで楽しい催事ですが、鍛冶屋がヘルニアかなんかの手術で来ておりませんので、平穏無事に毎日が過ごせそうだ。
それはそれで、ちょいと寂しいが、一日も早い復帰を願うところです。
鍛冶屋の変わりを小林さんがやっておりますが、大変だろうと思う。
なにせあの男の歴史が深いですからね。

ゆっくり休み、明日にそなえます。。。

2009年5月14日 (木)

船橋通信

東武百貨店船橋店の「にっぽん全国職人の技と和菓子展」が始まりました。

藍染をして草刈をしてなんていうまともな生活でしたから、肉体が悲鳴を上げておりますが、久しぶりに会った方々から、「痩せたね」とか「締まったね」とか言われる。
ブラシ屋の旦那は、「顔色が良いじゃないの」と、このご時世で、我々の苦労を一番よくご存じの人ならではの皮肉を込めたご挨拶。
「外で仕事しましたから、焼けているだけですよ」と、苦労をしていないわけじゃないという言い訳をしていまいましたね。

今週は、東武宇都宮百貨店の「とちぎ・ふくしま物産展」にも出展しているのですが、船橋と宇都宮は兄弟店にもかかわらず、紺邑はいつも同時開催となってしまう。
荷物を分けなければならないのですが、昨年染め貯めた生地で商品を作っておりますから、2コースに分かれても、何とかなっています。

初日はさすが船橋で、お客様の入りはなかなかのものでした。
紺邑は、いつもの宇野澤さんご夫妻はじめ、ご常連にも来ていただき、もう少しで昨年並みと言うところまで来ましたから良しとしましょう。
宇都宮は、昨年の実績を越えさせていただいたようです。

久しぶりにブラシ屋の旦那を交え、紐の平井、漆器の一久、オーストリッチの韓さんとお好み焼きをいただきました。
関東では、自分で焼きます。
関東人は私と旦那だけですから、私が焼いた。
これが美味しい!

ビールにも話にも花が咲きましたが、特に韓(ハン)さんの人を見る目と感じ方には、一同感心しきりでありました。
どういう風にと言うと説明しきれませんが、まあ、そう言う人だということでご勘弁を。

昨年の二日目の成績は、船橋・宇都宮共に抜群。
今年はどうなることかと思いますけれど、比較はせず、一所懸命仕事に励むことにします。

2009年5月12日 (火)

益子

栃木県と言っても広ぉござんして、我が佐野市辺りは県の南西にあって群馬県に近く、那須や日光辺りは北で福島県、そして真岡市や益子町は県の東で茨城県に近く、となります。
昨日は所用がありまして、益子焼きで名を馳せております、益子町まで車で行って参りました。

北関東道路が出来るまでは、益子町に行くには、片道で東京を往復するくらいの時間が掛かっておりましたが、それが今や、一時間ちょっとで行けるようになった。
日曜日ではありませんから、高速道路代が1000円というわけには行かないのが残念だと思っていたら、インターをおりますと料金表に「割引950円」と出た。
土日祭日は、どうなるんでしょうか?

途中でお昼を食べようと思いましたら、時間が全くないことが分かり、空腹を我慢して急ぎました。
何とか間に合い、用を済ませ、せっかく益子に来たのだから、日下田さんにご挨拶しようと思い、
日下田紺屋に向かいました。
Photo 古い茅葺きの屋根が見え、駐車場に車を入れると、あまりの静けさにふと嫌な予感。
門まで歩いて行きますと、「陶芸市の振り替えでお休み」とカンバンが出ておりました。
残念でありましたが、またの機会といたしましょう。
 
Photo_2 その横には「ヨーロッパの藍草 ウォード」と書いてある植木鉢があった。
私も本物のウォード(日本では大青(たいせい)と呼ばれるアブラナ科の植物)を初めて見ました。

日下田紺屋は、ホームページをご一読いただければお分かりですが、正真正銘江戸時代から続き、その趣を現代に伝える紺屋です。

今朝の下野新聞を見ましたら、日下田さんの記事が出ておりました。
栃木県の方は、是非ご一読いただきたい。
益子に何故藍染が残ったかが分かりますが、やはり、浜田庄司さんと民芸運動の影響は大きいようです。

益子町は人口二万五千人ほどの町ですが、陶芸市には毎日その何倍もの人が来るそうです。
会場の入り口のようなところに日下田紺屋はありますので、益子にいらっしゃった折は、お訪ねになったら如何でしょうか。

そうこうする内に、空腹感が襲って参りまして、「益子焼き」というカンバンが「玉子焼き」に見えてきた。
あわてて美味しくもない遅い昼食を取り、外池酒造のお酒をみやげに、帰って参りました。

2009年5月10日 (日)

河童の川流れ

藍に関して、私も偶には間違える。

昨夜、疲れ切った身体に鞭を打ち、藍甕の手入れをいたしました。
まずは灰汁を取り、それに少々の云々とは、昨日書いたとおり。

さて今朝。
手入れをしたのだから、調子が良くなっていなければなりません。
文字通り、藍の液に手を入れましたら、「おや?」と感じた。
いわゆる灰汁の「ヌル感」が感じられません。
ティッシュペーパーを入れて色の出具合を見ると、実によろしくない。
それでも染めては見ましたが、多少は色は出ていても、染まるほどでもない。

何回か藍甕に手を入れている内に、原因が分かりました。
灰汁がだめで貝灰が足りないという、二つの理由です。
どのくらい足りないかは、感で分かります。
たぶん!?
ただいま夜の八時過ぎ。
ようやく手入れが終わりましたが、果たして明日は如何なりますやら。
楽しみだ。

この失敗を題して、「弘法も筆の誤り」にしようと思った。
「弘法」ではあまりに押しが太いと思いまして、謙遜して「河童の川流れ」とさせていただいた次第でござりまするぅ~<(_ _)>

 
そんなことで、藍染は少し休みまして、例のごとく庭の草刈り。
ふと気がつくと、千葉県は野田から入らした若夫婦が立っていらっしゃる。
草刈りに夢中で、全く気がつきませんでしたが、この間お求めいただいたTシャツを着て来て下さった。
そして、お茶を飲みながら、私の長話。
まあ、よくぞ聞いて下さった。
足利の話、政治の話、歴史の話、藍染の話と多種多様。
本当に私はおしゃべりだけれど、カミサンと出会った頃は全くしゃべらず、寡黙の人でしたから不思議。
本ばかり読んでおりまして、あまりしゃべらないので分かれそうになったことがあるくらいなのであります。

そうこうする内に、また妹が懐かしい人を連れてきた。
大下牧師夫妻です。

我が父はクリスチャンでありましたが、内村鑑三の影響を受け、いわゆる無教会主義者でした。
若かりし頃は、自由が丘の矢内原忠雄氏の家に聖書の勉強に行ったくらい熱心で、その聖書は猛勉強の後が幼い私にも分かるくらいでありました。

そんな無教会主義者の父に洗礼を与えたのが、大下牧師です。
新しく展示室を作った時、大下牧師にお祈りをしていただき、藍甕の側に聖書を埋めた。
私は、牧師の教会で黒人霊歌のコンサートをさせていただいた。
牧師は藍染の愛用者で、カナダに旅行をなさったとき、他の人たちは蚊に刺されたのに、藍染を来ていた大下ご夫妻だけが刺されなかった。
それでカナダの人たちが感心して、大分シャツを送った覚えがあります。

20090510165922_2 そんな思い出深いご夫妻ですが、今は千葉にいらっしゃる。
「これで場所が分かったから、また来るわ」と奥様。
意義深い一日となりましたが、お連れした妹にも、感謝だな。

2009年5月 9日 (土)

日記

今日染め上げなければならない正絹の反物と、10枚ほどのストールを染め始め、午後は草刈りに励みました。

紺邑の庭は1000坪を越えますから、一人で全部やろうとしたらえらいことです。
それでも始めたら止められないのが私の性格で、暗くなるまで汗びっしょりになって夢中でやりましたが、それでも出来たのはごく一部だけ。
他にやってくれる人などいませんから、明日も草刈りだ。
この数日の雨で、草の方も充実しておりますから、覚悟を決めてやることにしますv

甕の手入れも、人に任せるわけにはいきません。
夜の7時を過ぎておりますが、草刈りで消耗した体力の回復を待ち、灰汁を温めて黒砂糖を少々溶かし、貝灰を適量足して攪拌し、明日、少しだけ染めて休ませる所存。

今日も酒がうまそうだ!

2009年5月 8日 (金)

隣組

田舎には、隣組というのがあります。
私の生まれ育った所では、それを「班」に分けておりましたが、閑馬では「木戸」という隣組に属することになりました。
全部で八軒ですが、多いとも少ないとも言えません。
今朝は、世話人代表の木村さんに案内していただき、全軒に挨拶をして回りました。

主に冠婚葬祭とお祭りのお付き合いがあると思いますが、それは私も田舎育ちですので、良く分かっています。

留守がちな私に変わって、カミサンが表に立つことになるでしょうけれど、彼女も田舎暮らしが長くなりましたので、慣れたものです。

「木戸」は「城戸」で、砦を意味するのだと思います。
多分、砦のあったところではなかったかと思う。

_edited_2 紺邑の建物は、まさしく砦のようなデザインとなりましたが、これも何かの縁でありましょう。

2009年5月 6日 (水)

閑馬 園芸部 農業部 その後

一年前の春の記事に、「閑馬 園芸部 農業部」というのがあります。
その
一年前の記事からそれは続いておりました。

紺邑の4段目の土地について何ですが、それに寄れば、「ここは取りあえず、閑馬農業部の連中が、作物を作る練習場となり」なんて書いてありますが、彼らは良い先生と農地が見つかり、と言ったって、カミサンが面倒を見てくださいと頼んだのですが、そちらで「シンセキ村」というのを作って張り切っているようです。
我々は、ゆっくりとやることにしようと思います。
明日辺りは、ナスでも植えるかなんてね。
 

園芸部は健在ですが、この部も忙しくて滅多に閑馬に来ません。
しかし、部長の村井先生も、閑馬に良い住まいが見つかったので、来月辺りからはご近所さんとなります。
その新しい家には、広い庭と畑が着いておりますから、この部も存続が危ぶまれますけれど、先生達にとっては、真に良い事だと思います。
今日は久しぶりにいらっしゃいましたが、あいにくの雨だし、きれいなお嬢さんをお連れでしたので、さっさとお帰りになりました。
 

久しぶりに、溝越さんも見えた。
「海に夢中なんじゃないの」と言ったら、案の定でありましたね。
山に住みながらも船舶免許をとり、海の男らしく髪を切り、水着になっても恥ずかしくないようにジムに通っているそうな。
私が旅から帰ってくると、「溝越さんは来ているか?」とカミサンに聞くのが口癖。
元気そうで安心いたしました。
4段目を開墾してくれたので、ナスが植えられるというもの。
ありがとう(^^)/ 
 

二年前の記事には、野生の白藤の写真があります。
屋根も写っていますが、その家も新築されてモダンな家が建っております。
 

光陰矢の如しですね。

安藤勇寿「少年の日」美術館のこどもの日

東京は浅草から電車に乗り、1時間ほど平野の中を走り、ようやく丘のような山が見えてくる辺りに、佐野市はあります。
山間には、関東平野から続く沢がたくさんあり、その一つが閑馬。
閑馬の隣に、野上と言う沢があり、そこに「安藤勇寿「少年の日」美術館」はあります。
五月五日のこどもの日に開館して、今年で七年目になるそうですが、毎年イベントが開催されている。
私ども夫婦は、初めて伺いました。

入り口には交通整理の人が二人立っていて、大きなイベントを予感させる。
一杯の駐車場の端に車を止め、ドアを開けると、民謡が聞こえて来た。
「こりゃぁ、田舎のお祭りだ」と思いながら会場に足を運びますと、裸踊りをやっている。
安藤さんの奥様がいらしたのでご挨拶すると、「あの裸踊りの参加者を募っても、あの方一人だけなの。顔が見えないから、もっと集まっても良いのに」とおっしゃる。
よく見ると、確かに顔は隠していますが、ぷくっと出たお腹に顔を描いて、宴会芸のようだ。
カミサンが、「あなたもやったら」と、失礼なことを言いましたね。
私は、あれほどじゃぁありません。

ステージがあって、そこにマイクやスピーカーなどが置いてあるから、「おや!?」と思いましたが、美術館に入り、新作を拝見して出てきた頃、フルートとリコーダーの演奏が始まった。
20090505110403_2 それが一段落すると、女性が一人で民謡を歌い、すてきな紙芝居があり、和太鼓の勇壮な演奏があり、会場の其所此処には売店があって、珈琲やら焼きそばやらお弁当が売っていて、地元の陶芸家達の作品も展示されていると言った具合。

参加者の中に、野上の住人で陶芸家の浦東(うらひがし)さんがいた。
野上のもう少し奥で蓬莱窯を主宰し、南山焼をなさっている。
ここでも「*若葉祭」というイベントをするという。
野上は、こういう町おこしが盛んなようです。
これには紺邑も参加することにしました。

20090505120615 色々な演奏や紙芝居を、ゆっくりたっぷり堪能しましたが、仕事が待っているので、太鼓の演奏を最後に帰って参りました。
いつの日か、こういう事を紺邑でもやってみたい。
そして、これだけの人の集まる所にしたいと、つくづく思いましたとさ。

「*若葉祭」
日時:5月17日(日) 午前10:00~午後3:00
場所:野州「南山焼」蓬莱窯 佐野市長谷場町419
内容:「陶芸無料体験」 「展示販売」 お抹茶やお花や自然農法のおにぎりで「癒しの空間」 シルバーアクセサリーや手作りの服などの「クラフトフェアー」 「田澤 智コンサート」 「青空フリーマーケット」 お菓子やパンやすいとんやおこわや、イワナの塩焼きやキュウリや焼きそばやフランクフルトもある、盛りだくさんのイベントです。

2009年5月 5日 (火)

世相雑感 「世論調査]から

ただただ染めに勤しんでいる毎日ですが、閑馬に越してから変わったことは、テレビと新聞を見るようになったことでしょうかね。
テレビはまあ、夕食時に見るくらいですが、新聞は、読売、産経の全国紙と、地元の下野(しもつけ)新聞の三紙を購読しております。
下野は毎日新聞系列だと思いますから、バランスはなかなかよろしいと自負するところ。
ですから以前よりは、多少世情に親しむようになりました。

さて、気になった記事が一つ。
首相ふさわしい人…小泉・舛添・麻生の順、小沢メダル圏外」という、読売新聞の世論調査です。

そもそも世論調査で輿論を図ろうとすることに、私は懐疑的でありますが、これも「調査は全国の有権者3000人を対象に実施し、1810人から回答を得た(回収率60・3%)」と、日本の有権者のごく一部の意見に過ぎない。
その上、引退を表明している小泉さんが14.8%で第1位という事は、この世論調査の答えが、真摯なものではないという事ではありませんかね。
いや、「ふさわしい人」という設問であって、「なってもらいたい人」ではないと言うのなら、無意味ではないかな。

夕べは、元議員が我が家に入らして、選挙談義に花が咲きました。
先の市長選挙や、これから行われるであろう衆議院選挙についてお話ししましたが、それこそ現場の選挙民の、真の言動によって、選挙結果が出ていることが良く分かりました。
 

その昔、中選挙区制であった頃は、日本人の政治的バランス感覚の良さが選挙結果に現れていたと、政治関係者はいっていたものですが、小選挙区制になって選択肢が狭まり、その良さが発揮できなくなっておりますね。

小選挙区制を強力に推進し、実現させたのは小沢さん。
それは、政権交代を可能にするためと言うことではなかったかな。
しかし、比例代表などという中途半端なものを作ったが為に、依然として連立しなければ政権維持が出来ない状態だ。
ならば、比例代表廃止の議論が出ても然るべきだと思うけれど、政権交代を訴える民主党から、一切聞こえて来ません。

世襲制反対なんて声も聞こえてきますが、そもそも民主主義の世の中に、議員が世襲であるわけがない。
選挙に勝たなければ、民に支持されなければ、どんな議員にだってなれません。
親の地盤を引き継いで議員になることを批判するなら、それを選び議員にしている選挙民こそ、非難の対象となるべき事だと私は思いますね。
まあ、新聞社は読者批判は出来ないと言うことでしょうか。

「世襲」という言葉そのものが欺瞞に満ちたものだけれど、小選挙区制では致し方ない面もある。
ここはもう一度、中選挙区制に戻したらどうかななどと、その元議員とも話した私の意見であります。
 

世相雑感と題しましたが、新聞やテレビを見ると、何か言いたくなるから困ったものです。
誰が?私が。

2009年5月 3日 (日)

恩師

私も疲れるが、藍も疲れますから、休むときは休まなければなりません。
そこで日曜日の今日は、染めはお休み。
しかし春が訪れ、庭は草ボウボウとなっておりますので、草刈を始めてしまいました。

これが、藍染より体力が要ります。
汗びっしょりになって、休み休みやっておりますと、車が上がってきた。
誰かなと運転席を見ると、久しぶりの妹。
助手席に、どうも見たことのある方が乗っている。
妹が、「藤岡先生を連れて来ましたぁー」という。
なななんと、妹だけでも珍しいのに、我が高校時代の音楽の先生、恩師の藤岡先生がご一緒ではありませんか。
お会いするのは二十年ぶり以上かな?

栃木県と群馬県は、県立高校が未だに男女別々で、我が母校の足利高等学校も、男子校でありました。
そんな中で藤岡先生は、たった一人の女性教師として、音楽を担当していらっしゃった。
専門は声楽で、さる有名なコンクールで、優勝だか入賞だかの経験もあるほどの方でしたが、当時の泉校長とご主人が東大で同級生だったらしく、そのご縁で足利にまで入らしたそうな。

中学生の時、コーラスに目覚めた私は、入学して直ぐに音楽部に入りました。
ところが当時の部長のあいさつが気に入らなくて、これまた直ぐに退部してしまった。
そんな私だから、印象が薄いと思いきや、妹が「兄の所に行きましょうか?」とお誘いすると、「ああ、ハム一君ね」とおっしゃったそうな。

生徒は男ばかりですから、女の先生の言うことなど聞きゃぁしません。
ある時、何故か怒った藤岡先生が、「全員、机の上に正座しなさい」と言った。
そこはある程度優秀な連中の集まりだから、素直に従う。
途中で、「もう良いわよ」と先生がおっしゃたが、私と杉崎という生徒二人だけは、最後まで机の上に正座しておりました。
帰りがけに先生は笑っておられたが、そんな思い出話に花が咲きました。

私が高校を卒業したのが40年前。
その時に50才になられていたはずだから、お歳の程は推測していただきたいが、カミサンのお母さんの一つ年上。
それにしてもかくしゃくたるもので、足腰も口も達者。
笑い声も、さすがに大きく、深呼吸する仕草も、声楽家のそれでありましたね。

20090503160750_2 「一緒に写真を」と私がせがむと、快く引き受けてくださったのは良いですが、そのポーズも、かくしゃくたるものでありました。

先生の人生は、まだまだ先が長そうだ。

2009年5月 2日 (土)

紺屋の明後日

期限のある染めは待ってはくれません。

ちょいと溜まっているので、朝から染めにいそしんでおりますと、お昼過ぎに、東武宇都宮百貨店の酒見君から電話がありました。

声を聞いたとたんに思い出しましたが、本日午前11時に宇都宮で待ち合わせをしていた。

期限のある染めをしている内に、すっかり忘れてしまったのでありますよ。

彼は怒りもせず、わざわざ閑馬の工房まで来てくれました。

 

八月の「職人の技展」の打合せですが、東武宇都宮百貨店50周年を記念して、ちょいと大きくやってみたい。

ですから、大変と言えば大変で、私と酒見君のネットワークを最大限に生かしながら、二人で電話しまくって、気がついたら夕方です。

その間、染めは出来ませんから、夕方から再開。
 
それが出来るのが、仕事場と住まいが一緒のメリットですね。

 

しばらくしますと、隣組の木村さんがお見えになり、新参者の私たちを紹介する手だてを教えに来て下さいました。

隣組と言っても、7軒ですけれど、お祭りや冠婚葬祭などの、この町の習慣というのがありますから、それも教えてもらわなければなりません。
 
郷に入っては郷に従えです。

 

お帰りになってから、また染め始めましたが、この時間(夜八時過ぎ)にようやくめどが立ち、最後に甕の手入れをいたしまして終わりとします。

幸い天候がよろしいのでなんとかなりましたが、病気やけがや天候や甕の調子で、染め上がりが遅れることがあります。

「紺屋の明後日」というのは言い訳かもしれないけれど、仕方ない面もあると思っていただきたいな。

2009年5月 1日 (金)

腰痛

昨日は、国立の展示会の撤去に行って参りました。

主役は長女ですが、彼女主催のパーティーも開かれた。

総勢50人ほどの大パーティでした。
良く集めたなと思いますが、中には静岡からわざわざ来た人もいました。
ダンサーなどに囲まれて、初老の夫婦が割合なじんでいると言うのが、ちょいとうれしかったかな。

私は車の運転がありますから、全くお酒は飲みませんでしたが、その分カミサンがやりまして、かなりしゃべっておりました。
この人達が閑馬に来て、何かイベント出来れば面白い。

これも、ネットワーク。

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