天草から 歴史
朝八時半にホテルを出て、天草市の郊外にある鈴木神社にお参りしてきました。
車を降りたとたん、連れて来て下さった甲斐さんに「ありがとうございます」とお礼を言ったほどに、素晴らしい風情でありました。
天草と言えばキリシタンですが、そこに神社が建ち、何百年も民衆から大切にされていると言うことが感じられるのです。
この小さな島には、沢山の物語がありますね。
神社からの帰り、改めて島の景色を見ると田や畑があるけれど、重税に喘いでいた島民の働く姿が見えるようでした。
帰りの車中、「皆さん、楽しそうで何よりでした」と甲斐さんが言った。
皆さんとは、お客様もだけれど、ご自身を含め、ご協力を頂いた方々全てを言うのだそうで、私は安心しました。
毎日酔っぱらい、好き勝手なことをほざき、議論もしましたので、「不快な思いをさせたかな?」と、ちょっと不安に思っていたところがあるからです。
まあ、本当のところは解りませんが、この人はおべんちゃらを言う人ではありません。
甲斐さんとは、来年の2月の再会を期して別れ、夕方家に帰って参りました。
その昔は、栃木(下野)の人間が天草を訪ねると言うことは、徒歩と少しの船旅しかなかったから、思いの外であったに違いありません。
私の若い頃だって、夜行列車で熊本まで一日がかりだったし、そこから天草までは、もう一旅だったと思う。
それに思いを馳せることが、歴史を見ることなんだろうと私は考えるのだけれど、そう思うと天草に行ってきたことだけでも感慨深いですね。
現代の私は、天草を朝九時過ぎに出て、自動車と飛行機と電車を乗り継ぎ、夕方六時には栃木に帰ってくることができた。
その間の時間の中には、なにも歴史がありません。
我々は、思いを馳せることでしか、歴史の中の人々と会話が出来なくなっていますね。
いや、それは昔から同じ事だったろうけれど、思いを馳せることが出来なくなっていると言った方が良いのかも知れません。
私が灰汁で藍を建てることが出来たのは、歴史と語り合うことが習慣だったからだと思っています。
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