09/06浜松通信vol.6 北島紺屋のことなど
浜松6日目。
久々のピーカン!
暑いくらいの朝を迎えました。
こういう日は、藍染がありがたい。
藍染めを着ることは、日陰にいるのと同じ事ですからね。
でも、終わる頃は雨になった。
やはり、梅雨の真っ直中なんでしょう。
お仕事も、午前中は実に忙しく、松本さん親子が賑やかにお買い物してくださった。
途中、「私も藍染をしていたの」というお年寄りにお立ち寄りいただいた。
「本藍染だと思うわ」とおっしゃるから話しをお聞きすると、どうも20年以上も前のことらしい。
「上野から電車に乗って行って、川で洗った覚えがあるわ。染織家の先生に連れて行ってもらったのだけれど、古いお家で、甕が一杯並んでいたのよ。三越で展示館もやったの」と、東京弁でおっしゃる。
「それは北島さんのところですね。川は小貝川でしょう」と申し上げると、「そうそう」と想い出された様子だ。
茨城の北島紺屋は、今はありません。
私が藍染を始めた頃は、まだご健在でしたから、一度は伺おうと思っていた紺屋ですが、噂に寄れば、跡継ぎがいらっしゃらなかったと言うことです。
戦後、一度は廃業をお決めになったらしい。
それを惜しんだ東京の染織家達が支えて、存続が出来たと云います。
この方の先生は、その内のお一人だと言うことでしょうから、「型染めでしょ?」お聞きすると、「そうなの、型染めよ。とても力のあった先生で、だから三越で展示館が出来たの」ということでした。
北島さんは、戦後の藍染を支えた人です。
今、私が使っているようなコンクリートの大甕を考案なさったのも、北島さんではなかったかと思います。
そう言う意味では、私も間接的にお世話になっている紺屋ですね。
私の親父殿は、藍染を広めた人だとは、わがカミサンの言葉だけれど、その工房も今はありません。
跡継ぎがいなかったから?
じゃあ、私はなんなの?(笑)
さて、お商売ですが、天気と同じで、それ以来待てど暮らせどお客様がいらっしゃらないという、泣きの涙の雨空だ。
終わり頃、昨日も来て下さって「今回は合う物がないから秋ね」と言っていたTさんがいらして長話。
昨日は歯が痛くてこらえ性がなかったのか、一着も試着なさらなかったのに、今日は歯医者さん帰りで痛みが和らいだのか、機嫌が良い。
ファッションショーが始まって、あれやこれやとご試着。
最後の一着で、「なんでこれを昨日着せてくれなかったの?」というお似合いの品があって、めでたくお買い物。
これでなんとか格好が付いた。
これも梅雨の晴れ間か。
終わってから、人事と食品と三人で一杯。
こんなご時世だけれど、将来のここをしょって立つだろう二人と楽しく会話。
酒も魚も話しも旨かったな。
昨日今日と、二晩だけの宴会でしたが、こんな閑かな浜松の夜は初めてです。
これもご時世か、私もみんなも年取ったのか。
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