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2009年12月

2009年12月31日 (木)

09.12船橋通信 大晦日

今年の大晦日は、船橋、昨年は日本橋三越。

 
はてさて、30日よりも静かに1日が過ぎてゆきました。

男性のお客様に、カラオケ発表会のステージ衣装を頼まれましたが、それだけです。

まあ、大きな商談ではありました。

 
無事に一年の仕事を終え、電車で娘の所に帰りましたが、三越から帰ってきたカミサンと次女と、同じ電車で遭遇という奇跡が、最後の最後に起こりました。

ゆっくりと正月の買い物をして帰って参りましたとさ、の大晦日であります。

 
このブログをご愛読いただいている皆様には、よいお年をお迎え下さい。

斎木さんと船橋

亡くなった竹細工の斎木さんは晩年、東武百貨店船橋店と東武宇都宮百貨店の催事にしか出展しなかった。

三越だろうが高島屋だろうが、たとえそれが本店であろうと断っていたし、同じ東武の池袋店の担当者が誘っても、「出ねぇーよ」のひと言で、取り付く島もない。

何故かというと、「そう決めたからだっぺよ」と斎木さんはおっしゃっていましたが、宇都宮は地元だし長い付き合いだし、催事以外にも飾り付けなどの仕事の付き合いもあったから催事も付き合っていた。

船橋の場合は、担当者との親しい関係というのが、その理由だったらしい。

担当のNさんとは10年の付き合いだが、「あんたが居る限りは、船橋には来るよ」とおっしゃっていたとのこと。
もう一人の担当者のIさんに至っては、20年も付き合っている。

 
初日Nさんに、「斎木さんが亡くなって、寂しくなるねぇ」と云ったら、「え!何のことですか?」と返事をする。

「斎木さんが亡くなったろ!?」とまた云うと、「え、あの斎木さんですか」と云うではありませんか。

知らなかったらしい。

聞くと、船橋の人は誰も知らない。

彼らに衝撃が走ったようだ。

催事担当のTさんは、「せめて弔電でも打ちたかったです」というし、Nさんは、しょっちゅう私のところに来て、斎木さんの思い出話をして行きます。

「奥さんに電話したいけど、私は泣いちゃうだろうな」という。

「とにかく一度、宇都宮に行って御霊前にご挨拶したい」という。

「来年の『とちふく(栃木福島物産展)』の時に、斎木さんがいない寂しさを実感するんでしょうね」という。

それ程に、存在感のある人だった。

 
 
「とちふく」は、栃木県の外郭団体が後援ですが、彼らが百貨店に連絡しなければならなかった。

それが筋。

誰でもがそう思うから、私だって船橋には連絡していなかったし、その他の人達も同じ事だ。

しようがねぇなとは思いますけれど、罪深い事でしたね。

2009年12月30日 (水)

09.12船橋通信vol.2

東武船橋の二日目。

東武船橋と言えども、さすがに暮れの30日は落ち着いたものです。

地下の食料品売り場は、ものすごい人出だったと云いますから、これも暮れならではですね。

 
 
松坂屋から、午前中が忙しい日が続いております。

今日も今日とて、朝一番にご常連が入らしてウールジャケット。
次に、秋田からの中学生がお祖母様と入らして、シャツジャケットとTシャツ。

これだけでも大した物ですが、後はさっぱりだ。

鍛冶屋が、お使いものに紺邑のハンカチやバンダナを買ってくれて上乗せは出来ましたが、まあ、良しとしましょう、というより、有り難いことでした。

 
 
日本橋三越が凄かった。

時折報告が来るのですが、コートだケープだジャケットだと、一時代前の勢い。

暮れに有り難いことでした。

今年も後一日だ。

 

話は変わりますが、ネットのブログや日記に、書いて良い物と書いちゃ拙いんじゃないかと言う物とあるという話しを書きましたが、「そうじゃない」という、私と違う考えもあろうかと思う。

それそれで仕方ない。

「人の振り見て我が振り直せ」と言うこともあるが、「人それぞれ」と言うこともありますからね。

私はそう思うと云うことで、私は自分の考えに従って参りますですよ。

2009年12月29日 (火)

09.12船橋通信

船橋の初日。

出だし好調で、いつものように宇野澤さんが先ずはお出でになって、催事会場を盛り上げてくださった。

次々とお馴染みに御来店いただき、忙しい午前中を過ごさせていただきました。

午後は、道遊さんや亜美ママという知り合いも入らして賑やかだったけれど、商売としては、何故か松坂屋本店と同じように落ち着いてしまった。

それでも終了間際には、後一歩で目標達成と言うところまで来た。

其処に、ご夫婦連れが立ち止まりになって、「きれいな藍染めね」とおっしゃる。

勝負とばかりにご説明させていただいて、閉店15分前に、後一歩を達成(*゚▽゚)ノ

良くやりましたと、自画自賛の初日でございます。

 

次女と初めて、一緒に販売を致しました。

人間としての成長を垣間見て、うれしかったな。

2009年12月28日 (月)

Jポップ その2 そして船橋・日本橋

Jポップのお話をしましたが、わたしがそんな言葉を知らなくても、そのミュージシャン達は存在していたわけで、私が気に入っていたグループに「ロビンソン」という曲がありましたが、あれもJポップなんでしょう。

音楽にうるさい長女に、「あれは良いよ」と伝えると、どこかで聞いたらしく、「良いねぇ」と言ってきた。
かなり前の話。

そのグループのスタジオが、閑馬にあります。

メンバーが時折来て、バーベキューなんかやっているらしい。

あまり公表してはいけないかもしれませんがね。 

紺邑のある閑馬と言うところは、おもしろいでしょ!
 

 
さて、明日から船橋東武と日本橋三越の催事に出展します。

今日はその準備。

毎日忙しすぎましたが、これでちょっと落ち着けるかな!?

私が船橋、カミサンが日本橋と分かれます。

どうぞ、お遊びに入らしてくださいませ。

 

話は変わりますが、ネット上のブログも日記も、書いている人間の行動が公表されているわけですね。

こういうのは、気をつけなきゃいけないこともある。

私は、贈り物など、人に何かしてもらったことは、なるべく書きません。

出来なかった人や、しなかった、またはし忘れた方々に、嫌な思いをさせるか強要することになりかねないと思うからですし、贈り物やなにかをした人の行動も、また明らかになってしまうからです。

つまり、人に迷惑を掛ける。
 

たとえば、親しい人達が集まっているとする。

その仲間内と自認する人が、行けないにしても誘われもしなかったらば、その人はただ寂しいだろうと思う。

カミサンに言ったら、「もしそれがあなたなら、ただ単にうるさがられているだけよ」と言う。

こりゃぁ、至言だけれど、インターネット上の書き込みの心構えと言ったところです

「人の振り見て我が振り直せ」で、そういうことは段々に気づくものですね。
 

 
今回は私とカミサンと二手に分かれるために、バスで東京に出るか電車にするか迷いました。

迷いに迷ったあげく、足利市駅から電車で行くことにしました。

構内に入ろうとすると、知った顔が改札口を飛び出してきた。

とっさに「よ!」と声を掛けましたが、我が弟でありました。

故あって連絡をほとんど取っていません。

久しぶりにあって、名詞を交換し、連絡先が分かった。
 

こんな事もあった今日は、おもしろい日でしたね。

 

Jポップ

Jポップという言葉があると、知ってはおりました。

私は歌を歌っておりましたし、プロデュースなんかもしておりましたが、それも今は昔の物語だ。

気がついたら、Jポップなる言葉があったということです。

 
我々団塊の世代は、洋楽に浸った世代でしょう。

古くはドリス・デイからポール・アンカ、ニール・セダカ、プレスリーにビートルズに、ジャズ、カントリー、ラテン、シャンソンにカンツォーネと、何でもありだ。

その内、ベンチャーズでエレキギターがはやり、フォークソングがブームになって、自分たちで演奏を楽しむようになってゆく。

まあ、そんなことも、今のJポップの礎にはなっているのだろうと思っておりました。

 
今朝、市役所に用があって行く車中、NHKラジオで、Jポップの特集をやっておりましたが、影響されている音楽が、我々とずいぶん違うなと感じましたね。

でも皆さん、お上手だし、日本語以外は洗練されていると感じました。

アナウンサーたちは「歌詞が良い」と言う。

そうなんだろうけれど、私には何を歌っているのか、よく聞き取れません。

そして、ブレス(息継ぎ)が実にいい加減だ。

 
その番組で、今年病気で引退だか休業をする女性歌手が紹介されていました。

この方は、閑馬の工房にお見えになったことがある。

私は旅先にいてお会いしていないけれど、カミサンが「○やか」という歌手が来たよと言った。

「へぇー」と私。

全く知りませんでした。

彼女は、蕎麦屋の久保さんのところで、「あんた、歌う歌ってるんだって」と言われていたそうな。

こりゃあかん!と思っておりましたが、今日初めてちゃんと聞くことが出来た。

なるほど、実力派歌手だ。

そうしたら、なんとかというロック歌手が紹介されまして、これがまたすばらしかった。

総じての印象は、「日本語はまずいけれど、皆さん歌が上手だな」という事でしたね。

でも、歌詞を聴き取れないし、ブレスが気になるから、わざわざ聞くことは決してないでしょう。

良いも悪いもありません。

私も年をとったと言うことだと思いますね。

 
でも、何とかというロックの女性歌手は、歌が正直で素直で飾りが無くてすごかったな。

名前を忘れたのが、もったいない。

これも年か(涙;

 

恋する瞳は美しい」という曲だ!

今思い出した!!

私もまだ大丈夫か!!!?

2009年12月27日 (日)

蕎麦

閑馬周辺は、蕎麦の産地。

季節になれば、白い花がお花畑のように咲いております。

近くの蕎麦屋さん達も、自分の畑で栽培し、もしくは栽培してもらって、自分で引いて打っている。

だから食べた人は、どの蕎麦屋さんに入っても、「蕎麦の香りが違う」とおっしゃいます。

 
その蕎麦が、今年は全国的に大不作だ。

例年の半分ほどらしい。

閑馬周辺も、例外ではない。

 
昨日行った近所の蕎麦屋さんも、自分で5反栽培していて、それでいつもなら半年分は賄えたというが、今年はとてもじゃないけれど、蕎麦屋を辞めようと思ったくらいの収穫量だという。

この方には蕎麦にこだわりがあって、国産の何とかという品種の蕎麦を、自分で引いて粉にしなければ気が済まない。

ところが問屋は、粉は売っても実は売ってくれない。

たぶん、利益が少ないからだろうけれど、それでは自分の蕎麦にならない。

運良く、北海道とどこそかの蕎麦が手に入ったと言っておりました。

「でもね、たとえば中国産とか何でも良ければ、別に困りはしないんですよ」とも言う。

今、蕎麦粉に困っていない蕎麦屋さんがあれば、それは蕎麦粉になんにもこだわりがない証拠のようなもので、こういう時には素性がはっきり分かりますね。

 
さて、昨日伺った蕎麦屋さんですが、文字通りこだわりが感じられる蕎麦でしたね。

お味?

それは好みだな。

私は更科が好きですから、田舎風の粗挽きは、あまり好みではないのです。

でも、結構なものでした。

2009年12月26日 (土)

危機一髪

師走は「師が走る」訳ですが、藍師の私も走る走る。

足は自動車だ。

いつもの車が車検なんですが、代車がないために、ツーシーター・ミッドシップエンジンの軽四輪、つまり軽トラで、足利から佐野を回っておりますと、さすがに疲れます。

ましてこいつはマニュアル車で、クラッチを入れるのに相当コツが要る。

下手すると、ガクンガクンと車体が揺れます。

 
歌に有名な「渡良瀬橋」の、一本西寄りの「みどり橋」の
信号で止まった。

私は前から2番目。

左折をするために、ウインカーは出しておきました。

ようやく青になり、アクセルを踏むと、案の定クラッチが上手く入らずに出だしが遅れた。

すると、車の左側を、若いお兄ちゃんのスクーターがヒューと抜けて行ったではありませんか。

もしクラッチが上手く入っていたら、あのスクーターは私の軽トラの左側にぶつかっていたかもしれません。

まったく冷や汗ものの危機一髪。

クラッチの入らない車に、大感謝の一日であります。

2009年12月25日 (金)

クリスマス

クリスマスですね。 

 
藍の調子が悪いので、染め場の大掃除を致しました。

大分きれいになった。
 
 
銀行を回って一仕事。 

 
夕方、足利に居る息子を迎えに行きまして、帰りに鶏の唐揚げを買い求め、三人でクリスマス。

息子はロックのギターリストですが、私のクラシックギターを持ち出して引き出した。

それを聞きながらウトウト。

 
ちょっとした、クリスマスプレゼントでありましたとさ。

2009年12月24日 (木)

絶品沢庵

寒さの所為もあるかもしれませんが、藍の調子が総じてよろしくありません。

昨日一日休ませたにもかかわらず、一番新しくて元気な藍甕から色が消えた。

手入れをちょっと致しましたら、2時間後には色が出て参りました。

何をしたかというと、攪拌しただけ。

でもね、簡単で単純な様だけれど、どういう風になぜ攪拌するのかが分からなくては、こういう場合、対処に困るのですよ。

幸い、他の甕は一昨日よりも調子が良いんで、そちらで染めに励みましたが、午後は社長業だ。
 

どうも、染めて売って社長してというのは、時折ちょいと無理を感じるけれど、この間の名古屋の松坂屋で、販売が主な職人に、「私は社長業というものもあるから」と、時間のないこと、疲れることを愚痴ったら、「なに、欲張るからだよ」と言われましたが、名言だと思いましたね。

この人、この業界の大古株。
伊達に年取っていませんね。
 

夕方、荷造りをして、その中に入れるおみやげの椎茸を買いに星野さんの所に行き、ついでと言ってはなんだけれど、そば屋の久保さんに寄って、絶品の沢庵を頂いて参りました。

伺ったときは、蕎麦を引いているところでしたが、今年は不作で、例年の半分くらいかもしれないとのこと。

 
 
今晩は、どっこにも行きたくありません。

この沢庵で一杯やって、早く暖かい布団に潜り込みたいな。

2009年12月23日 (水)

天皇誕生日

昨日銀行から電話がありまして、良い知らせだから「明日行きます」と言ったら、笑いながら「明日はお休みです」という。

そういえば、天皇誕生日でありました。

昭和の時代、親父どのが、昭和が終われば、自分の誕生日は天皇誕生日だといっておりました。

つまり、今日は親父殿の誕生日でもある。

墓参りは行けませんでしたけれどね。

 
工房の庭が荒れ放題です。

意を決して、一人で大掃除。

私は旅が多いし、庭は1500坪もありますから、手が回るはずもない。

帰ってきて庭を見ると、気になって仕方ないけれど、「きれいにして」と誰に言ったとしても、みんな精一杯の仕事をしておりますから仕方ない。

天皇誕生日で親父殿の誕生日の今日は、思い切りきれいに致しました。

明日も継続します。

そう決めました。

 

お年賀用の120枚のハンカチを、納めて参りました。

所は餃子屋さん。

ついでに美味しい餃子を頂いて、今日の夕飯は終わりだ。 

2009年12月22日 (火)

おはようございます。

珍しく、朝に書き込みますが、寒いですねぇ。

寒いことは日本中どこでも同じだろうとは思うけれど、私たちは今年の三月まで、街中のマンション住まいだったものだから、閑馬の寒さに驚いております。

20091222084124 今朝早く、カミサンが小学校に行くというので、車のエンジンを暖めてやろうとしたら、フロントガラスが氷で真っ白だ。
お湯を掛けて氷を溶かしたら、溶けたところからみるみる氷って行く。

すごいなぁ!

2009年12月21日 (月)

随筆

今日も、外にある水槽の表面が氷るほどには寒かったけれど、水道管が氷るほどではありませんでした。

寒いときの藍甕の面倒を見るのは、難しいですね。

染めて洗うその疲れは、暖かい時の比ではありません。

 
蕎麦屋のクボさんから、沢庵を頂いた。

これが絶品で、食欲が戻って参りました。

ここのところ、何故か食欲がなくてね。

 
今日から、ホームページで随筆を始めました。

ブログとは全く異なりますが、毎日書くほどの能力も体力もありませんが、書きたいことだけはあります。

題しまして「閑馬通信」。

作家の坂口安吾が、隣町の桐生に住んでいたときの随筆「桐生通信」にあやかっております。

よろしければ、ご笑覧下さいませ。 

2009年12月20日 (日)

寒波

寒いです。

富士山で遭難事故があったようですけれど、それも、寒波が原因だそうな。


名古屋が終わった時には、山形の人が、「今年は雪が少なくて、スキー場がこまっている」という話しをしていたのが、今は経験したことのない様な大雪に見舞われているという。

 
今朝起きましたら、「お湯が出ない」とカミサンが言う。

その内、水も止まってしまった。

ポンプへ行ってみると、水圧がゼロだ。

パイプの何処かが、氷っているらしい。

水が命だから、どうしようかと思ったけれど、待つしかない。

 
しばらくすると、開けておいた蛇口から水が出始めて、ホッと安心しました。

 

それにしても寒い。

いつぞやテレビを見ておりましたら、地球温暖化の議論をやっていた。

東工大の教授が、太陽の黒点の活動から見て、地球は寒冷化に向かっていると説いておりました。

この温暖化のような現象は、地球の歴史から見れば、ちょっとした‘小春日和’なんだとも言う。

それに対し、温暖化を主張する人達は、必死で反論しておりましたが、その様子は興味深いものでしたね。

 
私には、その正誤を判断する事は出来ないけれど、エネルギー問題として、温暖化を議論することは、必要なことかなとは思います。


  
ご近所の方が、また木灰を持ってきて下さった。

この冬は、木灰に関する限り、心配はなさそうだ。

 
水は困りますが、今晩からは、少々ですが出しっぱなしにします。

自水ですから、水道代が掛からないのは有り難い。

2009年12月19日 (土)

朗報!

NTTの代理店から電話。

「お待たせしましたぁ!光ファイバーが来年の3月から閑馬で始まります」ですって。

待ちに待った日がようやく参ります。

なんと200メガ!

この山間に、文明の灯がともります。

 
 
今年はどういう訳か、灰が集まりません。

どうしても藍甕の手入れをしたくなりましたが、灰が足りない。

そこにnarjaさんから15㎏ほどの灰が届いたので、在庫と合わせて手入れをいたしました。

 

お昼をそば屋の久保さんの所でとったカミサンが帰ってきて、「星野さんの所で灰がたくさんあるって!」という朗報を持ってきた。

早速、軽トラックで取りに行って参りました。

Photo こんなにありますが、今年はつい最近まで暖かくて、薪を使わなかったのだそうな。

ようやく寒くなって、灰が出来るようになった。

寒さにも、良い所がありますね。

2009年12月18日 (金)

地震

朝早く、もちろん寝ておりますと、ガタガタと家が揺れ出した。

地震です。

テレビをつけると、栃木県南部が震源地だという。

これは珍しいけれど、熊谷や鹿沼が震度4なのに、佐野市は震度3だ。

いつか書きましたが、佐野は日本で一番天災のないところというのも、分かりますね。

 
伊豆にも内陸型の地震が起きています。

関東大震災や東海地震が心配だ。

 
先の大恐慌も、地震の後だった。

こういう不吉なことを思うのは、私の所為でしょうかね。

2009年12月15日 (火)

09.12名古屋通信 最終日

最終日になって、初めて忙しい思いをいたしました。

お客様は、全部ご新規。

皆様、大きなお買い物になりそうでしたが、残念ながらそうはいかず。

しかし、何とか前年並みの成績にはなりました。

 
催事は社内的には成功であったらしく、朝礼で担当からお礼の言葉がありました。

終わり良ければすべて良しです。

 
東京まで帰ってきて、娘のところに潜り込んでおります。

佐野には帰れるのですが、その先の閑馬までの足がないのです。
 

明日朝早く、新宿からバスに乗って佐野に帰ります。

2009年12月14日 (月)

09.12名古屋通信vol.6

昨年の6日目が最低の成績でしたから、挽回のチャンス到来!

午前中から忙しく、お陰様で前年の5倍近い成績。

それだけ前年が悪かったと言うことですが、トータルの成績も、前年並みに近づいて参りました。

 
それにしても暖かい。

三年前は確か、大雪の日があったと記憶しております。

これではコートは売れません。

アパレルは、益々苦しむのではないでしょうか。
 

デフレで安いものしか売れないけれど、この辺りは政府の政策でなんとかなる問題。
いや、何か手を打って欲しいと思うけれど、今の政府には、その気配が露ほどにも感じません。

こういう事は、民主党だ自民党だという問題ではないと思いますね。

日本の経済のために、何とかしてもらいたい。

 

新規のお客様は、未だにお二人のみ。

ご常連の皆様が、「どうなっているの!?人がいないじゃない」と異口同音のようにおっしゃるほど、会場にお客様の数が少ないように感じます。

それでも、全体の成績は予算を上回っていると言うところは、まだまだ松坂屋本店は捨てたものじゃないと言うことでしょうか。

 
夕飯は、東京駅八重洲地下街ならば、並ばなくては食せないラーメン屋で。

美味しかったな。

2009年12月13日 (日)

09.12名古屋通信vol.5

日曜日ですが、またもや午前中が忙しかった。

午後はさっぱり。

それでも朝礼によれば、全体はりっぱな成績です。

もちろん、嘘のない実績でしょうけれど、大きなものが売れているのかもしれません。

五日目も、数百万の家具が売れたようだ。

紺邑は前年並み。

 
土・日の営業時間が八時まで。
平日は七時半まで。

この30分が、ものすごく長く感じるから不思議。

疲れ方が違います。

地元テレビのニュースによると、名古屋でもボーナスは出たけれど、例年より大分少ないらしく、皆さん買い控えているのか、商店街や百貨店への来店客数が少ないと云います。

一年半前の名古屋は、全国で一人元気だった。

その雰囲気が懐かしい。

栄枯盛衰、万事塞翁が馬、良いときもあれば悪いときもある。

しかし、待てば海路の日和もあるはずです。

 
「よぉ!」という声で、私の肩をたたく人がいた。

振り向くと、その昔、岡崎店にいた催事担当者でしたが、「来年の四月までだよ」と、すがすがしい顔でおっしゃった。

定年を迎えるというわけですが、私と同い年だ。

松坂屋と大丸が正式に合併し、新しい社名になるのが来年の三月だそうですから、「ちょうど良い時期ですね」と申し上げた。

彼は頷くだけでしたけれど、勤め上げられる満足感といいますか、感慨が伝わって参りました。

たぶん、職場でお会いすることは、もう無いと思います。

私もそんな年なんだけれど、この工芸の世界では「若いね」と云われる中堅どころですから、まだ先が長いことだ(@Д@;

2009年12月12日 (土)

09.12名古屋通信vol.4

三日目まで、相変わらず、予算を超える成績で推移しているらしい。

低めの設定とはいえ、たいしたものですが、個々を見ると、さすがに善し悪しが激しそうですが、それはどこでも同じでしょうね。
 

お昼頃、「大川さん」という、聞き慣れた声が聞こえてきた。

しかし、名古屋で聞くには違和感があるなと思ったら、大阪の名和さんご夫妻だ。

車で三時間掛けて、差し入れを持ってきて下さった。

お買い物もして下さり、ありがとうございました。 

おかげさまで、私たちも勢いを頂いたようです。
 
 
  
毎日、藍染めの講習会をしているようです。

今日も熱心なお客様がいらっしゃった。

「藍の伝道師」を自認していた頃の自分を思い出しましたね。

 
土・日は夜八時までの営業です。

カミサンを早めに帰して、夕飯の支度をしてもらっていますので、疲れ方がいつもと違うようです。

これも、ありがたいな。

2009年12月11日 (金)

09.12名古屋通信vol.3

三日目の朝、起きてきたカミサンに「斎木さんが亡くなったって、酒見君からメールがあった」というと、「斎木さんて課長さんだった人?」と、とぼけた返事が来た。

竹細工の斎木さんだよ」というと、驚いておりましたが、それほど、斎木さんと死は結びつかないということでしょう。

会場には職人が沢山いますが、斎木さんを知る人はそれほど多くはありませんから、この寂しさを共有できる人があまりいません。

 
朝礼によりますと、二日目の結果も順調とのこと。

不思議な感じです。

 
始まると直ぐに、私の前に女性がお二人立った。

いかにも、藍染めに興味がありそう。

「実演があると云うんで、雨の中を見に来ました」と云われれば仕方ない、懇切丁寧にご説明申し上げた。

こういう方は初日にもいらっしゃいましたが、近くの市で、藍染めをするコミュニティーがあるのだそうな。

もちろん、苛性ソーダを使ったハイドロ建て。

私の実演の甕は、工房と全く変わらない藍ですから、まずは匂いからして違います。

一人が匂いを嗅ぐと、「あら!灰汁のにおいがする」とおっしゃる。

お豆腐屋さんの娘で、小さいときから灰汁と接してきたのだそうな。

ハイドロ建てでは出来ない、全く道具を使わない柄出しをしながら、ハンカチの実演をしていると、売り場ではカミサンが商談を始めている。

そうしましたら、コートや何かが売れているではありませんか。

このお二人は、実演に感動はなさいましたが、何もお買い求めにはならなかった。

まあ、そんなものでしょう。

 
お昼を頂いた後が大変。

何もない。

眠気は襲う。

それでもお二人ほどお買い物をしていただき、何とか格好は付きました。

 
夕飯は、恒例の台湾料理。

辛い料理をたっぷり頂き、風邪気味だった身体に栄養を与えて参りました。

斎木さん逝く

昨夜早寝を致しまして、案の定夜中に起きてしまいましたら、暗闇の中で、携帯電話がピカリと光り、受信を知らせております。

何だろうと開けてみると、東武宇都宮百貨店の酒見君から電話とメールが入っておりました。

こんな時間に何だろうとメールを見ると、竹細工の斎木さんが亡くなったという訃報でありました。

まさかと思い、間違いだとも思った。

時間も時間だから、酒見君に電話するわけにもいかず、ネットで地元の新聞社の記事を調べたりしたけれども、どこにも出ていない。

朝になって酒見君にメールを出すと、間違いありませんでした。

斎木董(さいきただし)氏、斎木竹細工店店主
享年65歳。
病死だそうな。

栃木県の工芸の世界から、大きな星が消えたようです。

名古屋におりますので、葬式にも出られないのが残念ですが、本日弔電を打たせていただきました。

心から、ご冥福をお祈りいたします。
 

寂しくなるなぁー。

2009年12月10日 (木)

09.12名古屋通信vol.2

名古屋二日目。

朝礼によりますと、初日の成績はまずまずだったらしい。

予算を大きくクリアーしておりました。

これはこれで、不思議な感じがいたします。

 
それにしても、新規のお客様がとの出会いがありません。

それは全国的な傾向のようですね。

固定客を持っているところは、なんとか売り上げがたちますが、そうでないところは大変難しい状況のようです。

ある業者は、衆議院選挙後、急に悪くなったと云いますが、そうかもしれません。

それでもお買い物をしてくださる方々には、心から感謝ですね。

 
名古屋のレースを扱う会社の社長さんにお訪ねいただきました。

私の生まれた家が、レース屋だったご縁で、ホームページにリンクしていただいています。

レースに対する熱意は、並々ならないものがあります。

興味のある方は、ホームページをお訪ね下さい。

 
カミサンと一緒にいますと、夕飯が困りません。

デパ地下の刺身と、吉野家の牛皿に中華サラダに白米で済んじゃった。

2009年12月 9日 (水)

09.12名古屋通信vol.1

名古屋初日。

11時過ぎにお昼に行きましたが、一緒に食べた連中が、「どうも変ですね」という。
私もそう思う。

売り場に戻ると、私を「チョイ悪おやじ」とからかう高木さんが入らしていて、染めのお預かりをして目が開いた。

でも、それだけだ。

目の前を時折お客様が通るけれど、商談にすらならない。

 
目の前のお店は、初日は忙しいのが常らしいのですが、今年はそんなことはないらしい。

その内、この間の反物の染めを預かって一悶着あったお客様が、「来たわよ」といいながら染め代をお支払い下さり、あの方この方とご常連がボチボチお見えになって、お取り置きを入れれば何とか前年並みにはなったけれど、どうも変な雰囲気だ。

この「変」というのはどういうことかと云うと、17回目を向かえるこの催事の雰囲気のことで、もう一つ云えばお客様の感じのことでもある。

 
今日お買い上げいただいた方々は、全員ご常連。

通りすがりの方は、時折お話は出来ましたが、お買い物をしようという気持ちがこちらに全く伝わって参りません。

名古屋風の、丁々発止の駆け引きのような会話を楽しむと云うような、お買い物の楽しさがないから、会場の盛り上がりが無いのかもしれません。

良くわかりませんが、明日からは、会場に楽しい雰囲気と盛り上がりが出来れば良いとは思いますね。

2009年12月 8日 (火)

名古屋へ

明日から名古屋松坂屋本店の「日本の職人展」が始まります。

今回は、カミサンを連れて参りました。

準備の主役はカミサンで、私は補助みたいなものだ。

きれいな店作りが出来たと思いますが、そこに一本の電話が入った。

どうも、私たちがお客様のご注文を作り忘れたらしい。
いや、間違いなくそういうことで、クレームになっちゃった。

こういうことはあってはいけないこと

責任は私にあるけれど、改善はしなきゃならない。

やることはわかっていますが、それを遠慮してきた私を反省し、積極的に動くことにしました。

 
それでも明日からは商売だ。

一所懸命努めることといたします。

2009年12月 7日 (月)

ラーメン

この辺りでラーメンといえば、言わずとしれた「佐野ラーメン」ですね。
特徴は、青竹踏みの手打ち麺と茹でチャーシューと、ちょっとしょっぱめの汁にあると思います。
土日はどの店も、東京などの遠方からのお客で一杯です。

40年前、新宿区落合のアパートの近くに一件だけラーメン屋がありまして、そこが青竹踏みの手打ちラーメンだった。
東京では珍しい存在で、今はありませんが、佐野ラーメンが話題になるずいぶん前の話です。

うちのカミサンは食べる速度が遅いので、この手打ち麺がのびてしまい、うどんのような食感になるので、どうも合わないらしい。
 

ラーメンに凝っているわけではないけれど、好みくらいはあります。

今日は、足利に行ったついでに、お気に入りのラーメン屋さん「泰鵬本店」でお昼をいただいて参りました。

入りますと、さすがにお昼時だし、人気店だから満席で少し待たされた。

カウンター席がすぐに空いて、ラーメンと餃子と半チャーハンを注文。

カウンターから見る料理人の手際が、実に楽しく旨そうだ。

ここはラーメンも良いが、餃子がまた良くてね。

「ラーメンと餃子はこうじゃなくちゃいけない」と思いつつ、声には出さずに美味しくいただいて参りました。
 

もう一件お勧めは、足利市葉鹿町の「上海レストラン松楽」です。

ここはちゃんとした中華料理も出してくれるけれど、ラーメンと餃子が旨いな。
水餃子もいけます。

ここらあたりのラーメン屋すべてに入ったわけではないけれど、この2店は出色だと思います。

東京の人でもどこの人でも、行く価値あると私は思いますね。

  
東京でお勧めは、井の頭線浜田山駅側の「たんたん亭」で、私たちは「支那そば屋」と言っておりました。

20数年前まで良く通った店で、餃子を頼むと目の前で皮を作ってから焼いくれた。
まだ支店も無かった頃だけれど、今はどうか知りません。

佐野ラーメンでは「とかの」という店が、目の前で餃子を作っていましたが、これまた今は知りません。
並んでまでラーメンを食べようとは思わないから、十数年行ってないのです。
この店も、昔は夜でも食えたのにな。

その昔、銀座の屋台のラーメン屋で修行をしていた沖縄出身の若い者を「たんたん亭」に連れて行ったら、真剣な顔して食っていたな。
この若者の屋台のラーメンも良かったけれど、今の銀座には屋台もないかもしれませんね。

「たんたん亭」が、変わってなければ良いなとは思います。

お試しあれ。

 
*その後、たんたん亭に行きましたが、大分変わっておりまして、それから二度と行っておりません。

2009年12月 6日 (日)

同棲時代

私たち夫婦が知り合った頃は、同棲時代でありました。

ご多分に漏れず、私たちも同棲。

最初に住んだところは、新宿区落合の和菓子屋さんの2階。

今年、長女が新宿区に引っ越したとき、40年ぶりに落合に行ってみると、何も変わらずにその和菓子屋さんはありました。

意を決してご挨拶すると、思い出していただいた。

このアパートの最初の住人が、私たちだったのです。

目の前が銭湯だったから、家風呂は必要なかった。

そして交流が再開。

伊勢丹本店にも来ていただき、今日は、閑馬の工房まで、ご主人に来ていただいた。

 
例のごとく、椎茸栽培の星野さんのところにご案内し、駅まで送り届けて帰ってくると、千葉県からいらした若夫婦が、工房でお茶を飲んでいた。

そのうち、溝越さんが来て、また焚き火。
20091206130626 今日の火は大きかったけれど、これだけではもったいないと、この若夫婦が言うから、溝越さんはサツマイモを買ってきて焼き芋に挑戦。

そうこうしていると、竹墨みをしている高橋さんが来てにぎやかに焼き芋をいただきました。

それにしても、この写真は焚き火でしょうか。

千葉の若夫婦は「キャンプファイヤー」だと言いましたが、そうかもしれません。

この庭で、その内大騒ぎをしたいな。

2009年12月 5日 (土)

焚き火

お年賀に紺邑のハンカチをお使いいただく奇特な方がいらっしゃいまして、120枚ほどの染めの準備を朝いたしまして、後はパソコンに向かい合うことにしました。

ご近所さんが、薪ストーブから出た灰を届けに来てくださった。
これが、我が藍建てに絶対に必要なものだから、誠にありがたい。
この辺りは薪ストーブの家が多いので、冬場は灰に困りません。

DMも作りながらという忙しい時間を過ごしていると、ご近所の溝越さんが焚き火をしに来てくださった。

遊びでする訳じゃありません。
我が家で不要になった家具類などの、大物のゴミを燃やしてくださるのです。

こんなことは、都会や街場で出来るわけもありません。

山間の田舎ならではのこと。

私はパソコンに向かっておりましたが、たき火の火を見ると、矢も盾もたまらず参加。

ちょうど良い小雨で山火事の心配もなく、心置きなく燃やさせていただきましたね。

その内本格的な雨になりましたが、夕方までしっかり燃えておりました。

 
この焚き火で出来た灰は、藍建てに役立ちません。

知ったかぶりの藍染め屋さんは、どう言うか知りませんけれどね(・∀・)

2009年12月 4日 (金)

ネットショップ仮オープンは何で?

さて、何故仮にショップをオープンしたかといいますと、じっと努力をして、成果が出てから発表するなんて事が、私には出来ないからです。

機械音痴の私が、何故パソコンをいじれるかというと、キーボードを打てるから。

何故キーボードを打てるかというと、その昔、ワープロの時代、三日三晩寝ずに練習したからですが、どういう風に練習したかというと、たとえば「あいうえお」と打ったあと、それを印字して結果を直ぐに見ながら、「良くできた!」と自分で自分を褒めながらなんです。

その内、表が出来たりなんだりして、大きなイベントの企画書も、運営マニュアルも、進行台本も舞台の台本も打てるようになっちゃった。

'95年に親父殿がパソコンを入れたとき、直ぐに触ることが出来たのもそのお陰。

なんでも無駄はありませんね。

 
今日もショップの内容を少し変え、「仮」の文字を消しましたが、もちろん完全ではありません。

多分、完全なんてものもないのではないかな。

簡単に、店の内装もディスプレーも変えることが出来るのも、ネット社会の面白いところなんでしょう。

今もパソコンと向かい合っておりますですよ。

2009年12月 2日 (水)

遂にネットショップ(仮)オープン!

本日、私たち夫婦の結婚記念日に、ようやく「紺邑ネットショップ」が、「仮」という名は付いておりますけれど、オープンいたしました。

いやぁー、苦労しましたね。

苦節一ケ月くらいかな!?

まだまだ完成ではないけれど、これからホームページもネットショップも、皆様に御来店いただいた時に楽しく過ごしていただけるよう、工夫と精進を重ねていこうと思っておりますですよ。

明日もまた、変化していると思います。

今後とも、紺邑をごひいきくださいますよう、「隅から隅までズズズイーーーーっと、御願い奉りまするぅ~m(_ _)m」

2009年12月 1日 (火)

キルト展 そして 猪鹿蝶!

ちょいとブログに穴を開けましたが、もう12月になっちゃいましたねぇ。

なにも遊んでいたわけではありません。
cgiのデータをサーバにアップロード出来ないで、苦労をしておりましたんです。
レンタルサーバーに電話したり何だりで、昨日から大変でした。

4 先日、この閑馬の山里で、「キルト展」が盛大に開かれました。
場所は、紺邑をちょっと山の方に入った一軒家。
看板まで手作りですが、この辺りは、こういう手工芸が盛んなところですから、駐車場は満杯だ。

 
3_2 映画「火垂るの墓」にも出て来た橋だそうで、映画を撮る方は、こう言うところまでロケハンに来るらしい。

 
2 驚きますが、閑馬川に掛かるこの橋を渡り、田んぼの中を少し歩きますと、会場のOさん宅があります。主宰ももちろんOさんですが、生徒さん達の作品も沢山出品されておりました。
 
Photo_2 これは題して「閑馬の星空」。
もちろん、素材は紺邑の藍染め。
普通の農家の部屋をギャラリーに変えた、一時(いっとき)だけの素朴な展示室ですが、力作だと言うことが伝わって来ます。

 
1_2 その他にも、バッグなどをお作りになっていますが、海外旅行の時に、皆さんに褒められたとのこと。
さもありなんですね。

 

この展示会は、土日に行われたものですが、日曜日にも行くというお約束をしていたのに、わが紺邑にもお客様が入らしてくださり、伺えませんでした。
Oさんのご主人の手作りパンを頂き損ねちゃいましたが、申し訳ありませんでした。

2_2 今晩の「閑馬の星空」の中で、極めて目立つのがお月様。

写真は紺邑の庭から撮ったもの。

まるで花札の世界ですが、ここ閑馬には、猪も鹿も蝶も揃っておりますですよ。

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