ダムと神社
群馬県みどり市の三嶋神社に行ってまいりました。
ルートは、閑馬から飛駒に入り、桐生市の梅田ダム(桐生川ダム)を抜けて北に向かい、山間に入り、地図にない林道の峠を西に抜けて草木ダムの下を行き、122号線から三嶋神社に行くと言うコースです。
片道約45㎞。
とにかく目的はお参りすることですから、先ずは三嶋神社にお参りし、帰りに旧東村神戸(こうど)の太郎神社前にある蕎麦屋でお昼をいただいて、帰りしなに草木ダムの真下に出ました。
ここは、私のふるさとを流れる渡良瀬川上流にあるダムで、1967年工事に着手し、1975年完成ですから、私の子供の頃にはありませんでした。
ここにたまった水は、我々の住む佐野市や足利市にも供給されておりますが、その多くは首都圏に供給されているようです。
ご多分にもれず、ここでも反対運動はあった。
足尾町と桐生市の中間にあり、双方へのアクセスに便利な土地柄とあって、定着していた住民も多かった為に、それは激しいものがあったそうな。
結局は、東村神戸(あずまむらこうど)と沢入(そうり)地区などの住民230戸が水没したということです。
首都圏に水を供給している北関東のダムには、各々こういう物語があることを、供給されている側はご存じなのかと、八ツ場ダム問題の報道を見る度に思います。
ダム建設反対の方々は、こういうダムも必要ないとお考えなのだろうか。
それとも、既存のダムは必要だけれど、もう腹一杯だから、八ツ場ダムなんていらないよと言うことなのでしょうか。
八ツ場ダムの計画は1952年ですから、草木ダム着工より古い話です。
この二つのダムだけでなく、その他のダム建設と首都圏への水の供給問題は深く関わり合っていたなどと言うことは、想像に難くないことだ。
ひとつ八ツ場ダムを取り出して済む問題とは思えませんし、その経緯と歴史をないがしろにするというのは、冷たい仕打ちだと私は思います。
さて、私個人としてはどうかと言いますと、長く渡良瀬川沿いに暮らしましたので、このダムに関しては、ちょいと複雑な気持ちを持っております。
八ツ場ダムも同じ事。
草木ダムからまた峠を抜けて、桐生川ダムにでた。 ここは1982年竣工ですから、もっと新しい。
私たちはここを、「梅田ダム」と呼んでおります。
桐生市梅田にあるからですが、梅田という土地は、織物や民工芸の盛んなところです。
桐生からこのダムに向かう道すがらには、木工や染色や織物の工房がいくつもあります。
梅田は水がきれいなところで、その昔、サントリーがウイスキー工場を造ろうとしたくらいです。
当時、まだ景気の良かった桐生の織物業者達は、働き手を取られるという理由で反対したそうな。
現在の桐生の織物産業の現状を見ると、勿体ないことをしたと思いますが、致し方ありませんね。
このダムにも、私は複雑な思いがある。
その理由は、草木ダムと同じです。
長くなるので、その思いは次回に。
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