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2009年10月

2009年10月29日 (木)

大阪上本町

Title02

本日29日から、近鉄百貨店上本町店で「職人の技展」の前期が始まります。

紺邑も出展しますが、今回は、私が野暮用で日曜日まで行けませんので、カミサンが行っております。

その昔、一日だけ行ったことがありますが、大阪の方にはカミサンはほとんどお初であります。

どうか、優しくしてやってくださいませな。

私は工房で、仕事中であります。

2009年10月27日 (火)

ホームページ制作

ホームページを如何に作るか、それをどう活用するかということは、私たち紺邑としては重要な事となるかも知れません。

だけど、何も解らないから勉強しなければならない。
それには先生が必要だけれど、商工会議所がなにかの制度を利用して、コンサルタントを紹介して下さった。

今日はそのミーティングをさせていただいたけれど、色々なことが解ってきましたね。

レンタルサーバーの利用の仕方、選び方。
ホームページの基本的な作り方とサイトへの登録の仕方。
ショップを作る基本と考え方等々・・・

とにかく予算がありませんから、全部自分でやります。

コンサルタントの方も、私の作ったホームページを見て、「ここまで出来たのですから、ある程度出来るでしょう」とおっしゃって下さった。

とにかく急いでショップを立ち上げたいけれど、コンサルタントの方が作って下さるわけではありませんし、これがまた一からだから、勉強ばかりでね。
頭が痛くなったから、休みます。

えらいこっちゃ!

2009年10月25日 (日)

天草から 歴史

朝八時半にホテルを出て、天草市の郊外にある鈴木神社にお参りしてきました。
車を降りたとたん、連れて来て下さった甲斐さんに「ありがとうございます」とお礼を言ったほどに、素晴らしい風情でありました。
天草と言えばキリシタンですが、そこに神社が建ち、何百年も民衆から大切にされていると言うことが感じられるのです。
 

この小さな島には、沢山の物語がありますね。
神社からの帰り、改めて島の景色を見ると田や畑があるけれど、重税に喘いでいた島民の働く姿が見えるようでした。
 

帰りの車中、「皆さん、楽しそうで何よりでした」と甲斐さんが言った。
皆さんとは、お客様もだけれど、ご自身を含め、ご協力を頂いた方々全てを言うのだそうで、私は安心しました。
毎日酔っぱらい、好き勝手なことをほざき、議論もしましたので、「不快な思いをさせたかな?」と、ちょっと不安に思っていたところがあるからです。
まあ、本当のところは解りませんが、この人はおべんちゃらを言う人ではありません。
甲斐さんとは、来年の2月の再会を期して別れ、夕方家に帰って参りました。
 

その昔は、栃木(下野)の人間が天草を訪ねると言うことは、徒歩と少しの船旅しかなかったから、思いの外であったに違いありません。
私の若い頃だって、夜行列車で熊本まで一日がかりだったし、そこから天草までは、もう一旅だったと思う。
それに思いを馳せることが、歴史を見ることなんだろうと私は考えるのだけれど、そう思うと天草に行ってきたことだけでも感慨深いですね。

現代の私は、天草を朝九時過ぎに出て、自動車と飛行機と電車を乗り継ぎ、夕方六時には栃木に帰ってくることができた。
その間の時間の中には、なにも歴史がありません。
我々は、思いを馳せることでしか、歴史の中の人々と会話が出来なくなっていますね。
いや、それは昔から同じ事だったろうけれど、思いを馳せることが出来なくなっていると言った方が良いのかも知れません。

私が灰汁で藍を建てることが出来たのは、歴史と語り合うことが習慣だったからだと思っています。

2009年10月24日 (土)

天草通信 めまい

天草の展示会が終わりました。

この会場がオープンしたのが今年の7月だと言うことですから、未だ幼い会場だけれど、始まって以来の賑わいだったそうな。
お客様も個性豊かで、皆さん何か一つ、文化活動をなさっている感じでしたね。
いや、こういう展示会は、そう言う方々がお集まりになると言うことなのかも知れません。

 
今回の展示会をコーディネートして下さったのは、甲斐さんの高校時代の同級生で大きな病院の奥様。
この方の力が大きかったな。
毎日会場に詰めていただき、お昼もお茶も珈琲も用意して下さり、もちろん接客も。
ついには販売のお手伝いまでして下さった。
もちろん、ご自身も沢山!

ご主人にもお世話になったけれど、私と同じ団塊の世代。
そして、少し先輩。
お医者様なのに話題豊富で、私の展示方法まで、様々なことを教えていただきました。

鈴木神社の宮司にも大変お世話になったけれど、その深い教養にも驚かされた。
今西錦司から生物学の話し、高橋義孝、吉田健一には直接教わった口だそうで、天草の歴史から美術工芸まで、様々なお話しを伺いました。
 

毎日毎晩宴会でしたが、天草は魚の美味しいところです。
しかし、素材があって料理がない。
せいぜい、魚の塩焼きあら炊きかすり身の天ぷらくらい。
後はお刺身。

それで十分ではあるけれど、鱧(ハモ)も穴子も捕れるのに食べないらしい。
何故かと言えば、料理方法を知らないからと言います。
勿体ないな。

東京で食するコハダの6割以上が、ここで取れた物と聞きましたが、これはショックでありました。
これもやはり、酢で締めずに刺身で食します。

 
片付けが終わりましたら、珍しくめまいが致しました。
しばらく椅子に腰掛けてボーッとしておりましたが、なかなか納まりません。
部屋に帰っても、やはりふらふらしているし、血が足の先まで流れていない感じだ。

ひょっとすると、魚ばかりで肉を食していないせいかと思い、甲斐さんに最後の晩餐のお誘いを頂いていましたが、お断りして久々に肉を食べた。
旨かったな。

ゆっくりと風呂に浸かりましたが、血液の流れを感じるほどでありました。
やはり、疲れは否めませんね。
めまいが魚の所為であるわけもありませんや。

めまい」という小椋桂の歌がありますが、私の愛唱歌なんです。
「時は私に めまいだけを残してゆく」という歌詞。
鈴木神社の宮司は、これまた小椋桂に良く似ていらっしゃる。
もちろん、このめまいはその所為であるわけもない。

2009年10月23日 (金)

天草通信 天草

天草の3日目。

天草市は、2006年の本渡市、牛深市、有明町、御所浦町、倉岳町、栖本町、新和町、五和町、天草町、河浦町の2市8町が合併によって出来たものらしい。
人口は合わせて約95,000人ほど。
私のいるのは多分、その中心の旧本渡市なのだろうけれど、市街地人口は45,000人ほどであるらしい。

佐野市よりも小さい町ですが、そこで展示会をさせていただいているわけだけれど、商売が成り立つところが面白いですね。

しかし私は、作家とか工芸家とか言われる方々が開催するこういうイベントになれていません。
ただの職人だと思っていますからね。
しかし、こういう生き方もあるのだなと、感じさせていただいてもおります。

展示方法も、お客様に言われたけれど、わたしのは素朴すぎるらしい。

そして、こんなに沢山商品も要らないらしい。

一つ一つを見せることが、大切なんですね。

商品の展示も目的も、デパート催事とは違うものであるべきだという。

なるほどと思っておりますし、勉強になりますがしかし、新しい道に進むのは、勇気が要ります。

 
毎日宴会をしておりますが、今日は熊本の陶芸家が入らした。

話しは多岐にわたりましたが、少し熱い議論になった。

終わらずに、この歳で二次会。

この小さな町で飲み屋街みたいなところがあり、またそこで熱く語り合いましたが、気が付けば我々は、団塊の世代・全共闘世代だ。

議論も仕方ありません。

 
何故私が天草にいるのか、まだ解りませんが、考えなければなりません。

2009年10月22日 (木)

天草通信 リカ

天草二日目。

さすがに出だしはのんびりしたものだったけれど、昼近くになってからお客様が入り出して、今日も忙しい日を過ごさせていただきました。
 

終わってから、天草に住む旧知のリカが、家族で迎えに来てくれて近くの温泉で一っ風呂浴びて参りました。
結構なもので、疲れが吹き飛んだ感があります。

 
リカは、横浜生まれの横浜育ち。
染色の学校を卒業し、さる有名な染織家に弟子入りし、その後も、様々なところに勤め、どういうわけか熊本に就職。
しばらくして、熊本の建築関係の人と2000年に結婚。
相手が天草生まれだったので、現在は天草に住んで百姓の奥さんをしています。

結婚式には、私や久留米の省ちゃんや、ブラシ屋の高橋さんや水晶の大森君が出席。
想い出すと、私が親父殿から独立して、一番大変だったときだった。

そんなリカも、七歳と一歳半の子供の母親になり、両親も横浜から天草に呼んで一緒に暮らしている。
浜っ子もすっかり天草人だ。

考えてみると、私は日本中に知りあいがいるな。
有り難いことです。

2009年10月21日 (水)

天草通信vol.1

天草初日。

どうなることかと始まりましたが、千客万来は言い過ぎとしても、とても忙しい一日だったことは間違いありません。

甲斐さんの同級生のお力が大きいと思います。

成績も悪くありません。

驚きましたね。
 

終わってから男性社員全員と、甲斐さんのお仲間を交えて懇親会で、魚屋さんがやっている料理屋さんに行ってきましたが、何とも言えず美味しかった。

ここは予約取ることさえ難しいといいますが、さもありなんで、安くて旨い。

とにかくおしゃべりにも花が咲きましたが、今回は、私だけがしゃべっているわけではありません。

伺うことも多くて、とても勉強になっています。

あと三日だけれど、明日は旧知の里香が、ご主人と一緒に温泉に連れて行ってくれると言いいますから、楽しみにしています。

どうも、よい仕事をいただいて、甲斐さんには感謝ですね。

2009年10月20日 (火)

天草

熊本県は天草におります。

鶴屋は熊本の老舗百貨店。
「職人展」のような催事に来たことはあるけれど、今回のような美術工芸主宰の二人展に来るのは初めてのこと。
それも、天草でだ。

天草店は、事務処理機能だけある店舗だったのだけれど、7月から、展示販売のスペースも出来、販売も始めたとのこと。
そのオープンイングに、木工作家の甲斐さんが展示会を頼まれたらしいのですが、さすがに時間がなくてお断りし、今月、紺邑の大川と一緒ならと言う条件で出来た二人展です。

二人で40坪の広さを使いますが、よくデザインできたと自画自賛。

終わってから、甲斐さんの知りあいの方々と夕飯。

話題もメンバーも多岐にわたり、話は尽きませんでした。

特に、後から入らした鈴木神社の宮司様との会話は、興味深かった。

私が、「生物学的に」なんて話しをすると、それを受けて今西錦司の話しをなさる。
今西さんの話をしようとしていた私は、驚くばかり。
余りに驚いたので、その話は後日とさせていただいた。
こういう事も珍しいですが、驚きましたね。

とにかく、天草に私がいることだけでも不思議。
その不思議の意味を探りつつ、土曜日までの四日間を過ごさせていただきます。

2009年10月19日 (月)

09/10藤沢通信vol.6 訃報

商工会の方々とミーティング。
今後の経営に対して色々教えていただき、本当に勉強になりました。

世の中の消費不況は、物を作って売っている当事者としては、経験の無いほどの物です。

仲間内で最高の成功者の友人から昨夜電話がありましたが、「会社創立以来、始めて売上を落としているよ」と言っていましたが、そうだろうなと思う。
テレビや新聞のニュースを見ると、政治家は遊んでいる様に見える。
もう一つ言えば、暢気なもんだとも思う。

しかし、自分は生きていかなければなりませんから、この状況を「災い転じて福となす」という様にしなければなりません。
または「ピンチはチャンス」ということでしょうか。

明日から熊本への数日の旅ですが、その間、また工房の行く末そしっかりと考えてみようと思います。

それにしても、やることがあると言うことが有り難いな。
 

ここまで書いて、突然メールが入りました。
岡崎の中島さんのお嬢様からですが、中島さんがお亡くなりになったとのこと。
まことに残念でたまりません。
このブログで「藍染め」としてご紹介させても頂いたけれど、私に藍染を教えてくださった方でもある。
ご当人はそんな気はなかったかも知れませんが、お話しをしている中で、ご自宅で藍甕や作品を見せていただいた中で、沢山のヒントを頂いた。
それが、現在の紺邑の色に反映させていただいているのです。

私と会うと、いつも帰り際に、「来て良かった。元気をもらった。帰ったらまた染める」とおっしゃっていたその言葉が忘れられません。

貴重な仲間を失った気持ちです。

心からご冥福をお祈りいたします。
中島さん、ありがとうございました。

09/10藤沢通信vol.5

藤沢5日目。

最近の百貨店は、土日どちらも成績がよいと言うわけには行かないようで、今日の日曜日はお客さまがなかなか寄って下さらない日でしたね。

それでも、常連さんに何とか支えられましたが、そう言うお客様が居なかったら悲惨でしょうね。
恐ろしい感じがします。

今日から横浜に宿を取っておりますが、これはいつものこと。
横浜の空気を吸うだけで、心が落ち着きます。
私の第2のふるさとです。

明日はちょいと工房に帰りましてミーティングをやり、直ぐに帰ってきて、明後日朝早く、熊本に向かいます。
こんな無理なスケジュールに何が隠れているのか、楽しみで仕方ありません。

2009年10月17日 (土)

09/10藤沢通信vol.4

藤沢4日目。

昨夜、遠田さんと日本酒をやりまして、ちょっと睡眠のバランスが崩れております。
早寝早起きが過ぎるんです。
何せ何時寝たか覚えて無くて、午前2時半頃にはちゃんと起きてしまったのですから。
だから、眠いこと眠いこと。

何故か藤沢は、例年土曜日の成績がよろしくありません。
ところが今回、社員の方々が新作のショーツを買って下さって、あっという間に目が開いた。

その後もポツポツとお客様が入らしてくださり、去年とは比べものにならない成績となりました。
何せ去年は、お茶を引いたのですから。

来週の熊本鶴屋天草店の二人展に、商品を出荷しなければならず、ただでさえ少ない商品を、間引きして送りました。

身を削る想いですが、仕方ありません。

藤沢の日程を、私は一週間勘違いをしていまして、そこで様々なスケジュールを組んでしまった。
そのツケがこれから回ってきます。

覚悟して来週を迎えますが、これも何かの縁だと思っていますから、何が起こるか楽しみでもあるな。

2009年10月16日 (金)

09/10藤沢通信vol.3 正絹反物の無地染めの物語

藤沢3日目。

お昼時、昨年ワンピースをお買い求め頂いたお客様が入らした。
「この夏は、あれで快適に過ごせたわよ。洗うと泥のような色が出るのね。それで、とってもきれいな青になったわ」と、うれしいことをおっしゃってくださった。
それから商品を物色なさり、すこし体の大きな方なので、ベストとブラウスを特注なさった。
これだけで、最低目標の売上を達成させていただいたけれど、この百貨店はこういうところ。
数は少ないけれど、私たちにとって良いお客様がいらっしゃる。
 

携帯電話に、名古屋のお客様から電話が入っていましたので、こちらから掛けさせていただいた。
「届いた反物を見ました。感動して涙が出てきた」とおっしゃってくださった。
それを聞いた私も、涙が出てきた。
この正絹の反物には、物語が詰まっております。

一年かかる約束でお預かりした。
ところが、工房を引っ越さなければならなくなり、染めるに染められず、一年が過ぎた。
新しい工房が出来、ようやく染め始めたけれど、糸の質の問題もあってなかなか藍が染まらない。

正絹の反物を無地に染めるには、気をつけることがある。
それは、染める度に藍を定着させること。
色が落ちて、帯が青くなる様ではいけませんからね。
これが、なかなかに根気がいる。

反物を斑が出ないように藍に浸け、それをしっかり二度洗い、しばらく水に浸けて置いてから天日干しして乾かしてからまた水に浸け、繊維の間だから空気を完全に抜いて、また染める。
一日に一度か二度しか藍甕に入れられないし、天気の時しか染めることが出来ない。
それを一年続けたけれど、色が着かない。
お客様に説明したけれど、「なんだかんだ言って、本当は染めていないんじゃないの?」と疑われてしまった。
そこで、名古屋に途中経過の反物を持って行ってお見せして、納得いただいた。

そこから半年後、気が付くと斑が出てしまった。
原因は様々だけれど、これを消さなければならない。
必死で方法を考えてまた染めだし、洗い、半年ほどかかって見た目はきれいに染まり上がった。
それをまた洗い、天日干しし、また洗い、天日干しをし、というのを繰り返し、また何度も染めと洗いを繰り返して、今年の春、ようやく染め上がった。

今年の夏に、名古屋にお持ちしたけれど、お客様はお見えにならなかった。
お電話したけれど、だれも出ない。
仕方なく、持ち帰った。

名古屋の百貨店の担当者に、このお客様から「五年も前に頼んだ染め物が、まだ届かない」と電話が入ったらしい。
クレームになってしまった。

この間の経過は、染めた私にとっては、筆舌に尽くしがたい物だったから、こちらからお電話して説明させていただいたけれど、染め上がった物をお見せしなければ、それを解れと言うのも無理だろうと思い、送らせていただいた反物だったのです。

それをご覧になって「感動して涙が出てきた」とおっしゃってくださった。

多分、そういう色に染まってくれたのだろうと思う。

これこそ、甲斐があるというもので、私も久々に涙が出てきた。

長い書き込みになりました。

2009年10月15日 (木)

09/10藤沢通信vol.2 餅は餅屋

諸般の事情でDMを出すのが遅れまして、昨日の初日に皆様のところに着いていることと思います。
今日は何人かのご常連にお出で頂きましたけれど、ちょっとご覧になってまたいらっしゃるとのこと。
皆様ご近所なんです。
それを待って、こちらもゆっくりさせていただいております。
例年、こんなものです。

接客テーブルという物を用意していただいておりますので、そこで事務仕事が出来るようになっております。

ホームページが変わりますと、全ての書類もリーフレットも名刺も、書き換えが必要です。
急なことですから、全部自分でやるしかありません。
駅向こうのビッグカメラに行って、ラベルと名刺の台紙を買って参りまして、パソコンのソフトで作り上げました。
明日印刷すれば、当分は大丈夫でしょう。

印刷機はもちろん、携帯用の小さい奴を持っております。

 
ホームページ制作は、なかなか進みません。
やる度に、しなければならないことが分かって、全部が暗中模索状態ですから、ゆっくりゆっくり進んでおります。

取りあえず立ち上げたけれど、これを検索してもらうにはどうしたらいいのだろうと、ふと思った。
いろいろ調べたら、YahooやGoogleやMSNなどの検索エンジンに登録しなければならないらしい。
どう登録したらいいのか、また調べたら、すこしづつ分かってきて、本日登録を致しました。

ネット販売もしてみたいが、それには商品をページ上で見せなければならない。
大きな写真にすると、重くて開きにくいから、写真を軽くして載せたい。
そうすると、商品が良く分からないから、クリックすると大きくなると言う方法にしたいと思った。

さて、これも方法が全く分からない。
失敗だらけだったけれど、どうにか出来るようになった。
だけど、まだ分かっていないらしいので(なんで出来るようになったか、分かっていないらしい)、また明日挑戦します。
参考までに、その
ページです。
写真をクリックすれば、大きな画面が出て来るはず。
ところが、一枚だけどうしても出来ない。
何故出来ないかが、わからんのですよ( ̄Д ̄;;

 
分かったことは、やっぱり大変だと言うことだけれど、そんなことは当たり前ですね。

これを、ソフトも使わずに作っている人がいるなんて、信じられませんが、餅は餅屋と言うことは、やはりありますね。
片手間で出来る事じゃーないようだ。
でも、出来るだけやります。
別に苦でもありませんからね。

2009年10月14日 (水)

09/10/15藤沢通信vol.1

藤沢の初日。

始まる前に、川連漆器遠田さんが売り場に来た。
小田急藤沢店の5階には、上り下りのエスカレーター前に、私たちの出展スペースがある。
今週は、下りは私だが、上りは熊野の化粧筆屋が出ている。
開店前に何で居るのだろうと思ったら、食器売り場の中で「川連漆器特集」というのをやるのだそうな。
それで合点がいきました。
賑やかな一週間になりそうです。

さて初日、18:30閉店になったくらいですから、どんな変化があるのだろうと思いましたが、元々がそれ程人混みがあるというお店ではありませんから、余り感じられませんでしたね。
売上も、最低目標にあとわずかで、昨年実績より良いという、まずまずの滑り出しです。

変化を感じたのは、お店の裏のエレベーターです。
何度も乗ったのですが、余り待たないで済んでいます。

2009年10月13日 (火)

藤沢へ

とにかくここ数日、なんとも忙しい日々を送り、今日も今日とて午前中は大忙し。

それでも藤沢に行かねばならず、何とか佐野新都市のバスターミナルから15:50発の新宿行き高速バスに乗り込みました。
座席がなんと1-Aで、最前列の一番見晴らしの良いところ。
お陰で西日が眩しく、寝損ないました。

16:50王子駅前で下車。
京浜東北線に乗り換え、東京駅から藤沢に着いたのが18:04。

小田急に向かうコンコースを歩いていると、「大川さぁーん」という大きな声が聞こえた。
長崎の鼈甲屋でしたが、仕事を終えての帰りで、私と入れ替わりらしく、「席を温めておきました」と挨拶された。
この男は伝統工芸師のちゃんとした職人なのだけれど、最近は、百貨店に出展する事に喜びを感じているらしく、生き生きしています。
まだ、経験が浅いのですね。

その点私などは、百貨店からも企画会社からも、すれっからしだと思われているかもしれない。
内心は、毎度新鮮な緊張感を味わっているのですけれどね。
本当です。

売り場に着くと、鼈甲屋の荷物が積まれていて、私の物は何もない状態だ。
荷物を待っていると、百貨店の閉店時間を告げるアナウンスが聞こえて来た。
時計を見ると18:30だ。
「あれ!?間違えているんじゃないの?」と思った。
半年前に来たときは、いや、もう十年以上も、小田急藤沢店は19:30終わりだったはずだ。
近くにいた社員に、「間違っているんじゃないの?」と聞くと、9月から18:30閉店になったのだそうな。

時代でありますなぁ~Σ( ̄ロ ̄lll)

 
ようやく荷物が到着し、什器も揃ったところで展示を始めると、身体が重くて仕方ない。
芯に疲れがたまっているようです。
「こりゃだめだ」と早々に止めて、ホテルにチェックイン。
ここは大浴場があるそうなので、ゆっくりと湯に浸かって足を伸ばし、疲れを取って明日に備えることと致します。

2009年10月12日 (月)

テレビ

今日は「体育の日」だとか。
「そりゃ、10月10日だろ!」っていうのは、もう年寄りって事でしょうか。
昭和39年の東京オリンピックに因んでのことだったはずだけれどな。

テレビが盛んになったのは、オリンピックと皇太子殿下と美智子様の御成婚が契機だそうですが、そう言えばここに書いたように、まだ街頭テレビがあった時代から私は生きている。
年取っているわけだ。

テレビは、民主党が政権を取ってからニュースが気になって、以前より見るようになりました。
それでもまだ我が家は、地デジにもなっていなくて、BSももちろん入らないただのアナログ放送だった。

本日、ようやく地デジでBSも見られるようになりました。

山間部ですから、アンテナの設置には大分苦労をしたらしいけれど、これで今日から一人前だ。
HDDとDVDという、これから古くなるものも役に立つ。
映画も見られる。

と言うことになって、早速明日から出張だ。

上手くいきませんね。

 
ホームページ制作は、着々と、ゆっくりと進んでおります。

やる度に発見があって、簡単ではありません。
そりゃそうでしょう。
プロのいる世界なんだから。

でもね、少しこの世界の事が分かりましたね。
何せ私は、サーバーがどんなものかさへ知らなかったのですから。
 

ホームページが急になくなったことは、色々影響がありそうだ。

近所の溝越さんが、「突然ホームページが消えたんで、どうしたんだろうと来てみました」と言って訪ねてきてくださった。
ご近所でこうですから、遠方の方はもっと心配してくださっているかもしれません。

ただ、紺邑が法人として小さいものだからこれで済んでいるんでしょう。
大きな商いをしていたら、ただで済む事じゃありません。

しかし、災い転じて福となすと言うこともある。
そうなるように、がんばっております(^_^)v

2009年10月11日 (日)

ライブ

今日は久々にライブをやってきました。

予算がないのでギターの弾き語り。

マイク無しでやろうとしましたが、結果はあって良かったな。
まあ、無ければ無いなりにやりましたけれどね。

正直、疲れました。
でも、偶には良いかも知れません。

今年はジャズを少しやろうかなんて思っていたのですが、ご時世が許しません。
その内、出来るようになるかも知れない。

 
ギターを弾きましたが、普段練習なんてしやしません。
最後の最後に、何と、左手の人差し指が動かなくなった。
こんな事は初めてだけれど、自業自得です。

アンコールなんぞをいただいたのでどうしようかと思いましたが、何とかこなした。
こう言うのを、「昔取った杵柄」というのでしょうか。

二十数曲、歌って参りました。

2009年10月10日 (土)

ホームページを作ると言うこと

寝ても覚めても、ホームページの内容をどうしようかと言う事ばかり。

全く無知のところから始めたのですが、HTMLのことなどは大凡の内容を把握できた。

niftyを調べると、ブログと同じようなホームページ作成サービスがあったので、そのページを熟読。
何とか、ネット上に立ち上げる方法も分かった。

次に、随分前に息子に買ってやった「ホームページ・ビルダー」を引っ張り出してインストール。
ところがこれが、マニュアルも何もなかったから、全く理解出来なかった。

そこで本屋さんに行って、「これからはじめる ホームページ・ビルダーの本」という、薄っぺらな超初心者向けの本を買ってきて、書いてあるがままに、それこそ虚心坦懐にやってみたら、何と出来てしまったと言うわけです。

内容の良し悪しなどは二の次で、取りあえず、ホームページを立ち上げられたことに意義があると、自分では思っています。

これで、かなり知識が深くなったけれど、これがここ数日間の出来事。

 
私も齢59歳。
良くやっていますけれど、これも、経験がものを言っていますね。

その昔、ワープロが流行りだした頃、三日三晩徹夜してキーボードを打てるようになった。
これが役にたって、企画書やイベントの進行台本や運営マニュアルも、全て自分で書けるようになった。

パソコンもインターネットも、1995年からいじりだした。
ハードディスクが6ギガで大きい方で、10ギガが大容量と言われた時代。
もちろん、ダイヤルアップしかなかった。

ワードはワープロと同じだからなんとかなりましたが、エクセルで表計算が出来るようになるまで7年掛かった。
今は、日計表も自分で作れる程度にはなっている。

インターネットの世界を知らなければならないと思って、随分昔から掲示板(もう一人の紺邑さんの様なものではありませんよ)などにも参加してきたから、ネット上ではくそ度胸みたいなものもついていて、余り慌てることもない。
ブログをはじめたお陰で、画像データの扱い方やリンクのさせ方なども覚えた。

 
正直、こういう経験がなかったら、とてもホームページを自分一人で作れなかったでしょうね。
また、作れるとも思っていなかった。

それを後押ししてくれたのが、オンセ高江さんのホームページ
何と、奥様が作っているらしい。
それなら私に出来ないはずがないと、一念発起させてくださった。

 
今日、サーバーを変えました。
だから、昨日と今日ではアドレスも変わっています。
どうぞ一度、お立ち寄り下さい。

2009年10月 9日 (金)

ホームページ開設!

紺邑のホームページを作りました。

もちろん、私一人でです。

やれば出来る(^_^)v

 
たった今、立ち上げたばかりなので、これから修正しますが、腹が減ってたまりませんので、これから夕飯。

酒が入ってしまえば、また明日だ。

2009年10月 8日 (木)

台風 その後

ここ佐野市閑馬町に、いつ台風が来たのでしょうか?

朝起きると、風は多少ありますが、雨は降っていない。
天気予報を見ると、長野から新潟にいるというのに、台風らしい気配がない。
山に囲まれた沢だからなのでしょうか。
隣の沢の水量を見ても、いつもと変わらずチョロチョロだし、閑馬川には全く水がありません。

それでも工房はお休みにしました。
こんな事でもないと休めませんのでね。

でも、全く仕事がないなどと言うことはありません。

カミサンは布の精錬に、私はパソコンに向かってなにやら仕事を一日中しておりました。

近日中に、その成果を披露できるやも知れません(^_^)v

2009年10月 7日 (水)

台風

大きな台風が近づいているようです。
この辺りでは、例の「キャサリン台風」が最大の被害をもたらした。
これを「キャスリーン」と呼ぶ人もいますが、当時の人達は皆「キャサリン」と言っていましたので、私もそう呼んでおります。

それ以来、たいした被害もないのですが、水害よりも崖崩れの被害が多くなった。
つい最近の大雨でも、裏山の家の崖が崩れ、閑馬の一番奥の道も通れなくなってしまいました。

「台風の目」は、記憶では子供の頃一度だけ経験したことがある。
私は小学校の庭にいたように思う。

東京にいた頃は、神田川や善福寺川の氾濫は大雨の度ごとだった。
特に高田馬場辺りの神田川は酷いものでしたが、最近は改善されたようで聞きませんね。
今そこに義母がいるのですが、心配しなくて済むだけでも有り難い。

皆様のところではどうでしょうか。
お気をつけ下さいませ。

紺邑は、明日の雨が余りに酷い場合は、お休みにします。
倉庫の片付けも、しっかり致しましたしね。

2009年10月 6日 (火)

寒い!

急に寒くなりました。
紺邑では朝晩、軽く暖房を入れるようになりました。

 
さて、藍の調子が実によろしい。
もちろん、喜ばしいことこの上もありません。
 

三週間ほど前、工房の全ての甕から色がなくなりました。
夏から秋にはいると、いつも藍は体調を壊します。
これを「風邪を引く」なんて言います。
しかし、このまま放って置くわけにも参りません。

じっと考えまして、思い切った手入れを致しました。
そうしましたら何と、捨てようとしていた藍まで復活!
これは一つの開眼であります。

長年藍建てをしていても、こういう事があるのですね。

もう半年以上も寝ている、すくもが2俵も入っている大甕があります。
この方法で、ひょっとすると目が覚めるかも知れません。
近々、根本的な手入れをすることになるでしょう。

 
3時のお茶休みに、ふと外を見ると、秋桜が咲いている。

20091006153042 この間の「健康グッズフェアー」の時、この辺りの草を全部刈り取ってしまおうかと一瞬考えましたが、刈らなくて良かったとしみじみ思いましたね。
美しいものだ。っと言っても、私の写真ではね(^^;)

 
このブログをアップグレードしました。
少し、見栄えがすっきりしたはずなんですが、お分かりだろうか?

そうしますと、今まで分からなかったことも分かるようになるから、現金なものです(笑)

「ブログ見ているよ」と言われる事が度々だけれど、どうも見ている形跡がない。
可笑しいなと思うと、携帯でご覧になっているのですね。
このブログのカウンターには、それが反映されないようになっていると言うことも、今回初めて分かったこと。
携帯のアクセス数を見ると、4万を越えておりました。

携帯でご覧になっている読者に、感謝m(_ _)m

歴史

紀元前4500年前のインダス文明の遺跡から、藍染の工房跡が発見されたと言いますから、かれこれ6500年の歴史を持つことになります。

現存する最古の藍染の布は、エジプトのミイラを包む「マムミー布」にありますが、これもかれこれ4000年前の事。

日本には1800年程前に、中国から入ってきたのではないかと言われていますから、世界から見れば、日本の藍染は比較的新しい文化です。

それにしても古い事ですが、約7000年の長い間、藍染が人間の生活の中で生き続けてきたのにはそれなりの理由があったはずだと、紺邑は考えています。

2009年10月 5日 (月)

ホームページの代わり もう一人の紺邑さん

夜のこの時間(午後八時)も、まだ藍染に勤しんでおります。
ご注文の品が間に合わないからですが、もう少し掛かりそう。
嫌いな仕事ではありませんから、苦労はありません。
それでも腹が減っては戦は出来ませんから、今夕飯を取りまして、しばし休憩中であります。

ホームページが無くなりますと、その影響は具体的にアクセスに現れますね。
あまりにも唐突な出来事ですから、紺邑が行方不明になったと思っている方もいらっしゃることでしょう。
その中には取引先や百貨店担当者も含まれるかもしれませんから、一刻も早く、新しいホームページを立ち上げなければなりませんが、只今手探り状態。
今しばらくは、このブログをホームページ代わりにしなければなりません。

ネット検索には「ブログを含めずに再検索」なんて言うのもありますから、完全な代用は出来ませんが、一つ前の「紺邑」や「イベント・催事情報」なども入れなければならない。
しばらくは、そんな記事が続くかと思いますが、ご辛抱下さい。

 
久しぶりにイッセイ君が遊びに来た。
「社長!あの『紺邑のブログ』ってなんすか?私は社長がもう一つブログを持っていると思っちゃいました。社長がブログに書かなかったら、分からなかったっすよ」って言いながら大笑い。
「盗聴器が仕掛けられたなんて書いてありましたね」とイッセイ君が言ったものだら、カミサンも興味を示したので、見せてやりました。

ミクシィで、私に妙な反応をした人もいたし、イッセイ君までこの調子では、他にもあれを私が書いたと思っている人がいるかもしれませんね。

調べると、ネット上に紺邑は、私とこの「紺邑」さんだけだけれど、この「紺邑」さんは、何かの掲示板の様なものにも参加しているらしい。
ネット社会は、まだまだ成熟には遠いようですが、匿名性はかなり低くなっていますね。
時折インターネット上の犯罪で検挙されるニュースを見ると、そう思います。

「有名税」というのがあるらしいけれど、紺邑は有名と言われるほどのことはない。
だから、有名税を払う気はありませんや(^_^)v

それにしても、自分で「紺邑」を検索なんてしませんから、こんな事がなかったら分かりませんでしたね。
面白いものだな。

紺邑

紺邑は、コンユウと読みます。

私とカミサンで作った名前です。

出来たのは忘れもしない、2000年8月。
親父殿から離れた次の月でした。
 

Konyurogo 師匠の和尚に「新しい工房の名前を、紺邑にしようと思います」と話したら、「紺邑、紺邑、紺邑」と三度声を出して読み、「ん!?良い名前だ。一編の詩になっている」と言って下さった。
そして文字にして書いて下さったのが、現在の紺邑のロゴになっています。
 

「紺」とはもちろん、藍染の出す色の事ですが、人類の文化の中で最も古い染ですから、私達は伝統工芸の代名詞としました。

「邑」とはムラと読むように、「人の集まり」を意味する。
当時中国の古代史に凝っていたカミサンが、「大邑商」という言葉から取った。

つまり、「紺」と「邑」を結ぶことにより、伝統工芸に人が集まるイメージを表した屋号なのです。
そこには、藍を染めるだけではなく、伝統工芸を世に広め、そこに人々が集まり、日本の文化の継承に役立とういう、私達の意志が入っているのです。

2009年10月 4日 (日)

新宿通信 つづきの続きのつづき

紺邑のホームページが無くなりますと、「紺邑」で検索してこのブログに来られる方も多いかと思います。
「紺邑」で検索すると、「紺邑のブログ」という変なものに出会う。
あれを読むと、まるで私が書いているようだけれど、全く関係ありませんのでご注意下さいませ。
対処法は考慮中です。
なにせ忙しすぎましたからね。

さて、紺邑の伊勢丹新宿店も終わりました。

五日目はものすごく忙しかった。
成績もそれなりで、これが毎日続いてくれれば安泰ですが、そうは問屋が卸しません。

しかし、六日目の最終日も、お陰様で忙しかった。
カミサンは、終了間際に大きなものを売りますが、今回も諦めずにがんばっていると、終了時間間際にお見えになった方が、結構な買い物をしてくださいました。
有終の美を飾ることが出来ましたね。

お見えになったお客様方には、感謝m(_ _)m

2009年10月 3日 (土)

新宿通信 つづきの続き

ホームページはなくなりましたが、仕事は別段かわりありません。
しかし、事前に告知する暇もありませんでしたから、ホームページからこのブログにアクセスなさっていた方は、お困りのことだと思う。
具体的にお名前も浮かんで参りますが、どうか「紺屋の白袴」で検索してくださることを祈ります。

さて、新宿伊勢丹の4日目の始まりは雨。
さすがの新宿店も、雨だと少し入場客数に影響すると言うことですが、その兆候の垣間見えた一日でしたね。

この催事の伊勢丹担当者達は、皆さん明るい方ばかり。
この日の朝刊で、百貨店の業績の悪化が記事になっていたことを朝礼でおっしゃっていましたが、それでも前向きだ。
常に会場内を誰かが回っていて、私たちがレジに行かなくて済む体勢も取ってくださっている。
これはなかなか出来る事じゃありません。
さすが伊勢丹新宿店です。

それに報いるほどの売上が、私たちにあるかと言えば、どうもちょいと苦しいかな。
他の百貨店なら十分な売上でも、なんといっても天下の伊勢丹本店ですから、こちらもそれなりの予算建てをしておりますのでね。

後二日で、大きな商いが出来れば良いな。

2009年10月 2日 (金)

催事スケジュール

紺邑の催事スケジュールです。
しばらくはこのページを更新して行きますので、左側の「イベント・催事スケジュール」でご覧下さい。

※10月14日(水)~20日(火)
小田急百貨店藤沢店5階下りエスカレーター前 
「紺邑正藍染展」
 

※10月21日(水)~24日(土) 
鶴屋天草店 2階イベントホール 
木の仕事 藍の仕事 

木工芸甲斐 武 正藍染大川公一 二人展」
 

※10月29日(木)~11月4日(水) 
近鉄百貨店上本町店 9階催会場
「第32回 職人の技展(前期)」
 

※11月5日(木)~11日(水) 
東急東横店西館8階 催物場 
「名人展」
 

※11月18日(水)~24日(火) 
遠鉄百貨店7階 クリエイティブ工房 
「紺邑正藍染展」

ホームページ閉鎖のお知らせ

随分急な話ですが、紺邑のホームページがなくなりました。

一刻も早く再開をしたいと思っております。

しばし、催事スケジュールなどは、このブログを参考にしてくださいませ。

紺邑へのメールは、kon.yu@mbc.nifty.com まで。

ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いいたします。

新宿通信 つづき

カミサンは、閑馬小学校の行事やなんやかやで一時帰宅。
夕方5時に帰って参りましたが、その間、私一人で店を仕切りました。
お隣のシルク屋さんも、お一人だった。

新宿も三日めになりますが、藍染をご存じない方が多いのに驚いております。
30年くらい昔に戻ったようだ。

お客様の目の前で染めながら藍染の説明をしておりますから、言葉よりも説得力が増すようで、皆様驚いていらっしゃいますね。

大抵の方が「藍染は色落ちがして洗濯が大変だから、もうこりごりなの」とおっしゃる。
今回は藍甕がありますから、ハンカチを染めて、それを白いハンカチと一緒に洗って色移りがない事を見せて差し上げますと、皆さんビックリなさいます。
「藍染」と「正藍染め」の違いについても、理解が早いようです。
やはり、実演は必要だなと感じております。

 
私の藍甕を見て、「これは建っていないね」とおっしゃった藍染の専門家が二人いらっしゃいました。
「建つ」とは、醗酵させることを言います。
お二人とも藍染の世界では名の通った方ですが、匂いもないし、液の表面に泡もなく静かだからでしょうが、「本建て」を知らないのですね。
目の前でハンカチを染めて、ちゃんと建っていることを見せて差し上げますと、黙ってお帰りになりました。

言葉というのは面白いもので、自分の経験を自然に語ってしまう。
だから、共通の経験があると、言葉は通じ合う。
それを、「共感」というのでしょうが、藍染を語れば、その人の藍建ても染めも、ひと言で分かります。
私は本建てをやっておりますが、化学建てをしている人と共感することはほとんどありません。
多分、文章も同じで、読み方や解釈に、自分が現れる。
感想文も批判も、己を語っているに過ぎないのかも知れませんね。
なんてね(*≧m≦*)

まあ、そんなこともあるから、実演は面白いと言うことはありますね。

 
久々に、新宿の住人、ラテンの歌姫DIVA NORIKOとカミサンと三女を交えて、西口のそれはそれは古い焼鳥屋「ぼるが」で会食。
「ぼるが」と言う看板が「ぼろが」に見えるというのは、ご愛敬と言うことで・・・

私は最近、「紺邑のブログ」を愛読しているのですが、この紺邑さんには機密情報があるのだそうですが、我が紺邑には全くありません。
それにしても、紺邑ねぇ・・・(・∀・)ニヤニヤ

2009年10月 1日 (木)

新宿通信

このブログも、随分長い間が空きましたが、ただ今新宿は伊勢丹の「日本の手仕事展」に出展しております。
昨日が二日目でした。

 
9月の月末の忙しさは、半端なもんじゃありませんでしたね。
ここに書ききれない程だ。
色々ありまして、29日の夜に、東京の次女と三女の住む部屋に到着。
30日の朝、6時半から、娘達の助けを借りて、搬入飾り付け。

今回は、「実演に力を入れて欲しい」とは、企画した藤田さんの言葉。
それに応える為の実演用の甕が、全く元気がなかった。
しかし、すくも(藍染の原料)の藍分は、まだまだ十分にあるはずだ。

9月27日の昼に、根本的な手入れを致しましたが、直ぐには藍は出てきません。
液の表面は、ただの泥見たいな色です。

その甕にしっかり蓋をして、伊勢丹に送ったわけです。

29日の朝、私は実演の準備に専心しました。

先ずは藍の調子を確認しなければなりません。
ドキドキしながら蓋を開けると、表面に紫色して赤味がかった強い幕がしっかりと張っています。
醗酵が上手く行った証拠です。
「これなら色があるな」と、ティッシュペーパーを入れてみると、沈んでゆく藍の液の色は、透明な濃い焦げ茶色をしていますから、益々、色がある確信が深くなる。
ティッシュペーパーを出してみると、立派な焦げ茶色をして上がってきた。
それがゆっくりと青味を帯びてきたときには、大安心を致しまして、「見ろ見ろ!藍の色が出たぞ」と、まるで初めて藍建てに成功したかのように叫び、「本当にうれしそうだね」と三人に言われてしまいました。

その藍で、初日は一日中実演しておりました。
久々でしたが、良い色に染まるので楽しかったな。

その晩は工房に帰り、30日の月末は社長業を致しまして、とんぼ返りで二日目の夕方新宿着。
そのまま次女の部屋に戻り、爆睡という次第であります。

 
伊勢丹新宿店では、初めて仕事を致します。
7階の催事場は、レストラン街の奥まったところにあり、入り口も出口も一つという、ちょっと変わった作り。
常識的には、お客様の入り具合が心配になるところですが、思った以上にお客様が入っていらっしゃいます。
これは、この百貨店の力でしょうが、多分、企画会社の企画の力もあるのではないかなと想像しますね。

伊勢丹新宿店の印象は、「美しい百貨店だな」ということ。
社員施設もきれいですし、裏の従業員や荷物を運ぶエレベーターでさえ、きれいに装飾されているのは、販売のモティベーションを考えているのでしょうかね。
催事場内の什器もきれいで、美しい催事になりました。

社員の方々も素晴らしく、楽しく仕事させていただいております。

是非、お出かけ下さい。

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